sptakaのブツブツDiary

sptakaさんは、毎日ブツブツ発言しています。

6月30日(土)被害者の夫か?加害者の父親か?

2007-06-30 13:17:31 | ブツブツ日記

 しつこく会津若松の事件。高校生が母親を殺したのだが、その父親は、被害者の夫か?加害者の父親か?
 どうやら本人は、被害者の夫であるという立場が強い。ん~責任放棄の時代にあっては、その通りなんだろうと思う。所詮その程度の父親であったから、あんな事件が起きた。世間の愚か者は、責任を取ろうとしない。たまにふざけた晋三みたいのが「社保の混乱は私の責任だ」とは言うもののその言葉の意味が分かっていないわけで、ボーナス70万円返却すれば、責任を取ったことになる笑わせることしか言えないわけだ。
 NOVAの殺された美人姉さんの両親がまた日本に来ていた。「事件を風化させない」。だから察は、懸賞金をこの事件に付けた。そしてこの犯人市橋のろくでなしの医者の父親もけっきょく加害者の父親としての責任を取れないまま今日にいたる。情けなくないか。殺された娘の親が出てくるのに、殺した息子の父親が出てこれない。だからけっきょく、その程度の父親だったから、フリーターにも近い息子にマンションを与えて、月に20万円の仕送りをしていた。まあ犯罪を助長させるような子育てだったわけで、世の中なるようしかならない。
 せめて30年前の浅間山荘事件では、犯人連中の母親がテレビに出てきて「馬鹿は辞めて、投降しなさい」と呼びかけた。その時代の親の爪の垢でも煎じて飲め。
 難しいことは言いたくないが、せめて義務くらいは真面目に履行してくれ。納税にしても、未成年の保護者としても。最近は幼稚園小学生の母の日、父の日に「産んでくれてありがとう」とうい馬鹿げた感想文を書かせるようだが、だから混乱する。産んでくれてとは気持ちが悪い。少子化対策なのか?子供を育てる義務を履行し、育てられる権利を執行されているだけに過ぎない。そこに「ありがとう」はない。せめて「ご苦労」なのだが、子供が口にするなら「尊敬します」。それは育てられていることに対してて、産んでくれたことじゃない。ならば尊敬された親はそれを履行してくれ。会津若松、NOVAの親の世代は私と同年代でもあるのだが、すでに愚か者が多くなっている。

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6月29日(金)強行採決はいつでも楽しい?

2007-06-29 08:54:21 | ブツブツ日記

 ということになるわけだ。「どうせ数の論理だ」といったのは田中角栄であり、多数決だけが民主主義の基本だと今でも思っている連中は、戦後の民主主義を勘違いしたままの連中だけである。間抜けなのだ、発想が貧困である。
 スティールパートナーの仮処分が負けたというのが、理解できない。ブルドックの買収防衛策として、スティールだけには新株予約権を渡さないなんていう、ほとんど漫画、株式主義の基本である不特定多数からの資本集めをすでに拒否して、仲間内の資本だけ集めたいというなら、いつまでも八百屋魚屋でいいのだが、何故か上場する。そして裁判所も、それを認めてしまった。
 裁判所の仮処分の馬鹿さ加減は過去にいくらでもある。田中真紀子の娘が離婚したというときに、「掲載した雑誌を発禁にする」と仮処分をしたのは東京地裁である。裁判官というのも、すでにゆとり世代に成り代わって、世間常識も全く持ち合わせていないものが、トンチンカンなことを平気でやる時代になった。仮処分が間違えていたのなら、それは刑事事件ものの悪法代官なのだが、どうせ見逃している。
 結果日本は世界の株式ファンド常識から逸脱して、今後全く相手にされない時代になっていく。とはどういうことか。スティールは、1300円から1700円に値上がりしたままのブルドックを、どうせ間もなく全部売り抜ける。売りぬけが抜け殻で、新株予約をしてもさらに暴落するだけで、ババを持ったまま勝負に負けるのは既存の株主というわけだ。

 経団連だけのサマータイムというのも、これも明らかに失敗する。一体御手洗という全く評判の悪いキャノンの社長は本当にこの程度で国際人なのだろうかと、疑問になる。サマータイムというのは、今このときに時計を1時間進めるだけの話で、何も1時間早い生活をするわけじゃない。そんな簡単なことがどうして分からないのだろうか。御手洗は所詮「便所」のことで、こいつは一度も海外にいったことがないのか。公家の大名旅行で、自分がどこに行ったのかもさっぱり理解できない同族企業のタダのオヤジだったのか。今朝8時だが、それを9時にするだけのことなのだが。そんな簡単なことが理解できないとは、情けない。

ようやく朝鮮総連の公安オヤジが逮捕された。しかも新井という4億円の手数料をすでに貰っていたとされる爺不動産屋は、死んだ政治家三塚博の秘書だったというのに、あまり書かれていないね。こんな顔も覚えていないような耳毛の長い三塚なのだが、一時は総理大臣の目もあったらしいいんだと。三塚なんて、浜こーに言わせても、三塚は売国奴だと毒づいて、こんな奴を総理にしたら、私欲のために国家を売るような男だと喝破していた。中川一郎の総裁選とは、25年も前の話であるのだが、金だけ貰って裏切ったのが三塚なんだと。だろうなあ、だから金儲けであれば、北朝鮮に肩入れするよ。あれは北朝鮮幹部と三塚が談合して、私欲で二人だけ儲けようとそういう話だったわけだ。
 
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6月28日(木)光市殺人を死刑にしろとは?時間の無駄

2007-06-28 08:32:48 | ブツブツ日記

 再び会津若松に滞在しているが、話題は何故か山口の光市事件。一審二審とも無期なのだが、最高裁が差し戻したということは、「死刑にしろ」と聞こえる。18才が殺したのは人妻とその0歳の子供。
 裁判なんて、どうせ真実は分からない。外野が適当なところで手打ちするだけと、私の親友弁護士は前から言っているのだが、確かなことである。田中角栄は、5億円貰っていたのに、最後までウソをついた。しかもその友人ついでに、「犯罪者にもウソをつく権利がある」。「今日浮気したでしょ」「いや、仕事」。同じことなのだ。だからどこかで他人が手打ちする。
 日本の裁判には、地裁高裁に全く権威がない。ならばあんなものはやめて、最高裁判所一つだけにしてくれ。それで確定しても再審がある。どこまでもフェアじゃなくて、死ぬまでごねるのだ。
 日本の裁判の欠点は、検察控訴というのを認めていることだ。検察というのは国家の最大権力。その国家が戦車と戦闘機を、わずかに18才の少年一人に向かって、ぶっぱなそうとしているとは、最初からフェアじゃない。一審で無期なら、それは少年が控訴しない限り確定である。じゃなければ、検察は一審で居眠りしていたんか?不真面目だったのか?何だおい。じゃんけんだって、負けたら「もう一回」「もう一回」とやれば、三回目までにはほとんど勝つ。最高裁まで検察控訴などは、そのアンフェア丸出し、やめてくれ、時間の浪費だ。
 それにどうせ死刑でも執行はしないで死ぬまで務所に暮らす。無期とそれは同義語なのだが、無期は最短13年で出す。このインフレは一体なんだ。死刑なら明日にでも執行するのが刑なのだが、やっていない。最初から裁判などは八百長である。他にすることがいくらでもあるだろうに。
 妻と0歳を殺された夫は、まだ31歳。事件の8年前は23歳。醤油顔で綺麗だから、世間は被害者夫の味方に付いて「死刑」の要求。なんだよ、そのくだらない理由は。いっちゃわるいが、彼の20歳代は次の人生やり直せる時間であって、未だに裁判傍聴して「死刑にするまで見届ける」なんて決意は、他に振り向けたらいいのだが、しない。
 いい例が東京の喘息和解だ。東京にトヨタの責任で喘息になった患者が、300人しかいないとはそれは何だ。私だって咳き込むぞ。しかし当初から国とトヨタを訴えていたものが一応勝訴して、和解する。トヨタやホンダ、日産は全部で12億円だす。東京も出すし国も出す。で一人500万円もらえるなら、明日にでも「私も喘息だ」といいたいが、後だしのじゃんけんは認められない。同じように、40年前に東京で喘息だったのなら分かるが、この裁判は20年前の喘息だ。そんなものマスキー法の後で、クルマはクリーンになっているのに、何か変。
 いいんだよ、でもこうしてどこかで一回手打ちをしないと、ことは前進しないということだ。明日私が「喘息」訴えても、敵は「うそだ」という。本当ならさっさと前から言っていただろう。裁判の理屈なんてのは、そん辺にしかないものだ。

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6月27日(水)10年後へ日本大暴落のシナリオ

2007-06-27 01:12:42 | ブツブツ日記
 一番大きな問題は、800兆円の国家の借金を、いずれ政府は踏み倒すんじゃないかと、私は思っている。60年前と同じことがおきるわけだ。ドルが123円が、眠っていたデノミが生き返って、ドルは1・23円になる。100倍切り上がる。んで、その間円は凍結されて、1億円のタンス預金の人は、いつの間にかそれが100万円になってしまう。で借金はわずかに8兆円。これなら一年で返せる。そうだよ、倒産直前だった日産が蘇ったように、同じことするわけだ。国家の危機だといえば、晋三が好きな戦前思想である。
 大体70年代から借金し始めて、借金とは利息を支払うだけで膨大に膨れても問題はないとか、高度成長が続けば、今の800兆円はそのうちに1年分の予算に過ぎないとは、どこを勘違いするとそういう計算になったのか不思議で仕方がない。原価を無視して、仕入れはいくらでもいいから立派な車を作るといい、定価で売っても原価を割っていたというのが、70年代の日産の車なのだが、日本も同じことをやっていたことになる。どうせグリーンピアその他三セク、特殊法人の不動産は、時価で800兆円くらいだろうなんて、90年頃にはそうだったかも知れないのだが、10分の1に落ち込んで、すべての三セクや法人が赤字になるなんて、予想もつかなかった国家の大博打だったわけだ。
 さてこれを実践すれば、もちろん一次大戦後のドイツと同じように、1万円札をクルマに満杯にしないと、米の10キロも買えなくなるという通貨の大暴落になってくる。しかし涼しい顔で言うわけだ。100年前のドイツが乗り切ったように日本も乗り切ろう。
 貧富の格差が広がっても全然文句も言わない山羊国民は、多分年収が50万円に下がったとしても、米さえ食えれば何もいとわないという根性がある。どうせ市民革命も百姓一揆も経験したことのない国である。雨露ギリギリしのげて、それでも雨漏りがする廃屋に住んで、米だけ食っていくなら月給5万円でも足りる。しかしそれは、相当な後進国ではある。
 などほど出生率の低下は世界一であり、今後の望みはゼロ。この収入で結婚子育てするのは苦痛であり、意味がない。労働力は愕然と低下して、毎年100万人の中国人を受け入れる、中国人の6歳児を日本語小学校にその数入れて日本国籍与えなければ、西ドイツが東ドイツを飲み込んだのと同じことだ。しかし島国はそんなこと、絶対といっていいほどできない。その間官僚は貴族生活を続けて、イメルダのフィリピンだったか、スカルノのインドネシアと同じように、全JR駅前シャッターが国中に拡散しているというのに、公務員住宅には金銀財宝で、埼玉の朝霞にタワーの公務員住宅が建設されると聞くと、官僚の横暴振りは北朝鮮をしのいできたと思われる。
 老人介護の労働力はすでに年収200万円で、あんな仕事して結婚できるわけがない。それがさらに低下していくわけで、そのうち老人は道に捨てて、国中が姥捨て山になる。「ボケるのが悪い」と公然と言うようになる。実は日本人の他人イジメの村八分というのは、本当は大得意なのだが、少しお洒落な生活になってその反動で、電話番号でさえ他人に漏れると「個人情報」とはいうが、ついこの間まで、庶民にプライバシーはないと言っていた国だ。他人を覗くのは今でも全員大好きである。下品なほど好きなのだ、日本人は。自我が幼稚だから嫉妬心が子供程度に相当ある。
 ドルレートは360円を割り込んで低下するわけで、仮に20万ドルの預金があれば、2万ドルの利息がついて、それは1000万円に相当し、人件費50万円であれば、「日本に行けば女中を昼夜囲える」と聞けば、程度は今のタイと同じことだ。普通のアメリカ人は利息で日本で女を囲うようになる。
 二二六事件や五一五事件の頃は、東北も飢饉が露骨で上野駅には、青森から身売りする中学生が続々状況してきて、政治家公務員がそれを身請けしたとは、昭和一桁を記述する五木寛之の得意とする聞き飽きた文章でもあるのだが、それと同じようになる。歴史は逆行する明らかに。分かりますよ、ほんの10年でそれに到達できる。

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6月26日(火)百年語れるNO5 暇をもてあます

2007-06-26 08:31:34 | ブツブツ日記
 わざと言っているわけじゃないのだが、50歳は「暇だ」と思う。子供二人は成人して家を出て学校にいく。旧婚夫婦が家に残る。新婚ならまだしも、旧婚はどうしようか? 旧婚二人の親は4人中3人健在だが、まあ見通しは立つ。
 結婚生活が暇じゃなったのは二人子育てしたからで、それをしなかったら相当暇だったと思う。だから手が離れた今が暇だ。これから80歳まで30年間は生きなかったとしても、60歳まで10年間だったとしても、その期間が暇だ。何をするのか?
 しかし同年代は誰も共感してくれなかったのが、不思議でならない。解決にならない。
「これからが本当の自由な人生じゃないか」と大学教師は言っていたのだが、本当か?ウソだと思う。ただの受け売りだ。どうせ大学教師の教師論文の成果などは、とっくに発表していなくちゃいけない年代なのに、これから論文発表などありえない。自由な人生とは自由な趣味を指すのだろうが、これから趣味始めた人など聞いたことがない。これまでの趣味の継続、趣味につかえる時間の増大程度の話なのだろうが、前ほど若さがなくなって行動力は減った。そんなことに今後本当に期待しているのかと、話の意味が分からない。
 勤め人は、未だにどこに転勤になり、どこのマンションを売って、こっちに買ったという話をする。んなに家畜の生活ぶりを聞きたくはないのだが、忠誠誓っても、あと数年の寿命なのに、何を意気盛んにと思う。まあ出向すれば、63歳まで10年以上の寿命保存はできるだろうが、現状に実に肯定的で、なんだか穏やかなラブちゃんみたいな家畜話は、好きじゃない。
「この先親の介護がはじまるのよ」という女性も多いのだが、実はこれまでは子育て、今後は親介護とは、実は共に趣味なんじゃないかと、本気でこんな話は聞いていない。まあ逆に言えば、介護がないとは、今後の人生暇すぎてつまらないという話になるのか。子育ても保育園、介護もホームと企業化されて、本人は仕事を定年まで持つというのが北欧スタイルなのだが、日本じゃ無理。楽しい介護ならいいのだが、多分そうじゃないとすれば、何だか話の論点が違う。
 意外にもニコニコと余裕があったに見えるのは、歯科医の開業医だ。もちろん定年がなくて、アル中の振るえもなければ、80歳まで歯科医できるとすれば、公務員民間よりも自分は恵まれて老後の心配がないという結論からだったのだろうが、80歳まで他人の口の中の治療するとは勇気のある人生だと思う。普通はとっくに飽きてきてもいいだろうに、世間とはそういうものか。
 しかし誰もがおよそ定年を相当頭に入れている年齢になる。ということは、会社の将来よりも、自分の定年が重要であり、真面目に今後なんて考える気にもならないというのが、正直なところで共通している。ということは、役員65歳のオヤジが会社の将来考えているというのは全くのウソで、本気で考えて実行するバイタリティは40歳に求めてしかりである。その頃私も確かに定年のことなど考えたことすらなかった。クリントンが大統領になったのは、44歳のときで、それからがアメリカの経済が立ち直った8年間になった。だから晋三の小僧でももう手遅れである。麻生などはもってのほか。連中が国政の将来考えているなどは、笑わせた話としか聞き取れない。40歳代にやらせろ。定年も同じく60歳で議員も全員クビがいい。あれが60歳以降も残っているのは、世間にたかって生きているのと、議員年金が伸びることが理由で、政策はとってつけたようなものだと思う。どうせ政策プランは40歳の国家官僚が作っているに決まっているのだ。明治維新を見てみろ、皆二十歳代がやっていた。
女子部活のバスケット顧問が生きがいという教師は、妙味まだ青春していたよ。県体でベスト4が目標だ、あわよくばインターハイとは、後の学校歴史に、「平成15年度から25年度までは、本校の女子バスケットはN先生のおかげで大活躍しました」とでるのだろうが、んな名誉欲教職員の活躍話は、知らぬが仏というもので、中にいて洗脳されながら職務実践がいい訳で、外から見て知っているものとしては、しょうもないことやっているなあと、呆れるだけ。
「お仕事はちょっとで、あとは自由時間」というのは、先の「やまぴ~」と言っていた女性だ。バレエをやっていた人で、この数年で体の筋肉がげっそり落ちてしまったこと嘆いていたよ。まあババア体型に近づいたという恐怖らしいのだが、でもまあ他人よりは見れる体型でもあったのだが。近いのはこの辺りかね。
 さて、他人の話はどうでもいい。ほんとどうしようかね。山谷に寝転がっていても10年後は60歳だけに、もうちょっとましなことしようと思うと、具体性にすべて欠ける。困っているのだマジに。

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6月25日(月)思い出は百年NO4

2007-06-24 23:20:46 | ブツブツ日記

 愛称で「ちょくしん」は、知らない間に医者になっていた。人のいい彼だ。昨年までは「東大の先生」だったようで、付属病院の耳鼻咽喉科だったのだが、大学病院はつまらないと、開業に転身したらしい。三次会でカラオケに行くことになって、当時のバンカラが「おい、ちょくしん、カラオケ屋にいって、入れるかどうか見て来いよ」といったときに、周囲の数人は凍りついたのだが、本人は「そうだね」とパシリやってきて「空いてるっていってたよ」と。ちょっと大笑いになった。
医者とは何を持って本人の医学との向き合いが最善なのかと考え、年齢と相談して最善の道を選んでいく。サラリーマンも思いは同じなのだが、免許商売の医者の方が、転身は簡単らしい。んで、お馴染みの金沢の医者の話になったのだが、何と彼は金沢氏と医学部の同級生だったらしいことが分かって、世間は狭いし奇妙で面白い。
 同窓生の生徒会長のSは、私の知り合いの中でも天才に近い優秀な人で、高校受験当時は日に3時間しか眠らないといい、その一年はベッドで寝たことはないといっていた友人がいて、コタツで勉強してそのまま倒れて毎朝を迎えたといっていた。彼がそこまでやれば結果はおのずから明らかになる。当時は教駒といわれた高校に入って、そこをトップで卒業して、お隣の国立の理科三類にストレートで入って末は医学部長か?と思われた。私はこれまで彼ほどの秀才には出会ったことはない。その後トラブルで挫折したが、医科大の教授でいるのは当然のこと。その彼整形なんだが、前十字じん帯の内視鏡治療の権威であり、昨日は彼は欠席したものの、他の整形開業医が幹事をしていて、私自分の左足膝のことを相談したのだが、本気なら50歳でも手術はできるが、半年のリハビリに耐えられるのかといわれた。方法は同じ内視鏡のじん帯移植。「誰でもできますよ」。そんなものか。しかしバスケットのピボットは膝に相当悪いのだが、ニーイン、トウアウトのひねりが悪いわけで、「スキーはさほど問題じゃない」とも言われて、ならば筋肉強化とテーピングと、難しいことはやらないという約束で、手術回避現状維持がいいという結論にもなった。友人が医者だと役に立つ。
 外人のジャガイモ社長で有名なクルマ会社のK君は、話題は多いよねと、この会社の役員報酬がゼロだと新聞にでていたのだが、連中給料だけでいくらもらっているんだと憤慨。大体当時ルノーから7千億円の融資を受けたことだけが再建のきっかけであり、そのお金はとっくに返済、リストラも成功して、やっぱり既存中核従業員がここまで持ち直した原動力だとは、まあ日本型企業はみんなそんなもの。ただ唯一。当時日産は金の計算無視した会社で、あれは貴族のクルマ会社だったという反省は当然ある。
 ところで外資系のM子ちゃんはさらに上のメルセデスという車を売っているのだが、ハイブリッドが絶大な支持を浴びている風潮に、真下からみるとトヨタのクルマはけっこう雑なんですと、そんなもんか。分割したクライスラーはもっと雑だけど。
 Y君はPCメーカーで久しぶりでもあり、S君もビールメーカーで久しぶりでもあり、一時は富士通にも抜かれたといい、わが社がアサヒビールに逆転されるとは思ってもいなかったとか、富士銀のH君は当然「みずほ」という名前に変わって、企業が30年無傷で過ごせた例はほとんどないと、全員の意見が一致。
 さて憧れの一人のT子さん。彼女の初恋はK君であり、K君も大学の文系先生になっていたのだが、物忘れが多くなったのか、「今日、○○きていた?」ばっかり連発で、私相当安心した。T子もこの程度が憧れだったのか。K子さんのダンナは、奇妙なことに話題の食品ブルドックに勤務しているという話になって、「明日株主総会がある」とは、昨日日曜のことだ。んで新聞に「増資が決定した」とは出ていたが、私それでもスティールパートナーに分があると話すと、同席のN子も、「私ホリエモンは悪いとは思わない」と、案外ファンド系に支持が多いことも判明。「こんな田舎の食品会社を苛めてもしょうがないのに」。そのソース会社は鳩ヶ谷に工場があるとかで、浦和に縁があるんです。時価総額300億円のうち、40億円ほどでスティールに15%のファンドが狙われていて、敵対防衛にでている真っ最中。
 そのN子は当時、サイモンガーファンクルだとか、ローリングストーンだとかの時代に、大声でフォーリーブスだといい、青山孝の大ファンだと、音楽とカルチャーやアーティスティックには無縁の人で、ついに今はNEWSのやまぴ~のファンだといっていたのだが、知っている人は皆無。彼女は40年来のジャニーズ事務所の大のお客なわけだ。夜も更けて、難しい話は疲れてくるんのだが、やっぱりブラックジャックとか、明日のジョーという劇画もいいけれど、おそ松君が大好きと言われても、言い返す元気もなくなった。
 E子ちゃんは歯科医なのだが、何だかとんでもなく大人になっていた。診療所の名前は「E子ちゃんデンタルクリニック」というのだが、んなもの検索してもどこにもない。幾つかの診療所荒らす腕一本の女狼なことが分かるのだが、自称で「E子ちゃん……」といっている辺り、詳しく詮索しないでよ……という雰囲気がプンプンで、こんな大人の友達は怖すぎるよと、ちょっと後ずさり。彼女東京湾岸のタワーマンション40階に住んでいて、たまたま先のSもとなりマンションの8階くらいに住んでいて、じゃ隅田川花火の頃にホームパーティやろうとは、私たち外野の声なのだが、あんまりそういう趣味はなくて……と答えるのは、家に友達呼ぶ趣味はないと同義語。悪いわけじゃないんだけれど。その友人のK子ちゃんも歯医者で、過当競争が大変よ。
 朝の4時になると、残っているのはA子ちゃん一人で、この人旧姓のままで胡坐かいて、べらんめえのスポーツ姉ちゃんで、聞けば小学4年の担任だとか。しかも子持ち。同じクラスになったことがないんだけど、そういえばこういう元気姉ちゃんも好人物の一人でもあったと思い出す。
 K子、K子、H子の三人組は、特にH子さんの長野からの毎回参加は驚くほど熱心で、きっとまたもや会場ホテルに宿泊予定で、三人で三次会のあとの朝まで自費宴会をやっているようで、こういう女三人組のフルムーンは同窓会継続の大きなカギでもあるわけだ。
 憧れのT子ちゃんのアイデアで、R子ちゃんが20年ぶりに参加して、とっても大人になっていて下の子がすでに21歳。そのR子ちゃんが次回の幹事の一人にもなっていて、同級生の輪は、常連が積極的に増やさないとダメなのだと改めて感じる。
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6月24日(日)「ジャーナリスト」か「トップ屋」か

2007-06-24 17:56:25 | ブツブツ日記
 小学校6年生の読書感想文で、島崎藤村の「夜明け前」を題材に選んだのが、万里子という同級生だった。外資系で高級車の販売をしているのだが、その頃物凄く好きだった彼女と、今でもこうして話ができるのは、自分の奥さんにもない魅力を感じる。肉体なんてものは、タダでも提供できるが、気持ちは無意味には動かせない。本当に好きだったんだという過去財産は、自分がボケない限り、人生の財産として消し去ることができないとすれば、これ以上のノスタルジーな人間関係は他に絶対に存在しないだろうとさえ、思えてくる。
夕方5時から始まって、四次会が終了したのが午前4時。始発の時間まで、11時間の長時間勝負というのも、この年齢じゃ年に1回もやるかやらないか。
 必ず誰もが言う。小学生でその本の趣旨が分かるわけがない。Yという国語の教師に昨日は説教しておいたのだが、そのときにやはり同じことを言っていた。「私がその本を理解できたのは早稲田に在学していた頃だ」。しかしこれにも相当ウソがある。だいたい国家がこの本の内容すら理解していないから、今でも治山事業と言いながら山荒らしを繰り返す。みどり資源はそれがばれて解体されたというのに、ならばこの教師の言っていることもうそだ。小6のときに、万里子がそれを理解していたのかいないのかは問題じゃない。例えば、感想文の題材にこの本が候補になっていたこと、それを選ぶ小学生がいたこと、その事実が重要なのだが、そういう言い回しを理解できる人は少ない。
 明治政府が長野の寒村木曽谷でも、木材はすべて国有林として、村人がそこへ入って、落ち葉を薪に拾うことも禁じたという、強権無策の政策を批判した本だった。薪を拾って、間伐してこそ、森林がそれとして存在するというのだが、そのすべてを官制にすれば、汚職賄賂がまかり通るだけで、寒村はさらに貧しくなって、けっきょく木材は放棄して眉の生産をするしか他に農業はなくなった。資産のすべてを凍結した政府は、それを戦争という無駄なもので散財するだけだったというのが、明治から昭和の歴史である。簡単に言えばそういう本だ。明治という「夜明け」は、けっきょくウソだったのである。木曽谷は幕藩時代よりも悪くなった。
 ここまでは僕らの同級過去の淡い思い出である。そして教師はこの藤村というジャーナリスティックな本に対して、それはトップ屋だとそう言い方をする。私に対しても同じことだ。けっきょく教職員は何をどうあがいても、官制のものしか信じない。明治政府を批判することも、マスコミリベラル陣営のことも、すべてトップ屋だというなら、逆にその程度のものに批判される政府こそが、ガラクタ国家であって、教職公務員はそこの飼い犬に過ぎないという愚かさを自覚できないことが悲しい。
 それでもこの教師は、50歳で教職を辞めて、以降は陶芸その他文筆もやっているのだが、「お前のような者の書いた原稿でも、それが売れる原稿だというのなら、羨ましい」と最後に捨てゼリフ吐いたものだから、「恩師に誉めてもらえるのは光栄だ」と答えておいた。

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6月23日(土)思い出は百年語れるNO2

2007-06-23 00:39:35 | ブツブツ日記

 シャイな中学生なのに、匿名で好きな人にプレゼントするなんていうのは、70年頃の時代では、子供が大人の振りをする、真似をしてみたいという思春期の背伸びでもあった。清水の舞台から飛び降りる気持ちでもあっただろうか。当時はすべてプラトニックな関係だった。少なくとも私は。
 M子からハート型のロケットを匿名プレゼントされたのだが、それが誰からだったのかは私には分からなかった。定期券の中に入れていつも持っていたのだが、持ち物検査みたいな遊びの中で、そのM子が目の前にいたのだが、ロケットを取り出して、「多分T子がプレゼントしてくれたものだと思う」と私は言ってしまった。後日、間違えた自分が軽率でM子の気持ちを踏みにじったのか、いやM子が匿名でそんなことをするから私が勘違いしたと主張した。M子といつまでも気持ちの行き違いが続いてしまった大きな理由となった。
 M子はさらに、駅のコインロッカーにブーケを入れて、そのカギを私に渡した。下校にそのブーケを受け取るが、どうにも気分が晴れない。嫌いだったわけじゃないのだが、女が男にプレゼントするというその習慣は、今でも不思議に思うのだが、戸惑った気持ちが続く。近年聞いたのだがM子には姉が二人いて、ならば妹はかなりませる。それを口下手な中学生が、M子に言い聞かせることなど全く不可能でもある。
 そのお返しに、私はM子にやはり匿名でプレゼントを返し、彼女のロッカーに入れておいたのだが、怒った彼女はいつまでもそれを受け取らない。交換日記を続けていたこともあったのだが、くら~い話題が多くなって、毎日数回は廊下ですれ違うというのに、一言の話もせずに、目線さえ合わさない。何だったんだろう、修復は不可能である。
 子供心にも、そういう交際は楽しくない。J子という陽気な人気者が他にいて、そういう人と話をする方がずっと楽しい。私がそんなことしていると、M子はさらに不機嫌になっているようだと、他人から情報を聞く。中一の春から夏にかけてのことだ。
 女子中学生にとってバレンタインは年間最大のイベントだった。二月に、そういうときにはどうして妙に期待してしまうのだろうか? ロケットやブーケよりも、チョコレートは食い物であるというだけが理由だったら、私はまったくつまらない男なんだなあと今でも思う。しかしM子が渡した相手というのは私の友人のY雄君であり、意外にもほとんど話はしたこともないY子からチョコレートを私は受け取った。
 それはフィーリングカップル5対5で、全く目当てになかった人からのプレゼントにも近い。しかしそういえば、夏に市営プールにいったときに、家族で来ていたその子は、当時中学生にあるまじきセパレートの水着を着ていたようで、そんなところで行き会ったことに驚いて少しだけ立ち話をしたことはあった。翌日学校で「私のセパレートはどうお?」なんていわれただけで、私は真っ赤に照れてしまっていた。それだけの行きずりなのだが、敵が好感を持ってくれていたとすれば嬉しいはずなのだが。結果的に私は何のお礼もせずに、言わずに、時間だけが過ぎて消滅した。ひどい男だったのだろうか。
 中一の三学期のこのM子の反乱で、私は相当気分が滅入って、期末試験に失敗した。失敗の理由をM子事件に理由付けしたのか。全校で上位20%に入っていた成績だったのだが、半分にまで落ちた。親にも、教師にも散々文句を言われた。学年末の重要な時期になんという体たらくなのだと。内申書を重視する高校受験に向かって、大きな失敗だと。中学生に恋愛は不必要だといわれ、勉強に有効に働くような恋愛をしよう、お互い励ましあうようにしようというのだが、そういう物の言い方が余計に腹立たしい。
 浮気っぽいのだ、いや多感だったといって欲しい。M子も私もテニスをしていたのだが、共に男女のそれぞれリーダー格で、大会が迫ると事務的な打ち合わせはするのだが、以降はそういう場面が続いただけ。でも本当は、小学生のときには、そのM子の前衛をしていたR子のことを私は好きだった時期があった。何なんだろうそういうメチャクチャは? そのときの気分で、今日はM子が好きだけど、明日はR子が好きになる。子犬がたくさんいるショップで、ラブちゃんがいいけど、ゴールデンも可愛いと。どうせ自分の気持ちに素直なだけだったのだと、今では思うのだが違うのだろうか。
 最後M子は「私の独り相撲だった」と書き置きして、彼女の恋愛感情は終焉してしまったのだと思う。そういう言い回しがまた私を悩ませた。
 卒業間近の頃に、駅から学校までの25分の道のりを、肩を並べて歩いたことがあった。当たり前の話しか私はしていない。男というのは、その程度のものなのだろうか。私にするべき話はそんなものじゃないと思うけれどと、当時のM子は感じたに違いないのだが、そんなことに気が付くのは数年立ってからで、当時は何も分からないし、話せない。そのまま卒業して出会いがない。M子が笑った顔はあまり覚えていない。笑うと八重歯が可愛い人だったのだが、お互い笑うような明るい話題が二人の間にほとんどなかったということになる。
 所詮無理なのだ。中学生では圧倒的に女がませている。女は多弁で男は喋れない。逆転するのは結婚してからでもある。だからそんな38年前の中学生の頃の話は、すべて水に流せと責任を放棄したいと今では思える。ただ少なくとも弁解するならば、当時はどういう気持ちでそういう行動をしたのかの説明はしっかり付けられる。行き違いがあったのなら、何故だったのかは、今になれば分かる。それだけのことだ。
 男が執念深いのか、その逆か。そんな話はとっくに忘れてしまったと笑われるのが、一番安心することなのだが。

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6月22日(金)思い出は百年語れる

2007-06-22 01:28:34 | ブツブツ日記
 週末に35年前の旧友たちに会う。好きなのだ私は、しかも当時は男女共学だった。
 当時矢部という若い教師がいた。正確にいうと、連中は教官であって、職員ではないという身分なのだが。
国語の教師で、万葉集を習ったときに、万葉集の感想文を書きなさいという授業があった、1970年、中二の話です。
 感想文は難しいと思っていたときに、「一度も万葉集を読んだこともない人に、勧めるような宣伝文です」と教師は追加した。そうなのかと私は思う。どうせ今でも当時でも、大人になって万葉集を読む人は10万人に一人、100万人に一人だと思う。とは国内に百人か千人の話だ。客を多くしたいのから「是非一回でも読んでくれ、つまらなかったら購入代金は返す」という感想文を書いた。0点だった。
 優秀作品は板垣という女の子が書いた、万葉は源氏とこういう風に恋愛模様が違うとか、万葉は抒情詩に満ちているという、まあ大人びた小ざかしい感想文書いた人になった。私は文句を言った。
「こんなんで一度も読んだ人がない人が読みますか?購入代金を返すはどうして0点か?」
 簡単に脚下された。
 人生の生き方というのはこういうところを出発点にすると、今は思う。彼女は中国文学の紹介者になっている。私は世俗な読み捨てマスコミの中にいる。アカデミックな彼女と、折口とかホリエモンに私は近いのだ。
 そのとき次点の古野という人もいた。「国語の教師が要求していることに、購入代金を返すとはバカな感想文だよ、分からないの?」その人は、外資系の保険会社に勤めている。世渡りは上手である。
 その国語の教師は、板垣古野も含めた多数派の同級生の意見をまとめると、マザコンであって、わがままで、まあ適当に処理するのが一番という現在の評価なのだが、その教師は10年前に退職したときに、御茶ノ水で骨董店を開店した。教師の定年後としては異例である。その案内状が当時我が家にも送られてきたわけで、冷やかしに寄って見たことがあった。どこかの廃屋で出てきた明治の箪笥を10万円売っているとか、練炭火鉢を5万円で売っていたのだが、「こんなもの買う人がいるんか?」と思った。バブルその後で、テナントビルが格安にリースして自由に商売、フリーマーケットやりましょうというものだった。
 教師が客に説明しているのを横で聞いたら、何だか客に国語の授業やっているようなものだった。やはり間もなく閉店した。その後、もう一回いってみたら、隣の店主が「学校の先生OBじゃ商売はむりでしたよ」。さらに納得。ざまーみろ。
 その教師がやはり同じ頃に私に聞いてきた。「家田荘子という作家の評価はどうなんだ?」。あんなものは評価の対象になりませんよ。文春が育てたタレント作家でしょ。教師は面食らって「生意気いうな、あの人は素晴らしい」。国語の教員の正体はそのときに明らかになった。
 この教師は今でも私に文句を言うのだ。主語述語の関係がおかしい。てにおはがおかしい。分かったよ、次点の彼女のように、「適当に聞き流す」そういう気持ちになれる。
 この教師、サッカー部の顧問だったことで、中三の夏休みにサッカー部5人を引き連れて、奥秩父のハイキングに出かけたことがあった。中学生にしては壮大な計画で小屋泊まりとはいっても雲取山から金峰山までの5泊。私も是非行きたかったのだが、ダメであり、後年それを教師に問いただしたら「君はサッカー部じゃなかった」。本当に言うことはそれだけか?
 仲間はずれにされた劣等感と、ならば他の友人と同じ頃に尾瀬にいって、その後私は登山に夢中になったのも、このときに置いてけぼりにされたこととは無関係じゃない。どうせサッカー部の連中はその後誰も登山はやっていないし、この教師にしてもしかりだ。私がそのハイキングに参加していても、参加していなかったが、どちらにしてもそれなりの登山人生は歩んできた。でも大きなエポックになって、今となってはこそばゆい、そう初恋のレモンの味がするような思い出なのだが、この教師はそういう教え子の気持ちを汲み取れない。それで国語の教師かよ。
 いいんだよ、教え子は教師を踏み台にしても、あるいはそれは教え子の思い上がりでいつまでも教師の手のひらだったとしても。でもそういう高踏的な話ができない矢部は、今再び出会っても、もうつまらない。それは私が教師を越えたという勘違いの優越感であったとしても、同級生はどう思うのかが、ちょうど70年に中二で過ごした私の人生の過去でもある。


カマキリの又市(社民党)が、売春マッサージを買っていたという話
 男の下半身は、年齢地位学歴に関係なく、いつでも湧いて出ると女は啖呵を切る。そのとおりだ。アンタの亭主も等しい。んでさて、政治家が下半身の処理をどうするのが理想系かと問われても、モデルケースを紹介するのはなかなか難しい。しかしせめて、「そんなことは分からないようにやってよ」というのは、およそ正しい。当人の女房も多分そういう。
 さてこの男の売春事件で最も悪いのは、
1、報じた新潮社を訴えたこと。
 通常名誉毀損で訴えるわけなのだが、つまり当事者にとっては、「デタラメだ」という主張になる。事実関係を争うことになる。いくら週刊誌とはいっても、相手の女が「やりました」といい、しかも証拠のメモ書き、勤務先上司の様子などの裏づけがあって報じるものであって、それをすべて事実無根だといっても、これは難しい。
 どうせ最後には、ベッド写真でもあるのかと当人は啖呵を切るわけで、さすがにそれは持っていない。いよいよ最後は挿入写真があるのかとなるから、下半身スキャンダルというのは、下品に始まって下品に終わる。よくありがちな悪い裁判例としての、10分の1くらいの負けは、マスコミ側に出てきておしまいになる。でもどうせやるなら法廷でクリントンみたいに堂々とやれ。「又市先生のパンツは白い童貞パンツでした」「私のブラを舐めながら剥がしました」。弁護士が党首の政党で、こんなこと訴えて勝てると本気で思っていたら、おバカも極まり。

2、どうして女にゲロされるのか
このカマキリが、過去に寝た女にどうしてこういう風にゲロされるのかというと、この場合「他の女を指名した」ということになる。浮気売春でもそれらしくルールは守って欲しいというのが女の心理で、それ逆なですれば、復讐される。他の女と寝たいなら、ほかに店にいけよ。常識ってもんなのだが、北朝鮮支持しているこういう愚かな男というのは、女遊びの常識も持ち合わせていない。教えてあげよう、基本だよ。銀座のクラブで他の女を指名したら、通常銀座出入り禁止になるよ。他の女と遊びたければ、よその店にいけ。つまりそれは女房のいる自宅に他の女を呼んだと解釈されるわけだ。それだけのことだ。
たまに作家筋でこの程度のことを偉そうに銀座の男の遊び方だというのがいるが、吉行淳之介であり、ワインの女とねんごろの渡辺淳一だが、すべて常識の範疇。

3、議員会館で寝たこと。
 議員会館を格安でつかえるというのは議員特権だということは、しらないのか。ならばせめて家族だけは同居できたとしても、単身赴任だからって、金で呼べる女を会館に連れ込んだら、こんなものは規則違反で議員逸脱、クビになってもおかしくはないんだよ。女と寝たければ、よそのホテルを使えよ。けれどそうしないのは貧乏人の富山の議員だから、姑息にもったいないと、議員会館に女を連れ込む。これじゃアホだといわれている自民党の杉村太蔵と同じだろ、馬鹿。
 どの政党も問わずに、こういうガキっぽいのに本当に失望するわけだ。クリントンは女子大生とホワイトハウスで寝たのだが、国が絶好調でそれも彼の成果だったことと、ついに最後は不倫を認めて詫びを入れたことで許されたのだが、まあこんな貧乏神の又市には、そんな器量は全くゼロなのも仕方がないが。党首の福島は女子中学生みたいに一生懸命なのだが、いかんせん残りものがガラクタに過ぎない。

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6月21日(木)日本人の温泉キチガイ

2007-06-21 04:32:39 | ブツブツ日記
 渋谷の東急前に、あんな円山町のラブホテル入口に、女専用の温泉があることなどは知らなかった。どうせ如何わしい。高野がオーナーなのかね。爆発したわけだ。
 大体東京のど真ん中で、1500mも穴掘って、お湯が出ましたなど、無差別な石炭石油の掘削と何が違うんだと思うわけだ。最近は鉱泉という言葉が消滅して、穴の中から、田んぼのあぜの水が出てくるだけでも、それ沸かして温泉だとあり難がっているのは日本人だけだ。温泉だって有限資源なんだぞ、いい加減に掘るのは辞めろ。地盤沈下の責任は温泉にある。
 100万円のロマネコンティと、600円のマンズワインを目隠しして分かる奴が本当に要るんだろうか。ということは、我が家の風呂と、草津の風呂は目をつぶって鼻をつまんでいれば分からない。温泉に効用があるというのはウソで、それは千年のウソに騙されてきた日本人の迷信だと私は思う。あんなもので病気が治ったら、世間に医者は要らない。御免で住むならポリコーがいらないというのと、同じ理屈だ。
 どうせ高野ビューティはバブルであって、「業者に任せている」とはいえ、その業者は「天然ガスは知らない」と、まあ米倉涼子や神田うのをCMに使っているわけで、昼間に女が温泉マッサージとは、まともじゃないことくらいは分かる。折口に近い。
 おかしいんだ、どんどん地中に穴掘って、液体が出てきたと風呂に入るのは、中国の食い物に殺虫剤が入っているよりおかしいと思うのは私だけか?

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