昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

奥の細道(白河の関の彼方へ)

2005年08月20日 | Weblog
 松尾芭蕉を偲んで、奥の細道より

 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらえて老むかふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
 予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊思ひやまず、海浜にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひて、やや年も暮れ、春たてる霞の空に白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず。もも引の破をつづり、笠の緒付かえて、三里に灸するより、松嶋の月先ず心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風(きんぷう)が別しょに移るに、
 
 草の戸も住替る代ぞひなの家
  
 面(おもて)八句を庵の柱に懸置。

 弥生も末の七日、明けぼのの空朧朧として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽(かすか)にみえて、上野 野中の花の梢、又いつかはと心細し。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。千じゅと云う所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに別離の泪をそそく。

 行春や鳥啼き魚の目は泪

 これを矢立の初として行道なほすすまず。人々は途中に立ち並びて、後かげのみゆる迄はと見送るなるべし。

 月日は百代にわたって過ぎ行く客人、来ては去り行く年月も又旅人である。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をひいて老い行く者は、日々が旅であり、旅こそが住まう場所である。古人も多く旅の途中で命果てる者があった。
 私もいつの頃からか、片雲の風に誘われて、旅に漂泊する思いが止まず、海辺浜辺をさすらい歩いて、去年の秋、隅田川のほとりにあるあばら家に戻り、蜘蛛の古巣を払って、ようやく年を越したのであるが、立春の霞の空の日に白川の関を越えて旅に出ようと、そぞろ神の虜になり気が狂い、道祖神の誘いにあい、居ても立っても居られない。股引の破れをつづり、笠の緒を付け替えて、三里に灸すると、松嶋の月がさぞ美しかろうと気に掛り、住まいの方は人に譲り、杉風の別宅に移る時、

 「我があばら家も住む人が代り雛飾りを飾り立てていることだ」

 面八句を庵の柱に掛けておいた。

 三月も末の二十七日、曙の空は朧朧とかすみ、有明の月の輝きは薄らぎ、富士の峰がかすかに見えて、上野 野中の桜の梢を又いつか見ることができるかと思うと心細い。
 仲むつまじい友は前夜から集い、舟に乗って見送る。千住と云う所で舟を降りると、前途三千里の旅の思いで胸がいっぱいになり、幻の現世の巷に、別離の涙を流すのである。

 「過ぎ行く春を惜しみ鳥は悲しげに啼き、魚の目は涙に溢れていることだ」

 これを旅の発句として、出発するのだが後ろ髪を引かれるようでなお足がはかどらない。
 人々は、途中に立ち並んで後姿が見える限り見送ってくれているらしい。

 白河の関: その昔、蝦夷の反乱に備えて、福島県白河市の旗宿に造営された奥羽三関の一つ。この関所の向こうは未開地で野蛮人が住む恐ろしい地であった。江戸時代にはきっとかなり開けた地となっていたのだろうが、芭蕉先生は平安時代の教養をもって、現代で言えば、中国大陸に無銭旅行に出かけるぐらいの悲壮感と覚悟を以って、蝦夷地に足を踏み入れたに違いない。この旅に出られた時には既に御歳五十歳になられていたというから、実にタフな精神と体力を兼ね備えていたお方である。
 
 「これやこの行くも帰るも分かれては知るも知らぬも白河の関」とこういうわけである。
 
 奥の細道というと、李登輝前総統のことを思い出すのであるが、今般、台湾人がノービザで入国できるようになるのであるから、この際、前総統も奥の細道を辿られたら如何なものであろうか。トラックバックして下さった「私の認識台湾」殿に感謝申し上げる。

平和の使命とは軍事的脅迫か

2005年08月19日 | Weblog
8月19日付・読売社説(2) : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 その昔、日本にとって仮想敵国とはソ連であった。
 無論戦後の話で、いわゆる米ソ冷戦時代の話である。当時、ソ連が日本に侵攻して来るとしたら北海道から上陸してくるだろうと言う想定で自衛隊は仮装防衛作戦なるものを準備していた事と思う。
 当時であっても、ソ連がこれほど露骨な模擬上陸作戦を演習したことはなかったであろう。果たしてこれが対台湾作戦などと他山の石の如く高を括っていて良いものであろうか、山東半島半島でこの軍事演習が行われているとのことである。
 これは、むしろ中国の仮想敵国たる日本に対しての示威行動ではないかと思うのは私だけか。
 今の中共やロシアと直接血縁は無いにしても、我国は日清、日露戦争に勝利しているのである。
 たいそう執念深い民族が祖父母の時代以前の敗北のかたきでもとろうと闘志を燃やしているのではあるまいか。
 戦後、骨抜きにされてしまった、ナイーブな日本民族の思い上がった一国平和主義がそこはかとなく危ういものに思えてしょうがない。
 侵略を企てるものは、侵略するものの理論で攻めて来ることぐらい理解する知能を持つべきだと思う。
 折りしも選挙戦の最中である、地に着いた国防意識を持つ立候補者を選ぶべきだと考えるのである。

源頼朝が願を懸けた寺

2005年08月18日 | Weblog
 私は静岡県に生まれ育ち、雪も知らず酷暑も知らずに育ったこの恵まれた地域に感謝を込めて、忘れ去られた歴史上の文化財を記して置きたい。
 JR東海道線の駅に島田と言う駅がある。此処は「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と詠われた「入り鉄砲出女」を箱根の関所と同様に監視する為の江戸幕府にとって要衝の地であった。
 その島田駅から15キロほど北に「千葉山智満寺」という鄙びた寺がある。これこそ忘れ去られた、伝説の寺である。
 御本尊は千手観音立像であり身丈は常人の身長ほどである。作者不詳とはいえ、千年以上の歴史を持つ彫像であると言われている。この千手観音を安置してある本堂は天正17年(1584年)、徳川家康によって再建された由所正しい建築物である。これらは併せて国の「重要文化財」となっているのである。
 その他、当寺が所有する書画等重文級の文化財を多数保管していると言うことである。

 若き日、伊豆蛭ヶ小島に流浪の身となった源頼朝は源家再興のため心をくだいていたのであったが、ある日「駿州広智山(千葉山智満寺のこと)」の本尊千手観音は出世の霊験そのものであると言う事を伝え聞き、伊豆の地より遠路はるばる尋ね来て、本懐を遂げるべく立身出世を祈願したという。
 37日の苦行を終えて満願の日を迎えるや、本堂にて疲れきった身を横たえているうちに寝入ってしまった、するとご本尊の千手観音が夢枕に現れ「枯れぬ木はなをお頼みあり、一切衆生、枯るるとも花をさかせてやみん」というお告げがあった。
 頼朝はこの歌を繰り返すうち思うところあって「瑞夢(吉兆の夢)まことにありがたや観音の御霊験開運の緒である」とばかり夢心地で「木枯れても、花はさかむときく法の誓いはくちず頼みあるかな」とご返歌申し上げ、まだ明けやらぬ内に起床し身体を清め、千手観音のまえに跪いて満願の祈りを捧げ、本堂前の杉の垂れ下がった小枝を記念として挿し伊豆へ立ち戻ったのである。
 この時、頼朝は余りの嬉しさに、慌てて杉の小枝を逆さに挿したので、成長した木も枝が全部下へ垂れているとのことである(頼朝の逆さ杉)。そして、頼朝の運が開けるのに呼応して、かくなる大杉になったと伝えられているのである。
 この杉頼朝杉と呼ばれ、樹齢850年と伝えられる大杉であり、国の天然記念物となっているのである。その外、開山杉、経師杉、雷杉、一本杉、大杉、達磨杉、子持杉、熊野杉、盛相杉等どれもこれも由緒正しき大木である。
 「千葉山や頼朝公が夢のあと(songzhao)」
 これらの大杉は本堂から奥の院に至る500メートル程の道すがらご覧いただけるのでありますから、ご健勝の内に是非一度頼朝公の夢の跡をハイクされたら如何でしょうか。些か急な山道である。

第三者に馬鹿と言って頂くのが外交

2005年08月18日 | Weblog
Sankei Web 国際 「中韓の発展、日本に感謝を」 米誌タイム・アジア特集(08/18 08:27)

 実に有り難い記事である。当事者の立場として「お前ら馬鹿だ」と言っても、国際社会は内輪の罵り合いぐらいにしか感じないであろうが、第三国が中韓の馬鹿さ加減を世界に発信してくれるなら、一石三鳥の効果がある。
 先ず当事者が気の悪い思いをしなくて済む、次に軍拡の為のODA援助をしなくて済むし、その分の出費を正当に日本を評価してくれる国に向ければ、感謝されること必定であろうし、日本の国際的地位の向上にも一役買ってくれることだろう。それに、日本人として遣り甲斐というものを自覚できるに違いない。
 従軍慰安婦だの侵略だの他国の教育方針にまでこと細かく内政干渉をなぜするかと言えば旧態然の売春天国である事を観光目的のため、主張しているだけである。
 これから、世界にその地位を主張したいなら、国際的に女性の人権を尊重する立場でものを言うべきである。
 一番不愉快に思うのは、韓国は誇り高い民俗の国であると青春時代に当の韓国人から教えられたのであるが、何時から中国の属国の立場を主張する三流国に成り果てたのであろうか。

やはり御前は非凡なり

2005年08月16日 | Weblog
 この読み方であるが、御前(ごぜん)と言って頂かないと彼の方に対して礼を欠くのである。この名称は伊藤博文閣下の通称名であるが、維新の精神を継ぐ心意気をお持ちの方との評価を持って身勝手に使わさせていただいて居るのである。万事悪しからずや。
 愛読紙の「突然の首相談話中韓は冷ややか」(静岡新聞)という記事に対しての我が思いである。
 
 この御前ほど事の本質を見抜いている政治家は中、韓がそれぞれ経済的力をつけアジア社会において台頭しつつある過程で、苔の一念たる信念を持って、出鼻を挫く政策(策略)を弄した度胸の有るリーダーというものは無かった事を国民は評価すべきである。巷の、腰抜け親中派共は、あの強国「中国様」に対して、あのような口の利き方は無礼では無いかなどというアドバイスをする事頻りであるが、御前たるや全く意に介さないのである。

 今回の村山首相談話を踏まえた上での首相談話というのは、あえて陳腐な事をダメ押しの如く言い続けるというものであったが、白々しいことを粛々と述べるという事は度胸のいる事でもあるし、相手にまた始まった、同じ手で日本を非難糾弾しようとしても抗体も出来てしまって効力も無くなってしまったという諦念を抱かせるに足る陳腐たるゆえに最高の政治的価値のある談話であったと私は評価するのである。

 日本と中韓歴史認識に溝があって当たり前である。諦めて頂ければそれに越した事はない、そういう認識を持つことこそ歴史を再認識することである。
 中国人や韓国人の価値観を持って、英国やアメリカの歴史を判断して評価すれば相手の怒りに触れる事ぐらいは理解できるのであろうが、同じ東洋人である日本人から植民地扱いされただの侵略されたなどと言って、正当な歴史認識を頭から受け入れられないというのも、所詮、唐人の唐人たる所以である。
 ギブアンドテイクの精神にのっとり悪者日本を植民地化するのが究極の目標なのであろう。
 中国の軍拡の勢いたるや4年で二倍になるほどの凄まじさだと聞く、このような状況下では、いつ日本が具体的に標的にされるか時間の問題であるかもしれない。

 特に、韓国に関して言えば、もはや「ソニー」ブランドを「サムスン」が追い抜き「ヒュンダイ」が「日産」の風上に立つだけの実力を蓄える程に成長したのである。今こそ「亡霊たる日本」を超越すべきである。
 早い時期に「昔、そういうことがあった」と冷静に評価できるようになってもらいたいものである。

歴史再認識(第一話)

2005年08月15日 | Weblog
 私は父親を8年ほど前に、癌で無くしたのであるが、その病根の進行たるや実に驚くべき速さであった、医者が爾後報告として語ったことは、腺癌というものであって、リンパ腺を通して瞬く間に癌細胞が前身を犯してしまったのだと言う事であった。
 癌宣告を受けてから、三ヶ月の余命という厳粛な予告であったのだが、癌細胞の増殖は収まる事を知らず、一ヶ月半で瞬く間に逝ってしまった。本人にとっても看病する身内の者にとっても壮絶な闘病生活であった。本人にとっても、一日が一年に相当するような苦しみであったろうと思われる。
 我が父親は、先の大戦において学徒動員で召集され、あと2~3ヶ月戦争が続行されていれば、おそらくこの世の人ではなかったと思う。
 臨終に際して、自己の青春時代に日本兵として生を全うする事を日本男児の本懐と思い、戦場にゼロ戦に乗り玉砕していった仲間の事が深く脳裏に焼き付いて、本懐を遂げられなかった空しさと戦場に散った仲間達に対する負い目を潜在意識の中に深く刻み込んでいたに違いない。我が父は今際の際に意識が朦朧とする中、日本兵として敵陣に突撃する幻覚を観ながら身罷ったと私は認識しているのである。日本人として、名誉有る果て方を夢見たのであろう。

 戦後に生まれ育った人間は、当時教師であった人も日本人である事に自信を喪失していた為、近代史については、ほとんど教えることを怠っていたいたというのが現実の姿であったと思う、今思えば戦後の日本民族の悲劇であるのだが、失なわれた歴史教育を少しずつ取り戻し再認識したいと思う。

 歴史の変革時に発揮される天皇の権威というものを考えて見たい。
 明治元年というのは1868年であるが、維新の志士達が天皇の権威を背負って、徳川慶喜に江戸城開城を迫り徳川幕府は、「天皇のご命令」であるという「大儀」により大政奉還をなし得たことは「日本人の価値観」を認識した実に、合理的で無駄の無い(無益な流血を最小限に抑えるということ)革命を短期間の内に成し遂げる事ができた最重要事項であろう。
 この革命を首尾よく迅速にやってのける事が出来た為、当時のヨーロッパの列強の植民地にならずに、独立国家として発展する事ができたということである。
 明治維新を遂行した若きリーダー達に天皇の権威を持って国を再興するという知恵が無かったら、戦国時代のような内乱が続き、割って入った先進国の植民地という地位に甘んじていたに違いない。
 日本国民とて国の一大事に際して事の重要さを認識できる能力があったことも言うに及ばぬことである。
 

60年目の敗戦の日にあたり

2005年08月15日 | Weblog
 8月15日太平洋戦争敗戦の日、日本各地で戦没者慰霊の行事が厳かに執り行われる。
 特に今年は東京九段坂に鎮座する靖国神社では賑々しく鎮魂記念イベントが行われていることであろう。遺族の末裔として、この日に参拝したいのであるが、盆の最中である為、都合が付かないのである。地元で行われる慰霊祭に参列させていただくのが精一杯の事である。英霊に対して心より追悼の意を表し、今こうして我々が有るという縁(えにし)に対して感謝するのである。
 今まで、平和は与えられるものであるというような消極的平和享受主義にトップリ浸かって来たのが我々日本人であったと思う。
 しかし、風雲急を告げつつあるのが最近のアジア情勢であるし、ましてやその場所から逃げ出す事はできないのであるから、積極的にアジアの平和を構築する為、あらゆる知恵を結集させ果敢に行動していかなければならないと思う。
 
 戦争という国家犯罪(何も日本だけが悪いという訳ではない)に対する、反動というか反省という立場に立ち、戦後の思想界をリードした「日本人である事を否定」するかのような所謂「自虐史観」こそが日本人の哲学であると少年、少女達に押し付けた輩、自称「戦後の文化人」たちのふりまいた「亡国の毒」たるものは実に目を覆うものがある。この中には文化勲章を貰ったり、ノーベル賞を貰ったお人もいるのであるから、畏れ入るのである。
 この方々は総じて天皇制を否定している現実を思うべきである。文化勲章たるもの、どなたがお授けになるものか考えた事はお有りであろうか?

 戦後、60年目にして、我々は官僚主義こそ憎むべき「国民を食い物」にする悪性新生物たる存在に成り下がっている「組織ぐるみの利己利益追求」集団であるという事に気付かねばならないのである。
 明治維新から近代国家を築き上げる過程に於いては、大変効率的に機能し世界列強の仲間入りを果たす原動力となるのであるが、その後には更なる既得権益追求集団へと変わり果ててしまって、制御できない暴走集団になるのである。異様に増殖した軍閥の思い上がりが国を無益な戦争へと誘った一因であることを認識すべきである。
 戦後、焦土となった国土を復興しその後高度成長の原動力となったのは、節度有る官僚組織であったのも事実であろうが、今となっては「揺り篭から墓場までの自己利益追求集団」である。
 天下り、談合、汚職などが平然と行われ、決して無くならないのは、行政組織に張り巡らされた公務員王国の安全ネットに守られているからである。

 郵政民営化抵抗勢力とは「悪徳公務員の集団」のことである。340兆にも上る郵貯、簡保という国民の資産を自由に使う権利を有し運用成績は決して問われず、赤字が出れば国民の血税を持って充当する事苦しゅうないという者達であろう。
 この特権を守ろうというのであるから、死人の一人や二人出てきても不思議ではあるまい。
 国民は、今回の小泉首相の英断による解散総選挙を理性を持って咀嚼し、官僚天国の原資となっている340兆もの莫大な資産を官僚の手から取り上げ、健全で運用益が上がる使い道に振り向ける決断をすべきである。

 抵抗勢力のいう安全とは官僚の権限で自由になる340兆を非効率な属企業に融資し見返りに談合、天下りを強要し、運用成績は当然赤字であるが、そこはそれ、政府補償つきといって愚民を説得し、赤字分は税金と称して愚民から再度取り上げれば、我々の無駄使いは永遠に隠蔽できるのである。なんという安全完璧なシステムであろう。これこそ「揺り篭から墓場まで」の官僚の保身システムなのである。

 還暦の日の終戦記念日は官僚制度の陋習を廃し新生日本への勇気有る第一歩としたい。

 (一票の重みを自覚する会会長)


骨太の未公認国家の爪の垢を頂くべし

2005年08月14日 | Weblog
中国けん制狙い、台湾で民主化アピールの大会始まる : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 この骨太な精神は何に起因するのか?
 臆病国家の指導者(国会議員)共は真摯に受けとめねばならないと思う。
 台湾のいうのは、戦前、国家赤字をを覚悟の上で、開発、日本精神に基ずく教育を行った、南海の日本の分身であった。
 台湾を開拓した日本人の全てが善人であったとは思い上がりも甚だしい自惚れであろうが、日本本土がGHQによる日本精神の粛清が強行されなかっただけ、日本民族が本来持ち続けなければならない反骨精神と自己に対する誇りというものを、日本人に代わって保持し続けていてくれるのであろう。
 また、台湾人たる大陸(中共)に対するスタンスというものも、同じ漢民族であるが「今の貴方方の政治体制」に比べれば、我々台湾の方が余程進化したイデオロギーをもって、国民を統治しているという優越感を持って、北京に対峙しているのであろう。
 心の縁(えにし)を喪失している日本人は彼らが「台湾人」の誇り、意地、そして正当性を世界に向かって発信し自己主張している姿を見習うべきである。
 これは、敗戦という憂き目を味遭う前に我々が彼らを教育した純粋なる日本精神の名残である事を再認識すべきである。
 李登輝前総統などが、純粋なる日本精神を持って、この国を指揮してくださるようなことがあれば、この国の若者の瞳にその輝きを取り戻すことが出来るかもしれない。
 民族の誇りをとり戻し、日本人、台湾人、韓国人が共にアングロサクソンの歴史に一矢を報いた輝かしい歴史を共有したこともあったことを思い出すべきである。

制裁は腹癒せに過ぎぬ

2005年08月13日 | Weblog
北朝鮮への早期制裁求め、新潟で7千人集会 (読売新聞) - goo ニュース

 「家族会」の方々の煮えたぎる思いと無念さについては、重々お察し申し上げるし、何とかする方法は無いのかと、思い巡らすのであるが、解決に至る道筋とて見い出され無い事が新たなる行き場所の無い憎しみを生むのである。
 日本人たる同胞の身の上に関わることであるから、殊更やり切れないのである。
 この「家族会」の方々が米国に行って拉致の惨状を訴えた後、米国が間接的に声明を発したことは、それならば、日本は軍隊を持てば良いではないかということ尽きるということである。
 米国の日本に対するメッセージというのはこのようなものであったと記憶している。
 中国の異常な軍拡に対して、日本は「占領下の押し付け憲法」を改正してこれに備えるべきであり、国防上必要であれば、核武装も厭うべきではない。
 北朝鮮の傍若無人な立ち振る舞いに向かい合い、この「拉致被害者」の家族達の悲愴な訴えを解決しようと思ったら、それは日本人自らが血を流す事も厭わずそれ相応の犠牲を払って国家たる威信を世界に示し武力的に解決せというメッセージをブッシュ大統領に近いマスコミの社説という形でコミットした事は記憶に新しいことである。
 北朝鮮などという無法者は「日本人を拉致したところで軍隊という定義もないし、ましてや交戦権など否定した占領国憲法を金科玉条としている国だから、ということで「日本人拉致」お構いなし。こういう屁馬鹿にした行動をとって憚らないのである。
 北朝鮮にさえ、これ程に見下されているのであるから、こやつ等の親玉たる「中共」から見れば、日本とは金だけ持った蚤のような取るに足らない存在と見下されているにちがいない。
 金を搾るだけ搾ってヘトヘトに弱ったら、次なるスキームは武力による占領であろう。
 今こそ「真に国の存亡と国益に命を賭ける日本のリーダー」が求められる時なのである。

民主党は中共傀儡を目指すのか

2005年08月13日 | Weblog
千鳥ケ淵で岡田氏献花 「首相になっても靖国参拝しない」 (産経新聞) - goo ニュース

 中共に魂を抜かれてしまっている人物が党首たる政党というのは、鳥肌が立つほどおぞましいものである。
 この方の政策たるや、中共が日本を殖民地支配しようとする野望に沿った支配される側の日本人心得を、洗脳されたオウムのように復誦し続けるのであるから百害こそあれというべきである。
 中国が日本人に要求する靖国参拝中止命令というのは、「日本人たる自覚を捨て
て、中共の軍門に跪き、思うが侭の略奪を受け入れる事を表明せよ」そういう意味であることをよく日本人に説明してから活動すべきである。
 「別働隊」の隊長はこのような事態を放置しておくのでろうか?

自作自演の自爆劇を演出いたせ

2005年08月12日 | Weblog
反日活動呼び掛け相次ぐ 中国、15日控え (共同通信) - goo ニュース

 毎度の馬鹿馬鹿しさである。愛国心に名を借りたあく事なき反日教育を行い続ける事の結果として、反日感情を醸成したその結果反日暴動が起こるのは、当然の帰結であろう。
 これこそ、中共執行部が目論んでいたことが現実のものとなっているだけである。
 厚かましくも我々日本人にその結果を見せて、怯えろとでも言いたいのであろうか。
 人民が反日暴動を起こす意志があるのなら、心の赴くままにそうさせてやればよいのである。日本としては一向に意に介すべき問題ではない。
 この者達は、愚民を反日ハンターに仕立て上げておいて、その馬鹿犬を使って我々を威嚇しようというのか。
 わが方におこがましくも靖国参拝を止めろだなどという「気狂い」じみた要求を致す前に、馬鹿げた「反日記念館」たるものを破壊してから物申すべきである。
 畏れ多くも我々は「日帝」の末裔である。

大芝居(第二十一幕)

2005年08月12日 | Weblog
2閣僚が15日参拝明言 首相は「適切に判断」 (共同通信) - goo ニュース

 御前、この知らせをご承知であられるのか?エゲレスかぶれしたお方にとって、些か耳の痛む知らせでは御座らぬのか。
 この環境相という「ご婦人」実に筋の通った頼もしいお方であると再認識して居るところでありまする。このお方など二昔前の「鉄の女」と恐れられた方を彷彿とさせ得るにたる人物とお見受けいたすので御座る。
 それに引き換え、事此処に及んで「適切に判断」するとは何事で御座るか?
 御前は、渡る世間に鬼ばかりの経験を積まれるうちに「巌」の角も取れ、風説流れ旅の如き「丸い人格」に変わり果ててしまわれたのであろうか。何ともお労しい限りで有られることか。

 き、貴公!ゆめゆめ、さような暴言を吐くこと相成らん。
 考えても見よ、かように事態が進展しようとは、夢にだに考えはしなかった事であるからして、次のストーリーたるやまるでリハーサル無しの大芝居に打って出ているが如きものである。是非是非お察し願いたい。
 当初、わしが描いた筋書きとは、現時点で「郵政民営化関連法案」が可決されているというシナリオであった。
 しかるに、そこもと達もつぶさに見て来た通り、族議員共の逆襲に遭い、今の嘆かわしい状況とあいなっておる。これは、視ての通り、凄まじいお家騒動の真っ只中にあるという状況である。
 我が家の家長として、先ず以ってこの火種を消す事に全身全霊を傾けねばならぬ時が、不運にも「契約の時」に重なってしまったのである。
 此処のところを、くれぐれもお察し願いたいのである。
 わしの、純日本的美的センスと哲学からすれば、当然公約たる「契約の時に契約事項」を履行し、その達成感に酔いしれることを旨とするのだが、この異常な事態に鑑み「確約」はできぬのである。ご理解いただきたい。
 国民、各々方のご理解とご尽力を賜り是非「戦勝をご報告するお参り」とさせて頂きたいのである。

 拙者、かねがね感服申して居るので御座るが、この度の所謂「性差」を超越した女性軍の編成、「女子(おなご)の女子たる色香」に惑わされる男共もあまた出て来ることで御座りましょう。
 「いいか、我が同胞よ!この方々は女子の仮面を被った男に御座るゆえ、心して決断なされよ」

 国民の皆様、心浅きものが何時ものように、軽はずみな発言を弄しまするを、この者の「知能程度」をお察しの上、相も変らぬお騒がせの段、平にご容赦願いたい。「マザコンのコンプレックス人間」というはかようなものである。

 御前よ!かように拙者を貶しては、身も蓋も無いではありませぬか。
 

人民の思う儘に放置せよ

2005年08月11日 | Weblog
「8・15」反日活動呼びかけ、中国当局抑え込みへ (読売新聞) - goo ニュース

 中国国内において反日を叫ぼうがデモを起こそうが、それはあくまでも中国の国内問題であって、日本として物申す関係にはないであろう。
 反日を世界に誇示したいのであれば、当局が人民の意志を押さえ込もうなどという事は、それこそ人権問題であろう。人民の魂のはけ口は尊重されねばならないのである。「大いなる愛国心」のはけ口を統制すべきではない。
 小泉首相とて、名誉を賭けた選挙戦の渦中にあるため、かねてからの約束の日である八月十五日の靖国神社の参拝については挙行するのが困難になったと思う。今年について言えば、この日の参拝は無いであろう。
 中国の理不尽な歴史教育と反日デモをなんどもなんども拝見させていただく事により、日本人としても「免疫力」を体得したのである。
 従って、お門違いの醜い中国の要求に対していつでも跳ね除ける免疫力がついた事を表明するものである。
 埒もない反日示威行為を大々的に行って、世界中の顰蹙を買うが宜しかろう。

頭の良き者の思考を拙なる者が補う

2005年08月11日 | Weblog
郵政民営化は「小さな政府」の原点=竹中担当相 (ロイター) - goo ニュース

 竹中氏というお方、実に頭の良い人物であろうが、良すぎるゆえの不幸とは、頭の悪い拙者などの脳ミソにはその見識が一向に響かないのであるから賢いばかりが能でもあるまい。
 もし、この方が拙者ほどに「下世話」な人物であったならば、恐らくこのように述べられるであろう。
 郵便貯金としての国民資産が公称340兆円あるということになっているのであるが、この莫大な金融資産をどのように運用し利益を生み出そうかという事が郵政民営化という問題なのである。 
 この莫大な国民金融資産を最も効率的に活用して、元利が保証されるように合理的に運用して行こうとするのが民営化を標榜する「小泉内閣」の立場なのである。
 それは、どういう事かといえば、日本有数のグローバル企業と同様に、投資した元金に対する損得勘定を国民の面前で行い、まともな運用益をもたらすシステムの中に組み込むべきだという主張なのである。
 これは実に合理的な考えであるのだが、運用に際してのリスクをも覚悟しなければならないということである。
 此処のところを、改革派がはっきりと国民に説明しないものであるから、一種の「ペテン師の魔法」に掛かるのではないかと、国民が本能的に警戒していることも当然である。
 国民のこの不安を認識し、どのようにこの種の「根源的懸念」に対して「対処すべき策」が有るのかを懇切丁寧に説明すべき「責任」を改革派たる執行部は追うものと考えるのであるが、如何なものであろうか?
 おそらく平均的な日本人は一種の民族性として、「金の運用は苦手であろう」という諦念を抱いていると感じている実態を思い知るべきである。
 一方、所謂反対派が何ゆえにこれ程抵抗するかといえば、採算を度外視して浪費できる「莫大な資金源」であるからである。政府保証がついているからといって国民は元本の保証が付いているからといって能天気に安心し切っているは、採算など度外視して浪費したとしても、浪費した分については、無責任に国民に税金を持って補填せよと意思表示すればよいこういうシステムで郵貯を食い潰した上になんの責任も問われる事もない、公務員だの公僕だのという輩にとって、これ程ありがたい「無尽蔵な資金源」を手放すなどという事に、命を張って抵抗することはそれこそ生き甲斐なのであろう。
 大部分のこのような特権階級に属さない国民は、今こそ立ち上がるべきである。
 この小泉内閣を選挙によって「追認」する以外国民が「悪のサイクル」から解放される方法はないのである。

火遊びのお仕置き

2005年08月10日 | Weblog
綿貫氏「新党作らぬ」 「台風の目」狙いの構想挫折 (朝日新聞) - goo ニュース

 この方々こそ、己が国会議員であるという身の上も忘れて「ママゴト遊び」に夢中になった者どもの成れの果てであろう。
 自分の行いについて「ケツ」も拭けない体たらくぶりである。
 未だに理解できぬのであろうが、9月11日深夜、「何故に、国会議員たる地位を賭けてまでママゴト遊びに耽り国民に時間と浪費を強要したかその理不尽極まりない行いを反省するが宜しかろう」
 自由民主党にとっても、こやつ等の「ママゴト遊び」のつけを清算するのは大変な労力を要する事であろう。
 しかし、事を成就していく過程ではこのような篩いにかけるプロセスというのも必要欠くべからざる階段の一ステップなのだと思う。
 今回の解散総選挙については、よくよくその意味を国民が「咀嚼」出来るように説明しなければならないであろう。
 群集心理というのは「我々は被害者です」という類の感情的な被害者的「芝居」に対して誠にナイーブだし判断を誤るものである。
 郵政民営化を断行せねばならない「理性的理由」を国民の理性に訴え完結すべきである。