sptakaのブツブツDiary

sptakaさんは、毎日ブツブツ発言しています。

4月23日(日)休暇

2006-04-22 04:56:03 | 旅行
 1週間の休暇、休載です。

4月22日(土)カリフォルニアの雨
 LA~ローパイン
 確かに旅行休暇なのですが、PC持って出かけたところ、アメリカのインターネット事情は驚くほど進んでいて、田舎のホテルでもどこでも、すべてランになっているのです。新しいPCは、ラン接続を勝手に見つけ出すから、平気で接続できました。んなわけで、つながった日にはこうして遠くから日記継続できます。
 この日の午後に成田を出発して、朝にLA(ロサンゼルス)に到着。ただの旅行である、よくあるような。
 アメリカのレンタカーはやはり今でも相当安い。フルサイズ注文でポンティアックが用意されていたが、保険などすべて込みでしかも満タン一回サービスなんていうのもついて、1週間で500ドル。初めての旅行者を一人連れているもので、ハリウッドのチャイニーズシアターなんて、おのぼりさんの代表格みたいな観光して、熊のぷーさんも最近歩道に記念が入ったとかでそんなん見てから、町を離れて北上する。ルート14を北へ向かうのは、ヨセミテとかシエラの東側の砂漠行く道で、結局ローパインという田舎で、コンフォート・インというモテルに宿泊。この日走行200マイルほど。
 久しぶりのアメリカではもうほとんどタバコを吸う人はいなくなっていますね。町にいたとしても、自分で携帯灰皿もっていないと生活できないくらいになっている。宿泊のホテルも全館禁煙だし。それにしてもアメリカの連中の運転も相変わらず速い。60マイル程度で安全運転していたのでは、大型トラックしか抜けないわけ。でも道は空いていて、いつもながら悪くないねえ。
 こちらからヨセミテに入る道がどうもまだクローズらしくて、明日はデスバレーの方からネバダ・コロラド方面に出てみようかと急に計画変更。夜半は満天の星空だったのに、明け方になんと雨。時差ぼけで夜中に2回タバコ吸いにフロントから外に出たのだが、夜勤のお姉さん「雨は本当に珍しい」と、雨の中に外に出て雨にあたっているわけで、砂漠の村なんていうのは、本当にこんなものか。だよね、私も過去にロス周辺で雨にあったのは1回だけで、雨は2週間に半日くらいかな。
 しかし時代は変わって、田舎ホテルも全館ランシステムでPCつなげるし、そこから新聞読めてしまうし、過去ちょっとした旅行でも、日本語が懐かしいなんていう感覚はもう味わえないよ。時代が変わったし自分も大人になったということか。
 そだそだ。アメリカへの入国もテロの影響でかなり厳しくなって、入管では、左右の人差し指の指紋を向こうのコンピュータにしっかり取られたよ。それに顔写真もね、メガネはずしてさ。だから日本も同じことやりましょうというか、これからは世界中で人が成人になったときに手足20本のすべての指の指紋とって登録して、んなこともしなくちゃ、テロをやるような奴から守れないという事かもね。アメリカは世界の批判をどう浴びようと、自分のNYがテロにやられたわけだから、厳しい事なんでもやるよね。外野の欧州アジアから文句言われていても、狙われるのはいつもアメリカなわけだから。ブスがチカンの撃退法考えたところで役に立たないわけで、美人はそんなの無視して、自分の意見押し通すと言うわけだ。

4月23日(日)
 ローパイン~ラスベガス
 デスバレー(死の谷)というのは、カリフォルニアにあって公園になっているのだが、そっち方面に行く事に決めた。泊まった村が標高900m。途中の高い峠が1600m。デスバレーというところが標高マイナス50m。到着したラスベガスが700m。車に乗っているだけで縦走しているような気分になるのはいつものこと。高いところでは少しみぞれ。低いところでは砂漠。
 そのままグランドキャニオンの方に向かう事に決めていたのだが、あのにぎやかな町が見えたとたんに吸い寄せられるように昼飯タイムとも重なって、遠くから見えていたのは有名なマンダレー・ベイホテルだと言う事が分かって、その正面に車をつけるか。アメリカは高速道路も巨大ホテルにしても、客は全員車に乗っているわけで、その案内が実に分かりやすくなっているのは日本の比じゃない。というわけで、結局セルフパーキングから入る事になって、中のレストランでやっていたのがブランチ。
 ビール飲んだりしてだらだらしていたら遂に今日はここで敗退する事になってしまって、じゃ、街中散歩で、ニューヨークニューヨークだとか、パリスその他10個くらいのホテル散策することになって、このマンダレー宿泊する事に。ここは町中がディスニーシーみたいなとこでした。
 夜中に一人で遊びに出かけた時に、残っていた奥さんが、内かぎまでしてしまったもんで、私入れなくなって一モメ。車に乗った時に内かぎするようなもので、アレは盗難対策なのであって、安全鍵ではないのです。日本人は必要以上に馬鹿丁寧な事をするために、それがトラブルになることがあり。子どもが中からチェーンロックしてしまったようなもんで、外に出されてしまった親は怒るに怒れず。「日本の常識は世界の非常識」というのはこの事です。まあ、しゃあないか。走行200マイル。

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4月22日(土)ウクライナから帰還の兵士

2006-04-22 04:50:26 | 政治・経済・事件・公務
 同じ兵隊が帰還したというのに、横井さん、小野田さんは熱狂的に湧いたのに、ウクライナで結婚していた上野という兵士は、話題が少ない。それは終戦を知っていたのか知らなかったのかの違いだけなのであろうか。
 岩手に実家のある上野は、若い頃には少しはいい男だったのかもしれない。日本語も忘れた。終戦のときに、引き上げて日本に復員するまでが兵隊として召集されたものの任務であるとするならば、彼にように復員を拒否して、現地妻と結婚した男は本来どう扱えばいいのだろうか。ウクライナはシャラポワの故郷だ。ウクライナの女は昭和の日本の女よりも魅力的だったのかもしれない。今でも魅力的である。どこの戦地にも、戦時中から現地妻と仲良くなった兵士はいくらでもいたし、復員命令に背いて帰国しなかった兵隊はけっこう多いものだ。私の義理父が召集されていたスマトラでも、そんな兵隊は千人を越えていたといわれる。復員しなかった兵隊は命令に背いたとは、何故言われないのだ。北朝鮮から佐渡島に移住した曽我ひとみの夫は、米軍から脱走兵の烙印を押されて日本に滞在することになった。所詮脱走兵なのだ、あんなものは。少なくとも、ウクライナ帰還兵士は「おちゃめに、現地妻にほれ込んでしまったのね」という程度の話さえもない。一体どうしたことか。
 つまり今の時代は根っこには、あの戦争など日本史から抹殺したいと多分誰もが思っている。つまりその解釈、歴史的認定、もちろん戦争責任も含めて、若い者は考えたくないし、年寄りは忘れたい。せめて規定するならば「すべてを穏やかに運んでくれ」という思いだけに思える。
 小泉が靖国に行こうが行くまいが、「中国とトラブルだけは起こしてくれるな」。慎太郎が来年に特攻隊の映画を作るといっているのだが「作ってもいいが揉め事だけはよしてくれ」。日本人はもう日本史を語ることさえ諦めたと思えて仕方がない。せめて、信長、秀吉のおおらかな昔の戦国に、勝った負けた「信長がいなければ日本はどうなっていたか?」のクイズは例え答えがどうであろうとも罪はない。紙芝居の世界でしかない。
 少なくとも上野は、ロシアに拉致された兵隊じゃないことは確かなことだ。だったら自主的な拉致か? 彼の妻は国家に提供された女で、彼は日本兵のスパイではなかったのか。60年も健康に生きてきたのに、どうして昨日再開した親戚に、「生存」の手紙すら、一度として出さなかったのか。隠れたかったのか。まさか、今の時代のウクライナに通信の秘密がないとは思えない。不思議なことが多すぎる。
 多分に、帰還しなかった兵隊は、復員後の日本の生活の程度をしって、現地の妻とその後永住する道を自主的に選んだと思えるわけだ。ならば、その後の自分は日本で知られたくはなかった。だとすれば、帰還に応じない脱走兵ではないのか。今の歴史認定においては、当時の召集兵隊は、正当な兵隊とは認めていないということなのか。ならば脱走は、昭和20年までは非合法であったが、昭和21年以降に発覚した脱走は合法となるという、こういう解釈をするということなのか。表現出版の自由は、当時は保証されなかったが、その後は保証されている。脱走を、それと同じだと言うのは、話のすり替えというものだ。ならば東条英機をあと1年隠しておけば、彼は無罪だったということにもなる。上野をただ「長生きできました」ともろ手で喜ぶのは、お目出度すぎるお馬鹿さんだとしか思えない。中国にさえ笑われる。

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