Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

クロウトの意見

2013-01-08 | Others
 昨年中におこった疑問(瑣末な)は年内にクリアしようと、長谷井さんや常盤さんと飲んだ時も根掘り葉掘り伺ったので、氷解してすっきり新年を迎えられました。

他にも秋頃から、昔読んだ塩野七生さんの「男たちへ」の話の一節が気になって、ずっと確かめたかったのですが、つい棚上げになったままでした。
これも年末にカタをつけて話題に上せようとしましたが、ご乱行中(と家で言われている)につき、書くのはこうして年を越してしまった次第です。



今ちょうどピッティが開かれていますが、それは三十年前の同じピッティの会場での話です。
顔見知りのイタリア人デザイナーを見つけた塩野さんは、インタビューを試みました。
塩野さんの「洗練された男の装いとはどういうものか」との問いに、

「第一に、ちょっぴりの古きイギリス。第二に、アメリカの色。最後は一と二のすべてをイタリアの洗練された感覚で、フィルターしたもの」
との答え。

これを読んだ'90年代初めにはごく当たり前に思えて、この話のタイトル「クロウトの意見」というのにも不遜ながら拍子抜けしたというのが実際です。
しかしそこから20年ほど経過した今、その箇所がやけに思い出されるのは何故だろうと考えました。

それは黒スーツの氾濫やカジュアル化の加速などで、すっかり様変わりした男の服から、そんな当たり前と思われた要素さえ失われつつあるからだ、と新年で忙しいので短絡的に結論付けました。
私の好きな人たちはそんな要素をさらっとクリアしているので、巷間流行るものを一々嘆くにあたらないのですが.........

ところで本を読み返していたら、今なら更に面白い箇所がありました。

    話題を変えて、最近の日本のモードについての彼の感想を聞いてみた。
    「悪趣味をともなった、過度の攻撃性」

この話の初出は'80年代前半だそうで、塩野さんは「野望ばかり大きくて、それを実現する手段をいまだ見いだせない年代の人の作るものが、悪趣味といわれても当然の帰結」と優しく弁護していますが、以前書いたように'90年代半ばになっても、イタリア人が日本人を見る目は「一部の人以外日本人は分かってない」とか「プロでも大多数はへんなカッコしてる」と思われていた節のあったことを思い出します。

さすがに見ている人は見ていて、塩野さんはこの話の最後を「男の装いの場合の良き趣味とは、年齢を越えるなにものかを見出し、生かすところに生まれるものではないだろうか」と結びます。
これこそクラシックといわれる装いのエッセンスだろうと、やはり性急に結ぶ正月でした。

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