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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

田母神俊雄氏を援護しよう

2008年11月02日 | Weblog
「歴史歪曲に憤り」 前空幕長論文で中国外務省コメント(朝日新聞) - goo ニュース

 歴史歪曲本舗=共産支那が憤るなら、それが歴史の真実である。

 相変わらずの馬鹿馬鹿しさであるが、歴史とは各々の民族の主観であると朝日・共産支那連合はいつになったら認識できるんだろう。・・・・既に世の中は21世紀なんだぜ。秋山耿太郎の息子の大麻は非難するに当たらないが相撲取りや慶大生の大麻は犯罪であるという価値観と同じ。これが朝日のインテリーの本質でもあるのだが。

 
 コミンテルン=第三インターナショナル:共産主義インターナショナル。世界各国の共産党の国際組織。1919年(大正8年)、レーニンらの指導下にモスクワで創立、国際共産主義運動の指導に当たったが、43年、解散。コミンテルン。(広辞苑)

 何とも皮肉なことであるが、結果として日米開戦でその目的が達成されたから解散したんだろうか?!。


 田母神氏が指摘された「日米開戦時の米国大統領フランクリン・ルーズベルトの政権の中に300人ものコミンテルンのスパイがいた」とは驚きであると同時に、それならば、日本側にも当然コミンテルンのスパイが権力の中枢に存在したと解釈すべきだろう。

 その容疑者は長年権力の中枢にあって、戦犯の容疑もかからなかった『米内光政』であるらしい。(以下、佐治喜彦氏の「太平洋戦争の謎」日本文芸者新書212ページあたりを抜粋援用させていただく)

 
 ところで大東亜戦争に敗戦後、阿南惟幾陸軍大将が切腹(自害)するにあたり、吐き捨てた『遺言』とは、「米内光政を斬れ!」だったという。

 彼は連合艦隊指令長官から、林銑十郎、第一次近衛、平沼内閣の海軍大臣を務め、自らも内閣総理大臣に就任、小磯内閣の海相、鈴木終戦内閣、東久邇、幣原内閣の海相を務めた。実に帝国海軍大臣に恋々とした海軍の長老であったという。

 天皇陛下にも不戦派として覚え目出度かった彼は、ロンドン海軍軍縮条約も支持し、陸軍に対峙して日独伊三国同盟締結にも反対した。・・・・表の顔は平和主義者であったのだが、裏でどのような日本破壊工作をやっていたか知れない実に怪しい人物であったらしい。『フリーメーソンであったとかコミンテルンのスパイであった』とか、疑われる節が当時もあったのだろう。「米内光政を斬れ!」と言って割腹した阿南陸軍大将の無念さが偲ばれます。

 日本の和戦選択の重要な岐路に、必ずと言ってよいくらいこの人物の影が隠顕し、しかもこの人物の言動が結果的に日本を真珠湾に到る道へと導く役割を果たしていた。

 彼が第一次近衛内閣の海相だった時、北部の局所的武力衝突だった支那事変を上海から支那大陸全土に拡大した。

 石原莞爾の日支和平の切り札としての近衛・蒋介石会談を実質的にぶち壊した。つまり、腰の重い近衛が石原の提案にようやく乗ろうとしたとき、海軍の航空隊がいきなり渡洋爆撃、東シナ海を横切って国民党の首都南京を爆撃した。これが、近衛・蒋介石会談を計画した日支戦争不拡大、停戦、和平派の石原の構想を瓦解させる決め手となった。近衛首相はこのニュースを新聞で初めて知って驚いたと言う。

 日支和平の最大のチャンスであったとされるトラウトマン工作についての米内光政の姿勢も問題だ。閣議の席上で、外相の広田弘毅が意見を問われてなぜか沈黙している時、彼はやにわに「僕は和平成立の公算はゼロだと思う」と発言したという。支那事変を起こした陸軍の、杉山陸相でさえ、このチャンスに和平をと願っていたのに平和派の米内が何故それに水をさすような態度をとったのか、これも大きな謎である。

 小磯内閣のとき、支那から蒋介石内命を受けたと称するミョウヒンが和平工作に来日したことがあった。これは石原莞爾の東亜連盟系の人々の努力の成果であった。だが米内海相は重光外相と共に、一顧だに与えなかった。

 ・・・・このように、日本の進路が極めて微妙かつ困難な時点にさしかかると、米内光政という航海長の影が浮かび出てくる。そして、彼が舵輪にタッチすることによって、「日本丸」の航路は結果的には破壊に向かって加速することとなった。戦時中、一部の人から、彼がフリーメーソンの高位のメンバーだという噂が流れたことがあった。勿論その真相は不明であるが、これも大東亜戦争をめぐる大きな謎の一つというべきだろう。終戦の際自決した阿南陸相は、最後に「米内を斬れ」と言ったが、その謎めいた言葉は、彼が米内の実態を知っていたからかもしれない。(以上抜粋援用)

 極東軍事法廷では、広田弘毅は文官でありながら『表』の顔だったから、A級戦犯として処刑され、『裏』で支那事変継続を工作したと思しき米内正光は容疑者にもならなかったという事実は重い。コミンテルンもフリーメーソンも大日本帝国を壊滅させることが目的だったのだから。

 満州国を越境したあたりから、共産主義者の罠に嵌り込んでしまったのでしょうね。

 この田母神氏の論文(最優秀賞を獲得したから、衆目の集まるところとなった)による問題提起はそれなりに意義のあることだと思う。しかし、解散総選挙しか先のない麻生政権下では、時節柄『まずい』と言うことに尽きるのだろう。