HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

垂直連携のバリエーションを増やそう。

2016-06-25 15:22:30 | Weblog
 「ファッション業界の再建のカギは、産地?クリエーター?それとも若者?」について、コメントしてみたい。

 先日、経産省の施策についてのコラムでも多少触れたが、筆者はファッション業界再建のカギは産地、クリエーター、若者といった断片的なものではないと考える。

 業界は川上の産地から川中のアパレル、川下の小売りまでが上手く機能して成り立って来た。ところが、景気低迷による消費不振やグローバル競争の影響を最初に受けるのは小売りだ。そんな小売りが売上げ不振で喘げば、仕入れ先であるアパレル卸にも波及する。さらに卸が利益をとれなくなると、影響は製造現場にまで及んでいく。このようなバーチカルなビジネス構図を考えると、どこか一端だけが革新し覚醒すれば、ことは解決するものでもなさそうだ。

 そもそも、ファッション業界がここまで衰退したのは、景気低迷や競争激化もあるが、それを根本原因にして皆がリスクを取らなくなったこともあるのではないか。例えば、小売りの代表格である百貨店は、デフレで低価格な商品が売れなくなっても、粗利益だけは確保したいからアパレルに歩率の積み上げを要求した。

 もともと、委託販売や消化仕入れでリスクを取らない商売を長年やって来ておきながら、売上げが低迷すれば取引業者に高圧的な態度で臨む。また販売管理費を下げるために人時配置を見直すLSP(レイバー・スケジューリング・プログラム)などを取り入れたものの、結局、売上げはメーカー派遣社員の販売力に左右される。収益回復はそんな簡単ではないとわかると、数字の論理に走らざるをえないのだ。あまりに虫が良すぎると言わざるを得ない。

 取引するアパレルとて、百貨店に要求されると、業者の立場から飲まざるを得ない。だが、今度はそのしわ寄せが素資材メーカーや下請けの縫製業者にかかっていく。大元が作った大きなツケを末端の弱い事業者が背負わされているだけで、誰かが責任を放棄しているだけに過ぎない。こんな不条理なことはないだろう。

 元来、日本のファッション業界は各事業者がもつ専門性のもとで仕事をし、それ以外のカテゴリーには乗り出さずにやってきた。皆があまりに良い時代を知っているだけに、良く言えば餅屋は餅屋に徹する、悪く言えばガラパゴス化していたのである。ところが、時代が移ろい、環境が変われば、嫌が上でも皆に自己変革を求められる。ただ、各自がバラバラのベクトルで変わろうとしても、実効性はないと思う。

 だから、川上から川下までの事業者が変革について一つの方向性を共有化し、パートナーシップを組んで(膝を突き合わせて)取り組まなければならないのではないか。そのヒントはマーケットにあると思う。業界が衰退し始めた根本原因は、皆が右に倣えしたことだ。同じシステムのもとで、同じようなテイスト、同じ価格帯の商品を販売すれば、競争は激しくなるし、価格は下がっていく。何より商品が同質化、陳腐化すれば、客離れが進む。

 であれば、今の市場にないような商品、お客を惹き付ける商品とは何かを考え、皆で作り出し、マーケットを開拓しなければならないということである。テイストや価格帯が似通ってきたことの反省に立てば、解決の糸口はテキスタイルなのか。素材感なのか。それともデザインなのか。それらすべてが関係する企画なのか、である。

 デザイン感性が若くても価格が高いと若者には手が出ない。でも、お金に余裕がある大人からずれば、デザインが若すぎると買うのに二の足を踏む。かといって野暮ったい従来のデザインでは物足りない。つまり、企画によって生み出される商品価値と価格とのバランスを見直すことではないか。考えられるケースをパズルのように組み合わせて検討してみる。それが企画であり、出て来た答えを具現化するのがクリエイティビティであるはずだ。

 筆者はDC世代の人間だが、当時から奇抜なデザインを好んだわけではない。テキスタイルがもつ可能性を最大限に生かしたデザイン。素材の持ち味を最大限に引き出すパターンが良かったから、というか店頭で見た時にそれらを瞬時に感じられたからこそ、好んで着て来たのである。ところが、今のマーケットを見ると、往年のデザインや素材感で培われた大人の感性にフィットする商品がほとんどない。あれだけ百貨店がブランドを入れ替え、SCが開発され、駅ビルがリニューアルしようともだ。これだけ客離れが起きていることを考えると、筆者だけが特別なのではないと思う。
 
 別に毎日、毎月、服を買うわけではない。1シーズンにコレってアイテムを1着買えば良い方だ。それだけなのに、そうしたウォンツにさえ応えてくれるアイテムがほとんど見当たらない。特にメンズファッションを見ていると、彼女や奥さん、娘さんはお洒落でいてほしいのだろうが、それを演出するアイテムのバリエーションがあまりに少なすぎる。もう少しテイスト、価格帯、そしてグレードを広げてもいいのではないか。その辺に閉塞した業界が再建するヒントがあるのではないかと思う。

 ファッション全体にも言えることだが、マーケットを冷静に分析して、どんなテイスト、どんな価格、どんな素材、どんなデザイン、どんなグレードが必要なのか。それに基づいて、川下から川上までがひとつのサプライチェーンを構成し同じ企画軸でもの作りを考えていく。同じベクトルの企画軸により川下のターゲット設定、川中にある与信力、川上がもつ技術や特性で垂直連携を組めば、いくつかのサプライチェーンが生まれるはずだ。それがバリエーションになっていくし、個性になるのではないか。そうすることで、お互いが自らの仕事の範囲内で、「責任」と「リスク」を分け合う。自らのカテゴリーで生じたツケは決して他社に負わせない。互いが切磋琢磨することで、業界全体に抵抗力がついていくと思う。真の意味の「協業」であって、強いと思い込むところが無理強いする「強要」ではない。

 少なくとも、こうしたビジネスモデルがよりブラッシュアップされることで、中間業者が入る余地がなくなるかもしれない。無駄なコストがカットされれば、仕事量にそった利益が責任とリスクをもつところに配分されていく。 個人的には原価率を45%程度までにあげていけば、今の市場にないクオリティと感度の量産服が生まれるのではないかと考える。体力がつけば、最初は点でしかない市場でも、それを線にし、さらに面へと広げることができるかもしれない。

 当然、資金力に限界があるだろうから、どこをセーブし、どこでリスクを取るのか。派手なイベント仕掛ける。広告に金をかける。展示会や地道な営業にマンパワーを割く。とにかく実店舗を出す。店はビルインか、路面にする。キャリーバックや包装資材の質は落とさない。これらは原材料や縫製、企画デザイン以外では当たり前のことだったが、どこかを削ぎ落として服づくりそのものの、素材や縫製、仕様にコストをさかなければ、変革はないと思う。すっかり陳腐化してしまった言葉だが、真の意味で選択と集中で個性を際出させないと「変わったな」と思えないのではないか。

 今までは一人で一つの仕事で済んだだろうが、特殊性がない部分では2つ3つは掛け持ちしないといけないかもしれない。例えば、企画担当者ができる範囲で営業に参画するとか。労務管理の問題も絡んでくるので難しいことは十分承知だ。

 最近、ファクトリーダイレクトSPAというシステムに注目が集まっている。アパレルメーカーを抜きにしてダイレクトに卸、小売りに取り組むものだ。一見すれば、産地や職人の技に注目する画期的な仕組みとしてメディアも礼賛しているが、それはアパレルメーカー分の利益がカットされるだけで、営業費や配送、売れ残りロスを考えると、工場出荷の原価は小売価格の33〜35%に抑える必要があるとの意見もある。確かに地方発を謳っても、銀座にショールームを設けてたんでは相当なコストがかかるのは当たり前だ。

 つまり、どこかをセーブし、カットし、リスクを取らないと、原価率は上がらないし、商品の魅力もアップしない。最初はキツいかもしれないし、我慢もしなけれなならない。となると体力とやる気がある若手(若者という意味ではない)がチャレンジする価値はあるだろう。ただ、経験がある大人が人任せにしていいわけがない。従来のビジネスフローにメスを入れ、コスト管理というか精査を行って、クオリティの高い商品づくりに取り組まなければならない。キツいことは十分承知だが、「いい商品だね」と言われるためにもやらないと変わらないのだ。
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