HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

進化を学び生かす。

2023-12-27 06:33:33 | Weblog
 今年もあと数日となった。以前ほどの忙しさではないが、この時期は公私でやる事が多い。その一つがギリギリまで伸ばした年賀状の制作だ。業界に入ってからというもの、ずっとオリジナルで制作して来た。ただ、1990年前半まではいたってアナログな作業だった。まずデザインやコピーを考えてレイアウトし、それらを写植文字にして、台紙に貼り「版下」を作る。次にトレーシングペーパーをつけた版下に写真の当たりや色を指定する。それをGMS(総合スーパー)の印刷コーナーや街のプリントショップに持ち込み、紙を選んで印刷してもらう。



 ニューヨークにいた90年代半ばには自分で制作した版下に、現地で撮った写真を紙焼きして別版で添付。それをマンハッタンのプリントショップでモノクロ印刷してもらい、日本の知人に郵送したこともある。それが95年にはMacにインストールしたillustratorやphotoshopを使い、制作したデータをそのままカラー印刷できるようになった。書体にも懐古的なタイムズ・ニューローマンから一転、斬新なタイプフェイスのフォントが使えるなど、制作レベルが格段に上がった。地元福岡に戻ると、ノート型のパソコンにはソフトが標準搭載され、誰でも簡単に年賀状がデザインできるようになった。

 一方で、ハガキサイズのデザインを当時の家庭用プリンターで両面印刷すると、「咥え(プリンターの爪が紙を1枚ずつ挟むため、その部分には印刷することができない)」部分の余白が必要になる。宛先面はハガキの端まで文字をレイアウトしないので咥えの余白を作れるが、ビジュアル面もそうすると上端の裁ち落としまでデザインができない。しかも、ビジュアル面と宛先面ともにドキュメントを同じ位置にレイアウトしても、咥えの関係で微妙に「見当(表裏の位置関係や同一印刷面の各色がずれないように、各色版の位置を合わせること)」が合わず、ハガキの表と裏で印刷位置がズレるケースは少なくなかった。

 そのため、何度か試し刷りしてハガキの表裏の印刷位置を調整しても、その分の紙はどうしてもロスになる。プリンターのインクも2000年代前半まではオフセット印刷のようなレベルではなかった。こちらが意図した通りに両面印刷するには、やはりプリントショップや印刷会社に持ち込むしかなかった。となると、簡易型であってもオフリン印刷機を使わざるを得ず、面付け(1枚の印刷用紙に対して複数の印刷データを並べた状態にすること)する版代などコストがかかる。これじゃ、「アナログの時代の方が良かった」と思うこともあった。

 ただ、デジタルの普及により、社会全体で「紙離れ」が進んだ方が深刻だ。年賀状も年を追うごとに販売枚数が減ってきている。そのため、日本郵便はインクジェットプリンターに対応する年賀状を販売し始めた。これなら、もらった方もお年玉抽選に期待できる。民間企業として収益を追うために年賀状を復権させたいのだろう。しかし、SNS時代にはそれさえ求められない。年賀を含めた全ての挨拶がメールで完結するため、紙のレターやカード自体がすでに過去のものになりつつある。

 ネガティブなことだけではない。デジタル技術の進化は日進月歩で、それまでの課題を解消してくれるようになった。筆者が直面していたハガキ両面の見当のズレがそうだ。オフィスコンビニの「キンコーズ」には最新のコピー機が並び、ハガキ向けの厚手の紙も準備されている。デザインデータさえ持っていけば、セルフで好きな紙に手軽に出力できる。

 まず、ハガキ1枚の版下デザインを自分で制作し、ビジュアル面と宛先面をそれぞれ4面付けして断裁用のトリムマーク(トンボ)をつけ、pdfデータにする。その場合、ビジュアルと宛先両面とも面付けデータの中心点がガイドラインが交差する同じ位置にくるよう合わせておく。紙のサイズはハガキ4面分よりやや大きめB4サイズ(筆者はサテン金藤を使う)を選ぶ。

 B4サイズの紙をコピー機の手差しトレイにセットし、まず片面を出力した後にひっくり返して片面もプリントする。出力した紙を透かしてみると、トリムマークは少しもズレることなく、同じ位置に来ている。あとはどちらの面でもマークに沿ってカッターで切れば、綺麗に断ち落とした年賀状が完成する。ハガキ1枚の印刷ではないので、ハガキの端から端までビジュアルや文字をレイアウトできる。デザインの面でも妥協する必要がない。これこそ、グラフィックデザインに携わる人間にとってのカタルシスと言える。

 しかも、コピー機だから紙1枚から出力可能で、印刷のように最低ロットが必要ない。コピーの質もオフセット印刷とほとんど変わらないレベルだ。キンコーズではB4カラーの出力は1枚46円(1~50枚)、モノクロが同10円。紙は厚手のサテン金藤でB4が1枚35円。つまり、B4の紙に片面カラーのハガキを4面付けて両面印刷した場合、46円+10円+35円で、年賀状1枚あたり23円程度になる。少ない枚数でも出力できる点で、印刷するより割安になる。デジタル技術の進化はコストパフォーマンスもアップする。


進化する技術の学習効果は無限大

 筆者はデザインをする過程で、機材とアプリケーションの進化を目の当たりにしてきた。アナログの時代から「ここがこうなれば、作業がもっと効率良くなり、クリエイティブのレベルも上がる」と、ことあるごとに思いながら仕事をしてきた。今ではデジタルの浸透と進化がビジネスのソリューションを追求する上で欠かせないことを肌で感じている。それでも、常に新たな課題も生まれるわけで、それに対してもデジタル技術は一つ一つ解決してくれると思う。



 そんな中、非常に興味深い話を聞いた。先日、福岡選出の国会議員の方が出身校である福岡市立田島小学校の授業参観に赴いたという。そこで、驚かれていたのは「小学1年生時からパソコンを駆使していること」。しかも、「自分で作ったクリスマスリースをパソコンで写真を撮り、先生のパソコンにデータを送り、黒板に投射してみんなで品評会をする」というフロー。子どもたちは「私は○○だと思います。その理由は△△だからです」と、論理的に自分の考えを発表していました」ということだ。

 この授業のポイントは3つある。まずクリスマスリースを自分で作る。そして出来栄えをみんなで品評する、だ。ともにアナログな活動だが、それをクラスで共有する仕組みにデジタルが活用されているのが画期的だ。子どもたちはリースづくりに対して、各自が持つ最大限のクリエイティブ力を発揮しているだろう。だが、黒板に投射された友だちのいろんな作品を見ることで、瞬時に自分にはない他人の作風に触れることができる。そして、「これは良いな」と思う部分は今後、自分の作品に生かそうと思うはずだ。

 こうしたフローはアナログ時代でもできなくはなかったが、効率良くいろんな作品に触れることで、よりクリエイティブな発想が醸成される点は、デジタル時代のメリットと言える。また、子どもたちは自分の作品を自分で写真に撮ることで、「作品の見せ方」を工夫することにつながる。これは作品の完成度だけでなく、見せ方でも評価される面を学習できる。銀塩カメラしかなかった時代は写真は紙焼きしないと見られなかったし、それにはタイムラグがあり授業一コマではとても完結しなかった。子供たちは写真の撮り方でも、クリエイティビティが変わることを理解する。これはデジタルの妙だ。




 子供たちの皆がデザイナーになるわけでもないし、皆がIT技術者を目指そうということでもないだろう。だが、こうした授業を通して、子どもたちはいろんな良い部分を瞬時に知ることができ、それを応用しようという意識を育む。それは将来、社会に出て直面する様々な課題に対し、「こんな技術があれば、解決できるのではないか」と、工夫や応用力を発揮する術に繋がると思う。それはデジタル時代の授業による学習効果でもあると言える。

 マクロ的な社会課題に取り組みたいなら、政治家や公務員を目指すのも良いだろう。ミクロの部分で課題を解決するためにデジタルを生かしたいならIT技術者もある。さらに多くの人々がどんな課題の解決をいちばん望んでいるかをリサーチし、それに取り組むためにお金と人材を集めて起業するものもいるだろう。

 もちろん、人材にはデジタルのみならずアナログな能力、技術をもった人間も必要だ。最近では活版印刷の植字が印刷した時の独特な掠れ具合から、グラフィックやファッションの世界でも見直されている。百貨店が手掛ける売らない店の「b8ta」や「CHOOSEBASE SHIBUYA」「明日見世」では、職人の手仕事が光るグッズや自然素材を活用したプロダクツにもスポットが当たっている。デジタル全盛の時代だからこそ、アナログという味わいが新たなビジネスチャンスを予感させるのだ。

 人間には絵が巧い人、手先が器用な人、計算が得意な人、文章が書ける人、話術が堪能な人など、様々いる。どの技術も能力も学校で学び訓練すれば、一定のレベルには達するが、誰もがプロとして通用するとは限らない。また、プロになってもさらに高みを目指す上で、「ここがこうならないか」など新たな欲求が生まれてくる。現在ではいろんな課題をChatGTPをはじめとしたIT技術が解決してくれる部分が少なくない。もちろん、さらなる課題も生まれてくるわけで、その解決にはさらなる技術の進歩が必要になる。

 アナログ時代の年賀状制作で、筆者が思っていた「ここがこうなれば、もっと良くなるのに」。そんな課題がデジタル技術の登場で、一つ一つ解決するようになった。次の課題はサスティナブルだろうか。もらった年賀状をそのまま再利用できるような技術だ。消えていくインクが発明されているので、それがデジタルプリントに応用できる日も近いだろう。授業を学んだ子どもたちの中からそんな技術者が誕生することにも期待が持てる。

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高くても買わせる。

2023-12-20 07:26:08 | Weblog
 円安が叫ばれるようになって1年以上が経過した。円が下がり始めた頃に比べると、さらに円安が進んでいる。詳しく見ていくと、今年8月の半ばには為替レートが1ドル145円を超える日があり、10月には同148円台までレートが上昇。11月に入ると、ついに1ドル150円の大台に達し、日によっては151円をつける日もあった。

 12月7日には、日銀の植田和男総裁が「年末から来年にかけて一段とチャレンジングになると思う」と発言したことで、円買いドル売りの動きが強まり、円相場は一時1ドル=141円台後半まで円高に振れた。来年には円高に戻るとの予測もあるが、物価高と並行して賃上げが進まなければ、景気が下振れるのは避けられないと言える。

 そもそも現在の円安の主な原因は米国の金融引き締めと言われる。だが、日本側もバブル崩壊後からの長期不況により、産業全体の生産性が上がらず国の力が弱まってしまったことがあると思う。製造業が円高により中国はじめ、アジア各地で生産を委託したことで、これらの国々が日本の高度な技術ノウハウを取得し、人材育成を進めて大きく経済成長したわけだ。

 当然、外貨を獲得すれば為替が変動し、円安に触れていく。1ドル140円以上の今は、1990年代のような1ドル100円の円高時代と比べ、日本が購入する海外製品の価格は5割近く上昇し、外国人が日本の製品やサービスを購入する価格は、3割以上安くなっていることになる。インバウンド効果はまさにそれだ。

 アパレル業界でも円安の進行で、海外製品のコスト上昇、販売価格のアップが続いている。メーカーの中には、生産を海外から国内に戻すところもあるようだが、格安の製品になると受け皿となる国内工場がないため、生産をローコストの第三国にシフトするなどで何とか乗り切ろうとしている。また、製品に使う素資材、生地の混紡率を変えることで、価格を上げずにコスト吸収しようという苦肉の策も見られる。

 例えば、あるSPAブランドのジョガーパンツは、数年前までは綿100%だったが、今では綿88%、ポリエステル12%に仕様変更されている。理由は色々あると考えられるが、綿糸などの値上がりもあると思う。このパンツをスポーツで利用する場合はどうか。合繊が増えると多少の暑さは感じるし、汗の吸収も綿100%よりは鈍くなるかもしれない。逆に丈夫さは増し、洗濯による色落ちも綿100%より抑えられる。一長一短はあるだろう。

 コスト上昇を価格に転嫁できないために仕様を変更する。購入客の反応はどうなのだろう。ファストファッションが浸透した状況を見ると、素資材のコストを削ぎ落としても、割安で洒落なファッションを求める傾向になっている。となると、質と流行はトレードオフの関係になったるようだ。先日、ユニクロがコラボした英国ブランド、「アニヤ・ハインドマーチ」が発売と同時に完売したというニュースが象徴する。

 一方、円安でも仕様変更せず、価格に転嫁しているものもある。アパレルでは、海外の高級ブランドがそうだ。円安以前から2~3割程度値上がりしたような感じで、20万円程度だったアイテムが急激な円安以降は30万円近くになっているものもある。これではいくらブランド力があると言っても、富裕層でさえ割高感は否めない。せっかくのクリスマス前にも購入に二の足を踏む人もいるのではないか。

 総務省がまとめた10月の消費者物価指数(2020年を100とした場合)は、価格の変動が激しい生鮮食品とエネルギーを除く総合指数が4.0%上昇している。この傾向は7ヶ月連続だ。消費者が感じる物価上昇のイメージは数値以上に高いはずだ。何せ毎日に食生活に欠かせないパンや肉、卵、野菜が10月には8.3%も上がっているからだ。これでは実需を迎えている冬物衣料まではなかなか手が出せないだろう。


値上がりしても売れているものはある

 11月の最終金曜日は、小売り各社が「ブラックフライデー」と目打ったセールを実施した。テレビメディアは米国のソファブランド「yogibo」銀座店のセールを報道。11月24日から30日まで全商品が10%オフになるが、24日(金)の午前0時から1時までの1時間のみのミッドナイトセールでは、限定300名が最大で50%offで買い物できた。この整理券をもらうために早朝から店舗前に並ぶお客がいるのを見ると、欲しいブランドもプロパーでは手が出ないが、セールなら何とか手に入れたいとの消費欲求がわかる。

 結局、消費者の多くは買いたいものの優先順位をつけて、少しでも安く手に入れたいとの傾向が強いようだ。また、ネット通販がすっかり浸透した中で、消費者はいきなりポチるのではなく、カゴに入れてから後に購入するか否かの判断をするようになっている。結果、カゴ落ちの商品も少なくないのだが、物価高が理性的な消費を促していると見て間違いない。筆者も既製の衣料品はネット通販を含め欲しいものが見つからないので、今冬も購入するには至らなかった。一方、例年この時期にはまとめ買いするものがあり、今年も購入した。カルディコーヒーファームに並ぶ食品や酒類だ。



 まず、「ラプンツェル グリューワイン1000ml」。赤と白の2種類のドイツ産ホットワインだ。飲料用はもちろんだが、クラムチャウダー(マンハッタンスタイル)などの煮込み料理にも使えるので、各2本ずつ(計3948円)購入した。昨年はプロパーで1000円以上していたが、今年は円安にも関わらず税込987円とお買い得になっている。

 家族用にはオーストラリア製の「ティムタム」のチョコレート菓子。オリジナル、チューイカラメル、ホワイトを各2個ずつ。こちらは昨年は確か398円(税込)だったが、今年は円安の影響で498円(同)と100円も値上がりしている。6個で約3000円とさすがに割高感は否めなかったが、それでも取扱店ではカルディが一番安い。シーズン商品で在庫は追加されないため、完売しないうちにまとめ買いした。



 自分用にはジャンナッツの「プロヴァンスシリーズ・フルーツティー4種」を購入する予定でいたが、在庫がなかったため断念。代わりに同ブランドの「ゴールデンムーンチャイ」(税込1715円)を購入した。他にカルディオリジナルの「ぬって焼いたらメロンパン」332円。締めて8983円。食品とすれば高額な買い物になったが、約半分は酒代だから嗜好品と考えれば妥当な値段だろう。

 筆者の買い物スタイルが特別なのかとも思ったが、グリューワインはファンも多いようで、段ボール箱の上にディスプレイされた在庫は順調に消化していた。このワインは他のワインセラーでは見かけないことから、カルディに並ぶのを楽しみしているリピーターは少なくないのかもしれない。ドイツワインで甘さもあり、料理酒としても使えるなど汎用性もある。今年はさらに1000円を切るプライスが魅力になっている。おそらくシーズン中には完売するだろう。

 ティムタムは値上がりしているにも関わらず、人気は底堅いように感じる。筆者が買い物した日も同じようにカゴに4~5個入れる女性客がいた。値上がりしたとは言え、バレンタインデーの高級チョコと比べればまだまだ安い。買い物慣れしたお客は他のチョコレートと比べて、どれを購入する方が得なのか。味や量などを検討した結果、ティムタムを選択する人が確実にいるということだ。こちらもリピーターに支えられているのは間違いないし、カルディは季節商品化している。売れ残りを見たことがないので、完全売り切りだ。

 メディアは物価高をことさらに報道し、政権の無策ぶりを追及する。確かに物価高は多くの国民の生活を困窮させ、企業にとっても売上げを鈍化させるので、好ましくはない。ただ、生活必需品と趣味の品の中間にあるような商品の売れ行きにも目を向けるべきだ。カルディが扱うようなコーヒーやワイン、専門メーカーの調味料や食材がそうだ。必ずしもお金持ちの御用達というわけではなく、一般庶民の多くも購入している。レジ待ちがそれを如実に表す。

 カルディは輸入品の他に、百貨店やスーパーの流通ルートに乗らない国内専門メーカーの食材も多数販売している。どこも製造コストの上昇が大変だと思うが、この物価高を契機に多くのメーカーが利益も生産性も低い状況から抜け出すべきではないか。これまではコストに対する売価の比率「マークアップ率」がデフレ禍が続く中であまり低すぎたのだ。コスト削減で収益力を高めるのは限界だし、いつまでも競争力を維持できるわけがない。

 カルディで売れている商品は決して安くはない。むしろ値上げされているものも多く、はっきり言って高い。それでも買っていくお客さんは少なくない。値上げしても売れる、高くても買わせる自信がある商品ばかりなのだ。商品に付加価値があるからこそ、この値段でも売れてると、卸のメーカーも小売りのカルディも踏んでいるのだ。

 日本の消費者は完全に成熟しており、1円でも安く買うことを考える一方で、年収に関係なく欲しいものには大枚を叩く傾向がある。100円も値上がりしたチョコレート菓子でも、ファン客は二の足を踏むことなく購入していく。オタクが好むアニメ系の商材などもそうだろう。他はケチってもそれには臆することもなく投資する。ホリデーシーズンの今はそうした傾向がいっそう強くなる。

 店側も売値を高くしても、好きなお客には確実に売れるとの手応えを得ているはず。高い価格だから売れないのではなく、高くても売れる商品を作り、それで収益を上げていくことが肝心なのだ。ハレの日に向けた品揃えがますます重要になる。
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個におぶさらない。

2023-12-13 07:38:55 | Weblog
 11月24日だったか、東京・恵比寿西の鎗ケ崎交差点付近で、高齢男性が運転する車がガードレールに突っ込む事故が発生した。テレビニュースで流れた映像を見るとすぐにピンと来た。JR恵比寿駅から中目黒方面に抜ける駒沢通りと、渋谷の神泉方面に向かう旧山手通りが分かれるY叉路。事故現場から100mほど先にはアメカジストアの総本山、ハリランこと、ハリウッド・ランチマーケットがある。地方の方でも訪れたことがあれば、わかると思う。

 もっと詳しく言えば、すぐ傍に歩道橋があったが、数年前に撤去された。旧山手通りは高台にあって一帯には緑が多く、外国大使館や教会が立ち並ぶ瀟洒なエリアだ。東急東横線代官山駅前には、かつては表参道と同じく関東大震災の復興住宅、「同潤会アパート」があった。それも老朽化により1996年頃から解体され、2000年には住宅や店舗、広場や公園、集会所などからなる「代官山アドレス」に生まれ変わった。

 かたや事故現場の交差点から旧山手通りに入った左手には、1970年の一期工事から築50年以上を経過した「ヒルサイドテラス」がある。低層でコンクリートの建物は時の流れを感じさせないモダンな作りだが、言ってみればこの完成が代官山の開発を象徴する。そしてもう一つ、忘れてはならないのが、DCブランドの一時代を築いた「ビギグループ」が本社および傘下ブランドのヘッドオフィスなどを構えていたことだ。

 かつてはヒルサイドテラスのD棟にビギの総務部や流通部門の「B TRADING」本社など、C棟にはビギのプレスルーム、旅行代理店の「JETSET」が入居。そこから通りを少し先に行った東京バプティスト教会裏手にはビギの本社、そして渋谷カトリック教会の斜向かいにはグループ再編前の「PINK HOUSE」本社。その先の左手にも「MEN’S BIGI」や「BIGI ANNEX」が軒を並べていた。1980年代、旧山手通りは別名「ビギ通り」とも呼ばれていた。

 それだけではない。通りから目黒川方面に下ると、ブランドのカタログから印刷までを手がける「PIECE WORK」やデザイン部門の「BIGI GRAPHIC DESIGN SECT.」が立地。川沿いにはビギの生産部門である「B・M FACTORY」本社があり、南部橋の袂には販売部門の「B・M・D」「B・FIRST」「M・SECOND」「MEN’S THIRD」「P・FOURTH」「D・FIFTH」などのオフィスを集結させたビルがあった。



 オフィスのほとんどがコンクリート打ちっぱなしで、設計は世界的な建築家、安藤忠雄氏によるものだった。全盛期の1980年代半ばから40年近くが過ぎ、各社のビルはグループの解体やブランドの独立、身売りなどにより撤退や閉鎖に追い込まれてしまった。

 だが、今も目黒川沿いに当時の佇まいをそのまま残すのが「MELROSE(メルローズ)」の本社ビルだ。緑の木々に囲まれたコンクリート打ちっぱなしの外観(1985年の竣工)は、ガラス張りで円弧状のテラスをもつ。その間を抜けるように見える壁面には、フーツラ・ボールド・コンデンスドの赤字体でブランドロゴが掲げられている。それでも、お花見のシーズンに川沿いを歩く若いカップルですら、その名を知るものは今や少数派ではないか。



 MELROSEの設立は1973年6月1日。今から50年前になる。「ブランドは10年も続けばいい」と言われる中で、紆余曲折はあったにしてもこの長さは驚異的だ。同社ではブランド誕生50周年を記念し、今年6月1日から来年5月末までの1年間に50のコンテンツを実施し、社内にとどまらず社外も巻き込む企画を打ち出している。新たなコンテンツの発信は今後も継続し、本社がある青葉台のロケーションを生かした企画も検討中という。




 同社は企業理念に挑戦と創造を実行する「ミッション」、物作り・商品・サービス・感動を追求する「バリュー」、革新性やグローバルな観点で事業を進める「プライド」の3本柱を掲げる。記念事業では運営8ブランドと来年50周年を迎える「ハローキティ」の協業商品を、全国の店舗(一部除く)と公式オンラインストアで11月の初めから販売をスタートしている。




 8ブランドでハローキティと協業するのは、「ピンクハウス」「ティアラ」「リエス」「ソフィット」「インゲボルグ」「オラホロン」「コンバース・トウキョウ」。アイテムはハローキティをモチーフにしたグラフィックプリント、ブランドロゴの王冠とハローキティを組み合わせたデザイン、ツーウェイで着られるゆったりニットなど、どれもキティファンを意識したものだ。こうした取り組みで、ブランド間の交流を進めながら、メルローズを盛り上げていくという。





一ブランドに賭けるリスクの大きさから派生



 そもそも、メルローズとはいったいどんなブランドなのか。ビギグループがかつて制作した企業案内にはこう書かれている。

 「服-それはあくまでも着る人のためにある。」「1973年6月、(株)メルローズを設立して以来、私たちのものづくりの原点は、このごく当たり前の発想にある。私たちは服自身に強い個性を語らせることを好まず、むしろ着る人が自由にコーディネートして自分自身の個性を引き出すための服づくりを考え、実行してきた

 「その時どきの時代の空気をアレンジしたデザインの、微妙な変化はあるものの、核となるテイストに揺るぎはない。流行を取り入れながら決して流されないブランド、メルローズ。それはやがて、ひとつの『トラディショナル』として残っていくのかもしれない

 前半の部分は、どこかのグローバルSPAも同じようなことを語っていた。そう考えると、ブランドとして長く存続するには、普遍的なデザインを生み出す不変なコンセプトが肝心と言うこともできる。もっとも、ビギグループにとって創業ブランドの「ビギ」(1970年誕生)は、それまでの日本になかった都会的でエッジのきいたテイストだっただけに、メルローズをその対局に位置付けることで、ビギに抵抗のある層も掘り起こす狙いもあっただろう。これはマーケットを攻略する上でのビギグループの巧みな戦略と見てとれる。

 メルローズが誕生した経緯ついては、ビギグループの創業者、大楠祐二代表は関係者などに以下のようなニュアンスを語っていた。

 「デザイナーの知名度にだけ乗っかっていたら大火傷する。これほどリスクがあるビジネスはない」「ビギを創業した時から常にその思いはあった。だから、ビギがヒットした後にビギのニット部門を独立させ、メルローズを作っていたのだ

 1975年、ビギのデザイナー菊池武夫氏がグループから独立した。菊池氏は前年の74年に山本寛斎氏やコシノジュンコ氏ら6人でTD6を結成し、日本で初めてデザイナー合同のショーを開催した。その時、パリコレクションに参加した寛斎氏に刺激を受け、国内のマーケットだけで勝負する大楠代表の方針に反旗を翻したわけだ。



 一方、大楠代表は菊池氏の元妻である稲葉賀恵(当時は佳枝)氏をチーフデザイナーに据えて、体制の立て直しを図った。ただ、今度はいつ稲葉氏に去られるかわからない。大楠代表には常にそうした危機感があった。当時、(株)メルローズの傘下には、「MELROSE」「LA-BREA」「SET UP」「MEN’S MELROSE」「5TH.CLUB」の5ブランドがあったが、どれにもデザイナー個人の名前はついていない。

 メルローズ自体が米国・ロサンゼルスの通りの名前からとったものだ。理由は大楠代表が語ったコメントそのもので、企業案内に書かれたテイストがそれを如実に物語る。もちろん、その後もメルローズを去って独立したデザイナーはいる。それでもブランドがここまで存続できているのは、アシスタントの誰もが主任デザイナーに就任できるようにしていたからだ。

 また、大楠代表は創業時には自ら売場の声やお客の反応を重視したマーチャンダイジングを行った。その姿勢はその後も変わらなかった。メルローズのチーフ会議はMDのバランス調整の場で、業界には内容が伝わってきていた。デザイナー側の「作りたい服」「ショーで見せたい服」という意見、営業側の「売れる服を作らせたい」という意見で、折り合いをつけるもの。大楠代表は売上げ実績のデータを元に、「作り・見せたい商品を3割」「売れる商品を7割」程度のバランスに落とし込ませていたという。

 こうしたブランド創業時からのDNAがメルローズの根底には息づいており、それが50年という歴史に裏打ちされているのではないかと感じる。50周年を契機に企業理念のミッション、バリュー、プライドのもと、次なる50年が継続できるか。そのカギがものづくりであるのは言うまでもない。コンテンツやコラボアイテムを通じたマーケティング、それを具体化する記念事業の一つひとつがそのヒントになる。不変としてきたコンセプトをいかに時代に沿って解釈できるかもカギになると思う。

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違いを知るために作る。

2023-12-06 07:42:55 | Weblog


 11月の半ば、「千鳥格子の生地を使って冬物のジャケット、パンツを誂えよう」とのコラムを書いた。実は、それを思いついたのは昨年で、コロナ禍が収束すれば暇を見てオーダー専門のテーラー、ナポリ風に言えばサルトリアを訪れてもいいかと思っていた。

 ただ、どのオーダー専門店もだが、一般のショップとは違い接客に時間をかけてくれる。それはそうだ。お客の体型や要望にそった一着を作るわけだから、対応するスタッフはまずお客からじっくりヒアリングをしなければならない。そのため、必ず「事前予約」を求められる。店側にもスケジュールがあるし、担当のスタッフを当てる以上、予約してもらった方が対応しやすい。

 ただ、こちらとしては事前予約は、どうも敷居の高さを感じる。また、一旦予約をすると、その時間に仕事の用事ができた時に、どちらを優先するかで非常に迷う。予約をキャンセルすれば、店側に迷惑をかけるし、かと言って仕事を放ってプライベートを優先するのも難しい。客側の身勝手かもしれないが、気軽に店を訪れてライブラリー感覚で自由にバンチブック(生地見本帳)を閲覧でき、お気に入りの生地を探せないものだろうか。

 もちろん、店側も商売だし、既製服のように陳列されている商品から選んでもらうわけではない。オーダーは一点もので、単価も高い。それを制約に結びつけるワケだから、相当の接客能力を持っているはずだ。客側も一度、オーダーの着心地を知れば、もう既製服には戻れないことがわかる。それでも、こちらが買い物に対して主導権を握れないと、どうしても躊躇いの気持ちが出てくる。大枚を叩くわけだから、失敗しないように慎重にならざるを得ないのだ。



 そこで、予約もしなくても、生地を確認する方法をこの1年の間にずっと考えていた。たどり着いたのがこうだ。

①まずオーダー専門店をピックアップ
②スタッフに希望する柄(千鳥格子)をバッジブックから選定依頼
③生地の写真と見積りをメールで事前に送ってもらう
④気に入ったものがあれば、オーダーを検討する


 ざっとこうだ。これなら、こちらでじっくり検討できるし、気に入った生地が見つかれば店に予約を入れ、気に入らなければオーダー専門店の候補から外せばいい。

 既製服のネット通販、特にグローバルブランドはアイテム情報として写真を多面的に掲載している。モデルが着たカットから、置き撮りによる商品の正面、背面、側面、そして生地の質感がわかるアップ写真までと様々だ。素材の厚みなどの詳細までわかるともっといいのだが、いろんな写真があれば購入の条件として妥協できなくはない。

 一方、オーダーは生地の種類がインポートに国産を含めると相当数に及ぶ。シーズンごとに生地は改変され、廃番になるものもあるようで、バンチブックも入れ替わるとの話だ。そのため、生地をシーズンごとに画像化するのは難しいと思う。第一、生地メーカーもオーダー専門店も、実際の生地に触れてから誂えてほしいとのスタンスのはず。写真程度では生地の質感はわかるわけがないし、まして着心地までは伝わらないという思いではないか。

 だから、これだけアパレルにデジタルが浸透した時代でも、オーダー専門店は頑なにアナログの接客スタイルを貫くのだ。しかし、オーダーする側としては、わがままを言わせてもらうなら「そこを何とか」という思いである。そこで、こちらが希望する千鳥格子の生地イメージを伝え、「写真を撮って見積りと一緒に送っていただけませんか」と、各店に伝えてみた。すると、候補4店舗のうち、3店舗から早速、写真と見積もりが送られてきた。

 こちらとしては、まず単価が低いパンツからオーダーしようというプランだ。だが、今のところ、オーダー専門店からは、80年代に穿いていたような冬向けで、メルトンとフラノの中間ぐらいの起毛系生地が提案されていない。ジャケット用で生地が厚め、柄も大きめなものはあるが、少し小さめの柄で、起毛系のウール地がないのだ。どうしても生地がスーツ向けになるためだろうか。あとは他のオーダー専門店も含め、直接予約して店に出向くしかないだろう。

 まあ、来年も再来年もずっと着て、穿けるアイテムを作るつもりだから、じっくり時間をかけて選べばいいと思う。最後は直接海外から生地を輸入することも検討しなければならないかもしれない。それはそれでも楽しいし、やってみる価値はあると思う。


麻布テイラーの復活は本物か

 ところで、当方がオーダーを検討して1年。一時のブームが沈静化し、業績がピークアウトしたオーダー専門店に復活の兆しが見えてきている。その代表格がメルボメンズウェアーのオーダースーツ店の「麻布テーラー」。ちょうど先日、以下のような報道があった。

 「既存店売上高が前年同期比2ケタ増で推移」
 「納期の短縮やデジタル販促の強化などで、新規客が大幅増」
 「好立地へ移転した店舗なども想定以上」
 「中・長期的には40店(現在27店)まで拡大できる」


 お客が店を訪れ、生地の選定や採寸、仮縫いなどを行なってから、出来上がるまでの納期は従来、8週間までかかっていた。それを生産管理の専門家1人を採用し、グループの生産会社、メルボ紳士服工業(滋賀・広島工場)と円滑にやり取りを行い、店頭受注後の縫製前工程や検品・出荷の工程を見直し。OEMをやめ、生産を自社に一本化したことで短納期化に繋げた。現在は最短で3週間、通常では4週間で納品されるようになったという。



 店舗もこれまでメジャーな立地から外れたところが多かったが、それをメインストリートや都市型SCへの移転を進めたことも、広域から新規客を集め売上げ増につながったようだ。確かに福岡店もかつては大名地区にあったが、メインストリートから路地に少し入った雑居ビルの2階だった。それが今年10月には再開発中のビルが立ち並ぶ天神の明治道路沿いに移転オープンしている。

 麻布テーラーは昨年、洋服の青山が運営母体である「エススクエアード」の全株式を取得したため、青山商事の子会社となった。持ち株会社エススクエアードの傘下にメルボメンズウェアー、メルボ紳士服工業などがあるため、事実上はスーツ量販店である洋服の青山の傘下入りとなったのだ。

 メルボメンズウェアーは2020年2月期は純損失125万円と赤字転落。その要因はオフィスカジュアルやアクティブスーツの浸透などで、ウーステッド系のスーツ離れがあると言われた。また、麻布テーラーの黄金期は2002年から2010年頃までで、2015年頃から雑誌媒体への露出や広告出稿が激減していたことで、この頃から業績がピークアウトし始めたのではないかという識者もいた。

 一時は雑誌メディアが仕掛けたクラシコイタリアのスーツブームの追い風もあり、意識高い系の男たちは百貨店催事や量販チェーンの2プライススーツには見向きもせず、10万円程度のオーダースーツを販売する麻布テイラーに引き寄せられただけ。こうディスるする識者もいたが、今回の報道を見れば全盛時に戻ったわけではないにしても、少しずつ回復傾向にあるのは確かだろう。



 別にクラシコイタリアのスーツが再燃したわけでも、イキったミニマム層の男たちが復活したわけでもない。報道にある通り、「店舗立地の見直し」「紙媒体に代わる販促策」「縫製態勢を見直し納期を短縮」「新規客の増加」など、麻布テーラーはビジネスの常道に立ち返って抱えていた課題の解決に取り組んだことが回復の要因と見える。

 エススクエアード、メルボメンズウェアー、メルボ紳士服工業のトップには青山商事の岡野真二・取締役兼常務執行役員商品本部長が送り込まれた点を見ても、特別な施策を打てたとは思えない。経営の基本に立ち返り、課題に真摯に向き合い、当たり前の施策を施しただけだ。

 筆者は社会人になって以降、既製服のビジネススーツを買ったこと、着たことは一度もない。オフィシャルはジャケパンスタイルで通して来たが、それも90年代以降はカジュアル化の浸透で無くなってしまった。2000年代以降、ウールのジャケットやパンツの購入頻度は10年に1度程度。他のアイテムもよほど気に入らない限り、購入はしなくなった。それでも、気に入って購入したものは現在までずっと着続けている。

 1年前にオーダーを検討し始めたのも、当時、格安のオーダースーツが次々と登場し、各社が一様に行うデジタル販促が目に留まったからだ。オーダースーツの情報が露出すればするほど、「ジャケットやパンツのみでも注文できないか」といった欲求が生まれ、何社もの中から探してみようという検索本能が働く。言ってみれば、紙媒体に代わる販促策が筆者のようなオーダー潜在客を掘り起こす可能性も高いのだ。

 また、ジャケットやパンツをオーダーすれば、既製服との違いを実感することができる。それが着心地だ。これはオーダーをした人間にしかわからない。おまけにジャケットやパンツは汎用性が高く、着用頻度も増える。パンツのサイズアップが心配なら、アジャスターなどオプションで対応すればいいだろう。コストパフォーマンスが良く、オーダーしても十分に元は取れると思う。

 チープなアイテムを1~2年で着古すお客を相手にするビジネスモデルもいいだろう。だが、一人のお客の要望をじっくり聞いてニーズに合致した着心地のいい服を仕立てるビジネスも、確実に市場を押さえていくのではないか。麻布テーラーにはスーツ量販の対局にある仕組みで、新たな誂え文化を醸成してほしいものである。

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