HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

何を根拠に成功なのか。

2015-08-26 09:28:21 | Weblog
 先日、7月末に開催された「福岡アジアファッション拠点推進フォーラム」の報告書が発表された。

 今年は会場が昨年までのホテルの大広間から、福岡天神の文化ホールとなった。収容人数のキャパも250名程度だったことから、参加者数は160名と昨年の半分くらいに減少している。

 と言っても、参加者について主催者側の福岡アジアファッション拠点推進会議は、昨年同様に「地元アパレル関係者、専門学校、行政など」と発表している。

 しかし、内訳が全く書かれていない。アパレル関係者といってもフォーラムの当事者でもあるわけで、夏休み期間中で専門学校生の強制参加が計画され、行政担当者が利害関係者の中にいることは想像に難くない。

 一般参加がどれほどあったのかは全くわからないし、主催者側の水増しということは疑う余地がないようだ。

 推進会議は事業予算の削減から経費がかからない会場を選択したわけだろうし、会場のキャパが減ると企画運営委員長が部長を務める専門学校の学生他に、「やらせ動員」させる手間も省けたことだけは間違いない。

 それはそうと、問題は昨年度の事業の結果報告である。年度末から5ヵ月以上経過し、なおかつフォーラム実施から3週間も経っているのに、報告書はたったレポート用紙2枚程度の薄っぺらいものでしかない。

 まず、冒頭から「今年3月に実施した福岡アジアコレクション(FACo)が成功裏に終了した」が強調されている。

 FACoは2009年の初回から実質的にRKB毎日放送の「収益事業」であり、東京から三文タレントを呼ぶ「客寄せ興行」に過ぎない。地場ファッション産業にとってほとんど影響はなく、事業予算獲得のために行政から資金を引き出すための冠イベントだ。

 スポンサー集めやチケット販売などを含めプロデュースにあたるRKB、タレントのブッキングやショーの構成・運営、会場設備を委託され、同じノウハウの神戸コレクションも手がける制作会社アイグリッツ、タレントに地方営業の場を確保したい東京の芸能プロ。

 それらの利害関係者にとって、カネヅルである「行政支援」を確保し継続するには、何としても「成功裏」でなければならないということなのだろう。

 しかし、報告書では何をもって成功なのか。その根拠は全くあげられていない。「アリーナ席のチケットが完売したから成功」なのか。「タレント見たさのファン客を集めたから成功」なのか。

 そんな程度で、ファッション産業の振興も、情報発信となるはずもなく、公金による事業支援の根拠を欠き、事業そのものが正当化されるはずもない。

 本当に成功した自信をもつのなら、福岡県や福岡市の公金拠出、スポンサー支援を全くあおがなくてやってみれば良いのである。

 そもそも事業がスタートして7年、FACoを含めて数々の事業が地場のファッション業界にどれほどの効果をもたらし、何が新しいビジネスのシーズを産み、産業の活性化や人材育成につながっているのか、報告書では全く語られてない。

 それどころか、今度は「クールジャパン・フクオカ」という新たな事業を持ち出し、コンテンツや食・観光などと合わせて、プロモーションを行うというのだから、全く恐れ入る。

 本来の事業の効果や影響度を客観的に検証するどころか。別の事業まで持ち出し、抱き合わせようと企てている。利害関係者としては自分たちのメシのタネとなるイベント事業を継続できるのなら、事業の目的など何でも良いようである。

 とにかく行政からの予算措置を二重三重にしようという思惑が透けて見える。利害関係者にとって地場ファッション産業への効果検証よりも、とにかくイベント資金の確保の方にご執心というのが、年を追うごとに顕著になっている。

 昨年度で3回目となった「ファッションウィーク福岡」は、参加店舗が260店にも及んだと。これについても地場の支持を集めたように発表されている。

 しかし、参加各店からの「生の声」は何一つ語られていない。もちろん、売上げ数字、販促効果といったデータもない。会場では企画運営委員長がパワポを使ってことさらに影響度合いを強調しただろうが、そのデータに全く信憑性がないのは従来から変わらない。

 ファッションウィークの企画も初回から広告代理店に丸投げで、一昨年、昨年は「H」が事業を請け負った。渦中のアートディレクター、佐野研二郎氏の出身企業である。

 しかし、客寄せに売れないミュージシャンを呼び、特区事業などを絡めて運営しただけで、「ファッション」そのものとはかけ離れた内容なのは、多くの事業者が認めるところだ。能がないところは佐野氏と共通しているようである。

 ただ、行政側もこうした事業の手詰まり感を知ってか。「企業の販売拡大」「企業の販路開拓」「人材の育成・情報提供」を声高に叫ぶが、これまでの影響度を客観的にみれば何の説得力もない。

 報告書もそれをそのまま書き写しているだけで、利害関係者にやりたいようにされている。

 福岡県、福岡商工会議所の内部では、推進会議の予算は削減傾向にある。ならば、いっそのこと、FACoへの支援を切れば良いだけの話だ。しかし、利害関係者にとってそれは困るから、報告書の冒頭から根拠のない「成功」を強調せざるをえないのである。

 予算的な支援で残るのは、タレント市長高島のいる福岡市しかない。それがクールジャパン・フクオカや特区事業ということになる。これで辻つまがあい、俯瞰した事業構図が浮かび上がってくる。

 言い換えれば、陳腐な企画内容、形骸化した目的、関係者による利権構造だけしか見えて来ないということだ。

 最後に、地元スタイリング誌の編集者と台湾人のデザイナーによるトークショーは、語るにあらず。フォーラムの企画サイドもそろそろ講演会では、ネタが尽きてきたようである。

 予算削減はもちろんのこと、講演会そのものが当初から何をやるのかのコンセプトがハッキリしていない。限られた予算の中であご、あしを考えてのブッキングには限界があるということも露呈する。

 ファッション事業から遠ざかり、ミーハー専門学生を呼ぶためのタレントなら、いくらもいるはず。むしろ、そちらの方がファッション音痴のプロデューサーにとっても好都合ではないか。あとはギャラのマージンをはねて収益になるかどうかだろうが。

 結局、こうした薄っぺらい、根拠や正当性を欠く報告書で済まされるということが、利害関係者の思うつぼということだ。

 地方行政でも、利権が脈々と受け継がれているということである。地場ファッション産業にとって、本当に販売拡大、販路開拓、人材育成が達成できるほどの事業を目指すのなら、なぜ地場ファッション産業を含め議論がなされないのか。

 それは推進会議ならびに企画運営委員長という予算を獲得し、配分にするポストにいる人間が議論の動きを封殺しようと必死だからである。今回の報告書もその一環で書かれているのがよくわかる。

 FACoをはじめとしたイベント事業が税金を一切使わず、客寄せという機能、テレビ局の収益事業構造ともに優れ、スポンサーのマーケティングにも貢献するのなら、異論を挟むつもりはない。

 まあ、利害関係者がFACoを含め、事業そのものをそのように作り上げるほどの能力を持ち合わせていないということ。それはこれまでの事業内容を見ればよくわかる。かわいいく区くらいの事業にポンと1000万円以上の予算がつくのだからである。

 ただ、丸投げされるメディアや代理店がファッション音痴である以上、ファッション事業として自治体が叫ぶ目的を達成することなど、未来永劫不可能であることだけは確かだろう。もちろん、専門学校のファッション部長も言わずもがなであるが。
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すべては模倣から始まるのだが。

2015-08-19 06:49:54 | Weblog
 このテーマは業界人として、論じなければならないだろう。渦中のアートディレクター、佐野研二郎氏と本人に湧いたパクリ疑惑である。

 でも、このコラムはファッションについて評論している。だから、パクリについてはファッションとグラフィックとの異なる部分から触れよう。そして、グラフィックデザイン業界の構造にも切り込んでみたい。

 まず、ファッションデザインについて。こちらはロゴマークやキャラクターといったアイキャッチャー的なものと違い、糸、生地、染めや色、シルエットやディテール、加工といった条件の組み合わせで生まれている。

 生地や染めには「意匠権」があるものもあるが、それは材料としてそのまま使用され、服が量産されて市場に出まわる。生地が同じなら似たような服になるが、コピーしたという認識にはならない。当然だ。

 「流行は繰り返す」の言葉通り、モードには周期があり、数年後、数十年後にはまた同じデザインが登場する。それは首があり、胴体があり、腕も脚も2本という人間の骨格が変わらないのだから、身に纏う服の構造変化に限りがある以上、しかたないことだ。

 だから、欧米のコレクションで発表されるアイテムやディテールの中から、売れ筋を探りコピーして量産し、ヒットアイテムにしようと仕掛けていくのは枚挙に暇がない。

 つまり、デザインが繰り返され、焼き直されてトレンドとしてリボーンするのがファッションなのである。あからさまにパクリということで、グラフィックのように問題視されることは、あまり無いと言っていいだろう。

 ただ、例外もある。ファッションデザインを文化、歴史、遺産ととらえ、侵害されることを嫌うフランスのケースだ。意匠権を侵害し、コピー商品を販売した場合、法的には「死刑」になることもあるという話を聞いたことがある。

 代表的なものは、「シャネル・ジャケット」、また共地のスカートやパンツを揃えたシャネル・スーツだろう。

 シャネル・ジャケットはデザイナーのシャネルが「考案」したもので、「シャネル・ツイード」と呼ばれるミックス調のファンシーツィードを使った襟無しで短めの上着。ヘム全体をリボンやブレードで飾ったデザインが特徴だ。

 マンションアパレル時代、取引先の専門店では「似た感じのアイテムはあっても、シャネルブランドでなければ呼称しない。似たものはシャネル風スーツと呼ぶ」と。それだけ社員教育を徹底しているという感じだった。

 つまり、シャネルがデザインしたものでないと、シャネルジャケットとは呼ばないのが業界の不文律だったのである。

 ただ、10年ほど前、エレガンスファッションが流行した時には、ヘムをカットオフにしたデザインの“シャネル風”ジャケットが登場した。でも、このときはシャネルもシャネル風も、ネーミングにはなかったと思う。

 まあ、シャネルブランドに価値を見いだすのは、ある程度年齢がいった層だから、ヤング向けにパクっても、わざわざシャネルを強調する意味は無さそうだ。

 パクリの本家、中国でさえ、シャネルならバッグやアクセサリー、サングラスの方がはるかに売れるので、パクるならそちらの方が効率がいいだろう。それでも、本国ではファッション文化を守るために、コピーは由々しき問題だということである。

 もっとも、ファッションの場合は糸があり、染めあがって色が生まれ、それを織り上げて生地になる。ディテールや加工を真似すれば似たようなデザインは生まれるが、もとの生地が違えば質感や風合いは異なる。

 そっくりそのままコピーするには糸から真似しなければならないわけで、いくら中国と言えど、コストと手間を考えると割に合わない。

 結果、「猿のキャラクター」や「ブランドロゴ」をそのままパクってプリントしたTシャツやバッグといったカジュアルアイテムが出回るという構図だ。

 一方、グラフィックデザインはどうか。今でこそ、PCを使ってデジタルデザインするのが一般的だが、かつてはデザイン作業は紙と鉛筆と定規、それにロットリング、ポスターカラーなどを使っていた。

 筆者もマンションアパレル時代には、ブランドロゴのデザインを何度かしたことがある。この時は欧文書体を集めた「モンセン」という「清刷り」(印刷物につかう元本)を使うこともあった。

 この中からブランドイメージにあった書体を選んでコピーする。紙の裏側にスプレーボンドで糊をつけ、カッターマットに貼って、 これから大文字、小文字の書体をカッターで切りとって、スペルに合わせて組み合わせると、出来上がる。

 字間の調整など細かなテクニックもいるが、あとは作る人間のセンスだ。これもブランドデザイン、ディレクションの一環として行い、この程度なら、パクリという認識は全くなかった。

 それにヘルベチカやフーツラ、ローマンといったありふれた書体なら、写植屋さんにQ数、字間を指定すればそのまま「清刷りもどき」ができ上がった。後は織りネームやタグ、キャリーバッグの業者に渡して指示すれば、済んだのである。

 だが、グラフィックの領域まで入っていくと、当時はロゴマークにしてもキャラクターにしても、パクるにはある程度の技術と道具を使いこなす技能が不可欠だった。

 ところが、デジタルが普及すると、写植はデジタルフォントに変わり、定規やロットリング、ポスターカラーはソフトのツールに置き換わった。元画像をスキャニングすれば、トレースしなくても、模倣する下絵は整う。

 PCとソフトさえあれば、デザインの巧拙はあれど、専門学校卒程度の技能で、誰もがグラフィックデザインに携われる。色も印刷物はCMYKの掛け合わせだから、何でも再現できる。元画像の色調をそっくり真似するのは、いとも簡単になったのである。

 筆者がプレスプロモーションの仕事を始めた頃は、デザイン資料である東京アートディレクターズクラブ年鑑やデザインアワード集は1冊1万円以上だった。毎月刊行されていたアドフラッシュになると、年間契約で5万円以上もしていた。

 模倣に必要な資料収集だけでも、相当のコストがかかったのである。それが今はどうだろう。グーグルの画像検索をすれば、デザイン画像はいくらでも出てくる。

 それらはスナップ写真の域を出ないが、Pinterestを検索すれば、ご丁寧に「Art」「Design」「Video」とジャンル分けで、ふんだんにデザインソースが蓄積されている。

 イメージ写真、タイプフェイスやディテール処理、レイアウトパターン、カラリングなど旬のデザインモチーフが豊富に揃っている。しかも、どう使おうと、料金は一切かからない。

 ファッションの場合、イラストレーションやスタイル画は、あくまでアパレル内部のもので、営業までつなげるには現物の「サンプル」を作らなければならない。そこでは生地、服資材、パターンを揃えることが不可欠で、ある程度のコストはかかってしまう。

 ところが、グラフィックはネットを駆使し、PCとデザインソフトさえあれば、ロゴマークはもちろん、レイアウトパターンが決まったフライヤーやポスターまで、ローコストでできてしまう。

 クライアントには、ファッションのようにサンプルではなく、完成予想図の「カンプ」データでプレゼンテーション、営業ができるのだから、楽といえば楽だ。

 ファッションデザインでも模倣は少なくない。だから、グラフィックデザインだけを糾弾することは控えたい。しかし、今のグラフィック環境、作業の楽さ加減がデザイナーに模倣を超えて、パクリに走らせている点は否めないだろう。

 一方、佐野氏はサントリーのパクリ疑惑について、「スタッフのデザイナーがやったこと」と釈明した。こうした発言の背景には、グラフィック環境というよりも、昔から根強く残るプロダクション構造、バーチカルなビジネスシステムがある。

 それは佐野氏がこれまで歩んでいた業界人生と、関連は少なくない。

 佐野氏は自らの肩書きを「アートディレクター」と名乗っている。デザインを行うのになぜ、「グラフィックデザイナー」ではないのか。ここにグラフィックデザイン業界のビジネス構造を垣間みることができるのだ。

 一般に大企業のVI(ビジュアルアイデンティティ)、CI(コーポレートアイデンティティ)やオリンピックのような一大イベントのロゴマークデザインの仕事は、「広告代理店」が一手に請け負うケースが多い。

 その後に発生するCMや印刷物、パブリシティ、フォトセッションなど、いろんな制作物と媒体管理を考えると、メディア支配が専売特許の代理店に任せた方が好都合だからだ。発注者側としても、分離発注する手間が省ける。

 大手の代理店には「クリエイティブ部」というセクションがあり、そこがこうした制作物の企画から制作までを手がけることになっている。

 ただ、ここではアイデア出しからデザイン構想、コンセプトづくりまでは担当するが、実際の「制作作業」や「フィニッシュワーク」は、下請けの「デザイン会社」に任せるケースが一般的だ。

 佐野氏も出身は代理店の「博報堂」である。そこでの仕事はアイデアからデザイン構想、平たく言えば、鉛筆でロゴマークのスケッチ(サムネイルやラフデザイン)を行う程度が大半だったはずだ。

 それを正式にデザイン化して、清刷りや元本まで作るのは、下請けのデザイン会社の「グラフィックデザイナー」である。そこにいる黒子のデザイナーが最終的なデザインを担当するのだ。

 だから、業界ではアイデアを出す人間をアートディレクター、実際にフィニッシュワークに携わる人間をグラフィックデザイナーと区別している場合が多い。必然的に代理店のデザイン担当者は、アートディレクターとなる。

 とすれば、佐野氏が2020年東京五輪のエンブレムをデザイン?したと言っても、それは鉛筆書きのサムネイルやラフスケッチだったのか、フィニッシュして清刷りまで作ったのかという程度問題が重要になってくるわけだ。

 現在、佐野氏は独立し、自分のデザイン事務所を持っている。でも、サントリーのパクリ疑惑で「スタッフのデザイナーがやったこと」と釈明した以上、仕事内容は博報堂時代と大して変わっていないとも解釈できる。

 じゃあ、東京五輪のエンブレムでは、自らどこまでデザインに携わったのかと、突っ込まれてもしかたない。本人はあくまでデザインしたと言い張っているが、それがラフなのか、フィニッシュなのかで、「デザインした」の解釈も分かれるだろう。

 佐野氏が言う「スタッフがやったこと」を額面通りに解釈すれば、通常のクリエイティブワークでは、「フィニッシュまで管理していない」ことになるわけだから、デザインに対する責任がどうしても曖昧になっていると言わざるを得ない。

 またスタッフのグラフィックデザイナーをスケープゴートにしようとすることも、こうしたビジネス構造や事務所のメンツを考えると当然だろう。そこにどうしても開き直りとも言える、釈明の余地を与えてしまうわけだ。

 今回の一件では、もしかしたら佐野氏の事務所スタッフには箝口令が敷かれているかもしれない。また、担当デザイナーには「肩たたき」を匂わせ、すでに引導を渡していることも考えられる。

 そうでなくても、今回のパクリ疑惑で佐野氏は図らずも博報堂時代の仕事のツケを露呈した。それは元請けの下に下請けがぶら下がるというバーチカルなプロダクションシステムゆえに生まれたのは否めない。

 こうしたグラフィックデザイン業界の仕組みは、これからも変わることはないだろう。しかし、今はネット時代である。自分の模倣デザインがあまりに露骨で、衆人環視されないと思っていたとすれば、佐野氏は大たわけとしか言いようがない。

 これではクリエイティビティどころか、想像力の欠片もないということだ。博報堂出身という名声だけで、仕事に参画できる。企業側がそんな人間の作品をプレゼンで、いとも簡単に受け入れている等々。双方が抱える問題は尽きない。

 東京オリンピックのエンブレム問題を含め、グラフィックデザイン業界側だけでなく、宣伝、広報、マーケティングといった部署の人間が甚だ情報音痴だということも、白日のもとに晒した。ネット時代なのに何とも皮肉な話というべきだ。

 ファッションも、グラフィックもデザイナーなら、誰しもオリジナルで勝負したいと考える。クリエーターとしての血が滾る一方、ストイックさが創造性を生み出すという「過信」「うぬぼれ」みたいなものがあるからだ。

 しかし、ひと度ビジネスの世界に入ると、スケジュールやら量産やら売上げやら、どうしても効率やスピードを追わなければならない。しかも、デザインの環境はパクリ促進をするように整備され、自制心を奪う「悪魔」がいくらでも潜んでいる。

 ファッション業界も模倣は当たり前だが、流行のサイクルが免罪符になっている。中国のパクリまで行けば言語道断だが、東コレをはじめ、有名セレクトショップのODMでも、模倣デザインは少なくない。

 あから様なコピーが叩かれないというもの、何かおかしい気がする。

 そう言えば、一時期言われていた「個性」という言葉も、最近ではほとんど聞かなくなった。企画デザイン側が「他と同じデザインはしたくない」というのは、ファッションビジネスの否定につながるからだろうか。

 お盆休みにそんなことをあれこれ考えたが、自分もデザインに携わっているだけに、何とも結論は出せそうにない。
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粋なプレゼントに感激。

2015-08-12 14:17:46 | Weblog
 お盆に入った。ショップの店頭を見ると、そろそろ秋物がチラホラ。しかし、暑さはまだまだ続きそうである。

 そんな昨今、仕事帰りに事務所近くの大名エリアをリサーチしている。先日、訪れたアディダスショップは、夏物がセールになり、そこそこお客さんは多かった。

 ただ、ヘリテージラインのOriginalはポリエステル素材が多いので、暑がりの筆者はどうしても抵抗がある。売れ筋のシューズにしても夏なのにレザーが主流だし、アイテムも極端に絞り込まれているので、選択肢が少ない。

 海外の展示会~問屋のルートの方がスタンスミスにしても、スーパースターにしてもバリエーションが多く、夏向けのキャンバス地も豊富に揃う。だから、どうしても日本のショップでの購入には二の足を踏んでしまう。

 一方、Y-3はメンバー会員でもあることで、セールや新作のDMが送られて来る。だが、セールではほとんど買わないし、プロパーの秋冬ものを着るには、まだまだ暑すぎる。

 だから、今回は気になっていたプロモーション写真のコートを見てみようと、ついでに寄ってみた。

 ちょうど、店内の透過光パネルにも同じアイテムのモデルフォトがあったので、「試着したい」とたずねると、スタッフは「この商品は入荷と同時に完売しました」との答え。

 周辺のショップではまだまだ夏物在庫が処分中というのに、すでに秋冬物のコートが売れるショップだってあるのだ。しかも上代は14万円。納得である。

 写真を見る限りでは、光沢のあるフラノか、薄手のメルトン地のように見えた。しかし、厚手のコットン素材とのこと。暑がりの筆者にとっては、なおさら好ましい素材である。

 しかも、ロング丈、絶妙なフォルム、着たときの流れるようなライン。すべてがスポーツブランドの枠を越えて、新しいモードの世界を作り出している。

 かといって、決してスポーティさを忘れていないところに筆者を含め、惹き付けられるファンは少なくないようだ。それが「完売」という結果を生んだのかもしれない。

 購入するか、しないかは別にしても、せめて試着してみたかった。 実に口惜しい。

 結局、今年は夏物アイテムを全然購入しなかった。このコートを逃してしまったため、秋冬の立ち上がりでも買えそうな商品はなさそうだ。よくよく考えると、昨年の夏も購入したアイテムはなかった。

 大人の男の場合、ファッションで着るアイテムは限られているし、夏場はどうしても暑さ対策という機能面、洗濯やアイロンがけといったケアを優先せざるを得ない。ファッションの次元での商品選びのは難しい。

 SPA系が張りのある上質な麻や綿麻素材で、涼しげなオン対応のパンツでも作ってくれれば、購入するのだが、夏場はショーツやイージーパンツとカジュアル、リゾートに偏りがちだ。そういうことから、わざわざ購入したいと思えるアイテムは見当たらない。

 そんなことをツラツラ思いながら自宅に戻ると、パリから荷物が届いていた。海外通販も注文した覚えはない。荷物記載欄には「Cadeaux Gratuits」とあり、送り主名は懇意にするフランスのメーカーだった。

 開けて見ると、中身は「Protection Vetements」、いわゆる「衣装カバー」だった。夏ギフトというか、日本でいうお中元をくれたようだ。

 Gratuitsなのだから、それほど高いものではないと思う。不織布が使用されたカバーで、 日本なら100円ショップでも買える程度のものだ。

 とは言っても、Francais Cadeauxである。デザインは白地にコバルトブルーのボーダーが入り、ジップは赤でアクセントが利いている。服の保護、ワードローブの中にこそ、お洒落心を持ち込むところがフランスらしい。

 コストだけみるとそれほどかかってはいないだろうが、100円ショップと比較するのは失礼かもしれない。家の女性陣にも「洒落ているね」と、概ね好評だった。

 思い起こせば、マンションアパレル時代には、取引先の小売店にはプロモーションのノベルティを何度か提供したことがある。企画の条件はコストをかけず、いかにエンドユーザーに喜んでもらうか。それがなかなか難しい。

 衣装カバーになると、ガーメントバッグの感覚で、ジャケットやコートを購入すると、もれなく付けているメーカーもあった。今もブランドメーカーやセレクトショップではサービスされている思う。

 しかし、ノベルティとして衣装カバーを贈るのも、フランス人らしいエスプリが利いている。この辺は受け取る側としても感動ものだ。

 せっかく、ご好意に対し、何かしないといけないので、ラベリングしてインテリアとして楽しんでみようと思う。

 ジャケットやコートでお気に入りのものは、素材も上質なものが多いので、ケアを大事にして長く着るようにしている。とは言うものの、トレンドは変わっていくから、数年おきには追加購入してしまう。

 その頻度は年毎に少なくはなってはいるが、冬物はジャケットとコートで10着程度は持っているので、整理がたいへんだ。ワードローブだけでは満杯なので、自宅2階を一部屋すべて衣装倉庫にしている。メーカー用のシングルハンガーラックを置き、それに掛けて整理しているので、衣装カバーは必須アイテムだ。

 中身がどんな色、素材なのか、覗き窓を付けているカバーもあるが、ラベリングという方法をとってみた。

 手芸店のユザワヤなんかには、透明のアクリルカバーが付いたキーリングが売っている。これは押し花や刺しゅうなどを使ってオリジナルのキーホールダーを作るためのアイテムだ。

 これを利用して、ジャケットやコートの写真を撮ってラベリングするのだ。

 整理するアイテムをデコラ版など白バックの上に置き、三脚を付けたデジカメで俯瞰で撮影する。ファッション雑誌でアイテムのみを紹介する場合に利用される「置撮り」という手法だ。

 これをアクリルケースの内ケイに合わせたサイズにPhotoshopで加工。プリンターで葉書サイズの印画紙に出力して、商品ごとにカッターで切ってケースにセットすれば、分類できる。

 あとはジップ引き手の穴にリングを通せば、写真を見ただけでいちいち開けなくても、中に入っているアイテムが確認できるというものだ。

 「何もそこまでやらなくても」というご意見もあるだろう。もちろん、ごもっともである。ただ、フランスメーカーがたかがノベルティの選択にもエスプリを利かせているのだから、こちらとしてもそれに対する敬意を持てるセンスで返しただけである。
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市場活性のイグニションに。

2015-08-05 12:07:42 | Weblog
 7月末、ロイターが報じたニュースによると、 小売りの雄であるセブン&アイ・ホールディングスと、ファッション業界で一人勝ちが続くファーストリテイリングが「包括的な業務提携」を行うことで協議していることが明らかになった。

 セブン&アイHDがもつ情報&物流インフラ、ユニクロが誇る衣料品開発のノウハウなどを含め、いろんな分野に活用して相乗効果を高め、winwinの関係を築こうというこだろう。

 現時点では、識者や評論家の諸氏が原稿を書いていらっしゃる状態。これから両社の業務提携についての賛否など、いろんな記事が出てくると思う。

 ともに日本を代表するサクセス企業だけに、もてる力、潜在能力を発揮すれば、1+1≦3くらい可能性はあるのではないかという論調が支配的になるのかもしれない。

 このコラムでは、主にファッションを論じているので、今回の提携で双方のファッションがどうなるのか。また新しいビジネスモデルが登場するのかを中心に考えてみたい。

 セブン&アイHDはコンビニのセブンイレブン、百貨店のそごう、西武などの流通企業を傘下にもつ。ファーストリテイリングはユニクロ、セオリー、コントワーデコトニエなどのファッションブランドを抱えている。

 前出の記事にもちらほら書かれているが、包括的な業務提携で真っ先に見えてくるのは、「ユニクロの商品をセブイレブンで受け取ることができる」というサービスの拡充だ。

 「ユニクロは結構多いのだから、店に行けばいいだろう」「お直しを受け取るには近所のコンビニの方が便利」「コンビニのスペースは限られている。大量在庫は置きにくい」等々、いろんな方々がツイッターでご意見を発せられているのではないだろうか。

 どれも正論だし、当たっていると思う。すでに国民服となったユニクロだから、老弱男女を問わず、ほとんど日本人が購入していると言ってもいい。
 
 書き加えると、お金持ちも買っているかもしれない。多少の見栄から店舗を訪れるのは気が引けるし、通販で注文してもロゴ入りのボックスが宅配されるのは気恥ずかしい。とすれば、自宅から離れたコンビニで商品を受け取れるのは、人目を気にせずに済む。

 「そこまでするか」という意見もあるだろう。

 しかし、すでにビジネスモデルが行き詰まっている流通、ファッション業界である。共にトップに君臨する企業なのだから、お客の購買心理や利便性まで想定して、売上げアップ、マーケットの獲得になるなら、あらゆる可能性、販売チャンスに賭けるはずだ。

 逆にファーストリテイリング、特にユニクロのノウハウをセブン&アイが活用するということもある。これがそごうや西武のPBの開発に生かすということである。

 現状では、いくら百貨店の2社が合体したところで、開発できるPBはたかが知れている。商社丸投げのもの作りや、無名アパレルブランドにタグを張り替えるだけの域を出ないケースがあり得るからだ。

 このコラムで過去に取り上げたが、セブン&アイはパリコレのデザイナー、ジャン=ポール・ゴルチェ氏を起用したレディス向けのPB「ジャンポールゴルチェ フォーセット プルミエ」として発売すると発表した。

 しかし、ジャン=ポール・ゴルチェ氏自身はもともと奇抜なデザインだけに、どれほどPB衣料でどこまでパリコレのエッセンスや世界観を表現できるかはわからない。またそれが売上げに直結するかは、全くの未知数である。

 百貨店系アパレルの中には、ユニクロの好調さに業を煮やし、生地メーカーにユニクロと同じ生地がほしいと真顔で申し出たところがあるという話もある。ロットが違うのだから実現するはずはないのだが、そこまで切羽詰まった状況なのである。

 ということは、考え方を変えて、そごうや西武がユニクロの生産ラインを一部押さえて、PBを開発できないかと考えるとすれば、こちらの方が現実的なのかもしれない。

 単純にタグだけ変えるだけでは無意味だろうから、スニーカーのようなデザイン別注のような仕掛けは必要になるだろうが。

 現在、百貨店のファッション衣料は危機的状況にある。ブランド、価格、クオリティのどれを取っても仕入れ中心では、ユニクロのようなグローバルSPAとは勝負にならない。

 すでにあるものを持ってきただけでは、硬直した百貨店の衣料マーケットを活性化させることは難しい。

 西武百貨店は8月にA館3、5階の婦人服、B館5階の紳士服を改装し、20年以降に予定する渋谷再開発に向け、アートとデザインを先鋭化させたファッション発信拠点として刷新するという。

 自主編集売場を核にキャリア向け渋谷発のコンテンポラリースタイルを前面に押し出す。買い取りを中心にした海外買い付けを増やし、東京の「アンリアレイジ」、ニューヨークの「パブリックスクール」「フード・バイ・エアー」などを導入するようだ。

 ただ、西武は過去に何度もブランドの入れ替えを行ってきているが、その中で爆発的なヒット商品を輩出したとは言い難い。今回も期待は持てるが、それがどこまで市場を開拓できるかはわからない。

 服全体に消費意欲が落ちている中で、一定の売上げを取っていくのは容易ではないのだ。だから、ブランドとブランドの間にある市場を開拓することが必要で、それにはユニクロがもつ強みを味方に付け、小刻みにチャンスを狙うことも重要だろう。

 あるいはウルトラCの施策として、ユニクロの商品生産ノウハウ、そごう・西武のブランドと百貨店インフラ、そして世界的なデザイナーとの協業により、全く新しいブランドの開発も全く実現不可能ではないかもしれない。

 さらにオムニチャンネルを加えて、そごうや西武がない地域でも購入できるようにする。加えて試着は近くのユニクロでできるようにすれば、お客にとっても目的を持ってユニクロに行くわけだから、気恥ずかしいことはない。

 要は、硬直したファッションマーケットに両社がもつポテンシャルを生かして立ち向かうことで、何か「イグニション」になるのではないかということである。

 個人的には、ファブリックを主体とした日用品として、セブンイレブンにユニクロの商品を置いてもいいのではないかと思う。

 目下、セブンイレブンは「セブンライフスタイル」と銘打って、タオルやスリッパなどの低価格PBを投入している。これは無印良品を置いているファミマを意識したような商品だが、カラリングがイトーヨーカドー的なので競争力があるとは思えない。

 逆にユニクロのライフスタイルグッズの方が色もビビッドできれいだし、品質についても実証済みである。こちらの方がコンビニのメーン顧客である若者にも受けはいいのではないだろうか。

 さらに下着や靴下もNBとPBが置いてあるが、これもお客からするとコンビニにおいてどういう目的で購入するかである。とりあえず必要だから、量販店クオリティでもいいと考えるのか。買う以上はある程度のクオリティを求めるのか。

 これもユニクロの方が価格と価値のバランスでは、イトーヨーカドーのPBよりも上をいくのではないかと思う。

 また出張のサラリーマンが替えの下着や靴下を忘れた時、NBだからといってコンビニで1点千数百円のブリーフや1足1000円以上する靴下を買うだろうか。購入には二の足を踏んでいるのではないかということだ。

 だったら、ユニクロが扱っているような1足300円程度の靴下の方がはるかに手が出やすいと思う。売場のスペースに限りがあるわけなので、 白、黒や紺といったベーシックな色に絞ればいいわけだ。

 下着にも同じ事が言えると思う。BVDやグンゼは最低でもスーパーでのまとめ買いなどが主流のはずだし、そうした販路の方が売りやすいし、売れやすいと思う。

 オムニチャンネルを使えば、ユニクロのクオリティの高い下着や靴下はネットで注文してセブンイレブンで受け取れる方が需要が高まるかもしれない。売場ならどうしても人目を気にしてしまうからだ。

 すでに商品企画、ものづくりでは、新しい価値を提供するのは容易ではない。だからこそ、持てるノウハウやインフラをいかに活用して新たなビジネスを仕掛けていくか。これがセブン&アイHDとファーストリテイリングの業務提携の肝だと思う。

 まあ、資本提携までに踏み込むことになれば、今度は銀行が別の意味で画策することになるだろうが。

 自社の商品やビジネスモデルだけで、立ち居か無くなった多くの企業が両巨塔に提携を持ちかけることは、これからもしばらく続きそうである。
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