HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

なるべくして、なった。

2010-05-31 08:10:59 | Weblog
 NB大手レナウンが中国の中国繊維大手、山東如意科技集団と資本提携を結び、事実上中国アパレルの傘下に収まった。マスメディアは「また中国企業により日本企業の買収が行なわれた」とはやし立てているが、ファッション業界としてはある程度予測されたことだ。第二、第三の買収は今後も続くものと見られる。むしろ、買収されざるを得なかった理由は、レナウン側にある。その側面をじっくり見て行くことにする。
 レナウンと言えば、小林亜星氏作曲の「レナウン娘」(唄:弘田三枝子)、「イエイエガール」(Twiggyをイメージするイラストは女子美に通っていた亜星氏の妹の作)で、60年代から70年代前半まで日本をリードしたアパレルメーカーである。
 そして、米国の弁護士、マーク・マコーマックが有名プロスポーツ選手の肖像権に注目し誕生させたブランドビジネスを日本においてリードしてきた。「ワンポイントマーク」を縫い付けた「アーノルド・パーマー」は代表格で、同社が日本のファッション市場に「ブランド=記号」を定着させた先駆者でもある。
 その後もレディスではユーロテイストの「ミックマック」、メンズでは仏人俳優のアラン・ドロンを起用したスーツブランド「ダーバン」、高倉健や渡辺謙をキャラクターにした「シンプルライフ」などを発売。並行して自社の商品で編集したミセス向け専門店「レリアン」を全国の百貨店に展開し、名実共に日本トップのファッション企業に君臨した。
 ところが、70年代後半から日本のファッション市場は次第に変化していく。まず、DCブランドの台頭だ。これにファッションマニアの若者が一気に飛びつき、創刊間もないモード雑誌「アンアン」が特集した。ビギやイッセイミヤケ、コムデギャルソンやワイズといった日本人デザイナーが創るデザイナーブランドは、服として独創的な世界観をもち、定番商品に記号を付けただけのブランドを完全に凌駕した。ファッション=クリエーションが日本のファッションにひとつの市場を生んだのである。
 それでもレナウンは百貨店を中心に中高年の支持を得、売上げ的にもはるかに大きかったため、デザイナーブランドの台頭など全く異に介さなかった。だが、バブル経済の到来でさらに市場は細分化して行く。海外旅行に出かける日本人は、現地で直接外国ブランドを購入。ニューヨークではカルバン・クラインやラルフ・ローレン、ミラノではアルマーニやベルサーチを買いあさり、海外ブランドがより身近になっていった。レナウンはもとより日本の大手アパレルがライセンスで生産する海外ブランドなど、次第に見向きもされなくなっていった。
 一方、デザイナーブランドに翳りが見え始めると、若者はアメカジベースのスタイルを好んで着るようになった。レナウンが販売するユーロ感覚の高いブランドなど、若者に受け入れられるはずもなかったのである。
 そんな1990年、レナウンは英国ブランドの「アクアスキュータム」を巨額の資金を投じて買収した。起死回生の策にでたのである。しかし、これが完全に裏目に出る。バブル崩壊で高級品が売れなくなり、市場ではカジュアルファッション、レイヤードスタイルが浸透。日本の消費者は上から下まで同じブランドで揃えることを嫌うようになったのだ。
 もはや、チープなアイテムが次々と出回り、日本人のファッション投資は急激に縮小。ここから百貨店にしか拠点をもたないレナウンの凋落が始まるのである。…続く。
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