深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

行こう、ハーモニーの世界へ

2015-11-17 21:47:26 | 趣味人的レビュー

たった3冊の長編といくつかの短編だけを残して去った夭折の作家、伊藤計劃(けいかく)。その彼の2冊の長編『虐殺器官』、『ハーモニー』と、冒頭わずか30ページだけの絶筆で、その後を盟友、円城塔(えんじょう とう)が書き継いで完成させた『屍者の帝国』の3本をアニメ化するProject Itohが2014年に始動し、現在『屍者の帝国』と『ハーモニー』が劇場公開されている(本来は『屍者の帝国』→『虐殺器官』→『ハーモニー』の順で公開される予定だったが、『虐殺器官』は完成前に制作会社のマングローブが倒産してしまったため、公開が延期になった)。

そして私も、『屍者の帝国』に引き続いて『ハーモニー』を見てきた。あの「テキストの形でしか表現できない」部分をどうアニメにするんだろう、と思っていたが、思いのほか上手く作られていて、見ていて全く違和感がなかった。

ただ、全編冒険活劇だった『屍者の帝国』に比べると、物語が静謐な分、途中とても眠くて何度もウトウトしてしまった(特に日本に帰国したトァンがキアンと展望レストランで邂逅を果たすシーンの前後)。それは既に小説を二度読んでいて、物語を知っていたせいもあるだろう(『屍者の帝国』も小説を読んでいたが、あまり内容を理解していなかった上に、映画版では内容がかなり改変されて──しかも、よりよくなって──いたので、眠くなることはなかった)。

ここでまず、私が以前ブクレコに書いた小説『ハーモニー』についてのレビューを引用しよう。

初めて読んだのは2010年の夏か秋、『虐殺器官』を読んだすぐ後のことだったように思う。『虐殺器官』の、あの鋭利な刃物のような物語が鮮烈に心に焼き付いていて、またあんな物語が読めるのか、とワクワクしながら『ハーモニー』を開いた私は、それが何だかひどく「なまくら」な話に思えてガッカリした覚えがある。

それから4年。2015年に『虐殺器官』とともに劇場映画化されることになったこともあって、『ハーモニー』を再読してみる気になった(『虐殺器官』はずっと前に再読している)。

4年ぶりに読む『ハーモニー』は、まさに伊藤計劃らしい、心をえぐるような深い話として読めた。かつては「なまくら」のようだと感じたこの物語は、紛れもなく『虐殺器官』の続編だった。

「テロとの戦い」が臨界に達した世界を描いた『虐殺器官』から、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉を経て、今度は生き残った人間たちの生命と健康の保全を統治機構の最大の責務と見なす生命主義が台頭し、政府が生府と呼ばれる医療合意共同体に取って代わった社会。
大人になると恒常性監視プログラムが体に埋め込まれ、不健康であることが簡単ではなくなった世界の中で、3人の少女たちは小さな反乱として自殺を試みる。しかし2人は生き残り、そのうちの1人、霧慧(きりえ)トァンは、赴任先のニジェールで禁止されているはずの酒やタバコをやって生府へのささやかな抵抗を示している、WHOの監察官だ。そのトァンが日本に帰国し、もう1人の生き残りで今は模範的な市民になっている零下堂(れいかどう)キアンと展望レストランで食事をしていた時、世界を揺るがす事件が起こり、それを追うトァンの前には死んだはずの御冷(みひえ)ミャハの影が見え隠れし始める…。

『ハーモニー』が描くのは意識とは何か、そして人間とは何か、である。

ピーター・ラッセルは著書『グローバル・ブレイン-情報ネットワーク社会と人間の課題-』の中で、この宇宙はエネルギーから物質を生じ、物質から生命を生じ、生命から意識を生じた、という趣旨のことを述べている。

では、意識を持った存在としての人間の完全なる調和(ハーモニー)の果てにあるものとは何か? この本に書かれているのは、科学的アプローチの結果ではなく、伊藤計劃(けいかく)という作家の直感から導かれた、この問いへの最果ての答である。

そして劇場アニメ『ハーモニー』は、この原作を非常に忠実にアニメ化している。これはその予告編だ。



個人的には、霧慧トァンの声が沢城みゆきというのは今でも違和感がある。トァンは学生時代の“あの出来事”を境に自分自身を見失い、大人になってからもずっと消えた友だちの影を追い続けている、という設定なので、沢城みゆきの「男前な声」はそぐわないように思うのだ。
だが映画版では、トァンとミァハは「百合」的な関係にあるという裏設定があるようなので、むしろその「男前な声」を狙って沢城みゆきをトァンに起用したのだろうか。

物語は社会システム、政治、軍事、医療、技術、哲学、思想といったさまざまな要素が入り乱れながら御冷ミャハの出自の謎を巡って進み、トァンとミァハの邂逅は結果として人類そのものを大きく変貌させることになる。その果ての姿は『エヴァ』の人類補完計画に対する、伊藤計劃からの回答のようでもある。

と同時に、実はこれ、学生時代に仲のよかった2人の女の子が、大人になって大喧嘩したって話でもあるのだ。ただ、その2人は今やそれぞれ大きなポジションに着き、力も持ったので、その喧嘩が人類全体の命運をも左右することになってしまった、というわけ。何にも関係ない人達にとっては、すっげえ迷惑なハナシ。

つまりは、そんな人類の命運さえ、その原因は個人の愛憎に還元されてしまう。そんなマクロとミクロとの等価性こそが『ハーモニー』という物語の本質なのかもしれない。錬金術における奥義「上の如く、下も然り」のように。そして、全ては一つの調和(ハーモニー)へと向かって進んでいくのだ。ならば、来たるべきそれを見極めに──

行こう、ハーモニーの世界へ。


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