HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

店頭を生かすEC。

2017-08-30 05:21:12 | Weblog
 デイリーアパレルの勝ち組「しまむら」がネット通販に参入するという。http://diamond.jp/articles/-/139502 同社は地方都市のターミナルや郊外に出店し、その低坪効率、低荒利益にも関わらず、高い営業利益を稼ぎ出してきた小売りの雄だ。それゆえ、単に時代の流れや競合他社を意識したとは考えにくい。背景にはどんな狙いがあるのか。今回は考えてみたい。

 一般にネット通販に参入するのは顧客の利便性向上、販売チャンネルや市場の拡大、オムニチャンネル構想などが挙げられる。しかし、自社でECインフラを整備するには、莫大な投資が必要だ。しまむらは低い坪効率や荒利益を原資にして、あの低価格を実現してきた。それゆえ、こうしたビジネス戦略の手法を見れば、経済誌が断じる「ネット化の波には抗えなかった」という理由は、あまりに短絡的すぎる。

 むしろ、筆者はしまむらが追求して来た情報武装と高度なシステムを革新する手段にすることこそ、ネット通販参入の意図ではないかと思う。

 しまむらはチェーン店としてセントラルバイイング制をとっている。これは簡単に言えば、本部のバイヤーがアパレルメーカーから一括して商品を仕入れ、ディストリビューターが店舗毎に型、色、サイズ、数量を仕分けしてデリバリーするものだ。

 全店舗がオンラインで結ばれた単品管理システムを導入しているため、商品の動きがつぶさにわかる。各店舗から送られてくるPOSデータをもとに商品の投入、移動のコントロールがなされ、プロパーで90%という高い消化率を実現しているのである。

 つまり、値下げ率が極めて低いのは、この単品管理の精度が高いからだ。特にロスの少なさは、商品が店頭限りの「売り切れご免」で、フォローや補充をしない点にある。また、「商品を売れない店から売れる店への店間移動させる」システムにより、プロパーでの消化率を高めている。

 もちろん、商品は完全買取で返品は一切ない。取引に対するスタンスはあくまで共存共栄だから、アパレルもしまむらに有利な条件を出してくれる。低荒利率でもきちんと利益を確保できているのだ。

 しまむらはネット通販について、具体的な方向性は示していない。だが、筆者はICタグを商品に貼り付けることによる管理精度のアップに、店間移動システムとECをリンクさせることで、機会ロスを抑えて商品の消化率をさらに上げる狙いではないかと考える。つまり、商品写真やスペック、価格などを掲載し、お客が直接購入できるサイト販売とは異なるECである。

 しまむらは売り切れご免を取るため、店頭の在庫が売り切れたからと同じ商品をバックルームから出して並べることはない。そのため、「先日、こんな商品を見たんですが、もうありませんか」とお客に聞かれると、スタッフは店頭に並んでなければ、「あいすいません。売り切れました」と、答えるしかない。

 仮にお客がほしい商品を探せるとしても、それは全社的な在庫コントロールのもとで、店間移動の中に商品が含まれているかもしれないという宝探しに近い確率になる。

 ところが、お客向けに対し、オープン化した単品管理システムとECをリンクさせるどうだろう。店頭にタブレット端末を置くことで、お客が店頭で欠品した商品を購入したい場合、そのアイテム名、サイズ、色などをわかる範囲で入力すると、他店在庫の検索が可能になる。お客は商品在庫があれば客注し、店間移動システムで店舗まで配送してもらえばいいのである。ざっとこんな感じか。さしずめC to Bの電子商取引とでも言おうか。

 具体的なケースを想像してみよう。例えば、お客がヤング業態の「アべイル」でトレンドのワイドパンツをとりあえず1点購入したとする。ところが、穿いてみると意外にしっくりきた。価格が安いのでもう1点、色違いを購入したい。そんなことを考えるお客は他にもたくさんいるはずだ。すると、たちまち人気商品になってしまい、行きつけの店舗では売り切れ、欠品してしまうケースが考えられる。

 店舗単位ではフォローや補充はしないので同じ商品は入って来ず、別のデザインやアイテムを探すしかない。これまではそうした流れだった。ところが、当然のことながら、他店には在庫があるかもしれないのである。異常気象で全国各地で猛暑になっているものの、 日本列島は縦に長いので、南は暑く、北は寒い。デイリーアパレルは体感温度にファッションカレンダーをリンクさせないと、商品は売れない。

 秋の訪れが早い東北ではワイドパンツが欠品してしまったけど、残暑が残る関西や中四国、九州の店舗ではまだ在庫しているかもしれない。それらのエリアでは実需はまだ先だから、しまむらとしてはお客が購入したい「機会」の方を優先し、客注を受けて店間移動させ、店舗で販売すればいいのである。もし、お客が気に入らなかったとしても、在庫をしておけば、他の客が購入する可能性は高い。

 こうしたケースは、しまむらの「楽ちんプルオンパンツ」でも、色違いを求めるニーズは同じだろう。また、道端アンジェリカがプロデュースする「J’aime le blue」は、彼女のファンが顧客のほとんどだろうから、全国各地に点在していると考えられる。欠品した場合の入手方法はECの方が適するし、抵抗もないはずである。

 子供服のバースデーではどうだろうか。子供たちが同じアイテムの色違いを「大人買いしたい」と望むケースは希かもしれない。まあ、購入するのは親、祖父母、ギフト用の客などだから、他と同じく欠品した商品の客注だろう。サプライズのプレゼントとして、まとめ買いするようなケースでは、別の客注ニーズが発生するかもしれないが。いろんな仕掛けが考えられるのは事実である。


 しまむらのような低価格の商品は、ダイレクト受け取りのECにはそぐわない。お客が自宅まで配送してもらうとなると、配送料の方が高くつくからだ。そこで店間移動で店舗まで配送してもらい、お客は店舗で受け取り、購入できるようにする。C to Bなら何ら問題はない。これまで店舗が見逃していた販売チャンスが生まれ、新たな市場が開拓できることになる。

 まあ、店間移動については、ECが普及するはるか前から、大手・中堅のチェーン店では行われていた。商品の単品管理は別にしまむらが先駆者というわけではなく、チェーン店はではどこもコンピュータによる管理システムを導入していた。筆者がいたアパレルの取引先にも何社かあった。それにECを連動させることが新しいのである。

 当然、店間移動を活用すれば、客注を受けると店舗と物流センターをつなぐシャトル便が在庫のある店舗から客注品を一旦集荷し、センターで配送先店舗へのシャトル便への積み替えを要することになると思う。通常のネット通販よりも余分な手間がかかり、店着までに多少の時間を要することになる。

 それでも、100%自社物流のしまむらだから、せいぜい1日2日くらいではないだろうか。お客には購買意欲と商品ゲットのタイムラグはほとんど気にならず、しまむら贔屓のシマラーなら十分に許容範囲だと思う。しまむらにとっても100%自社物流、チャータートラックによる専用便、夜間配送などのインフラを最大限に活用できるから、余分な物流コストがかからず好都合なのである。

 ネット通販において配送のスピードを競っているのは、得てして販売側の都合だと思う。それがアウトソーシングであるのに、配送業者に負担がかかるのはお構いなしと考えるEC業界こそ、物流を疲弊に追い込んでいるのではないのか。しかし、しまむらは自社が持つ単品管理、店間移動にネット通販を組み合わせることで、配送業者に負担をかけること無く、独自のECを構築しようという考えにみえる。

 経済系メディアがいくらしまむらは「ネット通販を拒み続けていた」「実際は展開には踏み切れなかった」と時流への乗り遅れを指摘したところで、それはお得意の近視眼的見方に過ぎない。小売業として決して他社を寄せつけない強みを持っている以上、EC参入は強者の論理からして、しまむらをさらに強固な体質にしていくと思う。

 あとはシマラーがしまパト(しまむらパトロール)にネット客注のサービスをどう生かし、しまむらの新たな一面を喧伝してくれるかである。おそらく消費者目線で、ネット客注サービスを是々非々でこと細かく解説してくれると、期待する。当然、「私も試してみた」との書き込みもあるだろうから、あとは店舗ごとにサービスの標準化をどこまで徹底できるかである。

 ネット通販は家賃や人件費などのコストが抑えられ、マーケットが広がるので販売機会が増えて売上げがアップすると、見られがちだ。これは仮想空間でのビジネスという考え方である。しかし、それが成り立つにはあくまで商品在庫を持つことが前提で、魅力ある商品でなければ売れない。まあ、転売屋が存在できるのは、同じ商品やブランドを他店も扱っているからで、独自商品のしまむらには何ら影響はない。

 ただ、自社サイトではお客のヒット率やコンバージョンレートの問題から、どうしてもアマゾンやゾゾタウンなど大手ネットモールに出店するのが多数派だ。ところが、その販売手数料はアマゾンが20%程度に対して、ゾゾタウンは新規出店で35%くらいまでに引き上げられていると言われる。

 これでは駅ビルやSCに実店舗を出店するのと、変わらなくなっている。さらに返品OKなど差別化へのサービス競争はますます激化してきているし、物流の問題から配送費の値上げ、顧客負担という新たな問題も生じている。

 しかし、しまむらは国内2000店という店舗網をもち、そこには莫大な在庫を抱えている。これらに既存の単品管理、店間移動、物流体制というインフラを駆使し、自社流のECを創り出そうということであれば凄いの一言だ。まさに店頭を生かすしまむらのECは、さらなる宝の山を掘り起こしそうである。
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演出には物語がいる。

2017-08-23 05:53:00 | Weblog
 福岡の中心部で生活をしていると、百貨店やファッションビルのウィンドウもありふれた光景になってしまう。通りすがりにディスプレイ作業に出くわしても、商品そのものに特徴がなければ、AIDMAの法則のAで止りIには行かない。ディスプレイはもの言わぬスタイリスト。テーマを設定して装飾を施せば完了ではなく、微に入り細にいった演出にこそストーリーが必要だと思う。

 業界に入った頃は、取引先を通じてマネキン屋さんやフリーのディスプレイヤーと交流があり、ウィンドウから壁面、VPやFOまでのノウハウを教わった。中小零細のアパレルは卸が専門だから小売店のような演出技術は求められないが、大手アパレルメーカーは直営店を展開することから、専属のデコレーターやディスプレイチームがいた。そしてマネキン屋さんのスタッフやフリーのディスプレイヤーが企画から参画することもあった。

 有名だったのはワールドが直営展開する「リザ」だ。専門チームがキャラバンを組んで全国の店舗に出張していた。神戸三宮の旗艦店はまさにお手本と言えるのレベルで、専門店関係者が視察するほどだった。また、全国チェーン鈴屋のディスプレイもウィンドウに貼ったカティングシートでシーズンテーマを訴求したり、限られたスペース(奥行き)のハンディを克服するためにタペストリーを使うなど、その道の先駆者だった。

 かつてはメーカーが作る商品からいかに売れるテーマを設定して、ストーリーと演出のもとであらゆるツールと材料を駆使し、スタッフが徹夜で作業するディスプレイこそ、人の英知と技術の結晶だと思っていた。 しかし、今では小手先の演出であるディスプレイより、トータルな展開法のVMDが重視されている。

 これも時代なのだろうか。ウィンドウディスプレイでは、なかなか通行人の心をつかむことができなくなったようだ。最近ではあまたあるコンテンツの中から、商業施設やストアのコンセプトに合致するものを選び出し、独自のテーマやストーリーを作り上げることに注力するディスプレイも登場している。



 バーニーズニューヨーク横浜店は先日、「クレイジーケンバンド」結成20周年を記念したディスプレイを公開していた。バンドが横浜で結成されたこと、曲の中でバーニーズが登場することなどから、過去に何度もディスプレイに登場したようだ。今回はリーダーの横山剣自らバーニーズ側と組んで演出に参画したという。

 横浜は開港後、港町という特性から様々な海外文化が流入した。特にアメリカンカルチャーは日本的なフィルターを通して解釈され、独自の風俗や音楽を生んでいる。テレビドラマの「俺たちの勲章」や「プロハンター」、「あぶない刑事」では、街のロケーションにファッション含めたカルチャー上手くをシンクロさせていたし、クレイジーケンバンドも横山剣が描く詩や作る曲からステージ衣装に至るまで、日本人が捉えたアメリカンな横浜軸が貫かれている。

 横山剣自身のソウルフルな歌声はJ-WAVEでたまに聞いていたが、テレビドラマのタイガー&ドラゴンの挿入歌で一躍全国区になったと思う。夏になると必ずラジオからアンプテンポで韻を踏むGTが流れてくるが、自らの歌をロックとか演歌とかを含めた歌謡曲と言っているように、その曲調はいつ聞いても心地いい。東京のようにすかしたところがないのが「ハマ音楽の魅力じゃん」と思う。

 バーニーズニューヨーク横浜店は、バーニーズである以上、基本MDは変えようがない。でも、横浜で25年以上も展開する店舗として地元民に愛されるためには、何らかの形で地域密着は必要だ。その意味で横浜店は横山剣が曲に描いた地元での買い物スタイルの一つとして定着したということだろう。それを梃にディスプレイから横浜ファッションストーリーなどが生まれてくることがあっても良いのではないかと思う。

 よそ者の視点であえて言わせてもらえば、横浜ファッションはトレンドがコロコロ変わるものではないし、逆に古き良きというか、時間が止まったようなテイストが受け入られるのではないだろう。海外のラグジュアリーブランドは無理だが、東コレ系のデザイナーなら原宿青山発信としてエッジをきかせるより、横浜ライクな古きテイストをクリエーションに昇華させるって手もあるのではないかと思う。

 個人的には、ドラマの「プロハンター」で俳優の藤達也が着ていた「YOKOHAMA my SOUL TOWN」のロゴの入ったブルゾンやTシャツをバーニーズが限定で復活させてくれないかと思っている。タイプフェイスが独自のもので、当時の横浜らしさが見事に表現されていた。それを衣装に起用したプロデューサーやスタッフのセンスの良さもうかがえる。当時の視聴者には共演した草刈正雄が着ていたトロント大学のスタジャンの方が人気が高かったようだが。そんなテイストはセレクトショップに任せておけば良いと思う。

 筆者の地元にあるバーニーズニューヨーク福岡店は、レソラ天神の地下1階から地上2階までの3層構造で、そえほど品揃えの奥行きはない。元来、ビジネスエグゼクティブを対象とするファッション専門店だけに、品揃えはラグジュアリーブランドや一部のコレクション系デザイナーに絞り込まれている。ウィンドウディスプレイは2011年のオープン時からずっと見ているが、今イチパットしない印象だ。

 この秋第一弾のディスプレイは「the BEST in FALL」と題して、阿部千登勢の「SACAI」や落合宏理の「FACETASM」などがラグジュアリーブランドと一緒に飾られている。昨年も同様に感じたが、あまりにコレクション系のブランドを打ち出すために、アイテムそのものがデザイン的に陳腐化した印象は拭えない。とても洗練しているとは言い難く、どうしても安っぽいカジュアルにしか見えないのである。

 福岡の経済規模を考えると、バーニーズの買い物できる客層は限られる。だから、ディスプレイでラグジュアリーよりカジュアルを打ち出す方向性はわからないではないが、これでは通行客の目を釘付けにし、購入させる気にはさせないのではないか。やはりまずは商品そのもののレベルやクオリティ、クリエーションなのだ。

 バーニーズニューヨークの日本法人「バーニーズジャパン」は、今日ではセブンアンドアイホールディングスが100%子会社になった。基本MDの構築は傘下の百貨店西武・そごうの仕入れノウハウや外部からのスタッフ招聘で行っているのだろうか。しかし、お客の目は肥えて来ているし、マーケットは成熟している。欧米のラグジュアリーと国内のコレクション系、雑貨、小物をセレクトミックスする手法がどこまで通用するかは疑問だ。

 日本の大手セレクトショップは仕入れ商品を減らしてオリジナルを増やすSPA系セレクトで売上げを維持している。バーニーズジャパンくらいの店舗数ではオリジナル開発は厳しく、仕入れに頼らざるを得ないのだろうが、それにしても大枚をはたいても買いたくなるような商品がディスプレイに飾られていないのであれば、売上げには結びつかない。

 横浜店のようにカルチャー色を出せればいいのだが、福岡ではそれも無理である。販促としては売場に並ぶ商品を使うしかなのだろうが、そもそもの商品に魅力がなければ設定したテーマに演出を施したところで、ストーリーは生まない。

 かつては日本のバーニーズも一部のオリジナルを開発していたようだ。決して絶対数は売れないかもしれないが、上質やミニマルを切り口にするファクトリー系ブランドなんかを開発してみてはどうだろう。価格が高くても売れるかもしれないし、ディスプレイも演出で商品の個性を殺すこと無く、独自性やストーリーを発揮できるのではないか。

 セブンアンドアイホールディングスは、同社のPB「セットプルミエ」に期間限定でジャンポール・ゴルチェや高田賢三によるデザインを採用したが、西武やそごうの売上げを押し上げることなく、全く期待はずれに終わっている。所詮、スーパールーツの持ち株会社が潤沢な資金力を背景にとりあえずやってみただけの話で、百貨店のMDをテコ入れするほどのノウハウはなかったということである。

 そうした親会社の現状がバーニーズにも現れている。そこまでだと言い過ぎだろうか。しかし、店舗演出に感動もストーリーもなければ、お客は商品に気を留めるはずもないし、まして購入への行動を起こすとは考えにくい。ファッションマーケットが急速に成熟し、縮小の一途を辿っているだけに高級専門店こそ、まずはディスプレイから熟考することが必要だし、それにそった商品調達は必須条件だと思う。
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荷物誤載のために?

2017-08-16 05:39:17 | Weblog
 盆休みと言うか、サマーバケーション、民族大移動の週間なので、今回は旅行ネタに業界ニュースを絡めて論じてみたい。

 筆者が初めて海外旅行に出かけたのは1979年。新東京国際空港、いわゆる成田空港の開港2年目で、当局がまだまだ過激派テロを警戒していた頃だ。上野発のスカイライナーを空港手前の成田駅で降ろされ、駅の別室で手荷物やボディチェックを受けた。もちろん、ノープロブレムで空港までバスで連れていってもらった。

 初めての海外旅行なのに、いきなり水を差されたとも言えるが、自分ではなかなかできない体験に恥と言うより旅の肥やしとして、今も語り継いでいる。

 成田空港は江戸の情緒が残る東京とは打って変わって、未来都市を彷彿させる別世界。闘争の余波が多少は残っていたものの、田園地帯に空港ビルだけがポツンと立つ姿は何とも壮観だった。空港内のトイレで用を済ませて手を洗うと、都内のデパートでも見ない手拭き専用の給紙器が備えてあった。外国人が数多く訪れるため、むこうの文化に合わせたのだろうか。日本を飛び立つ前なのにカルチャーショックを受けてしまった。

 日本航空の海外路線では目的地まで無給油で飛べる飛行機は導入されていなかった。搭乗したJAL008便はDC10型機で、北ウイングから飛び立つとアラスカのアンカレッジを経由した。成田を飛び立って8時間、一旦降ろされて給油に約1時間、それからまた8時間フライトし、ようやくJFKエアポートに到着した。

 当時、ニューヨークに出かける日本人は、出張や転勤となった銀行や商社のビジネスマンか、音楽や芸術、舞台のアーチスト、それらを学ぶ留学生を除けばそれほどいなかった。飛行機の座席で隣り合わせた人は左が嫁いだ娘さんに会いに行くというお母さん、右はFinanceやAssetとかの単語が並ぶ資料に目を通す金融マンらしき人だった。

 JFKで日本航空の到着スポットはかなり端っこにあった。今のようにボーディングブリッジなんかない時代、タラップを降りると護送車のようなバスに乗せられ、空港ビルの通路入口で降車した。そこにいた警備員のおばさんが黒人で、ヒップ回りが2m近くもありそうな巨漢だった。映画やCMでは絶対に見ることのない、リアルな米国人にいきなり度肝を抜かれてしまった。

 イミグレーションへの通路は天井高が3mはあるようなコンクリートのトンネルで、今のような有名ブランドや観光案内のサイン広告など全くない。まるで刑務所にいるかのような錯覚を覚えながら10分程度で歩くと、ようやくバゲージカルーゼルに辿り着いた。荷物を受け取り、クレイムの半券を見せて、スタッフの誘導で無事にイミグレーション、カスタムを終え、「ようこそ合衆国へ」を実感した。

 しかし、ここでいきなりリアルなニューヨークに直面する。空港ロビーでは白タクのドライバーが結構多く、客引きに勢を出していた。それとは知らないお客の荷物をトランクに積み込もうとする輩もいて、警備員がポリスを呼ぶ一幕もあった。

 タクシーに乗るならルーフに行灯が載っているイエローキャブを選べとは聞いていたが、順番を待って何とかまともな車に乗ることができた。去り掛けに娘に会いに行くというお母さんが「お気をつけて」と挨拶してくれたのが、とても心強かった。

 ハイウェイを北に走り、フラッシング手前で西に折れて1時間ほど、クイーンズ区まで来るとようやく眼前にSkyscraperが見え、ホッとすることができた。ドライバーが意外に気さくでぼったくられることもなく、 長旅の疲れも時差ボケもほとんど負担には感じなかった。

 ニューヨーク州は犯罪都市というネガティブなイメージを払拭するため、 ジャズメンたちが呼んだニックネーム「ビッグアップル」とともにアイラブニューヨークキャンペーンを展開中だった。前年には同市のグラフィックデザイナー、ミルトン・グレイザーによるあのハートをモチーフにしたロゴマークも誕生していた。

 だからと言って、犯罪の街が急に浄化されるはずもない。現地ガイドからはハーレムやブロンクスには行かない方が良いと言われたし、日没後のセントラルパークや夜間の地下鉄も無事に帰国したければ、避けた方が良いとのことだった。安全なメーンストリートでさえ、信号で停車した車のフロントガラスを勝手に磨いてチップを要求する輩を頻繁に見かけた。

 それでも、筆者は夜間にジャズを聞きに行ったし、その帰りに地下鉄にも乗った。セントラルパークの一角にあるレストラン、タバーンオンザグリーンでウエルカムディナーも楽しんだ。しかし、幸いなことにも危険な目に遭うことはなった。ストリートミュージシャンにチップを渡すことにもすんなり入っていけた。

 ただ、安全であるはずの駅や郵便局といった公共施設で、犯罪都市の一端を垣間みたのが自動販売機に「OUT OF ORDER」の張り紙がしてあることだ。大学受験の単語集に必ず出てくる「故障中」という慣用句である。

 日本でも自販機が故障することはあるが、ニューヨークでは誰かが意図的に壊していた。いくら修理しても、ビルやスモールチェンジを盗む輩が後を絶たないから、設置者は壊されると修理を躊躇うとの話を聞いた。その後は防犯対策も整っていったようだが、わずか数ドルの商品を売るために何百ドルものセキュリティコストを払うのは、合理的な考え方の米国人なら割に合わないはずだ。だから、自販機そのものの設置を避ける人もいるかもしれない。

 諸外国の主要都市でも移民による暴動が増えていることで、自販機が放火や破壊の対象にならないとも限らない。特にテロ対策という別の次元から、管理の目が行き届かない場所や屋外で自販機が撤去される傾向のようである。まだまだ安全な日本からすれば、世界とはかなりの開きがあると感じるが、オリンピックイヤーに向けてどうなるのだろうか。

 一方で、小売業が収益を上げる上で、店舗や人件費の削減は必須条件になっている。今や店を持たない無店舗販売は通販をはじめとして完全にチャンネルを確立した。自販機も性能やセキュリティ対策が充実し、海外でも見直されている。

 2012年、東京銀座にオープンしたコムデギャルソンのDOVER STREET MARKET GINZAには、Tシャツを購入できる自販機が登場した。コムデギャルソンではくしゃくしゃにしたTシャツの真空パックを売り出していたが、パック詰めの商品ならそのまま自販機で販売できなくもない。

 ビジネス的に考えると、棚で展開すれば試着で乱れた商品は畳みなおす手間がかかる。当然、人件費がかかるわけで自販機ならその必要もない。おまけに屋内だから防犯も担保される。試着できないというマイナス面を割り引いても、コムデギャルソンがもつブランド力ゆえにTシャツというアイテムをお客が自販機で購入する行為がパフォーマンスとなり、流行の一端を示すこともできる。

 自販機でのTシャツ販売はコムデギャルソンが最初だったかどうかはわからないが、2013年にはベルリンの広場にも別ブランドのものが登場している。こちらは1枚2ユーロと格安で購入しようとすると「このTシャツは時給13セント、1日16時間の過酷な労働の上になりたっています。それでもあなたは、このTシャツを購入しますか」という商品の生産背景を紹介する動画が流れる。

 最後には「募金をする or 購入する」というボタンがでてくるが、販売スタイルの新しい形と言うより、大衆にファストファッションの現状を知ってもらう高いメッセージ性が込められたものだ。無店舗販売のための単なるツールだけでないのはもちろん、セキュリティがどうだのとかの理屈さえ抜きにして、メッセージ発信の道具として機能させる意味では非常に興味深い。



 ウエアの自販機では、ユニクロがウルトラライトダウンのジャケットやヒートテックのトップの自動販売機「ユニクロ・トゥー・ゴー」を北米の空港やショッピングモールに設置し始めている。同社の場合は、パフォーマンス性やメッセージ発信というより、トラフィック業態やプロモーション、集客喚起の位置づけではないかと思う。

 米国の空港では荷物が誤って別の飛行機に載せられることは未だにあるようだし、国土が広いため空港がある地域によって気温の差は激しい。春先に出発地がフロリダで、到着地がニューヨークなら、温度差は20度以上ある。到着しても荷物が別の機に誤載されていたり、上着やインナーを持っていなかったら、当座を凌ぐために衣服が必要と感じる旅行客は少なくないだろう。

 ユニクロが自販機で売るジャケットは70ドル、トップは15ドル以下だから、背に腹は代えられないお客が購入に踏み切るとの読みがあるのではないのか。それで集客喚起どころか、ブランドロイヤルティまで上がるなら、自販機のコストくらい安いもんである。

 また、空港や駅にトラフィック業態を出店すれば、家賃やスタッフの人件費がかかる。これはショッピングモールであればなおさらだ。その点、自販機はスペースがそれほど必要ないから家賃負担が軽減されるし、空港やモールといった施設ならセキュリティも担保される。意図的な破壊でOUT OF ORDERになることも避けられるのだ。

 ユニクロとしては全米事業が赤字だから、何とかコストをかけずにブランドの認知度アップ、販促に力を入れたいとの思惑もあるはずだ。どちらしても、今や自販機なんか珍しくも何ともないのだが、商品を店舗で人間が売るという小売りの基本原則が踊り場にあ差し掛かっているのは確か。そうした中で、お客に商品を提供する意味をいくつものベクトルで考えていく必要性はあるようだ。

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隘路に入る生活提案。

2017-08-09 05:38:22 | Weblog
 「誰がアパレルを殺すのか」。昨秋、日経ビジネスが業界に警鐘を鳴らす意味で付けた辛辣なライトルだ。その記事を書いた記者が今度は、小売業の未来をテーマにした企業研究で書籍・AVの販売のCCC(カルチャーコンビニエンスクラブ)を取り上げている。http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278209/072600144/

 小売業もアパレル同様に明るい話題がない。代表格の百貨店は売上げ減に歯止めがかからず、2016年の総売上高は1980年以来36年ぶりに6兆円を下回った。スーパーは2016年度の販売額が12.9兆円で、既存店では前年度比0.7%減。衣料品不振のGMSが大きく足を引っ張る形だ。

 コンビニエンスストアは2012年から売上げ増に転じている。ファミリーマートやローソンが統合や買収で企業規模を拡大する一方、セブンイレブンは積極的な商品開発で、平均日販で75万円を目指す構え。数少ない勝ち組として当分、安泰だろう。

 家電量販店は2010年以降、業績の増減を繰り返す。販売額は地デジ移行やエコポイントなど大型テレビの販売増に支えられて来たが、4K、8Kも所詮は買い替え頼み。大手ではリフォームや電力小売りなどへのシフトも見られるが、専業との競争が激しいだけに、家電量販そのものが消滅するとの見方もある。

 そうした小売業界で、CCCは異端の存在だ。80年代にレンタル事業をスタートさせFCで多店舗化すると、90年代には書籍やゲームソフトを抱き合わせる複合業態で売上げを拡大。レンタル事業がネットビジネスの影響を受けると、今度はカフェなどの併設で集客力を高めていった。

 その集大成が東京代官山のT-SITEで、レストランやペット店を揃え、徹底したコンフォート空間を追求する。書籍ではデザイン関連を充実させ、独自の開架手法で見せることで、実際に触れてから購入するスタイルを創り出した。

 二子玉川の蔦屋家電では家電の取扱いにも踏み込んでいる。こちらは商品を機能や価格だけで選ばない客層の開拓に挑むもの。それを見た家電量販大手のエディオンがCCCとFC契約を結んで開店したのが、記事にある「エディオン蔦屋家電」である。家電店でありながら書籍が並びテナントも揃う、従来の発想では作れない異色の店舗と言える。

 フロアは「コミュニケーションと美(1階)」、「趣味とワースタイル(2階)」、「暮らしと子ども(3階)」に分かれている。しかも、家電では美容関連商品、調理器具などにスペースが割かれ、品揃えが充実している。テナントではあるが、電動アシスト自転車が1階で堂々と展開されているのも、他ではなかなか見られない。

 従来の家電店のようなテレビ、AV、白物、周辺機器、消耗品などの括りではない。ライフスタイル提案を軸にカテゴリーをセグメントし、テナントを加えて編集している。また、イベントも数多く企画され、夏休み中には子供向けの「夏の思い出アルバム作り」、大人向けには「海のモビール作りワークショップ」などが開催されている。

 アマゾンなどのネット通販が攻勢をかける中で、増田社長はリアル店舗が生き残るには「モノを売るのではなくて、ライフスタイルを売る」と強調する。ただ、飲食やカルチャーを合体させたライフスタイル業態は、すでにありふれている。フレーズだけ見れば陳腐化した手法に見えなくもない。こうした手法で売上げを伸ばせるかには疑問を抱く。

 家電量販店はナショナルブランド主体の販売で、単体でも数千億円から1兆円の売上げ規模を誇る。ジャパネットたかたもメーカーに独自仕様、買取などの条件を出して粗利を維持する政策ながら、基本は有名ブランドしか扱わない。年商1500億円の3分の2以上を家電で稼いでいる。なんのかんの言っても市場規模が底堅い証拠で、まだまだビジネス基盤は安定しているのだ。

 ところが、エディオン蔦屋家電は、「書籍と家電を軸にした新しいライフスタイル提案」としては目を引くが、お客のニーズは書籍か、家電か、その他である。商品の目的買いを考えると、大半のお客にとって書籍は品揃え豊富な大手書店の方が買いやすいし、家電についても安心感やアフターサービスまで視野に入れると、量販店に眼が行くはずだ。

 家電店の商品構成について言うなら、量販店もダイソンの扇風機やクリーナーを扱い始め、ジャパネットたかたはルンバを販売するなど、ナショナルブランドとは異質の商品にも目を向けるが、まだまだ一部に止まっている。メーンは国内メーカーの有名ブランドで、なおかつそれがマス市場を形成しているから、売上げ規模は大きくなるのである。

 ここからは私見だが、二子玉川やエディオンの蔦屋家電には、国内メーカーがマスルート向けに開発した製品よりも、デザイン性や機能を絞り込んだものの方が似合うと感じる。東芝OBが創業したリアルフリートの「アマダナ」やクリエイティとテクノロジーを融合させる「バルミーダ」である。他には「T-fal」がそれに当たるだろう。

 国内メーカーの有名ブランドを扱うにしても、そうした商品をメーンで打ち出した方が売場も引き立つし、何よりフロアごとのライフスタイル提案にも合致する。それらはメーンの商材にはなり得ないが、デザイン関連の書籍などとは親和性がいいし、量販店はなかなか扱わないので集客の目玉になる。

 しかしながら、アイテムの種類は狭まり、購入客が限定されるので稼ぐ商材にはなり得ない。筆者も自宅ではSONYやパナソニックの家電を使用しているが、事務所では軽食を作るトースター、残業用の食材や飲料水をストックする冷蔵庫、掃除用のコードレスクリーナーは、スウェーデンブランドのELECTROLUX(東芝などがOEMで製造)を愛用している。デザインに携わる事務所で、インテリアなどとのコーディネートを考えてのことだから、マスマーケットからは完全に外れている。

 アマダナやバルミーダ、 T-fal 、ELECTROLUXは、どちらかというと家電店よりインテリアショップや雑貨店向きの商品で、今ではネット通販がメーンの販路になりつつある。ターゲットが限定されるだけに、マーケットを広げないと売上げは積めない。言い換えれば、顧客が限定されるので、1店舗で数を売る商品にはなりにくいのだ。

 ライフスタイル提案の家電店と言えば聞こえはいいが、売場づくりに合わせて取り扱う商品を絞り込むと、売上げ規模は限られてしまう。売上げとの兼ね合いを見ながら、基本的なMD構築するのは容易ではないのだ。量販にどっぷり浸かって来たエディオンがそれをどこまで我慢できるか。それは企画開発したCCCとて、主力業態TSUTAYAの方向性をどうするかの試金石でもあると思う。
 
 代官山店のような旗艦ストア、ギンザシックスの蔦屋書店は多店舗化できないし、そもそも高コスト構造で単体でペイしているかすら疑わしい。 他の都市型店にしても小洒落た書店にカフェを併設し、上層階にレンタル店舗やCDショップを構えたくらいで、どれほどの売上げがあるのか、ずっと疑問に思っている。

 カフェやレストランなら単独業態がどこにでもある。だから、TSUTAYAは郊外店を含め、わざわざ買いに行かせるような品揃えしないと、競争力はつかない。それとて、アマゾンなどのネット通販が扱えば、お客が現物や価格を確認するだけのショールームと化してしまう怖れがある。もの作りをしていないCCCには、いちばん難しい選択なのだ。

 だから、イベントに注力し集客しているのだろうが、小売業は興行ではないからそれが収益にはなり得ない。イベントはあくまで集客、販促の手段であり、販売して売上げを稼ぐのは商品である。そう考えると、いくらTSUTAYAが2013年以降、売上げがV字回復し、営業利益が120億円に達してていると言っても、楽観視はできないと思う。

 記事には「CCCの施設に個性をもたらしているのは、(中略)増田社長の細部へのこだわりもある。店舗で働く社員にとって「顧客視点の徹底」は最重要課題だ」とある。この顧客視点がミソで、経営者なら誰でもできそうで、実際にはできないこと。増田社長だからできるのだとの声は少なくない。

 増田社長は70年代にトレンドと売れ筋を提案しながら互いに競い合い、マーケットをリードした専門店チェーン、鈴屋の出身。筆者の知り合いにも何人か鈴屋OBがいるが、総じて増田社長を高く評価する。トップダウン式の顧客視点もそうだが、やはり他の小売業がやらない企画提案力は群を抜くというものだ。

 CCCは今後もライフスタイル提案の業態、コンフォートな店舗環境、イベントや飲食などの時間消費を切り口に、いろんな小売業態を創造していくようだ。それにしても、運営コストを吸収できるだけの売上げがあるかは未知数。だから、ローコストな郊外店をいかにリニューアルして、魅力ある店舗にしていくかがカギになると思う。

 もっとも、これまでは現にある商材やサービスをパズルのように組み合わせてライフスタイルに焼き直し、コンフォートな空間で展開するものだった。それで成長軌道に乗ることができたが、その成功体験だけで小売業の未来を示すのは容易ではない。

 すでにライフスタイル提案そのものが隘路に入っている。求めるお客がいないわけではないが、嗜好が多様化するにしたがって絶対数は多くならない。消費者のライフスタイルを切り口にする業態こそ、マスを握れないもどかしさを抱えながら、生きながらえるしかないのだ。小売業の未来はますます混沌としていると思う。

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懐古回帰で差別化。

2017-08-02 05:51:38 | Weblog
 衣料品の売り上げ不振は世界的な傾向だ。それに対抗するように昨年は春夏コレクションからニューヨークとロンドンで「シーナウ、バイナウ」が導入された。それもカンフル剤にはなり得ず、今シーズンは通常のコレクションに戻すブランドも出ている。

 ある業界メディアは今秋冬トレンドについて、英国調とマスキュリンが4年ぶりに登場したのを除き、全体的には前シーズンの流れを引き継いだだけと、厳しい見方をする。クリエーター側にすれば思いきったトレンドを仕掛けるにしても、外したときのダメージリスクから無難な路線を行きたいようだ。その気持ちはわからないでもない。

 グローバルSPAが素資材の開発調達から縫製、物流、販売まで完全にシステム化し、潤沢な資金力のもとで世界のマーケットを牽引するようになる中、歴史と伝統の技、積み重ねたブランド価値のみを頼りするメゾンやクリエーターがビジネス面で攻め手を欠くのはしょうがない。

 ただ、個人的には、メゾン側のグローバルSPAに対抗する動きがあるのではないかと、見ている。以下のキーワードがそうだ。

 ◯英国調の素材や柄

 ◯ ブリティッシュ、レトロ、クラシック、トラッド

 ◯多様性

 例えば、英国調素材に代表されるツイード。スコットランド製の太い紡毛糸を毛染めして平織した生地がルーツだ。代表的なハリスツイードやヘリンボーン、ドニゴールやホームスパンなど分厚く丈夫な生地は、ジャケットやコート、スカートに多用され、ブリティッシュトラッド、レトロ(懐古ファッション)の代名詞にもなっている。

 これらに加え、タータンチェックやハウンドツース、グレンチェックといった柄は、生地自体から手間隙をかけて織られている。定番ながら独特な柄や風合いだから製品になった時に存在感を増すのである。いくら素資材の調達と大量生産に長けるグローバルSPAと言えど、ヘリンボーンやドニゴールなどを多用したアイテムはほとんど見当たらない。それだけローコストの大量生産には馴染まないということだろう。

 もっとも、ハリスツイードを使ったアイテムでは、しまむらが靴やバッグなどの雑貨を販売し、100円ショップのダイソーもキーケースや財布といった小物に用いて売り出している。識者の中には「『単にハリスツイードだから』という理由だけで高額な値段をつけていたブランドや、そういう売り方しかできなかった店の商品は軒並み売れにくくなるだろう」「すべての製品はコモディティ化する。衣料品も例外ではない」という意見の方がいらっしゃる。

 確かにしまむらやダイソーのように量販すれば、その背景にある使用生地のコストも下がるし、低価格で販売できなくはないという理屈も成り立つ。しかし、筆者はしまむらやダイソーが使用したハリスツイードは、コムデギャルソンやシップスがジャケットに使用したそれとは、似ても非なるものに見受けられた。

 使用されている紡毛糸の番手は細いものが使われ、ツイードの命である生地の「地厚」が全くない。要はペラペラなのだ。それをごまかすようにブランドの織りネームが付けられている。10cm×12cmほどの財布表面では、中央にこれみよがしの縫い付けだ。その織りネームとて、中国製の安っぽいコピーに付いているようなシロ物に見える。

 一応、堂々と販売されているのだから、悪質なコピーにも生地偽装にも商標違反にも当てはまらないだろう。しかし、一度でも「真性」のハリスツイードで作られたアイテムに袖を通した人間からすれば、「これはどう見ても違うだろう」「ここまで価値を落とさなくてもいいのでは」 という意見ではないかと思う。筆者もしまむらやダイソーが生地ブランドで仕掛けても、それをわかるお客はどれほどいるのかという印象である。

 ハリスツイードの意匠を管理する団体としては、衣料品不振で量産が進まないから、商標ビジネスに活路を見いだそうと動いても不思議ではない。ただ、その真意は「ハリスツイードのコピーに近い単なるコモディティなら良し」「広報活動の一環」という程度のものではないのか。「衣料品に使用するハリスツイードへの影響はそれほどない」という判断がそうさせたのかもしれない。

 そう考えると、メゾン系のブランド、クリエーター系アパレルがグローバルSPAに対抗するには、愚直なやり方であっても素材への原点回帰とクオリティアップを図ることだと思う。ツイードやタータンチェックを用いるブリティッシュトラッドは決して目新しくはないが、世界規模での量産には馴染まない、そうすれば安っぽさは免れないから、差別化や独自性を発揮できるはずだ。その意味で、新しい流れとして英国調の素材や柄が登場したのは、メゾンやクリエーターの声なき「抵抗」ではないのだろうか。

 グローパルSPAは潤沢な資金力と卓越したシステムを背景に、企画アイテムに使用する生地について開発から行っている。とは言っても、でき上がるのは布帛でギャバやフラノ、メルトン、ツイル、ベロアやコーデュロイ、オックスフォードやドビークロス、ローン(プリント)等々(ZARAはジャカード織もあるが)。ニット・カットソーではメリノウール、天竺、リブ等々とだいたい決まってきている。他には合繊のフリースやダウン(ポリエステルの中綿含め)がある程度。レザーやファーにしてもフェイクに過ぎない。

 これらにはウールやコットン、ポリエステル、アクリル、ポリミドやエラスタン琨などの糸が使用されるが、番手が細めで生地のこしはそれほどない。結果として、グローパルSPAが使用する素材は、全体的に梳毛やブロードのような生地、緯編の編み地やメリヤスとなり、付加価値を出すにしても合繊を加えてストレッチ製を出したり、カシミアを混ぜて保温性や質感を上げたり、スラブヤーンや縄編み程度の組織変化でしかない。

 それに対抗するには、ツイードではネップヤーンを使ってコブを出すドニゴールやホームスパン、コーデュロイではシーアイランドコットンを使用したり。ハウンドツースやグレンチェックでも柄のピッチを変えたり。フランス風ならジャカード織りもある。加工ではグラデーション、オパール、フロッキーやエンボスなど、色や風合いの変化を生み出す組織、加工の生地を多用すればいいのだ。生地組成によるアイテムの多様化である。

 当たり前のことだが、生地にいかにコストをかけるかが、グローバルSPAとの差別化の肝になる。メディアも売上げ不振やトレンド不在を報道するのではなく、その辺の違いや差別化をもっとクローズアップしてもいいのではないかと思う。今秋冬には、ブランドショップや百貨店の店頭にこうした生地を使用した柄や色のアイテムが並ぶと、グローバルSPAとは違って新鮮に受け取られるのではないか。マスキュリンが復活しているのは、こうした生地はメンズライクなジャケットやパンツ、ベスト(ジレー)に多く使われるからだ。



 そうしたグローバルSPAの課題を認識して、いち早く手を付けたのか、偶然にもそうなったのか、どちらにしても変化しようとしているのがユニクロだ。すでにメディアでも発表されているが、同ブランドはジョナサン・アンダーソンがクリエイティブ・ディレクターを務める英国デザイナーズブランド「J.W.アンダーソン」とのコラボコレクションを9月22日に発売する。 https://www.uniqlo.com/jwanderson/jp/men/

 アンダーソン自身が今回の服作りにおいて「英国の伝統的スタイルを再解釈し、ひねりを加えたベーシックをつくることだった」と語っている通り、ジル・サンダーやクリストフ・ルメールにはなかった「ドラッド」進出であり、ユニクロが培ったノウハウを生かした新たな挑戦とも言える。サイト公開のアイテムを見ると、デザインのシンプルさは残しつつ、柄や色で英国調やレトロ回帰を訴求している。

 チェック柄を採用したダウンジャケット、フェアアイルのモックネックやボーダーのセーター、ストライプのマフラーなどの柄に見られる「3色以上」の色使いはこれまでのユニクロではあまり記憶がない。それだけ、色で冒険することを躊躇って来たのだろうが、SPAとしての高い能力を持ってしてもフラットな生地・編み地と単色の色使いだけでは、商品開発に限界があることも悟って来た証左ではないのか。

 某コンサルタントは、ユニクロを称して「色おんち」と批評されているが、色は第一印象で好き嫌いがあるだけに量販するには難しい要素・条件になる。しかし、ユニクロが今回のコラボレーションでそれに踏み切ったのは、レトロ回帰の中で模索や挑戦がどこまでできるのかという「試み」でもあると思う。

 メゾンやクリエーターがテキスタイルでグローバルSPAとの差別化を図ろうとすれば、ユニクロはそれを逆手にとって柄や色でチャレンジする。質と量がこうして切磋琢磨していけば、トレンド不在で新鮮味に欠けると酷評されながらも、エネルギッシュで刺激の中から新たな潮流が生まれるかもしれない。今はそれに一縷の望みをかけるしかない。

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