来~る~、きっと来る~、きっと来る~、きっと来る~…
というのは映画『リング』の主題歌「feels like 'HEAVEN'」だが、それとは何の関係もない中島哲也監督の映画『来る』を見てきた。
私も年20本くらい映画を見ているが、見終わった後、満足感に包まれて劇場を出るということはあまりない。『来る』は、そんな私が大満足で劇場を後にすることができた数少ない作品の1つになった。
ということで上に予告編の動画を貼っておいたが、実は『来る』の本編は予告編から想像されるものとはかなり違っている(多分あの予告編も、そうなるように意図的に編集されている)。物語は民俗学的な伝承がベースになっていて、途中ふと『ぼっけえ、きょうてえ』と2本立てにすると『来る』のテーマ性がより明確になるのではないかと感じた(が、『ぼっけえ、きょうてえ』は映倫の審査が通らず自主上映になってしまった作品なので、映画館では無理。もしこの記事を読んで『来る』に興味を持ち、ビデオで見るつもりなら、ゼヒ『ぼっけえ、きょうてえ』と2本続けて見てみてほしい)。
外国もののホラーでは、時々「ここで起こったことは全部、魔女(あるいは悪魔)の仕業でしたー」みたいな形で終わるものがあって(有名なところではダリオ・アルジェントの『サスペリア』とか)、私などはオチがそうだと途端にシラけてしまう方だ。最近も「見終わった後もイヤな感じが消えない」などと評判のホラーがあって期待して見に行ったのだがドッチラケで、見終わった後も残念な感じが消えなかった。
実は『来る』も、登場人物たちが立ち向かう相手はスーパーナチュラルな存在であり、そういう意味では魔女や悪魔と大して変わらないのだが、中島哲也は「ホラーとはホラ話」と割り切った上でそこから大風呂敷を広げてみせるので、陰惨な物語が途中から祭りと化していく、そのグルーヴ感はたまらない。つまり『来る』はホラーの衣をまとったエンタテインメントである。しかも広げた風呂敷は最後まで畳まず、その辺りのぶっ壊れ方には、ちょっとアニメのようなテイストを感じた。
で、物語はああいう結末だったが、私は何だかこの映画(特にクライマックスの祈祷のシーン)で今年1年の厄落としができた気がして、終映後、とってもいい気持ちで夜の街へと歩き出したのだった。
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