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「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

サバイバル・スキルとしての文章作成技法

2015-11-13 13:08:44 | 趣味人的レビュー

これは「ブクレコ」に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』のレビューとして書いたものに加筆修正したものである。

メール、掲示板、ブログ、SNS、twitter…と、ネットにさまざまなツールが登場して、個人がほとんどコストなしに自分のメディアを持って、手軽に情報発信できるようになった。

そして、多くの場合、情報はテキスト──つまりは文章──を伴って発信される。下手なことを書けば、それこそ全てを失いかねない(し、実際にそうなった人もいる)。つまり、大袈裟に言えば、個人においてもどのような情報を発信するかが死命を制するようになった、とも言える。今という時代を生きる上で、「文章作成技法」を身につけることは、もはや基本的なサバイバル・スキルになったのである。

ところで、こうしてブログに独りよがりの文章を書いているが、私はこれまで何の根拠もなく「自分は文章が書ける」と思ってきたから、「文章の書き方」みたいな本はほとんど読んだことがない。そんな私だが、本屋で内容をぱらぱらと見て──「なんちゃってフォトリーディング」して(笑)──「これは読んどこう」と思ったのが古賀史健の『20歳の自分に受けさせたい文章講義』である。


そういえばビジネス書でも「文章の書き方」を正面切って取り上げた本って、あまりないような気がする。インプットを増やす方法(フォトリーディングとか)や思考の整理術(マインドマップとか)を取り上げた本はそれなりにあるが、それをどのように文章にまとめるか(=言語化していくか)については多くを語られていない。いや、むしろ「圧倒的にインプットして、それが自分の中で整理できてさえいれば、それは自然に文章化することができる」と思われているフシもある。

けれども、それは大きな間違いだと思う。私は以前、専門書の翻訳をチョコッとやっていたことがあるが、その時、骨身に染みて実感したのは「その文章の内容が理解できることと、それを日本語の文章にできることは全く違う」ということだ。どれだけインプットして、それを整理しようが、文章化するための方法を知らなければ、文章にはならない。

いや、形の上ではいくらでも「文章化」することは可能だ。けれども、そんな文章は誰に対しても何の意味も価値もないし、「誰に対しても何の意味も価値もない」ものなど、存在していないのと同じだ(そしてもちろん、ネットなどで見かける文章の圧倒的に多くは、そうしたものである)。


古賀史健がこの『20歳の自分に~』で書いているのは、フリーライターとして現場で身につけた「文章の書き方」に関するノウハウである。ノウハウというと軽い感じに捉えられてしまうが、いわゆる「小手先の技」ではない。書かれているのは

・文章では「なにを書くか?」ではなく「なにを書かないか?」こそが重要。
・“自分の意見”こそ最大の伝えるべきことであり、大切なのはその“自分の意見”は完全な主観であり、感情であるということ。
・本当のリアリティは、“面倒くさい細部”を描写することで生まれる。
・必要なのは、隣に立つことではなく、読者と同じ椅子に座ること。
・推敲とは(その文章を書いていた時の)過去の自分との対話。

など、いずれも本質的でありながら、つい忘れがちなことばかりで、読みながら自分が文章を書く上でしてきたことの意味を再確認することができた。

ノウハウ本には、一通り読んだらもう要らなくなってしまうものと、手元に置いて機会があるたびに何度も読み返したいものの2種類があるが、この本は間違いなく後者だ。私は20歳を遙かに過ぎてしまったが、本当にそう思う。


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