三越伊勢丹ホールディングス(HD)は、5期連続で赤字が続いていた高級スーパー「クイーンズ伊勢丹」を売却すると発表した。同社を運営する子会社の三越伊勢丹フードサービス株の過半数を三菱系の投資ファンド、丸の内キャピタルに売り渡すもので、HDとしては主力の百貨店経営に集中しようという狙いが窺える。
しかし、伊勢丹のブランドや三越の暖簾を持ってしても、スーパーの運営は容易いものではなかったということだ。メディアは売却の理由を「競争環境の激化を背景に、システム投資や人経費のコストがかさんで赤字続きだった」と報道するが、進出当初から百貨店流の傍系手法でスーパー経営に参画しても、詰めの甘さは否めなかったのではないだろうか。
売却した背景には、HD本体にはスーパーの経営改革を断行し、成長軌道に乗せるノウハウも人材もなかったことになる。結局、財務改善、スリム化のためにリストラするしか手がなかったわけで、百貨店の業績を回復させることなど到底不可能に近いのではないか。「よく経営陣は百貨店とスーパーは違う」と言うが、どっちみち不採算店の閉鎖か、丸ごと売却かという手段しかないのなら、空しい抗弁と言わざるを得ない。
そもそも、三越伊勢丹HDはクイーンズ伊勢丹という「高級スーパー」をどこまで突き詰めて考えていたのかである。伊勢丹のファッション性を生かしスペシャリティストアを標榜したのか。それとも、経営統合後に三越のイメージでより高級路線に磨きをかけたのか。筆者は何度と無く店舗を訪れているが、MDにしても店づくりにしても何となく中途半端で、それほど作り込まれた店という印象はもっていない。
いくら高級スーパーと言っても、高額な商品を品揃えすれば良いというわけではない。高価格帯でも売れなければ話にならないからだ。基本は生鮮三品や日配品、グロサリー、惣菜など日常の生活に必要な商品を軸にしながら、高価格に見合う価値提案ができるかにかかっている。 デフレの影響で全般的に高級品が売れないと言われるが、必需品ならこの価格でも買いたいと思わせるような商品が不可欠なのである。
単に輸入品のチーズやリカー、チョコレートや菓子類、ブランド牛や地鶏、各有名産地直送の野菜や米、無添加の高級調味料などこだわり商品は、お金持ちであっても日常の買い物、日々の必需品には適さない。むしろ、商品構成としては高価格帯から中価格帯、ボリューム、そして戦略商品(メーカーのリベートなどを利用した打ち出しや価格訴求品)をバランスよく品揃えすることが必要だ。
それが結果的に地域でシェアを取れることにつながり、売上げアップにも貢献するのである。もちろん、シェアを取る上では、絶対的なプライスリーダー的な重点販売商品も不可欠になる。それがマヨネーズなのか、小麦粉なのか、牛乳なのか、フルーツなのか。このブランドではコンスタントに「あのお店で買う」とお客を惹き付けることが重要になる。
また、ボリュームと高級品とを見比べた時、お客のその日の気分や懐具合で買い物できる楽しさを提案することが必要になる。安売りスーパーなら品揃えを絞り込み、価格訴求すれば済む。しかし、種類、バリエーションが限られるので、選択肢はない。低所得者なら仕方ないと妥協できるだろう。しかし、お金持ちはそれでは納得しない。毎日必要になる商品、特に食品は同じものを買い続ける飽きがくるから、値段相応の価値があるなら高級品を買ってみたくなるのである。そうしたポイントを押さえることが大事になる。
だからこそ、商品政策としては価格が高いものから値ごろ感まで品揃えにメリハリを付け、なおさら商品のカテゴリーで選択肢を増やし、お客に「値段は高いけど、今日はこっちを買ってみよう」という気分にさせることが高級スーパーには求められるのである。
もちろん、NBでは顔ぶれが決まり、安売りスーパーとの競争で値崩れが激しいカテゴリーについては、積極的な商品開発も必要になる。大学時代の友人が商社で食品開発に当たっているが、だいぶ前、「高級スーパー向けにドレッシングを開発した」と言っていた。
当時、高級ドレッシング市場では「ピエトロ」が全国ブランドになっており、ブランドバリュを維持するために卸先を限定するなどしながら、値崩れを起こさせない戦略を取っていた。そのピエトロがすっかり市場に浸透したことで、高級スーパーとしてはメーンの青果と抱き合わせで売るために、ピエトロを超えるドレッシングを欲しがっていたのである。
友人はまず、ドレッシングの原料になる「サラダ玉葱」を宮崎県の農家と契約して確保。東京近郊の醸造メーカーからは調味料にする醤油や酢をセレクトし、何度も試作品を作って風味や野菜との相性を研究。ラベルやパッケージのデザイン制作については、知り合いのデザイナーが担当した。こうして高級スーパーに並べても遜色ないドレッシングの開発にこぎつけたという。俗にいう「チームMD」による商品開発である。
つまり、NB主体の品揃えでは満足しないお客において、「この味」「この質」「このグレード」なら、大枚をはたいてもいいと思わせる商品を生み出していかなければならない。単に価格やブランドという切り口で品揃えしても、目が肥え舌がうるさいお客は満足できないわけだから、高級スーパーが存続していくのは決して容易いことではない。それはベーカリーやデリカにも言えることだ。
クイーンズ伊勢丹は首都圏1都3県でたった17店舗というスケールでは、独自の商品開発までには乗り出せず、二の足を踏んでいたと思う。しかし、お客がカネを出しても買いたくなる商品を充実できなかったことが、売上げ、店舗数ともに伸ばせなかった主たる要因ではないだろうか。加えてマネジメントや人材の面でも三越伊勢丹HDから天下った経営陣、現場を仕切る店長やバイヤーに問題があったと思う。
高級スーパーと言っても、グロサリーや日用品はそれほど回転の良いカテゴリーではない。やはり、生鮮三品や日配品、惣菜などが5割近くを占めるだろうから、それに人時を割き、そこで収益を上げていかなくてはならない。それも片手落ちだったと考えられる。
百貨店のデパ地下もそうだが、生鮮や惣菜に強い店長やバイヤーがいるというのは、スーパーが競争力をもつ上でも一緒だ。果たして生鮮部門に対応力がある店長を育成できていたのだろうか。それも極めて疑わしい。かつての百貨店やスーパーの生鮮には、職人気質のスタッフが多かった。現場のことをよく知らない大学出の店長が口を出そうものなら、「何だ、コイツは」と虫の居場所が悪くなっていた。
そんな職人気質のスタッフの中に入って行くにはどうすべきか。それは毎日1時間でも作業を手伝ってスタッフの気持ちを理解すること。スタッフもそんな店長の姿を見れば、話を聞く気にもなっていく。クイーンズ伊勢丹がそこまでのマネージャー育成に注力していたとは思えない。売上げ管理や本部指示の売価変更、PAの勤怠シフト決めなど、バックヤード業務にばかり追われていたのは想像に難くないのである。
クイーンズ伊勢丹には築地で競り落とされた高級魚、関東一円から直送される鮮度の高い青果も並んでいる。だからこそ、店長やチーフクラスならOJTで、それを使っての魚の三枚おろし、揚げ物や太巻き寿司くらいはマスターしていてもは損はない。それもスタッフの人心掌握には必須であるし、それができることでバックヤードにもスムーズに入ることができるからである。この辺も抜け落ちていたのではないかと思う。
マネージャーが与えられた権限だけをこなすのなら、それは伝書鳩と同じである。要はクイーンズ伊勢丹が抱えていた構造的な問題を店長自身が意識していたかということ。店長がいかに店長以外の仕事をこなせるか。社員やパートアルバイトもそんな店長をきちんと見ている。こうした人材を育成しきれなかったツケは、決して小さくはなかったわけである。
もちろん、高級スーパーだから、店づくりやMDを進化させていかなければならない。それは本部サイド、経営陣の仕事である。高級スーパーでも最先端をいく米国視察は行っていたとは思うが、単に売場や品揃えを見て回るだけでは研修にはならない。高級スーパーの代名詞、ホールフーズ・マーケットなどで手に入れた食材で実際に料理を作ってみる研修プログラムなども組み込んではじめて、レベルの高い店づくりや商品開発につながっていく。
経営陣や店長がフォアグラやトリフ、松茸、馬刺などの高級食材を使った料理を食べて味を知り、スタッフやその家族にも振る舞うくらいの姿勢がなければ、そこで買い物するお客の気持ちなどわかるはずもない。ましてマネジメントは務まらないだろう。クイーンズ伊勢丹は店を預かる店長の仕事にプラスになり、人間的な器を大きくするものではあれば、すべて教育という考え方を徹底しきれていなかったとも考えられる。
売却を受けた投資ファンドは、おさらく新たな経営陣を招聘するだろうが、やらなければならないことは同じである。門外漢の筆者がここまで書いたのは、高級スーパーのMDもマネジメントも、ファッション販売、特にセレクトショップに共通することが多いからだ。前出のようなことは昨今のファッション業界でも行えきれていない点で共通する。クイーンズ伊勢丹売却は決して他人事ではなく、その教訓から何を学ぶかが重要なのである。
しかし、伊勢丹のブランドや三越の暖簾を持ってしても、スーパーの運営は容易いものではなかったということだ。メディアは売却の理由を「競争環境の激化を背景に、システム投資や人経費のコストがかさんで赤字続きだった」と報道するが、進出当初から百貨店流の傍系手法でスーパー経営に参画しても、詰めの甘さは否めなかったのではないだろうか。
売却した背景には、HD本体にはスーパーの経営改革を断行し、成長軌道に乗せるノウハウも人材もなかったことになる。結局、財務改善、スリム化のためにリストラするしか手がなかったわけで、百貨店の業績を回復させることなど到底不可能に近いのではないか。「よく経営陣は百貨店とスーパーは違う」と言うが、どっちみち不採算店の閉鎖か、丸ごと売却かという手段しかないのなら、空しい抗弁と言わざるを得ない。
そもそも、三越伊勢丹HDはクイーンズ伊勢丹という「高級スーパー」をどこまで突き詰めて考えていたのかである。伊勢丹のファッション性を生かしスペシャリティストアを標榜したのか。それとも、経営統合後に三越のイメージでより高級路線に磨きをかけたのか。筆者は何度と無く店舗を訪れているが、MDにしても店づくりにしても何となく中途半端で、それほど作り込まれた店という印象はもっていない。
いくら高級スーパーと言っても、高額な商品を品揃えすれば良いというわけではない。高価格帯でも売れなければ話にならないからだ。基本は生鮮三品や日配品、グロサリー、惣菜など日常の生活に必要な商品を軸にしながら、高価格に見合う価値提案ができるかにかかっている。 デフレの影響で全般的に高級品が売れないと言われるが、必需品ならこの価格でも買いたいと思わせるような商品が不可欠なのである。
単に輸入品のチーズやリカー、チョコレートや菓子類、ブランド牛や地鶏、各有名産地直送の野菜や米、無添加の高級調味料などこだわり商品は、お金持ちであっても日常の買い物、日々の必需品には適さない。むしろ、商品構成としては高価格帯から中価格帯、ボリューム、そして戦略商品(メーカーのリベートなどを利用した打ち出しや価格訴求品)をバランスよく品揃えすることが必要だ。
それが結果的に地域でシェアを取れることにつながり、売上げアップにも貢献するのである。もちろん、シェアを取る上では、絶対的なプライスリーダー的な重点販売商品も不可欠になる。それがマヨネーズなのか、小麦粉なのか、牛乳なのか、フルーツなのか。このブランドではコンスタントに「あのお店で買う」とお客を惹き付けることが重要になる。
また、ボリュームと高級品とを見比べた時、お客のその日の気分や懐具合で買い物できる楽しさを提案することが必要になる。安売りスーパーなら品揃えを絞り込み、価格訴求すれば済む。しかし、種類、バリエーションが限られるので、選択肢はない。低所得者なら仕方ないと妥協できるだろう。しかし、お金持ちはそれでは納得しない。毎日必要になる商品、特に食品は同じものを買い続ける飽きがくるから、値段相応の価値があるなら高級品を買ってみたくなるのである。そうしたポイントを押さえることが大事になる。
だからこそ、商品政策としては価格が高いものから値ごろ感まで品揃えにメリハリを付け、なおさら商品のカテゴリーで選択肢を増やし、お客に「値段は高いけど、今日はこっちを買ってみよう」という気分にさせることが高級スーパーには求められるのである。
もちろん、NBでは顔ぶれが決まり、安売りスーパーとの競争で値崩れが激しいカテゴリーについては、積極的な商品開発も必要になる。大学時代の友人が商社で食品開発に当たっているが、だいぶ前、「高級スーパー向けにドレッシングを開発した」と言っていた。
当時、高級ドレッシング市場では「ピエトロ」が全国ブランドになっており、ブランドバリュを維持するために卸先を限定するなどしながら、値崩れを起こさせない戦略を取っていた。そのピエトロがすっかり市場に浸透したことで、高級スーパーとしてはメーンの青果と抱き合わせで売るために、ピエトロを超えるドレッシングを欲しがっていたのである。
友人はまず、ドレッシングの原料になる「サラダ玉葱」を宮崎県の農家と契約して確保。東京近郊の醸造メーカーからは調味料にする醤油や酢をセレクトし、何度も試作品を作って風味や野菜との相性を研究。ラベルやパッケージのデザイン制作については、知り合いのデザイナーが担当した。こうして高級スーパーに並べても遜色ないドレッシングの開発にこぎつけたという。俗にいう「チームMD」による商品開発である。
つまり、NB主体の品揃えでは満足しないお客において、「この味」「この質」「このグレード」なら、大枚をはたいてもいいと思わせる商品を生み出していかなければならない。単に価格やブランドという切り口で品揃えしても、目が肥え舌がうるさいお客は満足できないわけだから、高級スーパーが存続していくのは決して容易いことではない。それはベーカリーやデリカにも言えることだ。
クイーンズ伊勢丹は首都圏1都3県でたった17店舗というスケールでは、独自の商品開発までには乗り出せず、二の足を踏んでいたと思う。しかし、お客がカネを出しても買いたくなる商品を充実できなかったことが、売上げ、店舗数ともに伸ばせなかった主たる要因ではないだろうか。加えてマネジメントや人材の面でも三越伊勢丹HDから天下った経営陣、現場を仕切る店長やバイヤーに問題があったと思う。
高級スーパーと言っても、グロサリーや日用品はそれほど回転の良いカテゴリーではない。やはり、生鮮三品や日配品、惣菜などが5割近くを占めるだろうから、それに人時を割き、そこで収益を上げていかなくてはならない。それも片手落ちだったと考えられる。
百貨店のデパ地下もそうだが、生鮮や惣菜に強い店長やバイヤーがいるというのは、スーパーが競争力をもつ上でも一緒だ。果たして生鮮部門に対応力がある店長を育成できていたのだろうか。それも極めて疑わしい。かつての百貨店やスーパーの生鮮には、職人気質のスタッフが多かった。現場のことをよく知らない大学出の店長が口を出そうものなら、「何だ、コイツは」と虫の居場所が悪くなっていた。
そんな職人気質のスタッフの中に入って行くにはどうすべきか。それは毎日1時間でも作業を手伝ってスタッフの気持ちを理解すること。スタッフもそんな店長の姿を見れば、話を聞く気にもなっていく。クイーンズ伊勢丹がそこまでのマネージャー育成に注力していたとは思えない。売上げ管理や本部指示の売価変更、PAの勤怠シフト決めなど、バックヤード業務にばかり追われていたのは想像に難くないのである。
クイーンズ伊勢丹には築地で競り落とされた高級魚、関東一円から直送される鮮度の高い青果も並んでいる。だからこそ、店長やチーフクラスならOJTで、それを使っての魚の三枚おろし、揚げ物や太巻き寿司くらいはマスターしていてもは損はない。それもスタッフの人心掌握には必須であるし、それができることでバックヤードにもスムーズに入ることができるからである。この辺も抜け落ちていたのではないかと思う。
マネージャーが与えられた権限だけをこなすのなら、それは伝書鳩と同じである。要はクイーンズ伊勢丹が抱えていた構造的な問題を店長自身が意識していたかということ。店長がいかに店長以外の仕事をこなせるか。社員やパートアルバイトもそんな店長をきちんと見ている。こうした人材を育成しきれなかったツケは、決して小さくはなかったわけである。
もちろん、高級スーパーだから、店づくりやMDを進化させていかなければならない。それは本部サイド、経営陣の仕事である。高級スーパーでも最先端をいく米国視察は行っていたとは思うが、単に売場や品揃えを見て回るだけでは研修にはならない。高級スーパーの代名詞、ホールフーズ・マーケットなどで手に入れた食材で実際に料理を作ってみる研修プログラムなども組み込んではじめて、レベルの高い店づくりや商品開発につながっていく。
経営陣や店長がフォアグラやトリフ、松茸、馬刺などの高級食材を使った料理を食べて味を知り、スタッフやその家族にも振る舞うくらいの姿勢がなければ、そこで買い物するお客の気持ちなどわかるはずもない。ましてマネジメントは務まらないだろう。クイーンズ伊勢丹は店を預かる店長の仕事にプラスになり、人間的な器を大きくするものではあれば、すべて教育という考え方を徹底しきれていなかったとも考えられる。
売却を受けた投資ファンドは、おさらく新たな経営陣を招聘するだろうが、やらなければならないことは同じである。門外漢の筆者がここまで書いたのは、高級スーパーのMDもマネジメントも、ファッション販売、特にセレクトショップに共通することが多いからだ。前出のようなことは昨今のファッション業界でも行えきれていない点で共通する。クイーンズ伊勢丹売却は決して他人事ではなく、その教訓から何を学ぶかが重要なのである。