HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

払う価値はあるか。

2017-10-25 05:36:05 | Weblog
 三越伊勢丹ホールディングス(HD)は、5期連続で赤字が続いていた高級スーパー「クイーンズ伊勢丹」を売却すると発表した。同社を運営する子会社の三越伊勢丹フードサービス株の過半数を三菱系の投資ファンド、丸の内キャピタルに売り渡すもので、HDとしては主力の百貨店経営に集中しようという狙いが窺える。

 しかし、伊勢丹のブランドや三越の暖簾を持ってしても、スーパーの運営は容易いものではなかったということだ。メディアは売却の理由を「競争環境の激化を背景に、システム投資や人経費のコストがかさんで赤字続きだった」と報道するが、進出当初から百貨店流の傍系手法でスーパー経営に参画しても、詰めの甘さは否めなかったのではないだろうか。

 売却した背景には、HD本体にはスーパーの経営改革を断行し、成長軌道に乗せるノウハウも人材もなかったことになる。結局、財務改善、スリム化のためにリストラするしか手がなかったわけで、百貨店の業績を回復させることなど到底不可能に近いのではないか。「よく経営陣は百貨店とスーパーは違う」と言うが、どっちみち不採算店の閉鎖か、丸ごと売却かという手段しかないのなら、空しい抗弁と言わざるを得ない。



 そもそも、三越伊勢丹HDはクイーンズ伊勢丹という「高級スーパー」をどこまで突き詰めて考えていたのかである。伊勢丹のファッション性を生かしスペシャリティストアを標榜したのか。それとも、経営統合後に三越のイメージでより高級路線に磨きをかけたのか。筆者は何度と無く店舗を訪れているが、MDにしても店づくりにしても何となく中途半端で、それほど作り込まれた店という印象はもっていない。

 いくら高級スーパーと言っても、高額な商品を品揃えすれば良いというわけではない。高価格帯でも売れなければ話にならないからだ。基本は生鮮三品や日配品、グロサリー、惣菜など日常の生活に必要な商品を軸にしながら、高価格に見合う価値提案ができるかにかかっている。 デフレの影響で全般的に高級品が売れないと言われるが、必需品ならこの価格でも買いたいと思わせるような商品が不可欠なのである。

 単に輸入品のチーズやリカー、チョコレートや菓子類、ブランド牛や地鶏、各有名産地直送の野菜や米、無添加の高級調味料などこだわり商品は、お金持ちであっても日常の買い物、日々の必需品には適さない。むしろ、商品構成としては高価格帯から中価格帯、ボリューム、そして戦略商品(メーカーのリベートなどを利用した打ち出しや価格訴求品)をバランスよく品揃えすることが必要だ。

 それが結果的に地域でシェアを取れることにつながり、売上げアップにも貢献するのである。もちろん、シェアを取る上では、絶対的なプライスリーダー的な重点販売商品も不可欠になる。それがマヨネーズなのか、小麦粉なのか、牛乳なのか、フルーツなのか。このブランドではコンスタントに「あのお店で買う」とお客を惹き付けることが重要になる。

 また、ボリュームと高級品とを見比べた時、お客のその日の気分や懐具合で買い物できる楽しさを提案することが必要になる。安売りスーパーなら品揃えを絞り込み、価格訴求すれば済む。しかし、種類、バリエーションが限られるので、選択肢はない。低所得者なら仕方ないと妥協できるだろう。しかし、お金持ちはそれでは納得しない。毎日必要になる商品、特に食品は同じものを買い続ける飽きがくるから、値段相応の価値があるなら高級品を買ってみたくなるのである。そうしたポイントを押さえることが大事になる。

 だからこそ、商品政策としては価格が高いものから値ごろ感まで品揃えにメリハリを付け、なおさら商品のカテゴリーで選択肢を増やし、お客に「値段は高いけど、今日はこっちを買ってみよう」という気分にさせることが高級スーパーには求められるのである。

 もちろん、NBでは顔ぶれが決まり、安売りスーパーとの競争で値崩れが激しいカテゴリーについては、積極的な商品開発も必要になる。大学時代の友人が商社で食品開発に当たっているが、だいぶ前、「高級スーパー向けにドレッシングを開発した」と言っていた。

 当時、高級ドレッシング市場では「ピエトロ」が全国ブランドになっており、ブランドバリュを維持するために卸先を限定するなどしながら、値崩れを起こさせない戦略を取っていた。そのピエトロがすっかり市場に浸透したことで、高級スーパーとしてはメーンの青果と抱き合わせで売るために、ピエトロを超えるドレッシングを欲しがっていたのである。

 友人はまず、ドレッシングの原料になる「サラダ玉葱」を宮崎県の農家と契約して確保。東京近郊の醸造メーカーからは調味料にする醤油や酢をセレクトし、何度も試作品を作って風味や野菜との相性を研究。ラベルやパッケージのデザイン制作については、知り合いのデザイナーが担当した。こうして高級スーパーに並べても遜色ないドレッシングの開発にこぎつけたという。俗にいう「チームMD」による商品開発である。

 つまり、NB主体の品揃えでは満足しないお客において、「この味」「この質」「このグレード」なら、大枚をはたいてもいいと思わせる商品を生み出していかなければならない。単に価格やブランドという切り口で品揃えしても、目が肥え舌がうるさいお客は満足できないわけだから、高級スーパーが存続していくのは決して容易いことではない。それはベーカリーやデリカにも言えることだ。 

 クイーンズ伊勢丹は首都圏1都3県でたった17店舗というスケールでは、独自の商品開発までには乗り出せず、二の足を踏んでいたと思う。しかし、お客がカネを出しても買いたくなる商品を充実できなかったことが、売上げ、店舗数ともに伸ばせなかった主たる要因ではないだろうか。加えてマネジメントや人材の面でも三越伊勢丹HDから天下った経営陣、現場を仕切る店長やバイヤーに問題があったと思う。

 高級スーパーと言っても、グロサリーや日用品はそれほど回転の良いカテゴリーではない。やはり、生鮮三品や日配品、惣菜などが5割近くを占めるだろうから、それに人時を割き、そこで収益を上げていかなくてはならない。それも片手落ちだったと考えられる。

 百貨店のデパ地下もそうだが、生鮮や惣菜に強い店長やバイヤーがいるというのは、スーパーが競争力をもつ上でも一緒だ。果たして生鮮部門に対応力がある店長を育成できていたのだろうか。それも極めて疑わしい。かつての百貨店やスーパーの生鮮には、職人気質のスタッフが多かった。現場のことをよく知らない大学出の店長が口を出そうものなら、「何だ、コイツは」と虫の居場所が悪くなっていた。

 そんな職人気質のスタッフの中に入って行くにはどうすべきか。それは毎日1時間でも作業を手伝ってスタッフの気持ちを理解すること。スタッフもそんな店長の姿を見れば、話を聞く気にもなっていく。クイーンズ伊勢丹がそこまでのマネージャー育成に注力していたとは思えない。売上げ管理や本部指示の売価変更、PAの勤怠シフト決めなど、バックヤード業務にばかり追われていたのは想像に難くないのである。

 クイーンズ伊勢丹には築地で競り落とされた高級魚、関東一円から直送される鮮度の高い青果も並んでいる。だからこそ、店長やチーフクラスならOJTで、それを使っての魚の三枚おろし、揚げ物や太巻き寿司くらいはマスターしていてもは損はない。それもスタッフの人心掌握には必須であるし、それができることでバックヤードにもスムーズに入ることができるからである。この辺も抜け落ちていたのではないかと思う。

 マネージャーが与えられた権限だけをこなすのなら、それは伝書鳩と同じである。要はクイーンズ伊勢丹が抱えていた構造的な問題を店長自身が意識していたかということ。店長がいかに店長以外の仕事をこなせるか。社員やパートアルバイトもそんな店長をきちんと見ている。こうした人材を育成しきれなかったツケは、決して小さくはなかったわけである。

 もちろん、高級スーパーだから、店づくりやMDを進化させていかなければならない。それは本部サイド、経営陣の仕事である。高級スーパーでも最先端をいく米国視察は行っていたとは思うが、単に売場や品揃えを見て回るだけでは研修にはならない。高級スーパーの代名詞、ホールフーズ・マーケットなどで手に入れた食材で実際に料理を作ってみる研修プログラムなども組み込んではじめて、レベルの高い店づくりや商品開発につながっていく。

 経営陣や店長がフォアグラやトリフ、松茸、馬刺などの高級食材を使った料理を食べて味を知り、スタッフやその家族にも振る舞うくらいの姿勢がなければ、そこで買い物するお客の気持ちなどわかるはずもない。ましてマネジメントは務まらないだろう。クイーンズ伊勢丹は店を預かる店長の仕事にプラスになり、人間的な器を大きくするものではあれば、すべて教育という考え方を徹底しきれていなかったとも考えられる。

 売却を受けた投資ファンドは、おさらく新たな経営陣を招聘するだろうが、やらなければならないことは同じである。門外漢の筆者がここまで書いたのは、高級スーパーのMDもマネジメントも、ファッション販売、特にセレクトショップに共通することが多いからだ。前出のようなことは昨今のファッション業界でも行えきれていない点で共通する。クイーンズ伊勢丹売却は決して他人事ではなく、その教訓から何を学ぶかが重要なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橋渡しの力。

2017-10-18 06:52:50 | Weblog
 先日、繊研PLUSがデザイナー森永邦彦氏が率いる「ANREALAGE(アンリアレイジ)」を取り上げていた。(https://senken.co.jp/posts/anseason_anrealage1)同ブランドは2015年春夏から発表の場をパリに移し、半年ごとに次々と新しい技術やコンセプトを打ち出していく中で、森永氏はクリエーションを半年で過去に追いやることへの葛藤があることを伝えている。

 「表現者としての自分は、一つのシーズンが終わったらそこから離れたくなるが、作り手としては、1シーズンで終わらせるのではなく、作り続けなければならないと思う」(原文のまま)だそうだ。

 確かに1シーズンにコンセプトづくりからイラストスケッチまで何百点と生み出しながら、実際にサンプル制作にまでこぎつけるのは数十点だろう。さらにその中から商品化されていくものは限られてくる。展示会に出展されても、VOIDになるケースもある。デザイナーとしての創作には膨大なエネルギーを要するのだ。

 しかも、お客が気に入ったデザインでもワンシーズン限りというのはザラ。これに惜しむ声があるのは当然だろう。デザイナー自身も顧客から評価されたクリエーションに対して、表現者としての矜持から次シーズンに残さないことに矛盾を抱えているのがよくわかる。それが「アンシーズン」というアーカイブなブランドの登場につながったことは、必然なのかもしれない。

 一方、ファッションビジネスとして考えれば、デザイナーが組織的に活動しブランドを存続させていくには、年間数億円規模の収益が求められる。欧州の若手デザイナーのように、コレクションデビューにユダヤ人実業家やアラブの王様が谷町になってくれた時代なら、収益を気にせずに創作活動に邁進できた。

 しかし、最近ではファンドが資金を拠出するなどスポンサードのバリエーションが増えた反面、支援の条件としてビジネスが優先され、短期に収益を確保しなければならなくなっている。コングロマリット系の老舗メゾンではなおさらだ。売れなければ、ベテランデザイナーと言えども契約を切られる運命なのである。

 そのため、ブランド側も収益の確保、安定を優先条件と考え、シーズンごとの服づくりではクリエーション優先の見せる部分と、ビジネス優先の売れる部分のバランスを何より重視するようになっている。その比率は3:7であったり、2:8であったり、1:9だってあるうる。こうしたバランスの中でも、2〜3割の見せる部分からヒット商品が生まれることもある。リスキーだからこそ、やり甲斐があるのがデザナーズブランドなのだ。

 かつてのブランドはそこそこのバリュウや知名度が確立すれば、商社やメーカーにライセンス権を販売してロイヤルティ収入で収益基盤を安定させるところもあった。さらに見せるコレクションラインやファーストラインと売るディフュージョンライン、セカンドラインとに分けるデザイナーズブランドは今も存在する。コムデギャルソンとて、コレクションラインやジュンヤワタナベの他に記号で売るプレイを創り出している。

 しかし、ライセンス系ビジネスは、ロゴマークという記号を確立しライセンシーが増えることで収益拡大を望めるものの、商品のカテゴリーが広がることでブランドが陳腐化するのは避けられない。売上げのために何でもブランド化すれば良いというものではないのだ。もはや使い尽くされた旧態依然の手法と言って良いだろう。

 アンリアレイジ が「見せるコレクション」の中で、ヒットしたアイテムをアーカイブとしながら、定番的で普遍的なクリエーションとして売って行くためにアンシーズンを立ち上げたのも、ブランドを存続させるための収益安定のためではないのか。

 そこにはデザイナーとしてクリエーションを記録として残しながら、ファンの気持ちに応えていこうという思いもあるだろう。記事はそれをデザイナーの森永氏のコメントを軸に掘り下げて書いているわけで、手法として特段に新しいものではないが、デザイナーズブランドのチャレンジとしては大いに評価されて良いはずだ。



 そのアンリアレイジ には異業種からもスポットが当たっている。福岡では後発のラーメン店ながら、今や世界戦略にまで打って出ている「一風堂」。同社がスタッフのユニフォームにアンリアレイジのデザインを採用したのである。福岡市の中心部に事務所をもつ筆者は、毎日のように一風堂大名本店の前を通る。今年の春先だったか、店先に立って観光客の行列に指示を出すスタッフのエプロンに目がいった。

 「ユニフォームメーカーの規格品にしては、カッコ良すぎる」。そんな印象を受けたのである。早速、調べて見ると、デザインを手掛けたのは、森永氏が率いるアンリアレイジだった。プレス資料によると、店舗環境やスタッフの観察から、コンセプトを人と人の距離とし、着心地の良い構造に加え、「生地に遠近で見え方が変化する特殊なプログラム」を施したとあった。

 2月末から国内店舗ユニフォームを順次刷新していて、筆者が見かけたエプロンは首から掛け、腰で巻くこともできる2ウェイタイプだった。他には社員とアルバイトリーダーが着る長袖シャツ、店長向けのマネージャージャケット、社員やバイトが選べる4種の帽子(ハット、キャスケット、ワークキャップ、ベースボールキャップ)がある。

 機能面ではサイズフリーに対応させるべくストレッチ性を重視。また、厨房作業での熱や油汚れに耐えながら、洗濯しても直ぐに乾く特殊加工生地を採用するなど、快適に働けることを目的としたようだ。

 当然ながら、一介の外食企業がここまでユニフォームづくりのノウハウを持つわけがない。間にアパレル会社が介在したのは言うまでもなかった。そのコーディネター役をはたしたのが、昨年から知名度を上げている熊本の「シタテル」だ。同社がアンリアレイジへのオファーからコンセプトの構築、デザインまで依頼したのだ。

 デザイナーの森長氏はそれを受けて、一風堂の店舗環境やスタッフをじっくり監察した上で、コンセプトを「人と人との距離」と設定。ユニフォームとしての着心地の良さだけでなく、一風堂の理念「KEEP CHANGING TO REMAIN UNCHANGED(変わらないために変わり続ける)」をユニフォームから浮かび上がらせるなど、同社を世界に印象づける仕掛けにも注力している。パリコレに参加するアンリアレイジにとっては、「されどユニフォーム」なのである。

 縫製に関してはシタテルがネットワークをもつ福岡と熊本の工場を使っている。これがニューヨークやパリの一風堂でも見られるのだから、まさにワールドワイドなユニフォームプロジェクトだと言える。外食産業と言えど、ブランディングに注力する以上、サプライメーカー調達の「たかがユニフォーム」では、済まされないということだ。それは福岡の企業と東京のデザイナー、そして熊本ほかの工場が一つのコンセプトを理解することなしには、成し得なかったと思う。

 デザイナーは誰しも、自分が思い描くクリエーションを服に落とし込みたいと願っている。そして、そのクリエーションがパリコレという檜舞台で、メディアやバイヤーの喝采を浴びて、名声を博すことを望みながら服づくりに膨大なエネルギーを費やす。しかし、一度脚光を浴びたブランドを存続させていくには、ビジネス抜きには考えられない。

 デザイナー自らがビジネスマインドを持てばこれ以上のことはないが、それはむしろ稀少だ。大概はプロデュースやマネジメントに当たる有能なブレーンが不可欠になるわけだが、デザイナーと衝突や軋轢が生じるとビジネスがうまくいかなくなることは往々にしてある。

 デザイナーの熱い思いを理解しつつ、ビジネスの面でも決して手を抜かない優秀な人間が社内にいることが理想だが、インターネットが発達した時代には社外ブレーンでも十分に機能するのではないかと思う。

 その意味で、クリエイティブ担当のアンリアレイジとビジネス含めてコーディネート役にまわったシタテルがそれぞれ持前の力を発揮したことで、一風堂のユニフォームプロジェクトは実現したと言える。こうした動きがとかくクリエーションに拘り過ぎて、ビジネスの面で今ひとつ攻勢をかけられないデザイナーズビジネスの一助になればと思う。

 ファッションもビジネスである以上、「売れてなんぼ」である。森長氏は早稲田大学とバンタンキャリアスクールをダブルで学んでいるだけに、高度な思考能力に加え、斬新な発想力も兼ね備えている。

 クリエーションとビジネスを二律背反を両立させるのは決して簡単なことではないが、デザイナーと企業との間にコーディネーターが入ることで、デザイナーの能力が企業のブランディングで引き出せたのは、デザイナーズビジネスの手法の一つに加えてもいいだろう。今回のようなケースは、デザイナーにとっても、ポートフォリオとしても重要な意味を持つからだ。

 高度にITが発達した現在は、ネットワークを駆使してビジネスの領域を広げられる。いずれはそれをAIが担当するかもしれないが、デザイナーのクリエイティビティ、ファッションビジネスを生かすも殺すも情報技術とネットワークであることは確かのようである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アレンジする独創。

2017-10-11 06:49:53 | Weblog
 10数年前からデザイン、制作を始めたレザー。アクセサリーや小物になると、すべて自分で作っている。とっかかりはクラフトショップを仕事の合間に覗く程度だった。そのうちに工具が欲しくなり、菱目打ちや打ち台、蝋引き糸、針、トコフィニッシュなど一通り買い揃えた。革は店頭で端革や1デシ分を売っているので、服よりも気軽に制作に取りかかれ、ダイアリーカバーや名刺入れは手作りのものを愛用している。



 先日、自宅用のブックシェルフを新たにデザインし、設計図面が完成したので、材料の板を物色しにHCの「ハンズマン」に出かけた。以前は家具産地の大川に材料を提供する材木商から調達していたが、面倒な切削、鉤などの加工までは受けてくれなくなったので、自分で手掛けるしかなくなった。その点、ハンズマンには工作室があり、道具も自由に使えるので、たいへん重宝している。

 ハンズマンは宮崎県都城に本社があるアメリカライクなメガHCで、全国メディアにも度々登場している。プロ向けの道具から金物や金属部品、カン類まで豊富にラインナップし、欲しい材料の注文にも気軽に応じてくれる。ただ、レザークラフト用品は最低限の品揃えしかなく、アクセサリーづくりに合致する小ぶりで繊細なパーツには期待はしていなかった。

 ところがである。資材館で板をセレクトした後に本館も覗いていると、今年春、「某有名デザイナーズブランド」が発表した「カラビナ キーリング」とほぼ同じパーツを発見した。カラビナキーリングは栃木レザーなどを使用したものネット等で見かけていたが、パーツについてはレザークレフト店では見かけたことがなかったので、オリジナルで制作したとばかり思っていた。





 ところが、ハンズマンにはパーツがあったのだ。メーンで使われているのは、「スプリングスナップ」という吊り具。本来の用途は産業機械や工具の脱落防止に使われる補助金具らしい。穴の部分にワイヤーロープを入れて固定し、フック部分を機械や工具に連結して使うようだ。そう考えると、クラフトショップよりもプロ向けのHCの方に品揃えされることに納得した。ニッケルメッキで防錆性に優れ、相当の荷重に耐えうる設計なので、キーホルダーとしても十分過ぎるくらいである。ちょうど愛用のキーホルダーがだいぶ古くなり、買い替えようと思っていたので、一気に創作意欲に火がついてしまった。
 
 だから、今回は純粋にアクセサリー職人になった気持ちでハンズマンで見つけたパーツを使い、某ブランドはじめ市販されているカラビナキーリングを真似して作ってみることにした。他に使われているパーツは、カギを取り付けるための「甲丸スナップ」、それをまとめる「丸カン」大小、そしてスプリングスナップと丸カンをつなぐ「革紐」、革紐を留める「カシメ」になる。一応、材料の価格を確認しておくと、スプリングスナップ(50mm)が200円、丸カンが4個入りで115円(大)同100円(小)、真ちゅうニッケルメッキの甲丸スナップが2個入りで100円になる。すべてハンズマンで入手できた。

 革紐は残っていた革を切って作り、カシメは以前に購入していたものが大きさ的にちょうど合った。作業としてはスプリングスナップの穴に通る幅で革をカットし、カギを下げた時にダランとしないように紐の長さを調整。見てくれを良くするために紐の両端角を彫刻刀で丸く落とし、 紐の縁(こば)や裏側にはトコフィニッシュを塗る。革を合わせカシメを通す箇所のみを薄く削り、まずパンチで穴を空ける。そこにカシメを通し、打ち棒で打てば完成。まあ、こんな作業手順なんだが…

 丸カンが動かないように紐で固定した方がキーリングとしては使い易い。そのためには紐を8の字状にするしかない。これならカシメを突き通せるから、打ち台も手持ちのものをそのまま使え、作業的にも多少は楽である。実際、作業時間は30分とかからなかった。実際、某ブランドも市販のものもそのように革紐を接合していた。

 ただ、某ブランドも市販のものもスプリングスナップが大ぶりで、一般のカラビナと同じぐらい大きい。これはやはりハードなアメリカンアクセサリーを意識したもので、ジーンズや革パンのベルトループに取り付けた方が似合うデザインだ。筆者はワンサイズ小さなスプリングスナップを使用し、小ぶりなアクセサリーに仕上げた。これならジャケットのポケットに入れても脹らまないし、カギを付けても重く感じないから、個人的には使い易いと思う。

 某ブランドではスプリングスナップにロゴマークが小さく刻字されている。ここがブランドロイヤルティの決め手にわるわけだ。さずがにそこまでは真似することができない。おそらくロゴデータを自動刻削機に読ませて、先端が針のような極細のニードルで刻字したのではないだろうか。町工場の先端技術が生かされているのである。

 某ブランドがキーリングをどれほど量産したのかはわからない。それとも、MDのスタッフは刻字の作業ロットから逆算し、ペイラインを割り出したのだろうか。自動刻削機を使えば、作業料は1個500円くらいになるだろう。材料費と合わせると、総コストは1000円くらいになる。市販のノンブランドは売価が1000円程度。筆者が作れるくらいだから、パーツを大量に仕入れでコストを下げ、あとは注文を見計らって生産すれば利益を出るとの計算ではないのか。

 ともあれ、行きつけのHCで偶然にもパーツを見つけたことで、キーリングを手づくりすることができた。また、実際に制作することで、職人さんがどのような要領でブランドのアクセサリーを制作しているかを再確認した。

 もっとも、アクセサリーだから専用のパーツを使用したんでは、オリジナリティもクリエイティビティも発揮できない。それにしても某ブランドのアクセサリーの担当が他社が作るアクセサリーを自社ブランドに焼き直しただけというのはいかがなものか。全部がそうだとは思わないが、少しイージーな気もする。

 ともあれ、異業種をこまめに廻り、異素材をじっくり吟味して、そこからデザインを発想する。これもクリエーションでカギになるのは確かだ。原価やコストを考えると、オリジナルでパーツを造ることは厳しいが、パーツの組み合わせを変えてオリジナリティをいかに出すかも重要だ。そこがクリエイティビティの妙ではないか。

 その意味ではせっかくの職人技を生かしきるようなオリジナリティを発揮しないと、もの作りの手応えは感じられないような気がする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TGCは地方百貨店を救う?

2017-10-04 04:56:58 | Weblog
 安倍晋三総理が衆議院解散の記者会見を行った先月25日、熊本市役所ではTGC(東京ガールズコレクション)の2019年4月熊本開催における合意書の署名が行われたと、業界関係者からニュース映像が送られて来た。

 TGCを企画するW TOKYOは、これまでも各自治体に働きかけ、開催にこぎつけている。熊本の署名式でも同社の村上範義社長は「熊本はわさもん(方言で新しもの好き)というファッション的な流行もの好きの若者が集う街だ。熊本オリジナルのTGCを作っていきたい」と語ったことで、以前から熊本開催を打診していたと推察される。

 首長や関係部署の担当者が顔を並べ、メディアを呼んで合意書に署名したのだから、「TGC 熊本 2019」の実現は、ほぼ間違いないと言っていいだろう。実現すれば、九州では宮崎市、北九州市に次いで3番目の開催となる。

 熊本市は以前から課題を抱えている。郊外店の攻勢や福岡市などへの流出から、中心市街地の地盤沈下が激しく、外国人旅行者頼みでは活性化は難しいということだ。そんな状況に輪をかけて昨年の4月には熊本地震が発生した。かつてない未曾有の災害で、中心部の消費がさらに落ち込んだのは言うまでもない。

 自治体としてこの沈滞ムードを払拭し、熊本のポテンシャルを示すには、一度に多くの若者を集めるイベントをおいて他にはない。それが大西一史熊本市長がTGC開催に踏み出した理由だと思う。

 今月には熊本県や熊本市などの関係機関が検討・準備委員会を設立し、くまもとファッション協会の会長で鶴屋百貨店の久我彰登社長が会長に就任する。検討・準備委員会は実質的な実行委員会という形をとり、イベント開催に向けて動き出すと見られる。開催予定の2019年4月は震災発生から丸3年で、イベントは震災からの復旧・復興をPRする格好の材料。自治体としても公金を拠出するのに十分な「大義」と言える。

 大西市長も合意式の会見で「熊本に元気を与える。そういう意味でも大きなイベントであります。また、震災を経て新しい熊本を作っていく上では、ファッションの力は極めて大きいものがあるという風に思います」と語った点をみると、TGC 熊本 2019を復興事業の区切りにしたいとの思いが滲む。

 ただ、この手の客寄せイベントが本当に震災からの復旧・復興になるかは甚だ疑問だ。大西市長は会見で「各市町村にも呼びかけて、オール熊本での開催を目指したい」と語った。会場が熊本地震でいちばんの被害を受けた益城町にあるグランメッセ熊本を予定していることも、まずは同町の復興シンボルにするとの考えなのだろう。

 しかし、裏を返せば、熊本県、熊本市の財政支援だけでは、イベント開催に必要な資金を捻出するには限界があるということでもある。オール熊本には他の自治体にも開催費用を負担させる思惑が透けて見えるのだ。

 TGCの地方開催は、東京のように民間主導では不可能だ。そこでW TOKYOは、「震災復興」「地域の活性化」「交流人口の拡大」などの大義を掲げて、自治体に営業をかけていく。行政の財政支援を取り付ければ、単年開催でも赤字にはならないとの計算もあるだろう。「自治体がカネを出す」という行政のお墨付きがあれば、商工会議所などの協力を取り付けて、地元スポンサーの確保もしやすくなる。

 W TOKYOの村上社長は「イベントを単年度で終わらせるのはなく、北九州のように3年は続けたい」と語っている。そこからは単年開催では収支トントン、莫大な黒字にはならないから、複数年で利益を出そうという狙いも読みとれる。また、熊本市が北九州に次いで複数年にわたって開催した実績となれば、そのまま他の自治体に営業をかけるときに絶好のアピールポイントになる。イベント事業者ならそのくらい考えても不思議ではない。


客寄せ興行に支援できるのか

 もっとも、共賛を呼びかけられた自治体は、複雑だと思う。復旧・復興に取り組んではいるものの、肝心な被災者の生活再建は全く見通せていない。仮設住宅の入居期限は2年と決められていても(おそらく延長されるだろうが)、それまでに被災者のすべてが住まいを確保できる保証はない。自治体の不安は尽きないのである。本音としては東京からやってくる三文タレントによる客寄せ興行になんて構っている立場ではないはずだ。

 まして各市町村の財政基盤は熊本県や熊本市よりはるかに脆弱なわけで、そんなイベントに税金を拠出するくらいなら、地域住民の生活再建に当てるべきとの声が出てこないとも限らない。もし、市議会や町議会を素通りでイベント予算が計上されるようなことがあれば、議員たちは全く仕事をしていないことになる。そもそも市町村のおじさん、おばさん議員たちがTGCをよく理解していないと思うが。

 福岡でも2009年から「福岡アジアコレクション(FACo)」というTGCと対峙する神戸コレクションを下敷きにしたファッションイベントが開催されている。これも福岡県や福岡商工会議所が主導で年度単位で2000万円ほどの資金を拠出した。これが3年で止まると、タレント市長高島宗一郎の就任で、今度は福岡市がメーンで拠出にまわった。しかし、それとて行政が拠出する資金は無尽蔵ではない。

 そこでどうしたか。なんと福岡市が運営する公営ギャンブルの競艇「福岡ボート」が FACoの提供スポンサーに名を連ねたのだ。高島市長は主な観客であるF1層(20歳から34歳)の女性たちに競艇をアピールするとの目的で競艇の振興予算を振り向けのだろうが、ここまでくれば、「とにかく自治体からカネを出させればいい」との主催者側の思惑が透けて見える。観客はF1層と言っても未成年がいないはずはないのだから、これは明らかに問題があると言わざるを得ない。

 果たして、熊本市の大西市長は、共賛を働きかけた周辺自治体からTGC 熊本への賛同を得られなかったらどうするのだろうか。市の担当部局ではTGC 熊本開催に震災復興、経済、観光などが絡んでいるだろうから、こうした縦割り行政を上手く利用して予算を拠出していくしか手段はないと思う。

 まあ、熊本県では荒尾競馬が2011年に荒尾競馬が廃止され、公営ギャンブルを持っていないから、県下企業売上げベスト10のうちに4社がランキングするパチンコ事業者にでもスポンサーを頼むのだろうか。

 それはともかく、大義に掲げられている「インバウンドによる交流人口の拡大」にしても、果たしてどこまで実効性があるのかは疑わしい。TGCはメーンターゲットをF1層に指定していることから、周辺の大分や鹿児島からも観客を呼び込む狙いもあると思う。チケットをネットで販売し、会場のキャパが1万人とすれば、何%は県外からやってくる計算も成り立つ。

 だが、観客の目的は東京からやってくるモデルやタレント、アーチストを間近で見ること、またそのファッションスタイルをチェックすることにある。それが多少のブランド購入にはつながるかもしれないが、ほとんどがネット購入だろうし、交流人口の拡大と言うのは大袈裟だ。第一、イベントは1日限りで、終了すれば観客はさっさと帰路につく。地元にカネが落ちることはほとんどなく、経済波及効果の数値も行政発表では高めに見積もられているのは想像に難くない。W TOKYO側か、行政側が創り出した口実であって、インパウンドや交流人口ほどのものかは、極めて懐疑的である。


ヤングブランド誘致への布石

 行政からの支援が限られると、あとは地元スポンサーに頼るしかない。その点では、鶴屋百貨店の久我社長の検討・準備委員会の会長就任がポイントになる。あくまで名誉職の域を出ないと思うが、自治体からの予算拠出には限界があるとの前提で、いかに民間からカネを引き出すかの手腕が問われるところだ。

 熊本に出店する百貨店は、岩田屋伊勢丹から熊本岩田屋、くまもと阪神、県民百貨店と名称を変えたターミナル型店が閉店し、鶴屋百貨店1店舗だけになっている。ただ、イオンモールやゆめタウンなどの郊外SC、また福岡市やネット通販といったアウトバウンドにお客を奪われ、厳しい経営環境に置かれている。売上げの6割を占めるファッションで何とか活性化の糸口を見つけたいのが、TGC 熊本の開催に動き出した本心だと思う。

 鶴屋のような地方百貨店のメーン顧客は50代以上だ。いや、60代に入っているかもしれない。TGCがターゲットにするF1層を捕捉しきれていないので、次の顧客獲得の展望も開けず、このままではジリ貧の一途を辿ることになる。一応、別館ではユナイテッドアローズやエディフィス、シップスなどのセレクトショップを展開するが、他の百貨店系アパレルが一様に苦戦している点は、鶴屋も変わりない。

 百貨店経営者としては、TGCに登場するようなスライ、ドロシーズ、スナイデル他のチープかつトレンドを押さえたヤングファッションにも目を向けようとの判断もあるだろう。開催まであと1年半の猶予があるので、TGC 熊本の開催決定をきっかけにブランドメーカーへの出店交渉を進めることだって不可能ではない。これまでも「東急ハンズ」や「ユザワヤ」をリーシングしてきたことを考えると、福岡はじめ他店へのいかに流出を食い止めるか。そうした対症療法しか戦略がない点で、考えるのは目に見えている。

 博多阪急が2011年に開業した時、 こうしたブランドはヤングレディスのコーナー「HAKATA SISTERS」で大々的に展開された。しかも、博多阪急はオープン直後に開催された福岡アジアコレクションに協賛し、ブランドメーカーを通じて衣装提供を行っている。これが HAKATA SISTERSを観客にアピールし、コーナーのロケットスタートに貢献した。鶴屋百貨店がこの二番煎じを考えても不思議ではない。

 鶴屋百貨店はかつて高島屋系グループに所属していたが、競合店の熊本岩田屋〜県民百貨店が閉店したことで、伊勢丹系の全国デパートメントストアーズ開発機構(ADO)に加盟した。それでも、全国的な知名度は低く、ブランドリーシングでは遅れをとっている。
 
 昨年には「百貨店業界にはない考え方を持つクリエイターの視点と手法で、組織を揺り動かしてもらうのが良いのではないか」と、電通と組んで「熊本一愛される店をめざして」をテーマに、自己革新を共に歩む計画をスタートさせている。

 具体的には「全社的な意識改革で、自由闊達で自己改革できる企業づくり」、社外の人間ながら「鶴屋イノベーション・プロジェクト」のリーダーとして、「社員の意識改革」「自己革新を続ける組織づくり」を行うミッションだったが、実効性や結果は出ているのだろうか。出ていないからこそ、客寄せ興行のファッションイベントに手を付けざるを得ないのではないのか。


地元小売り事業者は賛同?

 25日に結ばれた合意書では「ファッションを通じたまちづくり・ひとづくり・しごとづくり」という大義も謳われている。目下、熊本では県民百貨店が閉店した跡地一帯の桜町再開発事業と、JR九州が計画する熊本駅周辺の再開発事業の2つが進んでおり、こちらにはファッション系のテナントも誘致されるから、大義には合致する。だが、どちらもTGC 熊本の初回には間に合わない。連続開催が実現した時を待って、鱗落し的興行をタイアップさせるしかないだろう。

 ただ、上通、下通の商店街や周辺のストリートに出店する中小ファッション事業者にとってはどうなのか。いくらかのリターンがあるのか。結論から言えば、彼らには、TGC 熊本 2019の影響はほとんどなさそうである。これは福岡はじめ他都市のガールズコレクションが全くそうだからだ。

 熊本を代表するベイブルックやパーマネントモダンには、衣装提供の打診があるかもしれないが、販促につながるかどうかはわからない。衣装と言っても商品だけにイベントに提供し、リップやファンデーションで汚されると売りものにならなくなる。そうしたリスクを踏んでまで協力するだろうか。いくら鶴屋の久我社長が地元事業者の賛同を得ようと奔走したところで、自社では商品を買い取っていないわけだから、零細事業者の気持ちなどわかるはずもない。

 こうした諸々の理由からTGC 熊本では震災から復旧・復興をアピールし、全国的な知名度を上げるまでにはならないと思う。結局、小池東京都知事が言う「しがらみ政治からの脱却」ではないが、ハコ物に税金を投入すると批判を受けるから、ひとづくりや交流人口の拡大を名目にして、芸能人にジャブジャブ税金が使われることに変わりないのだ。それを財政的に逼迫する周辺自治体にまで負わせるのは非常に酷な話である。

 しかし、そこにW TOKYOという芸能界とスブズブの関係をもつコーディネーターがつけ込む隙があるということである。大西市長もイベントをやった実績だけが評価され、結果が検証されないではおかしいのではないか。まあ、経済波及効果の数値を高く見積もるのは、行政の常套手段であるが。TGC 北九州にビデオ出演し、TGC 熊本でもオープニングの挨拶を飾るつもりだろうか。実に高島福岡市長と並び、低能な首長の見本である。

 イベント会社や芸能界という特定の団体が自らの懐を温めるために、地域社会と行政を巧みに使い、喰いものにするだけの構図はもっと批判されて然るべきではないか。ファッションを口実にする以上は、あくまで地元ファッション事業者が知恵と力を結集し、お互いに刺激し合う民間事業を創り上げることが重要なはずだ。

 同じようなファッションイベントは各地で開催されているわけで、熊本オリジナルは熊本のファッションを熟知した人間にしかできない。このままではTGC 熊本は岡山から引っ張って来た木下大サーカスと何ら変わらないだけで、終わってしまう。それに異論を唱えることができるのは、地元ファッション事業者と真に地元のことを考える公僕でしかないのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする