HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

伊勢丹騒動の余波と影。

2017-03-29 07:30:05 | Weblog
 ニュースとしては旬を過ぎた大西洋三越伊勢丹ホールディングス社長の辞任。一般紙はじめ、経済紙誌、流通系メディアの多くがその経緯と行く末を論じているので、ここで改めて語ることもないと思う。

 ここは福岡の百貨店に絞り、社長辞任騒動の余波と忍び寄る影を考えてみたい。主人公はまず「岩田屋」である。同社は長らく地域1番店として君臨してきたが、拡大路線で有利子負債が300億円に膨れ上がり、2002年に経営破綻した。

 2009年、三越伊勢丹HDが同社の株式を取得して完全子会社にしている。10年にはその岩田屋が三越グループの「福岡三越」を吸収合併し、(株)岩田屋三越が誕生。店舗は岩田屋、福岡三越に分かれ、営業している。

 岩田屋が破綻したきっかけは、流通戦争に巻き込まれたことだ。福岡は博多を中心に商業発展したことから専門店の力が強く、岩田屋のシェアは意外に低かった。ところが、大型商業施設が開業する度に、域外資本の専門店、専門業態が続々と進出し、それらに対抗するために岩田屋がとった拡大路線が裏目に出てしまったのである。

 NTT福岡ビル再開発事業に核店舗として出店した「Zサイド」の失敗がそれだ。1989年、岩田屋の社長に就任した創業者中牟田喜一郎氏の長男、健一氏は、西日本鉄道が進める再開発事業「ソラリア計画」で、新福岡駅ビルへの出店に失敗。地元ではこれが岩田屋凋落の元凶だとの見方が多数を占める。

 中牟田健一社長は、喜一郎氏から「俺の頃は日本の小売りがどうなるかわからなかった。お前は自分の店だけ考えればいいんだ」と言われ、全幅の信頼を得ていたわけではない。それゆえ自分の力を示すには、どうしても独断専行になってしまう。西日本鉄道との関係がこじれたことは、むしろZサイド出店に突き進む格好の理由になり得たのである。


すべての施策で成果を出せない

 Zサイドは1996年秋に開業した。店舗はファッションを主軸に置き、MDはブランドではなくライフスタイル・テースト別の編集で、主要ターゲットは「25歳から39歳までの働く女性」。中核をなすキャリアゾーンでは、95年から実施している「買取・自主販売」がほぼ100%導入された。いろんな面で新基軸が打ち出されていたのである。
 
 ただ、キャリア畑出身である筆者の目には百貨店系アパレルをむりやり集積し、手当たり次第に取引可能なブランドをかき集めたとしか映らなかった。単にメーカー企画の商品を買い取っているだけだから、素材やデザイン、仕様におけるオリジナル提案がない。目の肥えた大人の女性に対し、価値訴求の弱さは一目瞭然だった。

 筆者はその年の年末、東京出張した時に中牟田社長と同じ飛行機に乗り合わせた。モノレールも同じ便だったため、浜松町に着く間に「Zサイドの状況はどうですか」と聞いてみた。すると、「洋品やバッグが売れている」との答えだった。「服はどうですか」と再度聞くと、「まだまだ」と返答された。

 角度を変え、「ミラノのセレクトショップから独自で導入したという『クラン』は、テイスト、サイズ感で岩田屋の顧客層に合わないのでは」と、直球で質問した。「クランは売りにつなげるというより、セレクトショップのシステムを研究するために導入した」との返答だった。プレスプレビューの時から「あれがセレクトショップなのか」と懐疑的だったが、その疑問に対する明確な答えは中牟田社長から聞き出せなかった。

 もっとも、キャリアゾーンで買取・自主販売を貫くには、プロパーで売り切らなければならない。その場合、建値消化率は70%は必要なのに、ふたを開けてみるとそれも達成できず仕舞い。「まだまだ」がそれを表している。ターゲット設定も、買取・自主販売も、Zサイドには重荷になったということである。

 セレクトショップについても、当時はユナイテッド・アローズやビームスが伸び始めていた時期だ。しかし、クランはコンテンポラリーなアイテムばかりで、サイズがタイト。フラットなMDでUAやビームスのような奥行きはない。研究するといっても、自前でマーチャンダイザーやバイヤーを育成していないのだから、売れるはずもないハコを置いてもしかたないわけだ。

 中牟田社長はZサイドのロケットスタートが失敗したため、今度はコンサルタントを入れて人時管理に手を付けた。LSP(レイバー・スケジューリング・システム)というもので、過去1年の実績から集計した日別・時間帯別の「予測来店客数」に対し、「販売員1人あたり何人接客できるか」という基準をもとに必要な販売員数を割り出し、効率よく配置していこうとした。

 確かに業績悪化で安易にコスト削減に走るのは、短絡的な考え方だ。しかし、販売態勢が整備されたからと、急に「販売力」がつくものではない。そこで並行してSIP(セールス・インプルーブメント・プログラム)という販売力強化プログラムをスタートさせた。3カ月単位で販売員のスキル分析から教育トレーニング、成果・検証を行い、次ぎの目標設定まで段階的な教育指導を行った。

 ところが、どちらも実効性を発揮したとは言い難い。買取・自主編集を導入する前は、メーカーや問屋から商品を持ってこらせ、販売までさせていたのが実態だ。凝り固まった百貨店の因習が1年や2年で激的に変えられるはずもない。中牟田社長がいくら号令をかけたところで、辛うじて伊勢丹系の恩恵でブランドを確保してきたわけで、マクロでファッションを見ることなどできるはずもない。

 流通戦争を勝ち抜く上で、その程度の施策では非常にお粗末なのだ。でも、三代目のボンボンにそれを助言する取り巻きがいなかったこともあるだろう。結局、一番稼ぎ頭のファッションで、収益を上げられないなら、破綻の道を歩んでもしかたない。実際、その通りになってしまった。


1000億円超えのJR博多シティは脅威?

 岩田屋は伊勢丹主導による再建策で、旧来の委託販売にシフト。Zサイドを本館にラグジュアリーブランドを集めた新館を加え、全方位的MDで売上げを回復させた。80年代に実施されたCIのロゴマークはかつての「角岩」に戻され、三越伊勢丹HD傘下でも岩田屋の暖簾は存続された。創業家の中牟田家にとっては、全く皮肉な結末である。

 岩田屋の業績(三越伊勢丹HDデータバンク)は、 2013年度が715億円、14年度が699億円、15年度が739億円。こちらはインバウンド消費の影響が色濃く出た形だが、おそらく16年度決算では反動減が現れるだろう。ただ、岩田屋が躓き、破綻に追い込まれた流通戦争に終わりはない。侮れないのは11年に開業した「JR博多シティ」の存在である。

 同館はショッピングセンターのアミュプラザ博多、トラフィック業態、飲食専門店街を集めたアミュエスト・博多デイトスやデイトスアネックス・コンコース、百貨店の博多阪急からなる。平成27年度の昨期は売上高1035億円(アミュプラザ博多382億円、アミュエスト他214億円、博多阪急439億円)で、過去最高の売上げを達成。今期も増収増益は間違いないと思われる。

 博多駅はJR、地下鉄を加えると、1日の乗降客が34万人を超える。こうした状況を追い風に開業5年目での1000億円超えは快挙とも言える。ただ、JR九州は分割民営化の時、三島会社として鉄道事業は期待をされず、現在も赤字のままだ。経営安定基金も低金利の影響で運用益に依存できない。残る不動産事業に軸足を移したことで、ようやく好業績を上げることができ、昨年には株式上場にこぎつけた。

 つまり、JR九州がデベロッパーとして、駅ビルに核店舗とテナントをバランス良く配置し、福岡で1000億円市場を開拓したのは、岩田屋三越はもちろん、三越伊勢丹HDとしても決して無視できないはずだ。にも関わらず、岩田屋も福岡三越も階上のファッションフロアでは休日でさえ客数が少ないことをみれば、現状のアパレル部門で売上げを伸ばし、挽回するのは無理に近いと思う。

 三越伊勢丹HDとしても一等地に店舗を構えて、年商1000億円程度で御の字とはいかないはずだ。最終的には同社の経営判断になるが、J.フロントリテイリングや高島屋が不動産事業をしっかり収益基盤としていることを考えれば、地方百貨店に対してとるべき戦略は自ずと限られてくる。

 杉江俊彦三越伊勢丹HD新社長は、「不動産部門できちんと収益目標をもってやっていく(流通ニュース3月13日)」と語っている。福岡の場合、岩田屋も福岡三越も他社物件の店子だから、この方向性には該当しない。しかし、デベロッパー事業も含まれると拡大解釈すれば、「場所貸し」に徹して収益を高めるという「英断」もあり得るはずだ。

 そう考えると、対象となるのは岩田屋より「福岡三越」の方が先かもしれない。天神には他にJ.フロントリテイリング傘下の福岡大丸があり、ジリ貧の百貨店が3つというのはオーバーストアと見られるからである。


天神に百貨店は3つも必要なのか?

 福岡三越は1997年秋に開業した。最上階の9階に催事場、ギャラリー、書店を置いてお客を階下に下ろすお得意のシャワー効果に期待されたが、福岡では当時から大した効果を発揮していない。リニューアルでは9階に「コムサスタイル」を導入したものの、これも失敗し、インバウンド消費に期待した免税品販売も先行きは不透明だ。地下1階のファッションフロアの3分の2を雑貨とインテリアのコーナーに変え、1階の南側にシーズン雑貨とシューズを充実させて、何とか持ち堪えている状況と言える。

 西鉄福岡駅という立地で集客の優性性はあるが、三越というブランドは支店経済の福岡と言えど、それほどの力は無い。単体の売上高は2013年度が328億円、14年度が304億円、15年度が309億円。こちらは閉鎖された千葉三越の2倍程度を誇るものの、雑貨や靴頼みのせいか売上げは下降気味だ。百貨店ビジネスが陳腐化している中で、構造改革の本筋に照らし合わせるなら、対象にならないとも限らないのである。

 理由はいくつか考えられる。一つは、当初、西日本鉄道が福岡駅ビルを開発した時、岩田屋が出店を断念した一番の理由が「家賃」と言われる。それは福岡三越とて変わらないはずで、年商300億円程度では重荷で利益率のアップは見込めないのではかと思う。

 二つ目は、テナント契約の条件が「百貨店」となっているにしても、 西鉄にとっては家賃収入が増えた方が良いということ。人口減少で鉄道事業が厳しくなるのは、西鉄も同じだ。ならば現有不動産を有効に活用するのは当然のことだろう。福岡三越が場所貸しに徹底しようが、西鉄が直接テナントビルを運営しようが、ルミネやアトレといった駅ビルの事例を見ると、現時点での正攻法は限られてくる。

 三つ目は、中間層の没落や若年層の貧困などで百貨店を取り巻く環境が厳しいことだ。天神には他に岩田屋の他にJフロントリテイリング傘下の福岡大丸があり、さらに福岡三越まで必要なのかは疑問が残る。宝飾品や服飾、コスメ、菓子や惣菜、雑貨を集めるなら、テナントビルでも十分に対応できるからだ。

 天神は西鉄福岡駅と地下鉄福岡駅があり、それぞれ1日の乗降客は13万人、12万人を超える。さらに西鉄福岡駅ビルは路線バス、高速バス、高速道路のネットワークも充実。福岡市の人口が150万人を突破する中、マンションが増え続ける南部、西部から短時間でアクセスできることなどを考え合わせると、博多駅以上の集客力をもつ。こうした市場特性を考えると、陳腐化した業態ではポテンシャルを生かしきれないと思うのだ。

 また筆者のように天神が生活圏になれば、わざわざ博多駅に買い物に行く必要はない。そんなお客は意外に多いと思う。100円ショップからドラッグストア、スーパー、家電と日常の買い物は何でも揃い、飲食含めたサービス機能は博多駅より格段に優れている。目下、手に入らないのは高感度なファッションや趣味的な商品である。だから、もっぱら海外のサイトを含めネットに頼らざるを得ない。

 地方百貨店は三越伊勢丹HDにとって子会社に過ぎず、組織的な商品調達力などは皆無だ。高感度なファッションや趣味的な商品を求める潜在的な客層を岩田屋や福岡三越が取り込むとはとても思えない。人口減少、競争激化、業態衰退という中で、杉江新社長が大西洋前社長の構造改革を踏襲する以上、岩田屋も福岡三越も決して安穏とはしていられないはずである。

 おそらくそう遠くない時期に地方百貨店の流通は完全に細り、百貨店系アパレル共々追い込まれるのは間違いないと思う。岩田屋や福岡三越が看板を下ろそうが、業態転換しようが、ファッションを求めるお客は確実にいるわけで、需要がなくなるわけではない。だからこそ、どんなアパレル商材を提供して生き残っていくのか。そのための施策を業界を含めて今から考えておかなければ、岩田屋や福岡三越も百貨店としての存在は、危うくなると思う。


 
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ノベルティにみる戦略差。

2017-03-22 07:12:35 | Weblog


記念品1号はクロワッサンのペン

 今ではすっかり少なくなったが、中小のアパレルメーカーでも記念品やノベルティを作っていたことがある。といっても、狙いは顧客にブランドバリュを浸透させ、シーズン商品の販促につなげるグッズの感覚だ。そのため、数枚セットの「ポストカード」が定番で、製袋したオリジナル封筒に入れたDMにした。これを商品期初注文分の納期時には、パッキンに同梱して取引先に配っていた。

 筆者は重衣料が主体の秋冬シーズンで、このポストカードを何度か制作した。簡単なラフスケッチを描き、撮影用の絵コンテに落とし込む。モデルを選定し、カメラマンやヘアメイクを手配して、ロケをした。ラボから届けられたポジフィルムをヴュワーで選定し、使うフィルムにはダマトで印をつける。写真をトリミングし、タイトルやコピーを付けて入稿指示する。後はフィニッシュ、印刷に回せばOKだった。

 ポストカードはカッコ良く言えば、ファッションフォトである。初めてモデル撮影のロケを見たのは高校生の時だ。スタッフ陣がカメラのフレームに入らないよう脇に控えるのが印象的だった。アシスタントはレフ板を持って被写体に当てる光を調整する。ヘアメイクは風でセットが乱れるとすぐに直し、モデルの肌に少しでも汗が滲むとすぐに押さえる。「ファッション雑誌の写真はこうして撮影しているんだ」と知った。

 日曜早朝の表参道は、ほとんど人通りがなく撮影隊のメッカだった。その光景を見て、いつか自分がやってみたいと思っていたら、アパレルメーカーで運良く実現するチャンスを得た。ただ、仕事でやるとなると、大違いである。中小アパレルにとっては、あくまで洋服そのものの企画が秀逸であることが前提で、カッコいいイメージビジュアルはその次になる。記念品やノベルティを配布する以上、経費負担がバカにならないからだ。

 販促費はシーズンの売上げ予算から弾き出される。その枠で最高のパフォーマンスを上げるのがクリエイティブワークだ。デザインは自分で行っても、撮影や印刷は外注になるから、経費はかかる。コスト管理は重要で、経費抑制のためにモデル撮影をやめ、インスタレーション風にしたり、ボディ着用に切り替えたシーズンもあった。写真をモノクロにすれば印刷費は押さえられるが、カードの紙質を変えてもコストカットは高が知れ、かえって質感が落ちることも学んだ。
 
 ブランドの売上げ予算を多く見積もっても、販促費以外に営業などの経費が嵩むと、利益率は下がる。だから、筆者が記念品やノベルティの制作に携わることができたのは、3シーズンほどだった。販促をそれほど意識しないでいい春夏シーズンには、純然たるノベルティとしてブランドロゴを入れた「ブロックメモ」を作ったり、こ洒落た「シートソープ」をDMに同封したこともある。こちらは自社の商品を仕入れてくれるショップやバイヤーさんには好評で、それなりにいい経験となった。

 一方、本格的にプレスプロモーションの仕事を始めると、アパレル関連の広告制作やパブリシティに加え、取材依頼も舞い込んだ。広告制作だけなら雑誌の入れ広がメーンだから、記念品やノベルティの企画には携わらない。でも、ブランドショップが新店、小売業が新業態、デベロッパーが新物件をオープンする時には、プレスプレビューに参加する。これはアパレル側にいるのとは違って、別次元の体験となった。

 意外にも、初めて新店オープンのプレビューに行けたのは学生の時だった。大学3年の夏、博多で同窓会があり、同級生の女の子が南仏料理と豆腐を融合したパブレストランに連れて行ってくれた。そこで、後に福岡で「フレンチ雑貨店」をオープンするオーナーのY氏と知り合った。

 Y氏は飲食業の傍らフランス文化にも造詣があり、独自業態を開発する前に雑誌クロワッサンが手掛ける「クロワッサンの店をFCで経営しようと思う」と言っていた。そして、1981年、東京町田の東急百貨店に出店される1号店を見学するから、一緒に行かないかと誘ってくれたのだ。その時、どんな記念品をもらったかは記憶にないが、Y氏はめでたく福岡の新天町に開店した時、オリジナルの「ボールペン」を送ってくれた。



 Y氏が作ったのは真鍮製の重厚なものだが、三角形で持ちやすく、長時間使っても疲れない。フレンチ雑貨につながるセンスには感激で、ノベルティと言えど決して手を抜かないこだわりに敬服した。2000年頃、雑貨と豆腐料理を組み合わせた新店をオープンされた時にその話をすると、「スタイリストの吉本由美さんも同じようなことを言ってたよ。うちの商品を気に入って雑誌でも、取り上げてくれたし」と話していた。


お香からカステラ、鬼瓦、ギフト券まで

 1989年頃から雑誌の仕事を始めると、プレビューに行く機会が増え、プレスキットと一緒に何らかの品をいただくようになった。東京では89年の東急文化村、94年の恵比寿ガーデンプレイスなど、そしてニューヨーク滞在を挟んで、九州でも96年のキャナルシティ博多を皮切りに都市部、郊外を問わず個店から百貨店、駅ビル、ショッピングセンターまであらゆる業態に伺った。この30年近くで書いた記事と並行して、もらった記念品やノベルティも相当の数、種類になる。

 もちろん、筆者は記者が専門でも本職でもないし、もらった物で書く記事に手心を加えたことなどない。まあ、本業の記者さんもそうだろうが。ただ、記念品やノベルティの内容で、商業施設がどんな戦略を描いているかは想像できた。例えば、1996年秋にオープンした「岩田屋Zサイド」では、スタイリッシュな「インセンス(お香)」をいただいた。その時は「選り抜いた記念品が象徴するような店にしたい」のだろうと思った。



 岩田屋は来るべき天神流通戦争を勝ち抜くために、MDをライフスタイル・テースト別に編集し、買い取り・自主販売という画期的な取り組みに挑戦した。ところが、思うように売上げは伸びず、Zサイドオープンから6年後の2002年には私的整理ガイドラインのもと、伊勢丹に傘下入りして再建の道を歩むことになった。

 記念品を選定した担当者のセンスと裏腹に、商品政策はお客のマインドをつかみきれなかったのだ。ただ、筆者の目には成りもの入りのMDも、百貨店系アパレルをむりやり集積し、手当たり次第に取引可能なブランドをかき集めたとしか映らなかった。品揃えは豊富でも、これといって買いたいものがない。

 アテンドしてくれた担当者は「バーニーズを目指す」と宣っていたが、前年にニューヨークに居た人間からすれば「どこが?」って印象だった。 岩田屋Zサイドは単にメーカー企画の商品を買い取っているだけだから、素材やデザイン、仕様におけるオリジナル提案がなく、ブランドショップと比べても価値訴求が弱い。結局、昨今の惨状をみれば、必要なノウハウを蓄積していない中で、かけ声だけの戦略ではなかったのかと思う。

 開業がZサイドの翌97年秋だから、それが影響したのではないと思うが、「福岡三越」のプレスプレビューでは、某老舗菓子舖の「高級カステラ」をいただいた。メディアを集めたレセプションパーティでは、司会を務めた岩田屋のN社長がえらくカステラを自慢していたが、三越という百貨店の格式に合わせただけで、百貨店としての戦略はそれほど感じなかった。

 その後、三越は伊勢丹と経営統合して持ち株会社制に移行したが、大西洋元HD社長が構造改革に乗り出す中で、福岡三越はターミナル百貨店としての収益性からか、リストラの俎上には上がってはいない。ただ、カステラ同様に特別に珍しくもなく、そこそこの味わいというだけで、可もなく不可もない百貨店のままである。

 同じ年に開業したショッピングセンター「ダイヤモンドシティ熊本南」(現イオンモール宇城)は、いかめしい形相の「鬼瓦」が記念品だった。ダイヤモンドシティは当時、三菱商事とイオンが共同出資しており、施設開発では地域密着を貫く意思を表明し、地元テナント、地元産品に販売にも注力していた。出店先の小川町は瓦の産地でもあることから、記念品に採用したと広報担当者は語っていた。



 99年に開業した「トリアス久山」は、ダイエーの副社長、九州ダイエーの社長を歴任した平山敞氏がコンサルタントに転身し、開発を手掛けた物件である。団子三兄弟を唄った女性歌手の実父らをパトロンにして資金を集め、テナントにはコストコ日本1号店やヴァージンシネマを誘致するなど新機軸を打ち出した。

 内見会は冒険家で有名なリチャード・ブランソン・ヴァージン会長が来日するなど盛大なもので、記念品の次元をはるかに超える5000円の「JCBギフト券」をいただいた。デベロッパーとして、参列者には本気度を見せたかったようである。でも、1社1枚という決まりがあったようで、東京からも多くのメディアが駆け付け、複数の記者、報道スタッフが受け取ろうとした時、広報担当者があわてて回収する一幕もあった。


公開は顧客となる住民やカード会員を先に

 他にも、ゆめタウン筑紫野、セキアヒルズ、博多リバレイン、ソラリアステージ、ゆめタウン博多、リバーウォーク北九州、モラージュ佐賀、ダイヤモンドシティ・ルクル(現イオンモール福岡)、ゆめタウン佐賀、ミーナ天神、天神VIORO、福岡パルコ、イオンモール筑紫野、JR博多シティ、木の葉モール、イオンモール福津、博多マルイ等々、毎年のように商業施設が開業した。そのほとんどで、いろんな媒体からの取材依頼があったものの、とてもすべてに伺うことはできなかった。

 もっとも、近年では施設側が顧客を囲い込むためにメディアより先に地元住民やカード会員に公開する傾向を強くし、プレスプレビューはあまり重視されなくなったように感じる。そのため、プレビューに参加した施設の記念品やノベルティが何だったかは、ほとんど記憶にない。端からプレスキットのみのところもあったと思う。

 ミスターマックスは、新店オープンの記念品にはPB商品を活用しており、消耗品の乾電池などをもらうと、非常にありがたく印象にも残る。中には新開発の試供品もあり、H社長自らメディアから利用者の意見を聞かせてほしいと語るなど、マーケティングの参考にする狙いも受け取れた。

 2011年に開業したJR博多シティでは、「ロディア」のメモ帳とレザーカバーをいただいた。一番小さいサイズだったが、地元九州はもちろん、東京からもテレビ、雑誌が取材に来ており、その数は優に100社を超えていたのではないか。 ロディアの調達先はたぶんキーテナントの東急ハンズだろうし、JR九州としては上場益を見越してのプレ配当感覚とすれば、高く付かないとの判断だったのかもしれない。

 昨年オープンした「博多マルイ」では、粋な記念品をいただいた。テナントとして入居するビルが日本郵便が運営する「KITTE博多」ということで、丸井は自社のロゴマークと博多織をモチーフにした「記念切手」を作成。これがメディア関係者に配られたのである。記念切手は単なるノベルティとは違い、受け取る相手には実用性とプレミアが同時に伝わる。郵便で使用すれば消印が押されるものの、デザイン的に独特の趣きが生まれる。嵩張らないので、ずっと残しておくのも可能だ。

 筆者は丸井で数々の買い物経験がある。その丸井に再び博多で出会い、記事を書かせてもらったのも何かの縁である。コレクターではないが、その思い出として切手は大事にとっておこうと思う。ただ、記念品やノベルティはあくまで「心づかい」の域を出ないし、相手方のご厚意にもらう側がとやかくいう立場ではないのは承知の上だ。

 されどである。 丸井は百貨店からテナントビルに戦略転換しただけに、没個性にならないようにとの狙いもあったのだろう。やはり記念品やノベルティにも企業戦略における考え方や方向性が滲み出るのだ。だからではないが、自分の立場に当てはめると、いただくよりも企画する方が性に合っている。
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ビジュアル以上の軽薄さ。

2017-03-15 07:11:58 | Weblog
 3月18日から26日まで開催されるファッションウィーク福岡(F.W.F)の公式サイト(http://fwf.jp/2017/)がアップされた。テーマは「オシャレボリューション!」。マップではじまるライブコミュニケーションアプリ「Pass!」、360°くるっと一周スタイリングを撮影することができる「360° FASHION SHOOT」などコンテンツが登場するという。

 昨年12月、「街のあちこちにオンリーワンコンテンツを創る」との目的で募集された参加者企画は、どこの誰に決まり何が催されるのか。それともPass!や360° FASHION SHOOTをコンテンツと呼ぶくらいだから、これがそうなのか。でも、オンリーワンかどうかの説明は何もなされてはいない。開始まであと3日だが、果たしてどんなイベント週間になるのか。年度末だからと予算消化のためにやっているようでは、継続する理由は何も見えて来ない。

 そもそも、F.W.Fは福岡市の高島宗一郎市長が「3月にも集客イベントを」とのかけ声で2013年に始まった。今回で5年目を迎えるが、初回から一貫したコンセプトが見えず、企画も場当たり的な内容に終始している。

 当初に掲げられた目的には「福岡に買い物に来てもらう」があったが、それを実現するための販促企画は実効性が乏しく、客寄せにもほど遠い内容だ。いつの間にか、方向性は集客よりも「参加」型にすり替えられている。でも、賛同の裏付けとして参加店・企業を募ればエリアは拡大するわけで、中心への集客目的とのギャップが生じるのは否めない。

 実際、主催者の福岡商工会議所、福岡アジアファッション拠点推進会議が報告する参加店&参加企業の実数にしても、全く詳細が明らかにされておらず、誇大計上ではないかと思われるほどだ。

 事業の全体像は、代理店に丸投げされた企画と、商業施設が単独実施するものをシンクロさせて、規模を整えているものである。しかも、自治体からの公金支援には限りがあるから、F.W.F単独に割ける予算枠はあいまいで、企業スポンサーに支援を頼らなければならないのが実情だ。

 第1回、第2回は、代理店がガイドブックをスポンサー向けの「広告枠」にして、ポスターやフリーペーパーの制作・印刷費を捻出した。ただ、デザイン事務所や印刷会社に仕事が流れるような媒体計画を主催者の福岡商工会議所、代理店のどちらが主導したのか。どちらにしても資金が集客目的ではなく、広報宣伝に使われるようでは「業者利権が絡みのイベントで、ファッションは口実に過ぎない」と言われてもしかたない。

 結局、プリント物のレスポンスが悪いのは火を見るより明らかで、第3回以降、経費が抑えられるWebによる広報、情報発信にシフトし、現在に至っている。

 メーンイベントにしても、第2回に開催された「ファッションマート」は、 前年10月から出店者の募集が始まったものの、「1日限り」「屋外というリスク」「法外な出店料」で、思ったような応募が集まらなかった。

 だからなのか、出店要件の「バザーではありません。洋服・雑貨・アクセサリーなどのファッション発信の場となります」はあっさり反故にされ、専門学校生が堂々と「古着」を売ることが許されている。これが福岡アジアファッション拠点推進会議の企画運営委員長がファッション部長を務める学校なのだから、大上段の企画で大見栄切ったところで、恥の上塗りでしかなかったのがハッキリする。

 第3回目は、福岡市が国から受けた「特区」事業を活用して屋台を集めたはいいが、せっかくの集客を各商業施設に還流させきれてはいない。おまけに地元ローカルテレビ局の情報番組(深夜3時半頃に再放送)「枠」を買い切って事業をアピールしたところで、どれほどの効果を実証できるのかは甚だ疑問である。

 第4回とて使える予算が限られた。3回目から参加商業施設に「買い物ポイント」を付与してもらう販促策が見られたものの、効果の有無は全く検証されていないし、何の報告もない。結局、参加型イベントがメーンとなるも学生が中心で、内容は学園祭の域を出ないものだ。これでは集客も一般客でなくて、大半が友人や親族ではなかったのかと言われてもしかたないのである。

 事業を所管する福岡市の経済観光文化局は、年度の決算報告(27年度版http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/55163/1/281014kkb1.pdf)でファッションウィーク福岡の成果・実績を「参加した店舗や企業」の「実数」というかたちで発表している。それによると、第3回(26年度)は260店・社、第4回(27年度)は302店・社となっているが、この数値は主催者である福岡商工会議所から提出されたデータをそのまま流用したもの。具体的な社名や成果の内容までは検証されていない。

 ファッション事業者の参加がどれほどの数に上るか、具体的にどのくらいの販促効果があったのかまでは全くわからないのである。第一、2016年のF.W.F公式サイトに掲載された「参加店」は、天神や博多駅地区のに位置する商業施設、服飾雑貨の個店を除けば、圧倒的に「飲食店」が多い。イベントが展開される天神や博多駅から3km近く離れた南薬院のレストランが参加して、はたして相乗効果が得られるのかは理解に苦しむ。そこまでして参加店を増やし、規模を嵩上げしようという主催者の姑息さが見え隠れするのだ。

 第5回目も年度末で残された予算額には限りがある。今回は「街のあちこちにオンリーワンコンテンツを創る」の目的で、「参加コミュニティ」が公募され、地場の企業・団体にスポンサー支援が求められた。

 参加コミュニティは「ファッションアイテムの企画制作・販売、ショーの制作出演他、関係する活動を行っている個人・法人・学校」を条件とし、企業・団体に「スペースの貸出及び付帯費用、協賛金15万円の負担、マッチングミーティングへの参加、プレゼン審査、実施費用の検討」を求めるものだった。12月21日にマッチミーティング及びプレゼンが行われたはずだが、結果がどうだったのかは発表はされていない。

 公式サイトで公表されたF.W.F独自のイベントは、前回と同じ「FUKUOKA STREET PARTY -Fashion Anenue-」のみである。他は協賛する商業施設がそれぞれ単独で行うものを組み合わせただけだ。アプリの「Pass!」と「360° FASHION SHOOT」は技術的なコンテンツであって、無理矢理イベントと定義付けるにしても、技術のアピールやテスト程度にしかならない。

 他には公式サイトに描かれたイラストの「F.W.Fモデルバッグ」プレゼント。こちらもベタ付けではなく、「期間中、イムズ・岩田屋本店・大丸福岡天神店・博多阪急・博多マルイで税込5,400円以上ご購入のお客様に『抽選』でプレゼント」というしろ物だ。ほとんどが集客にも販促にもそれほど貢献しそうにない「しょぼい」企画である。

 参加コミュニティとしてイベントに参加したい個人や学校が存在しないはずはない。ただ、スペースと協賛金を提供し、なおかつ費用まで負担する企業や団体が現れたのかと言えば、やはり厳しかったと思う。というより、募集企画そのものがあまりに稚拙だったからだ。

 応募したのが専門学校生や駆け出しのデザイナーであれば、「フリマのようなイベント」になるのは目に見ている。ほとんど集客も販促も期待できないコンテンツにスペースや資金を提供する奇特な企業や団体が現れるとは思えない。結局、「街のあちこちにオンリーワンコンテンツを創る」は、絵空事で終わったのである。

 まあ、すでに福岡ファッションビル(FFB)が地元の若手デザイナーにステージを提供し、ショーが催されたわけで、これ以上、企業や団体に支援を請うのは虫が良すぎるというものだ。

 ただ、今回も企画運営委員長の学校だけは、ちゃっかり単独でイベント参加にこぎつけている。それが「岩田屋本店FWFコラボイベント始まりました!」(http://fwf.jp/2017/iwataya/99/)で、今回は写真の展示に止まるようだ。オープンイベントでのパフォーマンスではなく、単なる展示なら集客力のバロメーターにはならない。だから、うまく逃げたと考えることもできるが、所詮その程度の浅知恵ということである。

 今回、新たに登場したPass!、360° FASHION SHOOTはクリエイティブ関連事業のネット事業者を支援する予算が使われたと思われる。イベント週間はこうしたシステムをテストするには絶好のタイミングと言えるが、ファッション業界として販促効果がどうなのかは現段階で評価できる由もない。

 一方、ファッションウィーク福岡の最終日には客寄せ興行の福岡アジアコレクション(FACo)が開催される。この資金はF.W.Fを含めた市のクリエイティブ関連事業予算の中でちゃんと確保されており、それはもはや「聖域」化した感じさえする。

 昨年、JR博多駅前で起きた地下鉄工事の陥没事故の数日後にも、台湾で「TAIPEI IN STYLE~FACo in TAIPEI~」が開催されている。この影響で高島市長がこのレセプション参加をキャンセルしたか、当初から予定になかったかは定かではない。ただ、RKB毎日放送というローカルテレビ局の収益事業には、福岡市から「民間主導」とのお墨付きが与えられ、税金で資金が拠出されているのも事実だ。

 今回のファッションウィーク福岡では、公式サイトにNONCHELEEE(ノンチェリー)のイラストが描かれている。これをモチーフにしたオリジナルバッグをどれだけの人が欲しがるのか。タッチからして岩田屋や福岡大丸、博多阪急、博多マルイの客層とは合致しない。まして5400円以上の購入客がどれほど注文行動までとるか。懸賞の応募数はイベントの価値や情報発信力のレベルを表すのは間違いない。

 結局、予算がもらえるからと利害関係者が自分たちの思惑だけで、企画を実行しようとする。できないものは代理店等の外部依存で切り抜けようとしていく。コンセプトなどは微塵も無く、事業そのものが曖昧だから、手段が目的化してしまって運用が全くできていないのだ。

 「福岡に買い物にきてもらう」と地元志向を謳いながら、実際には利害関係者の自社優遇志向になっている。そんな事業ばかりやってて、社会的使命など果たせるはずがない。ファッションも小売りもわかっていない人間が口先で、「情報発信」だの、「地元振興」だのと唱えるだけなら簡単だ。

 批判すれば「弱虫の証拠」とかと、いかにも勝ち誇ったように言って来るが、所詮情緒的で中身のない反論に過ぎず、凡庸で知能の程度がはっきりしている。「クリエイティブ」という言葉を用いて、悦に浸るのは勝手だが、そんなもんで地元のファッション振興になるはずもない。

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序でにトライオンナウも。

2017-03-08 07:21:25 | Weblog
 知り合いのメーカーがファッションウィーク東京に来ないかと誘ってくれたが、年度替わりで結構忙しく流動的だ。

 ファッションウィーク東京には、昨年から通販大手のアマゾンが冠スポンサーに付き、コレクション直後に商品を販売する仕組みを先鋭化させようとしている。まだまだ一部のブランドに限定されるが、今回はアマゾンが選んだ3ブランドで、サイト内に開店する「アットトーキョーストア」とも連動する。スポンサーとして開催資金を拠出する以上、自社にとってのマーケティングや販売スタイルの進化を探る狙いが窺える。

 この「シーナウ・バイナウ」は、昨年春のロンドンファッションウィークでバーバリーが全商品に取り入れ、同秋のニューヨークコレクションでもバナナ・リパブリックが一部の商品で採用していた。

 コレクション後の営業体制は、基本的にBtoBだ。招待したショップのバイヤーなどからショー後の展示会で評価や意見を聞き、マーチャンダイジングに反映するなどしてオンシーズン向け商品化する。それをインポーターや商社、あるいはショップに卸売りするのだ。ところが、シーナウ・バイナウはコレクション直後にお客=C(顧客)に直接購入してもらうというBtoCになる。当然、卸業者や小売店はオミットされる仕組みだ。

 コレクションを直に見る(ライブ動画を含め)お客はテンションが上がっている。雑誌掲載やショップ陳列とかのワンクッションを置くより、ショー直後の方が商品残像が鮮明で購買意欲をかき立てる。ブランド側も売りにつながる可能性が高くなると踏んだのだろう。もちろん、粗利益も高い。逆にショーの直後でもお客から引き合いがなければ、半年後に店で販売するにしても売れない可能性がある。VOIDにしたり、修正に注力するタイミングも測れるわけだ。

 コレクションを開催するようなブランドは、「流行の先端をいきたい」「他の人よりおしゃれでありたい」「満足感やステイタスを得たい」という顧客に支持されて来た。卸やバイヤーもショーを見る時点で、「これなら売れるぞ」「あの店なら好むかも」「このお客さんに勧めよう」と、管理データを頭に浮かべ、仕入れに反映させていく。

 だが、激化するグローバル競争を戦っているコングロマリットや上場している有名ブランドの中には、ショーから店頭展開までにタイムラグがあり、ショーにかけた資金を回収できるかの見込み売上げより、Show now , Sell itの確実性を選択し始めたところがあるのだ。コレクション直後に売れると、商品が現金化され、キャッシュフローが進むメリットがある。また極端すぎるクリエーションは敬遠されるだろうし、より売りにつながるプロダクトが要求される。そのためには販売する商品は、コレクションの段階で生産を完了し在庫しておくことが前提になる。

 一方で、インポーターや卸に小売りまでの流通を頼らなければならないところは、簡単に移行できない。元来、高級ブランドであっても独立系のところ、あるいはセレクトショップと取引するようなファクトリーブランドは、ショーを開催してブランド情報をメディア露出させ、さらに全国各地のバイヤーを集めた展示会で受注を取り、そこからMD計画に落とし込んで生産している。長らくこうしたシステムにどっぷり浸かることで、在庫リスクを持たずに確実に卸売りして来たのである。

 世界中の店舗に商品を行き渡らせ、顧客が手にするには、一ブランドアパレルだけの力では自ずと限界がある。各地に点在するブランドファンに商品を購入してもらうには、毛細血管のような流通網が必要だ。血管の細部まで血流をコントロールする=開拓したルートに沿って物流量を捌く中間の卸業者なくしては、成り立たないのが現状である。

 インターネットの時代に入り、店舗販売とECを組み合わせたオムニチャンネル戦略は待ったなしと言われる。しかし、それに対応するには、生産・在庫管理からデリバリーまでを一元化したグローバルな流通体制を整備しなければならない。シーナウ・バイナウを行っているのがバーバリーなど一部のブランドに止まっているいる点を見ると、こうしたイノベーションは容易くはないのである。

 加えてアマゾンなどネット通販の拡大により、ヤマト運輸では業務量が増えて現場から「悲鳴」が上がり、労組から荷物の扱いについて改善要求がなされる始末。物流が追いつかなくなっており、このままではイノベーションどころか、配送態勢すら破綻しかねない。急成長するECにも死角も生じているわけで、アパレル業界としてオムニチャンネル戦略に与する上では、痛し痒しといったところだろうか。

 結局、シーナウ・バイナウと言っても、有名ブランドがとる手法は作った商品を売り減らすのではなく、ある程度アイテムや型を絞り込んだ上で流通させていくのではないか。それもサンプルの段階で、バイヤーなど市場に近い人々の意見も参考に取り入れ、売れ残りロスを出さないものを製造していくのではないかと思われる。

 もっとも、シーナウ・バイナウの背景には、半年先にコレクションを行うことがビジネス的に見てどうなのかと、仮説と検証がされ始めた点には注目すべきだ。1年前にテキスタイル展が行われ、2年前には流行色が決まっている。色から生地、企画デザインまですべてを前倒しで行く業界慣習がビジネス重視の時代に合わなくなっている面もあるだろう。

 ファッションは気候や景気の影響を受けやすい。市場はグローバルで、自然災害やテロ事件などの社会不安はもちろん、米国大統領の「つぶやき」さえ世界経済に与える影響は小さくない。市場は変化に晒されると、そこかしこでシュリンクする。誰も2年後に売れる色、1年後に売れる生地、半年後に売れるデザインを言い当てることはできない。

 だから、出来るだけ企画から販売までのスパンを短くして、オンシーズンに近づけて販売していこうという試みは理解できる。ただ、半年前からのショー、展示会、生産、販売といった仕組みが崩れてしまうと、独立系の高級ブランドメーカーやファクトリーブランドは完全に駆逐されるかもしれないのだ。

 今回、アマゾンが開店するアットトーキョーストアは、これから東コレ系のデザイナーブランドにもシーナウ・バイナウを勧めていく布石と見ることができる。しかし、彼らが卸やバイヤーの存在の抜きに、またコレクションの段階で在庫を抱えるほどの資金力、与信力を持てるはずはない。スポンサーとてそこまでのリスクを持てないだろう。とすれば、日本ではまだまだ現実的とは言い難い。

 それでなくてもネット購入の増大に伴い、オークションやユーズドのマーケットも拡大している。シーナウ・バイナウに向き合うお客は一方で、買い物に対する冷静さを失っているかもしれない。そうしたマインドでは衝動買いが確実に増える。アマゾンとってはマーケットプレイスの市場が増えるからいい事かもしれないが、ブランド側には価値を下げるリスク要因でもあり、一長一短はあると思う。

 今もそうだが、コレクション後の展示会では、男性バイヤーでもレディスの商品について自分で袖を通したり、羽織って姿見に映す姿が見受けられる。直に触れて質を良さを確かめてから仕入れることは、服作りを行う側への敬意であり、デザイナーとの暗黙のコミュニケーションでもあるのだ。それさえ、無くなってしまうシステムに一抹の寂しさは拭えない。

 個人的にはシーナウ・バイナウだけでなく、ショーが終わった後に別室でトライオン・ナウくらいのサービスを行ってもらえたらありがたい。ブランドであるからこそ、質感や着心地は確かめて買いたいのがやまやまだからである。
 
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提灯記事でネタ作り。

2017-03-01 07:32:14 | Weblog
 福岡は小売り主体の街だが、卸が全くないわけではない。筆者が生まれ育った博多部でも店屋町にはかつて卸商が集まっていたし、九州各地から仕入れに来る人々の利便性を考え、博多駅周辺にメーカーが支店を出していた。その後、モータリゼーション、高速道路の発達で東区の福岡インター近くに流通センターが開業した。

 博多駅にほど近い「福岡ファッションビル(FFB)」も、卸やメーカーを集めた専門ビルだ。ここは小学生の頃、プールにスケート、ボウリングと楽しんだ福岡体育館があった場所。地元を離れている間に閉館し、建て変わったようである。それも今年で開業36年というから、誕生は1981年のこと。そんな前だったんだと、改めて思ってしまう。

 東京や大阪を拠点を置く知り合いのメーカーが九州展を行う時に借りるので、たまに覗かせてもらっているが、常時入居するのは度・コンサバのメーカー。マーケットが縮小してジリ貧の一途を辿り、訪れる度に一つまた一つ退去しているように感じる。まあ、卸やメーカーの事務所ビルだから、来客が多いのは展示会の時くらいだろう。それでもシーンと静まり返って活気はなく、唯一、来店客が多いのが中洲で働くお兄ちゃん御用達のオーダースーツ屋なのだから、卸を集めたビルにとしては全く皮肉な話である。

 先日も知人が働くメーカーが秋冬物の展示会を開催した。「今の時代に半年先のトレンドがわかるの?」と思いつつ、企画した商品についてアドバイスがほしいとのことで、忌憚のない意見を言わせてもらった。その時も「テナントが歯抜け状態」との話になった。知人は「福岡では若手がアパレルを創業しないの?」と聞いてきたが、「小売りの方が東京や海外に仕入れにいくから、よほどの企画力や独自性がないと目に止まらない」「このビルの雰囲気じゃ、テンションが下がるし、創作意欲がわかないだろうし」と答えた。

 知人はビルの関係者から聞いたのか、「地元の若手デザイナーがここでショーイベントを開くらしいよ」という。その時は「これだけテナントが撤退したら、オーナーだって賃料を下げてでも埋めたいだろう。そのための懐柔策じゃないの」と答えたが、よくよく考えるとビルを1軒挟んだ西側には福岡商工会議所がある。

 ここに事務局を置く福岡アジアファッション拠点推進会議は、発足当時から学校生向けのインターシップを FFBに入居するアパレルに打診していた。それがスムーズにいったとの話は聞かないが、過去のファッションウィーク福岡でもイベントに利用したし、人材育成という目的でショーイベントを開催できないことはない。問題は資金である。

 そんなことを考えながら数日たった2月21日、繊研PLUSが若手デザイナーのショーイベントについて報道した。http://www.senken.co.jp/news/startup/fukuoka-ffb/

 記事によると、福岡ファッションビル運営会社のエフ・エフ・ビーは、「博多駅からすぐという立地もあり、オフィスとしての需要も高まっているが、『ファッションの軸はぶらしたくない』と、若いデザイナーを支援し、FFBや福岡ファッション全体の活性化を狙っている」とある。

 加えて「ショーと連動し、3月1~17日には、福岡パルコの『ウォール』で3ブランド(ショー出展)の期間限定店を開く。同18~26日のファッションウィーク福岡期間内には、FFB1階で展示もする」とのこと。

 さらに「福岡市は地方創生の一環として、クリエイティブ関連産業の振興に力を入れている。デジタルやIT情報技術分野が主だが、ファッションも対象の一つだ。FFBも「市の方針とリンクし、今後も若手ブランドのショーを継続していきたい」という。

 なるほどである。補助金は福岡市のクリエイティブ事業予算から引っぱり出したようだ。この事業は記事にあるようにゲームクリエーターやWebデザイナーが支援の対象になるが、予算割当や執行についてそれほど明確な根拠はない。担当部局へのアプローチ次第で、割り振りはどうにでもなるように感じる。

 もっとも、事業におけるファッション振興関連の予算枠は、客寄せ興行の福岡アジアコレクションに注ぎ込まれている。そのため、ファッションウィーク福岡は予算が少なく、地元企業にスポンサーとして資金拠出を願い出る有り様だ。ファッション分野における「本来のクリエイティブ事業」で、駆け出しのデザイナーは蚊帳の外だっただけに、少しは事業の恩恵が受けられるようになったようである。

 それはともかく、記事には「ショーには、地元のファッション関係者やモデル事務所関係者、メディア、ウォールの顧客など約300人が来場した」とある。ここからの行はメディア向けの話題づくり、箔付けがみえみえに思えてならない。

 「地元のファッション関係者」とは、実に都合の良い言葉である。その範疇は限りなく広いから、誰でも関係者となってしまう。本来のショーならバイヤーが観覧してしかるべきだし、そう書かれないところがデザイナーが地元の評価を得ていない証左。それに「東京や大阪の専門店数軒と取り引きしている」というのなら招待してもいいし、来ないにしても店名ぐらい記しても良さそうなものだ。

 マイナーなデザイナーズものをお客に売るのはまだまだショップだし、有名店や敏腕バイヤーが見に来てこそデザイナーの格が上がる。それがファッション業界だ。もの作りは確かか、 お客の信頼を得られるクリエーションか、フォローはきくのか。その辺がハッキリしないのでは、記事を読んでも新規に取引する気にはならない。そもそも地元の有名店から地元デザイナーの話を聞いたことがないのだが。

 「モデル事務所関係者」は、一連のクリエイティブ関連事業でようやく地元の事務所も仕事をもらうことができたから、バーターで出席を要請されたのだろうか。福岡アジアコレクションが東京からタレントをつれて来るばかりで、地元に中々おこぼれが来ないのはわかる。しかし、ショーの写真を見る限りでは、抱えるモデルたちが東京の事務所からオファーがあるほどのレベルではない。それが現実だからしょうがないのだが、それでも少しはガス抜きになっただろう。

 結局、来場者300人というのは、ショーのレベルを取り繕うために嵩上げした評価数値と言わざるを得ない。アッシュペー・フランスが運営する「ウォール」の顧客もそれなりにいるだろうが、専門学校生もかなり含まれていると思われる。集客の人数を稼ぐために学生を動員するのは、以前から主催者の常套手段だった。ショーイベントをこの時期に開催したのも、後期の授業がちょうど終了し、頭数を確保しやすいからと考えられる。



 本来ならファッションウィーク福岡の期間中にショーを開催するのがベストなのだが、春休みに入ると県外出身の学生が帰郷してしまうので、この時期しかなかったわけだ。ととのつまりが、この行には「ショーには多くの人間が観客として訪れた」という「権威付け」の意図が透けて見える。これも主催者側はプレス活動と考えたのだろうが、見え透いた魂胆でショーの体裁だけ「パルコレ風」を装って記事を書かせても、どんなステイタスになるのだろうか。業界人が読めば、「提灯記事」以外の何ものでもないのがわかるのだ。

 デザイナーが本当に実力の持ち主なら、東京でも海外でも出て行くだろうし、メーカー側からもオファーがあるはずである。そうではないところに、福岡在住のデザイナーの実力が知れる。その証拠に記事中に登場しているデザイナーは、「香港のカットソーメーカーに呼ばれて半年間働き、帰国した後にブランドを本格的に始めました」とあるが、たかが半年で技術やノウハウを身につけられるわけがない。

 もし、海外メーカーから請われるほどの実力なら、メーカー側が半年で手放すだろうか。第一、香港の就業ビザが降りる条件は、専門性の知識や経験が必要になる。英語も中国語もできず、仕事の経験もない専門学校出が、簡単にビザ取得をできるとは思えない。それ以上に法令では「初回のビザ取得時は2年の就労が認められる」のだから、雇う側が半年で帰国させる方がおかしいというものだ。

 出身校名を見ると、その謎も何となく解けた感じである。福岡アジアファッション拠点推進会議の企画運営委員長の学校である。この御仁が卒業生に恩を売るためにショーイベントを仕切って、パブリシティを繊研新聞にゴリ押しするなど、水面下で申し合わせたのは想像に難くない。でも、記者がその辺のいい加減さを突っ込めないところに、提灯記事に成り下がった元凶があるとも言える。それとも、何らかのリターンでもあったのだろうか。ともあれ、税金でカネをバラ撒いて一過性のイベントをするくらいで、デザイナーが育つわけがないことは確かである。

 FFBが言う「博多駅からすぐという立地もあり、オフィスとしての需要も高まっているが、『ファッションの軸はぶらしたくない』と、若いデザイナーを支援し、FFBの活性化を狙っている」にも、首を傾げたくなる。コンサバメーカーがジリ貧状態の中で、なに浪花節をヌカしているのだろうか。今、アパレルに必要なのは発想の転換であり、活性化させるには異業種からの参入に他ならない。ベンチャー系など気鋭のビジネスを仕掛ける企業をどんどんテナントに迎え入れ、積極的に意見交換を行うなどで自社に足りないものは何なのかを検証しなければ、変わるきっかけすらつかめない。

 デザイナーが自分が好きなデザインの服を作って売ったところで、ビジネスの展望など開けるはずもないのである。ビルオーナーは駆け出しのデザイナーにイベントスペースを貸したくらいで、彼らが恩義にかられて将来店子になってくれるとでも思っているのか。営業力のない若手デザイナーを迎え入れたところで、家賃収入を得られる保証などないのである。今のデザイナーアパレルにはレップのような営業面のフォロー、マーチャンダイザーなどの態勢、さらにベンチャー的発想やITのノウハウが不可欠なのは言うまでもない。そうしたビジネスモデルを構築できてこそ、FFBにとっても魅力あるテナントになるはずだ。

 そのためにはデザイナー側も地元の店舗が売りたくなるような服を作って、実力を証明べきだと思う。ウォールにしても仕入れる側が小物や雑貨を主体にしたがるのは、店舗スペースが限られ、在庫負担が軽いからだし、服なら東京や大阪にもっと優れたデザイナーが大勢いる。こうした状況を知った上で、だったらどんな服を作ればいいのかを察知しなければ、地方のデザイナーなど注目されるはずもない。テレビ局の事業に税金を注ぎ込み、専門学校の学生集めに利用されるようでは、地元ファッション全体の活性化なんて、ほど遠い話である。

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