2011年の震災を機に数学をやり直すことを決めた。その時のことについては過去記事「数学をやり直すことにする 1」と「同2」に書いた通りだが、始めた当初は「曲がりなりにも大学で4年やっていたんだから、3年くらいあれば、下手したら論文が書けるくらいのところまで行っちゃうんじゃないかなー」くらいに甘~いことを考えていた。ところが、とてもそんな話では済まなかった。
大学数学も高校までの数学を前提にしているわけだが、それすら忘れていて、新入生より下の状態からのスタートだった。その上、実は大学時代も自意識だけは強いものの全然勉強してなかったことが判明し、7年半経って期間的には大学院博士課程も終わってるはずが、いまだに数学科3,4年生レベルの本をエッチラオッチラ読んでいる始末だ。
時には数学書を開くのが怖くてたまらないこともある。開いた途端、自分が才能のカケラもない、ただのバカヤロウであることを思い知らされるから。若い頃は、それでも自分には才能が隠れてるんじゃないか、という淡い期待を持てるだけの時間的余裕とエネルギー(と傲慢さ)があったものだが、さすがに今は冷徹な現実を黙って受け入れることしかできなくなった。
そもそも治療家が医学や治療の勉強もせずに数学なんかやってて、ホントに意味あるのか?というのも、当初からずっと疑問としてある。実際これまで何度も、意味ないからやめようと思ってきた。それでも結局、やめることができずに、今もありったけの勇気を振り絞って数学書を開いて、勉強を続けている。それは、その先で何か根源的なものに触れることができる、という予感にも似た思いが自分の中にあるからだ。もちろん、それは何の根拠もないものなのだが。
そんな中、『数学セミナー』2018年4月号にこんな記事を見つけた。ちなみに『数セミ』は毎年大体3~5月号で数学科新入生に向けた特集が組まれ、この号でも特集は「なぜ数学を学ぶのか」だった。このお題に対して数学や数学関連の研究をしている何人かが原稿を寄せているのだが、東北大学大学院理学研究科の小谷元子氏は「数学はやめられない」というタイトルの記事で次のように書いている。
なぜ数学を学ぶのか、もしこの問いが数学研究者に向けてのものであれば、答は「やめられないから」である。研究はやめられると思うなら続けられない。(中略)
私は現在、世界に先駆けてできた、数学と材料科学の研究者が一つ屋根の下に住む東北大学の研究所、WPI-AIMRにおいて、材料科学に数学的な視点を持ち込むことを目指し研究を行っている。(中略)
しかし、それにして不思議なほどに、数学が役立つ。数学の内的な動機に基づいて発見され発展してきたさまざまな数学的な概念が、なぜかピッタリと物質構造と機能の相関を記述することに当てはまるのである。このようなときに、どうしてこの世界はこれほどうまく整合しているのかと感じる。それはこの物理世界が不思議な理(ことわり)に統べられており、自由性ゆえに自然の声を聞き取ることで発展してきた言葉が数学だからだろうか。数学を通して、自分が生きている物理世界の根源を見ることができるかもしれないと知れば、その欲望を抑えることは難しい。(後略)
私のように大学院にも進むことができずに数学の世界をドロップアウトし、研究者になるわけでもないのに今頃になって数学科の学部レベルをやり直している者と、今まさに研究者としてバリバリ活躍している小谷氏とでは全く比較にならないが、それでも自分と似たようなことを考えている人がいるというのは嬉しい驚きだった。
そう、数学には根源へとつながる何かがあるのだ。その一端でもうかがい知ることができたら、というその気持ちがある限り、やはり数学はやめられない。
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