深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

日本学術会議がホメオパシー排除を勧告

2010-08-25 14:33:04 | 一治療家の視点
朝日新聞は8/25の1面トップで、日本学術会議が会長談話の形で、ホメオパシーは「科学的な根拠は明確に否定され、荒唐無稽」として「今のうちに医療現場から排除されないと『自然に近い安全で有効な治療』という誤解が広がり、深刻な事態に陥ることが懸念される」と発表した、と報じた。これは、日本学術会議がホメオパシーを公式に否定し、医療現場から排除するよう勧告したということであり、この会長談話は今後さまざまな形で波紋を広げていくことになるだろう。

ホメオパシーは同種療法とも呼ばれ、症状を引き起こす物質を溶かした水を希釈を繰り返した後、それを砂糖錠にかけたもの(レメディ)を作製し、それを摂らせることでさまざまな病気を治癒させる、という方法。その希釈回数を増やせば増やすほど効果が高まる、というのがホメオパシーの基本理論だが、そうすると元の物質が1分子も含まれない「ただの水」(注1)になってしまうため、通常の西洋医学的な医療関係者だけでなく代替療法家の中にもホメオパシーを疑問視する人は少なくないように思われる。

(注1)ホメオパシー的な考え方では、希釈を繰り返すことで水の中に元の物質の情報が記憶される、ということなので、ホメオパシーの立場では、それは決して「ただの水」ではない。

ウチの治療院の場合、「いわゆるホメオパシー」は行っていないが、施術の中でホメオパシーより遙かに不可解で説明もできないことも行っているので、ホメオパシー理論を真っ向から否定する気にはなれない。例えば、ホメオパシーを非科学的と否定する際にしばしば使われる「『ただの水』なんかで病気が治るはずないだろう」という言説は、(通常医療でも代替医療でも)「そもそも何かをしなければ病気が治るはずはない」という考え方に基づくものだが、クラニオセイクラル・ワークの祖とされるウィリアム・ガーナー・サザーランドは、途中からそれと相矛盾する事態に遭遇してしまっている。

サザーランドは自力でクラニオの体系を作り上げていく中で、「何もしないことが最大の効果を生む」というところに立ち至ってしまった。ただ彼はそれを「薄気味悪い」として、晩年になるまで誰にも語らなかったという。それはそうだ。だって、語ろうにも語るべきことが何もないのだから。そのサザーランド晩年のクラニオは、バイオダイナミックなクラニオセイクラル・ワーク(クラニオセイクラル・バイオダイナミクス)と呼ばれている(注2)

(注2)サザーランドの「何もしない」ということの解釈を巡っては、バイオダイナミック派の中にも、アプレジャーの創始したクラニオセイクラル・セラピーのような物理的な操作を行わないだけだとする穏健派(?)から、施術者が患者に向かって心の中で何かを思うこともサザーランドの考えに反するとする原理主義者(?)まで、さまざまな立場がある。

「施術者が自分自身を限りなく希薄化させることが最大の効果を生む」とするバイオダイナミックなクラニオと、「希釈を繰り返すほど効果が高まる」とするホメオパシーとは、偶然かもしれないが、とてもよく似ているように私には感じられてならない。私がホメオパシー理論を真っ向から否定する気にはなれないのには、そうしたことも無関係ではない。

だから私にとってホメオパシーの問題は、希釈を繰り返した「ただの水」から作ったレメディを患者に与えていることではない。本当は、真に問題としなければならないのは、西洋医学的な医療を全否定し、ホメオパシーこそが絶対だとする、カルト化してしまったホメオパスの存在なのではないか。もちろん多くのカルト教団の信者がそうであるように、彼らも自分がカルト化してしまっていることに気づいていない。彼らが悪意や単なるビジネスとしてオステオパシーをやっているのなら、まだ救われる。救われないのは、彼らのほとんどが本当に善意から、ホメオパシーを心から信じて行っていることにある。悪意や商売目的ならどこかで歯止めが効くが、善意にはそもそも歯止めがないからだ。

そして、一部のホメオパスがカルト化したことの背景にあるのが、医療不信である。患者のたらい回し、薬漬け治療、繰り返される医療ミス、…そうしたことへの反動が、過激な代替医療信奉者(注3)を生み出しているということを、通常医療の側は認識しなければならない。その上で、今回の学術会議の会長談話の持つ意味を少し別の角度から見てみよう。私は、この会長談話が医療を巡る振り子の転換点になるのではないか、と思っている。

(注3)これはもちろんホメオパスだけではない。

かつては医者の権威は絶対とされ、「患者は医者の言うとおりにしていればいいんだ」という形で保たれてきた医療が、インフォームドコンセントなどの導入や医療ミスが社会問題化する中で、その振り子が医療不信という方向に大きく振れ出したのが15年前くらいだろうか。その後、新人医師の研修制度が変わり、医療制度改革と相まって今の医師不足・医療崩壊へと繋がっていくわけだが、そういう中で西洋医学的な医療へのアンチテーゼとして代替医療に対する関心が高まった。つまり、ここ15年くらいは、冷たい通常医療から自然に即した代替医療へ、という方向に振り子が動いていたわけだ。

その振り子が今度は、根拠のない非科学的な代替医療から科学的な通常医療へ、という方向に変わりつつあるのではないかという気がしている。その予兆は今回の会長談話だけではない。例えば、以前何度かここでも記事を書き、議論になった『代替医療のトリック』の刊行、そしてイギリスでのホメオパシーを医療保険の適用から除外する動き、など。そして今はホメオパシーが問題の中心にあるが、ホメオパシーだけが排除されたらそれで終わり、などと思うべきではない。一方の極にまで振れた振り子は、次はもう一方の極まで振れるものだから。そういう意味で今後、代替医療を巡る環境が大きく変わることも考えておかなければならないだろう。
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19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ひろひろひろ)
2010-08-26 11:25:19
実際にホメオパシーを使ってる医師は、この件についてどう考えているのでしょうね。
帯津先生とか。

私たちもホメオパシーと同じく波動転写という概念を使って治療をしているので、とても他人事ではないですね。

ただ残念なことに周りを見ると、自分の治療法を絶対だと思うあまりか他の大体医療に対して否定的だったり攻撃的だったりする人が少なくないです。
まあ、これはカイロプラクティック関係者だけに限ったことではないのでしょうが。

ホメオパシーなんて他人事と思ってるうちに自分のお尻に火がついていたなんてことがないよう気をつけたいものです。
返信する
帯津先生、どうする? (sokyudo)
2010-08-26 12:40:58
>ひろひろひろさん

他のブログを見ると、やはり一部に「帯津先生がどう出るか?」みたいな記述が見られます。私も気になりますねー。さぁ帯津先生、どうする?

波動転写に関しては、学術会議がホメオパシーの排除を勧告したのは医療現場に対してですが、我々のような治療院はそもそも法的には医療を行う場ではないので、関係ないンじゃないでしょうか。

ただ、確かに治療家は「お山の大将」にならないように注意しなければなりません。
返信する
Unknown (ひろ)
2010-08-27 08:39:22
現実問題としてオステオパシーを掲げて商売をやっている私としては単に名称が似ているというだけで勘違いされるということも発生しています

私はホメオパシーのことは理解できないので、もし批判するのであればきっちり勉強してから批判させていただくことにします
自分の立場や考え方が違うというだけでは的を得た批判ができるのかどうかも疑問です

自分たちが正しいと信じる民間療法と自分たちが正しいと信じる西洋医学との不毛の論争になるのだけはやめにしてもらいたい気持ちです
返信する
批判する態度 (sokyudo)
2010-08-27 17:43:27
>ひろさん
>もし批判するのであればきっちり勉強してから批判させていただくことにします

そうです。それが本来、批判する側の態度なのです。世の中には聞きかじりの情報だけで批判したり、一体何を批判したいのか本人もよくわからないまま批判しているようなのが大半ですから。

>自分たちが正しいと信じる民間療法と自分たちが正しいと信じる西洋医学との不毛の論争になるのだけはやめにしてもらいたい気持ちです

これは形を変えた「正義」についての議論に読み替えることができます。皆さん、マイケル・サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)でも読んで勉強しましょう。
返信する
かくして魔法は破綻し、矛盾が振りかかった。心せよ伝統派、汝の魔法は矛盾なり (科学技術結社連合 有機創世派)
2010-09-02 22:51:39
お久しぶりです。
今回の件は、少なくとも私にとっては大きな意味を持っています。
代替医療はこの件を契機に、これまでのように己の【魔術】を行使することは難しくなるでしょう。(嫌な言い方かもしれませんが、証明されていない効果を主張している以上、それは魔法と言わざるを得ません)。
今後この問題は他の代替医療にも波及するかもしれません。その時、エビデンスを持たない医療は、その立ち位置を問われることとなるでしょう。当然、キネオロジーも。
返信する
その点は同感です。 (sokyudo)
2010-09-03 08:47:15
>有機創世派さん

お久しぶりです。私は有機創世派さんとは立場を異にしますが、
>今後この問題は他の代替医療にも波及するかもしれません。その時、エビデンスを持たない医療は、その立ち位置を問われることとなるでしょう。当然、キネオロジーも。
という点は同感です。今は(実際に死亡事故が起こったということもあって)「ホメオパシー叩き」という形になっていますが、学術会議が「科学的根拠がない」ことを医療現場からのホメオパシー排除の理由にしていることから、例えばO-リング・テストを含むキネシオロジーが同じ理由で排除の対象になることも十分考えられるからです。

ただ治療家である私たちのことを述べるなら、本文でも書いたように私たちのやっていることは法律上は医療行為ではありません(医療“類似”行為ですから)。当然、治療院も医療を行う場ではありません。
また、私は自分のやっている施術内容を明らかにしていますし、もちろん「これで確実によくなります」などということも一切うたっていません。その上で「それでいいから診てくれ」という方に来てもらっています。
ですから、学術会議が何を言おうが、粛々と今の仕事を続けていくだけです。
返信する
Unknown (JSCC関係者)
2010-09-06 14:49:29
初めまして。

もし、よろしければ、日本カイロプラクティック徒手医学会で研究発表しませんか?

テクニックを磨くことも必要ですが、一方でこういう学術的な活動をして行くことが科学として認められるためには必要だと思います。

カイロプラクティックに無理矢理科学性をつけるのではなく、科学的な探究をする姿勢があると言うこと自体が科学であると思います。

是非、先生方もご一考頂ければと存じます。

http://www.jsccnet.org/

返信する
一考してみましたが (sokyudo)
2010-09-06 22:14:00
>JSCC関係者さん

コメントありがとうございます。
せっかく
>是非、先生方もご一考頂ければと存じます。
とおっしゃっていただきましたが、
1.私は自分のやっていることが(一般的な意味で)科学的かどうか(もっと厳密に言えば、科学的に検証可能かどうか)という点には、あまり興味がない。
2.私が今やっていることは、オーソドックスなカイロプラクティックとはだいぶ隔たってしまった。
という理由で、ご期待には添えかねます。

なお、
>科学的な探究をする姿勢があると言うこと自体が科学であると思います。
という、JSCCさんのご意見には疑問を感じます。それが(一般的な意味で)科学的であるかどうかは、あくまで探求した結果に対して言えることであって、「科学的な探求をする姿勢こそが科学」というのは、何だか詭弁のように思われてなりません。
返信する
ありがとうございます (JSCC関係者)
2010-09-07 06:23:02
早速にお返事を頂き、ありがとうございます。

>1.私は自分のやっていることが(一般的な意味で)科学的かどうか(もっと厳密に言えば、科学的に検証可能かどうか)という点には、あまり興味がない。
>2.私が今やっていることは、オーソドックスなカイロプラクティックとはだいぶ隔たってしまった。
>という理由で、ご期待には添えかねます。

それは非常に残念です。

確かにカイロならびに手技療法を科学的に検証することに意味を見いだされない先生方が多いのは事実であると思います。

また、当学会でもそうですが、いわゆる純粋なカイロプラクティックの手技だけを行っている先生はかなり少なくなってまいりました。

以上の二点は、当学会の多くの会員も実際に感じていることであると思います。

しかし、一方で学術的な取り組みをしていくこともカイロならびに徒手医学において重要なことであると考えております。

現代医学とカイロなどはまったく異なるものであると結論してしまうのは簡単ですが、同じ人体を診ている以上、必ず意思の疎通ができる部分があるはずです。

また、気が向いたら当学会の学術大会にでも参加してみて下さい。

DC、 nonDCのみならず、医師や歯科医師、理学療法士など、また、テクニック的には上部頸椎専門からガンステット、オステオパシー、身体呼吸療法など多岐にわたった先生方がおられますので、話を聞くだけでも楽しいですよ。



>なお、
>>科学的な探究をする姿勢があると言うこと自体が科学であると思います。
>という、JSCCさんのご意見には疑問を感じます。それが(一般的な意味で)科学的であるかどうかは、あくまで探求した結果に対して言えることであって、「科学的な探求をする姿勢こそが科学」というのは、何だか詭弁のように思われてなりません。

そうですか。
これも残念です。
私などは代替医療のトリックでEBMなどにより効果を否定されるなどと言うこと自体、その治療法が科学的に分析可能なものであることを証明されているように思います。
そもそも、科学などと言うものは、間違いを指摘されることで進歩するものであると考えます。
そう言った意味で、「科学的な探究をする姿勢があると言うこと自体が科学である」と考えているわけです。
もっと単純に言えば、同じ提言であっても他人を騙そうとして使われるのが詭弁であり、そうでない場合は誤謬であるということですね。
先生も臨床でよくお分かりだと思いますが、失敗した時には多くを学べます。間違えたときこそ、科学は進歩するのではないでしょうか?

人体が科学的に探求できる以上、その治療法が科学的に探求できないはずはないと思っております。
例えば、CRIに代表される身体の脈動は、現状の科学的帰結から考えれば、一定のリズムでしか動くことがない場合、異常であると考えられます。
これは、ある科学的原理を元にした人体に対する考え方の一つであり、絶対に正しいと言うものではありません。
治療理論は絶対に正しいと言うことなどないと言うことが大事であると思います。
基本的に欧米のカイロやオステの理論などと言うものは、実際の治療行為の抽象ですから、その理論から治療を展開するのではなく、臨床経験からその理論に帰納されるような形で理論を把握した方が良いのではないかと言う考え方もあります。
その展開の仕方、理論の構築の仕方を多くの先生が自分の言葉で述べていくことを続けることで、その治療の本質に迫れるのではないでしょうか?

また、当学会からワークショップ等のお願いがいくこともあるかも知れません。
その節は、宜しくお願い致します。

では、先生の今後のご活躍を期待しております。
返信する
うーん… (sokyudo)
2010-09-09 09:26:20
>JSCC関係者さん

研究発表云々の件はさておいて…JSCC関係者さんと私とでは(前回のコメントでも述べたとおり)「科学的」という言葉のとらえ方がまるで違うように思われます。
それにそもそも私は
>人体が科学的に探求できる
とすら考えていません(科学的に探求できる「部分がある」とは考えていますが)。だからもちろん、
>その治療法が科学的に探求できないはずはない
などとも思ってはいないのです(それは西洋医学的な通常医療に対しても同じです)。
だからこそ
>治療理論は絶対に正しいと言うことなどないと言うことが大事であると思います。
には明確に同意します。

>また、当学会からワークショップ等のお願いがいくこともあるかも知れません。

それはかまいません。興味があれば出ますし、興味がなければ出ません。それだけです。
返信する
ご指摘、ごもっともです (JSCC関係者)
2010-09-09 10:58:02
>>JSCC関係者さん
>
>研究発表云々の件はさておいて…JSCC関係者さんと私とでは(前回のコメントでも述べたとおり)「科学的」という言葉のとらえ方がまるで違うように思われます。
>それにそもそも私は
>>人体が科学的に探求できる
>とすら考えていません(科学的に探求できる「部分がある」とは考えていますが)。だからもちろん、
>>その治療法が科学的に探求できないはずはない
>などとも思ってはいないのです(それは西洋医学的な通常医療に対しても同じです)。
>だからこそ
>>治療理論は絶対に正しいと言うことなどないと言うことが大事であると思います。
>には明確に同意します。


私の個人的見解では、科学的探究ができると言うことは、間違っていることを確かめることができると言うことであると認識しております。

間違っていることが分らなければ進歩することもないし、治療が変わることもなく、誰に対して同じ治療をするだけです。

そのため、「治療理論は絶対に正しいと言うことなどない」と言えるのであれば、間違いが提示でき、そこに科学する姿勢が生まれてくるわけです。
また、結果的にその治療法が科学的に有効性を証明できない場合でも、その有効性の証明の手続き自体に不備があるのではないのかと言うのは、科学手に問題提起すべき質ものです。


EBMに関しても同様です。EBM自体が妥当であるかどうかのメタ分析も科学的な提示によって生まれます。
例えば、EBMはその治療法で治る確率を提示することができますが、その患者さん個人がその治療法で治るかどうかはまったく分りません。
これは第10回学術大会で斎藤清二教授の講演で提示されたNBMという考え方に発展していくものだと思います。
http://www.jsccnet.org/meeting-main_10.html

要するに、現状で「人体が科学的に探求できるとはいえない」と言えるのは、科学的な帰結によるものです。
これが「その治療法が科学的に探求できないはずはない」と言うことであり、徒手治療に対する科学的探究の意味です。

例えば。徒手療法の有効性はEBMでは否定されているとします。
しかし、一方で有効だとし徒手療法を選ぶ患者さんもいるとすれば、EBMを無視する患者さんがおかしいのか、患者さんの経験をくみ上げられないEBMがおかしいのかを考えた場合、「自然現象に対して仮説を立て実験観察により検証する」という自然科学の最大の特徴を無視しているとしか言えません。
自然現象である患者さんの経験を優先的に捉えるのが科学的姿勢であると思います。

それに治療理論を有する治療法はすべて、それが正しいかどうかに関係なく、治療と言う自然現象を観察し、そこから提示された理論による再現性(実験)を期待しているものですよね。
そうではなければ、セミナーも開けませんし、書籍にもなりません。
言語化すると言うところに、「自然現象を観察し、そこから提示された理論による再現性(実験)を期待する」というものがあり、それこそが「科学的な探究をする姿勢」であり、即ち「科学」と呼ぶべきものであると思います。

アカウンタビリティと言う言葉がありますが、専門家はお金をもらう以上、自分のしていることを誰にでも分るように説明する義務があるということです。
この時、重要なのは、何がなぜ科学で説明できないのかと言う点を明確にしていくことであり、そう言う姿勢自体が「科学である」と思うわけです。

返信する
ごめんなさい。やっぱりよくわからない。 (sokyudo)
2010-09-10 10:37:39
>JSCC関係者さん

ごめんなさい。JSCC関係者さんの言う「科学的」ということの意味が、やっぱりよくわかりません。いろいろ書かれていて、部分部分に同意できるところもありますが、全体としては自分自身の理解に基づいて「私なりに」それを要約すると、

ある対象物(ここでは何かの治療法)に対して、何らかの根拠によってその可否を判断することは科学的であり、その対象物(治療法)は科学的に探求されていると考えられる。つまり、その対象物(治療法)は科学的である。

ということになります(間違ってたらゴメンナサイね)。
もしそうだとすると、この世界に「科学的」でないものは存在しなくなってしまい(なぜなら、誰しも常にどんなものに対しても何かの根拠の元に価値判断をしているのですから)、そうなると「科学的」そのものに意味がなくなってしまいます。しかし、(少なくとも私の認識する)現実世界ではそうなってはいないので、これは誤りである──というわけで、Q.E.D.

>言語化すると言うところに、「自然現象を観察し、そこから提示された理論による再現性(実験)を期待する」というものがあり、それこそが「科学的な探究をする姿勢」であり、即ち「科学」と呼ぶべきものであると思います。

この部分に対する私の立場はYes & Noです。ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』でもご一読下さい。
返信する
分った気になるよりいいでしょう (JSCC関係者)
2010-09-10 11:37:38
 
>ごめんなさい。JSCC関係者さんの言う「科学的」ということの意味が、やっぱりよくわかりません。いろいろ書かれていて、部分部分に同意できるところもありますが、全体としては自分自身の理解に基づいて「私なりに」それを要約すると、
>
>ある対象物(ここでは何かの治療法)に対して、何らかの根拠によってその可否を判断することは科学的であり、その対象物(治療法)は科学的に探求されていると考えられる。つまり、その対象物(治療法)は科学的である。
>
>ということになります(間違ってたらゴメンナサイね)。
>もしそうだとすると、この世界に「科学的」でないものは存在しなくなってしまい(なぜなら、誰しも常にどんなものに対しても何かの根拠の元に価値判断をしているのですから)、そうなると「科学的」そのものに意味がなくなってしまいます。しかし、(少なくとも私の認識する)現実世界ではそうなってはいないので、これは誤りである──というわけで、Q.E.D.


私から見ると、上記は立派な科学的な解釈であると思います。

しかし、なんだか論理が循環してしまいましたね。
では、このように換言してみたら如何でしょう?

「ある対象物(ここでは何かの治療法)に対して、何らかの根拠によってその可否を判断することは科学的であり、その対象物(治療法)は科学的に探求されていると考えられる。つまり、その対象物(治療法)は科学的に解釈することができる。」

例えば、電子は科学的に解釈されますが、それが電子そのものであるわけはなく、科学的解釈は電子の知ったことではないわけです。それは量子力学と言う科学によっても明らかなことですね。

つまり、この世界に「科学的解釈」できないものは存在していない(科学的に解釈できないと言うのも解釈の一つである)が、その「科学的解釈は常に暫定的であり、正しいと言う保証はない」。そのため、「科学は常に進歩せざるを得ず、なおかつ、その解釈が真実であると言う保証はない」。そのため「科学的解釈の間違いを知るためには科学的解釈によらざるを得ない・・・と言う感じですか。

要するに、現実世界をこのように認識していると表明し、それに何らかの根拠付加したり、客観的理解を得られるならば、つまり「学問として成り立つ」ならば、それはとりもなおさず、【科学】であると言えるでしょう。


そもそも、先生は下記のようにおっしゃられておられますね

>それにそもそも私は
>>人体が科学的に探求できる
>とすら考えていません(科学的に探求できる「部分がある」とは考えていますが)。だからもちろん、
>>その治療法が科学的に探求できないはずはない
>などとも思ってはいないのです(それは西洋医学的な通常医療に対しても同じです)。

上記のような結論を出されることが、何の根拠もない思い付きであるならばともかく、それなりに他者に訴えるだけの根拠をお持ちであれば「科学的認識」と言うべきでしょう。
「科学の限界」と言う形で論文発表できるのではないでしょうか?




>>言語化すると言うところに、「自然現象を観察し、そこから提示された理論による再現性(実験)を期待する」というものがあり、それこそが「科学的な探究をする姿勢」であり、即ち「科学」と呼ぶべきものであると思います。
>
>この部分に対する私の立場はYes & Noです。ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』でもご一読下さい。

その本はかなり前に読んでおります。
クリプキなども合わせて読むと面白いですよね。
「語り得ないもの」を無理に科学の言葉で語れば、「トンでも」ですね。

しかし、「なぜ語り得ないのか?」・・・ということを探究すれば「科学」でしょう。



 

返信する
何の意味が?? (sokyudo)
2010-09-11 23:45:19
>JSCC関係者さん
>つまり、この世界に「科学的解釈」できないものは存在していない(中略)
>要するに、現実世界をこのように認識していると表明し、それに何らかの根拠付加したり、客観的理解を得られるならば、つまり「学問として成り立つ」ならば、それはとりもなおさず、【科学】であると言えるでしょう。

確かにもっともな議論ですが、そうであるなら(前回のコメでも述べたように)世の中の議論のほとんど全てが「科学的」であり「科学的考察」になってしまいます。だとすると、ある議論をことさら「科学的」と言い張ることに一体何の意味があるのでしょうか?

改めて書きますが、私は自分がやっている治療を(通常医療の関係者が主張するような意味で)「科学的」に検証することには何の興味も持っていません。
それと、JSCC関係者さんは以前のコメントでアカウンタビリティについて書かれていましたが、私は説明できなことについては、患者さんに「これについては何の説明もできません」とはっきり言った上で、そういう治療を今後も受けるかどうかは相手に委ねています。私としては、それもまたアカウンタビリティの形だと考えています。
返信する
無功徳 (JSCC関係者)
2010-09-12 11:45:21
>確かにもっともな議論ですが、そうであるなら(前回のコメでも述べたように)世の中の議論のほとんど全てが「科学的」であり「科学的考察」になってしまいます。だとすると、ある議論をことさら「科学的」と言い張ることに一体何の意味があるのでしょうか?


先生は、意味のないことは一切しない方がよいとお考えですか?

私が「科学的」としているのは「特定のある議論」ではなく、「議論をするための姿勢」です。


また、ご指摘のように、ある議論をことさら「科学的」と言い張ると言うことであれば、その意味は、「科学及び科学的考察は正しいのか?」と言うことを考察するためです。

私は科学がなんでも説明できたり、科学的なものが正しいなどと考えていませんから。
まあ、そんなことは科学に携わった人間なら常識であると思います。



さて、「現実世界をこのように認識していると表明し、それに何らかの根拠付加したり、客観的理解を得られるならば、つまり「学問として成り立つ」ならば、それはとりもなおさず、【科学】である」とは、人間の行為や経験を体系化した知識を「科学・学問」と呼ぶと言うことです。

あるテクニックを体系的にレクチャーするのであれば、それは「学問的=科学的」であり「学問的考察=科学的考察」によって行われているはずです。

科学的に説明できないものは、個人の個性に完全に依存したものであり、例えば、「サイババの奇蹟」とかでしょう。
「サイババの奇蹟」が誰でも教えてもらえればできるようになるなどと言うことはありません。
しかし、手技療法はほぼ誰にでもできる類のものです。おそらく、学者になるより素質を必要としないのではないでしょうか?



>改めて書きますが、私は自分がやっている治療を(通常医療の関係者が主張するような意味で)「科学的」に検証することには何の興味も持っていません。

私はJSCCという学会は「通常医療の関係者が主張するような意味で「科学的」に検証すること」だけを目的とした学会ではないと考えております。

各々が何の縛りもない発表の場で、自分の意見を公的に表明するところであると考えています。

そのため、科学的思考と言う点では首を傾げるような発表もありますが、私はそれも手技療法を真摯に考えていこうと言う科学的姿勢であると考えています。

それは科学畑の人間から見れば児戯にも等しい行為かも知れません。しかし、誰かがやるべきことであると思います。
そして、一人一人の研究は非常に小さな積み重ねでしかありませんが、これを10年続けて参りました。
さらに10年、20年と続けていくことが重要であって、究極の答えを出すことが学会の存在理由ではないと思います。

先生は数学と言う論理的思考をお持ちですので、これを生かさないのは勿体ないと思いますよ。



>それと、JSCC関係者さんは以前のコメントでアカウンタビリティについて書かれていましたが、私は説明できなことについては、患者さんに「これについては何の説明もできません」とはっきり言った上で、そういう治療を今後も受けるかどうかは相手に委ねています。


「これについては何の説明もできません」とは、一体何を根拠に言っておられるのでしょうか?

たとえば、先生のご専門である数学の問題に関しても、「解こうとせずに(やりもしないで)分らない」と言うことと、「解こうとしたが(やるだけやったが)分らない」と言うことは同じでしょうか?

「これについては何の説明もできません」とは、「科学的考察」と言う概念があった上での御発言でなければ、アカウンタビリティの放棄としての「欺瞞的説明」ではありませんか?

先生がご自分の治療法を他者に教えられるのであれば、「科学的」に検証することには何の興味もないとしても、「これについては何の説明もできません」と患者さんに説明するための科学的根拠が必要なのではないでしょうか?



 
返信する
議論を打ち切りたいのですが (sokyudo)
2010-09-12 23:11:27
>JSCC関係者さん

いろいろ書かれていますが、それを読んでも、「科学的」あるいは「科学的考察」というものに対する考えが私とは違うんだな、ということを感じるだけです。

私はここで両者の意見の差を埋めようとも、埋められるとも思っていませんし、これ以上は、これまでの繰り返しに終始してしまうと思われますので、JSCC関係者さんとの議論はここで打ち切りとしたいです。

JSCC関係者さんも、こんなところで不毛な議論を続けるより、別のところで徳を積まれる方がずっと有意義ではないでしょうか。
返信する
議論をしているつもりもありません (JSCC関係者さん)
2010-09-13 06:25:36
では、これまでということで。

タイトルにもあるように私はこの件について何ら議論をしているつもりはありません。

単なる意見表明ですから。

先生を説得するつもりもまったくございません。

科学的姿勢と言うものは、他者の意見を尊重するところに存在すると思っております。

では、先生の今後のご活躍を期待しております。


 
返信する
感想 (JSCC関係者の同僚)
2010-09-13 09:25:00
JSCC関係者氏の同僚であるので、JSCC関係者よりの感想になってしまうと言うことを先に明示しておきます。

1:sokyudoさまのお考えは「ターグル原理主義者」の方々と同じであるように思いました。

2;sokyudoさまはJSCC関係者氏の考えを否定されましたが、通常の科学者が否定するとは思えません。

上記、あくまで個人的見解であり、sokyudoさまの考え方を否定・批難するものではないと言うことを宣言しておきます。
返信する
ご意見拝聴いたしました。 (sokyudo)
2010-09-13 09:59:39
>JSCC関係者さん、JSCC関係者の同僚さん

ご意見拝聴いたしました。
小ブログにコメントいただき、ありがとうございました。
返信する

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