衣・食・住と言えば、生活に必要な基本要素だ。筆者はこれまで衣には仕事で携わり、食は趣味として実践し、住は仕事部屋のインスタレーションから自宅の模様替えと、いろいろ楽しんできた。ただ、衣にしても食にしても住にしても高等専門教育を受けたわけではない。
衣は仕事を通じてメーカーや工場から技術的なことを教わりつつ、自分でも専門書を読みあさってデザインやパターンのノウハウを少しずつ習得できた。食についてはいろんな創作メニューに挑戦しながら素材の使い方や味を工夫した料理を作り、家族や友人に満足してもらえるようになった。そして、住は住まいを設計するとはいかないが、事務所や自宅のインテリアを自分でデザインし、素資材を調達して組み立てるまでになった。
政府はリスキリング(学び直し)を提唱し、メディアも盛んに喧伝している。自分では可能なら学び直したいというか、関心を持っている分野が建築だ。子供の頃から都市生活が好きで、社会人になっても職と住を接近させて暮らしてきた。特に最近は社会生活に必要な基本要素で、最も重要なものは住ではないかと考えるようになった。都市生活を学問として突き詰めると、どうなのか。このテーマならリスキリングをやってもいいかなと思う。
親の代からの持ち家があっても、就職や進学、結婚を考えると住み続けるのは難しい。賃貸だと住む物件は収入や仕事、家族に左右される。居住のスペースは独身、夫婦、家族で変わっていき、居住地が定まらないと就職することも、子供の教育を受けることもできない。何より住は衣や食よりお金がかかる。空間設計やデザインから生活や家族の態様、社会との関わり、そして莫大な費用を賄うための金融まで、いろんな事情が関わってくる。だからこそ、学問としての価値は高く、リスキリングのテーマになるのではないかと思うのである。
新たに学ぼうとしている対象ではないが、以前から興味があって情報が露出するたびにチェックしてきた建築物がある。建築家の黒川紀章が設計し、1972年に完成した。「中銀カプセルタワービル」だ。このビルを初めて見たのは高校生の時。父親がおりにつけ黒川紀章の話をすることがあり、家族で銀座に出かけた時に完成して数年後のビルを見た。当時は外から見ただけで「変わったビルだけど、モダンだな」との印象を受けただけだった。
その後、新橋に行った時はあえてわざわざ銀座まで歩き、ビルの前を通りながら変貌ぶりを見てきた。室内を見学させてもらおうと、一度知り合いのつてで見せてもらったことがある。オープンリールの録音機など壁に埋め込まれた調度品は斬新だったが、居住スペースは意外に狭く、丸窓一つでは採光も部屋によっては限界があると感じた。
ちょうどその頃、雑誌で「メタボリズム」という運動を知った。ニューヨークに行く前には、ここを事務所にして生活も一緒にしたらどんな暮らしになるのだろうかと、思いを巡らせたこともある。福岡に戻ると、中心部天神界隈に事務所を持つことができ、中銀カプセルタワービルよりも広くて十分な彩光の部屋を借りることができた。
中銀カプセルタワービルは、住居用のカプセルが一つ一つユニットとして独立しており、合計140ユニットで構成されていた。メタボリズムはビルの設計思想でもあり、社会の変化や経済の成長に合わせてカプセルはコピーし、量産を可能とするものだった。だから、老朽化すればカプセルごと取り外して、電気や電話の線、水道管などと一緒に交換する、つまり新陳代謝できる建築物として考えられていたのである。
もし、中銀カプセルタワービルで生活したら、今より不便を強いられたかもと考えるようになった。それでも、「黒川紀章氏はなぜ中銀カプセルタワービルを設計したのか」「そのベースにあるメタボリズムという建設運動の目的とは」「カプセルは新陳代謝されることなく、解体されることになったのか」等など。学問としてはデザイン工学というか、建築社会学というか。純粋に学ぶ価値はあると思っている。
持たざる生活の学術的価値をどう切り開くか
ところが、実際には建設から50年が経過し、老朽化が進んだため解体が叫ばれるようになった。一方、保存を望む元住民らで作る「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」が結成された。インターネットで様々な活動内容を発信していった。大学の研究者も解体前に学術研究の対象として調査を実施し、資料を集めていった。筆者も解体はやむを得ないと思いつつ、カプセルを保存・再生する活動に賛同した。
プロジェクトからは以下のような経過報告が発表された。「約35年間大規模修繕がおこなわれず、安全性の問題が無視できない状況を管理組合やオーナーと話し合いをおこない敷地売却決議に合意しました」「このまま解体されてしまうと、メタボリズム思想の代表的建物が失われてしまいます。少しでも後世にこの思想を継承できるように、買受企業と協議をおこない、複数カプセル(最大139カプセル)の取得に合意をいただきました」「解体時にはそのカプセルを取り外し、株式会社黒川紀章建築都市設計事務所の協力により再生します」(抜粋)
ビル自体を存続することはできなかったが、カプセルを再生、保存することができたのは何よりだ。内外装などの修繕を施し再生したカプセルは、希望する美術館や博物館に寄贈される。また、カプセルの魅力を伝えるために「泊まれるカプセル」を全国で展開するために商業施設や宿泊施設を中心に協業先が開拓されている。
大学との共同研究も進んでいる。保存プロジェクトは芝浦工業大学の手を借り、レーザースキャナーと3Dカメラ、一眼レフカメラを併用して撮影し、複数カプセルの三次元データを収集した。レーザースキャナーはライカ製で、共用部にも十分対応できるスペックだ。東京ビッグサイトで開催された「トレーラーハウスショー」では、工学院大学の鈴木敏彦教授がカプセルの一つをトレーラーカプセルに再生。物置メーカーのヨドコウが協賛し「YODOKO+トレーラーカプセル」として出品された。
今年秋には松竹が2カプセルを再活用した新スペース「シャトル」を東銀座にオープンする。歌舞伎座や築地の近くだから、これはぜひ出張時には見学してみたい。先日は近現代の美術や建築などの世界的な収蔵品で有名な米サンフランシスコ近代美術館にカプセルが収蔵された。同美術館は「実験的な建築。世界の建築史にとって重要」と、収蔵の理由を説明するが、住空間が柔軟かつ容易に作り変えられるという考えが評価されたのは間違いない。
世の中にはいろんな住生活がある。郊外の一戸建てに住んでマイカーを持ち、家族との生活を第一に考える人。都心のタワマンをベースに通勤距離を短縮し、学校や病院、スーパーなど利便性を享受する人。マンガやフィギュア、アイドルの“推し”が住の一部になっている人。最近は徒歩で通勤するために都心の狭小住宅で暮らす若者もいる。一方、テレビ番組の影響や地方の活性化から田舎暮らし、自給自足的なライフスタイルにもスポットが当たっている。
政府は少子化に歯止めがかからないため、異次元の少子化対策を打ち出した。だが、こればかりは一人一人のライフステージはもとより、生活スタイルや生き方、将来設計やキャリア形成などの価値観が関わるので、対策が一律に奏功するとは考えにくい。また、国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本は12年後の2035年には15歳以上の人口に占める「独身者(未婚+離別死別者)」の割合が男女合わせてほぼ48%に達するという試算がある。
未婚化・非婚化に加え、離婚率の上昇や配偶者の死別による高齢単身者の増加など、ソロ社会の方が急速に進行しているのだ。それを悲観的に捉えても仕方ない。ならば、独りにあった「コンパクトな暮らし」も考えていくべきではないか。それは都市と地方で違ってくると思うが、都市生活では衣服はなるべく長く着られるものを最低限所有して、調度品もスペースに合わせてセーブし、食も1週間程度の備蓄に抑えていくというミニマムライフだ。それが「終活」ともセットになれば、周囲に迷惑をかけずに済む。
政府は老朽化マンションの建て替えについての建て替え決議を5分の4から4分の3か、それ以下に引き下げようとしている。背景には所有者不明や管理が困難になっていることがある。ただ、建て替えるにしても残る高齢単身者がどれほどのスペースを必要とするのか。足腰が衰えや災害を考えると2階建て以上は厳しい。こうした課題も新たに生じてくる。まさに建築社会学の領域である。
コロナ禍で普及したテレワークも、PCとネット回線と机があればできると考えるのは短絡的だろう。やはり、そこでは住環境の改善・整備と並行して、コンパクトな生活も議論しなければならない。都市生活、職住接近、コンパクトライフ。筆者はそれにファッションスタイルも加味して行きたい。それらに意義を与えるには学術的知見も必要だから、リスキリングのテーマにも十分なり得ると思うが、果たして。
衣は仕事を通じてメーカーや工場から技術的なことを教わりつつ、自分でも専門書を読みあさってデザインやパターンのノウハウを少しずつ習得できた。食についてはいろんな創作メニューに挑戦しながら素材の使い方や味を工夫した料理を作り、家族や友人に満足してもらえるようになった。そして、住は住まいを設計するとはいかないが、事務所や自宅のインテリアを自分でデザインし、素資材を調達して組み立てるまでになった。
政府はリスキリング(学び直し)を提唱し、メディアも盛んに喧伝している。自分では可能なら学び直したいというか、関心を持っている分野が建築だ。子供の頃から都市生活が好きで、社会人になっても職と住を接近させて暮らしてきた。特に最近は社会生活に必要な基本要素で、最も重要なものは住ではないかと考えるようになった。都市生活を学問として突き詰めると、どうなのか。このテーマならリスキリングをやってもいいかなと思う。
親の代からの持ち家があっても、就職や進学、結婚を考えると住み続けるのは難しい。賃貸だと住む物件は収入や仕事、家族に左右される。居住のスペースは独身、夫婦、家族で変わっていき、居住地が定まらないと就職することも、子供の教育を受けることもできない。何より住は衣や食よりお金がかかる。空間設計やデザインから生活や家族の態様、社会との関わり、そして莫大な費用を賄うための金融まで、いろんな事情が関わってくる。だからこそ、学問としての価値は高く、リスキリングのテーマになるのではないかと思うのである。
新たに学ぼうとしている対象ではないが、以前から興味があって情報が露出するたびにチェックしてきた建築物がある。建築家の黒川紀章が設計し、1972年に完成した。「中銀カプセルタワービル」だ。このビルを初めて見たのは高校生の時。父親がおりにつけ黒川紀章の話をすることがあり、家族で銀座に出かけた時に完成して数年後のビルを見た。当時は外から見ただけで「変わったビルだけど、モダンだな」との印象を受けただけだった。
その後、新橋に行った時はあえてわざわざ銀座まで歩き、ビルの前を通りながら変貌ぶりを見てきた。室内を見学させてもらおうと、一度知り合いのつてで見せてもらったことがある。オープンリールの録音機など壁に埋め込まれた調度品は斬新だったが、居住スペースは意外に狭く、丸窓一つでは採光も部屋によっては限界があると感じた。
ちょうどその頃、雑誌で「メタボリズム」という運動を知った。ニューヨークに行く前には、ここを事務所にして生活も一緒にしたらどんな暮らしになるのだろうかと、思いを巡らせたこともある。福岡に戻ると、中心部天神界隈に事務所を持つことができ、中銀カプセルタワービルよりも広くて十分な彩光の部屋を借りることができた。
中銀カプセルタワービルは、住居用のカプセルが一つ一つユニットとして独立しており、合計140ユニットで構成されていた。メタボリズムはビルの設計思想でもあり、社会の変化や経済の成長に合わせてカプセルはコピーし、量産を可能とするものだった。だから、老朽化すればカプセルごと取り外して、電気や電話の線、水道管などと一緒に交換する、つまり新陳代謝できる建築物として考えられていたのである。
もし、中銀カプセルタワービルで生活したら、今より不便を強いられたかもと考えるようになった。それでも、「黒川紀章氏はなぜ中銀カプセルタワービルを設計したのか」「そのベースにあるメタボリズムという建設運動の目的とは」「カプセルは新陳代謝されることなく、解体されることになったのか」等など。学問としてはデザイン工学というか、建築社会学というか。純粋に学ぶ価値はあると思っている。
持たざる生活の学術的価値をどう切り開くか
ところが、実際には建設から50年が経過し、老朽化が進んだため解体が叫ばれるようになった。一方、保存を望む元住民らで作る「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」が結成された。インターネットで様々な活動内容を発信していった。大学の研究者も解体前に学術研究の対象として調査を実施し、資料を集めていった。筆者も解体はやむを得ないと思いつつ、カプセルを保存・再生する活動に賛同した。
プロジェクトからは以下のような経過報告が発表された。「約35年間大規模修繕がおこなわれず、安全性の問題が無視できない状況を管理組合やオーナーと話し合いをおこない敷地売却決議に合意しました」「このまま解体されてしまうと、メタボリズム思想の代表的建物が失われてしまいます。少しでも後世にこの思想を継承できるように、買受企業と協議をおこない、複数カプセル(最大139カプセル)の取得に合意をいただきました」「解体時にはそのカプセルを取り外し、株式会社黒川紀章建築都市設計事務所の協力により再生します」(抜粋)
ビル自体を存続することはできなかったが、カプセルを再生、保存することができたのは何よりだ。内外装などの修繕を施し再生したカプセルは、希望する美術館や博物館に寄贈される。また、カプセルの魅力を伝えるために「泊まれるカプセル」を全国で展開するために商業施設や宿泊施設を中心に協業先が開拓されている。
大学との共同研究も進んでいる。保存プロジェクトは芝浦工業大学の手を借り、レーザースキャナーと3Dカメラ、一眼レフカメラを併用して撮影し、複数カプセルの三次元データを収集した。レーザースキャナーはライカ製で、共用部にも十分対応できるスペックだ。東京ビッグサイトで開催された「トレーラーハウスショー」では、工学院大学の鈴木敏彦教授がカプセルの一つをトレーラーカプセルに再生。物置メーカーのヨドコウが協賛し「YODOKO+トレーラーカプセル」として出品された。
今年秋には松竹が2カプセルを再活用した新スペース「シャトル」を東銀座にオープンする。歌舞伎座や築地の近くだから、これはぜひ出張時には見学してみたい。先日は近現代の美術や建築などの世界的な収蔵品で有名な米サンフランシスコ近代美術館にカプセルが収蔵された。同美術館は「実験的な建築。世界の建築史にとって重要」と、収蔵の理由を説明するが、住空間が柔軟かつ容易に作り変えられるという考えが評価されたのは間違いない。
世の中にはいろんな住生活がある。郊外の一戸建てに住んでマイカーを持ち、家族との生活を第一に考える人。都心のタワマンをベースに通勤距離を短縮し、学校や病院、スーパーなど利便性を享受する人。マンガやフィギュア、アイドルの“推し”が住の一部になっている人。最近は徒歩で通勤するために都心の狭小住宅で暮らす若者もいる。一方、テレビ番組の影響や地方の活性化から田舎暮らし、自給自足的なライフスタイルにもスポットが当たっている。
政府は少子化に歯止めがかからないため、異次元の少子化対策を打ち出した。だが、こればかりは一人一人のライフステージはもとより、生活スタイルや生き方、将来設計やキャリア形成などの価値観が関わるので、対策が一律に奏功するとは考えにくい。また、国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本は12年後の2035年には15歳以上の人口に占める「独身者(未婚+離別死別者)」の割合が男女合わせてほぼ48%に達するという試算がある。
未婚化・非婚化に加え、離婚率の上昇や配偶者の死別による高齢単身者の増加など、ソロ社会の方が急速に進行しているのだ。それを悲観的に捉えても仕方ない。ならば、独りにあった「コンパクトな暮らし」も考えていくべきではないか。それは都市と地方で違ってくると思うが、都市生活では衣服はなるべく長く着られるものを最低限所有して、調度品もスペースに合わせてセーブし、食も1週間程度の備蓄に抑えていくというミニマムライフだ。それが「終活」ともセットになれば、周囲に迷惑をかけずに済む。
政府は老朽化マンションの建て替えについての建て替え決議を5分の4から4分の3か、それ以下に引き下げようとしている。背景には所有者不明や管理が困難になっていることがある。ただ、建て替えるにしても残る高齢単身者がどれほどのスペースを必要とするのか。足腰が衰えや災害を考えると2階建て以上は厳しい。こうした課題も新たに生じてくる。まさに建築社会学の領域である。
コロナ禍で普及したテレワークも、PCとネット回線と机があればできると考えるのは短絡的だろう。やはり、そこでは住環境の改善・整備と並行して、コンパクトな生活も議論しなければならない。都市生活、職住接近、コンパクトライフ。筆者はそれにファッションスタイルも加味して行きたい。それらに意義を与えるには学術的知見も必要だから、リスキリングのテーマにも十分なり得ると思うが、果たして。