昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

朝鮮人と思われることは名誉毀損

2008年11月14日 | Weblog
中学生の娘に売春強要、母起訴 「体売って携帯代作れ」(朝日新聞) - goo ニュース

 くだらん記事である。朝日新聞のインテリーはこういう社会の乱れを誘発することを社是にしてきたくせに、火事場の野次馬を狂演することもなかろう。朝日発日本国愚民スキームも間もなく完成である・・・・・だから、喜べ朝日よ!。マリファナも覚せい剤もクソクラエであるよ。

 今日は読売新聞から話題を頂くこととする。

 
 月刊誌「WiLL」の記事は「虚偽」土井元衆院議長が勝訴

 月刊誌「WiLL」に掲載された事実無根の記事で名誉を傷つけられたとして、土井たか子元衆院議長が出版社「ワック・マガジンズ」(東京都千代田区)と花田紀凱(はなだ・かずよし)編集長(66)ら2人に、慰謝料1000万円の支払いなどを求めた訴訟の判決が13日、神戸地裁尼崎支部であった。

 竹中邦夫裁判長は「明らかに虚偽」などと指摘し、同社と花田編集長らに計200万円の支払いを命じた。

 判決によると、花田編集長らは同誌2006年5月号に、土井たか子氏が「朝鮮半島出身とされる」との虚偽記事を記載した。

 土井氏は全国紙への謝罪広告掲載も求めていたが、竹中裁判長は同誌の実売部数が少ないことを理由に必要性を認めなかった。

 被告代理人は「判決の内容を見て今後の方針を検討したい」とコメントした。(2008・11・13 読売新聞)


 ・・・・ほとんど、土井たか子氏のアイデンティティーが李高順という朝鮮の通名であろうがなかろうが、我々日本人が関知するところではない。

 沸騰して即座に頭に血が上る『朝鮮人=もちろん在日諸君も含まれる』にとって、てっきり朝鮮人(韓国人も含む)にとって、見方=在日朝鮮人として演技をしてきたあの御仁が、朝鮮人と言われるや「私は朝鮮人ではない。・・・・そう言われる事は私にとって名誉毀損である」としゃ~しゃ~と、朝鮮人は不潔・日本人が差別して当然と反訴したこの「土壇場の朝鮮人への裏切り」はとても重いし、私は勿論標準的な日本人に過ぎないのですが、「こういう『お為ごかし』を正々堂々とやってのける朝鮮人蔑視」のスタンスは許せるものではない。

 お人よしの在日の皆、彼女(朝鮮通名李高順を演技してきた朝鮮モドキ芸人)に対し反論は無いのかい。?!!!。

確かに「被占領国日本」=腐臭

2008年11月14日 | Weblog
「村山談話をフシュウ?」、首相誤読 議事録は「踏襲」(朝日新聞) - goo ニュース

 まさかのことであるが、字が読めないなどということではなくて、村山談話は被占領国時代の『日本の腐臭』であり、朝日新聞の体臭そのものであります。・・・麻生首相はそれを遠まわしに指摘したのであります。いい加減にその辺を弁えなくては、如何に朝日新聞愛読のインテリーが小学生並みの知能であるとはいえ、吃飽了(=共産支那語で食いすぎて胸焼けがする)であります。敗戦後の占領統治時代、『朝日新聞』をマッカサーは『12歳のガキ』と嘲笑っていたことをこの新聞は忘れてしまったのだろうか。・・・・???。

 しかし、世の中もまた広いのであります。真のインテリゲンチャーの見識とは斯くあるべきだと共感し、「戦争を知らない世代が再認識すべき事項」と思い、奇しくも平成20年11月12日、静岡新聞に寄稿された静岡理工科大学 物質生命科学科教授の志村史夫(しむらふみお)氏の時評を写し取って置くこととしよう。(以下引用)

 ある美術展からの回想

 変わらぬ「被占領国日本」

 三島の佐野美術館でおよそ二ヶ月間に亘って開催されていた「ノリタケデザイン100年の歴史」という展覧会が11月3日に閉幕した。たくさんの美しい陶磁器を眺めながら、私はおよそ20年前に遭遇した、私にとっては極めて衝撃的な”事実”を思い出した。

 アメリカのノースカロライナ州立大学にいたころ、私は本職の教授のほかに、日米間の学術、文化、経済交流、そのほか諸所の活動の拠点となっていたノースカロライナ・ジャパン・センターの副所長を兼任していた。

 このジャパン・センターの応接室の棚に、縁に金が施された、一見古そうな紅茶カップと受け皿が飾られていた。ある時、私は「どこの製品なのだろう」と裏を見て、びっくりしたのである。

 それは日本のノリタケ製品であったが、いまなら”Made in Japan”と書かれているところに、”Made in Occupied Japan”と書かれていたのである。

 もちろん、私は昭和20年8月15日の「敗戦日」から昭和25年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効日までの約7年間、日本が「聯合国」に占領されていたことを知っている。日本を占領したのは形の上では「聨合国軍」でも、実質的にはアメリカ軍による単独占領であった。

 昭和23年東京駒込生まれの私は、小さいころ、ジープに乗り、白い大きな「MP]という字が書かれたヘルメットをかぶった進駐軍の兵隊を自分の目で何回も見ている。日本がアメリカ軍に占領されていたことは歴史的事実のみならず、私自身の実体験としても遺っていることである。私より年長の人たちにとってはより鮮明に遺る実体験であろう。

 戦争に敗北した日本は昭和20年8月15日、聨合国に無条件降伏し、たちまち全土を占領され、民族の”独立”を史上初めて失ったのである。しかし、私は迂闊にも”Occupied Japan"つまり「被占領国日本」という国が存在していたことを知らなかったのである。だから、”Made in Occupied Japan"を見つけた時の衝撃はあまりにも大きかった。私は自分のことを、当然のことながら、ずっと「日本国生まれ」だと思っていたのであるが、実は「被占領国日本生まれ」だったわけである。

 少なくとも私は、学校で「被占領国日本という国が約7年間に亘って存在していたこと」を教えてもらった記憶皆無である。”国民的日本語辞典”といわれる「広辞苑」にも「被占領国日本」なる項目はない。独立国日本は「被占領国日本」という歴史的事実を意識的に隠蔽してきたのではないか。

 およそ7年間の「被占領国日本」の時代に、アメリカから「民主主義」「人権主義」「合理主義」「資本主義」をたっぷり注入された日本は、日本の伝統的美意識や価値観をかなぐり捨てて、あたかもアメリカの51番目の州のごとき道をひた走り、事実、金ぴかの「経済大国」と呼ばれる国にまで成長した。

 しかし、「敗戦」前の日本は、決してこのような日本ではなかったのである。ほんの少し前まで、日本人はあまねく、「恥の文化」を持っていたし、日本のリーダーたちはかつての武士道に根ざす規範と責任感を持っていた。

 現在の日本は、一応、外面は「独立国日本」の体をなしているようであるが、その内面は依然として「被占領国日本」であるように思われてならない。哀しいことである。(以上引用)

 
 ・・・・私も、俗に言う『団塊の世代』の人であり、志村教授より一年後に生まれたので、アメリカの進駐軍に関する直接の記憶はありませんが、「パンパン」などという日本版対米従軍慰安婦を蔑む言葉は何度も耳にした記憶があります。・・・・こんなのって、某政党のツジモト・センセやフクシマ・センセがヤンキー兵士の腕にぶら下がって帝都を闊歩していたと想像すれば、日本の女も恥知らずというか、それこそが女の性なんだろうと苦笑させられます。

 冗談はさておき、志村教授のご指摘の通り、戦後の教育で「被占領国日本」という時代が存在したことを『意識的に隠蔽して来た』罪は非常に重いと思います。・・・・この部分を歴史教育から抹殺して、あたかもGHQ憲法を日本国民の意思で制定したなどという詭弁を日教組や進歩的文化人=敗戦利得者たちに信じ込まされたのが、今日の日本の精神的荒廃を招いたのは必然であったと思います。

 我々日本血族が共産支那主導の戦争に敗北し、蛆虫のような屈辱を受けた史実をバーチャルに体験することなしに日本国の荒廃を止めることはできないだろう。

 最近の中山成彬氏の発言や田母神俊雄氏の論文など敗戦後63年が経過し、日本国再生への胎動が始まったのだろうと思います。彼らの発言や論文の趣旨を正当に評価しようとする素地は熟成されつつあるあると思うのですが、日本のゴミ・メディアは本当に往生際の悪いクズ野郎どもですねえ。