今回もメディアについて書いてみる。昨日、地元フリーペーパーの「ガリヤ」が破産手続きに入ったとの情報が入ってきた。大手ファッション誌の休廃刊は話題にはなるが、弱小出版社の倒産などさして珍しくなく、ローカルメディアで大上段の報道はない。
東京に次ぐくらいフリーペーパーが乱立する福岡。商業都市を象徴する出版マーケットがあったのは今は昔、市場構造は完全に変わってしまった。紙媒体にとってネットメディアの隆盛が、ボディーブローのように効いていたのは間違いないだろう。
そもそも、フリーペーパーは届ける、伝えるでターゲットを絞り込み、地域情報、クーポン、ネットワーク、配布、プロモーションなどの多面的な機能で、一時代を築いてきた。大手企業の広告出稿もあり、業界全体で活況を呈した時期もある。
福岡でいつ頃からフリーペーパーが登場したのかは、よくわからない。地元にずっといた友人の話によると、ミニコミでは「シティ情報福岡」という有料のタウン情報誌の方が先だったという。
こちらは「インフォメーションとコミュニケーション」をコンセプトに地域の読者と一体になって、埋もれた情報を掘り起こしていったとか。その頃はミニコミなんてそれほどないから、読者にとってかなり新鮮に受け取られたのではないか。
一方、フリーペーパーでは先にガリヤの前身である「エルフ」が登場。地場広告代理店のN社が内部にエルフ事業部を設け、ガリアの代表であるN氏が編集長となり、地元OL向けの情報誌として刊行を続けた。
編集スタッフには大手、中小を問わず企業に勤める現役のOLたちが名を連ね、取材やタイアップ企画に精を出し、年末には今でいう婚活イベントの走であるクリスマスパーティーも開催していたと聞く。
N編集長は自らナビゲーター(当時のパーソナリティ)として、「FM福岡でエルフミュージックフレイバーって番組も持っていたよ」と、リスナーだったという同級生の女子から聞いたこともある。それぐらい、ローカルでは画期的なメディアだったということだ。
こうしてエルフに代表される地場フリーペーパーは、ガリヤはじめ競合他誌に対し先鞭を付けたということだ。それでも、無料の情報誌なだけに記事やエディトリアルデザインが秀逸かというと、決してそうは思わない。
最初にガリヤを見た十数年前、編集系メディアとしてはすでに体を成していないと感じた。巻頭の記事を除けば各ページがぶつ切りで、チラシの束のようだったからだ。ページ自体がビューティやエステ、グルメなどの企業がスポンサーの全面広告で、経営的にはかなり厳しいのではとの印象を受けた。
N編集長はエルフ時代、営業を代理店側が受け持ってくれていたため、取材や編集、タイアップ企画などに専念できたと思う。ところが、独立してガリヤを設立すると、スポンサー営業も自社で行わなければならなくなった。
媒体の特性から女性スタッフが中心になるので、営業力もつ人材を確保、育成できていたのか。編集作業についても、出版社並みに取材、原稿入れやデザイン、印刷などのノウハウをもつ人間が育っていたかというと?がつく。
フリーペーパーが乱立する市場で、ガリヤが後発の競合誌以上に進化し、ブランド力や媒体価値を持っていたとは思えない。むしろ、経営効率を優先するあまり、年毎に誌面づくりは劣化していた。それはスポンサーとて手に取るようにわかっていたはずである。
つまり、地域情報からクーポン、 ターゲットの絞り込み、 ネットワーク、配布、プロモーションまで、フリーペーパー成立の要件が時代とともに大きく変わっているのに、そうした変化に対応できていなかったのではないか。
情報チャンネルはインターネットの登場で、フリーペーパーが足下に及ばないくらい拡大した。地域情報を発信するネットメディアはかなり増えている。クーポンについても、ペーパーレスかつローコストで、速効性ではネットには適わない。
ブランドイメージの向上を図るメディアとしては優るだろうが、企業メッセージの伝達、商品や企業への理解促進では、ネットもひけをとらない。単なるプロモーションや広告コストでもネットを選択するスポンサーは確実に増えている。
配布についてもネットは読者側が自由に選択すれば良く、ほしい情報を集約できるサイトインサイトもある。読者の属性がわかりづらいというのもペーパー側の言い分に過ぎない。読者にとっては自らの属性にあった情報を検索すれば、それでいいのだ。
唯一、紙媒体に比べると会員募集やメルマガ送付など、読者とのネットワークづくりにはまだまだ希薄さはあるだろう。ただ、共通の話題を通じて二次的にコミュニケートするSNSが定着したことで、本筋のメディア以上の効力を発揮しだしている。
もっとも、ローカルメディアとしてのフリーペーパーが、どれほどの機能を果たしてきたのか。むしろ、今の現状はなるべくして、なったという面は否めない。
ペーパーが流す情報のほとんどは、「これならターゲットに受けるだろう」「これならスポンサーが喜ぶ」とかを計算して流してきたのように感じる。今どき、そんな情報が読者に必要なものかと思ったことが何度もある。
これだけ情報が溢れているのだから、情報は少ない方が生活しやすい。ほしい情報は自分で探せばいいわけだし、プルできるネットの方が使いやすいに決まっている。プッシュしたい気持ちはわかるが、読者が必要でないものは必要ではないのだ。
そこにはメディアに携わる一部の人間が自分たちの感性で嗅ぎ取り、加工した情報を流せばいいという錯覚があるのではないか。だから、本当にほしい情報は読者自ら足で探さないと手に入らない。そんな仕組みには読者も辟易しているのだ。
そもそも、メディアにおける情報伝達の構造は、企業や行政という団体とテレビ局、新聞社、出版社という団体が単に情報をやりとりしてきただけに過ぎない。そこでは個人のほしい情報は完全に無視されてきた。
また、真実を伝えるための取材は一切なく、ただの広報・宣伝のツールと化していた。これは既存メディア全体に言えることで、個人も団体の一員=マスとなって、はじめて情報の受けてとして認められるという図式だ。
しかも、メディア側が企業や行政というスポンサーを重視すれば、真実の情報さえ加工され、歪曲されて伝えられる。そこには本音のコミュニケーションなんてあるはずがない。
ミクシー、フェイスブック、ラインといったSNSがそれに100%変わるというつもりはない。でも、既存メディアにはできない双方向のコミュニケーションで、一定の成果は果たしつつあると思う。
すでにコンビニは家庭に「ご用聞き」として入っていくことで、お客とのコミュニケーションを図り、それをマーケティングに生かそうとしている。であるからこそ、フリーペーパーもほしい情報を求める読者に入っていかないと、活路は見いだせないのではないか。
それは非効率で、時代に逆行するというより、すっかり退化したメディアを活性化する方法として、避けられないと思う。
東京に次ぐくらいフリーペーパーが乱立する福岡。商業都市を象徴する出版マーケットがあったのは今は昔、市場構造は完全に変わってしまった。紙媒体にとってネットメディアの隆盛が、ボディーブローのように効いていたのは間違いないだろう。
そもそも、フリーペーパーは届ける、伝えるでターゲットを絞り込み、地域情報、クーポン、ネットワーク、配布、プロモーションなどの多面的な機能で、一時代を築いてきた。大手企業の広告出稿もあり、業界全体で活況を呈した時期もある。
福岡でいつ頃からフリーペーパーが登場したのかは、よくわからない。地元にずっといた友人の話によると、ミニコミでは「シティ情報福岡」という有料のタウン情報誌の方が先だったという。
こちらは「インフォメーションとコミュニケーション」をコンセプトに地域の読者と一体になって、埋もれた情報を掘り起こしていったとか。その頃はミニコミなんてそれほどないから、読者にとってかなり新鮮に受け取られたのではないか。
一方、フリーペーパーでは先にガリヤの前身である「エルフ」が登場。地場広告代理店のN社が内部にエルフ事業部を設け、ガリアの代表であるN氏が編集長となり、地元OL向けの情報誌として刊行を続けた。
編集スタッフには大手、中小を問わず企業に勤める現役のOLたちが名を連ね、取材やタイアップ企画に精を出し、年末には今でいう婚活イベントの走であるクリスマスパーティーも開催していたと聞く。
N編集長は自らナビゲーター(当時のパーソナリティ)として、「FM福岡でエルフミュージックフレイバーって番組も持っていたよ」と、リスナーだったという同級生の女子から聞いたこともある。それぐらい、ローカルでは画期的なメディアだったということだ。
こうしてエルフに代表される地場フリーペーパーは、ガリヤはじめ競合他誌に対し先鞭を付けたということだ。それでも、無料の情報誌なだけに記事やエディトリアルデザインが秀逸かというと、決してそうは思わない。
最初にガリヤを見た十数年前、編集系メディアとしてはすでに体を成していないと感じた。巻頭の記事を除けば各ページがぶつ切りで、チラシの束のようだったからだ。ページ自体がビューティやエステ、グルメなどの企業がスポンサーの全面広告で、経営的にはかなり厳しいのではとの印象を受けた。
N編集長はエルフ時代、営業を代理店側が受け持ってくれていたため、取材や編集、タイアップ企画などに専念できたと思う。ところが、独立してガリヤを設立すると、スポンサー営業も自社で行わなければならなくなった。
媒体の特性から女性スタッフが中心になるので、営業力もつ人材を確保、育成できていたのか。編集作業についても、出版社並みに取材、原稿入れやデザイン、印刷などのノウハウをもつ人間が育っていたかというと?がつく。
フリーペーパーが乱立する市場で、ガリヤが後発の競合誌以上に進化し、ブランド力や媒体価値を持っていたとは思えない。むしろ、経営効率を優先するあまり、年毎に誌面づくりは劣化していた。それはスポンサーとて手に取るようにわかっていたはずである。
つまり、地域情報からクーポン、 ターゲットの絞り込み、 ネットワーク、配布、プロモーションまで、フリーペーパー成立の要件が時代とともに大きく変わっているのに、そうした変化に対応できていなかったのではないか。
情報チャンネルはインターネットの登場で、フリーペーパーが足下に及ばないくらい拡大した。地域情報を発信するネットメディアはかなり増えている。クーポンについても、ペーパーレスかつローコストで、速効性ではネットには適わない。
ブランドイメージの向上を図るメディアとしては優るだろうが、企業メッセージの伝達、商品や企業への理解促進では、ネットもひけをとらない。単なるプロモーションや広告コストでもネットを選択するスポンサーは確実に増えている。
配布についてもネットは読者側が自由に選択すれば良く、ほしい情報を集約できるサイトインサイトもある。読者の属性がわかりづらいというのもペーパー側の言い分に過ぎない。読者にとっては自らの属性にあった情報を検索すれば、それでいいのだ。
唯一、紙媒体に比べると会員募集やメルマガ送付など、読者とのネットワークづくりにはまだまだ希薄さはあるだろう。ただ、共通の話題を通じて二次的にコミュニケートするSNSが定着したことで、本筋のメディア以上の効力を発揮しだしている。
もっとも、ローカルメディアとしてのフリーペーパーが、どれほどの機能を果たしてきたのか。むしろ、今の現状はなるべくして、なったという面は否めない。
ペーパーが流す情報のほとんどは、「これならターゲットに受けるだろう」「これならスポンサーが喜ぶ」とかを計算して流してきたのように感じる。今どき、そんな情報が読者に必要なものかと思ったことが何度もある。
これだけ情報が溢れているのだから、情報は少ない方が生活しやすい。ほしい情報は自分で探せばいいわけだし、プルできるネットの方が使いやすいに決まっている。プッシュしたい気持ちはわかるが、読者が必要でないものは必要ではないのだ。
そこにはメディアに携わる一部の人間が自分たちの感性で嗅ぎ取り、加工した情報を流せばいいという錯覚があるのではないか。だから、本当にほしい情報は読者自ら足で探さないと手に入らない。そんな仕組みには読者も辟易しているのだ。
そもそも、メディアにおける情報伝達の構造は、企業や行政という団体とテレビ局、新聞社、出版社という団体が単に情報をやりとりしてきただけに過ぎない。そこでは個人のほしい情報は完全に無視されてきた。
また、真実を伝えるための取材は一切なく、ただの広報・宣伝のツールと化していた。これは既存メディア全体に言えることで、個人も団体の一員=マスとなって、はじめて情報の受けてとして認められるという図式だ。
しかも、メディア側が企業や行政というスポンサーを重視すれば、真実の情報さえ加工され、歪曲されて伝えられる。そこには本音のコミュニケーションなんてあるはずがない。
ミクシー、フェイスブック、ラインといったSNSがそれに100%変わるというつもりはない。でも、既存メディアにはできない双方向のコミュニケーションで、一定の成果は果たしつつあると思う。
すでにコンビニは家庭に「ご用聞き」として入っていくことで、お客とのコミュニケーションを図り、それをマーケティングに生かそうとしている。であるからこそ、フリーペーパーもほしい情報を求める読者に入っていかないと、活路は見いだせないのではないか。
それは非効率で、時代に逆行するというより、すっかり退化したメディアを活性化する方法として、避けられないと思う。