HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

発信一等地に出る。

2022-06-08 06:36:38 | Weblog
 先月初めだったか、名古屋の名鉄グループが運営する「MELSA Ginza-2 」を8月末で閉店すると発表した。筆者が初めてこのビルを訪れたのは高校1年で上京した時だった。当時は原宿の方に興味があったため、それほど惹かれることもく高級な婦人服やアクセサリーなどががラインナップされているだけの印象だった。

 後になって知ったことだが、MELSA Ginza-2 はパリの百貨店「ギャルリ・ラファイエット」と提携し1971年に開店。フランスの本店ほどではないにしても、「パリの美」を打ち出すことをコンセプトにデザイナーズブランドを集積したという。今思えば、洋裁師である母親が請け負っていたのも欧州産の高級服地を使った注文服で、MELSA Ginza-2に並んでいた服と生地は共通していたような記憶がある。



 当時の日本にも銀座を訪れるお客には「フランコフィーリア」もいたはずだから、彼らを引き寄せることに重点を置いたのだろう。ただ、銀座2丁目をよく知る業界関係者によると、「メルサは最初から手堅い2番手処の著名店をテナントに、いわば冒険もなく家賃を手堅く確実に得る手法に徹した。派手さはなくても注目され話題になる必要があった」そうだ。

 確かにMELSA Ginza-2から首都高の高架に向かうエリアは、出店する顔ぶれを見ると銀座の華やかさという点では、晴海通りと中央通りが交差する北西、南西のみゆき通り界隈より劣っていたのかもしれない。社会人になって定期的に銀座を訪れても、同じ2丁目区画の「伊東屋」には毎回のような立ち寄ったが、3軒隣のMELSA Ginza-2 は覗くことすらなく、今回51年の歴史に幕を閉じることを知った。

 その背景には日本の一等地、銀座が直面する課題があるような気もする。銀座と言えば、「日本で地価が一番高い」(ほとんどが鳩居堂前)のニュースがお馴染みだ。筆者が具に見てきた銀座は、1980年代後半のバブル景気から90年代の平成不況まで。この間には投機対象の地上げから、土地神話の崩壊と不良債権化、ラグジュアリーブランドの旗艦店出店があった。

 その後、平成不況が長引き、リーマンショックを経る中で、ファストファッションの進出、インバウンド効果、GINZA SIXの開業、ファンドの介入など紆余曲折がありながらも、都市として銀座のポジションは揺るぎなかった。

 確かに小売業では家賃が高いゆえに高額品を販売しないと、商売が成り立たない。銀座に店を持つ老舗では、御用達である富裕層が商品を購入してきたことからもわかる。一方で、渋谷や原宿が若者を集客したのに対し、銀座は大人の街であるのも確かだ。映画や芝居を観た帰りにコーヒーを飲む。築地まで足を伸ばして寿司を食べる。別に買い物しなくても、ぶらぶら歩きながら日差しの変化で季節の移ろいを楽しめる。

 古くから金融の拠点として人々の往来を生み、老舗や劇場、百貨店などが立ち並ぶようになった。街づくりを計算してきたのではなく、街自体が自然にブランド化していき、人々を刺激したと思う。当然、好景気や不況の影響を一番に受けるので、淘汰されていくところもあるし、新参者の顔ぶれも常に変わっていく。ただ、大人を惹きつけてやまない「格」という部分は揺るぎない。そこも銀座の良さではないか。

 外国人旅行者の間には築地で美味しい寿司を食べるため、買い物はチープなもので良いという価値観もあるだろう。逆に日本人の買い物客では、GINZA SIXやドーバーストリートマーケットでブランドを購入するなら、ドトールやスタバでコーヒーを買う程度で足早に駅に向かう。それもこれも銀座を訪れる人々のスタイルだ。どこかで格を求め、どこかを切り詰める。それが昨今の銀座を訪れる人々の行動意識ではないだろうか。

 ただ、変わらないのはビジネスから旅行まで世界中の人々を惹きつける情報発信力だ。演、書、文、画、食、衣等々と、歴史が裏打ちされた格式高い様々な文化が揃うだけに、それは日本の魅力として世界中の人々に伝わる。インターネットの時代にはこうした情報価値が都市のポテンシャルを高める。銀座はその代表格、発信一等地と言えるのではないか。そうした価値観の変化に新規出店する方も気づき始めている。


銀座のカジュアル化でSNSとリンクした展開



 満を持して銀座進出を果たしたのが、作業服やアウトドアウエアを扱うワークマンだ。しかも、出店先は名鉄グループがこちらは銀座5丁目で営業を続けるEXITMELSAである。

 ワークマンは職人向けの作業服などを扱う専門店だが、2018年からはアウトドアや防水などの機能で色鮮やかな商品を拡充させた「ワークマンPLUS」を展開。この新業態が大ブレイクし、ワークマンとほぼ同じ店舗数になっている。そのため、さらに市場を深耕する狙いで女性に特化した「#ワークマン女子」をEXITMELSA5階に出店した。

 業態名が変わっても扱う商品はほぼ同じで、商品価格もアイスアシストの半袖Tシャツが499円、防水シューズが1500円といたってリーズナブルだ。「高価格、高級ブランドではないのに銀座でペイするの?」「作業服専門店が出店するとは、銀座も格が落ちたものだ」という向きもあるだろうが、それは今の銀座とワークマンの戦略をわかっていない見方だ。

 ワークマンの原価率は65%を目標にしているため、価格に対して商品のクオリティは非常に高い。あのユニクロ以上と言っていい。しかし、あくまで職人を対象にして郊外展開してきたため、一般消費者、特に若い女性の多くはワークマンをよく知らない。郊外店のままでは情報発信は簡単ではないことから、同社がまず手掛けたのはワークマンの商品を愛してやまない「ブロガー」や「インフルエンサー」を広報担当に位置付けること。

 中でもSNSなどで光る情報を発信している人々を「製品開発アンバサダー」に任命し、商品開発に従事してもらっている。社員との共同開発で生まれた「フルジップコットンパーカー」(2500円)は、2019年10月の発売からわずか7ヶ月で5万5000着を売り上げる大ヒットになった。ただ、SC内のワークマンPLUSは女性客の割合が半数を占めるが、職人向けの店作りや品揃えでは男性中心で女性が気軽に訪れるには敷居が高かった。

 そこで、ワークマンでは女性向けの専門店を作る計画を進めた。既存店から一般受けする商品を切り出し、SC内に出店する。それが#ワークマン女子だ。同社初の女性向け業態としてメディア露出を強化しながら、既存店でも女性向け売場を拡充する。並行して近所のワークマンでも同じ商品が買えることをアピールし、クリック&コレクトにも対応にしながら全国的に女性客の来店比率を高めるものだ。



 つまり、銀座への進出は女性客に対しアパレルブランドのイメージを高め、ブロガーやインフルエンサーの情報を活用するSNSユーザーを積極的に呼び込むのが狙い。銀座の情報発信一等地を味方につけ、Z世代へのアプローチを積極化することでさらなる成長を目指す。店名の頭につけた「#タグ」は、SNSユーザーがメーンターゲットであることを意味する。

 同店では既存店で30%だった女性向け商品を40%まで高め、ユニセックス商品を合わせると女性が着用可能なアイテムは7割にも及ぶ。オープン後は子供服の売上げも好調で、30〜40代の夫婦や子連れ客を呼びこめているとか。銀座店は上々の滑り出しのようだ。

 ワークマンPLUSの仕掛け人でもある土屋哲雄専務によると、銀座進出の背景には「銀座のカジュアル化」があるという。なるほどだ。カジュアル化は何も銀座の劣化ではない。街が変遷していく中で、銀座の今を象徴する。5階フロアは、2015年9月のリニューアルで免税品店の「ラオックス」が誘致された。外国人旅行者を当て込んだリーシングだったわけだ。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で、インバウンド効果は全く期待できなくなった。

 一方、日本人の市場を深掘りするワークマンは、コロナ禍でも店舗を開け続けた。現場で働く職人たちに寄り添う店だからだ。それが2020年1〜3月期には前期比2ケタ超えの売上げ維持をもたらした。そんな好調企業が銀座をビジネスに生かさない手はない。情報発信の一等地である銀座の今をうまく利用できてこそ、今後の勝算に結びつくからだ。インバウンド効果が復活しても、海外展開はせずECで対応するという。

 #ワークマン女子は、フリーで展開する路面店が2店舗しかない。都心に店舗を出店したということは、各方面からいろんな好条件が提示されるだろうから、路面店の出店がさらにしやすくなる。ある意味、それも銀座の価値利用ということである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アンドエーの功罪。 | トップ | アイコン不要の定番。 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事