深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

やっと『ぼくらの』の最終話に辿り着く

2008-06-01 15:56:11 | Weblog
アニメ『ぼくらの』の最終回まで、やっと辿り着くことができた。いや~大変だった。最初はYouTubeで視ていたのだが、後半に入ってから視ようとすると先回りされるように画像が消され始め、途中から先に進めなくなってしまった。しょうがないので近所のレンタル・ビデオ屋をまわって探したが、どこも置いていない。その後、動画サイトの検索エンジンがあることを知り、MySpaceTVにまだ『ぼくらの』の画像があることがわかったが、時すでに遅く、ここでも最終回に辿り着く前に画像が消されてしまった。結局、日本の動画サイトからは『ぼくらの』の本編画像がほとんど消されてしまい(一体誰が検閲しているんだろう?)、最後には中国やロシアの動画サイトまで探し回って、やっと最終回まで視終えることができたのであった。

『ぼくらの』をご存じない方のために、改めて作品のあらましを述べると…

夏休みの、ある自然学校に集まった15人の中学一年生が、そこでココペリと名乗る1人の男と出会い、ロボット同士の対戦“ゲーム”への参加を持ちかけられる。軽い気持ちで、その“ゲーム”への参加契約をした彼らは、それが実は“ゲーム”などではなく、地球の存亡を賭けた「本当の戦い」であることを知る。次々と現れる15体の「敵」と、否応なく戦う羽目になる彼ら。ジアースと名づけたロボットを操縦するのは1人1回のみ。負ければ、その時点で地球は滅亡。しかし、たとえ勝ったとしても、ジアースを操縦した者はそこで全てのエネルギーを使い果たし、死ななければならない。そして、誰が操縦するかは、自らの意思で選ぶことはできない…

鬼頭莫宏のマンガ(現在も連載中)を『猫の恩返し』などを手がけた森田宏幸がアニメ化した、この『ぼくらの』はMXTVで放映されたが、森田監督が番組放映中に自身のブログ書いた内容を巡ってブログが炎上するなどの“事件”に発展し、「問題作」と呼ばれるようになってしまった。その記事の一部を引用すると…

原作ファンの皆さんには負けました。
私自身が原作を嫌いで、アニメーション化にあたり、ある意味原作に悪意を持った改変を加えていることを認めます。
(中略)
原作の一部分に異論があるというだけで、ジアースを巡る戦いのルールのアイディアは面白いと思っていて、以下の方針は、最後まで貫徹しています。
「この「ぼくらの」が、ある一定のファンの人たちに支持されていることを尊重し、かつ原作を支持しない人たちをも納得させるために、私が出した結論は、「ジアースに乗ったパイロットは死ぬ」という戦いのルールは変えない。それを変えてはこの原作をアニメーション化する意味はない。かわりに、まわりの大人たちや、主人公の子供たちを取り巻く社会の描き方を変えるということです。」
しかし、これは結果的に、原作の一部の改変にとどまらず、根本的な解釈のし直しになってしまうことに気がつきました。なので、そのことを認めます。
(中略)
最後に、書きたくないことを書かなければならないのですが、
アニメーション版「ぼくらの」の監督は原作が嫌いです。今後、原作にある魅力がアニメーション版で展開されることは期待できません。だから、原作ファンの方々は、今後アニメーション版を見ないでください。


これの全文とその後を読みたい方には「森田弘幸のブログ」を見てもらうとして…原作つきの作品を映像化する、というのはホトホト難しいものだと思う。しかも、この『ぼくらの』のように、作品そのもののテーマとして「死」という、タブーに触れる問題を正面から扱い、しかもまだ未完の(つまり、原作者が最終的に物語をどこに着地させようとしているのか見えていない)状況の中で、原作者の意図を踏まえつつも、ある決まった尺の中で物語として完結させなければならない、とすればなおさらだ。

例えば『風の谷のナウシカ』にしても『AKIRA』にしても、映画としては、それぞれ完結していて、非常に高い評価を得ている。が、どちらも映画化されたのは原作が未完結の時で、原作(どちらも既に完結している)を知った上で改めて映画を見ると、映画版『ナウシカ』は本当の『ナウシカ』の物語のホンのプロローグ部分に過ぎないし、映画版『AKIRA』も、ネオ東京崩壊後から再生に至る物語が丸ごと抜け落ちた、『AKIRA』の物語の前半部分でしかないことがわかる。だからもちろん、映画と原作では作品のテーマそのものも大きく変わってしまっている

『ぼくらの』に関して言えば、私はまだ原作を読んでいないので、純粋にアニメ版しか知らない人間の感想としては、アニメ版『ぼくらの』はストーリーの破綻もなく、最初から最後まで一貫したトーンで貫かれていたと思う。それは監督が(本当に原作が嫌いだったのかどうかはともかく)原作を深いレベルまで読み込み、そのテーマや作品の意図をきちんと理解した上で、誠意を持って自分なりの物語の着地点を模索した結果だと、私には感じられた。人生で最後の戦いに赴く彼ら一人ひとりの思いと決意をキッチリ描いたアニメ版『ぼくらの』は、上のような出来事によるのとは全く違う意味で、やはり「問題作」である(ただ今後、原作を読むと、アニメ版に対する感想が180°変わるかもしれないが)。

ちなみに、アニメ版『ぼくらの』の物語には、上で述べた内容から更に驚きの展開が待っている。彼らが戦う「敵」とは誰なのか、そもそもこの戦いは何のためのものなのか──1つの謎が解かれるたびに視ている人の気持ちが暗くなっていく、という、他では味わえない「鬱アニメ」──それが『ぼくらの』だ。このブログを読んで『ぼくらの』を視たくなった人は、動画検索サイトFoooooで検索せよ。検索キーワードは"bokurano"。しかし上にも書いたように、検索結果には出ていても、日本の動画サイトからはほぼ消されてしまっていて視ることはできないので、視るなら海外のサイトで。
では、幸運を祈る。

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