7月10日は納豆の日だそうです。その前日に関東では梅雨明け宣言がでました。
今月連投していただいている池波さんが、人の世は「勘違いで成り立っている」というので、勝手に励まされたつもりで書くんですが........
最初、政府の無策に業を煮やした松本さんという人が、孫さんの何倍もの私財をなげうって復興に乗り出したのかと思いました。
だから公務員相手に居丈高な物言いや態度ができるのかと、部分的な映像からそう思ったのです。
ところが、新しい大臣だったそうで「助けてやる」財源は税金、自分の俸給も税金、というのでは威張る態度のよって立つところが理解できません。
トオナテダ........逆、伊達直人でしょうか。
また、乱暴な口しかきけないタイプの人を知らないわけではないので、その面では驚きませんが、常にそうかと思うと辞任会見ではちゃんと話していました。
後援会の人も擁護しきれないくらいなので、例の「辞めるのやめる」発言同様、やはりこういう人たちは世間一般の感覚からかけ離れているのでしょう。
昔、昇進をさかいに人柄が変わってしまった人が若干二名ほどいました。
それまで、どちらかと言えば二人とも、他人から好かれるタイプの気さくな人だったのです。
昇進してしばらくすると、会議などで人前に出る度に激昂し、いじめとしか思えない個人攻撃を執拗に繰り返すので、誰もがおかしいと思うまでになりました。
不思議なことに、普段は以前とそれほど変って見えないのが始末に困ります。
そんな二人が続けてマネジメントをした数年間は、もちろん組織も業績も停滞しました。
それぞれに対する周囲の我慢も限界に達する頃、前任者はある日加療が必要と診断され、後任者は不適切な経理処理の引責から降格したのち辞職しました。
二人とも人前に出るのに向かなかったのか、何か悪いお手本でもあったのか、謎のままです。
多分、今尋ねたとしても、何故変わってしまったのか自覚症状はないかもしれません。
マツモもこの類か。
二十代後半の頃でした。たまに呼んでくれる百貨店の方と飲んでいると、元同僚という人が偶然来店して同席したことがありました。
何かの都合で退社されて少し経つというその人が語るには......
辞めてようやく新しい会社に入り、外を廻っていると昔の取引先に会ったりする。懐かしくてつい「よぉ」と声をかけるが、以前とは比べ物にならないくらい冷たい挨拶かもしくは無視される。
立場を利用したつもりはなかったが、思い返せば取引先に無理難題を押し付けてきたかもしれない。
自分にではなく、店の看板に相手が頭を下げていたことに気づかなかった、とのこと。
そんなことを初めて他人に語るのか、我々が目に入っていないみたいに、独り言っぽく語っていました。その後、他の取引先や元同僚の話を総合すると、やはり不必要に居丈高で人間的に問題があったらしく、良く言う人がいませんでした。
前回の清正の話とは対極みたいな事例です。
何をそこまで勘違いしたのか、と思いますが、こういうのは心得違いというのかも知れません。
ところで、先の傲慢ととられた言動に対する弁明で「わたしは九州の人間ですけん」とそこだけお国言葉になったのを聞いて、恐山のイタコにマリリン・モンローを呼び出してもらったら、「わしじゃ.......マリリン・モンローです」と逆にデスマス調で名乗った話を思い出しました。
下段の画像は、サッカー・ブラジル代表の監督で、着るもののセンスが最悪と非難されたドゥンガではありません。
今月連投していただいている池波さんが、人の世は「勘違いで成り立っている」というので、勝手に励まされたつもりで書くんですが........
最初、政府の無策に業を煮やした松本さんという人が、孫さんの何倍もの私財をなげうって復興に乗り出したのかと思いました。
だから公務員相手に居丈高な物言いや態度ができるのかと、部分的な映像からそう思ったのです。
ところが、新しい大臣だったそうで「助けてやる」財源は税金、自分の俸給も税金、というのでは威張る態度のよって立つところが理解できません。
トオナテダ........逆、伊達直人でしょうか。
また、乱暴な口しかきけないタイプの人を知らないわけではないので、その面では驚きませんが、常にそうかと思うと辞任会見ではちゃんと話していました。
後援会の人も擁護しきれないくらいなので、例の「辞めるのやめる」発言同様、やはりこういう人たちは世間一般の感覚からかけ離れているのでしょう。
昔、昇進をさかいに人柄が変わってしまった人が若干二名ほどいました。
それまで、どちらかと言えば二人とも、他人から好かれるタイプの気さくな人だったのです。
昇進してしばらくすると、会議などで人前に出る度に激昂し、いじめとしか思えない個人攻撃を執拗に繰り返すので、誰もがおかしいと思うまでになりました。
不思議なことに、普段は以前とそれほど変って見えないのが始末に困ります。
そんな二人が続けてマネジメントをした数年間は、もちろん組織も業績も停滞しました。
それぞれに対する周囲の我慢も限界に達する頃、前任者はある日加療が必要と診断され、後任者は不適切な経理処理の引責から降格したのち辞職しました。
二人とも人前に出るのに向かなかったのか、何か悪いお手本でもあったのか、謎のままです。
多分、今尋ねたとしても、何故変わってしまったのか自覚症状はないかもしれません。
マツモもこの類か。
二十代後半の頃でした。たまに呼んでくれる百貨店の方と飲んでいると、元同僚という人が偶然来店して同席したことがありました。
何かの都合で退社されて少し経つというその人が語るには......
辞めてようやく新しい会社に入り、外を廻っていると昔の取引先に会ったりする。懐かしくてつい「よぉ」と声をかけるが、以前とは比べ物にならないくらい冷たい挨拶かもしくは無視される。
立場を利用したつもりはなかったが、思い返せば取引先に無理難題を押し付けてきたかもしれない。
自分にではなく、店の看板に相手が頭を下げていたことに気づかなかった、とのこと。
そんなことを初めて他人に語るのか、我々が目に入っていないみたいに、独り言っぽく語っていました。その後、他の取引先や元同僚の話を総合すると、やはり不必要に居丈高で人間的に問題があったらしく、良く言う人がいませんでした。
前回の清正の話とは対極みたいな事例です。
何をそこまで勘違いしたのか、と思いますが、こういうのは心得違いというのかも知れません。
ところで、先の傲慢ととられた言動に対する弁明で「わたしは九州の人間ですけん」とそこだけお国言葉になったのを聞いて、恐山のイタコにマリリン・モンローを呼び出してもらったら、「わしじゃ.......マリリン・モンローです」と逆にデスマス調で名乗った話を思い出しました。
下段の画像は、サッカー・ブラジル代表の監督で、着るもののセンスが最悪と非難されたドゥンガではありません。