しつこく会津若松の事件。高校生が母親を殺したのだが、その父親は、被害者の夫か?加害者の父親か?
どうやら本人は、被害者の夫であるという立場が強い。ん~責任放棄の時代にあっては、その通りなんだろうと思う。所詮その程度の父親であったから、あんな事件が起きた。世間の愚か者は、責任を取ろうとしない。たまにふざけた晋三みたいのが「社保の混乱は私の責任だ」とは言うもののその言葉の意味が分かっていないわけで、ボーナス70万円返却すれば、責任を取ったことになる笑わせることしか言えないわけだ。
NOVAの殺された美人姉さんの両親がまた日本に来ていた。「事件を風化させない」。だから察は、懸賞金をこの事件に付けた。そしてこの犯人市橋のろくでなしの医者の父親もけっきょく加害者の父親としての責任を取れないまま今日にいたる。情けなくないか。殺された娘の親が出てくるのに、殺した息子の父親が出てこれない。だからけっきょく、その程度の父親だったから、フリーターにも近い息子にマンションを与えて、月に20万円の仕送りをしていた。まあ犯罪を助長させるような子育てだったわけで、世の中なるようしかならない。
せめて30年前の浅間山荘事件では、犯人連中の母親がテレビに出てきて「馬鹿は辞めて、投降しなさい」と呼びかけた。その時代の親の爪の垢でも煎じて飲め。
難しいことは言いたくないが、せめて義務くらいは真面目に履行してくれ。納税にしても、未成年の保護者としても。最近は幼稚園小学生の母の日、父の日に「産んでくれてありがとう」とうい馬鹿げた感想文を書かせるようだが、だから混乱する。産んでくれてとは気持ちが悪い。少子化対策なのか?子供を育てる義務を履行し、育てられる権利を執行されているだけに過ぎない。そこに「ありがとう」はない。せめて「ご苦労」なのだが、子供が口にするなら「尊敬します」。それは育てられていることに対してて、産んでくれたことじゃない。ならば尊敬された親はそれを履行してくれ。会津若松、NOVAの親の世代は私と同年代でもあるのだが、すでに愚か者が多くなっている。