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日中歴史共同研究=無駄

2009年01月17日 | Weblog
 日中歴史共同研究、両国の溝埋まらず

 産経新聞 2009・1.15

 北京=野田東秀、矢板明夫:日中両国の有識者による歴史共同研究で、民主化運動を武力鎮圧した天安門事件(1989年)に関する日本側の記述を中国側が「極めて敏感な問題」として、削除するよう求めていることが関係者の証言で明らかになった。中国側が「愛国主義教育」と称して”反日教育”を行っているとの日本側の見解にも、中国側は強く反発しているという。天安門事件から20年の今年は「政治的に敏感な年」(中国当局者)で、世論引き締めの強化する中、中国政府は国民を刺激しかねない記述には神経をとがらせており、研究報告書の公表が大幅に遅れる原因にもなっている。

 研究をめぐっては昨年末にまとめの報告書が発表される予定だった。当初は南京事件(1937年)などに関する記述が注目されていたが、関係筋によると、日中戦争史の部分について双方が「両論併記」の形で簡単に触れることで合意したという。

 しかし、戦後の日中関係史の部分で、双方の意見の違いが露呈。天安門事件(6月4日)については、現代中国に対する関心を高める大きな出来事として、日本側は「避けて通れない史実」として報告書に盛り込んだが、中国側は「今年は事件20周年」で敏感な問題と懸念を示したという。天安門事件の死者数端数百人とも千人以上ともいわれるが、真相は公表されていない。再評価を求める声もあるが、中国政府は「反革命暴乱」とした公式評価を変えようとしていない。

 また、日本側は戦後の日中関係に関し論文で、「中国政府の青少年に対する愛国主義教育が日中戦争の歴史を過度に強調、戦後の日本を客観的に評価していないことが両国関係に悪影響を与えた」との趣旨の記述をしているが、中国側はこれにも猛反発し削除を求めてきたそうだ。

 中国側の学者は報告書に対する国民感情を考慮することを示唆しており、中国側が日本側に要請するかたちで、報告書の時期を遅らせているとの指摘もある。(以上引用)


 ・・・・まあ、共産支那の実相とはこんなものであろうとは、大方の日本人は思っていたことであろう。要は支那共産党にとって足元を掬われるような都合の悪い史実は歴史ではない。そういうことなんだから、日中歴史の共有などとこちら側から言い出せば、共産支那側は都合のよい属国の捏造史を何の臆面もなく押し付けてくることだろう。だから、「絶対に奴等に妥協してはならんのだ!」。

 しかし、『歴史とは民族にとっての主観』であることは排除されるべきではない。・・・・国家を守るためにはそういう方便も必要条件なんだろうと思います。

 例えば我々が、創価・公明の池田先生をくそみそに思おうとも『善良な信者』にとってはかけがえのない人なんだろうから。

 日本も、共産支那のやり口を他山の石とし、愛国に目覚めたいものです。・・・・「日本はあの時、民族の存亡をかけた正義の防衛戦争をした」・・・・こんな風に言える日は来るのか来ないのか日本の政治家の甲斐性に委ねられるべき難題であります。