HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

スマホ決済は一過性?

2019-11-27 06:24:20 | Weblog
 個人的に今年の業界トレンドでは、QRコードやバーコードによる「スマートフォン決済」を挙げたい。2度の100億円キャンペーンを実施した「PayPay」をはじめ、楽天、LINEなどいろんな企業が参入し、急激に浸透している。

 筆者が住む福岡市では、昨年から自治体が「キャッシュレスに関する実証実験プロジェクト」を主導し、今年4月からは役所の窓口、施設で「QRコード決済(LINE Pay、Naver Pay、WeChat Pay)」が利用できる。プロジェクトは3月末で終了しているが、実験に参加した事業者は天神、大名、今泉の衣料品や飲食店、屋台、博多川端通商店街、商業施設の博多リバレインモール、タクシー、ドラッグストア(新生堂)、福岡空港など多岐にわたった。

 これらのどれほどが4月以降、 QRコード決済を本格導入したのかはわからない。だが、中国や韓国を中心にアジアからの観光客を誘客していくこと、また、東京でスマホ決済になれたビジネスマンの出張や転勤が多いという街の性格を考えれば、今後も導入していく事業者はあると思う。ただ、日本全体ではどこまで普及するのか。そして、本当にスマホ決済は便利な支払い方法として定着するのだろうか。

 スマホ決済が急速に普及したのは、中国だ。背景には、パソコンを飛び越えてスマートフォンが先に浸透したことがある。また、決済を手がけるAlipayやWeChat Payが莫大なマーケティング費用を注ぎ込んだことも要因と言われる。そして、何より決済手数料が安い(平均で0.6%未満/屋台などで使われるユーザースキャン型では無料)ことだ。信憑性のほどはわからないが、偽札が横行し国がそれを抑えるためにスマホ決済を普及させたという説もある。


操作性はFeliCaが優る

 では、外国人旅行者が日本で利用するのは別にして、日本人のスマホ決済が国内で定着するのかどうか。これについて筆者は正直、懐疑的と見ている。理由は既存の決済方法との比較や手数料、セキュリティ、通信トラブルや端末の問題だ。また、自分のライフスタイル上での体験から、利用しなくても特に不便さ感じない点もある。

 まず、既存の決済方法と比べると、本当に利用しやすいかと言えば?がつく。実際にこんな状況に遭遇した。「高速バス」の運賃支払いをスマホ決済にしていた日本人の乗客がいた。バスを降車する際、いろんなアプリの中からバスチケット専用を選んで使用しようとしたが、うまくいかずに何度もやり直すので、筆者を含め後に並んでいる乗客はイライラさせられた。運転士が説明しても慣れていないからか、アプリを何度も立ち上げるので、却って手間がかかってしまったのだ。

 このお客は、「バスもり」というアプリをスマホにダウンロードし、高速バスのスマホ回数券を購入していた。これは4枚綴りで行き先、運賃は事前に決まっている。降車地が近づいてアプリを立ち上げ、「乗車券をもぎる」という画面をスライドさせ、チェック画面を出したまでは良かったが、チェックを入れたのか入れ損なったのか。運賃箱の横に貼ってあるバーコードを読み取るカメラがうまく起動せずにもたもたしたのだ。

 慣れれば、スムーズにできるのかもしれないが、 FeliCa系カード、いわゆる非接触のプリペイドICカードなら乗車時と降車時に財布に入れたままかざすだけで、はるかに手間はかからない(割引運賃にはならないが、鉄道会社系の店舗などで商品を購入するとポイントがつく)。仮にスマホ決済を「路線バス」に導入するとなると、交通系だけなく、PayPayや楽天、LINE、WAONなどあらゆる決済システムに対応しながら、主にバスを利用する高齢者はカード利用だから、地域特性に合致するのかという課題も浮かび上がる。

 ショッピングや飲食の場合は、レジ待ちするケースはそれほどないので、金額を打ち込んでQRコードを読み込むだけで決済できるのは便利だ。しかし、クーポン券を利用するとなると、また手間がかってしまう。そう考えると、コンビニなど少額の支払いなら良いが、高額な商品を購入するときは、クレジットカードの方が安心できる。しかも、日本ではスマホ決済の手数料がキャンペーン期間を除けば3.24%と、クレジットカードの3.00%程度より高いのだ。メリットはあまりないから、利用範囲は極めて限られるのではないか。


中国とは事情が違う日本

 中国の決済手数料が安いのは、AlipayやWeChat Payといった「第三者決済組織」が国内外の複数の銀行に口座をもって直接接続していて、利用者の清算と利用先店舗への支払いの両方を行えるからだ。従来、リアル店舗で買い物や食事をした時のオフライン決済は、店舗にステッカーが貼ってある「銀聯カード」が独占していた。だが、中国の人民銀行がAlipayやWeChat Payにも開放したことで、競争が働いて手数料が下がったのである。日本とは違い通信インフラ整備が後発で、スマートフォンに集約されたからそれが可能になるわけだ。



 先日、上海に出店したあるブランドショップのオーナーが、「中国人客は50万円程度の買い物でも、平気でスマホ決済していく」と話していた。それは通信インフラの環境がそうさせるわけで、日本とは根本的に異なる。ITの進化は日進月歩で、低コスト化が進んでいる「ICタグ」が普及すれば、それを使って決済、データ管理まで行えるようになる。いちいちスマホでコードを読み取って金額を入力、確認する手間は必要でなくなるのだ。

 当然、中国だってそうするかもしれない。今は新しいスマホ決済でも、すぐに古くなって見向きもされない可能性がある。かたや日本は台風、地震と災害が非常に多いため、保守管理が不可欠なのはアンテナを必要とする携帯電話だけではない。光通信をはじめとしたいろんなインフラを維持しなければならないことを考えれば、スマホ決済に一本化されて広く浸透していくとは考えにくいのだ。逆に一過性のブームで終わることも、十分にあり得ると思う。

 さらにセキュリティの問題がある。セブンイレブンが導入した「7pay」では、登録者のアカウントに不正にアクセスしてIDとパスワードを盗んだ犯人が、電子マネー4万円分を騙し取った事件は記憶に新しいところだ。7payは1日のチャージ上限が30万円と高額なことで、狙われたと見られる。しかも、 クレジットカードから何度もチャージでき、支払う時に個人認証もパスワードも必要ないというから、セキュリティなどあったものではない。

 もし、中国の犯罪組織が日本をターゲットにしているとすれば、今後もあらゆる手段でセキュリティを破って来ることも考えられる。それについて、日本のスマホ決済各社がどこまでセキュリティを万全にしていくのか、利用者にはよくわからない。7payは対策が杜撰だったと片付けるのは簡単だが、各社が安全対策をより重視してセキュリティに投資するのなら、応分のコストがかかるから、手数料が下がるとは考えにくいのだ。

 各社はクレジットや専用のカードと紐付けし、そのプラットフォーム上でオフラインにおける支払いでスマホ決済を可能にしている。とすれば、間にスマホが入る分、システムが複雑になり新たなリスクが発生する可能性は高い。結局、各自でリスクを見極め、自己責任になるのであれば、少額チャージにならざるを得ないし、FeliCa系カードで十分と言える。リスクヘッジのためにキャリアを増やす(スマホを複数所有する)ほどバカげたことはない。


電池切れも破損もないカード



 筆者はライフスタイル上、パソコンのヘビーユーザーであり、ネットショッピングではPC、クレジットカード決済を利用する。画面が小さいスマホでは商品確認がしづらいため、情報を収集するくらいに止め、店舗で現物の商品を見るか、改めてPCで確認してから、購入するか否かを決める。ただ、キャッシュレス決済そのものは否定しないので、鉄道系FeliCaカードの「nimoca」を利用している。

 これは福岡市に本拠を置く私鉄の西日本鉄道が発行するもので、電車、バス、同系列の商業施設(ポイントが貯まる)はもとより、地下鉄(福岡市交通局)、JR(JR九州)で利用が可能だ。2010年からはJR東日本の「Suica」と相互利用が始まり、東京出張では非常に重宝している。羽田に着くと、カードを財布に入れたまま京急に乗り継げるので、都内移動が非常にスムーズだ。もちろん、地下鉄やJR、私鉄各社、モノレール、ゆりかもめでも同様に利用できる。

 都内の店舗では、コンビニはすべてOK。百貨店、駅ビルはもとより、スーパーも大手、ローカルを問わず使える。カフェ、ファストフーズも利用可だ。銀座の「伊東屋」では文具をはじめ、翌年のダイアリーやカレンダーを購入する時にも使っている。あんぱんの「木村屋」でも利用できたのには正直、驚いた。満額2万円をチャージしておけば、2〜3日の出張では交通費と食事、買い物には十分だ。仮に紛失したとてもそれほど堪えないし、何より軽いのがいい。
 
 スマートフォンはバッテリーが切れると利用できない。そのためにモバイルバッテリーまで持ち歩くのは完全にスマホに支配された感じがする。破損や紛失のリスクもある。できればこれ以上、物は持ちたくない。昨年はスマホ決済元年とも言えたので、アクセス集中による高負荷が原因で、Kyashで決済処理の遅延・エラーが発生した。また、PayPayでは決済処理で「輻輳」(一カ所に集中すること)が起こり、決済したにも関わらず、何度も入力したことによる二重決済が起きている。

 ごく最近も障害が発生した。11月23日早朝、九州電力の通信子会社「QTnet(福岡市)」のデータセンターで、電源設備の更新作業中にサーバーが電源を失って停止し、「楽天ペイ」が利用できなくなった。26日18時の時点で約260社中まだ16社が復旧作業を継続中だが、やはり通信障害が起こるとスマホ決済が使えなくなるのは厄介だ。

 まあ、キャンペーンで利用が集中したことを割り引いても、スマートフォンは通信端末だけに障害リスクはカードより高いのではないか。もし何らかのトラブルが発生すると、地下鉄の改札を出られないってことが無きにしもあらずだ。これはカードでも同じなのだが、あのフラップドアが急に閉じたり、自動改札機が赤く点灯した時ほど、赤っ恥はない。

 政府がキャッシュレス決済を推進するのは、「10%消費税の痛税感を和らげるのは狙い」とも言われるが、大枚をはたき税負担を感じるほど買いたい商品はほとんどない。むしろ、都会生活をする上では、なるべくリスクを分散して、そつなくスマートに生きていきたい。

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曖昧なイベント効果。

2019-11-20 04:35:08 | Weblog
 今年を振り返る第二弾は、「ガールズコレクション」。このイベントはもともとリアルクローズとエンターテインメントを組み合わせ、アパレルメーカーも加盟する商工会議所とテレビ局、イベント会社が一体で仕掛けた「神戸コレクション」が元祖。その後、モデル役の「タレント」をブッキングしやすい地の利がある「東京ガールズコレクション(TGC)」がフォーマット、知名度ともに確立し、海外や地方でも開催されるようになった。

 当初、TGCはタレントが着用するアイテムを観客がイベントを見ながら購入できるシステムを採用した。雑誌に次ぐ、ファッションメディア、販売ツールを目指し、リアルタイムで商品の衝動買いを誘ったわけだ。しかし、観客の心理はタレントを見ることに集中したいから、商品を購入する・しないはどうしても後回しになる。提携サイト(ガールズウォーカーなど)を見てイベントをフラッシュバックしながら、検討すればいいからだ。

 ファッションアイテムをアピールするアイコンは、あくまで「人」だ。一時、雑誌メディアから登場した「カリスマ販売員」や「読者モデル」が脚光を浴びたが、一般大衆が憧れるのは、ルックスやスタイルで優るタレントになる。それが目の前で見られるのだから、大衆が引寄せられるのは当然だろう。結果的にイベントは商品の販促策としては二の次に置かれるようになり、TGCはタレントによる「客寄せ興行」としての性格をより強くしていった。

 そもそも、ガールズコレクションでタレントが着るアイテムは、デザイナーがシーズン毎に発表するクリエーションとは異なる。リアルクローズと言われるが、一般のショップで販売されている既成服に過ぎない。だから、イベント企画は手を変え品を変え、キャスティングも売れている旬のタレントを起用しないとマンネリ化する。観客がリピーターにならなければ、連続開催するにも集客力を欠いてしまう。ヒット曲を連発するミュージシャンのライブとは違うのだ。
 
 そこで企画・制作にあたるイベント事業者は、「地方開催」に舵を切り始めた。地方は高齢化、若年人口の流出、加えて近年は豪雨や地震などの災害にも見舞われている。自治体には「地域活性」や「災害復興」を大義にした事業が欠かせない。イベント事業者はそこに目を付け、「地域創生プロジェクト」を名目にして、自治体へ営業攻勢を掛けたわけだ。

 自治体=行政が動けば、地元商工会議所、組合員企業を巻き込みやすいし、地元スポンサーの確保も容易になる。地場企業はスポンサーになれば地域に貢献できて、知名度も上がる。メディアはイベントの前後からネタには困らず、広告の企画枠を連動できる。芸能事務所はタレントに地方営業をさせることで新たな稼ぎ口が増え、地元モデルクラブは所属モデルを全国メディアに売り込むきっかけにできる。利害関係者それぞれにメリットがあるのだ。

 何よりイベント事業者にとっては、自治体のお墨付き=税金が拠出されるから、総経費のベース確保の目処がたつ。後は「チケット販売」と「スポンサー収入」で何とか収支を合わせ、利益が出るようにもっていけばいいのだ。TGCの地方開催では、こうしたそれぞれの思惑が達成できるので、「ビジネスモデル」として確立したと言える。

 話をもとに戻すと、ガールズコレクションは一定の効果はあるが、タイムデザインである以上、一過性のもので終わる。しかも、若者の間でのファッションメディアは、雑誌から完全にスマートフォンに移行した。そこではSNSで情報を発信する「インフルエンサー」が消費でも様々な影響を及ぼし、写真のみで情報を伝達する「インスタグラマー」は、メディアの主役とも言われる存在になっている。

 ファッションメディアは今や、インフルエンサーやインスタグラマーに取って替わられた。業界では「ガールズコレクションにブランドを出品しても、それほど売上げには繋がらない」という意見が大勢を占める。もはや「イベント効果」という名目を上げられるのは、地域活性や災害復興などを大義に掲げて実施する地方開催くらいだ。だが、それにしても、実効性という点では評価が極めて曖昧である。

 北九州市は、2015年から「TGC北九州」を開催している。市では製鐵を中心にした基幹産業が衰退したにも関わらず、それに変わる産業を中々振興できない中、地方創生事業として若者の注目を集めるガールズコレクションに目を付けた。主導した北橋健治北九州市長には成長著しい福岡市への対抗意識もある。毎回、開催の記者発表で必ず小川洋福岡県知事を同席させる光景には、「県からも支援を取り付けた」という首長としてのメンツが透けて見える。

 北九州市に触発されるように熊本市でも今年から「TGC熊本」を開催している。こちらには自治体が掲げる熊本地震からの「創造的復興」という大義や、地元でしか通じない「ファッションの街、復権」という自慰的スローガンもある。しかし、肝心な経済効果は、初回開催ということを割り引いても来場者の85%が県内からで、直接、間接を盛り込んでもわずか4億6500万円に止まった。これを成功と見るべきか、地域活性にはほど遠いとみるべきか。

 北九州市も、熊本市もTGCを続けていくと言うから、イベント効果を出す明確な目標を定めなくてはならない。単なる地方創生や復興という大義だけでは、多額の税金を拠出する事業としては霞んでいくし、反発も受ける。しかし、果たしてそれができるのか。オール民間による事業化も考えられるが、両市のビジネス基盤やマーケット規模を考えると、これも難しい。



 結局、TGCの地方開催を継続し自治体による公金支援を受けるには、地元色を出した企画しかない。タレントが着用するアイテムに東京から持って来るNB(ナショナルブランド)だけでなく、地域のブランドや地元で活動しているデザイナーの作品も加えるという案だ。TGC北九州では、地元専門店「レディスハトヤ」が、自社開発のSPAブランド「ラトカーレ」の出品枠を持ち、地場の学校で学ぶ学生たちの作品やスタイリングも採用している。熊本も来年の開催では「地元アパレルブランドのショー」を企画に盛り込むと発表されている。
 
 福岡市で2009年から開催されている同様の「福岡アジアコレクション/FACo」は、福岡商工会議所を中心に関係団体が参加して発足した「福岡アジアファッション拠点推進会議」が主催している。推進会議としてガールズコレクションを開催するのは、福岡の若手デザイナーを巻き込むことで起業を支援したり、新興アパレルを組合員として確保したい狙いもある。

 そこで、当初から地元ブランドやデザイナーに対し募集、審査する形で、出展の門戸を開いて来た。因に2019年度は、Arnev(アルネブ/石田綾乃)、MAISON BY Dress coco/GV JAPAN)、marun..(マルン/丸家梢)、Pli par Pli (プリパルプリ/O'sps.Creative)、salire(サリア/レディスハトヤ)の5ブランドに決定した。レディスハトヤは、サリアとラトカーレで春のFACoと秋のTGC北九州の両方にルーチンで出展している。観客と同等のエージを狙うブランドが他にないのだからしかたないのだが。

 2020年の開催でも、すでに出展ブランドの募集が開始されている。http://www.fa-fashion.jp/index.php?action_detail_index=true&doc_id=325 ただ、前出のようにガールズコレクションのイベント効果は確実に薄れている。それでも、地方のアパレルやデザイナーにとってブランドのアピールする機会が無償で得られるのはそうそうない。ただ、地域活性の先にある産業振興をガールズコレクション開催の大義にするなら、イベント出展で終わりでなく、営業面や販路拡大まで見据えた取り組みが不可欠になる。

 やはり、アパレルやデザイナーにとっては、単独での展示会やインスタレーションを開催する方が重要なのだ。その仕組みを構築するのは、それぞれの事業者にかかっている。所詮、ガールズコレクションは一般の消費者を対象にした客寄せ興行で、観客はブランドや衣服そのものよりそれを着用したタレント見たさで訪れている。にも関わらず、来場者数はそのまま経済効果の指標になり、数字が多ければ活性化を達成できたと自治体は評価する。

 もっとも、そもそも開催大義が回を重ねるほどに形骸化しており、イベント効果すら曖昧な状況。イベントを行っていちばん得するのは、イベント事業者や芸能界なのだ。タレントの道端ジェシカは出演予定だった前回のTGC北九州を夫の脅迫に加担した容疑(実際は不起訴)で、ドタキャンした。集客のためには人気タレントの起用が不可欠だが、それが不祥事を起こせば各方面に与える影響は計り知れない。タレントは諸刃の剣でもあるのだ。

 目下、関係者は、違法薬物所持で逮捕された「沢尻エリカ」をブッキングしなくて良かったと、安堵しているかもしれない。まあ、ギャラの問題もあるから、簡単には実現しないだろうが。ただ、ガールズコレクションのイベント効果は無くなって来ているだから、地域創生どころか産業振興にはほど遠いと、地方自治体は気づくべきではないか。もちろん、「真の街づくり、人づくり、仕事づくり」なんて、できるはずもないのである。

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誂えとはアナログ業。

2019-11-13 06:35:13 | Weblog
 今年もあと1カ月半で終わってしまう。1年を振り返るにはまだ少し早いが、注目した事柄ついて書くことにする。まずは、すっかりメジャーになった感がある「オーダースーツ」についてである。

 スーツのオーダー=「誂え」は、はるか昔からあったわけで、別に珍しくも何ともない。むしろ、1960年代までは今のように「吊し」=既成スーツがそれほど出回っていなかったこともあり、誂える方が主流だった。筆者の父親もスーツをオーダーしていたのを記憶している。会社オフィスの出入り業者がいて、春や秋のシーズンには注文をとって回っていた。

 業者は生地を反ごと持って来てきちんと採寸してくれた。「仮縫い(体形に合わせてシルエットやデザインを確認ために仕付け糸で布を仮に縫い合わせること)」付きだから、自分の体形に合った着心地の良いスーツを誂えることができた。しかも、随所に芯地を使うなど丹念な仕上げで、縫製にはミシンだけでなく身頃や襟の裏、袖付けなど見えない部分には「手縫い」が施してあった。レディスの洋裁師であるお袋も「よく縫っているね」と感心していたほどだ。

 70年代に入ると既製スーツがメジャーになり、80年代には「青山」「はるやま」「コナカ」などのスーツ量販店が台頭。バブル景気が崩壊すると、コストの安いアジア生産の低価格スーツが浸透した。昨今はビジネススタイルにカジュアル化の波(環境対策のクールビズも)が押し寄せ、スーツ離れで既製のものは減少の一途を辿っている。それは青山商事、他3社の2019年3月期の決算がすべて減収減益であることからもわかる。

 そんな中でも、時代の流れや景気の影響を受けず、比較的堅調なのが「テーラー(紳士服の仕立て屋)メード」のスーツではないだろうか。こちらは英国、イタリアなどの輸入服地を使った完全フルオーダーで、熟練の職人が採寸から仮縫い、縫製までに手間と時間をかけるため、最低でも1着20万円以上する。

 昨年、テレビ番組が「麻生太郎財務大臣が着ているスーツが1着35万円」と報道し、いろいろと物議を醸したが、高級輸入服地を使用した完全フルオーダーなら妥当な価格だと思う。麻生大臣がテーラーメードのスーツを愛用するのは、英国スタイルに傾倒した祖父の故・吉田茂元総理が影響している。

 しかし、それだけの理由ではないと思う。これは一度でも洋服をフルオーダーした人ならわかるが、着た感覚が既成服とは全く違うからだ。職人が本人の体型を細かく計測し、それに対してジャスト、きつ目、ゆる目など微妙な調整まで行うので、着ていて少しも疲れない。肌に吸い付くような感覚とは、まさにこのことを指すのではないか。

 財務大臣ともなれば早朝の閣議から省内での業務、国会出席、諸々の会議など分刻みの過密なスケジュールだ。仕事を終え、バーで寛ぐ時もスーツは脱がない。就寝と入浴以外は着ているのだから、着疲れしないためにはテーラーメードが一番いい。この感覚は着てみないとわからないし、着てみると皆が気づくと思う。そこには価格に代え難い価値が存在するのである。

 一方、既製スーツを販売して来た事業者の間でも、オーダーにシフトする動きが顕著で、近年はすっかりメジャーになった。ただ、こちらは本質が全く異なる。価格によりピンキリあるが、基本は既製の「型紙」を何十通りか用意し、その中から本人サイズの近似値を選んで微調整し仕上げるもの。所謂「パターンオーダー」だ。生地は予め用意され限られたものから選択し、附属のボタンやボタンホールのステッチカラーも選べるので、お客はいかにもオーダーした気分になる。

 しかし、肝心な採寸や縫製、仮縫いに手間やコストがかかっているわけではない。真のオーダー=誂えとは似て非なるものなのだ。ネット上にサイトを開設し、いかにもテーラーを装うオーダーサロンもあるが、実際はマンションの一室に店を構える過ぎないという話も。あるサロンで注文した人の話によると、「基本パターンのジャケットやパンツが2、3着掛けてあり、それを着ていちばん合うものを微調整する極めてアバウトな手法」だったとか。ここまで来ると、もはやオーダーメードと呼べるシロ物ではない。

 誂え素人お客には、それぞれの業者がどこまでのレベルのなのか、サイトを見たくらいでは判断がつかない。生地についてもパソコンやスマートフォンで見る画像だけでは実際の色や肌触りはつかめない。デジタルの3D画像で出来上がりイメージは確かめられても、仮縫いをしないのだから仕立て上がりのフィット感が微妙と感じるお客はいるはずだ。まあ、価格が安ければ、クレームを付けるとまでは行かないだろうが。


ITは手仕事を代行できない

 「似非オーダー」が出回る理由は何か。それはスーツ離れが深刻な中で、やはり商品在庫を抱えなくて勝負できることに尽きると思う。価格別にいろんな業態が乱立する。関係者から聞いた話では、フリーランスというか、ノマドというか、店舗も材料も持たずに電話で営業し、注文を取る個人事業者もいるとか。サロンに勤務していた時の顧客名簿を頼りに、自分のお客として直接アプローチすればいいのだから、独立も簡単なようだ。

 結局、オーダースーツ流行は、お客の潜在ニーズを掘り起こすのが目的ではなく、売る側がデジタル技術を口実にしてお客に注文服のイメージを摺り込み、在庫を持たずに商売しようという側面の方が強い。ただ、それは所詮ビジネスモデルの一つに過ぎず、英国のセビルロウやイタリアのナポリが生んだ誂え文化とは別次元のものだ。世界的なSDGs(持続可能な開発目標)の流れを見ると、無駄な商品を少しでも削減できる点には賛成できるが、根本的には原料である羊毛の生産にまで遡って考えなければならない。



 もっとも、ZOZOスーツの失敗でも言われたが、衣服を身体にフィッティングさせるには、熟練のスキルとお客一人一人の着こなしや好みの違いをしっかりヒアリングして、掴むことが不可欠だ。ECが衣料販売のメーンチャンネルになり、ITを駆使したバーチャル接客が主流になっても、試着でのフィッティング確認がなくなることはない。しかも、それは人間の感覚に左右されるいたってアナログなものだ。

 かつては百貨店が「イージーオーダー」という名称で催事を行っていた。この時も「仮縫い付きじゃないから」と冷めた見方をされる一方、二着で◯万円という値ごろ感ならそれで十分との支持層もいた。ただ、ここまでオーダーが広がり、前出のような業者がいることを考えると、水面下ではいろんな問題も発生しているのかもしれない。

 筆者が懸念するのは、下請けの縫製業者への工賃値下げである。似非オーダーの価格帯は、スーツで5万円〜、ジャケットで3万5000円〜が主流だったが、業者が乱立しているせいで最近はスーツ2万円台というのも珍しくない。これには生地や服資材、営業などの費用が含まれるわけで、オーダー受注業者の利益分を差し引くといったい縫製工賃をいくらなのかと思ってしまう。受注業者は国内製造を売り物にしているが、ロットにならないからそうせざるを得ないのだ。

 縫製業者によっては既成服の製造が減った分、オーダーを受けるところもあるのだろうが、工賃の値下げ圧力がかかっても不思議ではない。前出の注文者は、見本を試着して「襟を太めで、短くしてほしい」「ボタンは2つのままで」と指示したにも関わらず、でき上がったものはなぜか「3ボタン」だったという。おそらく詳細な「縫製指示書」の類いはなく、丸投げされた工場は襟の形がいちばん近い既製パターンで縫製したのかもしれない。 もちろん、注文者は縫製し直してもらったというが。

 やり直しの場合の生地代や縫製工賃などは、受注業者がもつのか、それとも工場側が負担するのか。その辺の契約内容はわからないが、受注業者がコスト削減の安易なシステムで工場に丸投げするから、トラブルが発生する面は否めない。これで縫製業者が責任を被るのは筋違いだし、値下げ圧力などはもってのほかだ。まだまだ消費者庁がお出ましになる状態にはないにしても、「オーダー」と呼べる明確なビジネス基準を決めてもいいのではないかと思う。

 また、英国やイタリアでは熟練の職人が育成されているわけで、日本のテーラーでも後任の育成が不可欠だから、経済産業省はもっと側面からサポートしても然るべきではないのか。まあ、そもそもは環境省主導のクールビズなどビジネススタイルの変化により、スーツ離れが深刻なことが引き金でもあるのだが。ただ、似非オーダーはシステムさえ整えれば、それほど参入障壁が高くないから乱立しているわけで、レッドオーシャンになるの時間の問題と思う。

 おそらく来年は淘汰されていく事業者も出始めるだろう。最先端のデジタル技術やシステムはアパレル業界でも重要になることに異論はない。でも、お客からは「せっかくオーダーしたのに、これなら既製スーツでも良かった」という声なき声が聞こえてきそうな予感がしないでもない。

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究極の魅せる店。

2019-11-06 06:38:32 | Weblog
 地方や郊外に展開する百貨店の閉店が止まらない。辛うじて存続している大都市の百貨店とて、消化仕入れを削減して定期借家のテナント主体に変わっている。とどのつまりが松坂屋銀座店改めGINZA SIXのような完全商業ビルへの転換だ。また、大都市に出現する大型商業施設は再開発に乗じたテナントビルばかり。それも小売店の寄せ集めでは歩率家賃に限界があるため、オフィスや文化施設を合体させて不動産効率を高めるものになっている。

 現在はほとんどの商品をECで購入できる。あるブランドショップのオーナーは、「中国上海では1000ドル以上の商品ですらスマホで楽々購入するお客がいる」という。そうしたグローバルな状況変化の中でも、日本の百貨店は「コト消費」「リアルな買い物体験」「コンシェルジュサービス」などを打ち出す程度で、売場から去った顧客を呼び戻すまでにはいたっていない。いったい百貨店はどうすればいいのだろうか。


サービス神話を現実にする



 そのヒントになる店舗が先日、ニューヨークにオープンした。米シアトルに本社を置く「ノードストロム」のウィメンズ館だ。(https://shop.nordstrom.com/c/new-york)店舗規模は地下2階~地上5階で、ブロードウェイと57丁目が交差する北西側の角に立地する。マンハッタンのアッパー寄り、コロンバスサークルのすぐ近くで、その先にはタイムワーナーセンター、さらに北東一帯にはセントラルパークが広がる。現地では「マンハッタン中心部の大型百貨店がオープンするのは、ほぼ100年ぶり」というニュースが流れたほどだ。



 ノードストロムはそれまでイーストサイドやユニオンスクエアに店舗を構えていたが、どれも百貨店とは言えない小ぶりなものだ。NY近郊ではハドソン川を挟んだニュージャージーのエディソン、メンロパークに標準店舗を構えており、NYからも買い物客を集めている。90年代半ば、ニューヨークで仕事をした時、筆者はこの店舗にわざわざ出かけて、その凄さに圧倒されたのを覚えている。同社のポリシーである「上質のサービスを売り物にする」がお客を惹き付けて止まないのを見せつけられたからだ。


 
 それは「顧客はゲストなり。買い物をするしないに関わらず、この店に来ることが顧客にとって素晴らしい体験であらねばならない」のもとに具現化されていた。当時ですでに「顧客の満足を得る最大のポイントはサイズを揃えていること」を徹底。さらに「優雅なドレスルームを思わせる試着室」「身障者のためのトイレ」「フロアの随所に設けられたくつろげるソファ」「グランドピアノの演奏」等々にも表れていた。

 そんなノードストロムが顧客目線でさらに進化させたのが、今回オープンしたウィメンズ館である。キャリアブランド「エムエムラフルアー」を取り上げた時にも書いたが、NYではモデルが着るような服はすでに幻想と化している。「自分の体型にコンプレックスを持たずに向き合う」というお客の意識変化もあるが、むしろイレギュラーサイズを堂々と打ち出すのが当たり前なのだ。ノードストロムでははるか前から「豊富なサイズ展開こそが最も重要なサービス」が徹底されており、ウィメンズ館では売場をサイズ別に分けるのではなく、サイズ0から14までが同じ売場で展開されている。



 また、ECで購入した商品を受け取れる「エクスプレスサービス」を完備する。忙しいビジネスウーマンのことを考え、入り口を入ってすぐ地階に降りたところに「ピックアップ」コーナーを設け、簡単な注文から受け取りまでが素早くできる。もちろん、返品・交換の受付も可能で、エクスプレス(早急)返品される。ニュージャージーの店舗で見た豪華な試着室はさらに進んでIT化が施され、販売スタッフを呼べるデジタルタブレット付きだ。

 地下1階の靴売場は、商品の3分の1が独占販売。「コンバースのカスタムメイド」コーナーもある。しかも、バーがあってアルコールも出されている。靴は試し履きを必要とするし、スタッフがストックを探す間は待たなければならない。お客に対してそのストレスを少しでも和らげる配慮だろうか。しかも、ワインなどのグラスを持って店内を歩き回ってもOKというから、百貨店のサービスはついにここまで来たのかと思い知らされる。



 肝心な品揃えはどうか。目玉はナイキと同店がコラボしたショップ。ちょうど1年前、ナイキはティファニー裏手にあったナイキタウンの閉館により、新たに5番街の52丁目に旗艦店を出店した。そのナイキタウンがあったのが57丁目なのだから、この通りはナイキにも縁があるのだろう。ウィメンズ館では独占販売のシューズが14型あり、それらとコーディネート可能な服や雑貨もラインナップされている。オンリーショップにはできないノードストロム流の編集スタイルであり、かつブランドはあくまでの同店の商品という位置づけだ。

 1階にはクリスチャン・ルブタンの売場があり、ここにも独占販売の商品がラインナップされている。しかも、真っ赤なカラーで統一したVMDで、ブランド靴の魅力を最大限に訴求する。売場というより、エキシビジョンという感じか。一方、バーバリーのショップでは、米国で唯一のカフェが設けられた。ニューヨーカーにとっては、スターバックスはすでに陳腐化した存在なのか。ならば、「バーバリーカフェでお茶しよう」って感覚はわからないでもない。要は新たなトレンド提案なのである。


編集の神髄など影も形もない

 かたや日本の百貨店はどうか。使い易い試着室や身障者向けのトイレは、導入されているが、共用スペースギリギリまで売場を展開して通路が狭く、ソファの数も限られ、売上げ効率を追求するしかない政策との差は歴然としている。まして日本では「店内でのご飲食はお控えください」がルールだ。品揃えは比較するほどでもない。消化仕入れを削減しテナントを主体に切り替える程度で、ブランドはあっても欲しくなる商品が見当たらない。PBを含めてミキシングによるMDを生み出す力を欠き、編集の神髄など影も形もないのだ。

 先々週、東京に出張した折、仕事を終えてホテルへの帰り道、渋谷から副都心線を経由し、伊勢丹新宿店に寄ってみた。ちょうど1階の催事場では、デンマークのオーディオブランド「バング&オルフセン」のBeovision Harmony(77インチ大型テレビ、https://www.youtube.com/watch?v=16ZYt3MC4OE)のイベントが開催されていた。もらったプレスリリースには「究極のシネマ体験のためのデザインとクラフツマンシップ」との表題で、大画面で観る映像と極上のサウンドによる「魔法のような体験を」との説明書きがあった。

 だが、そうした触れ込みに対して、催事場「ザ・ステージ」での展示実演には何の演出もない。気鋭の建築家がデザインしたと言え、高さ1m弱、幅4mほどのステージ中央に大型テレビのBeovision Harmonyが置かれただけ。扇状に開くスピーカーの実演がなされいたものの、立ち止まって見るお客はいない。デモンストレーションの時間が指定されていたにしても、オープンな会場で製品の機能がどれほど伝わるかには疑問をもつ。ガヤガヤした百貨店の1階は、せっかくの凄い製品に感動できるような環境ではないのだ。

 つまり、百貨店がその凄さを発揮できるのは、「そこにしかないエクスクルーシブな商品」「これでもかという売場やデコレーション」「お客をとことん感動させる接客やサービス」。そして、それらを軸に他店には真似できないエンターテインメントやアトラクティブさをどこまで追求できるかである。それは経営陣も十分にわかりきっていて、実際に何度か聞かされたこともあるが、日本で実現できたところはなかった。

 経営者はそれで売上げが上がるとは限らないのが前提としてあるのだろう。しかし、そもそも客離れがここまで激しくなると、百貨店が売上げ効率を追うこと自体がどれほどの意味をもつのだろうか。地方百貨店は地域の高齢化、人口の減少の中で、前出のような方向性は難しい。売上げが伸びている「いよてつ高島屋」や「米子しんまち天満屋」などは、デイリー性とギフト需要の双方の食料品の見直しで、やはり車を持たない近隣住民に向け、買い回り性を高めたことが奏功している。

 ただ、化粧品などの伸びとともに、近くに競合がないこともあるし、無印良品や東急ハンズのFCを運営したところで、規模では郊外SCの店舗やECには勝てない。まして、大都市の百貨店にとっては地方の成功法は何ら施策にならない。逆にアパレルは今、実店舗で売れているものはEC販路を避け、売り切れご免を徹底している。

 経営者の発想転換はスタッフへの権限委譲でも取り組める。三井不動産は、9月に開業したコレド室町テラス内の台湾書店「誠品生活日本橋」で、同社の女性社員がコスメ、雑貨などの編集型売り場で商品のセレクトに関わっている。デベロッパーでさえ、従来の場所貸しから転換し、自社運営型の店づくりやMDに踏み込んでいるのだ。

 そう考えると、百貨店も始めないと萎んでいくばかりだろう。今はネットで何でも買える時代。お客がわざわざ行ってみたい百貨店とは、来店客を魅了する「究極の魅せる店」ではないか。大都市にある美術館やギャラリーは多くの人を集める。そして、付随するスーベニアショップでは不思議と買い物するお客が後を絶たない。もちろん、そこの商品はバイヤーによって徹底して吟味されたものだ。この辺にヒントがあるのではないだろうか。商品を購入するのは、もはや二の次良いくらいの考えから始めないと、転換できないと思う。

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