昨日今日明日

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若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

そんな物こそ無駄遣い

2009年08月14日 | Weblog
鳩山代表、靖国に代わる国立追悼施設検討を言明(朝日新聞) - goo ニュース

 誰も参拝しないような追悼施設なんぞ日本人の血税で作る必要はありません。なんなら、鳩山工作員は雇い主である共産支那に対し「工作資金で作ってくれと!」諌言致せ!。

 ところで私、昨日朝早く起床し、靖国神社に行って参りました。久しぶりの御上りさんしました。自転車で足腰を鍛えているつもりなのですが、歩行するのと使う筋肉が違うことをつくづく思い知らされました。

 最近は自転車が全国的にブームなんだろう。あの混雑・渋滞する往来をロードレーサー、クロスバイク、マウンテンバイクなどに跨りスイスイ通り抜けて行く。都会人の技術の高さに驚かされました。

 自動車で行けば、東京駅から科学博物館、国技館、靖国神社と大した道のりとも思いませんが、実際歩いて見ると実に遠い。

 汗だくやっとの思いで、靖国神社に到着した私は参拝次第にのっとり手、口を清めて、賽銭を投じ二礼二拍、比島に散った伯父に想いを致し、敗戦時より更に内憂外患、特に日本国が内部から崩れかけていることを案じ、更に一礼して、遊就館に入館してみました。

 今年は靖国神社創立140年ということで、特別展が催うされています。

 矢弾丸尽きるとも

 ・・・我レ生還ヲ期セズ・・・

 そこには所謂『侵略者』の面影なんて全然ありません。我が父祖たちは真剣・生真面目すぎたのだと思います。大東亜戦争敗戦へと追いやられたのは、アメリカを誑し込むだけの狡猾さが民族として欠如していただけ。

 
 そしてだね、今現在最大の問題は鳩山由紀夫次期首相(大笑い)がこの日本人の負の性格を何重にも継承しているということです。だから、私はこの人は最も日本国首相などには不適任な人材だと思う。

 だってさ、共産支那なんぞに「お座り!」と命じられれば、従順にお座りした上に、”お手をし、チンチンまでやってのけるウスラバカ”なんだぜ!。

 こんな人に投票し夢見る日本人は、とても正気とも思えない、夢はたちまち絶望から滅亡へと退化すること必定である。
 
 大東亜戦争休戦後の一番の勝者といえば、それは間違いなく敗戦者を装う『共産支那』だろう。・・・・こんな奴等のために国立の追悼施設を作るなど論外である。・・・・そんなにつくりたいなら、ご自身の故人献金をプールしてやってくれたまえ。

 国民必見の選挙前に見るべき動画:選挙前ドットコムの最高傑作 [緊急!?]中国テレビが鳩山故人献金の真相を暴露!?
 
 ヤフーのサイトからだとまだ検索できるかな~。


 今年1月7日に逝去された南部利昭宮司の数ある功績一つに、パール判事の碑を遊就館前に建立されたことがあげられます。

 戦勝国は敗戦国に対して、憐憫から復讐まで、どんなものでも施し得る。しかし、勝者が敗者に与えることができない唯一のものは正義である。

 時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。


 ・・・・しかし、敗戦後64年も経って、鳩山由紀夫というインチキ爺さんが壇上に現れピーヒャラ、ピーヒャラ国立追悼施設建設などと踊り出しては、偏見が収まるどころではない。

 パール判事の言葉 (田中正明氏より抜粋引用)

 子孫のため、歴史を明確に正せ

 1952年11月6日、博士は広島高裁における歓迎レセプションに臨まれて、「子孫のため歴史を明確にせよ」と次のように述べられた。

 「1950年のイギリスの国際情報調整局の発表によると、『東京裁判の判決は結論だけで理由も証拠もない』と書いてある。ニュルンベルクにおいては、裁判が終わって三ヵ月目に裁判の全貌を明らかにし、判決理由とその内容を発表した。しかるに東京裁判は判決が終わって4年になるのにその発表がない。他の判事は全部有罪と判定し、私一人が無罪と判定した。私はその無罪理由と証拠を微細に説明した。然るに他の判事は、有罪の理由も証拠も何ら明確にしていない。おそらく明確にできないのではないか。だから、東京裁判の判決の全貌はいまだに発表されていない。これでは感情によって裁いたといわれても何ら抗弁できまい。」

 このように述べた後、博士は一段と語気を強めて、「要するに彼等(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったと言うことを歴史に留めることによって、自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植え付けることが目的であったに違いがない。東京裁判の全貌が明らかにされない以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。歴史を明確にする時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。・・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である。」

 「私は1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8ヶ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文に綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることが分かるはずだ。しかるに、日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争勃発に至る事実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃(たいはい)に流されて行くのを、私は見過ごして平然たるわけには行かない。彼等の戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤れる歴史は書き換えられなければならない。」

 博士は、慈愛と情熱を込めて切々と訴えられるのである。パール博士は東京弁護士会においても多数の法律家を前にして講演された。言うまでもなく、博士は極東国際軍事裁判を根本的に否定している。それは戦勝国が復讐の欲望を満足させるために、国際法を無視し、司法と立法を混合してマッカーサーが法を制定し、法の不遡及まで犯した一方的な軍事裁判だったからである。ここでも博士は次のように述べている。

 「日本人はこの裁判の正体を正しく批判し、彼等の戦時謀略にごまかされてはならぬ。日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚に陥ることは、民族自尊の精神を失うものである。自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。

 日本よ!、日本人は連合国から与えられた<<戦犯>>の観念を頭から一掃せよ。・・・」と博士は繰り返し強調された。(以上引用)


 ・・・・こういう理由で、鳩山民主政権の選択肢は全然ありません。