HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

売れないより売らない。

2021-07-28 06:32:17 | Weblog
 コロナワクチン接種は8月上旬には2回目が完了する。感染対策は引き続き行うことになるが、以前よりは不自由な生活から解放される。多くの諸兄も同じだろう。PCの画面ばかりを見ながら商品を物色していた行動から、実店舗でのリアルショッピングに揺り戻されるのか。だが、必ずしもそうならないような気がする。

 アパレルの消費行動の変化はコロナ禍以前に訪れていた。ネットで商品を探して店舗などで受け取る「クリック&コレクト」が加速化。スペースと品揃えが限られる実店舗は、「商品を購入する場」として急速に価値を無くしつつある。「コミュニケーションの場としては残る」と言えば聞こえはいいが、それで売上げが以前より増えるとは思えない。

 店舗に出かける理由は、リアル市場にしか出ない「希少アイテムの提案」を受けるためか。サイトで関心をもった商品の「現物確認」か。後は返品やお直しくらいだ。だから、ファッションビルや駅ビルで必ず見かけるテナントがコロナ終息後に売上げを急伸長させるのは難しいだろう。テナント自体を見極めなければ、もうお客を呼ぶことは難しい。これは都市のポテンシャルやデベロッパーの力にも左右されるので、簡単なことではないのだが。

 もちろん、お客が商品情報を得るタイミングは、インターネットの浸透で地域差はほとんどなくなった。しかし、いくらお客の側がそうであっても、リアル出店するテナント側は場所を選ぶし、デベロッパーの企画&経営力にも左右される。「パルコ」と「アミュプラザ」を比べると、チャレンジの場としてはどうしても前者が選択されるのだ。


売らないテナントをリーシングする

 昨年から話題になっているD2Cブランドはネットがメーンの販路だが、データを集めるためにお客に直接アプローチする店舗展開を模索するところがある。ちょうど1年前、全く無名のD2Cブランドを集めた業態をデベロッパーがリーシングしたという記事が発信された。



 「シリコンバレーから来た「データを売る店」のb8ta(ベータ)と老舗百貨店のマルイという異色のタッグ」

 2020年8月1日、新宿マルイ本館1階にオープンしたb8ta1号店。店内に置かれたテーブルの上には、60センチ間隔でAV機器やアウトドアグッズ、コスメなど無名のD2C製品が並ぶ。これらの商品はネットで販売されるので、この店舗はあくまでショールーミングの場。ただ、店舗の機能はそれだけではない。(https://b8ta.com)

 天井にはたくさんのカメラが設置され、お客が入店するとだいたいのエージや性別を認識する。また、客動線まで記録し商品の前で5秒以上立ち止まると興味ありと認識して、お客の行動分析データはそのまま出品者に送られる。つまり、AIDMA理論をデジタル解析して、商品開発や修正にフィードバックさせるマーケティングの実践店舗なのだ。

 マルイがこうしたテナントを誘致した背景には、ファッション衣料主体の百貨店からライフスタイル中心の定期借家契約型店舗へ、さらに「モノを売らない店」への脱皮、転換がある。同社の幹部は海外の新業態を視察する中で、サブスクリプションのドレスレンタルや学生が起業したD2Cの眼鏡店(一般の眼鏡は間に問屋が入る流通構造)などが多くのお客を集めていることに注目した。

 そして、体験型店舗として、カナダのフィットネスウエア「ルルレモン・アスレティカ」を新宿本館にリーシング。決め手になったのは、同社のアジア地区上席副社長が入社時に創業者から言われていたことだ。「一つだけやっていけないことは、商品を売ること。売ろうとするのは禁止です」と。まさに「売れ、売れ」と上司から呪文のように言われてきた世代にとっては、目から鱗のような言葉だ。

 というか、小売り業界は今や完全に成熟し、お客を呼べる業態はそこまでに行きついたのだ。そして、マルイはデベロッパーとして「売らないテナント」誘致に舵を切った。営業スタイルは、実店舗にはサンプルや試作品などを並べてお客に体験してもらい、ネット購入させるもの。マルイは2026年3月期までに売場面積の3割をそうしたテナントに切り替えていく。

 お客はコロナ禍で、ネット購入の利便性を享受した。わざわざ店舗に行くまでもない商品はそれで十分だ。マルイはそんなネット消費と実店舗をシンクロさせながら、生き残りを図る。これらの業態は家賃収入のみになるのだろうが、定期借家契約では大家が退店の交渉をしやすいため、デベロッパーとしては入れ替えもスムーズに進むとの目論みもあるだろう。

 それはマルイが収益力の高い金融(エポスカード)事業を抱えているからできるのだが、お客の視点に立った店づくり発想が他社より際立っているのは間違いない。2020年2月には、D2C専門の投資会社を設立しており、自社の施設への出店を優位する狙いも見て取れる。


地方の再開発ビルこそ、体験型テナントが必須

 翻って、筆者が住む福岡市の商業施設でも、売らないテナントの誘致は進むのだろうか。目下、中心部は再開発事業が目白押しだ。それには商業ビルの天神コア、天神ビブレも含まれる。また、天神イムズは8月31日で営業を終了し、新しいビルが2026年末に開業予定だ。



 天神コア、天神ビブレは、開発主体である西日本鉄道の「福ビル街区建替プロジェクト」に組み込まれ、地下2階から地上4階の商業ゾーンでともに再開発される。新ビルは2024年夏の開業で、商業フロアの面積は従来の約1.4倍。ビブレを運営していたイオングループのイオンモールが飲食ゾーンやスーパーを展開する予定というから、売らないテナント誘致はコアを運営してきた西日本鉄道に期待するしかない。

 また、天神イムズは1989年の開業時、すでにインターメディアステーションを標榜。以前は「天神ファイブ」という福岡市の広報拠点だったこともあるが、その流れは民間の三菱地所にも引き継がれ、一等地でありながらショールームやコミュティスペースなどが開設された。そうしたコンセプトをアップデートしたビルの登場が待たれる。



 モノを売らない業態では、福岡にも子供の職業・社会体験施設「キッザニア」が上陸する。22年春、博多区に開業するリージョナルSC「三井ショッピングパーク ららぽーと」に核施設としてだ。郊外型SCなので、マルイのようなD2Cブランドのリーシングは難しいだろうが、時間に余裕があるシニア向けの「コト消費」が楽しめる業態もあっていいと思う。

 宮崎や熊本でもバスターミナルや駅ビルが再開発されたが、どこも物販や飲食のテナントを寄せ集めで、開業景気が去ると客足が極端に落ちている。さらにコロナ禍にも見舞われた。お客の消費行動は変わっているのに、デベロッパーはまだまだ物販・サービスでないと、売上効率が上がらないという意識が支配的のようだ。結果的に全国どこでも見かけるようなテナントばかりになっている。だが、物販・サービス業は売れなければ話にならない。

 逆に販促策のカードキャンペーンは、個店のテナントから「定期的に続けられると、収益が圧迫されるので退店せざるを得ない」との話を聞く。「飲食のプレミアムチケット」や「主要駅限定の買い物券付き往復キップ」を発売したところで、集客はともかくテナント販促でどこまで奏功したのか。5000円以上の買い物で最高10万円の商品券が当たる抽選会などのイベントも、お客が買いたいテナントや商品がなければ、販促効果としては限定的だ。

 西日本鉄道やJR九州が鉄道事業の限界から、不動産や小売りを収益の柱にしたいのはわかる。だが、鉄道しか知らない人間が商業ビルの経営者になったところで、「モノを売らない」業態誘致の発想を持てるとは思えない。トップセールスで誘致したテナントが結婚式場くらいの点を見ると、ブライダルや旅行との提携を模索したものの、百貨店改革の指針を欠いて解任された伊勢丹の大西洋元社長と大差ない。

 もっとも、西日本鉄道はかつて「NIC」という店舗を自主運営していた。デザインを切り口にコンセプチュアルな商品を集めた業態だった。経営幹部でも生え抜きの方ならご存知だろう。この業態をD2Cブランドのセレクティング、ネット販売で復活させるという手もある。若手スタッフの中には手がけてみたいという人もいるはず。物流や不動産以外で軸になるのは、デジタル関連に他ならないからだ。

 地方の商業施設からすれば、無名のD2Cブランドやスペース貸しに二の足を踏むのはわからないでもない。だが、ありきたりのテナントでは、もう大幅な集客増は図れない。お客を呼べる=求められるテナントについて、考え直す時期に来ているのは確かだ。

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近未来図どう描く。

2021-07-21 06:51:48 | Weblog
 久々にニューヨークについて書こう。といっても、アパレルのことではない。自治体のトップ、市長が変わることだ。

 ニューヨーク市長選の民主党候補を決める予備選挙で、エリック・アダムスブルックリン区長が勝利した。市全体では民主党の党員や支持者が多数を占めるため、11月の本選挙でも当選は堅いと言われる。アダムス氏が就任すれば、黒人市長は1990年〜93年に務めたディビッド・ディンキンズ氏以来、二人目だが、肌の色は政策にあまり関係ないと思う。

 むしろ、ニューヨーク市が抱える行政課題、特にコロナ禍終息後の舵取りをどうするかが重要だ。1期目の政策運営で手応えを得れば当然、長期的なグランドデザインに踏み込むこともできる。どんな街にしてくれるのかは、ニューヨーク好きにとって大いに気になるところ。では、過去の市長在任中にニューヨークがどう変わったのか。あまりに古くはわからないので、初めて訪れた1980年から振り返ってみたい。

ニューヨークの歴代市長
エド・コッチ
(1978年〜89年/民主党)
デヴィット・ディンキンズ(1990年〜93年/民主党)
ルドルフ・ジュリアーニ(1994年〜2001年/共和党)
マイケル・ブルームバーグ(2002年〜2013年/共和党)
ビル・デブラシオ(2014年〜21年/民主党)

 1980年代までのニューヨークは人種の坩堝と形容されながらも、治安が非常に悪く麻薬や殺人、ホームレスなど社会はかなり疲弊していた。一方で、世界中からビジネスや留学などで移住する人々も多く、様々な文化が刺激し合う中で新しいトレンドが発信されていったのも事実だ。日本でもそうした一面が報道されるようになり、筆者も興味を持つようになった。


観光キャンペーンで街の健全化を図る

 ニューヨーク州政府はイメージアップを図るために1977年から「I LOVE NEW YORK」のスローガンのもと街に溢れるアート、ミュージカル、ジャズ、スポーツ、食、ファッションなどを梃子に観光キャンペーンを展開。地元出身のデザイナー、ミルトン・グレイザー氏によるハートをモチーフにしたロゴマークは、Tシャツやカップなどのお土産にプリントされキャンペーンを後押し。ニューヨークは経済、教育、文化と並んで観光の街に変貌していった。



 キャンペーンを先導したのは、当時のヒュー・レオ・ケアリー州知事(本人直筆の訪問記念状をいただいた)だった。そんな最中の77年7月には大停電が発生し、略奪行為が多発し治安は再び悪化。景気も低迷して、人口が流出した。同年に就任したエド・コッチ市長は地道な財政再建を進め、それ以上の景気悪化をなんとか食い止めた。観光客が訪れるメーンはニューヨーク市で、キャンペーンがうまくシンクロし少しずつ税収も増えていった。

 何せ「Sales Tax」(売上げ税/街角の売店やFFでは徴収されない)は、当時で8.25%と高額だったから、市民の方が税金がかからないニュージャージーに買い物に行っていたほど。観光客が使ってくれるカネがいかに莫大だったかがよくわかる。日本も観光立国を謳い始め、福岡では咋年4月から「宿泊税」(200円)を徴収するまでになっている。これらの施策ももとを辿れば、ニューヨークの観光キャンペーンがお手本だと思う。



 コッチ市長2期目の80年代には、不動産価格が高騰するなど好景気となり、失業率も低下した。ただ、筆者が1980年と82年に現地を訪れて受けた印象は少し違う。5番街やグランドセントラル駅には「Bag Lady」と呼ばれる女性のホームレスが多数いた。また、グリニッジヴィレッジは安全でも、一区画東に入ったバワリーでは失業者がたむろする。ミッドマンハッタンでも、一世を風靡したCalvin Klein Jeansが99ドル程度でディスカウントストアのウインドウに並ぶ始末。富と貧の格差を象徴する街であったのも事実だ。



 1990年、そのコッチ市長に代わって就任したのがデヴィッド・ディンキンズ氏。初の黒人市長で、89年に訪れた時には民主党の予備選勝利が確実視される中、タブロイド紙の「The Village Voice」が何とか醜聞を引き出そうと、意味深な見出しをつけていた。その後、米国全体の経済が落ち込んでいくと、市の失業率は一気に13%を超え、ディンキンズ市政にとって逆風となった。

 貧富の差が解消されることもなく、人種間の摩擦はエスカレートした。1991年にはブルックリンで起きた「クラウンハイツの暴動」は、交通事故に遭った黒人の子の救急搬送が後回しにされ、死亡したことがきっかけだった。さらにニューヨークの経済を牛耳るユダヤ資本は、テロの標的にもなった。93年2月に発生した「World Trade Center Bldg」地下での「トラック爆発事件」。それは序章に過ぎなかった。


犯罪撲滅を徹底したジュリアーニ市長

 1994年、中間選挙を控えたビル・クリントン大統領は犯罪防止法を成立させるなど、連邦政府として全米レベルで犯罪対策を講じた。この年、就任した共和党のルドルフ・ジュリアーニ市長は、「Zero Tolerance(非寛容)」 を基本方針に犯罪撲滅を推進した。ビルの窓が割れたままだと、他の窓も壊して良いという合図になるので放置させない。いわゆる「割れ窓理論」である。小さな犯罪の芽を摘むことで大犯罪を未然に防ぐ考え方で、微罪にも法律・罰則を厳格に適用するものだった。

 例えば、地下鉄の無賃乗車やマリファナの所持者は現行犯逮捕、酒酔い運転で有罪になれば車を没収する等々。ニューヨークの感覚からすれば、この程度なら問題ないだろうというものでも容赦なく捕まり、徹底して罰せられた。結果的に1997年の犯罪発生率は人口10万人比で4862人。93年は同8171人だから3309人も減ったことになる。ちなみに90年は同1万人弱だから、ほぼ50%に減少した。(人口センサス局、Crime The USA調べ)

 また、風俗店は学校や教会から150m以内は営業禁止、タイムズスクエアなどのポルノショップを一掃、屋台はマンハッタンの約140カ所から締め出すなど、街の健全化なくして活性化はないという姿勢を明確にした。その結果、 1997年の1年間に観光客が使ったカネは140億ドルにも迫り、そのうち7億ドル以上が市の税収となった。まさにジュリアーニ市政では犯罪撲滅と観光客誘致がタイヤの両輪であったことが窺える。





 ちょうどこの頃、現地に住んでいたが、街の治安は肌感覚でも良くなった。それまで夜9時以降は女性が一人では出歩けなかったが、レストランで働く子がクイーンズまで地下鉄で帰っていると平気で語るほど。反面、観光客の増加でひったくりやすりなどは増えた。特に5番街では安物のワインを入れた袋を持って故意に観光客にぶつかって落とし、人だかりにかまけてオロオロする相手にカネを要求する「当たり屋」が横行した。

 筆者も8番街の72丁目の地下鉄駅の手前で遭遇した。お昼過ぎで人通りも少なく、一言「Call Police!」と叫んでホームに駆け降り、難を逃れた。まさかアップタウンで遭うとは思わなかったが、日本大使館を通じてニューヨーク市から「落ち着いて、『警察を呼ぶ』と言えばいい」とのお達しを受けていたので、そのまま実践した。


テロの脅威には為す術がなかった




 ところが、流石の防犯都市もテロの脅威には為す術はなかった。September 11 2001である。多くのビジネスマンらが出勤した直後のWorld Trade Center Bldgに2機のハイジャック機が激突。しかも、被害の模様は世界中にリアルタイムで中継された。映画の1シーンのような映像には実感が湧かなかったが、埃まみれで震え泣き叫ぶ女性を見ると全米最大の都市を襲った計り知れない恐怖が伝わってきた。

 犠牲者はビジネスマンやビルの関係者、避難誘導の警察官、救助に当たった消防隊員。そして、現地駐在の日本人も含まれ、西日本銀行の行員も2名亡くなった。ジュリアーニ市長はジョージ・ブッシュ大統領とともにテロとの闘いを宣言。市の警戒レベルを最高に引き上げ、JFKなどが閉鎖され、ファッションウィークで現地を訪れていた友人も空港に足止めされた。

 ジュリアーニ市長はテロ事件からの復興でも陣頭指揮を取り、それは翌年に就任したマイケル・ブルームバーグ市長に引き継がれた。ブルームバーグ市政でも犯罪撲滅は踏襲され、二期目の09年には殺人の件数が461件と前年から50件以上も減少。ニューヨーク市警が統計を取り始めた1963年以降で最低となった。犯罪対策はニューヨークでは奏功したということだ。

 2014年にはビル・デブラシオ市長が就任。民主党候補の市長が24年ぶりだった。だが、17年に地元の実業家からのし上がった共和党のトランプ大統領が就任すると、市長として移民の制限や富裕層の減税、医療保険制度改革では対峙した。反トランプの政策は2020年の大統領選出馬が念頭にあったようが、各世論調査では支持率が1%に満たなかった。遊説に出かけて市政が疎かにしていると批判され、民主党の指名争いから撤退を余儀なくされた。


警察改革は市政安定の試金石?

 2022年からはエリック・アダムス氏が新しい市長となる。同氏はブルックリン区長を務めただけに行政経験はある。問題はニューヨーク全体の市政運営と近未来の作図だろう。民主党の予備選挙では、黒人労働者が多いouter borough(マンハッタン以外の区の総称)やSoutheast Queensで、得票を増やしている。これが市政にどう影響するか。

 リベラルらしく穏健派だから、ジュリアーニ市長のような強権的な政策を断行するとは思えない。ただ、出身が市警の警官だけに警察予算の削減を求める運動は非難する一方、市警改革を公約に掲げつつ市民の安全確保は維持していくというアダムスらしさを掲げる。「Black Lives Matter」については、「警察の虐待行為に反対するだけではだめ。我々のコミュニティを引き裂いている暴力に反対しなくてはならない」と、大局的視野に立つ。

 警察予算は2019年度には10億ドル削減されたが、20年度には対前年比で2億ドルを増やす予算案が可決された。「犯罪の増加は全米で警察予算をカットしたからだ」との突き上げを恐れたからだ。ただ、市の税収を増やすには観光政策が柱の一つ。そのため、治安の悪化は避けなければならないが、予算の単なる増減ではなく、効率的な配分が重要であって、市警改革もそれに大きく左右されるかもしれない。

 ニューヨークの社会構造は人種、景気、雇用、貧富といった様々な要素が絡む。アダムス氏は白人、黒人、ヒスパニック他、ホワイトカラー、労働者等々、街を支える人々それぞれの利害をうまく調整しながら、行政課題に取り組むことができるのか。民主党の大票田だからと、市長の椅子が安定するとは限らない。市民の大部分はまた犯罪が増えることには反対だし、ブルックリンが再開発で活性化し新たな観光スポットになったことは、アダムス氏が十分すぎるほど理解しているはず。

 ニューヨークの近未来図をどう描くか。リベラルの中でも元警官らしい毅然とした市政運営に期待したい。
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MD+FCは救世主?

2021-07-14 06:30:49 | Weblog
 売上げ不振によるリストラ、さらにコロナウイルスの感染拡大を受け、構造改革を余儀なくされている大手アパレル各社。イトキンがインテグラルの傘下入りで経営再建を進める一方、自社で愚直に取り組むのがワールドだ。

 ちょうど1年前の2020年8月、就任間もない鈴木信輝社長はアクアガールなど5ブランドの撤退を含む統廃合、不採算店の退店、希望退職を打ち出した。それでも、今年3月期は売上げが対前年比で24.7%減少し、営業赤字は222億円。最終損失も過去最大となる171億円を計上した。大々的な改革断行から1年、何か光明は見えたのだろうか。

 一応、2024年3月期までの中期計画を継続中で、デジタル事業、プラットフォーム事業における非アパレル分野への拡大に注力している。アパレルに偏重した収益構造の抜本的に変える狙いのようだが、異業種参入で黒字に転換するのは容易ではないだろう。また、今期はコア営業利益を80億円と予想しているものの、知り合いのアパレル関係者の多くが「売れる業態を増やせるかだよね」と冷めた見方をしている。

 ワールドでは、オフプライスストア(OPS)の「アンドブリッジ」に注目が集まっている。一向に収束が見えないコロナ禍で収入減や失業により生計に窮する国民が少なくない中、1円でも安い商品を購入したい人々を集めているわけだ。しかし、冷静に見れば、OPSはプロパー店で売れ残った商品を集積した業態。多店舗化できるということは、それだけ余剰在庫を抱えていることになり、メーカーとしては痛し痒しのはずだ。

 取り組むべきは商品企画を見直して魅力をアップさせ、売れる商品を生み出す必要もある。まずはOEM、ODMに頼りすぎたことやローコスト生産オンリーを見直し、自社での企画を磨き上げ、素資材や縫製にコストかけたモノづくりに回帰することが不可欠だ。一方で、生産コストをあげた分、商品価格がアップすると、市場は限られてしまう。高級品のマーケットは海外ブランドとの競合もある。

 メーカーとしてはコストパフォーマンスの良い商品を開発して品揃えを充実させ、お客を集められる業態にできるか。SPA事業は何も悪ではない。企画が全天候型になり、規模を広げすぎたことを反省し、質と個性を充実させる方向への転換も考えるべきだ。百貨店向けでは厳しいとしても、SC&ECのシンクロなら開拓の余地はあると思う。新規開発するには時間がかかるが、既存の業態をブラッシュアップする手法で、まずは凌ぐしかないだろう。


ボリュームゾーンの攻略も企画力次第

 そんなことはワールドならできなくないと思っていたら、鈴木社長が就任する以前から、堅調に売り上げている業態があった。それが「シューラルー/SHOO・LA・RUE」だ。筆者は当初、そのメーカーがワールドだとは知らなかった。郊外SCの店舗まで細かくリサーチしたわけではないが、生活圏にある「ノース天神」や「ゆめタウン博多」を訪れるたびに、ここが20代後半から30代の主婦層を数多く集めているのが気になっていた。



 レディス&キッズのフルラインナップで、デザイン面ではトレンドを押さえ、スカートやパンツを見ただけで作り込んだ素材使用とわかる。バッグは細部にまで拘るなど企画は秀逸だ。その分、価格はやや高めだが、ユニクロやグローバルワークに飽き足りない都市部の主婦層を引き寄せる。6月初旬、バーゲン前のノース天神店を覗き、この時初めてタグを確認し詳細を調べてみると、ワールドグループの運営だと知った。

 ワールド本体はリストラの最中にあり、組織も硬直化している。収益回復は至上命題だから、ボリュームゾーンだけに経営資源を集中させることは難しい。ただ、ものづくりのノウハウはあるのだから、人材さえ投入できれば関連会社でマス市場の攻略はできなくない。そこで真摯にモノづくりに向き合って、商品価値と価格が釣り合う「少しお洒落な商品」を生み出しMDを適正化すれば、お客を呼び寄せられる。シューラルーにはそうした姿勢が滲む。

 そんなシューラルーの背景を探った記事が先日、発信された。https://senken.co.jp/posts/world-shoo-la-rue-210706

ワールドフランチャイズシステムズのFC事業 
「シューラルー」中心に加盟店拡大

 記事によると、「(グループ会社の)ワールドフランチャイズシステムズ(WFS)のシューラルーを軸にした地方郊外立地のFC事業が健闘している」「20年度はコロナ禍で売上高は減少したものの、営業利益は前年比、予算比ともにクリアした」とのこと。20年度は、新型コロナウイルスの感染拡大でSCの休業などがあり、売上高は前年比19.9%減。それでも、営業利益は13%増で、予算比でも7%増とか。売場の様子は数字によく表れている。



 21年度は、営業できる店舗が増えたため、4~5月累計売上高は既存店ベースで60%増。19年度比でも10%減程度というから、大健闘だろう。「春夏はイージーケアに対応するフレンチリネンのシャツが飛ぶように売れている」という。筆者は無印良品やユニクロのそれを超える企画力の差と見ている。


異業種をFCで取り込むという一手

 堅調な要因はFC化にもあるようだ。加盟社数は20年度が前年から2社増えて32社、店舗数も同比7店増で83店。ブランド開設から16年くらいまでは地方のGMSが中心だったが、以降は専門店が増加。「20年度には飲食店を多数手がけるメガFCジーが加盟した」というから、異業種にも認められた形だ。また、多角化、多店舗化する専門店の引き合いが多く、9店を展開しているところや8店を持つFC加盟店が3社もあるという。

 FCはブランドイメージから店づくり、MD、販促までがパッケージ化されているので、ファッション専門店の経営者はもとより、異業種でも自社でゼロから業態を作り上げるより簡単に参入できる。デベロッパー側もSCやGMSのリニューアルで飲食企業を誘致する際にFC加盟を勧めることがある。シューラルーでもこうしたケースがあったのではないか。

 もともと、ワールドは、ミセス向けの「ルイシャンタン」や「コルディア」では、FC化により地方のマーケットを開拓した実績がある。筆者がアパレル時代に取引のあった店舗も、別事業でルイシャンタンのFCを運営していたし、叔母が経営するブティックも別の街にコルディアのFC店を出店していた。両店とも売上げは好調だった。

 現在、ワールドのFC事業では、他に「グローブ」「オルベネ」があるが、これらはレディスオンリー。キッズや雑貨が充実するシューラルーの方が競争力を持つから、FCの稼ぎ頭ではあるだろう。昨年はSVによる店舗訪問や年2回の店長会をコロナ禍で休止したが、オンラインでの情報交換や研修に切り替えて、営業支援するなどフォローもきめ細かい。だからこそ、時代は変わっても、専門店経営者が熱い信頼を寄せるのだ。

 WFSでは、コロナ禍の影響でSCに空床が増えていることや競合他社が出店を抑制していることを好機と見て積極的に出店し、近い将来には今の倍以上、FC200店体制を目指すという。ワールド本体が赤字ブランドにおいて商品企画を見直し、バリュアップをしていくにはまだまだ時間がかかる。FC事業はそれまでワールドの屋台骨を支えることになる。

 アパレルFCは昭和の成長期には原動力になった。加盟店にはブランド名の使用、商品の仕入れ、店づくり、運営ノウハウの提供などのメリットがあった。そのために専門店経営者は出店が容易で、メーカーにとっては多店舗化しやすかった。だが、平成に入るとコンビニを見るまでもなく、店舗の独自性を出すのが難しくなり、近隣に同じ店舗が出店すると競合、売上不振に陥るとブランドが休止されるなどのデメリットが上回っていった。

 WFSはその分岐点が200店と見ているようだが、果たして皮算用通りにいくのだろうか。規模だけの拡大では先祖返りのような気がしてならない。それとも、こちらも余剰在庫はアンドブリッジで捌けばいいという目算か。ただ、百貨店向け、特に地方百貨店の売場を埋める業態も求められている。百貨店側はテナントに切り替えたいだろうし、メーカーも市場や顧客を知る地元専門店によるFC化なら出店してもいいはずだ。FCの次なるステージはボリュームの拡大より、モデレートへのチャレンジではないかと思う。

 どちらにしても、AIなどを駆使して顧客の購買予測と店舗の適正規模を判断していくことが重要になる。また、商品・業態開発で「グレードをあげる上で何が必要か」と言った声を地方専門店から聞き入れることも必要と思う。単純な店舗拡大より、ちょっと背伸びしたグレードの商品とショップ。FC化では市場ニーズのフィードバックも重要になる。
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染め工の夏は続く。

2021-07-07 06:45:27 | Weblog
 コラムタイトルにちなんで博多のことを書こう。7月と言えば例年、博多祇園山笠が幕を開ける(期間は1日〜15日)。男衆が担いで博多の街を疾走する「舁き(かき)山」は、新型コロナウイルスの影響で今年も中止となった。だが、祭りのモニュメント、「飾り山」は、2年ぶりに復活。博多の街角から天神の繁華街まで、14の山がお目見えしている。

 各飾り山はそれぞれテーマ(標題)があり、表側と見送り(裏)で内容が異なる。子供の頃に見た印象では、下川端通りや新天町の飾り山は多くの買い物客の目に触れるため、表は歴史的な事柄、見送りはその年のトレンドをテーマにしていた。

 人気アニメなどは版権があるので簡単にいかないが、筆者が小学生の頃はウルトラシリーズがヒット中で、下川端通りでは「ウルトラセブン」がテーマとなった。1967年だったか。しかも、主人公モロボシ・ダン役の森次浩司(現:森次晃嗣)さんが来福し、山の傍でサイン会を行ってくれた。暑い最中、ウルトラ警備隊の衣装のまま汗だくなりながら、ひたすらサインを書き続けていた様子は、今も鮮明に憶えている。

 博多祇園山笠振興会がよくTBSの人気キャラとタイアップできたと思う。円谷プロや局側との交渉に代理店が絡んだかは、小学生の自分にわかるはずもない。ただ、それだけ山笠のマーケティング効果に期待があったのだろう。その後もテレビ番組に登場したキャラクターがテーマになったし、今年も渡辺通りの飾り山では見送りにアンパンマンが登場している。

 ただ、山笠の醍醐味はやはり舁き山だ。昨年に続き中止になったが、例年なら7月10日から博多の街中を走り始める。10日がウォームアップの「流舁き」、11日早朝が「朝山」、11日午後が他の流のエリアに出ていく「他流舁き」、12日がフィナーレ追い山の予行演習である「追い山ならし」、13日は山笠が博多から福岡に越境する「集団山見せ」、14日が各流のエリアを走る「流舁き」、そして15日早朝がフィナーレ「追い山」となる。

山笠の装束は各流がセンスを競う

 山笠のスケジュールはざっとそんなところだが、このコラムとして押さえておきたいのはやはり山笠の装束、いわゆるオリジナルのウエアやグッズだ。上から手拭い(てのごい)、水法被、腹巻、締め込み、舁き縄、脚絆、地下足袋でフルアイテムとなる。また、舁き山以外の行事に参加する時には「長法被」スタイルが正装となる。



 手拭いは舁き手によって色や柄が異なるが、それは山笠を運営する役職を意味する。若手、いわゆる役なしは一般手拭いで、各流、その年度によって意匠=デザインが変わる。手拭いの色が赤になると山笠の取締役補佐を指し、各町内で認められたものだけが「赤手拭い」を締めることができる。他にも取締、町総代、総務など各役職で色が変わっていく。また、舁き山が走る時に安全確認や運行司令などの役割示すたすきも4種類ある。

 若手はまず赤手拭いを締められるようになることが目標で、同級生の女子が周囲に「あいつが赤手拭いになったとよ」と語ってくれれば、それは山笠とともに年齢を重ね、それなりの経験を元に祭りを取り仕切る立場になったことを意味する。博多の男衆にとってある種のステイタスなのが赤手拭いだ。



 水法被は、各流でも町内ごとにデザインが異なる。筆者は住まいが古門戸町で「大黒流」に所属。幼稚園時代までは町名が「妙楽寺」で、前立てに毛筆系の行書体で「妙」の文字が書き上げされたものを着ていた。1966年に古門戸町に変わり、前立てには「古ノ一」とか「古ノ二」、背中には「古」が使われるようになった。こちら毛筆の書体で掠れ文字(古ノ一)とそうでないもの(古ノ二)があり、デザイン的には甲乙つけがたかった。



 隣の「土居流」はほぼ全町が、紺地に文字を白抜きしたもの。ボトムの締め込みが白や紺、その下につける脚絆や地下足袋が紺だから、コントラストが強く目立つ。子供の頃は、ファッション的にそっちの方がカッコ良く見えて、ずいぶん憧れたものだ。

 締め込みは、いわゆる褌である。山を舁く間はずっと勢水(きおいみず)をかけられるため、ずぶ濡れになっても緩まないように厚手の綿が使われる。色はほとんどが白だが、紺もある。相撲のまわしほどではないが、やや生成りがかった分厚いものもあり、締めるとそちらの方が緩みにくいと感じた。まあ、なぎら健一が唄った「悲惨な戦い」のような光景は、まずないのでご安心を。

 舁き縄は山笠を担ぐ時に舁き棒にかける。背丈によっても変わるが、140cm程度だ。今は市販もされているが、子供の頃は町内会の重鎮が荒縄を使い、ライターの火で炙って形を整え手作りしてくれた。脚絆はすねをガードするもので、地下足袋は山を舁く時にしっかり足元を固定する。足の裏にゴム底がつき、親指と残りの二股に分かれており、地面に吸い付くので踏ん張りも効く。非常に機能的な履き物と言える。

 明治期にそれを開発したのが福岡久留米で創業した日本足袋。後のアサヒシューズで、ここからタイヤメーカーのブリヂストンが分社化した。つまり、地下足袋は明治期に使用され始めたことになり、770年余りの歴史を持つ山笠では、比較的新しいアイテムということになる。


染め織りが魅せる意匠はまさにアート

 こうしてみると、山笠の装束は機能性を持ちながら、ファッションとしても権威や主張、粋さを併せ持つ。日頃は巷のアイテムにあれだけ「ダサい」とか、「カッコ悪い」と言いたい放題の自分も、山笠では決してそうは感じないから不思議だ。やはり伝統の素材が使われ、紺屋や織物の技に裏打ちされたもの。それが男衆の心意気を掻き立てるとでも言おうか。文化としてのファッションは洋の東西を問わず、ダサくはないということだろう。

 また、法被のカッコ良さは文字や文様のデザイン、染めによるところもある。通常、祭半纏では、背中の文字がほぼ中央にレイアウトされるケースがほとんど。ユニクロ淺草のオープンで東京力車に提供されたものがいい例だろう。ところが、水法被では白地の場合、各町内を表す文字はほとんど右下がりの斜めに配置される。文字の大きさにもよるが、法被の後身ごろに収まらないほど(文字が切れる)大胆なレイアウトもある。

 土居流のように白抜き文様は連続柄が特徴だ。図柄は単純な市松模様から地区名の漢字を意匠化したように見えるものまで。柄のルーツは諸説あるとは思うが、規則正しく繰り返されるのは博多織の献上柄の影響もあるのか。水法被は着物のように用尺は必要ないのだが。

 知り合いのカメラマンが撮った写真を見ても、男衆の後ろ姿を切り取るアングルはベストショットが多い。大胆な書きあげ文字、白抜きされた文様が描かれた水法被はずぶ濡れになっても、こしのある素材がしっかりと体に馴染み、山笠に賭ける思いを映し出すからだ。

 筆者は子供の頃からこうした文字のタイプフェイスや文様のレイアウトに触れたことで、グラフィックやファッションの仕事をする上で、少なからず表現面に影響していると思う。今見ても、法被のカリグラフィーや連続的な図柄はデザイン的に完成度が高いと思うし、子供の頃にそれらに触れたことは勉強になったと思う。

 水法被の染めは各流でいろいろだ。白地に紺の文字で書き上げるタイプは、捺染(なっせん)、ハンドスクリーンになる。染める文字や文様をナイロン織りのメッシュ状に製版し、その型枠に張ったメッシュの上に染料をおいてスクイージーで伸ばしてく方法だ。土居流の染め抜きはおそらく、ネガポジ状の版を使っているのか。長法被は染め抜きというより、久留米絣なので、紺と白の糸による織物だと思われる。

 捺染は一枚一枚手で生地に刷り込んでいく方法で、書き上げ文字の場合は文字の部分だけ紗の状態で残す。現在では文字や文様もコンピューターのCADデータでストックされているだろうし、作業もやりやすくなっているのではないか。余分な糊や染料を洗い落とさずに済むのなら、環境にも優しい。

 舁き山は中止となったが、博多山笠の歴史は1000年、1500年と続いていく。その中で、手拭いや法被といった染めの技術も近代化しながら受け継がれていくと思う。先日、従来比で水の使用量を減らせる低浴比染色機も開発されたとのニュースを目にした。伝統の祭りを陰で支える染め工さんたちの暑い夏は続きそうだ。
 

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