SOCCER NISUTA

なせば成る!!!!
レアル・マドリードについて書いていきます。

9.11.2001Ⅳ

2007-09-11 23:28:05 | レポート


9.11後の出来事

9.11同時多発テロ発生
2001年9月11日に9.11テロ発生、12日に国際連盟がテロ非難決議を採択。
欧米諸国やイラン、パキスタン、インド、日本などの国々もテロを非難。
尚、アメリカは9.11の実行犯をアルカイダと断定したが今だ決定的な証拠は出ていない(アルカイダは犯行声明を出しているため、出す必要性がないともいえる)。
ディック・チェイニー米副大統領は証拠があるとしながらも2007年9月現在、提示されていない。

炭素菌事件
2001年10月5日、フロリダ州の新聞社に届いた郵便物から炭素菌に感触した男性が死亡。
その後も炭素菌が郵便物で送られる事件が発生、5人死亡、20人が感触した。
9.11に触発された者の犯行とされているが、犯行は不明である。
この事件を受けて2002年6月12日、ブッシュ米大統領の著名でバイオテロ対策法案が成立した。

米国愛国者法
9.11を受けて2001年10月26日に成立された。
米一般市民に対し電話の盗聴、電子メールの傍受などができるようになった。また、ビザの発給や入国審査が以前より厳しくなりつつある。
正式名称は「テロリズムの阻止と回避のために必要な適切な手段を提供することによりアメリカを統一し強化する2001年法」
2006年5月には、テロに関与したとして外国人を連行し、拷問した。このことでこの法案は批判され始めている。

アフガニスタン侵攻
9.11をアルカイダの犯行と判断したアメリカは、アルカイダのリーダー、オサマ・ビンラディンが潜伏しているアフガニスタンのタリバン政権に引き渡しを要求。タリバンが拒否したため2001年、アフガニスタンに侵攻した。(対テロ戦争)

アメリカ国民の恐怖
2001年11月12日に ニューヨーク東部のクィーンズ地区に旅客機が墜落。乱気流による事故だったが、テロの影響もあり。厳戒態勢が敷かれた。その数年後、小型機が事故でニューヨークのビルに突撃した時にも厳戒態勢が敷かれた。9.11前のアメリカでは考えられないことだった。

イラク戦争
2002年1月29日、ブッシュ大統領は、北朝鮮、イラン、イラクを悪の枢軸と発言。その後、アメリカは国際連盟の支持なしに2003年3月19日に「イラクの自由作戦」を実行。
戦争の口実は、イラクが大量破壊兵器を保有しているためとしていたが、2004年10月には大量破壊兵器が存在しないことが判明した。
2003年12月13日には、当時のイラク大統領サダム・フセインを拘束、2006年12月30日には死刑が執行された。
アメリカでは、この死刑執行の映像を真似した子供が死亡する事故が相次いだ。(対テロ戦争)

テロ事件
9.11後、アメリカを支持した国へのテロ攻撃が続いた。
2002年6月、アルカイダが、2002FIFAワールドカップでのテロ攻撃を計画したがが、日本のイスラム信者が少ないために中止された。

2002年10月12日、インドネシアのバリ島南部の繁華街クタで自動車が爆発し、202人が死亡した。
2003年8月、インドネシアのジャカルタで爆発テロが起こり12人死亡。
2004年にはオーストラリア大使館で爆発テロが起こり9人死亡。2005年10月1日には2ヵ所で自爆テロが起こり20人が死亡した。
すべてのテロにイスラム過激派ジェマ・イスラミアが関与したとされている。

2003年3月11日、AM7:36~7:40の間にスペインの首都マドリードの3つの駅で爆発が起こった。
192人が死亡、2000人が負傷した。事件後、アルカイダが犯行声明を出した。
この列車テロ事件はスペイン選挙の直前で、このテロがきっかけで政権が交代。スペインはイラクから軍を撤退させ、アルカイダの目的が果たされた感がある。

2005年7月7日、AM8:50にイギリスの首都ロンドンの地下鉄内で3ヵ所同時に爆発が起こった。実行犯(4人で自爆テロ)を含む56人が死亡した。
事件後アルカイダを名乗るグループが、イギリスと同じくイラクに軍を派遣しているデンマーク、イタリアに撤退しないと同じ事が起きるというメッセージを送った。
当時のイギリスの首相ブレアは、テロに屈しないと声明を発表した。
このテロ事件後、無実のブラジル人男性が駅内で警官に射殺される事件が起きた。警官は座っているブラジル人男性を至近距離から射殺。監視カメラでブラジル人男性に不審な行動はなかったが、射殺した警官は「改札を飛び越えた」「自爆する可能性があったので撃った」と意味不明な説明をした。

2007年現在、アフガニスタン,イラクでのテロ(主に自爆)で当地の民間人、米兵、海外の記者、ボランティア員が亡くなっている。

2007年9月5日、ドイツで自動車爆弾同時テロを計画していたイスラム信者のドイツ人2名、トルコ人1名が逮捕された。

2007年9月8日、オサマ・ビンラディンが声明を発表。
ビンラディンは「アメリカ人は皆イスラム信者になるべき」と発した。
専門家は「米国民に対するイスラムへの改宗要求は、米国をターゲットとしたアルカイダの攻撃を暗示する。預言者(ムハンマド)は敵を攻撃する前、敵に対してイスラム教を信奉するよう求めていた」と語り9.11から6年目の今年、新たなテロの可能性が浮上した。
今年は6年前と同じく11日は火曜日、新たなテロが起きないよう祈るばかりである…。


9.11.2001Ⅲ

2007-09-11 22:59:05 | レポート


9.11の詩

Do not stand at my grave and weep
(私の墓の前で泣かないでください)
私の墓の前で泣かないでください
私はそこにはいません、わたしは眠りません
私はふきわたる千の風
私は雪上のダイヤモンドのきらめき
私は豊穣の穀物にそそぐ陽光
私はおだやかな秋雨
貴方が朝の静けさの中で目覚めるとき
私は翔け昇る上昇気流となって
弧を描いて飛ぶ静かな鳥たちとともにいます
私は夜に輝くやさしい星々
私のお墓に佇み嘆かないでください
私はそこにはいません、私は死ななかったのです

Do not stand at my grave and weep
I am not there; I do not sleep.
I am a thousand winds that blow,
I am the diamond glints on snow,
I am the sun on ripened grain,
I am the gentle autumn rain.
When you awaken in the morning's hush
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there; I did not die.

作者未詳とされている詩で、タイトルが無いために最初の行を通称とした。
第2次世界大戦直前にメアリー・フライが友人マーガレット・シュワルツコップ(ドイツ系ユダヤ人)の母親が亡くなったときに書いたものとされる説が有力とされている。
2002年の9.11テロ、1周忌のグラウンドゼロでの追悼式で父親を亡くした11歳の少女が朗読した。

If I Knew It Would Be the Last Time
(最後だとわかっていたなら)
あなたが眠りにつくのを見るのが 
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 
最後だとわかっていたら
わたしはあなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがえたことも やり直す機会が
いつも与えられている

「あなたを愛している」と言うことは
いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも
いつだってできる

でも もし それがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

If I knew it would be the last time
That I'd see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly
And pray the Lord, your soul to keep.

If I knew it would be the last time
That I see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss
And call you back for one more.

If I knew it would be the last time
I'd hear your voice lifted up in praise,
I would video tape each action and word,
So I could play them back for one more.

For surely there's always tomorrow
To make up for an oversight,
And we always get a second chance
To make everything right.

There will always be another day
To say our "I love you's",
And certainly there's another chance
To say our "Anything I can do's?"

But just in case I might be wrong,
And today is all I get,
I'd like to say how much I love you
And I hope we never forget,

Tomorrow is not promised to anyone,
Young or old alike,
And today may be the last chance
You get to hold your loved one tight.

So if you're waiting for tomorrow,
Why not do it today?
For if tomorrow never comes,
You'll surely regret one day,

That you didn't take that extra time
For a smile, a hug, or a kiss
And you were too busy to grant someone,
What turned out to be their one last wish.

So hold your loved ones close today,
And whisper in their ear,
That you love them very much and
You'll always hold them dear.

ノーマ・コーネット・マレックという女性が10歳で亡くなった息子サムエルに捧げた詩。1989年に発表され9.11追悼式で朗読された。ノーマ・コーネットは2004年、末期癌により64歳でこの世を去りました。
日本では9.11で亡くなった消防士が書いたものと勘違いされていた。


9.11.2001Ⅱ

2007-09-11 22:03:05 | レポート


2001年9月11日は21世紀初の大事件となりました。
このテロで87ヶ国の人々を含む2973人(ワールド・トレード・センター崩壊で亡くなった人数は正確とはいえない)の死者が出ました。このテロは、アメリカはもちろん日本などでも生中継され、ワールド・トレード・センターへの2機の激突は全世界の人が目撃しました。

2973人の死者が出ましたが、これは消防士と警察の無用な争いのせいともいえます。ワールド・トレード・センターの屋上にはヘリポートがありましたが、1993年ワールド・トレード・センター爆破事件で警察がヘリで28人を救出、このことに激怒した消防がこの救助活動を非難したため非常口に鍵が掛けられてしまったのです。
8年後、この警察と消防の争いのせいで掛けられた鍵によって非常口の前で無念の死を迎えた人が何百人かいました。飛行機が激突した階より上階にいた人々は、成すすべなくタワー崩壊(崩壊前に飛び降りた人もいた)と共に亡くなったのです…。

アメリカは9.11後、報復としてアフガニスタン空爆、大量破壊兵器廃棄の名目でイラク戦争を行いましたが、このことでアメリカ国内では9.11陰謀論が持ち上がり政府への不信感を強めた他、イラク戦争に参戦したスペインで列車爆破テロ事件が、イギリスでもテロが起きました。
9.11から6年が過ぎた今も、終戦したイラクで無差別テロによって米兵が次々と亡くなっています。

一方でワールド・トレード・センター跡地には崩壊時に残された十字架状の鉄骨「鉄骨の十字架」がたてられ、2010年代にフリーダム・タワーが建つ予定です。フリーダム・タワーは完成後、“ワールド・トレード・センター”という名称を継続して使うようです。
フリー・ダムタワーはアメリカ独立の年1776年にちなんで1776フィートとする模様。(これは崩壊したワールド・トレード・センターより高く、完成すれば再びニューヨーク 一、アメリカ一高い建造物となるが、建物部分は70階と崩壊したワールド・トレード・センターより少ない)

9.11の影響で放映延期になった主な映画
■コラテラル・ダメージ
題名からして延期対象。
■スパイダーマン
映画本編でWTCが出る他、CMでは映画本編と関係ないシーンが撮られていて、そこにWTCが出ている。内容はある組織が金を盗み、ヘリコプターで逃亡しようとするも、スパイダーマンが作ったWTCのツインタワーの間の蜘蛛の巣に捕まるというもの。

ワールド・トレード・センターが出てくる主な映画
■インデペンデンス・ディ
エイリアンの宇宙船がニューヨークに迫ったとき。エイリアンが攻撃後も一部損壊したワールド・トレード・センターが出てくる。
■メン・イン・ブラック
ウィル・スミスにトミー・リー・ジョーンズがメン・イン・ブラックに入るかどうか考えろというシーン。エイリアンの出産シーンでも出てくる。
■ディープ・インパクト
津波がニューヨークを襲うシーン。インデペンデンス・ディ同様破壊されなかった。
■ミュンヘン
ラストのラヴナーと上官のシーン。

9.11の文書
9.11ジェネレーション --米国学中の女子高生が学んだ「戦争」
お勧めです。9.11後、アメリカ(国民)がどう変わったかが分かります。別売りのレイコ@チョート校もお勧め。

9.11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言
アメリカン航空11便がワールド・トレード・センター、ノースタワーに突撃したPM8:46~ワールド・トレード・センター2棟が完全崩壊するまでの1時間42分の様子を伝えています。ビル内にいた352人の証言の他にビル外の様子も伝えています。
残念ながら読み難い構成(登場人物が多い、2棟どちらの様子を伝えているかよく分からないなど)になっていますが、読んでおいて損はありません。

救助犬ベア-9.11ニョーヨーク、グラウンド・ゼロの記憶
映画、ワールド・トレード・センターにも多くの犬が球状活動に関わったことが読み取れるシーンが出てきますが、これはその中の1匹の記録です。

9.11の映画
ワールド・トレード・センター
オリヴァー・ストーンとニコラス・ケイジがタッグを組んだ映画。
ワールド・トレード・センターに飛行機が激突する映像はありませんが、低空で飛ぶ飛行機の音、飛行機の陰がニューヨークの町を多い、そして激突の振動が響き渡る…ある意味、激突する映像よりショッキングです。そして、書類が舞い散り、人が飛び降り、炎上するワールド・トレード・センターを下から見下ろす映像はまるでそこにいるかのような臨場感でショックより倍増させます。
私は冒頭で在りし日のワールド・トレード・センターが映った段階で胸が苦しくなりました。

ユナイテッド93
ユナイテッド航空93便の様子をリアルタイムで映像化した作品。
映画ワールド・トレード・センターと違い2機目がワールド・トレード・センターに突撃する映像が出てくる他、管制塔、軍などの混乱振り、ユナイテッド93での乗客とテロリストのやり取りなどが臨場感たっぷりに描かれていて自分もそこにいるような感覚に陥ります。

動画
Remembering 9.11.01


9.11.2001Ⅰ

2007-09-11 21:46:06 | レポート


今日で9.11同時多発テロから6年が経ちました。

2001年9月11日
AM7:54  アメリカン航空11便(ボーイング767)がボストンを離陸
AM8:14  アメリカン航空11便がハイジャックされる。同時にユナイテッド航空175便(ボーイング767)がボストンを離陸
AM8:20  アメリカン航空77便(ボーイング757)がワシントンを離陸。
AM8:23  アメリカン航空11便が進路をニューヨークに変更。(この数分後にユナイテッド航空175便がアメリカン航空11便を目撃)
AM8:42  ユナイテッド航空93便(ボーイング757)が41分遅れでニューヨークを離陸。
AM8:43  ユナイテッド航空175便がハイジャックされ、進路をニューヨークに変更。
AM8:46  アメリカン航空11便がワールド・トレード・センター、ノースタワーに突撃し爆発・炎上。離陸から52分でテロ発生。(日本時間9月11日(火)PM9:46)
AM8:50  アメリカン航空11便が追突してから4分後にアメリカン航空77便がハイジャックされ、進路を東に変更。
AM9:03  ユナイテッド航空175便がワールド・トレード・センター、サウスタワーに突撃し爆発・炎上。アメリカン航空11便が追突してからわずか17分後のことでした。(日本時間9月11日(火)PM10:03)
AM9:27  ユナイテッド航空93便がハイジャックされ、進路を南へ。4機全てがハイジャックされる。
AM9:30  ブッシュ大統領がテロ後初の声明発表。
AM9:38  アメリカン航空77便がペンタゴンに突撃し爆発・炎上。(日本時間9月11日(火)PM10:38)
AM9:40  連邦航空局が全米の航空システムを閉鎖(第2次世界大戦後初)。
AM9:45  ニューヨーク証巻取引所が取引を停止。
AM9:55  ブッシュ大統領がエアフォース・ワンに搭乗。(テロから逃れるために空を飛び回る)
AM9:57  ユナイテッド航空93便の乗客がコクピット奪還を目指す。
AM9:59  ユナイテッド航空175便突入後56分でワールド・トレード・センター、サウスタワーが崩壊。(日本時間9月11日(火)PM10:59)
AM10:03 ユナイテッド航空93便がペンシルバニア州シャンクスヴィルに墜落。(日本時間9月11日(火)PM11:03)
AM10:28 アメリカン航空11便突入後1時間42分、サウスタワー崩壊後29分でノースタワーが完全崩壊。(日本時間9月11日(火)PM11:28)
AM10:45 ワシントンのすべての連邦ビルから職員避難。
PM12:36 ブッシュ大統領がテロ後2度目の声明発表。
PM1:27 ワシントンに非常事態宣言
PM1:45  アメリカ海軍が空母を2機ニューヨーク沖に緊急出動させる。
PM3:20  ブッシュ大統領がようやく地上へ。
PM5:20  ワールド・トレード・センター第7ビルが完全崩壊。
PM7:00  ブッシュ大統領がホワイトハウスへ。
PM7:15  アシュクロフト司法長官が航空機4機のハイジャックを確認。
PM8:30  ブッシュ大統領がテレビ演説。


  ワールド・トレード・センター崩壊直後のニューヨーク・マンハッタン

ハイジャックされた4機とワールド・トレード・センター
■アメリカン航空11便(ボーイング767)
・ボストン発ロサンゼルス行き。
・乗客77名、乗員11名、主犯モハメド・アタを含むテロリスト5名(全員死亡)
・ワールド・トレード・センター、ノースタワーに突撃。

■ユナイテッド航空175便(ボーイング767)
・ボストン発ロサンゼルス行き。
・乗客52名、乗員9名、テロリスト5名(全員死亡)
・ワールド・トレード・センター、サウスタワーに突撃。

■アメリカン航空77便(ボーイング757)
・ワシントン発ロサンゼルス行き。
・乗客54名、乗員6名、テロリスト5名(全員死亡)
・ペンタゴンに突入。

■ユナイテッド航空93便(ボーイング757)
・ニューヨーク発サンフランシスコ行き
・乗客34名、乗員7名、テロリスト4名(全員死亡)
・ペンシルバニア州シャンクスヴィルに墜落



■ワールド・トレード・センター(世界貿易センタービル)
・日系アメリカ人のミノル・ヤマサキの建築で1966年から1973年の間に作られた。

・1973年にノースタワーが、1973年にサウスタワーが完成、1973年4月4日に落成式典が挙行された。

・完成後のワールド・トレード・センターの建築評論家の評価は悪く、近くで見たときの威圧感からニューヨーク市民からはあまり歓迎の声は聞かれなかったが、遠くから見たときは印象深く映るため、自由の女神と共にニューヨークのシンボルとなった(自由の女神の背後に聳え立つ画は何度か撮影され、9.11のときも炎上するワールド・トレード・センターが自由の女神と共に映る画が撮影された)。

・1993年2月26日、テロリストによってノースタワー地下駐車場でバンを使っての爆発事件が発生、6人が亡くなり1040人が負傷しました。テロの実行犯は8年後に9.11を起こしたアルカイダで、ノースタワーを倒してサウスタワーの崩壊を狙っていましたが、爆弾の威力はタワーを倒すほどではなく、たとえ威力が数倍でもタワーは倒れないと調査で証明されました。その後、ワールド・トレード・センターはセキュリティーを強化して“最も安全なオフィス”と呼ばれるようになりました。

・2001年9月11日、テロリストによって武器化されたアメリカン航空11便がノースタワーに、続いてユナイテッド航空175便がサウスタワーに突撃。その後サウスタワーが崩壊、続いてノースタワーも完全崩壊して28年5ヶ月と7日間の歴史に幕を下ろしました。


    在りし日のワールド・トレード・センター