深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

2022-12-06 16:08:03 | Weblog

11/15の朝日新聞文化欄に、脚本家の渡辺あやとトマト農家兼映画監督の山崎樹一郎の対談が載っていて、その中のこんなやり取りが強く印象に残った。対談の中で渡辺は執筆中のドラマ『エルピス-希望、あるいは絶望-』に触れて

渡辺 「この社会、おかしくないですか」と問いかけたかった。自分たちのコミュニティーの倫理で理解出来ないことに対しての不寛容さが強まってきています。「エルピス」の第1話で、ヒロインが男性の上司から「更年期」と言われるシーンを書いたら、会議で「反発を受けるから削ってほしい」と言われました。私は「絶対残したい」と。
山崎 普通に言われているわけだから、テレビが隠すべきじゃない。ただ、実際に言われた人は二次被害と感じるのでしょうか。
渡辺 そうですね。でも今、傷ついた傷ついたと言い過ぎていませんか。そんなに傷つかずに大人になれると思ってるのか、と私なんかは思ってしまいます。大人は傷つくことをもっと推奨すべきではないか。傷は必ず治るのに、あまり脅かすから、若い子たちが緊張してしまっています。
山崎 傷つくのにもグラデーションがあるはず。でもそれが消えて、言葉が世界を単純化する道具になっている。


今になって急に始まったわけではないが、それでも世界的に「言葉狩り」の風潮はどんどん強まっている。ちょっとでも差別的だと見なされたり、社会正義に反すると受け取られるようなことを発信しようものなら、容赦なく叩かれ、人格を否定され、場合によっては職や地位を失うなどの社会的な制裁が加えられ、それで自ら命を絶つ人もいる。

ある面で見れば、それだけ「人権」とか「尊厳」といったものが重視され、配慮される時代になったのだとも言えるが、それがこの息苦しさを代償としてることを考えると、本当に喜ばしいことなのかどうか私には疑問だ(し、例えばトランプ元大統領のように薄っぺらな極論を振りかざす政治的リーダーが世界各地に台頭するトランプ現象なども、こうしたことへの一種の反動、といった見方もできる)。

「誰もが誰もに優しい社会」、「誰も傷つかなくていい世界」──お題目としては正しい(というか、少なくとも間違ってはいない)かもしれないが、それでも渡辺あやが言うように「そんなに傷つかずに大人になれると思ってるのか」と、私も思ってしまうのだ。だから「大人は傷つくことをもっと推奨すべきではないか」には激しく同意する。

もし私が何らかの世界を望むとすれば、多分それは「誰も傷つかない、やさしい世界」なんかではなく、「傷ついた人が癒やされる余地のある世界」だろう。世界なんて、ただそれだけのところでいい。


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