フィリピンで日本軍を憎んでいるという話は、現地の市民が当時10万人戦争被害に遭ったという話だ。なぜマニラ市民が10万人死んだか。
戦争当初日本軍はフィリピンを占領した。ところが2年ほどして米軍に巻き返しを食らったということだ。太平洋戦争の4年間で日本が優勢だったのは奇襲攻撃から半年だけ。残り3年半は米軍の巻き返しにあって、ついに全面降伏するのだが。フィリピンでは敗戦の年1945年になってから、占領していた日本軍に2月頃に米軍が露骨にマニラに上陸して3週間ほどの市街戦になったというのだ。勝ち目のない日本軍は山に逃げ込んで持久戦に持ち込もうとしたのだが、1万人ほどの兵隊が市街地に取り残され米軍に包囲され、自爆か無差別攻撃に出るという、パニック戦法しか残されなくなった。問題はここで。
市街には70万人の市民が住んでいて、それに混ざって数万の米軍が入ってきて、この両者は共同する。日本軍だけが敵で。するとパニック日本軍は、米兵も、フィリピン市民も「区別がつかないから皆殺しだ」と、キチガイ攻撃に出る。ところが100人殺害したら99人は市民で、米兵は1人に過ぎない。敵はそんなにバカではないのだ。馬鹿は日本軍だけ。そして3週間後に、ついに日本軍は全滅して、このマニラ戦で死んだ日本兵が1万人。米兵は千人。マニラ市民が10万人だったという話だ。それはほとんど全部、日本兵がキチガイパニック戦法の皆殺し方法で殺害し、行った馬鹿な日本兵も全部殺害されたと、こういう顛末なのだ。なぜこの事実を書かずに、アキヒトの土下座慰安外交だけを報じるのかと、ああ呆れる。スキーバスが事故したというのもいいけれど「なぜ」と原因くらいはどこの間抜けでも質問するのだが、アキヒト土下座に「なぜ」は誰も言わないのは、作為的にネジがない頭だから。
さて、50万人の日本兵がフィリピンで戦死したのはいいのだが、このマニラで1万人なら残り49万人の日本兵はどこで死んだかというと、ほとんど「餓死」である。周辺の島へいったり、拡大戦法で太平洋の島は全部占領すると、フィリピン本土や周辺のジャングルに入っていったが、補給食糧がなく、それは米軍に絶たれたもののあり、最初から補給見立てがない無理やりの兵力拡大で、昭和のヒロヒトは日本兵を餓死させたのだ。餓死とはそれほどの戦力喪失というか、戦争見立ての失敗というか、その程度のニッポンだったということで。ああ、バカバカしい限りの戦後70年の天皇土下座。過去の事実くらい知ってからものを言えと思うのだが。