以前Esquire誌にThe Best Dressed Men in the Worldという記事がありました。そのひとりに挙げられたジャンニ・アニェッリについて「Sprezzaturaの体現者」というキャプションがついています。
Sprezzaturaというイタリア語の説明は、“the Italian art of appearing not to care about one's appearance”となっていました。
イタリアでは着こなし以外にも連綿と続く美意識のようですが、簡単な辞書では「故意の見落とし;無頓着」となっています。
もうちょっと昔から日本で馴染みのある言葉なら、nonchalanceあたりが部分的に近いでしょうか。
ファッション関連の活字でみる範囲では、ここ数年の間にアメリカでもSprezzaturaという概念が認知されたかのように使われています。でも、曲解じゃないかなというのも少なくありません。
彼らはよく「無精とは違うんですよ」と注釈を付けていますが、着崩しているというより、ほとんど着崩れて見えるのでSprezzaturaからは遥か遠くに見えます。
昨日の画像にあるとおりアニェッリのリラックスして見える装いも、カジュアルに慣れた眼には無頓着というより、むしろきちんとした人に見えるでしょう。
しかし昔の写真には、そのクラスでは敬遠される光沢のあるスーツ姿など、必ずしも参考になるものばかりではありません。アニェッリの着こなしを上手く捉えた写真は、残念ながらそれほど多くないようです。
もしご覧でなかったら「ひと日記 白井さん」を検索になって、横浜信濃屋の白井さんの着こなしからその要諦を感得できる方なら、ウェル・ドレッサーの方々に通底する何かに触れることが出来るかも知れません。
アニェッリ夫妻。
下段は1954年4月号のハーパーズ・バザー。左ページに掲載された写真はリチャード・アヴェドンが撮った奥さんのマレッラさんで、後年アヴェドンの写真集のカバーともなりよく知られた一枚です。
ASSOULINEから出ている「Allure」の女性版にも、古今のエレガントな女性の一人として取り上げられています。
先日のアレクセイ・ブロドヴィッチが携わったハーパーズ・バザーの紙面。
Sprezzaturaというイタリア語の説明は、“the Italian art of appearing not to care about one's appearance”となっていました。
イタリアでは着こなし以外にも連綿と続く美意識のようですが、簡単な辞書では「故意の見落とし;無頓着」となっています。
もうちょっと昔から日本で馴染みのある言葉なら、nonchalanceあたりが部分的に近いでしょうか。
ファッション関連の活字でみる範囲では、ここ数年の間にアメリカでもSprezzaturaという概念が認知されたかのように使われています。でも、曲解じゃないかなというのも少なくありません。
彼らはよく「無精とは違うんですよ」と注釈を付けていますが、着崩しているというより、ほとんど着崩れて見えるのでSprezzaturaからは遥か遠くに見えます。
昨日の画像にあるとおりアニェッリのリラックスして見える装いも、カジュアルに慣れた眼には無頓着というより、むしろきちんとした人に見えるでしょう。
しかし昔の写真には、そのクラスでは敬遠される光沢のあるスーツ姿など、必ずしも参考になるものばかりではありません。アニェッリの着こなしを上手く捉えた写真は、残念ながらそれほど多くないようです。
もしご覧でなかったら「ひと日記 白井さん」を検索になって、横浜信濃屋の白井さんの着こなしからその要諦を感得できる方なら、ウェル・ドレッサーの方々に通底する何かに触れることが出来るかも知れません。
アニェッリ夫妻。
下段は1954年4月号のハーパーズ・バザー。左ページに掲載された写真はリチャード・アヴェドンが撮った奥さんのマレッラさんで、後年アヴェドンの写真集のカバーともなりよく知られた一枚です。
ASSOULINEから出ている「Allure」の女性版にも、古今のエレガントな女性の一人として取り上げられています。
先日のアレクセイ・ブロドヴィッチが携わったハーパーズ・バザーの紙面。