HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

在庫処分ECの陰。

2020-06-24 06:22:04 | Weblog
 アパレルの余剰在庫をどうするか。これまでは焼却処分や素材のリサイクルがメーンだったが、ここに来て在庫を引き取って、格安でリセールするオフプライスショップが増えている。先日、ついにそのオンライン版が登場した。

 長崎県諫早市の法人在庫リユース業「PINCH HITTER JAPAN(ピンチヒッタージャパン)」 がその一つ。地元紙によると、「同社のオンラインショップ「LAST SALE(ラストセール)」は、国内アパレルが抱える余剰在庫を一括で買い取り、定価(メーカー希望小売価格)の60~90%オフで販売する」という。https://news.yahoo.co.jp/articles/8aaacf6cf8d2d5650a2f56b143e39ee6d91d6561

 オンラインは実店舗のように立地に左右されない。地方なら在庫を保管する倉庫の家賃負担は軽く、販売用に仕分けする人件費も首都圏より安い。ローカル企業としては、コスト競争力で優位に立てるとの目算なのだろう。果たして勝算はあるのか。報道された情報をもとに考えてみたい。


報道に反してアパレル扱いは無し

 ピンチヒッタージャパンは、創業が2013年の若い企業だ。スポーツ用品や自転車、工具、ゲーム、楽器などの買い取り専門サイトで急成長し、昨年3月期の取扱高は約58億円に及ぶ。そのサイトを売却して、「アパレルのオフプライスショップに乗り出す」というのだ。スポーツ用品などで蓄積した買取&再販のノウハウを生かすようだが、それがアパレルにどこまで通用するかは未知数である。

 と言うのも、アパレルメーカーが余剰在庫を放出するのは、シーズンや型番、サイズ、色ですべてごちゃ混ぜになっているケース(バッタ屋ルート)がほとんど。そうした商品はセールやアウトレットでも消化できず倉庫にストックしておくと家賃負担がかかるとか、何年も在庫のままで市場に出回らなかったデッドストックなどになる。だから、基本的に引き取る側が商品を選ぶことはできない。



 地元紙の報道では、「リーガルやティンバーランドなど人気ブランドの衣類(男性、女性、子ども向け)、腕時計などの小物、靴を定価より6割安く販売。一定期間が経過し売れ残った商品は9割安で売る。いずれも新品未使用」と、なっている。しかし、ラストセールのサイト(https://lastsale.shop/ )を見る限り、6月23日時点で品揃えはほぼ100%が「靴」で、報道されているような国内アパレル(衣料)は一つもない。

 記事を書いた長崎新聞社の記者は、「日本の衣類廃棄量は年約100万トンで、半数以上は焼却処分され、温室効果ガス排出量増の原因の一つといわれる。国内アパレル企業が抱える在庫を一括買い取りすることで、在庫商品のキャッシュ化と衣類廃棄の削減につなげる」と、業界の課題や事業参入の背景にも触れている。だが、現状では品揃えと記事の文脈がシンクロしないわけだから、衣料廃棄に貢献したい企業姿勢もオフプライスストアの目的もかすんでしまう。

 ピンチヒッターに問い合わせると、スタッフの名前入りで「現在はシューズと腕時計を掲載しておりますが、今後は衣類品も掲載してまいります。どうぞよろしくお願いいたします」との回答が返ってきたが、それ以外の説明はなかった。ローカル紙が地元企業をクローズアップしたい気持ちはわかる。でも、記事内容があまりに先走りでは、「飛ばし」と言われかねない。取材した記者はせめてアパレルを販売するだいたいの時期くらいは、同社から聞き出して書くべきではなかったかと思う。


どのアパレルから、何を引き取るか

 今後、LAST SALEにはどんなブランドが品揃えされるかだが、アパレルの「仕入れ」はそう簡単ではない。欧米のラグジュアリーブランドは、プロパー、セール、アウトレットとバーチカルに消化して、残ったものはブランドイメージを毀損しないように焼却処分される。海外卸しを経由した一部が二次流通に出回るケースはなくはないが、商品自体が「ニセ物」であったり、インボイスが偽造されていることもある。買い付けノウハウが6〜7年程度では、真贋を確かめて仕入れるのは難しいだろう。




 ピンチヒッターのHPによると、スポーツ用品や自転車、工具、ゲーム、楽器などのメーカーや問屋に対し、まとまった余剰在庫を一括で買い取る旨が記されている。アパレルについてもこの基本スタイルを貫くなら、メーカーが依頼するのは、やはりシーズンや型、サイズ、色がごちゃ混ぜになったパッキン単位が多くなるのではないか。これらを引き取るなら価格は安いだろうが、それが売れるかどうかは別の話だ。

 さらに細かく言えば、百貨店系ブランドは最近は製造調達を抑えているため、まとまった在庫が手に入れることはできない。SPAの放出品は色やサイズが揃うが、他社も続々と参入していること考えると、在庫が十分にあって引き取ることができるかどうか。他は量販店ルートの売れ残りやスポーツブランドなどがあるが、どこまで中身が充実(再販に堪えうるかどうか)しているかはわからない。



 ショッピングサイトでは、靴については男性、女性、子どもごとの種類別に分けられ、サイズ別でもしっかりグルーピングされている。トップページでは「全商品1点モノ」「『下記、サイズから探す』からの商品検索をおススメしております」とある。試着にせずにネットで靴を買うのなら、そうせざるを得ないからか。ただ、アパレルは引き取りの形態を考えると、価値のあるブランドでない限り、1点ものというわけにはいかない。

 引き取ったパッキン単位の中身を、男性、女性、子どもはもちろん、ブランドやシーズン別で仕分けするには相当の手間がかかり、その分のコストは某大になる。仮にマニュアルに添ってパートアルバイトが作業するにしても、シーズンやテイストまで分けるには、ある程度の商品知識やファッションセンスが要求される。そうしたノウハウを修得するには、かなりの時間を要するだろう。メディア発表されたにも関わらず、サイトにアパレルが一つもないのは、そうした理由もあるのかと、逆に勘ぐってしまう。

 作業は仕分けだけに止まらない。サイトに商品をアップする「ささげ業務」がある。パッキン単位の引き取りなら、自社で撮影からアイテム名、スペック、詳細説明の記載までの作業をしなければならない。すでに靴ではしっかり写真や情報がアップされているので、ノウハウはもっているだろうが、ファッションアイテムはイメージも重要だから、置撮りだけでなくモデル撮影まで行うとさらに手間やコストがかかる。


売れるにはブランドの顔ぶれがカギ

 オンラインショップの現状を考えると、単に「安い」だけでは買い上げ率を高めるのは難しいと思う。売れるには「ブランドの顔ぶれ」がカギを握るし、サイトのビジュアルや商品説明も重要だ。ECは試着ができないので、FAQ以外の問い合わせ対応、返品受付ときめ細かなサービスが顧客の信頼を生む。検索エンジンの上位にランキングされるためのSEO投資はもちろんだ。一つ一つクリアしていかなければならない。

 すでに実店舗ではワールドの「アンドブリッジ」、ドンキホーテの「オフプラ」、GEOクリアの「ラックラック・クリアランスマーケット」などが参入し、多店舗化を視野に入れて展開中だ。ただ、ワールドが関わっている店舗でも、ハンギングを主体のローコストオペレーションだ。商品が未使用品というだけで、VMDや陳列方法は中古品を売る2nd Streetとほとんど変わらない。

 某大な仕分け作業が発生するため、商品のピックアップも試着もセルフ化するなど運営コストを抑制しなければ、利益が出ないのだ。それでも、実店舗のみならECサイトのようなささげ業務は無くなる。逆にオンラインショップは仕分け作業の他にこの作業が必要で売価が安いと、利益は薄い。損益分岐点との格闘が待っているわけだ。ラストセールは最終的には90%オフで売り切るというが、完全消化はそれほど容易ではない。それを考えると、他の引き取り商品も含めて、第三国への三次流通まで視野に入れているのかもしれない。

 2018年のデータでは、日本では年間に供給されるアパレルは29億点を超える。それに対し、総消費数量はプロパー、セール、古着をすべて合算しても13億5200万点ほど。つまり、半分以上が売れ残っているわけだ。世界的なSDGs意識の高まりや焼却処分によるCO2排出の抑制からも、オフプライス業態は注目されている。ビジネス、社会性の両面から参入する企業があるのは良い傾向である。

 さらに新型コロナウイルスの感染拡大で、東京一極集中のリスクが顕在化した。すでにビジネスの仕組みを変えようという動きがあり、都市構造が変化すればローカル企業にもチャンスの芽が出て来る。ラストセールにアパレルが品揃えされるのを期待しながら、オフプライスショップのオンライン版を注視して見ていきたい。
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自に甘く、他に辛い。

2020-06-17 06:17:13 | Weblog
 先日、「TRILL」というサイトが「《ユニクロ》って何の略称?…」というタイトルで、「ブランド名の由来」を解説していた。https://trilltrill.jp/articles/1434713?utm_source=TRILL_app&utm_medium=app&utm_campaign=page_share

 それによると、「ユニクロはもともと、『ユニーク・クロージング・ウエアハウス』(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)を略して「UNI-CLO」とされていました。しかし、ユニクロを展開するファーストリテイリングの前身、『小郡商事』が1988年に香港に現地法人を設立した際の会社登記にて、『UNI-CLO』の綴りを『UNI-QLO』に書き間違えてしまったのです。しかしそれは直される余地もなく、そのまま採用となったそう」だそうだ。

 「ユニクロ」の発祥がスペル違いであろうとなかろうと、フルネームのユニーク・クロージング・ウエアハウスの語呂があまりに長いので、登記以前から内々には略して呼ばれていたは、筆者も知るところ。知名度のアップとブランド力を付けるため、テレビCMではDJの小林克也を起用して流暢な英語で「UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE」と連呼させていた。だが、やはり長過ぎるとブランド名にはマイナスだから、略名は当然の選択だったと言える。

 ここで問題提起したいのは、ユニクロではなく、英語表記の「UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE」である。記事では、「それぞれの単語の意味は以下の通りです。・UNIQUE=独自の・CLOTHING=衣類 ・WAREHOUSE=倉庫」と、説明している。



 また、「単語それぞれの意味からわかるように、名前には『ほかの店舗で買うことのできない独自のデザインの衣類を、お客様が自由に選び購入できるブランド』という願いが込められているんだとか」との解説に止まる。店名の出所については、当時の小郡商事の関係者、また創業者である柳井正社長が「オリジナル」で考えたとも、「そうでない」とも、記事は一切触れていない。


同名の店舗がNYに存在した





 実は、このUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEは、ユニクロのオリジナルでも何でもない。小郡商事が1984年6月に広島県に1号店を出店する2年以上前、米国・ニューヨークのダウンタウンに「同名の店舗」が実在していた。意味はサイト記事の通り、「独自の」「衣類」「倉庫」である。筆者は当時、NYに居て同店を何度も訪れているし、写真も撮影している。現地では「UNIQUE/ユニーク」という略したニックネームで呼ばれ、店舗前の歩道には地番と一緒に表示され、店頭の縦長のサインにもそう記されていた。

 1980年代初め、ニューヨークではすでに一世を風靡したCalvin Kleinのブランドジーンズが街角のディスカウントショップでも売られるほど陳腐化していた。それに対抗するかのごとく倉庫街のSOHO地区やその界隈からは、チープなストリートファッションが発信され始めた。UNIQUE CLOTHING WAREHOUSEもその一つ。まさに倉庫を改造した店舗では、アンティークやリサイクルと古着風に加工した新品をミックスして販売し、新しいNYファッションとの呼び声も高かった。NYでは、日本のWEGOが取ったビジネスモデルが20年以上も前に実践されていたのである。

 ここまで裏取りでは、小郡商事が社名を「盗用した」、柳井社長がネーミングを「パクった」という証拠にはならない。たまたま偶然に同じ店名になってしまったのかもしれない。だが、 柳井社長がいろんなメディアでも語っている通り、創業間もない頃のユニクロはオリジナルではなく、尾州辺りのアパレルに商品を仕入れに行っていた。その中には、アンティーク風に加工した「ケミカルウォッシュ」のジーンズなんかもあった。これはニューヨークのUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEがユニクロよりも先に販売していたものだ。それでも、「当時のトレンドだった」「日本のアパレルが模倣した」と、反論もできるだろう。



 では、さらに挙げよう。店舗にはUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEと表示していたユニ
クロが多店舗化し始めた1990年代。いわゆる「初期」の「ロードサイド店」は、外観はレンガタイルを貼った「倉庫風」の作りだった。特に店内は天井が高く「壁面」に「ディスプレイ什器」を置いて商品をアピールした。さらに中央に並べた棚に商品を陳列するスタイルは、筆者がニューヨークのUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEで見たものとほぼ同じだった。筆者が日本に帰ってファッション業界の諸兄や業界紙誌の記者、編集者に話すと、彼らも同様に感じていたようで同調してくれた。


 ここまでの裏付けがある限り、ユニクロのもとなったUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEが偶然に同じ名称になったとは考えにくく、全く「独自」どころの代物ではない。創業当初は、店名から店づくり、MDに至るすべてをニューヨークのオリジナル店舗からそっくり真似している。少なくとも店名については、パクったと言っても過言ではないだろう。ユニークと略さなかったところがせめてもの抗弁にはなるが。


大企業となった今、自省はないのか

 公開されている柳井社長のプロフィールによると、「大学2年の夏休みから父の資金援助で200万円以上かけて世界一周旅行し」とある。「大学を卒業後ぶらぶらして過ごしていたが、父親の勧めでジャスコ(現イオンリテール)に入社」したが、「働くのが嫌になり9ヶ月で退職」「帰省して実家の小郡商事に入社」。「12年経営に携わる間」「日常的なカジュアル衣料の販売店を着想し全国展開を目指した」(wikiより)ことから、世界一周の時に訪れたかもしれないニューヨークに、ビジネスモデルのヒントを求めてもおかしくない。

 その後、ユニクロが店舗数を拡大していく過程で、仕入れでは数量の確保がままならず完全SPA化に舵を切ったのが1996〜97年くらいだ。この前後から商品がキレイ目のオリジナルとなったが、今度は香港の「ジョルダーノ」風と揶揄された。筆者も香港が中国に返還された1997年に訪れ現地でジョルダーノを見ているが、確かにSPA化して以降のユニクロは内装や展開スタイル、ベーシックな商品が同社と酷似している。それでも、試行錯誤を重ねながら独自のフォーマットを構築し、フリースなど高品質な商品づくりでは、既存のSPA勢を凌駕したのも事実だ。これについて異論はない。

 しかしである。ファーストリテイリングは2001年8月、すでに末期状態にあったダイエーの衣料品売場「PAS」の店舗の「内装」や「店構え」が,ユニクロの店舗と酷似しているとして不正競争防止法に基づき、内外装の使用停止を求める仮処分を千葉地方裁判所松戸支部に申請した。この時、筆者は正直、「ここまでやるか」と思った。15年以上前のUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEのパクり問題の記憶が甦ったからだ。

 不正競争防止法への抵触には、ユニクロの内装や店構えにおいて、「製品」や「サービス」の製造者や提供者をはっきり示す「出所明示」が必要になる。なぜかと言えば、それにより他店と区別できる「識別性」が備わり、誰もがオリジナルだと認識できるからだ。結局、申立ては双方が「和解」することで解決したが、おそらく裁判所はユニクロが主張する店舗内部の構造や内装について、他店と識別できるだけの出所明示を認めなかったということだろう。

 翻って、ユニクロのUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEのパクり問題はどうなのか。盗用疑惑の報道も、国際訴訟への発展もなかったので、これ以上は何とも言えない。ただ、自社のことは棚に上げて、ダイエーに対しては堂々と仮処分を申し立てる姿勢は、傍からはとても見苦しく感じる。TRILLの記事ついても、UNIQUE CLOTHING WAREHOUSEの出所まで深く取材せずに、読者にユニクロオリジナルのような誤解を与えてしまうのは、ネットメディアの底の薄さを感じさせる。

 ファーストリテイリングに限って言えば、1994年に東証一部に上場しており、アパレル業界で確固たる地位を占め、グローバルマーケットの覇権を争うまでに成長していた。ならば、自社には甘く、他社には厳しいは、許されることではない。それとも、弱い相手でも自社と競合するのなら、あらゆる手段を用いても徹底して叩く考えなのか。

 日本には「人の振り見て、我が振り直せ」という諺がある。大企業に成長したからこそ、自社より規模が劣る他社の行動を見て、良いところは見習い、悪いところは改めるという気構えも必要ではないのか。それとも、「そんな日本風の経営観では、グローバルでは生き残れない」とでも言うのか。まあ、柳井社長には諺が示す自省は通用しないようである。
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撮影のバイブル、廃る。

2020-06-10 06:26:05 | Weblog
 ネットメディアの台頭とともに雑誌の廃刊、休刊は珍しくなくなった。特にファッション誌は過去10年ほど前から相次いでいる。ざっと見ても以下のようなファッション誌が書店の平積みやコンビニのラックから消えていった。

 1996年3月に創刊したギャル向け「Cawaii!」(主婦の友社)は、2000年には発行部数が約40万部を達成したが、08年には約11万部まで減少。翌09年5月1日発売の6月号をもって休刊した。20歳前後の女性向け「PINKY」(集英社)も、04年創刊時は発行部数約30万部を誇ったものの09年には約19万部まで落ち、翌10年2月号がファイナルとなった。

 他にもインフォレストの「小悪魔ageha」、 角川春樹事務所の「BLENDA」、大洋図書の「egg」、宝島社の「CUTiE」、学研プラスの「ピチレモン」、日之出出版の「SEDA」、小学館の「AneCan」、 ジェイ・インターナショナルの「KERA」、祥伝社の「Zipper」等々。メンズ雑誌ではKKベストセラーズの「Men's JOKER」が休刊している。

 一方、マガジンハウスの「anan」は、今年3月で50周年を迎えた。同社のメンズ誌「BRUTUS」も1980年の創刊から40年続くが、両方ともファッション特化ではなく編集内容に幅を持たせている。直近の発行部数はananが約20万部、 BRUTUSが同約8万6000部と、他誌と大差ない。それでも存続しているのは、歴史に裏打ちされたブランド力がスポンサーの獲得、広告出稿の決め手となっているからか。これはファッション路線を頑に貫く集英社の「MORE」(創刊43周年)にも言えることだ。

 休刊した雑誌の平均発行期間は、約15年。創刊25年を超えていたCUTiEやピチレモンは例外としても、1990年代後半に創刊した比較的新しい雑誌が休刊に追い込まれる傾向だ。ファッション誌という性格上、発行期間が長いほど企画のマンネリ化は否めないが、歴史が浅いものは読者の新陳代謝も激しく、スポンサーの信頼を得るまでにはいかないようだ。

 まあ、ファッション業界とジャーナリズムが手を組んで読者の購買意欲を喚起する仕組みは、1920年代のパリやニューヨークで生まれた。すでにそのスタイルは100年を経過した至ってクラシカルなもので、ネット時代の現代には合わなくなっている。ananやBRUTUS、 MOREとて、いつ休刊になってもおかしくないのだ。徳間書店が発行していた「ラルム」のように、今年4月の休刊からわすか5カ月で復刊するものもある。だが、これは徳間書店で同誌の編集長を務めた中郡暖菜氏が事業を買取ったことで実現したもの。今度は季刊誌だから年4回の発行で、前途洋洋とは行かないだろう。

 では、歴史やブランド以外に雑誌が存続する理由を少しマニアックな視点で考えてみたい。一例として、先日、7月号で休刊すると発表した朝日新聞出版の「アサヒカメラ」を挙げる。

 アサヒカメラは1926年(大正15年)4月に創刊し、今年94年目を迎えたギネス級の総合カメラ誌。2010年頃までは5万部以上あった発行部数は、18年以降は2万部台まで落ちていた。直近の数号は3万1500部まで持ち直してはいたが、ご多分に漏れず伸び悩む広告収入がコロナ禍でさらに激減。6月号の純広告は11ページ(自社広告以外)で、しかもカラー広告はわずか5ページしかなかったというから、媒体として存続できるはずもない。
 
 筆者は仕事でモデル撮影や物撮り、ロケにも携わったので、カメラ雑誌には少なからず目を通してきた。「コマーシャルフォト」や「カメラマン」(2020年5月号で休刊)と並び、アサヒカメラも興味を引く特集があった時は購入していた。一流の写真家や有名カメラマンのグラビア、月例コンテストはこの雑誌ならではだった。そこから学べる撮影技術が売りだと思うが、商業撮影で特に役立ったわけではない。ただ、仕事柄、カメラマンと接する機会が多く、個人的にも日本で初めてAFを採用したミノルタから現在のSONYまで同じ系譜の一眼レフを使ってきたので、カメラ雑誌はコミュニケーションツールになっていた。


蔵書したくなるを意図した雑誌

 アサヒカメラの読者は、「撮影された写真」を雑誌という「印刷物」を通して見るわけだから、そのレベルは「紙焼き」と同程度のクオリティが求められる。そうした編集姿勢はデジタルカメラの時代に入っても変わらなかった。むしろ、写真マニアの読者は銀塩(フィルム)カメラで撮った写真の色合いや画質の奥深さが好きという人も多く、デジタル画像であっても誌面で取り上げる写真は、フィルム撮影と遜色ないものだったと感じる。6月号の特集テーマ「いまこそ、フォルム」がそうした状況を如実に語っている。



 つまり、一般のファッション誌とは違い、写真を再現するための「紙質」が格段に良く、印刷のクオリティも高い(写真の階調、画像の再現性を高めるグラビア印刷が採用されていたのか)。誌面は経年でも色褪せることが少ないから、印象に残る号は残しておきたくなる。筆者もあとあと役立つかもしれないページは、切り抜いてファイリングしていた。というか、読者が定期購読し、自宅やオフィスの書棚に蔵書することも意図して作られていた雑誌だと思う。

 写真マニアの読者は熟年層が多く、プロのカメラマンと同様に高額なカメラやレンズ、機材にも投資できる。毎年のようにカメラ展が開催されているし、写真マニアは今年はどんな機種やレンズが登場するのかと心待ちにしている。筆者も仕事を一緒にしたカメラマンとは「ライカ」や「カールツァイス」の話題で盛り上がることが多かった。それらも広告スポンサーを維持できた理由で、編集企画のマンネリ化が叫ばれながらも、編集者が情報をうまく取捨選択していたことで存続でき、読者をつなぎ止めてきたのだと思う。

 これはデジタルデータが中心のWebメディアとは根本的に違うところなのだが、読者がそこまでの画質や情報を求めなくなったことが、紙媒体の雑誌が衰退していった裏返しとも言える。まあ、スクリーンショットなら、データの保存は可能なのだが。

 また、カメラそのものがデジタル化して性能が格段に向上。高額なカメラやレンズを使わなくても、素人がプロ並みの撮影ができ、スマートフォンでも高画質な写真が撮れるようになった。写真の機能や撮影の目的がアーカイブというより、SNSという環境での自己表現やインフルエンスという価値観に変わり、カメラ雑誌に求められるものが写真の構図や再現力、撮影技術などではなくなっていったのだ。そうした編集のソースが枯渇してしまったことも休刊の理由ではないか。

 長く続いたもう一つの理由は、「装丁」にあると思う。ファッション誌のほとんどは、印刷済みの「折り丁」を揃えて断裁した見開きページの折れ線部分、いわゆる「のど」をホッチキスで留めた「中綴じ」だ。アサヒカメラは折り丁を揃えた「丁合」を何部か重ね合わせた束を「無線綴じ」しているので、雑誌には「」がある。この部分には特集のタイトルが表示できるので、雑誌の格調が高くなり、蔵書した時にバックナンバーを探しやすい。

 週刊誌のような読み捨てではないこと、つまり、雑誌の情報量を増やし、読者が印象に残った記事を何度も見返せるようにしたものだ。他には「家庭画報」やブルータスの別冊「CASA」がそうだ。ファッション誌では「LEON」がこの装丁スタイルを取っており、専門誌、別冊や増刊(ムック版)、中高年向けなどの雑誌に多い。それだけの印刷コストをかけても読者を捉えたい意図があり、アサヒカメラはそれがうまく奏功した事例だと思う。

 筆者がルポを書かせてもらった業界各誌もかつては背があったが、近年は中綴じに変わった。雑誌離れが進む中で、ページ数を減らしてでも気軽に読んでもらう狙いだったと思うが、それだけ編集や印刷のコストを削減せざるを得ない出版社の事情もあったと推察される。ファッションやコンビニといった業界向けの媒体は、別の出版社に事業譲渡されており、営業的にもかなり厳しかったようだ。

 ファッション誌の「FIGARO japon」も創刊時は「TBSブリタニカ」が発行元だったが、その後、「阪急コミュニケーションズ」に譲渡され、現在はTSUTAYAの子会社「CCCメディアハウス」が引き継いでいる。こちらも2010年代前半までは背があったが、現在は中綴じに変わった。雑誌の種別を問わず、紙媒体の置かれている厳しい状況が装丁の変化からもよくわかる。


ファッション誌より勉強になる

 もっとも、雑誌は印刷物であり、デザインの性質はグラフィックに近い。イベントのようなタイムデザインとは違い、時間の経過とともに情報が消え失せることはない。蔵書・保存すれば情報の鮮度は別にしてアーカイブとなり、資料として後世に伝えることができる。特にアサヒカメラの誌面は、情報の新旧に関係なく、写真の構図やライティング、シチュエーションのノウハウが色褪せることなく、貴重な資料として活用できる。写真マニアやカメラマンだけでなく、アートディレクターやデザイナー(グラフィック)、スタイリストを目指す若者にとっても、欠かせない教科書になるのだ。

 スタイリストになりたい若者にその理由を訊ねると、「最新ファッションに携われる」「ファッション誌の仕事がしたいから」などの答えが返って来る。業界の事情も知らず、仕事内容もろくにわかっていないのだから、仕方ない。だが、スタイリストのやり甲斐は、そんなことではない。パーソナルは除き、雑誌や広告の仕事でモデルに衣装を着せたり物撮りのシチュエーションを組むには、編集者やディレクターとの打ち合わせ後に自分で「コンテ(撮影の構図やストリーを決める作図台本)」を描いておかなければならない。プレスルームや店舗から衣装や小道具を借りてくるのはその後になる。スチール、ムービーを問わず、自分の表現力や技量を撮影の現場で生かせるのは、そうした準備ができてこそなのだ。

 トレンドの服や小物を扱ってコーディネートするだけなら、そこらのショップスタッフと何ら変わらない。スタイリストの面白さは事前にイメージを決めてコンテを描き、撮影そのものに携われること。その時に裏方でいられることが業界人を実感でき、その証しがスタッフ名のクレジット、やり甲斐になるのだ。ファッション誌の編集者も、ファッション知識があるからではなく、編集者としての才能を認められたからだ。そのためには4年制大学に行かなければ、出版社の採用試験が受けられない。例外的にファッションの勉強をして雑誌編集者になれるのは、系列誌「装苑」を発行している文化服装学院卒のエリート学生くらいだろう。

 その意味で、スタイリストになるための勉強は、ファッションの知識をつけることではなく、雑誌編集や広告制作のノウハウを学ぶことにある。雑誌や広告がいかにして作られていくかのフローや台本作り(コンテ制作)、演出手法や仕掛け、そして撮影に携わるための様々な知識や要領、情報収集である。CMによっては、いちばん先にスタイリストを選定する場合もあるくらいだ。そう言えば今、CMディレクターの杉山恒太郎氏が日経新聞に連載している「世界を変えたネット広告」も必読だろうか。

 雑誌や広告の仕事をする上では、カメラ雑誌の購読は必須で、アサヒカメラはモデル撮影、物撮り、ロケにおいて格好の教科書、いやバイブルだと思う。休刊は時代の流れだから仕方ない。でも、アーカイブはちゃんと残っており、撮影の学習には生かせる。スタイリストに限らず、雑誌や広告の撮影に携わりたい若者諸兄にも、アサヒカメラのバックナンバーに目を通されることをお勧めする。
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大が潰れ、小が残る。

2020-06-03 06:59:27 | Weblog
 新型コロナウイルス禍によるアパレル及び関連業界の倒産は、ネットニュースにおける個人的トレンドとなってしまった。しかし、コロナ禍がアパレル倒産の元凶のすべてだとするには、あまりに短絡過ぎると思う。

 ことの発端は、3月16日に民事再生法適用の申請をした「シティヒル」だ。ここが企画する「マジェスティックレゴン」「ル・クール・ブラン」は、平成ブランドの一角を占めていたが、個人的には2002〜03年くらいから企画力の低下を感じていた。売場に並んでいる商品を見ると、どのアイテムも売れ筋追求ばかりで、個性が感じられない。ブランドタグを隠せば、量販系と見まごうくらいだった。

 結局、他ブランドとの差別化が図られずに、ヤングマーケットの中で埋没していた。一時期マーケットをリードしてきた「ナイスクラップ」や「オゾック」がすでに有名無実化していることも考え合わせると、マジェスティックレゴンやル・クール・ブランも平成の終焉とともに賞味期限を過ぎたということだ。シティヒルに限って言えば、コロナ禍がなくても近いうちにブランドを廃止もあり得ると思っていたが、それを超えて倒産となってしまった。

 4月22日に自己破産した雑貨の「キャスキットソンジャパン」も、倒産するべくして倒産したと思う。1993年に英国で誕生した比較的若いブランドだが、雑貨という性格からアパレルや革製品に比べ単価も安く荒利益も少ない。日本では雑貨人気が盛り上がった時期にユナイテッドアローズやサンエーインターナショナルが販売にこぎつけたが、本社の被買収、他社傘下入りなど紆余曲折があり、ジャパン社がコントロールすることに落ち着いた。

 ただ、ユナイテッドアローズなどは雑貨の「ブランド」を販売したかったのだが、キャスキットソン自体は日本でロイヤルティやポジションが確立されたわけではない。同時期には、服離れの反動から雑貨に注目が集まり、同業他者の中には雑貨SPAを手がけるところも多かった。ジャパン社にそれらと対抗していく戦略があったわけではなく、SCデベロッパーに請われるままの店舗展開。収益規模は出店投資を回収できるまでに行っていなかったと思う。

 つまり、ジャパン社は日本で多店舗化を進める上で、損益分岐点をハッキリ設定したビジネスモデルを持ち合せておらず、 赤字となって債務超過に陥ったのだ。3年前の2017年には、同じ雑貨業態の「ママイクコ」も倒産している。郊外SC中心の展開で、主婦向けという違いはあるにしても、出店数(150店超)に収益力が追い付いていなかったのは、キャスキットソンと共通する。洋の東西を問わず、低価格の雑貨が辿る運命は似たようなものだ。

 そして、レナウンの倒産。こちらは有名経済誌が解説しているが、筆者は百貨店系アパレルという立場が安泰で、テレビCMなどを大量投下した70年代が同社のピークだったのではないかと思う。80年代以降はデザイナーズブランドに押され、シンプルライフはおじさん臭いテイストに堕し、カジュアル「インターメッツォ」は素材、デザインともに時流から大きくズレていた。レディスブランドは尚更だろう。坂を転げるようにジリ貧になっていった。



 だが、レナウンがバブル経済の崩壊を契機にメーカーとしてもの作りを見直したかというと、そうではない。国内事業ではアーノルドパーマーなど、旬を過ぎたブランドに安住するだけ。英国のアクアスキュータムを買収して世界戦略にも踏み出したが、投資倒れに終わった。ブランドマーケティングを重視して、ルマン24時間耐久レースでマツダチームに「CHARGE」でスポンサードしたが、こちらも結果が伴わなかった。ECに遅れをとるどころか、そのはるか前から自社がやるべきことを見失いつつあったのだ。

 奇しくも、5月6日に経営破綻した米国の「Jクルー」は一時、レナウンがライセンス販売していた。今となっては皮肉な巡り合わせというか、経営力を失っていた企業には、売れるブランドを見抜く力もなかったと言える。アパレルにはクリエイティビティやそうした人材獲得などの知的投資も不可欠だ。自社で競争力のあるブランドが開発できない時点で、レナウンは限界値に達していたと言える。なのに、知的財産に対する遵法精神など微塵もなく、日本ブランドに触手を伸ばしたいだけの中国企業に企業価値など評価できるはずもない。

 中国企業はルールなしの環境のもと熾烈な競争を繰り広げているとは言え、所詮欧米や日本の製品をコピーするに過ぎず、もの作りの本質を欠くところの傘下に収まった時点で、レナウンは自ら再生の芽を摘んだのではないのか。5月28日に発表した300名人の希望退職者の募集や下請け工場の閉鎖についても、その前に打つべき対策があったはずだ。有名経済誌は「レナウンの倒産は序章に過ぎない」との警告を鳴らす。確かに大量生産、大量消費、大量廃棄のビジネスモデルしか持たないアパレルは、コロナ禍を契機に淘汰されるところも出て来るだろう。


カギは卸と小売りの意思疎通

 ただ、有名経済誌はどうしてもマクロ的な見方をしてしまう。だが、アパレル市場は大手だけで成り立っているわけではない。中小零細企業が個性や能力を発揮することで、市場が活性化されている面もある。先日、繊研PLUSが「コロナの影響は?東京デザイナーブランドに聞く」という記事を配信した。それを見ると、有名経済誌が見抜けていない「生き残るアパレル」には法則があることがわかる。https://senken.co.jp/posts/tokyobrand-new-coronavirus-200527

 記事は「新型コロナウイルスの感染拡大がアパレルビジネスに大きな支障をきたす中で、付加価値を追求する国内デザイナーブランドは冷静に現状を把握し、次のアクションに動いている」という書き出しで、アパレル業界にエールを贈るもの。業界紙としては、「経営破綻の序章」「倒産の連鎖」など危機感を煽るしかない大手経済誌と違った見方をしている。

 取材を受けているのは、東京を中心に活動するデザイナーたちが展開するブランドメーカーや専門店系アパレル。レナウンのように大手百貨店にインショップをもつアパレルとは違い、日本各地津々浦々のセレクトショップや専門店、そこで仕入れを担う目利きのバイヤーに認められ、その先にいる洋服好きに愛されているデザイナーやブランドである。

 繊研新聞が25のブランドにとったアンケートを総括すると、「輸出が減少する傾向はあるものの、秋冬の商売への影響は軽度にとどまった」というのが共通する。これは「戦後最大の危機」などと、自らを戒める経営者とも対照的だ。逆に言えば、コロナ終息後のビジネスヒントになるかもしれない。各デザイナーの発言を拾ってみた。

 まず、海外輸出については、「欧米のバイヤーは通常通り買い付けはあっても、予算は昨対比で微減」「新規オープンの店のオープン予定が遅れるなどの理由でキャンセルが若干生じた」「中国・武漢の取引先は、4月にロックダウンが解除されたのでメールオーダーが入った」「中国はSARS(重症急性呼吸器症候群)の時に外出自粛の反動で売り上げが伸びた経験から、その状況を見越してオーダー数も増えた」。オーダーは微減からむしろ増加しており、コロナ禍の影響はあまり見られない。

 国内からの引き合いについても、比較的安定しているとの印象がある。(19ブランドが)「展示会の受注に目立った影響はなし」というから、やはり次シーズンへの期待度は落ちていないということだ。展示会を2月上旬までに行ったところは、「取引先も数量も増えた」「前年より数字は伸び、パンデミック(世界的大流行)がなかったらもう少し増えてもよかった」。コロナウイルスの感染が拡大する前に展示会を行っていれば当然だろう。 

 また、心配される秋冬ものの納品については、「プロパーの消化率が大事になるので、店の衣替えの時期となる9月に納品する」と、通常通りのようだ。デザイナー系、専門店系ということで、顧客は商品に期待しており、店頭に並べばオンシーズン前に先買いする。店舗側もそれを想定した仕入れ計画を立てているわけだから、なおさら納品時期はカギとなる。自粛生活を強いられたお客の「お洒落な服が買いたい」との思いが呼び水になればなおさらいい。


むしろ小売り側が嫌う商品の同質化

 ここで考えるのは、なぜデザイナーブランドや専門店系アパレルがコロナ禍でもそれほど影響を受けなかったのか。一番は大半が卸主体で店舗を抱えていないため、家賃や人件費負担が避けられたことだ。一方、取引先のセレクトショップや専門店は、各地の感染状況から休業に追い込まれたところもあるだろうが、顧客を中心としたビジネスだから店売り以外の方法も取れたと思う。デザイナーブランドや専門店系アパレルは取引先が営業できている限り、商品代金の回収ができるので、ビジネスを回していけるのである。

 そして、大手アパレルにない特長として、商品を大量生産しないから在庫消化、キャッシュフローへの負担も軽く、計画に添って事業を行い無理をする必要もない。商品づくりでは取引するバイヤーやその先にいる顧客のニーズも聞き入れるが、決して売れ筋を追うことも無い。自由に発想して、クリエーションを作り出せるのだ。むしろオーナーが若くてバイヤーも兼ねる小売店ほど商品が同質化し、売れ筋を追うのを嫌う。

 小売店は自店の個性を維持していくには、デザイナーズブランドや専門店系アパレルが作り出す商品にも独自性や独特の世界観を求める。だから、大手アパレルが企画するデザインやECで気軽に手が入るようなアイテムは避けるのだ。店舗の顧客も同じ感覚だと言っていい。そうした商品は原価率も高くなるが、商品づくりがきめ細かて手間がかかっているからこそ、顧客には好まれる。だから、量よりもコンスタントに売れる。デザイナーやアパレル側の経営も安定するのだ。

 有名経済誌はコロナ禍後にアパレル業界の優勝劣敗が決まるような論調を展開している。だが、何をもって優り勝ち、何をもって劣り負けるのか。それはECの導入如何なんて単純なものではない。アパレルは服を作って販売する原始的なビジネス。営業スタイルは進化しているが、もの作りの基本はそれほど変わらない。つまり、自信をもって自社で創り上げた商品について、卸売り側(デザイナー、アパレル)と仕入れ側(小売店、バイヤー)が顔を見合わせ心を通い合わせながら、ツーカーの状態でいかに顧客に届けていくか。




 レナウンでかつて社長を務めた松坂萬丈氏は、「アパレルには完成した企業形態はない」と語っていた。しかし、同社こそ組織が肥大化、硬直化して、経営効率しか追わなくなってしまったから、倒産に至ったとも言える。顧客である卸先、その先にいる真の顧客を見ようとしていなし、見えてもいなかったのだ。これが正解だろう。逆に効率を求めていない中小アパレルは、これからも真摯にもの作りに向き合えるのだ。大が潰れ、小が残るような予感。それが今後のアパレル業界の正しい見方ではないかと思う。
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