HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

コラボは諸刃の剣。

2022-09-28 06:36:55 | Weblog
 前回はザラのコラボ企画について書いた。文中でユニクロの+Jと比較したが、むしろ同社の方が「特別コレクション」と題し、いろんなコラボ企画を打ち出している。(https://www.uniqlo.com/jp/ja/spl/collaboration)

 モデルのイネスが体現するフレンチ・シックをテーマにした「INES DE LA FRESSANGE」。クリストフ・ルメールがディレクターを務めるオリジナルの「Uniqlo U」。シンプルながらカラフルな色使いが特徴の「UNIQLO and MARNI」。英国出身のデザイナーHANA TAJIMAとの「HANA TAJIMA FOR UNIQLO」。レディスインナーの「Uniqlo and Mame Kurogouchi」。顔ぶれはビッグネームから新進までと多彩だ。

 ただ、契約できるかは、あくまでユニクロの統一したコンセプトから大きく外れないのが条件のように見える。+Jのジル・サンダーのように一旦契約を終了したのち数年を経て復活したのは、オリジナルがミニマリズムを追求し、ベーシックなアイテム、シンプルなデザインを追求するユニクロと、生産背景などを含めてシンクロできるからだ。これはUniqlo Uのクリストフ・ルメールにも共通すると思われる。

 だが、それだけでは店頭には似たような商品が溢れ、お客に飽きられたり、新たなお客を集客できずに売上げが頭打ちになる。だからと言って、レギュラー商品のデザインを大きく変えれば、逆に固定客を失うリスクがあり、これも難しい。そこで、低リスクで毛色を変えることができる新たなデザイナーとのコラボ契約に頼ってしまうのだ。2017年にスタートした「UNIQLO and JWANDERSON」もそうだろう。

 デザイナーのアンダーソンは、2013年からLOEWEのディレクターも務めているが、多彩な素材使いやカラフルな配色などの遊び心がユニクロとの相性が悪かったようで、+Jに次ぐ二匹目のドジョウにはならなかった。6シーズン目となる今秋冬は、9月26日時点で新商品はラインナップされていない。結局、商品政策にメリハリをつける狙いで著名なデザイナーとの契約に踏み切っても、ユニクロ本体との親和性を欠けば、相乗効果を生まずに売場の片隅で埋没してしまう。コラボ企画は「諸刃の剣」でもあるのだ。

 そんな中、今シーズンの注目と言えば、「HELMUT LANG」とのコラボだろうか。(https://www.uniqlo.com/jp/ja/special-feature/helmutlang/22fw)ラング自身はオーストリアのウィーン出身で1995年、筆者が在住していたニューヨークに旗艦店をオープンし、98年には本社まで移している。90年代、NYファッションの特徴とも言えるミニマルなスタイルを確立した一人だ。2000年には、建築家のリチャード・グラックマンとコラボしたフレグランスショップをソーホー地区のグリーンSt.に出店。ブランドビジネスの王道路線に舵を切った。





 ラングを代表するアイテムと言えば、シーンズ。特にランダムにペンキを撒き散らしたデザインは当時、「アクションペインティング」と呼ばれ、コレクションで注目を集めた。しかし、他のアイテムはコートにしても、ジャケットにしても、パンツにしても、余分な装飾を排したデザインゆえに、シーズン毎でそれほどの変化が見られない。そのため、2010年代に入ると、ブランドとして次第に勢いを失っていった。

 逆にそうしたミニマリズムに注目したのが、ユニクロの親会社であるファーストリテイリングだ。ユニクロのジーンズは5000円以下でありながら、上質な素材を使用し一定のマーケットをつかんでいる。一方で、ジーンズ専門の「J BRAND 」は、10000円前後の高価格で売り出したものの、売上げ好調とは言い難かった。ユニクロ単独による高価格ジーンズのブランド戦略がうまくいかない中で、実績を持つHELMUT LANGはファストリにとって、セオリーなどと並んでM&Aの格好の対象となったわけだ。


当たり前だが、コラボだからと売れるわけではない



 HELMUT LANGとのコラボは、「UNIQLO and HELMUT LANG」のブランド名で、クラシックジーンズを現代風に蘇らせたもの。幅広い年代を狙うためか、ユニセックスのサイズ展開で股上は深めだ。ラング本人がどこまで監修したかは別にしてステッチ、ボタン・リベットは、身生地に馴染むカラー(オフホワイト、ブラック、ブルー)を採用。デニム地にはリサイクルやオーガニックのコットン、ボタン、リベット、縫製糸にはリサイクル素材を使用するなど、ユニクロ初の試みにも挑戦している。



 ユニクロの公式オンラインショップをはじめ、セオリーやプラステのそれでも先行販売されており、9月26日(月)午前中から一部の大型店でも販売が始まった。ユニクロのサイトで流れているプロモ動画を見る限りでは、オーソドックスなレギュラーフィットのジーンズに見える。ただ、男女のモデルともレングスを調整していないため、裾がもたついている。

 現物を確かめようと、取り扱い店であるキャナルシティ博多店を訪れた。価格は9990円と、レギュラージーンズの2倍だ。素材にリサイクルやオーガニックのコットンを使用していると言っても、張りとこしがあるオーセンティックデニムの風合いをもつ。穿きこんでいくうちに肌に馴染んでいくことを想定した生地使いと思われる。個人的にはブラックやブルーより、ややグレイッシュで他のメーカーにはない色合いからオフホワイトが気に入った。



 ただ、シルエットがレギュラーフィットなので、メンズ、レディスとも細身の体型なら、ロールアップしてややルーズに穿けば様になる。中高年は股上が深いから穿きやすいとは思うが、その場合はレングスを調整し、サイズをヒップに合わせて下肢にフィットさせることが肝心だ。材料にリサイクル素材を使用したことが高価格となった理由にせよ、ジーンズとしてはHELMUT LANGの個性が見えず、中途半端な仕上がりになっている。

 1万円をはたいてオーセンティックデニムのジーンズを選ぶか。4990円で色やシルエットが豊富なレギュラージーンズを選ぶか。ブランド関係なしに、長く穿いて色落ちと風合いを楽しむなら、買ってもいいかと思うが、大半のお客はそこまで考えないと思う。筆者はニューヨークで購入した「Calvin Klein Jeans」を何年も穿いていた。高級ブランドで素材は良く、カッティングやディテールデザインも秀逸。価格に見合うだけのファッションパフォーマンスが得られた。

 ちょうど2000年くらいに日本でも、HELMUT LANGのジーンズが流行したが、Calvin Klein Jeansをタンスから引っ張り出して穿いていると、知り合いの若者から「それ、ラングジーンズですか」と勘違いされた。ニューヨークのテイストは、若者の感覚からすれば共通する部分があったのかもしれない。その若者もすでに40歳を過ぎている。今でもラングファンなら、UNIQLO and HELMUT LANGのコラボジーンズをどう評価するだろうか。

 逆に今の20代はファッションに敏感な層であっても、トレンドのワイドシルエットでもなく、HELMUT LANG自体が旬を過ぎていることから、コラボジーンズに対してもそれほど興味を示さないのではないか。現に売場には十分な在庫があり、今回のコラボは+Jのような転売の対象にはならなかったようだ。

 逆に中高年はLANGそのものを知らない人の方が多いだろうし、生地や付属品にリサイクル素材を使おうが、購入の動機には結びつかないと思う。なおさら9990円という高価格は、ユニクロの顧客にはネックだろう。まあ、これらはあくまで憶測の域を出ないのだが。

 グローバルSPAとブランドデザイナーとのコラボ企画は、諸刃の剣だと書いた。メリット、デメリットがあるからだ。SPAには、自社企画にはないクリエイティブな商品が値頃な価格で販売できる。ヒットすれば、自社ブランドの知名度も上がり、相乗効果が得られる。反面、売れなければ在庫を抱えることになり、レギュラー同様にセール消化となって粗利益は下がる。売れても限定生産の売り切れ御免でシーズン中には追加できず、販売ロスを生む。

 一方、デザイナー側にとっては、コラボ契約により収入が安定するし、その分の資金を自らのビジネスに投資できる。コラボ商品がヒットすれば知名度が上がり、自ブランドにもプラスに働く。何より自社でMD、生産、管理などを行う手間が省ける。だが、自社ブランドのようにきちんとVMDを組んだ展開ではなく、見せ方もハンギング主体だから、ブランドバリュが毀損される恐れがないわけでもない。売れなければ契約は終了となり、失敗のイメージも燻り続けるだろう。

 ユニクロはこうしたコラボ企画のメリット、デメリットを十分に承知の上で、デザイナーと契約を結んでいるはず。だから、柳井正社長は最適な需要を予測できる「情報小売業」への脱皮を公言したのだ。だが、それが可能であれば、多くのアパレルがこれほど苦労していない。そうした意味で、UNIQLO and HELMUT LANGがこれからどう転ぶのか、グループ傘下のブランドゆえに、第2、第3弾はあるのか。推移を見ていきたい。

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ザラにない服。

2022-09-21 06:36:37 | Weblog
 残暑はまだまだ厳しいが、店頭には秋物がラインアップした。今年こそはトレンドの服をゲットしようと思いながら、そのまま過ぎてしまったここ数年。コロナ禍もあってじっくりショッピングができず、ネットで物色するばかりでは試着まで及ばない。たまに気に入ったアイテムが見つかっても、すでにSOLD OUTがほとんど。購買意欲までフェイドアウトしてしまう状況だ。

 昨年、一昨年の秋冬はユニクロがコラボ復活した「+J」が注目された。しかし、早朝から転売目的のお客が大挙して行列する光景を目にすると、現物をチェックしようという気持ちすら失せてしまう。知り合いが何とか購入したジップニットをブームが下火になった頃に見せてもらったが、昨年の最終コレクションは商品をチェックすることもなかった。



 そして、今年。ウィズコロナで何とか過ごしていた先日、一通のメールに目が止まった。いつもならチラ見でスルーするが、今年は違う。あのザラが+Jをはるかに超えるコラボを発表したのだ。相手のデザイナーは、ブランド「スタジオ ニコルソン」で2010-11の春夏コレクションでデビューしたニック・ウェイクマン。コラボブランドはズバリ「STUDIO NICHOLSON+ZARA」である。(https://www.zara.com/jp/ja/man-studio-nicholson-editorial-mkt5618.html?v1=2120291)

 本家スタジオ ニコルソンは英国のブランドだが、トラッドなブリティッシュとは対局にあるクール&ミニマルなユーロテイスト。フィット感のあるフォルムからルーミーなそれまで、どれも分量の取り方が実に上手い。生地には組織変化がないフラットなものを使いながら、スカートやコートでは落ち感が出ないのはこしのある上質な素材使いだからか。これはレディスを見ての印象だが、今回ザラとコラボしたのはメンズである。



 STUDIO NICHOLSON+ZARAは全アイテムがトレンドのオーバーサイズ。メンズだからとテーラージャケットやボンバーのような定番はなく、完全にモードのスタイリングになる。Tシャツ、ベスト、布帛シャツ、シャツジャケット、パンツ、コート、ニットとも、大胆なカッティングのもとでエッジのきいたデザインが目をひく。発表されたルックは全部で20パターン。カラーは秋冬らしくブラウン、ネイビー、ブラックに加え、ストーン、ベージュ、オフホワイト。差し色を意識してか、鮮やかなアップルグリーンもある。




 筆者がずっと指摘していた「年明けにはブライトカラーが着たくなる」。そうした声が通じたわけではないだろうが、ボトムではオフホワイトのデニムパンツやライトベージュのツイルパンツも企画されている。価格はデニムパンツが9,990円、シャツが11,990円、フランネルパンツが13,990円、ニットが25.990円、パーカが25,990円、ピーコートが39,990円、ロングコートが49,990円、ダウンジャケットが55,990円。ザラのレギュラーアイテムと比べると3倍以上の価格がつくアイテムもある。

 +Jのコートでも27,400円だったことを考えると、ダウンジャケットやコートはザラとしては最高値と言ってもいいだろう。それでもデザイナーブランドとして見れば、いたって値頃感がある。コラボ企画では従来の顧客とは違う層を開拓する狙いで、そうしたプライスラインに設定したのか。仮にそうだとしても、ザラ側がこの価格帯で売れると踏んだのであれば、原材料コストの値上がりを差し引いても、強気の戦略であるのは間違いない。

 デビュー10年ちょっとのスタジオ ニコルソンは、本家英国でも人気が集まっているというが、筆者が注目するくらいだから日本人でも好きな人は多いはず。服のシルエットは、細身から完全にルーミーに揺り戻している。身体の線が細い若者なら、オーバーサイズでも難なく着こなせる。ただ、中高年になるとそうはいかないが、スタジオ ニコルソンは量感のバランスが秀逸なので、オヤジ世代でもど・ストライクと感じる人はいるのではないか。


クリエーション重視の素材使いはコスト度外視か




 スタジオ ニコルソンはネット画像しか見ることができない。だが、コラボ商品は購入を視野に入れると、現物を確認してみたいので「ザラ福岡店」を覗いてみた。秋冬のアイテムだけにアウターを中心に公式サイトから事前に何点かをピックアップした。ところが、そのうちダウンジャケット、ピーコート レザーパッチ、パッチ レザーコート、バルーンデニムパンツは、残念なことに福岡店では取扱なし。



 店頭在庫があったのはフランネルパンツ、ツイル スーツ パンツ、ブークレセーター、カラーブロックセーターの単品のみ。ツイル スーツ パンツは素材がポリエステル98%でヨレ感があるため却下。2種のセーターのうち、ブークレは購入してもいいが、暖冬を想定すると厚手のコットンの方がいいので要検討とした。



 残るはフランネルパンツだ。こちらはツープリーツ仕様で70年代のバギーパンツに匹敵するワイドシルエット。試着してみると、DCブランド時代のボトムを彷彿させる。股上が深く、ハイウエストなところも同じ。「かつてはこんなシルエットでも難なく穿きこなしていたよな」と、姿見に移るボトムを見ながら、頭の中で過去の自分と照らし合わせていた。価格もウール100%のフランネルの割に13,990円と手ごろだ。即買いはしなかったが、購入の大本命と決めた。

 コート2種は現物を見ることはできなかったが、左身頃上部を「レザー」に切り替えるなどの凝ったデザイン。こうした処理も+Jでは見られなかった。デザイナーズコラボと言えど、素資材の手配が煩雑になり、縫製の過程が手間が増えれば、コスト管理の枠からはみ出ることもある。ユニクロ側はそれを良しとしなかったのか、+Jはパターンは違えど、素資材をはじめ縫製仕様はレギュラー品とさほど変わらなかった。アンダーカバーとのコラボでは、合皮を使ったものでステッチの始末が粗雑など、ユニクロの限界を露呈した。

 その点、スタジオ ニコルソン+ザラは、ニック・ウェイクマン氏がスタジオ ニコルソンで表現するクリエーションがほぼ再現されたように感じる。たとえコラボ契約と言えど、デザイナーが作りたいものを作る。それにより契約工場の練度を越えれば対応できるところを探し、素材調達や縫製・生産管理のコストが上がれば、売価に転嫁する。売れないかものリスクを承知の上で商品化にこぎつける。その点はユニクロとは一線を画するところだ。

 ザラのレギュラー品は、ユーロブランドと言ってもベーシックなものが主体で、クリエーションを追求するアイテムは筆者の感覚でレディスで2割、メンズでは1割程度。それらも気を衒ったようなものではなく、半歩先ほどのお洒落感が非常に低価格で手に入ることから、お客を惹き付けているのだと思う。

 ただ、素材はお世辞にも良いとは言えない。あの価格帯なら素資材コストを切り詰めざるを得ないというのが一目瞭然だ。しかし、スタジオ ニコルソン+ザラは、そうしたザラに対するイメージを覆す。ファストファッションがお客をすっかり安さ慣れさせ、マスマーケットを攻略する中、素資材にコストさえかければデザイナーズブランドと同レベルのクリエーションが半額〜3分の1程度の価格で買えるのを証明してみせた。

 ザラは2018年末、世界中の店舗(約2240店)で「EC受注に店の在庫を引き当てて店からの出荷を始める」と発表。ECで在庫が切れていても、お客の最寄店舗に在庫があればそれを引き当て、お客宅に出荷したり、店で受け取れる「クリック&コレクト」のサービスをスタートした。これにより地方都市では閉鎖された店舗もあるが、お客にとっては利便性が向上したし、同社にとっても在庫を効率運用できるようになった。

 今回のスタジオ ニコルソン+ザラは、コラボ企画だけに生産量は端から絞りこんでいると思われ、フルアイテム展開する店舗は限られる。筆者が訪れた福岡店でも、コートやデニムパンツは展開されていなかった。つまり、店頭在庫がない商品の現物確認をするには、ECで注文して店で受け取って試着をし、気に入らなければ返品するしか方法はないのだ。それがEC時代においては、お客にも店舗にもギリギリの妥協点ということだろう。

 ザラを展開するインディテックスは9月14日、2022年上期(2〜7月)の決算を発表した。それによると、売上高は前年同期比約25%増の148億4000万ユーロ(約2兆72億円)で、純利益は41%増の17億9000万ユーロ(約2825億円)。上期の総利益率は57.9%と、7年ぶりの高利益率を誇った。コロナ禍により世界的に実店舗で購入するお客は伸び悩んだと考えられるが、それをECが見事にカバーしたことになる。

 ただ、そうした高収益を背景にザラが今後もデザイナーズコラボを積極的に仕掛けていくのであれば、マス市場では安さ一辺倒しか選択肢がなく、閉塞感が充満していたアパレル業界を活性化する本命に躍り出るのかもしれない。ファストファッションのトップ企業が比較的高価格なベターラインで新たな市場を開拓するシニカルな状況は、非常に注目される。

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創るで仕掛ける。

2022-09-14 06:51:03 | Weblog
 7月末、ららぽーと福岡に「キッザニア福岡」がオープンした。夏休みが終わったので、少しは混雑が解消したかと、平日の仕事の合間を利用し覗いてみた。

 キッザニアは、3歳から15歳の子どもたちを対象に様々な職業を模擬体験できる施設で、福岡は東京・豊洲、兵庫・甲子園に次いで全国3カ所目になる。九州のような地方都市では、これまでキッザニアのような幅広い職業体験をできる施設はなかった。子供たちに限らず親の世代にとっても、待望の施設と言えるだろう。

 というか、子供たちは在住する都市によって、どうしても職業観に差が出てくる。筆者が育った博多は、古くから大陸との交易で発展した性格から圧倒的に「商売人」が多い。小学校の同級生の7〜8割は親が何らかの物販、飲食、サービスの事業を営んでいた。だから、逆にサラリーマンや公務員の家庭はほとんど目立たない。どうしても関心が薄れてしまうのだ。

 東京の子供たちはどうだろう。親が老舗の菓子舗や町工場を経営したり、放送局や出版社、映画会社、鉄道会社やホテルに勤めていたり。先祖の代から何百年も続く呉服店や海苔・佃煮のお店、材木商、劇場や料亭などの倅や息女もいるだろう。もちろん、著名な俳優や文化人のご姉弟、帰国子女も少なくないはずだ。子供は親の背中を見て育つというが、そうした家庭環境が職業観にも影響するのではないか。



 もちろん、全国津々浦々でいろんな職業がある。地方では農林、畜産、水産に従事する人が多い。都会、地方を問わず医療、運輸、保健・介護・保育、電気・ガス・水道、ゴミ収集、消防、警察など社会に欠かせない「エッセンシャルワーカー」もいる。逆に医者や弁護士、研究者、プロスポーツ選手、歌手や俳優などは親がそうでない場合でも、夢や憧れの「なりたい職業」として捉えられる。小学生であれば、これもごく自然なことだ。

 それが中学、高校に入ると部活動や受験勉強に身を置くことから、職業観が薄れていく。当面は選手として全国大会を目指す。志望を名門の高校、一流大学に設定して勉強に励む。また、スポーツや文化・芸術の分野で技術、能力を高めるために「〇〇留学」に進むケースもある。近い将来の目標やその方面の仕事のための学びなら、必然的に職業観は狭まってしまう。

 ただ、現実的に夢や憧れの仕事を手に入れられる人、自分が好きなことを仕事にできる人は、ほんの一握りだ。逆に一流大学に進学しても、自分が思い描く就職がうまくいく保証はない。まして、昨今のようにビジネス環境が目まぐるしく変化する状況では、就職していても会社がいつ倒産してリストラされるかもしれない不安は拭えない。

 安定を考えて地方の国立大学に進んだとしても、エリート学生にとって地元に就職の選択肢が豊富かと言えば、都市部との格差でそれも難しい。従来、一流大卒で文系、Uターン学生の受け皿となってきた地方銀行、ローカル新聞社、地方百貨店の3業種は、人口減少と経済衰退による構造変化で、先行きが見通せない状況だ。

 理系を含め中央に出る。グローバルも視野を入れる。それがわかっていても、べンチャーを含めた金融は利ざや商売の限界が出ている。IT、バイオテクノロジーは、投資に左右されてしまう。好調なエレクトロニクスもひとたび円高に揺り戻せば、工場の撤退や従業員の解雇がないとも限らない。こうした弱肉強食のビジネス界に身を置くことを躊躇う層は、端から公務員試験や資格取得を目指す。だがその分、合格のハードルは高くなる。



 だからこそ、幼少期から多様な職業に触れ、挑戦する勇気を育み、技術やノウハウの習得と伝承などの価値を知り、仕事の魅力を再発見する意義は大きい。各パビリオンを見て回りながら、ふとそんなことを考えてしまった。奇しくもコロナ禍では、子供たちがエッセンシャルワーカーの重要性を知る契機となった。社会に欠かせない仕事が一番安定していることも、多少は理解できたのではないか。

 かつては小学生の子供たちには数学や化学、生物、天文の基礎を教えれば良く、社会学や経営学に触れさせる必要はないと言われていた。ところが、こうした教育論もバブル崩壊で、親がリストラの憂き目に遭うと通用しなくなった。毎日、家族のために一生懸命働いていたエンジニアの父親がある日突然会社に行かなくなる。その理由を子供たちにどう理解してもらうのか。それも企業や大人の役目なのである。

 キッザニアでは、職業体験すると専用通貨「キッゾ」を給料として受け取ることができる。だから、自分の仕事がどれほどの報酬を得られ、それで何が買えるのかが理解できる。現実により近い職業の体験を通じて経済が回る仕組みがわかり、社会の中でどう生きていくかを考えられる。その意味では、非常によくできたシステムだと言える。


創作体験を通じブランドの魅力を刷り込む



 一方、キッザニア東京では、宝飾ブランド「カルティエ」のパビリオン「ジュエリーアトリエ」が9月26日まで開催されている。(https://senken.co.jp/posts/cartier-220907)子供たちはカルティエの白衣を着て、思い思いにジュエリーデザインを楽しめる。ここで同社が他をリードするのは、デザインの基礎からきちんと教えること。まず講師がジュエリーや宝石の意味、カルティエの歴史やアイコンジュエリーから説明してくれる。
 
 次いで、カルティエを代表する「Tutti Frutti」のアウトラインが印刷されたデザインシートと宝石カットの一覧、色鉛筆、ジュエリーをイメージした立体シール17種が配られる。子供たちはこの中から3種類を選び、独自の感性と自由な発想でデザインを行うのだ。

 カルティエがジュエリーデザインの対象にTutti Fruttiを選んだのは、歴史と伝統、メゾンを象徴する=アイコンであること。また、色鮮やかな3大宝石を使用しているため、インパクトがあるからという。子供たちなら理屈抜きでデザインを考えるはずだ。大人が気づきもしない発想をするかもしれない。それはメゾン側にとっても収穫になるだろう。

 11月にはこの体験をした子どもたちの中から10名(小学校4年生以上)を選抜し、銀座店で接客体験にも当たってもらうという。作ることを学んだ後は、売ることにも挑戦する。どんな作りのお店で、どんな応対をし、どんなお客さんが買ってくれるか。自分が日頃買い物しているコンビニやスーパーなどとは、どこが違うのか。店舗の格の違いを学べるのは、非常にいい機会になるはずだ。



 では、カルティエのような高級宝飾ブランドがなぜ、子供たちのデザインや接客体験を始めたのか。カルティエ・ジャパンによると、「本物に触れる体験を子供たちに楽しんでほしい」ためだという。この発表を額面通りに解釈することはできないが、本音のところは「未来の顧客予備軍となる子供たちの青田買い」もあるのではないか。

 子供たちの間では、ビーズのアクセサリー作りが定着している。煌びやかなアクセに魅せられる女の子は少なくない。子供の頃にジュエリーデザインを体験すれば、大人になった時に嗜好がアクセサリーからジュエリーに移るかもしれない。本物が欲しくなるわけだ。宝飾ブランドが子供の頃に本物に触れさせる狙いは、そこにあると思う。



 カルティエが人気を博していたのは、今から30年以上前のバブル期だ。ルイ・カルティエが考案した「トリニティ・リング」は、愛を表すピンク、友情を表すホワイト、忠誠を表すイエローのゴールド3色3連で、OL層を中心にヒットしていた。ギフトの定番でもあったが、女性が自腹で購入するには高額だったため、39800円(免税)の類似商品も人気を集めた。

 ところが、バブル景気が崩壊すると、日本のジュエリー市場は3兆円から7000億円まで縮小した。その余波はカルティエにも及び、戦略の見直しを余儀なくされる。ちょうど、平成不況で東京の土地が下落し出店がしやすくなったため、カルティエは銀座に直営店を出店した。背景には1993年に傘下入りしたリシュモングループ(時計のボーン&メルシエ、IWC、筆記具のモンブラン、アパレルのシー・バイ・クロエなども傘下)の豊富な資金力がある。

 一方、顧客の若返りを図らなければならず、ブランドの活性化も課題だった。今の20代〜30代はカルティアを知らない層も多いだろう。知っていても「ド・宝飾」のイメージが強すぎて、購入するには腰が引けてしまう。若返りや活性化がどこまで達成できたかはわからないが、子供たちからカルティエに親しんでもらうのも、その一手と考えてもおかしくない。家族を含めてブランドの啓蒙にもつながる。



 ただ、大人でも高級ブランドを購入するには、ある程度の年収が必要になる。逆にジュエリーはウォンツ商品だから、欲しいと思う人しか買わない。だが、それにばかりに頼っていたのでは、ブランドの活性や成長は不可能だ。「少し背伸びすれば、カルティエのジュエリーが買える」。顧客予備軍にそう思わせるには、潜在意識の中にカルティエを好きになる気持ちを醸成すること。それもジュエリーアトリエの目的だとすれば、合点がいく。

 キッザニア側は体験内容やカリキュラムは各企業に任せているはず。もちろん、子供たちは純粋だから、大人の卑しい商魂などには目もくれない。ただ、高級ブランドが他社と同じレベルの体験を実施しても、子供たちにその良さは伝わらない。格差社会が進行する中で、高級ブランドが富裕層だけを相手にしていても、成長はない。識者の中には「ブランド化したからと、売れるわけじゃない」と宣う方もいる。じゃあ、どうすればいいのか。明確な答えは出せていない。

 筆者は単なるブランドではなく、それを創る側に身を置いてもらうことで、仕掛けていく方法もあると考える。高級ブランドを購入するには一定規模の収入が必要だが、好きになってもらうのに年収は関係ない。その気持ちが大人になるまで切れなければ、頑張って働いて稼いで購入してもらえばいいわけだ。カルティアはそこに行き着いたのではないか。

 企業側には、そうしたマーケティングの狙いとして、キッザニアを活用する方法もあるということ。その意味で職業体験にはいろんな目的、効能があるような気がする。

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創造力を育む経営観。

2022-09-07 06:30:24 | Weblog
 京セラの創業者で、KDDIで通信事業に参入し、日本航空の再建にも尽力された稲盛和夫氏が亡くなった。事業を通じて発せられた経営論は、業界の領域を超えて後世まで引き継がれるものに他ならない。筆者もここ20年ほど、稲盛氏をはじめとしたいろんな方の「経営観」に触れるようになったが、大学時代から20代後半まではほとんど考えることはなかった。

 デザイン業界の仕事は、クライアントから依頼されたもので、パフォーマンスを上げるだけ。いわゆる「受注生産」というやつだ。入社4年目、27歳の時に仕事全体を俯瞰で見ながら外部スタッフを交えて仕事を仕切るディレクター職となっても、「この仕事は収支トントンでも、別の仕事で儲ければいいか」と、物件ごとに「取り」と「払い」をはっきりさせ、「利益」を出せばいいくらいしか考えなかった。

 同僚社員も同じだ。「いい作品を創りさえすれば、認められて、給料もアップする」と信じて疑わなかった。しかし、企業である以上、そんなに甘くはない。やりたい仕事ばかりが来るわけではないし、予算や納期が少ない仕事もある。プレゼンに負けることもある。ビジネスである限り、うまく行かないことの方が多いのだ。

 結局、大卒で入ってきた後輩の中には、キツい割に給料は上がらないから、2〜3年で退職していくものもいた。社内では職種と立場は色々あれど、会社組織に席を置く以上、経営者が示した明確なヴィジョンに則って仕事をしていかなければならない。それに気付かされたのはディレクターとなって1年ほど経った頃だ。

 社長が経営改革を打ち出したのである。「同じことを繰り返すだけではダメ。会社を変えていくためにも、経営のあり方を考え直さないと」と言って、社員個々に対し直接対話を求め、協力を促していった。社長は前々から考えていたようで、タイミングを見計らっての断言。筆者も「やってくれないか」と、請われたので賛同した。入社5年目だった。

 経営改善に動き出した社長は受け売りではあったが、ある人の経営論を参考にしていた。仕事のたびに口酸っぱく言われたその内容は、不思議なことに今も頭の片隅に残っている。後で知ったのだが、その経営者とは稲盛氏だった。

 一、仕事の目的、意義をはっきりさせる
 一、具体的な目標を立てる
 一、意中に強い願望を持つ
 一、誰にも負けない努力をする
 一、売上げと経費を反比例させる
 一、怯まず勇気を持ってやる
 一、常に創造的な仕事をする


 ざっと挙げると、以上のようなもの。だが、稀代の経営者である稲盛氏と言っても、その経営論をうちの社員全員が理解し、実践するのは容易ではなかった。各自の意識や能力、可能性にもバラツキがあった。「クリエイティブとは相容れない」「そんなのきれいごと。どうでもいい」と、取り合わずに辞めていくものもいた。筆者も論理通りに色々と実践しようとしたが、できなかったことの方が多く反省のまま現在に至っている。


その時の人々ができないことをやってのける



 まず、なぜこの仕事を行うのか。会社の存在理由はどこにあるのか。それをはっきりさせておくこと。言われてみると当たり前だが、クリエイティブワークに携わる人間の多くは、まず「好きだから」で仕事をする。次に「金を儲けて自分らしい暮らしがしたい」が来る。会社として仕事の目的や意義を明確にしろと言ったところで、社員は採用の時点である程度の実力を評価されているのだから、会社としての仕事の目的と言っても曖昧になってしまう。

 逆にそれが待遇や給与面に反映されないと、退職していく者もいる。社長として経営改革を打ち出した背景には、「若手もベテランも、営業も制作も認めてくれるような会社にすべく全力を尽くしていく」との思いがあったからだ。ただ、それを理解できるものとそうでないものとの温度差が生じたのは間違いない。

 次に具体的な目標とは何か。例えば、1人のディレクターが1物件あたり平均100万円(総制作費)の仕事をするとする。仕事は営業が取ってくるので、営業経費を20%ほど差し引いたとすれば、会社の取りは125万円。外注先のスタッフ3〜4名で仕事をすれば、外注費を最低6割として制作費の粗利益は40万円。ディレクター1人が年に50〜60の物件をこなせば、制作費の総売上げは5000万円〜6000万円で、粗利益は2000万円〜2400円となる計算だ。制作部にも、こうした具体的な目標が掲げられるようになった。

 それまで制作部は同じ社内にありながら、あくまで受注生産という形で売上げを計上していた。各ディレクターが漠然と理解していたのは、「給料の3倍稼げ」といういたってアバウトなものだった。社長はこうした「お題目」ではなく、損益計算書の形で細かな数値目標を設定した。各ディレクターは売上げ目標の達成に向かいながら、外注費などの経費をできる限り抑えると、決められた利益目標を達成できるという考え方だ。

 年間目標だけではなく、短いスパンの月間目標も設定された。制作セクションだけでなく、社員一人ひとりが1日の目標を設定することになり、日々の仕事内容がはっきりする。営業、制作、媒体、管理とどの社員も自らの目標の達成に努力すれば、それぞれの部門も目標を達成することになり、それがひいては会社全体の目標達成につながるという考え方だ。

 当然、ディレクターには外注先への説得(ギャラ折衝)が求められた。詳細なデータを提示して、デザイナーからイラストレーター、カメラマン、スタイリスト、果てはヘアメイクやモデル事務所にまで協力をお願いすることになった。仕事はチームで行うから、彼らの助けも不可欠だ。中には反発するスタッフもいたし、それぞれに事情があったと思う。ただ、うちの会社としては明確な努力目標を掲げたのだから、それに邁進することしかなかったのである。

 そして、常に創造的な仕事をするとは、どういうことか。制作マンである時点で、クリエイティブなことをやっているのだから、皆が当たり前だと思っている。しかし、これも大きな錯覚であることが次第にわかってきた。稲盛氏の経営論では、創造的な仕事とは「その時の人々ができないと思っていたことをやってのけること」とある。そこから生まれた京セラの製品を見れば、一目瞭然だ。

 奇しくも1980年代末に、デザインの世界に急速なデジタル化の波が押し寄せた。それまではペンと紙、台紙と印画紙とカッターと糊、ポスターカラーと筆があれば、あとは持てる技とアイデアを駆使することで仕事をこなすことができた。つまり、それだけ=少ないコストで食いっパクれはなかったのである。ところが、デジタル化は否応なく新たな技術と技能、そしてハード(PC)とソフト(アプリケーション)への投資と技術学習を求めてきた。

 それまでアナログ次元のみで、クリエイティビティや技術論を講釈できた。だが、デジタル化に対応しハードとソフトを使いこなして新たな仕事を創造できないと、業界から退場を余儀なくされたのである。それは何も外注先のデザイナーらだけでなく、元請けである当社から変わっていかなければならなかった。

 PCとアプリケーションはペンと紙などの道具に過ぎない。しかし、数段のスピードと作業効率の良さをもたらしてくれた。ならば、その空いた時間を「考えること」に置き換えていくことだ。ルーチンだったセオリーの角度を変えたり、工夫を凝らして新たなアイデアを生み出す。デジタル化は確実に仕事の領域を広げた。だから、日々の仕事で改善、改良を繰り返えせば、自ずと創造的な仕事につながる。昨日より今日、今日より明日が進歩することで、クリエイティビティが醸成されるというのがわかっていった。

 時代は確実に変わっていく。その潮目をいかに読んで、自分なりに対応していくか。それには投資も学習も必要なのだが、それに対応できない人間も少なくなかった。アナログ次元が抜けきれない職人気質のオペレーター、パースライター、フィニッシュマンの中には廃業し転職していったものもいる。だが、そんなデジタルも日進月歩だ。毎日同じ方法で同じ作業を繰り返してはダメ。絶えず新しいものを生み出さなければならない。まさにその時の人々ができないと思っていたことをやってのけない限り、生き残れないということである。

 デザインには「アート」という芸術面だけでなく、「製品」という性格のものもある。仕事、特に商業デザインとなれば、それら2つを混同せず目的に応じて使い分けていくことが不可欠だ。だから、ディレクターには依頼された仕事で明確なコンセプトを設定し、いろんな媒体を選択していく中で、スタッフの選びから制作内容、技術レベルまでを見極め、統一した考え方のもとで仕事をしていかなければならない。

 振り返ると、仕事の目的、意義を明確にし具体的な目標を立て、常に創造的な仕事をするまでには何とか行き着いたが、意中に強い願望を持ち誰にも負けない努力をしてきたとは言い難い。また、怯まず勇気を持って仕事をしてきたかと言えば、道半ばのままである。その後、自分自身でキャリアアップしたい気持ちが強くなり、以前からニューヨークで仕事のスキルを磨きたいとの思いもあって31歳で退職し、準備期間として4年ほど別の会社に在籍した。

 帰国して故郷の福岡に事務所を持ち、フリーランスとして活動し30年近くが経過した。単なる制作マン、クリエイターの端くれで終わることなく、今まで仕事を続けてこれたのは、会社時代に触れた経営論を通じ、いろいろと試行錯誤できたことが大きかった。そして、経営を考えるということは、デザインに対しても別の角度から接することができるようになる。それは自分でも大きな学びになったと言える。
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