HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

サルトリアの域へ。

2017-11-29 06:58:18 | Weblog
 通販サイトのゾゾタウンを運営するスタートトゥデイが、自社PBの発売を前に採寸用ボディスーツ「ゾゾスーツ」の無料配布するとのニュースが業界を飛び越え、ビジネス界まで駆け巡っている。

 同社の前澤友作社長はその目的について、「圧倒的な速度で世界中に配りまくり、体重計や体温計のように一家に一台の存在にする。世界中のお客様の体型を最も知り尽くした企業となり、データを元にひとりひとりにピッタリの服を提供する」と、語っている。

 ゾゾスーツは、ニュージーランドのソフトセンサー開発企業と共同開発されたもので、スーツの上下に内蔵された伸縮センサーをスマートフォンと通信接続すると、体のあらゆる箇所の寸法を瞬時に計測できるもの。寸法データはゾゾタウンのアプリに保存され、自身のサイズを確認できるほか、ゾゾタウンで買い物する際にはサイズに合った商品が紹介されるようになる。

 これが試着をせずに商品を購入するネット通販において光明となるのか、また、お客のサイズデータは果たして商品を企画デザインするアパレル側にとって、どんな意味をもつのか、今回は考えてみたい。

 ソゾタウンはこれまでも販売する商品のサイズ(着丈、身幅、袖丈など)をきちんと表示し、お客が商品を購入しやすいように配慮してきた。お客にとっては現物の商品を試着できなくても、サイズがわかるので購入の決め手になったのは確かだ。それがゾゾタンが急成長した要因の一つでもあると思う。

 ただ、お客が自身のヌードサイズを正確に把握していたかといえば、それはほとんどないだろう。男性はSか、Mか、Lかくらいで、そこでは胸囲、胴囲、ヒップ周りで「だいたいこれくらいからこれくらいまで」の許容値を知っているくらいだ。表示許容値の範囲内なら、たぶん着れるだろうという感覚だ。

 女性の方がスカートやブラジャーを購入するから、男性よりはヒップやバストのサイズを正確に知っているとは思うが、肩幅、上腕や太腿、膝の周り、股下のサイズについては、男女ともいたってアバウトな認識でしかなかったのではないかと思う。

 これを正確に知り得ることで、商品のサイズと自分の数値を照らし合わせて、タイト、ジャスト、ルーズと商品選択時のサイズ感を従来よりははっきりイメージできるのは確かだ。

 まあ、お客が自分のヌードサイズを知るのは、ゾゾタウンが販売する商品を売りにつなげる条件にはなるのだが。お客個々でサイズに対する感覚は違うだろうし、実際に姿見に映したときにタイト、ジャスト、ルーズと着こなしはいろいろあるから、どんなフィット感が購入動機になるかは、十人十色だと思う。

 それでゾゾタウンにおける販売が促進されるかどうかはわからないが、これまでよりはECによる商品販売が進化していくのは間違いないと思う。

 もっとも、ゾゾタウンにとっては、ゾゾスーツがもつ意味はサイト掲載の商品の販促もさることながら、自社が発売するPBで「購入者ひとりひとりのサイズに合わせた商品を展開する」ことにあるようだ。

 PBにカテゴリーを絞り込むことで、豊富なサイズ展開をして、新たな顧客を開拓する狙いがあるのだろう。ファッショントレンドを追いかけるブランドやクリエーターがデザインしたアイテムは、ゾゾタウンでも豊富に展開されているから、あえてそれらと競合するPBにする必要はない。

 前澤社長が「超ベーシックアイテム」と語っている点を見ても、お客の体型でフィットするアイテムにすることが狙いのようである。ジャストフィットな着こなしを提案することで、ネットから新たな着こなし提案のトレンドを発信していく考えかもしれない。

 それとて既成服の次元なら、無尽蔵に在庫をもつわけにはいかない。ユニクロもオーダーライクなジャケット&パンツを販売している。サイズ表には着丈、胸囲、胴囲、袖丈などが1cm刻みで示されている。自分のサイズを入力すると、フィットする商品が選択されるというシステムではなかったかと思う。

 試しに店舗スタッフに「このサイズ表をそのまま受け止めるなら、身幅は50cmで、着丈を80cmにしたジャケットは在庫があるのか」と訊ねると、「それはない。おそらくエラーが出る」との答えだった。

 つまり、あくまでサイズ表示はお客の側の寸法の目安で、それに合わせた服が作ってもらえる(在庫している)わけではない。それは当たり前なことなのだが、だったら1cm刻みによるきめ細かなサイズ表示に何の意味があるのだろうとも感じた。

 その意味で、ゾゾスーツはお客のアバウトなサイズ把握から、正確なサイズ認識を実現した点では、アパレル側に対しても従来の工業規格的なサイズから、少しでもお客のリアルなフィット感に踏み込ませるかもしれない点では、画期的なことだと思う。

 一方、商品を企画するアパレル側にとっては、どうだろうか。あくまで既成服だから、企画したデザインをもとに基本サイズに落とし込んでパターンをおこし、縫製していく。カジュアルアイテムは量産を前提にしなければならないので、3サイズ〜5サイズ展開が限界である。お客のサイズにいちいち合わせるのはどだい無理なので、基本路線は今後も変わらないと思う。

 将来的にみると、デジタル計測のノウハウは、服づくりやパターン制作、マーチャンダイジングへのビッグデータとして活用できるのは間違いない。日本人のサイズがどう変化し、それが統計数値化されていけば、工業規格的な既存サイズではなく、より今の市場にあった既成服の量産体制が確立できるかもしれないからだ。

 米国のようにただ規格サイズを大量生産するわけでもなく、陳腐化した日本のクイックレスポンスとも違うお客のサイズにより合致した商品企画や投入に期待がもてるのではないか。当然、サイズ面では在庫負担の解消への道筋をつけることもできるかもしれない。確実に既成服の作り方を変えていくのは間違いないだろうし、他のアパレルがやらないイノベーションを起こすところは、さすがスタートトゥデイだ。

 トレンドファッションは、メンズでタイトなシルエットが数年来続いたことで、この冬は一気にルーズに揺り戻している。一方、レディスでもトップスのルーズシルエットは、ボトムをスリム化させるという方向性を生み、流行に関係なくアイテムが市場に出回ってきた。

 一見して、ルーズな着こなしでは、サイズはあまり関係ない様に思いがちだが、ヒップや渡りのサイズはボトムをカッコ良く穿きこなす上では重要である。また、肩や身幅はコーディネート志向ではボトムとのバランスで決まることもある。それが自分のヌードサイズを知ることにより、ネット通販のサイズ表示においても微妙な差がより明確にわかる(イメージできる)ことになる。

 トレンドを追いかけるアパレルやクリエーター、そしてパタンナー、販売スタッフにとっても、お客が自分のサイズを正確に把握していることは、クリエーションやデザインという従来の仕事観の他に新たな要素が加わることになる。仕事のやり方も変わっていかざるを得ないのだ。

 ゾゾスーツのデジタル計測技術は、オーダースーツに関わるテーラーやサルトリアにも影響すると語る方もいらっしゃる。福岡のセレクトショップ「ダイス&ダイス」でバイヤーを担った後、英国のセントマーチン美術学校を経て、デザイナーデビュー。タケオキクチのクリエイティブディレクターを務めた他、今ではテーラーメイドのスーツづくりを追求していらっしゃる信國大志さん。ご自身が先日、SNSでゾゾスーツについて以下のように語ってあった。

 「さてここからはこれからは全てがオートクチュール>既製服という時代の変遷が驚くべきUカーブを描き全てがこれからオーダー服、それも実店舗や採寸をともなわないものになると最所さんは結論ずけているが熟慮するとそう単純ではない点もあると個人的な考察です」

 
 「それには2点あり、1、個々のデータをベースにした截断は自動截断機でも安価な量産服にはコスト高になる。2、よくオーダーについて誤解されるが衣服とは体のサイズそのものなら良いというわけではなくゆとりとボリュームが関与する」

 「ゆとりには2種あり1つは機能的ゆとりでたとえばお腹回りは4から10cm余裕あると着やすいといったもの。これは数値化してプラスすればよいので自動化できる。その2は美的ユトリでこれは個々が着たときに有機的に生まれるものでこればかりは羽織ってどう感じるかは各々またデザイナーの美意識によるので数値化できない」

 「しかしこれもオーダーではなく既製服をネット注文する上では袖丈などを合わせれば全体のプロポーションは好みのデザイナーの分量感を信頼してネット注文できるともいえる。とまあこの事件について一晩考えぬきました」


 「これは職業上の危機感によるものですがはっきり言えるのはこと身体そのものを正確に計測する上では老テーラーがずり落ちる老眼鏡をかけ直しつつ長年の経験で云々という神話は昨日で終わったということ」


 「しかしその数値にどのような美意識=分量感を差し引きするかこそがそのようなテーラーのアーティスティックなスキルである。つまり技術者としてのテーラーは退場を促されそこには表現が求められるということ」

 
 「さておき僕は自動截断もさらに効率化され最所さんがおっしゃるように全ての衣服が昔のように全てオーダーになったらよいとも思っている。そうしたら注文服への敷居が低くなるどころか撤去されるからだ」


 「以上個人的に職業意識をともなう考察だが昨日の事件はそれぐらい皆さん考えたほうがいいと思う。それくらいの大きな変換点に私達は生きている」と。

 英国で服づくりを勉強し、今もセヴィルロウの職人さんたちと親交がある信國さんだからこそ、デジタルによるサイズ計測は時代の流れと認めつつも、ゆとりやゆるみという美意識は個々の人間がなせる技だと、いうことか。その両方をゾゾスーツが引寄せかもしれないのである。

 ファッションだからこそ、デザインする人間それぞれで個性が違ってくる。それを体型が違うお客が着るからこそ、また味が出る部分もあるのだ。0.5ミリの差でアイテムのサイズ感が変わり、着こなし穿きこなす上でしっくり来るか来ないかの差が出る。それはカジュアルアイテムの代名詞ジーンズにしても然りと、ファッションライターの南充浩さんは過去に語っていた。 他のアイテムでもそう感じる人はまだまだ少なくないはずだ。

 サイズさえジャストなら売れるというのであれば、テーラーメイドの次元になるわけで、それならなおさら仮縫いは必須になる。よくよく考えると、既成服にどこまでジャストサイズを求めるのか。愚問でしかないのか、それとも…

 効率化はビジネスの肝であるのは確かだし、新しいマーケットを掘り起こすには挑戦やイノベーションも欠かせない。ゾゾスーツはその両方に一石を投じることは間違いない。どう転ぶかはやってみないとわからないわけで、死に体状態のアパレル業界にとって、そこから抜け出る何らかのきっかけになってほしいと切に願う。

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迫る実店舗の限界。

2017-11-22 06:56:42 | Weblog
 ネットショッピングの人気で人手が足らず、宅配業者は配送料の値上げに踏み切る。日本ではそんなニュースが業界を駆け巡る中、米国ではネットショッピングの影響から、実店舗、ショッピングモールが閉鎖に追い込まれる事態に発展している。

 11月の初め、そんな現状を紹介したBusiness Insiderの記事がネットにアップされた。タイトルは「まさに廃墟! ショッピングモールやゴルフ場の閉鎖で変わるアメリカの暮らし」だ。https://www.businessinsider.jp/post-106658

 記事は米国のショッピングモールやゴルフ場の惨状をアーティストで活動家のSeph Lawless氏やBusiness Insiderの記者がとらえ、「過去の遺産」として取り上げたもの。写真グラビアにキャプションを付けただけの内容だが、まさにタイトル通りの廃墟が全米各地に広がっていることを印象づける。記事からショッピングモールに関する部分をピックアップしてみよう。

 ●アメリカの郊外はここ数十年で大きく変わった。

 ●かつては郊外に暮らす人々の憩いの場であったショッピングモールは、小売業界が崩壊する中で極めて苦しい状況にあり、その多くが閉鎖に追い込まれた。

 ●写真にあるシカゴのリンカーン・モールも、2015年1月に閉店した。

 ●このモールは、1973年にオープンした。床面積約6万5000平方メートル(東京ドーム1.5個分弱)のこのモールには、4つの中核店舗と100のテナントが入っていた。

 ●だが閉鎖間近には、店舗数は40まで減った。

 ●モールのオーナーは2013年、シカゴ・トリビューン紙に対し、毎年200万ドルの赤字が出ていると語った。

 ●営業は続いていても、ゴーストタウンのように閑散としたモールもある。例えば、写真のバージニア州リッチモンドにあるリージェンシー・スクエア・モールもその1つだ。

 ●空になったテナントスペースが並んでいる。

 ●多くの小売業者は、消費者動向の変化になかなか適応できなかった。バージニア州グレンアレンにあるモールでは、アンカーストアのシアーズがまだ営業を続けているが、陳列商品は驚くほど少ない。


 筆者が米国のアウトレット視察に出かけた1992年〜93年頃が、郊外施設の売上げはピークだったのではないか。その後はインターネットの発達により、ECが生活に浸透すると、米国の消費者は車で1時間以上もかけてSCに出かけることがバカらしくなってきたのだろう。それは都市と都市が近接している日本では想像もつかないことだ。

 そもそも、米国ではいつぐらいから、郊外に大型店やショッピングモールが出来始めたのか。米国は欧州やアジアと違って第二次大戦の戦場にならなかったため、1940年代後半から急激にモータリゼーションが発達した。全米に高速道路網が普及すると、ジャンクション近くやインターを降りた一般道のロードサイドに次々と大型施設が出現。代表的なものでは、オハイオ州コロンバスの「タウン・アンド・カントリーSC」やワシントン州シアトルの「ノースゲートSC」である。

 モールという体裁を整えたのは、1950年代にミネソタ州ミネアポリスに誕生した「サウスデール・センター」だ。広域集客のためにアンカーテナントを誘致し、広い駐車場と降雪や低温にも対応するクローズドモールに専門店を配置して、来乗客がショッピングをしやすいように配慮した。

 その後、核店舗に百貨店、テナントに有名専門店などがリーシングされ、今日にみるショッピングモールのプロトタイプができ上がった。当時、戦後復興に一生懸命で、各地の駅前でようやく商店街が息を吹き返した日本とは大違いである。

 だが、作家の城山三郎氏が書いた「官僚たちの夏」に登場するような有能な通産官僚が米国の商業、流通事情を見過ごすはずは無い。いち早く視察に赴き、その巨大な商業施設を目の当たりにすると、「日本もやがてモータリゼーションの時代が来る。しかし、こんな大型施設ができれば、駅前商店街などひとたまりも無い」と、感じとった。

 帰国後、早速、大型店の進出を抑制する法案の作成に取りかかり、自民党の商業族を通じて「大規模小売店法」の制定、施行に動き出したのは想像に難くない。ただ、法律では出店そのものが阻止されたわけではなく、出店の申請から審査、調整、許認可までに相当の時間がかかるようにしたのである。

 お上が商業競争の激化に猶予を与えたということだ。それでも 1969年には東京の世田谷に「玉川高島屋SC」がオープンする。さらに1981年は千葉の船橋に「ららぽーと船橋SC」が開業した。ここは筆者もしっかり憶えているが、当時、売場面積は日本一と言われていた。

 その後、外圧による内需拡大によって大店法が改正に動き出すのは、90年代である。しかし、大店法の施行から改正までの30年間、日本の一般商店が大型店の進出を抑える規制で安穏と過ごしていたのも、また事実だろう。大店法は2000年に廃止され、新たな大規模小売店立地法のもとで、環境を保護する色彩が強められた。しかし、商店街がシャッター通りと化してしまったのは、規制によって個々の商店が保護され過ぎ、競争力を醸成していなかったことにも一因がある。



 ところが、今日では小売りをリードしてきた米国の大型商業施設がECというハードを持たない競争相手に駆逐されようとしているのだから、何とも皮肉な話である。もっとも、米国では1980年代の不動産バブルで、SC開発が金融機関や投資家にとっての「利回りビジネス」になったのも事実だ。

 特に専門デベロッパーがを開発するために、モールの土地や建物をSPC(特別目的会社)が保有するケースは少なくない。SPCは土地や建物を保有するための資金を債券等を発行して調達し、この一部は投資家に販売されている。つまり、不動産の証券化することで、SCは投資家から開発資金を集めてきたのだ。

 また、小売業も総資産を拡大することなく出店することができ、ROA(事業利益/総資産)の改善が期待できる。ただ、SPCは核店舗やテナントが売上げを伸ばし、成功するという条件が不可欠になる。でないと、投資家には配当できないからだ。つまり、SCのSPC債券は非常にリスクが高いため、債券価格を低く抑えて、利回りを高く設定する方法をとらざるを得なくなる。
 
 結局、小売店は高額な家賃を取られてしまい、収益を圧迫されてしまう。核店舗となるGMSや百貨店のクレジットトレーディングも重要になるわけだ。米国のSCの中にはこうしたケースもかなりあると思われる。SCにとって小売店は不動産価値を高める単なる手段に過ぎず、そこでは大量生産の商品を売り減らしていく上で、実店舗の価値を決める「サービス」や「おもてなし」的は発想が深堀されていたとは思えない。

 結局、品揃えやテナントミックスでは差別化できないSCばかりになっている。出店している小売店が凋落すれば、大家には部率家賃が入って来なくなるわけだから、SCという器も閉鎖を余儀なくされる。今は単に商品を並べて売るだけなら、仮想空間でも十分にできるわけで、金融機関に貯まった大量のカネが行き場を求めて不動産にしか向かわなかったのは、まさに因果応報とも言えるだろう。

 今年3月に発表された米国の商業レポートによると、百貨店のメイシーズやシアーズ、JCペニー、ファッションブランドのBCBGやアバクロンビー&フィッチ、Bebeなどが数カ月以内に閉店し、その数は全米で3500店以上に及ぶと言われている。米国では実店舗がもつ魅力、スタッフによる接客サービス、VMDや空間演出が醸し出すエモーショナルな部分は、ニューヨークやロサンゼルスのように人の往来が盛んな大都市の一部店舗を除き、求められなくなったのかもしれない。

 個人的には、大学2年生の時に初めてニューヨークを訪れ、メイシーズやJCペニーなどの売場を見てまわった。5番街に軒を並べる高級専門店は別にして、一般の衣料品店では大量の商品が型や色、サイズ別にハンギングされているだけだった。



 90年代にはGAPをはじめとして次々と米国ブランドが日本に上陸したが、その時も売場づくりはほとんど変わらなかった。大量生産してそれを見やすいように陳列し、売り捌いていく。売れないものはマークダウンやセールにかけるか、アウトレットで現金化する。それが米国の小売りビジネスのDNAで、変わることはないようだと感じた。

 しかし、そんなアバウトな小売りスタイルがITを駆使して需要を予測し、在庫管理まで徹底できるECに太刀打ちできるはずがない。さらに無駄な店舗在庫を抑制し、物流費や販売管理費の削減にも貢献するショールーミングがECを後押ししている。実店舗の大量閉鎖、店舗販売の崩壊は小売りの進化を如実に表しているのだ。

 日本でも、ECは伸びで行くだろうし、そのあおりを受けて店舗販売の縮小は避けられないと思う。米国のようなSCの大量閉鎖とまでは行かないにしても、すでに駅前商店街は衰退し、地方百貨店も閉店している。次なる段階はどの店舗、どの業態になるのだろうか。

 東京のような大都市ではまだまだ再開発が続くので、新業態のリアル店舗が登場するに違いない。福岡市のように地方都市でも人口が増えているところは、商業開発は今後も続くと思う。しかし、かつてニュータウンと言われた郊外の住宅地では住民が高齢化しているし、これから確実に人口は減少していく。車の免許を返納する人たちが増えていけば、モータリゼーション頼みのロードサイド店、ショッピングモールへの影響は避けられない。

 2018年から19年にかけて、イオン系では石川県や岐阜県など、三井不動産系でも静岡県で郊外SCが開発されるなど物件は少なくない。熊本県では今年11月開業予定だったSCがあるが、計画変更で2018年春の開業となった。しかし、用地は未だに更地のままで土地区画整理事業の整備が続く。おそらく来春の開業も不可能ではないかと思う。

 人口が減っていく地方都市で、旧態依然とした商業施設がどこまで必要なのだろうか。小売事業者は米国の惨劇が日本でも起こりうることを想像しながら、リストラよりも先に小売りのリエンジニアリングに手を付けるべきではないかと思う。

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生地別注の功罪。

2017-11-15 05:27:33 | Weblog
 11月3日付けの繊研新聞電子版に「東京ブランドが桐生のコンバーターと組み新ビジネス」という記事が掲載された。 デザイナーの若山雅紀氏が展開する「モヴェズエルヴ」が群馬県の桐生産地のテキスタイルコンバーター、C of H(シー・オブ・エイチ)と組んで、小ロットにも対応する別注のジャカードアイテムを供給するものだ。

 生地は経糸2色展開でセットし、緯糸を数十通り変えて織り上げている。それをモヴェズエルヴとその取引先が選んでアイテムに使い、小ロットでのオーダーを実現させるもの。17~18年秋冬は、色別で14種類の織物を用意し、そこからモヴェズエルヴが2種類を選び、コート2型、スカート1型で企画したという。

 また、取引先はこの2種の織物でオーダーする以外に、残る12種類の生地でコートやスカートを注文することも可能というから、生地別注という形にもとれるわけだ。

 デザイナーとテキスタイルコンバーターの協業は、過去にも何度も行われているので特段珍しいことではない。ただ、ビジネスとして収益を上げるところまで持って行くのがたいへんなのだ。特に協力を願う機屋さんや縫製工場はロットが増えないのでは、あまり乗る気にはならない。デザイナーとコンバーターの熱意がどこまで伝わるかが、こうした企画の勝負どころになる。

 今回、デザイナー側は「店頭に同じものばかりが並ぶのはどうか」「オリジナル生地で別注すれば、そのショップしかないものができる」「他にないものを作るには、生地から作らないと」と、企画の背景にある作り手の思いをストレートに語っている。



 本来、デザイナーは自分のクリエーションを徹底して追求するなら、生地からオリジナル発注することになる。今回はコンバーターと協業して生地からオリジナルで作り、取引先に別注してもらうというくらいだから、多くの若手デザイナーは「有りモノ」の生地から選ばざるを得ないのである。売上げが最低数億円クラスのデザイナーズブランドでなければ生地発注はない、というか出来ないのが現実なのだ。

 もっとも、デザイナー側の言い分に対し、ショップ側の反応はどうだったのか。店頭に同じものばかりを並べることに後ろめたさを感じているのか。それともそうでもないのか。大手はオリジナル化を進め、売れ筋を追求して販売効率を高めようと躍起なので、同じものを並べることにそれほど抵抗は感じていないと思う。



 一方、個店のセレクトショップは、どうなのか。デザイナーが言う「店頭に同じものばかりが並ぶのはどうか」「オリジナル生地で別注すれば、そのショップしかないものができる」に、共感するバイヤーは少なからずいると思う。反面、「そうは言っても、先に別注のジャカードありきでは、う〜ん」と、二の足を踏むのが正直なところではないだろうか。

 別注に理解があるバイヤーなら、生地から製造するのは決して否定はしないだろう。でも、バイヤーは先に生地提案があると、でき上がるアイテムのイメージを想像するだろうから、諸手を上げて「ゴー」サインを出すというわけにはいかないと思う。バイヤーとて、別注で仕掛けるなら自ら生地を指定して、「この生地でこのデザインのアイテムを作って」という方が圧倒的に多いからだ。

 記事では「秋冬はベイブルックが別注1色をオーダーした」と書かれていただけで、他店の動向はよくわからない。それにしても、熊本のセレクトショップ「ベイブルック」がこの企画に乗ったという点は、どうしても注目してしまう。同社は筆者が住む福岡にもいくつも店舗を展開しているからだ。

 おそらく今も変わってはいないと思うが、同社は店舗ごとに販売するスタッフが商品の仕入れにも携わっている。そうすることで、同じ業態でも品揃えに変化を付けているのだ。ただ、メーカー仕入れである以上、同じ商品が競合店を含め、他店に並ぶことは避けられない。デザイナーが言う「そのショップにしかないもの」というか、自分たちが提案したいというアイテムは、常に仕入れに携わるスタッフも意識していると思う。

 同社はいろんな業態を展開してはいるものの、基幹店の「ベイブルック」ですら熊本1店、福岡3店(うち1店はアウトレット)、小倉2店、長崎1店しかない。他の業態は郊外SC展開のビンゴを除き、ほとんどが1店舗、ないし2店舗展開だ。

 モヴェズエルヴが提示した別注をこなす最低の数量は、1色当たり30メートル。これを反つぶしにするとすれば、コートなら10枚以上、スカートでも20枚以上できあがる計算になる。1点もので勝負するセレクトショップとして、個性的な商品を並べるで店頭に変化を付けることはできるが、別注は店舗数で按分したとしても、在庫負担になる。

 これを消化していかなければならないのだから、決して楽ではないだろう。それでも店仕入れをやってきたベイブルックだし、顧客とのコミュニケーションの中で、「ジャカードのアイテムもお客さんは惹き付けられる」かもと、敢て勝負に出た点は流石だ。ぜひとも売り切って、生地別注の牽引役を果たしてほしい。

 組織に変化がある生地、打ち込みがしっかりしてこしがある生地、織り方で微妙な色合いを出す生地、等々。デザイナーとテキスタイルメーカーがアイデアをしぼり、コストをかけて織った生地から生まれるアイテムを着て来た層からすれば、今のマーケットに出回っている商品は、無地でフラットな生地ばかりで面白くないと思う。

 昨年、日経ビジネスが特集した「誰がアパレルを殺すか」の派生特集でも、「男性用のスーツなら、一昔前は上代(小売価格)の15%が生地代でした。今では大体5%程度に下がっています。だから、おもちゃのような品質の商品になってしまう」と、ワールドで総合企画部長などを務め、コンサルタントとなった北村禎宏氏は語っている。

 おもちゃとはまでは行かなくても、今のマーケットに流通しているアイテムの生地のレベルが原価率の圧縮から、総じて低下しているのは紛れもない事実だ。そう感じるお客が意識が高いかどうかは別にして、筆者が服を買わなくなったのはやはり生地企画の劣化、質の低下は要因の一つにあるし、同じような気持ちの人は少なくないと思う。

 確かに「50代以上のおっさんたちは生地に対する思いが異常」「カジュアルな服は安くて当たり前」「モードという理屈で価格を吊り上げている」というご意見がネットではPVを稼いでいるのだから、賛同者は多いのかもしれない。

 ただ、リアルな店頭、個店のセレクトショップは、本当にブランド側、コンバーター側からの生地提案を待っているのか。それとも自ら探して別注企画にも乗り出しているのか。その辺を掘り下げて、業界低迷の理由に生地があるのかどうかも、もっと考えていかなくてはならないはずだ。業界メディアは企画生産者側だけでなく、アイテムを売る側が考える生地別注のあり方にもスポットを当てる必要はあると思う。

 「こんな生地のアイテムはないの」「昔、着ていたあの生地がまた着てみたい」って、濃密な会話は今も世界中のセレクトショップの店頭では交わされているいるはずだから。
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店を出す先。

2017-11-08 05:17:49 | Weblog
 先月、生活雑貨店の「ママイクコ」などを展開する(株)システムジュウヨンが民事再生法の適用を申請した。このニュースを見た時、ロゴマークに見覚えがあったので、どこかのショッピングセンター(SC)に出店しているのはわかったが、それがどこだったのかは思い出せなかった。

 そのことをSNSでつぶやいたら、アパレルメーカーの方から親切に「ゆめタウンにありますよ」と、教えていただいた。仕事柄、専門店は衣料品だけでなく、服飾雑貨からインテリア、ステーショナリー、時計宝飾、アクセサリーまで、都市部、郊外を問わずチェックしている。ただ、アパレルの不振で、雑貨や飲食を加えた「ライフスタイル業態」が攻勢をかけ始めてからは、似たような出店があまりに多いので、自分の生活圏では全部チェックするのは困難になっている。

 筆者は商業施設が開業すると、プレスプレビューに誘っていただけるし、リリースも送られてくるので、内覧会に参加しなくても興味をもった業態は、オープン後に必ずチェックするようにしている。その方が背広族やメディアしかいない売場と打って変わり、お客さんの入りもわかるし、売れる商品や人気が出るであろうアイテムの確認には好都合だ。

 ママイクコは雑貨のみならず、フレンチテイストのカジュアルウエアやアクセサリー、バッグや帽子、コスメや菓子、キッチュな生活家電まで揃えている。中には知名度のあるブランドもあり、買いやすいプライスラインなので、SC向けのライフスタイルストアとしては一定のポジションを確立していたと思う。それが全国に159店舗という店舗数にもあらわれている。

 しかし、そんな業態であっても、店舗を運営するシステムジュウヨンは民事再生法の申請せざるをえなかった。信用調査系メディアはご多分に漏れず、要因を「100円均一ショップや同業他社との競争激化」「顧客の低価格志向に伴い、店舗の集客力は低下したことで売上げは伸び悩んだ」と、報道した。

 ただ、これ以上の詳しい分析はないので、経営が行き詰まった根本的な理由は何なのか。筆者なりに探ってみたい。



 ママイクコは若い主婦の感性や目線で、ファミリーのライフスタイルに必要なファッション、生活グッズをほぼフルアイテムで揃え、編集し提案している。価格は100円ショップやプチプラの雑貨店ほど安くはないが、ウエアは4000円〜5000円、バッグ2000円〜3000円、服飾小物は2000円以下で購入できる。

 価格の手頃さから夫の年収が300万円以下の若いファミリー、非正規雇用でやりくりしながら暮らすシングルマザーでも、決してダサくないライフスタイルを維持できる。加えてフレンチテイストのアクセサリーやシーズンイベントのアイテムは、中高生までもを惹き付けていたはずだ。それがSCを運営するデベロッパーに好評で、出店依頼が次々と舞い込み、店舗が増えていったと思われる。

 しかし、実際のところ、収益性はどうだったのか。ママイクコの他に「ジュ・マ・モア」(3店舗)などを加えた総売上高は、2008年8月期に約75億3600万円を達成して以降は下降をたどり、16年同期には約68億6000万円までダウンしている。現在の店舗数159店から単純計算すると、1店舗当たりの売上高は約4300万円だ。純利益は大きく見積もって10%としても、430万円くらいにしかならない。

 一方、一般的な郊外ビルインの出店コスト、初期投資を考えると、雑貨業態の場合、保証金(20坪、最低2年の定借として)、内装費などを合わせると1000万円〜1200万円はかかると思う。ママイクコは店舗面積が30坪程度と大きめだから、初期投資は通常の雑貨店より200万円〜300万円は多めにかかっていると思う。

 店舗利益を原資にするのではとても出店コストを賄えない。金融機関から借り入れせざるを得なかったのである。そのため、FC加盟店も募集していたが、出店コストは店舗あたりの純利益に対して2.5から3倍もかかっていたことになる。店舗数が30店、50店と100店舗を目指す時点では出店の勢いから、投資を回収して借入金を返済できるとの目論見だったのかもしれない。

 しかし、店舗が増えれば増えるほど、未返済分は嵩んでくる。そこで、システムジュウヨンは金融機関に返済時期の繰り延べを願い出るなどリスケに努めている。それでも8億円もの債務超過に陥っていたところから類推すると、明らかに出店戦略に無理があったと言わざるを得ない。既存店の売上げが右肩上がりならまだ活路を見出せるが、それも厳しくなれば手の打ちようが無い。

 ママイクコの商品政策や価格体系は間違っていないと思う。1店舗でウエアからキッチングッズまで手頃な価格で提供できているし、個々の雑貨もテイスト軸がしっかりして編集もきちんとなされていた。ウエアや服飾小物は価格の割になかなかの作りで、大手SPAにはないレベルの高さをキープしている。

 お客は目的買いというより、SCを回遊していたらグッズやアクセサリーが気に入ったので、買ってしまったという衝動買いを誘うようなショップだ。100円ショップよりも、商品レベルを上げたバラエティストアとでも言おうか。

 全国に100店舗以上の店舗を展開したのだから、ニューズがあったはずだ。しかし、結果として民事再生法の申請をしなければならなかったのは、やはり市場規模を超える店舗展開に根本的な要因があるのではないか。さらにSCを中心にドミナント展開していく中で、店舗が50店、80店を超えて以降、嵩む投資を回収し、未返済の借入金を返済する抜本的な一手を打ち出せなかったことは、要因としてあげられるだろう。

 総売上げや利益に対しての店舗数のバランス、また雑貨業態が乱立する中での商品政策の見直し、新業態の開発など潮目を見誤ると、致命傷になりかねない。チェーン店の場合、経営者は出店規模に沿って全体売上げが上がっていくと、既存店の中に業績不振があったり、現場からMD改善を求められても、つい後回しにしがちだ。このツケが貯まると、システムジュウヨンのようなケースに陥る。その時になって手を付けようとしても、時すでに遅しなのである。

 市場がこれ以上伸びない日本で、同じ業態が100店舗以上も必要だったのかと言えば、甚だ疑問である。しかも、商品の半分以上が仕入れだと考えると、店舗数が150店を超えたところで、それほど値入れ率が改善するとは思えない。総利益額はそれ以上高くなりようがない。必ずしも100%オリジナルの完全SPAが最善策とは思わないが、少しでも収益を好転させる商品政策を取らないと、店舗経営は立ち行かなくなってしまうのだ。

 今のところ、EC、ネット通販が影響したとの報道はないが、仕入れで商品構成をする以上、同じ商品が通販サイトに並んでいるケースも考えられる。

 ママイクコの場合、平均客単価は3000円を超えないだろう。お客が配送料値上げが必至のネット通販に一気に流れるとは考えにくい。一方で、年収に限りがある主婦やシングルマザーが同じテイスト、同じ商品なら少しでも安いものを探すのは当然のこと。SCを訪れた時に商品を見分け、さらにネットでも同じ商品、価格を比較するのは、もはや当たり前の購買行動になって来ている。店舗販売のまま営業を続けるだけでは、ますます厳しくなっていく。

 雑貨業界全体にも言えることだが、利益の薄い雑貨店を歩率家賃や賃貸物件で販売していくことは、これから非常に難しくなるのではないか。だったら、どうするのか。それが業界全体の経営課題でもある。以前は「商店街でも洋服を売っている店は潰れるところが少ない」と、羨む雑貨店のオーナーもいた。今はアパレルの方が大手であっても次々と店を畳んでいるが、かと言ってこれからの雑貨店がアパレル不振のあだ花にはなりえることなどありえない。



 チャーン店の論理は100年も前に作られたもので、すでに時代に合致しなくなっているのではないか。企業にとって規模を拡大することは経営の意思かもしれないが、それが正解と言えるのかどうか。人手不足や人件費増が重くのしかかる時代でもある。雑貨業態とてアパレル不振の一時的な穴埋めにはなったが、すでに紋切り型で飽きられいるのは間違いない。

 店を出す意味とは、いったい何なのか。どこまで出せば、適性規模なのか。それをベースにした上で、常に商品を作り出し、作れないのであれば開拓調達し、そして新業態の開発も併せて考えていかないと、物販ビジネスは売り方や販売スタイルだけでは立ち行かなくなると思う。
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バイヤーが育てる。

2017-11-01 05:39:25 | Weblog
 東京コレクション2018年春夏が開催された。アマゾンが冠スポンサーになって3シーズン目。世界で活躍する日本人デザイナーを応援する「アットトウキョウ」などの新企画も生まれ、これまでにはない盛り上がりを見せた。

 アットトウキョウには「サカイ」「アンダーカバー」「トーガ」など、今では人気、実力とも認められているブランドが参加したのだから、盛り上がるのは当然と言えば当然。彼らに続く若手の有望株が登場してくれればいいのだが、デザイナー側がアマゾンの思惑に乗せられ、ネット通販を主力販路に位置付けることが、はたしてクリエーション発信やブランドのインキュベーションとしてふさわしいのかとの疑念もある。

 確かに若手デザイナーの意識さえ変えかねないアマゾンの隆盛には、目を見張る。この際、各デザイナーのクリエーションの完成度は抜きにしても、アマゾンのECプラットフォームを活用すれば、デザイナーは自らのブランドを国内だけでなく、海外まで発信することができるのは間違いない。認知されるとまではいかなくても、いくらかのレスポンスには期待できるだろう。

 しかし、アマゾンのフォーマットは決まっている。アップされるブランド、商品は膨大な量があるわけで、ブランド価値を世界中のネット客に浸透させるには限界がある。ネットを活用するにしても、アマゾン内にリンクを貼るなど、自社サイトに誘導させてブランドコンセプトからルックブック、素材やサイズなどのスペックをしっかり公開しながら、販売はもちろん、マーケットの反応を見る仕組みを構築しなければならない。

 EC礼賛の諸兄が宣われるように既存のネット含めた販売チャンネルで、検索率やコンバージョンレートにつながるのは、アマゾンを差し置いて他にはないだろう。ただ、いくらアマゾンとは言え、ネット通販という性格を考えると、現物の商品を確認できるチャンネルも並行して整備しないと、ブランドの認知はもちろん、購買につなげるには無理がある。ましてブランド価値がお客に伝わるはずはない。

 特にデザイナーがクリエーションはもちろん、素材や色、着心地などを打ち出していくのなら、現物を確認できることはなおさらである。今回、アットトウキョウに参加したサカイの阿部千登勢、トーガの古田泰子もデザイナーとしてブランド創立から20年近くなるが、登場からメディアの喝采を浴びたわけではない。愚直に展示会を行い、中小のセレクトショップの目に触れて、少しずつ売れて来たのだ。

 先にブランドの良さを感じとったのはメディアではなく、いくつもの服を選り抜き、売って来た百戦錬磨のバイヤーたちだ。そうした彼らがクリエーションを認めたからこそ、少しずつブランドビジネスを安定させ、東京からパリやロンドンに拠点を移し、今回の凱旋につながった。それでも、両ブランドとも軌道に乗るまでには10数年の時間を要している。バイヤーが彼らを時間をかけて育てたと言ってもいいだろう。情報技術の進歩とは裏腹にファッションビジネスには時間を要するのだ。

 確かに最近では卸をやったところで、小売り側がそれほど付けなくなっているし、シーナウ、バイナウの時代にダイレクトに販売しないのは無意味との意見もあるだろう。しかし、お客に直に売るネット通販では商品の見た目で衝動買いを誘えても、お客が「気に入らなければメルカリで売ればいいや」という落とし穴もついて回るわけで、ブランドのインキュベーションや価値の醸成には諸刃の剣と言えなくもない。

 ファッション衣料は長年店舗で販売されてきており、そうした商慣行に照らし合わせて考えると、クリエーション、ブランド力、ロイヤリティの確立にはネットチャンネルだけでは片手落ちと言わざるを得ない。もちろん、展示会卸をするにも、小売り側がリスクを負わなくなった点で、若手デザイナーが営業ベースに乗せるのは至難の業なのは、百も承知だ。だからと言って、ネットで簡単に買い手がつくほどビジネスは甘くない。

 IoTの技術はこれからますます発展していくだろうから、現状の文字情報、写真、画像に加えて、PCとVRを活用することによるバーチャル試着、色や触感、サイズの確認、服の試嗅くらいが可能になれば、ファッション流通は完全にネットが支配すると思う。ただ、それにアマゾンが先鞭をつけるかどうかはわからない。

 サイトがもつ機能が限りなく高度化された時、それは世界中の消費者にリアル店舗を超え、それ以上の情報発信力をもつことになるだろうが、そこまでにはもう少し時間がかかりそうだ。それにしてもアマゾンがネット通販で主導権を握り、IoTまで駆使してブランドインキュベーションにどこまで手を貸すかは未知数である。

 そんなアマゾンが先日、「アマゾンバー」なるリアルな酒場を営業した。銀座の目抜き通りから少し離れた隠れ処的な場所で、約5000のサイトで取り扱うワインからビール、焼酎、ウイスキー、日本酒までを提供し、一部はカウンター越しにディスプレイ。日替わりイベントやその日の気分で酒を選べるなどの仕掛けで、お客を迎え入れている。

 10月20日~29日の期間限定とは言え、ネット販売した酒類、人気銘柄、お客の評価、リピーターなどの情報をもとに実店舗にセレクトするという逆の発想に打って出たわけだ。これもある意味、アマゾンがバイヤーとしてバーづくりに関わったとも言える。

 つまり、ネット通販がこれから成熟に向かっていく中で、次なる一手を考えていたということだろうか。通販で磨いたセレクトノウハウがリアル店舗の開業に生かされたことになる。これをファッション業界に置き換えると、アマゾンのサイトで販売実績を上げた人気ブランドをセレクトしたリアルなショップの展開もあり得るだろう。

 また、そこでブランドが売上げ実績をあげると、そうしたブランドを集めた次シーズンのプレコレクションをアマゾンがプロデュースすることもできなくない。アマゾンとて、リアル店舗に新たな価値を見いだそうとしているのかもしれないのだ。

 どちらにしても、ネットと実店舗、バーチャルとリアル。クリエーションの発信やブランドインキュベーションには、この両方をいかにうまく活用するかが必要になる。若手デザイナーは自らのブランド特性や世界観をじっくり見つめながら、孵化していくには卸を含めて実店舗とネットのどちらが向くのか。初期投資やランニングコストのバランスと併せながら考えていかなければならない。

 また、ネットのレスポンスとバイヤーや実店舗での反応をいかにマーチャンダイジングに落とし込んでいくか。情報技術を生かした高度なスキルをもたなければ、デジタル時代のファッションビジネスは成り立たないと考える。すでにニューヨークでは有名ブランドの旗艦店さえ、閉店に追い込まれる現実がある。こうした点からすれば、すべてのブランドが実店舗を出す時代ではないのかもしれない。いかに持続可能にしていくかの方が重要なのである。

 この間、渋谷でコンサルタントと食事をしながらそんな話をしていると、彼が「若手デザイナーはショーを行うだけでなく、その模様を動画にしてもっとYou-Tubeで流せばいいのに」と、言っていた。確かにスマートフォンの普及で画質の高い映像を気軽にネットにアップできる時代なったのだから、デザイナーが自分の作品をアピールするにはネットの動画サイトは格好の媒体になる。やってみる価値はありそうだ。

 まあ、筆者も何度と無く仕事をしたことがあるが、これまでデザイナーのコレクション映像は、ブランド側がカメラマンを手配してプロモーションビデオとして制作するか、マスメディアがテレビ番組やニュース報道用に撮影するくらいだった。デジタル技術の発展で撮影や編集がより簡単になったので、コレクションショーの会場で、正面、両斜め、両横と4〜5台のカメラを設置し、録画した映像をパソコンを使って編集し、新たにBGMを加えることは難しくない。

 事前にプロモーションビデオを撮影するなら、カット割に手間がかかるかもしれないが、1台のスマートフォンでもできなくはない。

 ただ、デザイナー自身がそこまでやるには時間的、技術的には厳しいだろう。自分でやるにしても、ブランド力を高める完成度の高い動画を作るには、ディレクターの能力や感性も必要になる。誰かに頼むとしても、カメラとPCに長けた人間が不可欠だ。糸へんだけの業界を歩いて来た人間でもできなくはないが、動画制作の技術はつけるには経験も必要になる。

 ともあれ、ネット環境がこれだけ整備されてきたわけだから、ブランドをインキュベーションするために利用しない手はないという意見は一理ある。アマゾンが今後、ECのプラットフォームを高度化するのにどの程度のイノベーションを繰り出すのか。また、アマゾンバーに見られるように実店舗でも新たな機軸を打ち出すのか。

 そうしたガリバー型企業がアパレル業界を席巻していくのは間違いない。しかし、情報発信や検索率ばかりにとらわれ過ぎて、足下にいる潜在客を見失うようなビジネスでは、クリエーションや世界観は伝わらないし、ブランド価値も醸成できないと思う。アマゾンをうまく活用しながら、いかに自身でもネット環境に合致する仕組みを整備していくか。アマゾン頼みは若手デザイナーが目の当たりにする危うさを暗示する。

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