忌野清志郎さんの追悼は、「のえ」と同じ佐野駅前で。
バイク旅の途中で清志郎さんの訃報に触れました。私にで
きるのは、感謝の思いを込めて歌い、歌い続ける事。
そして、社会全体がRCを中心に回っているとも感じられ
た高校生の頃を伝える事。きっと日本全国の学校の生徒指導
の先生も、RCサクセションというバンドと忌野清志郎とい
う歌い手の存在をはっきりと意識したと思うよ。新聞に赤線
引いて名前を覚えたはずだ。あの時、俺たちの世界では、テ
レビも、雑誌も、学校でさえ、RCと忌野清志郎を中心に回
っていたのだ。
路上音楽情報紙「ダダ」編集発行人・青柳文信
追記・今日、原宿のクロコダイルで清志郎さんとも縁のある
グリコというドラマーが太鼓を叩くTENSAWという古いバン
ドの再結成ライブの都合で渋谷に行った。たまたま入ったタ
ワーレコードの1Fには「清志郎・追悼」の文字(そうだ。
この店はかつて清志郎がギターを抱えて街頭ライブをした場
所だ)。そのコーナーの前で跪く人を見た。
20歳前半の女性。悲しみのためか? あるいは、周囲の人
達へのアピールのためか? 理由はわからない。でも、気持
ちはわかるのよ。清志郎さんは、まぎれもなく自分の歌をつく
り歌い切って、この世の中から去ったのだけれど、彼の歌には、
「これって自分の事を歌ったんじゃないか」と感じられる作品
がいくつもあった。だから、「有名人の死」とらえられない、
あるいは、とらえたくないのだろうね。
追記2・古くからの清志郎さんのファンの間で気になるのは、
仲井戸麗市さん、新しいバンドのバンマスの三宅伸治さん、そ
して、小川銀次さんとか、かつて音楽活動を一緒にした人達が、
どう事実を受け止めているか。銀次さんは、自身のブログで気
持ちとエピソードを書いていました。三宅さんは、「ボスが見
ている気がして」と地方でのライブを予定通りこなすとブログ
に。チャボさんは、恐らく、深い悲しみの中にいらっしゃるの
でしょう。チャボさんの悲しみは、ちょっと想像ができない。
40年近く、波長がばっちり合った友達がいなくなってしま
ったのだから。