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アニメ『バビロン』がヤバい

2019-11-25 11:19:50 | 趣味人的レビュー

2019年も11月の下旬になり、秋期のアニメも佳境を迎える中、『バビロン』がヤバいことになってる。
『バビロン』は現在、TVで第7話まで放送されていて、Amazon Prime Videoでも放送済みの7話分は自由に見ることができるはずだ。けれども第8話の放送が予定されているのは12/30で、しかもこの第8話が最終話となる。そしてその間は第1~7話が再放送される。

通常、民放ではアニメもドラマも1クール単位の放送が基本で、大体1クールだと12~13話、2クールなら24~25話のような話数になる。ドラマの場合、視聴率が3%を切るような、いわゆる“爆死”状態になると話数が削られて10話とか、ひどい時には9話といった実質打ち切りになることもあるが、アニメでは『サザエさん』や『ドラえもん』といった超人気作を除けば元々視聴率など微々たるものだから、そうしたことはまずない。ただ最近は無理な制作スケジュールでクオリティが低下する「作画崩壊」、果ては放送日までに作品が納品できずに再放送や総集編になってしまうといった異常事態が常態化している、という別の問題を抱えている(中には『エヴァ』のように、制作が破綻して伏線が回収されないまま終わってしまったことで逆に評価が高まる、という幸運な例もあるが)。

けれども『バビロン』のこのイレギュラーとも言える放送形態は、スケジュールが破綻して制作陣が万策尽きた結果、では決してなく、当初からのものだろう。だから「『バビロン』がヤバい」というのは、そういう意味ではない。その「ヤバさ」は『バビロン』の物語そのものにある。

製薬会社による薬機法違反容疑の捜査を行っていた東京地検特捜部検事の正崎善(せいざき ぜん)は、そこで麻酔の異常吸引によると思われる奇妙な死亡事件と遭遇する。死んでいたのは、自明党の幹事長、野丸龍一郎の私設秘書だった。
この物語では、国が東京都西部や相模原市などを合併させた、特区を越えた権限を持つ特別行政区、新域を立ち上げ、その初代域長を決める選挙が行われている。そして野丸は衆議院議員から鞍替えして域長選に立候補していた。現在、その選挙戦も終盤に差し掛かり、票の行方は実質的に野丸龍一郎と、無所属ながら30代というフレッシュさに好感が集まる斎開化(いつき かいか)の2人に絞られてきていた。
そこに来ての大物政治家秘書の怪死、という事態を受けて、正崎は検察事務官の文緒厚彦とともに選挙戦について調べ始める。そこで浮上したのは、野丸陣営による大票田である東京建設業連盟幹部への性接待疑惑だったが…。

 

…というわけで、『バビロン』は1話を見る限り、政界と産業界の癒着に端を発するポリティカル・サスペンスのような物語が展開していくかのように思えるのだが、その印象は3話のラストで全く別のものに変わる(この『バビロン』第3話の衝撃は、あの『まど☆マギ』の第3話に匹敵するものだ)。だが(『まど☆マギ』がそうであったように)、その第3話の衝撃が物語のピークではなく、むしろ回を重ねるごとに新たな衝撃が見る者を打ちのめす。その上、第7話に至っては本編の前に「この作品はフィクションであり…」という決まり文句に続いて「この作品には一部刺激的な表現が含まれます。児童および青少年の視聴には十分ご注意ください」という警告文が映し出される。要は「内容がヤバいので、お子ちゃまは見るな」ということだ。

噂では、この第7話の放送を巡っては制作会社と放送局の間でかなりもめたようだ。局側が、この内容では放送できないから一部差し替えを、というのを制作側が押し切り、このような警告文を入れることで何とか折り合ったらしい。

アニメでは残酷・残忍なシーンが描かれることは結構多い(特に時代劇や歴史物では、そうしたシーンが頻繁に出てくる)。そうしたものと比較して、この第7話の当該シーンは残酷描写を直接出さず演出で見せるだけの、表現としては極めて穏当なのものなのだが、それゆえに残酷さがより際立つという、逆説的なものになっている(ちょうどヒッチコックの『サイコ』におけるシャワー室のシーンのように)。

さて、問題は残る第8話だ。『バビロン』は野崎まどの同名の小説が原作になっているが、野崎まどといえば思い出されるのが『正解するカド』である。東京に突如、謎の巨大物体が出現し、人間は史上初めて自らを遙かに上回る知的存在と対話しなければならなくなる、という『シン・ゴジラ』+『2001年宇宙の旅』のような『正解するカド』は、前半はその壮大な設定と展開に、見てるだけで知的進化が促されるようでゾクゾクしたが、後半は人類を遙かに上回る存在を人間が描く、というところの限界で物語が失速し、ただのホラ話で終わってしまった。『正解するカド』が「知性を持った人類はどこへ行くのか?」を問うた作品であるとすれば、『バビロン』は作中でも何度も出てくるが「正義とは何か?」を問う(それは逆に「悪とは何か?」を問うことでもあるのだが)作品である。第8話のサブタイトルが「希望」であることに、何か安っぽい救済をうたって終わってしまうんじゃないかと不安を感じつつ、この問いが行き着く先がどこなのか12/30を待ちたいと思う。

ただ上にも書いたように、『バビロン』は内容が超ヤバいので、お子ちゃまは見てはいけない。絶対に


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