HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

屋号は体を表す。

2023-02-22 07:31:34 | Weblog
 買い物客の百貨店離れが顕著になる中、打開策として百貨店をSC(ショッピングセンター)化するのがトレンドになっている。それに伴い、屋号もそれとわかるものに変わっているが、重要なのはターゲット層に対する明確な提案力だ。

 百貨店のSC化は今に始まったことではない。高島屋は1963年、不動産事業に特化する東神開発を設立し、デベロッパー事業に参入した。69年には横浜髙島屋玉川支店を核店舗に、テナントに専門店を集めた「玉川高島屋ショッピングセンター」を開業。東神開発が初めてSCに携わった案件で、この時は屋号と言うより、業態名がそのまま店名となっている。



 高島屋は1996年には東京・千駄ヶ谷に「タカシマヤタイムズスクエア」を出店。この店舗では百貨店とは明らかに違う屋号を用いた。2018年には周辺の再開発に伴なって日本橋店を増床し、テナントを集めた「日本橋高島屋S.C.」を開業(19年)。立川店も同様な構成で「立川高島屋S.C.」(23年1月末には百貨店区画の営業を終了)と改めた。S.C.をショッピングセンターと読めば業態名だが、略してエスシーとすれば屋号とも受け取れる。

 高島屋は今秋、京都店が専門店ゾーンを増床オープンをするのに合わせ、屋号を「京都髙島屋S.C.」に変更する。同社がこぞって屋号に店名+S.C.を使用するのは、百貨店と専門店を合体した商業開発が成功しているとの自信からか。阪急百貨店も今秋に改装を完了する高槻阪急の屋号を「高槻阪急スクエア」に変更する。阪急では本店を除く地方店はSC化することで、何とか生き残ろうという戦略が見てとれる。



 一方、東急百貨店は1月31日、東京渋谷の本店を閉店した。後背には高級住宅街の松濤を抱え、渋谷駅直結の東横店と差別化を図るため、高級ブランドを強化。1989年には複合文化施設Bunkamuraを併設し、アートや演劇、音楽も発信した。しかし、開業から半世紀余り、建物の老朽化が進む中、親会社の東急電鉄などと渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエアなど足元エリアの再開発を進めていることで、55年の歴史にピリオドを打つ形となった。

 跡地には2027年度の完成予定で地上36階、地下4階建ての複合施設が建設され、低層階には商業施設、中層階には高級ホテルなど、上層階には賃貸住宅が整備される計画という。ただ、商業フロアに百貨店が入ろうが入らまいが、渋谷ではその存在が薄れたのは間違いなく、商業フロアの名称も全く別のものになると思われる。



 東京都心では他にも電鉄系、ターミナル型百貨店の再開発が相次いでいる。2022年10月、小田急百貨店は新宿店本館の営業を終了した。親会社の小田急電鉄などが29年度に地上48階建ての高層ビルを建設するが、こちらも百貨店が入居するかは決まっていない。京王百貨店新宿店も再開発ビルに建て替えられる計画だが、百貨店の入居は未定という。

 そもそも私鉄各社がターミナル型百貨店に参入したのはなぜか。それは沿線の住宅開発で鉄道の利用客が増えるため、発着や乗り換え駅の百貨店を設けて買い物してしてもらうためだ。しかし、私鉄と地下鉄が相互に直通運転するようになると、乗り換える必要がなくなり百貨店での買い物客は減っていった。私鉄会社が百貨店を経営するメリットは薄れたのである。

 東急グループのように東京渋谷という街全体の再開発を手がければ、複合ビルに商業施設を組み込みテナントを誘致すれば、賃料収入で収益を稼ぐことができる。ターミナル型ではない松坂屋銀座店ですら、従来の百貨店業態から「GINZA SIX」に業態変更し、賃料で稼ぐSC型に舵を切っている。

 しかし、地方百貨店はそうはいかない。1月31日には北海道帯広市の「藤丸」が閉店した。こちらはメーンの顧客が高齢化したのに加え、帯広駅前周辺には「エスタ帯広」や「イオン帯広」などのSCがあり、消費者の多くがそちらで買い物し新たな客層の開拓が厳しかったからだ。地方は人口減少でマーケット自体が縮んでおり、SCへの業態変更すら難しい。これは今年8月に閉店する函館の「テーオーデパート」にも言えることだ。

 売却問題で揺れるそごう・西武百貨店にしても、地方店のSC転換は容易ではない。仮に主要フロアをヨドバシカメラに押さえられると、百貨店向けのブランドは撤退していくと思われる。ヨドバシカメラが自店と親和性があるテナントを誘致するにしても、ヨドバシ博多の例を見れば、残るフロアの全てを埋めることは難しい。SC化すら厳しい状況だから、施設全体の維持や従業員の雇用を継続してほしいセブン&アイHDの要求にも、暗雲が立ち込める。


SC化でもブランドはスライドさせる

 百貨店がSC化すると言っても、実態ははるか前から不動産業と化していたのだから、それほど不思議ではない。もともと百貨店はブランドのハコ単位で売場を構成し、品揃えも運営もメーカー任せで、在庫リスクも販売スタッフも負わない場所貸しモデルだった。一時、声高に叫ばれた自主MDも、そこまでに踏み込めなかったのは専任人材を育成・確保できず、取り組む経営の意志がなかったことに尽きる。

 百貨店の多くは都市部の好立地に位置し、店舗コストが高い(高額な地価税など)のだから、それを吸収できるだけの高付加価値を創造しなければならない。にも関わらず、場所貸しに浸りきる長年の体質から抜けきれず、バブル崩壊以降は中間層の没落が影響して、多くが事業モデルに終止符を打たざるを得なくなったわけだ。

 百貨店がSC化していく上で、名称をどうするかは経営陣の判断だ。一方、これから百貨店の跡地に誕生する複合ビルでは、商業施設部分にテナントを集積するから、オリジナルの名称が用いられる。また、地方百貨店の再生・リニューアルでも、ビルごと再開発されることになれば、百貨店がサテライト店で残ったにしても、一テナント名でしか語られなくなる。

 SCとなれば、競争力はテナントの顔ぶれと施設全体の運営力にかかってくる。特に大都市では百貨店がSCに変わっても、ファッションを主体に高感度で独自性のあるMDを提案していかなければ競争力を持てない。百貨店時代に増して厳しくなるだろう。




 ただ、メーンターゲットが40代以上であるのは変わらない。だから、他社との差別化や集客力を発揮するには、百貨店時代のブランドを継続して誘致するほか、ショールームに徹する「売らない店」をブラッシュアップできるかにかかってくる。逆にテナントの中には、常時展開はできなくても、ポップアップストアやイベントスペースへの展開で、継続出店が可能かの様子を見るところも出てくるだろう。

 百貨店向けのブランドがスライド移転すれば、デパ地下の和洋菓子、各種惣菜、ワインなどもテナント出店を継続していくと思われる。生鮮や食材などはロスがあるので自主運営での継続は難しく、渋谷スクランブルスクエアのように「紀ノ国屋」などの高級スーパーをテナントで誘致するしかない。

 課題は平場の「洋品」をどうするかだ。ハンカチやスカーフ、マフラーや手袋、ベルト、財布などは、ブランドのセカンドライセンシーであるメーカーなどが商品を製造し納入してきた。こうした商品は地味ではあるが、ヒット商品となればシーズントレンドを表し、百貨店経営のバロメーターにもなっていた。おそらくSCでも一定の売場を確保してスタッフを配置し、メーカーや卸からは商品を納入してもらうのではないかと思う。

 さらに外商顧客はそのまま維持すると思う。また、「新富裕層」と呼ばれるマーケットの攻略も課題となる。東急百貨店は渋谷ヒカリエShinQs内に外商顧客専用のコーナーを新設するが、顧客に対しいかに情報、モノ、コトを提案できるかが問われるところだ。
 
 百貨店が次々と閉店し、完全なSCに衣替えしていくことは、時代の趨勢だから仕方ない。お客にはいろんな思い出があり、それが郷愁を誘うのも理解できる。だが、感傷に浸っても先には進めないし、ビジネスだからドライに割り切ることも必要だ。

 アパレル側とすれば、SCの売上げ状況などを見ながら、新たに百貨店顧客をターゲットにしたブランド開発への取り組みも求められる。百貨店がSCとなれば、それはそれで新たなモノやコトが生まれるし、そうした変化にも期待していきたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

着られないドレス。

2023-02-15 07:32:11 | Weblog
 2月3日、フランスのローカル紙がデザイナー、パコ・ラバンヌの死去を伝えた。と言っても、リアルタイムで同氏のクリエーションに触れたわけではないし、名前を初めて知ったのは専門紙誌やコレクションビデオに触れるようになってからだ。

 同氏が10代後半にパリに渡り、まずは国立芸術学校で建築を学んだこと。クリスチャン・ディオールやバレンシアガでデザイン画を描いていたこと。ファッションデザインを発表するや、前衛的をはるかに超える作品が衝撃を与えたこと等など。活字や映像で、読んだり見たりはしていたが、ある時、「あのドレス」が同氏の作品であることを知った。

 モード誌がいろんなデザイナーの代表作を取り上げ、目に留まったのが「あのドレス」だった。キャプションには「メタルドレス」と記されていた。中央にスタッズを打ったような四角形の金属板(説明ではアルミニウム)を丸カンでいくつも繋いだノーズリーブでミニ丈のワンピース。着ているモデルは違ったが、記憶する「あのドレス」に間違いないと思った。念の為に別の資料をあれこれ探しまくった。

 あのドレスとは、過去にこのコラムでも取り上げたフランス映画「冒険者たち」(1967年)で、ヒロインのレティシアを演じたジョアンナ・シムカスが劇中で着ていたものだ。前衛芸術家として開いた個展時の衣装で、映像では十秒も露出していない。でも、少年の自分にとってはあまりのインパクトで、その後何十年も記憶の中にずっと留まっていた。大人になってからも、この映画を観るたびにドレスの作者が気になった。

 その作者がパコ・ラバンヌだとわかって、もやもやが晴れた気がした。せっかくなので同氏がこうした作品を発表した経緯や制作におけるポイントなども調べてみた。

 パコ・ラバンヌはジバンシィやクリスチャン・ディオール、シャネルなどの宝石をデザインすることからキャリアをスタートした。そして、デザイナーとして掲げたポリシーが「新しい素材で武装するようなものを作りたい」だった。生まれたのはスペインのバスク地方。ちょうど国内が内戦状態だったため、子供心に戦いに負けたくない意識が芽生え、それが作品づくりの根幹を成したのかもしれない。



 1966年、自らメゾンを設立して、布とは違う金属や紙、プラスチックなどのコンテンポラリー・マテリアルを使った「着られないドレス」12着を発表した。その一つが四角形の金属板をつなぎ合わせたメタルドレス(アルミニウム・チェーン・ドレス)。使われた素材は他にも真ちゅうを型押した幾何学的なプレート、いろんな造形が可能なロドイドプラスチック、部材をメーンに活用したシェルやスパンコールと、それぞれがスチール製のジャンプリングで繋がれていた。

 通常の服作りなら、描いたデザインをもとに型紙を制作し、各パーツに沿って布を裁断し、それらを糸で縫って一着の服にしていく。だが、パコ・ラバンヌのクリエーションは、上記の素材を型抜きしてピースを作り、それらをペンチとリングを使って服というか、オブジェに仕上げていくようなもの。中世の騎士や日本の忍者が着用した「鎖帷子/くさりかたびら(chainmail)」を未来的な衣装として再現したと、論評するメディアもあった。

 パコ・ラバンヌも自らの作風について、「ファッションに残された唯一の新境地は、新しい素材の発見です」と語っている。ココ・シャネルは、同氏について「彼はクチュリエではなく、金属労働者だ」と冗談めかして表現した。一方で、同氏のドレスを着用または所有したことがある人々が皆、「ドレスは素晴らしく、美しくフィットします」と語っているところを見ると、ファッションアイテムとしての完成度も優れていたと言える。


復刻ドレスでクリスマス用のモデル撮影

 パコ・ラバンヌのクリエーションは、アートとしても評価を受けている。それが「オプ・アート」という概念だ。オプ(オプチカル)=視覚的な、つまり斜視を利用したようなアート。ドレスのピースにアワビ貝などを丸くくり抜いた(アバロンシェル)ようなディスクを用いると、それらの素材に反射して放たれる自然な色や光沢が眩暈を起こさせるようなことから、心を錯乱させるものとしてアートの領域と解釈されたようだ。

 つまり、オプ・アートをファッションに取り込んで初めて服を作り上げたのがパコ・ラバンヌであり、他ではアンドレ・クレージュ、マリー・クワントが当てはまる。



 映画の衣装では、冒険者たちに次いで1969年にフランス、イタリア、米国の合作で制作された「バーバレラ」でも、パコ・ラバンヌが衣装を担当している。主人公のバーバレラを演じたジェーン・フォンダが着用した近未来的なコスチュームだ。

 物語は宇宙暦紀元4万年、宇宙破壊光線を手に入れた科学者デュラン・デュラン博士を追うバーバレラの身に様々な罠や危険が襲ってくるというB級感満載の作品。原作はフランスのSFコミックで、映画のタイトルを「セックスマシーン」と表記するメディアもあった。オリジナルがエロティックSF劇なので仕方ないのだが、衣装はそれほど印象には残らなかった。



 むしろ、オードリー・ヘップバーンが映画「いつも二人で」で着用したドレス、ブリジッド・バルドーがファッション誌のグラビア撮影で着たコンドル・ドレスの方が印象に残っている。また、フレンチポップスの代表歌手、フランソワーズ・アルディが見事に着こなしたゴールド・ドレスは、ハイライトが効いてまさに衣装という体を成していた。



 一方、黒人モデルとして初めて英国版ヴォーグの表紙を飾ったドニエル・ルナが着たのも、パコ・ラバンヌのドレス。こちらは50セント硬貨大のプラスティックディスクを繋ぎ合わせたものだ。彼女は190cm近い身長で手足が非常に長いことから、ディスクドレスを見事に着こなす姿は、それまで白人オンリーだったファッション誌に楔を打ち込んだ。




 その後、パコ・ラバンヌの作風をそれほど目にする機会はなかったが、2000年くらいにイッセイ・ミヤケのプリーツ・ブリーズから発表されたバッグの「バオバオ」は、見た瞬間に同氏の技法を引用したものと感じた。エナメルや艶消しなどを施した素材を組み合わせて自由自在の形を無限に作り出す。それぞれに光が当たることで、いろんな表情を見せる。まさにアートだ。幾何学の応用で三角形のピースを組み合わせると、平面が立体になっていくから、バッグでは「襠(まち)」の役割にもなる。

 それからさらに10年ほど経ったある日、少年の記憶に残るあのドレスがひょんなことから現代風にアレンジされて、筆者の目の前に現れた。フランスのメーカーがワンパーティドレスのようなアイテムとして商品化したのだ。その写真がメールで送られてきた時、咄嗟にクリスマスプロモーションの撮影に使えると思い、すぐに送ってもらうよう手配した。



 パコ・ラバンヌのドレスなら、前後の身頃、袖などすべてが丸や三角、四角といったピースを繋いで作られている。だから、ドレスの下には肌色の目立たない色のキャミソールを着ることになる。ドレスの表面は金属やプラスチックを多用するから加工に手間がかかり、量産できる服にはならない。

 このメーカーとしては何とか量産化して既製服にするために工夫したのだろう。キャミソールをそのままワンピースに仕立てて、フロントにのみプラスチックのディスクを繋ぐ加工にアレンジした。これならスパンコールなどの装飾と同じで、フロント部分の加工だからそれほど手間がかからず、コスト増にもならない。

 モデルは知り合いの子にお願いし、カメラマンとアングルやライティング、シチュエーションなどを相談して、ロケに臨んだ。装飾は前面しか施されていないので、ライティングを調整しながら、正面、斜め、横といろんな角度で撮影した。当日はピーカンではなかったので、ディスクのハイライトが効かないかと心配したが、カメラマンがうまく絞りを調整してくれて何とかプロモ写真の体裁は取れた。

 少年の日に観た映画の衣装があまりに印象的だったので、潜在意識として残っていたのだろう。着ることができる汎用のドレスを見た瞬間に、自分なりにシチュエーションを組んで撮影したいとの衝動に駆られた。ドレスはモデルの子にプレゼントしたが、友人の結婚式で来てくれたようで、写真をSNSにアップしてくれた。

 ドレスのようなアイテムは立体裁断による造形はもちろん、ピースによる加工法もおしゃれの決め手になると、パコ・ラバンヌの作風を見て感じる。この場を借りて同氏へのオマージュと追悼をしたい。安らかにお眠りください。合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

躓く再生スキーム。

2023-02-08 07:22:48 | Weblog
 セブン&アイ・ホールディングス(HD)が傘下の百貨店、そごう・西武を米ファンドのフォートレス・インベストメント・グループに売却すると発表して2ヶ月が過ぎたが、俄に雲行きが怪しくなってきた。セブン&アイは1月24日、両百貨店の売却を2月から3月中に延期すると発表したが、その後も状況に対する進展はない。

 売却決定以降、フォートレスと提携するヨドバシホールディングス(HD)が西武池袋本店に傘下のヨドバシカメラを出店するとの話が公になった。すると、店舗不動産の一部を保有する西武ホールディング(HD)の後藤高志社長が難色を示し、地元自治体の高野之夫練馬区長も反対を表明。売却、再生の問題はセブン&アイ、ヨドバシの当事者どころか、多くの利害関係者、さらにネット民までが加わって賛否両論が渦巻く事態となった。



 そうした影響も多少はあったようで、池袋本店がそごう・西武の旗艦店であることから、当事者の間で売場構成などの調整が難航しているという。確かにそごう・西武側とすれば、池袋本店は売上高が全国百貨店で第3位(1540億円/2021年度)を誇る優良店だから、できれば百貨店のまま維持したいところ。1〜2階で展開するルイ・ヴィトンやエルメス、ティファニーをはじめ、ブランド化粧品なども顧客がついているので、現在地に売場を残したい意向が強いはず。上層階に移るくらいなら、撤退はやむ無しとなるだろう。

 当事者ではないが、西武HDとしても池袋本店は西武池袋駅の顔で、これが変われば西武ブランド全体にも影響を及ぼすとの懸念があるだろう。後藤社長がヨドバシカメラの出店に難色を示したのも、これが一番の理由に他ならない。足元の練馬区とて、池袋駅の東西には繁華街が広がるが、ある種の猥雑感が溢れ洗練された街といい難い。そのため、高野区長としてはせめて駅に百貨店を残して街のイメージ低下を避けたい思惑があると思う。



 ヨドバシHD側は池袋本店の一部不動産を取得して、主要フロアに家電量販店を出店する計画で、取得額は2000億円を超えると見られている。西武池袋駅に拠点を築ければ、西武沿線のみならず駅の東側からも集客できる。ヨトバシカメラは家電に加えプラモデルなど趣味性の強い商品が多いことを強みに、市場を攻略したい考えのはずだ。

 ヨドバシHDとしては、フォートレスが店舗改装や設備投資に200億円以上を拠出するとは言え、自社で2000億円も投資するだけに失敗は許されない。フォートレス側は自社の投資額をヨドバシHDから回収する狙いと言われる。ヨドバシHDは売場をさらに拡大したい意向があるようで、それが調整を難航させている要因だと思われるが、買い手優位の状況は変わらない。最後はセブン&アイが譲歩することになるのだろうか。

 もっとも、セブン&アイ側が売却の俎上にあげたのは、そごう・西武の全店舗だ。さらに従業員の雇用をどうするかの問題もある。ヨドバシHDが最初に池袋本店に触手を伸ばしたのは立地の魅力があるからだが、池袋本店にこだわり過ぎて他店が蚊帳の外にあるようでは調整をさらに難しくしてしまう。

 振り返ると、ヨドバシカメラは駅近展開の自社店舗で業容を拡大してきた。広大な売場を設けて1つのカテゴリーで豊富なアイテムを揃えるが、商品は探しやすく買いやすい。カメラコーナーでは、カメラ本体と周辺機器なども一緒に展開するなど、提案力もある。そうした点がお客を惹きつけてきたのだ。

 昨今はネット通販にも注力し、値札に付いているバーコードをスマホアプリで読み取ると、サイトにアクセスできて買い物が可能だ。当日午後1時までの注文分は送料無料で日本全国、当日配送となる。また、ネットで注文した商品は秋葉原店をはじめ、梅田店、博多店では夜10時から翌朝9時半までは店頭で受け取れる。繁華街で深夜までお客の往来が絶えない池袋エリアは、是が非でも手中に収めたい立地だと言える。


ヨドバシ地方店でテナント離れが始まった?

 仮にヨドバシHDが西武池袋本店にヨドバシカメラを出店できたにしても、次は西武渋谷店やそごう横浜店の案件が待ち受ける。渋谷は若者の街という性格が強く、東急百貨店本店の閉店に見られるように百貨店離れが顕著だ。しかし、残る西武渋谷店の主要フロアに家電量販店を出店したからと、すぐにお客が付くかどうかはわからない。

 CHOOSE BASE SHIBUYAのD2C家電売場を拡張する手もあるが、ヨドバシカメラでは商品が死んでしまうリスクを孕む。さらに既存のビックカメラやヤマダデンキも渋谷に合わせた商品政策で一定の市場をつかんでおり、これに割って入るのは簡単ではないだろう。

 そごう横浜店は都市高速を挟んだ海側に立地し、JR横浜駅とは直結してない。西武池袋本店のような客動線が見えづらいのだ。また、駅の西側にはヨドバシ・マルチメディア横浜がある。そごう横浜店にヨドバシカメラが出店すれば1エリア2館体制となり、棲み分けをどうするかの問題も浮上する。仮に低層階に家電量販店、上層階にテナントを配置した複合店舗にした場合、駅に直結していないことが集客面で不利にならないのかが懸念される。

 もちろん、そうした課題はヨドバシHDも十分承知しているだろう。だから、立地的に有利な西武池袋本店に真っ先に触手を伸ばしたのである。しかし、その計画が躓いた。最終的にセブン&アイHDが折れると、事は一気に進み出すと思うが、それもまずは都心3店舗が先になる。地方店舗のリニューアルは次の段階であり、百貨店再生と従業員の雇用維持を同時に行うのは容易ではない。



 筆者が住む福岡市では、ヨドバシの再生スキームを揺るがす事態が発生している。ヨドバシカメラ・マルチメディア博多(以下ヨドバシ博多)4階にある専門店街が2月5日に全面閉店したのだ。同店は2002年11月1日に開業。当時は家電戦争が全国に広がり、各社が商品政策やポイント還元などあらゆる手を尽くしてお客の争奪戦を繰り広げていた時期だ。

 ヨドバシ博多はJR博多駅南側の筑紫口通りに面し、駅中央街の西口を出るとすぐに北側の入口から入店できる。家電フロアは主に地階1階から2階の3層(3階にも一部出店)で、3階に衣料品、4階には雑貨や飲食、サービスのテナントが集積。こうしたフロア構成にしたのは、いろんなお客を集めてシャワー効果で家電購入を狙ったものと思われる。博多駅周辺には他に家電量販店はないことから、一人勝ちの状態になると目されていた。

 しかし、結果的には家電の目的のお客しか集められず、4階の専門店街は苦戦を強いられていた。ヨドバシカメラは趣味性の強い商品も多く、テナントでは「アキバ系」の商材を扱うところとの親和性が強い。いわゆるがオタク向けだ。だが、福岡のような地方都市では東京秋葉原ほどの市場規模はなく、ネット通販が受け皿となったことで、実店舗ニーズは限られた。

 2011年には北側の博多口にJR博多駅ビルが完成し、駅ビルのアミュプラザ博多や百貨店の博多阪急が出店した。こちらではアパレルから雑貨、スイーツや飲食、サービスまでと洗練されたテナントが揃い、2016年には隣接するビルに博多マルイもオープンした。となると、筑紫口は居酒屋などが集積する横丁感がより濃くなり、博多口とは対照的になった。



 ヨドバシ博多はむしろそんなイメージとシンクロするのだが、専門店街のテナントは「ヴィレッジヴァンガード」「グランサックス」「TAKA-Q」「タイトーFステーション」などでオタク向けにはほど遠い。市場的にアキバ系へのニーズが限定的なため、このような構成になったと思うが、それがヨドバシカメラとの相乗効果を欠いたとも言える。要はテナントの顔ぶれが中途半端なのだ。それはヨドバシカメラにとって諸刃の剣でもある。

 ヨドバシHDがそごう・西武を買収する以上、各百貨店の主要フロアに家電量販店、残りはヨドバシと親和性があるテナントを集積する方向でいくと思う。「ヨドバシ百貨店」となると、そごう・西武が抱える外商客を繋ぎ止めるのは難しく、新富裕層と呼ばれる新たな客層へのアプローチも滞る。百貨店事業が崩壊する可能性もあるのだ。

 ヨドバシカメラは本流を貫くことしかできないだろうし、同店のターゲットも洗練されたテナントや商品を望んでいるわけではない。なおさら、そごう・西武の地方店では、主要フロアを家電量販店に押さえられると、百貨店向けのブランドは撤退していくと思われる。だが、ヨドバシ博多を見れば、新たに残りのフロアを埋めるだけのテナントが集まるとは考えにくい。百貨店の再生と従業員の雇用が継続されることに暗雲が漂う。

 ヨドバシカメラは駅近展開と安売りでのしあがってきており、百貨店に不可欠な付加価値の創造のノウハウがあるわけではない。ヨドバシHDにも百貨店経営に乗り出せるほどの人材がいるとは思えないし、セブン&アイが売却を延期したことを見れば、裏で手を引くファンドもなす術がなかったと解釈できる。百貨店の復権、発展のカギと言われる裕福な外国人観光客や国内の富裕層は、必ずしもヨドバシカメラのターゲットとは一致しないのだ。

 家電業界を見ると、郊外のフリースタンディングで業界トップに躍り出たヤマダデンキでさえ、近年は家具や住宅リフォームに手を広げ、SCにも出店。さらに使用済み家電を自社工場で再商品化し、リユース家電として販売するまでになっている。家電を売り切るだけのモデルでは収益確保が厳しくなっているのだ。

 そんな状況下で、ヨドバシHDが地方百貨店の立地で新たに顧客を生み出し維持していくことができるかと言えば、全く不透明である。そごう・西武の売却問題は落とし所は簡単に答えが出るはずもなく、これから難局が待ち受けていると言っても過言ではない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コレなら、高くない。

2023-02-01 07:26:06 | Weblog
 1月6日、良品計画が発表した2023年8月期の第1四半期短信(22年9月1日〜11月30日)では、営業収益は新規出店に伴い増収だったが、営業利益は対前年比で54.9%も減少(50億2100万円)した。

 その要因は原材料の高騰やサプライチェーンの混乱。そして、急激な円安による仕入れ価格の上昇もある。そのため、良品計画は1月13日には値上げに踏み切った。さらに2月3日にも値上げ第2弾を実施する。春夏商品の2割が対象で、値上げ幅は平均で25%。カテゴリーは大型家具からプラスチック収納、布製品、食品、生活雑貨までに及ぶ。

 昨年10月、堂前宣夫社長は2022年8月期連結決算発表で、純利益が前期比28%減(245億円)だったことを受け「商品力、品揃えの強化を進める」と公言。衣料品では同年秋冬物から商品開発部にアパレル経験のデザイナー職を増やし、生活雑貨についても体制を強化すると明らかにした。また、工場直取引の比率を24年8月末までに約8割に高めて原価低減を図りながら、残糸などを活用した商品の開発を進めるなど、矢継ぎ早に対策を打ち出した。

 それからわずか4ヶ月という身近い期間では、まだまだ成果が出るとはいかない。一方で、原材料の高騰や円安への対策は限界に来ている。商社依存の生産体制を見直し、コスト圧縮に努めて価格を維持してきたが、ついに利益率を改善するための値上げに踏み切らずを得なかったということだ。



 もちろん、単なる値上げでは客離れを招いてしまう。そこで、値上げ商品とは別に価格を維持した新商品を投入する。水洗いしても乾きやすい素材の「ベッドシーツ」がそれだ。綿製品のシーツは値上げの対象となるため、無印良品が得意とするジュート、竹といった安価な天然素材を活用して乗り切る構え。ただ、これから寝苦しい夏場を迎えることを考えれば、綿以外の素材が消費者にどこまで受け入れられるかは不透明だ。

 家具は商品の回転も鈍く、一度購入すればなかなかリピーターとはいかない。そのため、価格競争はせずに月額定額サービス、いわゆる「サブスク」を導入する。また、不要になった家具の引き取りや修理、ヴィンテージや中古家具の販売にも乗り出す。経営不振に陥った大塚家具の例を見るまでもなく、家具販売は店舗運営費など高コスト構造がネックになっている。かたや売れるアイテムはライフスタイルの変化が影響し、テーブルやソファ、ベッド、学習机、カーテンなどの消耗品と限定的だ。

 サブスクの導入は、「部屋の模様替えのために家具を買い替えるのは大変だが、定額性ならやってみたい」という消費者心理を捉えたものと言える。また、そのまま使い続けることもできるというから、家具全体の動きを見ながら生産や供給網にもフィードバックして、家具の製造販売について最適化を図る狙いもあるだろう。

 また、無駄な廃棄を抑えるSDGsの流れからすれば、粗大ゴミになりやすい家具は再利用して循環させた方がいい。こうした姿勢は消費者から支持を集め、海外投資家からも好感触を得られるとの判断もあったと思う。

 これまであまり表に出なかった脱炭素への取り組みも始めた。無印良品の生活雑貨ではプラスチックを使用した商品も少なくない。そこで、代わりに紙を使用したり、リサイクル商品に変更する。全店でプラスチック商品の回収や黒色リサイクルプラスチックの販売を進めながら、他社と共同で事業化に取り組む試みもスタートした。


半数を入れかけた衣料品企画チームに期待

 無印良品が変わったと思えるには、まず安さを全面に出しすぎた衣料品の立て直しだ。昨年の決算発表時、堂前社長は「22年の秋冬物からアパレル経験者のデザイナー職などで中途社員を増やし、商品開発に関わる人員の半数を入れ替える」と、テコ入れに言及した。



 その効果が出たのかどうかはわからないが、このコラムで取り上げた機能性インナーの「あったか綿」シリーズは、全体の売上げを押し上げるヒット商品に躍り出ている。このカテゴリーには各社が参入しており、保温性、価格に次ぐ差別化がカギになっている。その点で他社の合繊混紡に対抗し、無印良品は「綿100%」で勝負に出たわけだ。これがうまく奏功したと言えるのではないか。



 中でも、筆者が注目したのは「厚手ロングタイツ(1490円)」。価格は他社の1.5倍〜2倍だが、12月の中旬に福岡大名店はすでに品薄で、キャナルシティ店でも韓国人旅行者がまとめ買いしていた。通販サイトでも黒のL、LLは完売していたので、慌てて購入した。穿いてみると、保温力にそれほど差はないが、フィット感は上々で肌ざわりもいい。売れているのは、綿100%で静電気やアレルギーの心配がないこともあるだろう。

 アパレル市場を見渡すと安い商品は溢れている。だから、差別化するならコスト増で価格が多少割高になっても、「お客に求められる商品」を開発せざるを得ない。機能性インナーは綿100%と保温機能の両立がが決め手になり、お客を見事に捉えたと言える。こうしたことから他のアイテムでも「天然素材」と「ミニマル(シンプル)」という無印本来の企画に立ち返るべきではないかと思う。

 トレンドはルーズやリラックスに揺り戻している。無印良品も「Labo」では「性別や年齢、体型に関係なく着用できるサイズ感の服」をコンセプトに商品を企画しているが、このカテゴリーは普段着やホームウエアの延長線でしかない。だから、需要を再活性する意味でリブランディングというか、別のカテゴリーとして多少「オン」「オフィシャル」テイストに振った商品を企画してもいいのではないか。

 昨年、紳士服のアオキはパジャマスーツを発売した。合繊でケアが楽、オン対応にも向く条件が重なり大ヒットした。ただ、無印の企画担当者がこれを焼き直すくらいなら、何のためにアパレル経験者を採用したのかわからない。むしろ、天然素材で肌触りよく、生地に「コシハリ(質がいい)」があり、「ケアが楽(洗濯が効く)」で「シワにならない」くらいの欲張った企画でないと差別化にはならない。

 デザインに凝ったり、装飾を施したりは、ラグジュアリーやデザイナーブランドに任せればいい。無印良品に必要なのは素材にこだわり、ミニマルなデザインで、品質をキープしたもの。アイテムはジャケット、シャツ、パンツ、ニット&カットソーで、素材は綿、綿麻、綿ウールで十分。だから、誰もが着られるのである。

 企業規模からして素材開発から行うのは、決して難しくないはず。その辺のベクトルで新たなアイテムを作り出すことが無印良品の衣料品を強化することだと考える。「コレなら、高くない。」がキャッチコピーとなるような商品群だ。他社にない企画としてはミニマルながら、スタイリッシュでシャープなデザインに仕上げてもいい。それならファッション感度が敏感なフランスやイタリアで先行販売してテストマーケティングするという手もある。



 アパレル以外では、「日用品や消耗品への注力」と「地域密着」という目標を掲げるが、どうなのだろう。日用品や消耗品への注力として、昨年9月末にJR三鷹駅に出店した「無印良品500(500円以下の商品もある)」を2023年2月末までに都心主体に27店舗、その後年20店舗のペースで出店する計画という。

 だが、このゾーンにはすでにダイソーの「スタンダードプロダクツ」、パルグループの「3COINS」など競合がひしめく。価格が割高な無印良品から100円ショップに流れたお客が300円の壁を超えて、舞い戻るとは思えない。無印良品にとっての勝算は厳しいだろう。



 地域密着は、昨年11月に東京・板橋にオープンした「無印良品板橋南町22」を試金石にするようだ。しかし、こちらも地元スーパーに慣れ親しんだお客を無印ブランドだけで呼び寄せるのは容易ではない。なおさら生鮮、青果の充実度では、どうしてもスーパーの後塵を拝してしまう。識者の中には、店内のイートスペースで無印良品が充実する「レトルトカレーなどを食べられるようにすれば武器になる」との意見があるが、どうなのか。

 イートスペースと言っても、どこまでの客層を狙うかでメニューも、調理法も異なる。温め程度のレトルト調理ならまだしも、きちんとした料理を出すには店内厨房(ガス配管なのかか、オール電化かで設備コストが変わる)が不可欠で、出店投資が嵩む。お客の滞留時間を伸ばせて、客単価をアップできるかは未知数だ。まずは無印良品が変わったとお客にいい意味で感じてもらえること。優先順位をつけながら実践していくしかない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする