深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

気持ち悪い

2018-05-29 09:45:15 | 趣味人的レビュー

とある鉄工所に元週刊誌記者の益田君(生田斗真)とともに見習いとして入ることになった、鈴木と名乗る1人の青年(瑛太)。既に溶接の資格を持っているという鈴木君は益田君よりずっと仕事ができるが、いつも少しうつむいて無表情で、なぜか周りの人間に心を開こうとしない。だが、たまたま町で出会った女性(夏帆)の窮地を救うことになり、その彼女から好意を寄せられ、また鉄工所で益田君がケガをした時の冷静な対応が評価されて、次第に周囲と打ち解けるようになる。
そんな時、益田君は記者時代の元同僚(山本美月)から相談を受ける。最近起こった児童殺害事件について、編集長から17年前の連続児童殺害事件と絡めて書くように指示された記事の原稿がボツになった、というのだ。そして17年前の事件の資料を見ていた益田君は、その事件の犯人だった少年Aが鈴木君であることを知ってしまう…。

神戸で起きた連続児童殺傷事件(いわゆる酒鬼薔薇事件)をモチーフにしたと思われる薬丸岳の原作を、映画『64―ロクヨン―』を撮ったチームが再結集して映画化した『友罪』。以下はそのレビューである(私は原作を読んでいないので、あくまで映画に対するレビューね)。
なお、ネタバレするつもりはないがストーリーについてかなり突っ込んで述べるので、これから見ようという方は注意されたい。



まず、元少年Aの鈴木君を演じる瑛太の人物造形がとても見事である。朝日新聞の記事の中で彼は、この役を演じるに当たって酒鬼薔薇事件の少年Aが書いた『絶歌』を読み込み、

「Aが書いているような衝動を、僕自身も持っているんじゃないか、と常に問いながら演じました。そうするうちに、鈴木だったらこうするだろう、ということが腑に落ちてきた。(中略)
1カット1カット、鈴木ならどこの筋肉を動かすかとか、どう目線を落としていくかとか、芝居を組み立てていくことに集中していました」

と述べている。そうやって造形された鈴木は、(現実の酒鬼薔薇事件の少年Aがどうなのかはわからないが)『友罪』において強烈なリアリティを放っていた。
なお、これは私の個人的な興味だが、『友罪』でも重要な登場緒人物の1人として出演している忍成(おしなり)修吾なら鈴木をどう演じただっただろうか、と思う(忍成修吾はかつて映画『ヘブンズストーリー』で、少年時代に幼児とその母親を惨殺した青年を演じている)。

けれども全体としてみると、『友罪』という映画を私は好きになれなかった。

鈴木君が元少年Aだと知った益田君が、鈴木君を呼び出して詰問するシーンがある。物語の成り立ち上、連続殺人犯である鈴木君のカウンターパートに立つ益田君は、世の良識の代表として正論を述べなければならない立場わけなだが、「死んだ人は生き返らない」、「遺族の感情を考えたことがあるのか」など、彼の放つ正論が何とも言えず気持ち悪い。聞いているとゾワゾワしてくる。正論というものがこれほど気持ち悪かったのは、これが初めてだ。
その理由の1つは益田君のキャラクタ設定にある。鈴木君のカウンターパートに立つ彼も、実は自分の過去の罪に苦しみ、夜もうなされ続けている、という設定なのだが、その過去の罪というのが「え、こんなこと?」という程度のもので(実際に彼の「罪」が明らかになるのはラストになってからだが、かなり早い段階でそのヒントを与えるシーンがある)、そんなことを「罪だ罪だ」と後生大事に抱えている益田は、単なる自意識過剰のナルシストとしか思えない(し、そう考えるとラストでの益田の行動の意味がより明確になる)。正論もそんなナルシストの口から出れば、気持ち悪いのも道理だと言える。

もし私が基本設定を踏襲しつつ『友罪』という作品を作り直すとしたら、鈴木君と益田君のキャラにちょっと手を加えたい。鈴木君は最後の最後まで彼が本当に少年Aだったのか、という点を曖昧なままにし、逆に益田君にはもっと壮絶な罪がありながらそこから目を背け続け、最後まで自分を棚に上げたまま、本当に少年Aかどうかも分からない鈴木君に対して良識の権化となって平然と正論を吐いて責める、「少年Aとはまた違った意味で怪物」というキャラを与えたい(一方が少年A(かもしれない)人物だから、カウンターパートもそのくらいインパクトのあるキャラじゃないと釣り合いが取れない)。

とはいえ、実は「世の中に隠れ住む少年Aの話」は『友罪』という物語の一部でしかなくて、この作品が描いているのは「それぞれの罪への向き合い方」なのだ。だから「少年Aの話」とは関係ない物語も同時進行していて、少年Aを目当てに行くと肩すかしを食わされる。通常は、「一見無関係に思えたそれぞれの話が最後に1つにつながって、本当の物語構造が明らかになる」といった展開になったりするが、『友罪』については全くそのようなことはない。だから予告編は明らかに視聴者をミスリードするように作られていて、そういう意味でも『友罪』は気持ち悪い。これなら『ミスミソウ』の方がずっと潔くて真っ当だ。

だから私は『友罪』という作品は買わない。

 


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