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張耀杰:中国医療界の「オオカミトーテム」(2)

2007-10-05 16:27:33 | 中国異論派選訳
五、「出稼ぎ労働者のための病院」の趙華瓊(ちょうかけい)

 2005年11月27日、つまり中央テレビ局が「新聞調査」で「天文学的入院費」を放送した4日後、山東衛生テレビは「趙華瓊:出稼ぎ労働者のための病院」を放送した。

 その1ヶ月前の10月27日、「南方週末」の記者戴敦峰は「杭州出稼ぎ労働者病院院長趙華瓊:財産を使い果たして出稼ぎ労働者を治療」の中で、すでにより詳細な調査報道を行っている。

 10月28日、新華ネットの焦点網談に「一騎当千の女医医療暴利と戦う、作った出稼ぎ労働者病院が倒産の危機」という記事が発表されると、ネット市民の間で強烈な反響を巻き起こした。12月13日、新華ネットはふたたび、追跡報道「杭州出稼ぎ労働者病院でまた騒動、衛生局長が規則違反と責める」を載せ、趙華瓊事件をクライマックスへと押し上げた。

 趙華瓊は寧波の代々医者の家に生まれ、両親とも医者で、5人の兄弟姉妹もみな医者である。この家庭は小さいうちから彼女に「施すことは受けることより楽しい」という道理を教えた。1967年、趙華瓊は寧波の衛生学校卒業後辺鄙な蒼山県の村医者に配属された。まるまる7年の間、彼女は周囲50キロの範囲の医療衛生活動に従事した。そこの貧乏な人は鶏卵1個と交換で1か月分の塩と醤油を得ていたので、彼らが卵を節約できるように、彼女はいつもおなかをすかせて帰って、サツマイモで腹を満たした。

 1973年、趙華瓊は病気になって杭州に戻り、杭州の靴工場の医務室で仕事を始めた。1998年に退職後、彼女はある製薬会社で医薬セールスの仕事に応募した。数年間で稼いだお金で、何軒かの家を買った。2001年に、趙華瓊は辞職を決意した。「この業界はあくどすぎる。私はもうこの仕事で稼ぐことはできない」。

 趙華瓊は杭州市西部の市街地と農村の境界域に出稼ぎ労働者向けの小さな診療所を開設して、医者一人と看護士一人だけを雇って診療を始めた。一人の出稼ぎ労働者が胃出血で来院したが、診療所では治せないので、彼に2000元を与えて大きな病院へ行かせた。結果、二日後に彼は戻ってきて言った「大病院も点滴するだけで手術はしてくれなかった」。

 2004年末、趙華瓊は自分の家を売って500平米の崇一医療外来診療部を設立した。一般疾病の9つの診療科があり、すべての診療科が対外請負はせず、すべての医者が医薬品リベートを受け取らない。彼女の話では、「病院が30元で売る薬は、仕入れ値が5元、残りの25元は診療科、医者がリベートとして持っていく。私のところではすべての医者が一銭もリベートを受け取ってはならず、節約した中間マージン分は患者に回る」。

 しかし、この個人で始めた出稼ぎ労働者病院が、よりによって医療行政部門の嫌がらせや締め出しを受けることになる。西湖区衛生局局長楊専成(電話:0571-8796-1856)は記者の取材に次のように答えた。「趙華瓊はすでにわれわれの衛生システムの民衆のため、法令遵守というイメージを傷つけている」。

 楊専成の非難に対して、趙華瓊は自分の見解を述べている。10月初め一人の出稼ぎ労働者が生後5ヶ月の子供をつれて彼女を訪ねた。子供は先天性の心臓病で、手術にすでに5万元を使っていた。出稼ぎ労働者は「趙先生、私はもうどうしようもない。大病院には行けないから、食塩水を点滴して炎症を抑え、何とか持ちこたえさせてください」と言った。超医師は外来診療部に専門の小児科医師がいないのではじめは診察を断った。出稼ぎ労働者は彼女に尋ねた「出稼ぎ労働者の子供は人間じゃないんですか?先生が診てくれなかったら、連れ帰って死ぬのを待つだけです。」と言った。

 趙華瓊は出稼ぎ労働者の願いを断りきれずこの赤ん坊を診たために、法令違反で西湖区衛生局から1000元の罰金を徴収された。趙華瓊はそのためにひとしきり泣いた。なぜなら、この罰金記録があるために、崇一外来診療部は省医療保険指定医からはずされる可能性が大きいからだ。

 それからこういうこともあった。ある出稼ぎ労働者が犬に咬まれて、狂犬病のワクチンを買った。出稼ぎ労働者の家には冷蔵庫がないため、趙華瓊のところに置いてもらおうと思った。なぜなら、防疫站でワクチンを注射すると手数料を取られるが、崇一外来診療部だと無料だからだ。「法律上は確かに私が間違っている。だけど出稼ぎ労働者の必死の願いを無視することができますか?」と趙華瓊は記者に聞き返した。「あなたは出稼ぎ労働者に向かって、あなたの病気を治療したら私が罰金を課せられるから、診られないといえますか?」。

 それからこういうこともあった。江西省贛州市于都県禾豊鎮黄田村の農民丁俊華と妻華清英が、熱湯で太ももにやけどをした女の赤ん坊を連れて外来診療部にきた。その話では、数日前に子供を筧橋病院の熱傷科に連れて行ったが、病院は1万3千元の前金を払わないと診療しないといったが、金を集められなかったのでここに来たという。趙華瓊の規則違反の治療で、患者の両親はわずか200元の費用で子供の痛みを直すことができた。

 こうしてみると、本当に出稼ぎ労働者に公共医療サービスを提供しているのは趙華瓊と彼女の外来診療部であり、本当に国民に公共医療サービスを提供しなければならないのは西湖区衛生局である。自分では権限を握りながら実行はしないという独占権力と部門利益を維持するために、趙華瓊の人を以って本となし、病を治して人を救うという天職を剥奪しようとしている。法律や規則は、楊専成が自分の非人道的、反人道的な部門権力を維持するための道具となっている。

 さらに「杭州日報」記者の葛婷婷の2006年4月19日の報道記事「香港の客が善意の医師趙華瓊に会った」によると、趙華瓊の赤字続きだった外来診療部はすでに収入と支出が均衡した。しかしそれでも、彼女は巨額の債務を返済できない。外来診療部の賃料ももうすぐ支払期限が来るが、まだ金が準備できない。中国で最初の命を救い傷を治すことを第一目標とする出稼ぎ労働者病院は、依然として生死の境をさまよっている。
(参照:崇一外来診療部のホームページはこちら:http://www.hzchongyi.com/index.asp)

六、病院が救命金を奪う

 北京で仕事をしている国家公務員として、私は今でも公費負担80%の公費医療を享受している。ただ自分が丈夫なのと面倒なので、ほとんど病院でこの特権を享受することはない。たまに持病が出ても、近所の薬屋で大衆薬を買ってきて自分で解決する。しかし、いったん病院に行ったら、医者に安い薬を処方してくれと何度も頼んでも、薬代は300元以上にはなる。私が享受する非常に限られた制度的優位と比べると、外地企業の従業員の保障は非常に頼りない。

 2005年11月13日、中央テレビ局「焦点訪談」で「病院が医療保険をだますとは」を放送した。内容は江蘇省連雲港市の鉱山病院で、患者の医療費を実際より多く報告したり、ニセの入院患者を申請したりして、医療保険基金から金を騙し取っていたというものだった。「1998年、わが国で都市従業員基本医療保険制度がスタートし、保健に参加した事業所と個人は医療保険費を医療保険管理部門に納付し、従業員が病気になったら一定の補償を得られる。とりわけ、一部の生活困窮従業員にとっては、その金は彼らの救命金である。しかし、連雲港市の一部の病院では、この救命金を狙った者がいた」。

 連雲港市鉱山病院入院部内科病棟で、記者が任意に林蘭英と陳家艶という二人のカルテを引き抜いた。連雲港市医療保険処の薬代計算書によると、この二人の患者は入院期間中にいずれも医療費が1900元かかった。一方、病院の入院患者の毎日の薬消費量を見ると、当時の内科病棟の入院患者はわずか4人だが、その中に林蘭英と陳家艶どちらの名前もなかった。さらに調査を進めると、記者はこの病院がニセの患者登録をしていることが明らかになった。検査をすり抜けるために、鉱山病院はこのニセ患者についてワンセットのカルテを作っていた。ニセの患者を使って騙し取った医療保険は、病院の電気・水道代、従業員の賃金と報奨金に使われていた。

 2006年4月12日、中央テレビ局「焦点訪談」は再び「男の院長が女性病棟に『入院』していた」という番組を放送した。それによると、安徽省蚌埠(ぼうふ)市伝染病病院では、「登録ベッド」というやり方で医療保険基金を騙し取っていた。記者が病院の病室で名札には17号と18号のベッドは患者がいるのに、実際にはその二つのベッドはずっと空いていることを発見する。51号と55号のベッドも同様だった。記者が40号のベッドを調べて、このベッドは当該病院の男性の院長陳継齢が入院していることを発見する。彼の生化学的検査データ、入院カルテはいずれも偽造されたものだった。果ては何を間違ったか、女性病室に「入院」していた。調査によると、ニセの入院患者は「登録ベッド」と呼ばれ、病院が医療保険加入者の名前を使って入院手続きをし、本人はまったく入院していなくても、検査、生化学的検査、注射、服薬などの出費はすべて医療保険で支払われていた。

 さらにインタビューを重ねて、記者は「登録ベッド」は病院の経営層が相談して決めたことだと知った。2005年12月28日に開かれた病院中間管理職会議で、病院の副院長張翼は今年二月から「登録ベッド」を大幅に増やす手配をしていた。

七、医療保障の邪悪な制度

 医療体制改革に関するにぎやかな議論の中で、もっともよくその弊害を突いているのは北京大学光華管理学院の張維迎教授である。彼は2006年4月4日に「健康報」に発表した「医療体制改革の主要問題は政府独占である」という文章の中で次のように書いている。「最近医療体制改革に関する議論が非常に多い、非常に広く流布している説は、現在の医療体制の問題を市場化改革のせいだという。私が思うに、この見解には根拠がない。市場の最も重要な一面は、自由な参入退場であるが、改革開放以降、医療業界は基本的に国家独占である。……政府自身がうまくできないのに、他人にやらせないことが、深刻な医療供給不足をもたらした。常識的には、社会の医療サービスに対する需要の伸びは経済成長よりも高いはずである。しかし、中国の医療サービスの成長ははるかに個人収入の成長より低い。簡単な例を挙げると、1978年から2004年までの中国のGDP成長は10倍近いが、医療衛生機関のベッド数はわずか60%増えただけである。政府独占が中国全体の医療サービスの深刻な不足を招き、医療費の異常な高騰を招いただけでなく、現在のさまざまな問題も招来したのだ」。

 言い換えると、医療保障体制を含む中国社会の根本問題は、「苛酷な政治はトラよりも恐ろしい」という問題である。あるいは、公的権力が数値化可能かつ操作可能な制度的ルールの効果的な監督と強力な制約を受けていないという問題である。いわゆる社会主義制度は、実際のところは公的権力を掌握した共産党政府官僚がやりたい放題に国民の私有財産を国家の公有とし、その後で国有のものを党派の私物やはては個人の私物とする強盗式の邪悪な制度である。そのもっとも根本的な強盗論理は「俺の物は俺の物、おまえの物も俺の物」という野蛮な共産主義である。毛沢東時代と現下の中国社会の違いは、前者がいかに良かったか後者がいかに腐敗しているかということではなく、前者が毛沢東一人だけに国家政治権力を凌駕してほしいままに自分の残忍なオオカミ性を発散することを認めたのに対し、後者がすべての公共権力と公共権力を掌握している者がみな自分の勢力範囲の中で法律をしのぐ権力をふるって邪悪なオオカミ性を発揮できるという違いである。

 医療保障体制についていえば、裸足の医者がどんな病気も診た低級保障状態を懐かしむノスタルジアにも注目すべきである。その中で最も代表的かつ最も現実から隔たっているのは、台湾成功大学医学院公衆衛生研究所の陳美霞教授の長編論文「大逆転:中華人民共和国の医療衛生体制改革」である。朱鎔基が推進した経済改革の最大の誤りは、不健全でしかも不公正な公費医療と公費教育制度を徹底的に壊してしまったことである。その結果、この二つの最低限の社会保障の最低ラインを破壊してしまった。たとえそうであっても、医療衛生体制改革を丸ごと元に戻す「大逆転」は、どうやっても不可能である。

 中国の農民が本当にお腹いっぱい食べられるようになったのは、1978年の農地戸別請負制以後のことである。農村乳児死亡率の減少もまた、中国の農民がお腹いっぱい食べられるようになってからのことである。1978年以前の「文化大革命」時代、私は学校が引けるとよく山の奥の深い谷まで羊の放牧に行った。数日おきに谷底に死んだ子供を入れた竹かごが捨てられているのを見た。私の下の妹は1971年生まれだが、裸足の医者が取り上げたのではなく、私と同じく村の産婆が取り上げた。私自身はもっとひどい裸足の医者医療体制の被害者である。子供時代は栄養不良と寒さでしばしばひどい風邪をひいた。風邪をひいた時に裸足の医者からもらえるのは、きまって症状にあっていない白い大安片(訳注:スルファジアジン錠。サルファ系抗菌剤)何粒かと、自家製の漢方薬錠剤何粒かである。そのうちに、かぜは一日中鼻水の出る蓄膿症となった。冬になると、綿入れの袖口は鼻水を拭く最良の道具となり、両方の袖口はこすられてぴかぴかになった。北京に来てから私は2回鼻の手術をしたが、数十年続く持病を根治することはできなかった。いわゆる裸足の医者は、その大部分が農作業をしないで高い労働点数を稼げる貧農下層中農子弟と勉強のできない郷鎮役人の子弟だった。

 結論としては、現下の中国の医療保障制度を改善する根本的な道は、人を以って本となす立憲民主制の構築であり、実行可能かつ有効な法的手続きと制度ルールにより、市場法則や法律制度までも凌駕する独占権力の手を強力に監督することである。張維迎の言葉を借りれば、「米国は今現在、非営利団体のGDP比は5%だが、60%のコミュニティ病院は非営利団体の経営であり、それが入院ベッドの70%を提供し、30%の看護サービスを提供している。これらの事実は我々の参考になるだろう。私が思うに最も重要なのは病院市場を開放し、非国有や私人の資本さらには外国資本が病院に参入することを許すことである。政府は病院を運営する責任があり、基本的医療保険を提供する義務がある。しかし政府には私人や政府以外の組織が病院を経営するのを制限する権利はない」。

「人と人権」2006年7月号より転載
http://www.renyurenquan.org/ryrq_article.adp?article_id=473 

張耀杰:中国医療界の「オオカミトーテム」(1)

2007-10-05 16:26:24 | 中国異論派選訳
中国医療界の「オオカミトーテム」
張耀杰

原文:http://boxun.com/hero/2006/zhangyj/17_1.shtml

2004年4月、寓話的な歴史文化小説『オオカミトーテム』が長江文芸出版社から出版された。姜戎と名乗る作者は激情に満ちた神聖な言葉を使って華夏民族(訳注:漢民族)の「オオカミトーテム崇拝」を、ほしいままに殺戮略奪するオオカミ性崇拝にまでさかのぼらせた。私の子供時代の記憶の中には、それとは違う「オオカミトーテム」が存在する。「日が落ちると、オオカミが山を下りてきて、年寄りと子供は逃げられない」年長者の話では、この宗教的予言のような童謡は、共産党が天下を取って土地改革運動を行ったときに生まれたものだそうだ。それは国民党の青天白日旗が降ろされて、北方のソビエトロシアの「赤いオオカミ」が人間界に攻めてきて、数千万人の中国人、とりわけ農民が餓死させられたいわゆる「三年自然災害」。のことを意味しているという。
 まさにほしいままに殺戮略奪する「赤いオオカミ」の統治の下で、西側現代文明では白衣の天使と称される医者と看護士が、病を治して人を救う人道的な天職をなげうって、患者を食い物にする「白いオオカミ」となった。これこそが今の中国医療衛生界の奇怪な現状である!

一、私が見聞きしたこと

 2005年の夏休み、私と妻は初めて11歳の息子を連れて湖南省のふるさとに戻ったが、私が育った村ではきわめて不愉快な数時間を過ごしただけだった。

 記憶の中のよく知った心温まる村はすでに廃墟だらけで雑草が生い茂る空洞の村に変わっていた。村の中ではあちこちで男たちがしゃがみこんでトランプ遊びをしていたが、誰も自分の家を片付けていない。昔から物乞いで生活している張西臣はもうすぐ60歳だ。むかし彼はとても臆病に家の前で「だんなさん、おかみさん、一口のご飯を恵んでもらえませんか?」と声をかけていた。それが今では公然と道端に寝転んで、えばって施しを強要している。一本の棒で泥道をふさいで、すべてのそこを通る車から一律2元の通行料を取っていた。

 父が残した家はとうのむかしに倒壊していたので、仕方なくすでに行き来のなくなった長兄の家に短時間滞在した。集まってきた友人たちが語るには、環境汚染の急速な悪化で、村の中にいろいろな「奇病」が現れて、多くの村人が分けがわからないまま死んでいる。その中には私の6人の父方のおじおばのうちの5人、そして私の30過ぎの父方のいとこも含まれていた。

 母は10年前に再婚して数十キロ離れた町に行き、母と継父は継父の毎月700元あまりの退職年金で生活している。継父は高血圧など多くの病を患っているが、保険から償還されない医療費が1年分以上たまっている。地元の政府の話しでは今後医療費請負制度が実施されるので、限度額を超えた部分は完全に自己負担になるという。母の片目は白内障でほとんど失明していたが、老人二人は私の負担をかけるのではないかと心配して、ずっと私に話さなかった。北京に戻って、私が最初にやったことは、2000元を用立てて母に送り、省都の鄭州で白内障手術を受けるよう促すことだった。

 今回のふるさとへの旅で、私はいまの農村の社会的医療衛生保障の欠乏を実感した。

 2005年9月17日、私は有名な記者であり農村活動家でもある高戦の誘いに応えて、江蘇省沭陽(じゅつよう)県官墩(かんとん)郷の所房村と新沂(しんき)県窑湾(ようわん)鎮の陸口村で彼が推進して設立した二つの農民発展協会を実地調査した。

 沭陽では、私は農村衛生所(訳注:村単位に設置された医療・母子保健・伝染病予防・計画出産指導を行う最末端の医療衛生機関。衛生站ともいう。県には病院、郷鎮にはより規模の大きい衛生院が設置されることになっている。)の医療設備がお粗末で、重症の農民は痛みに耐えて死を待つ状態であること、および郷鎮公務員の「金要求」(税・手数料)と「命要求」(計画出産罰金)の実態を再び目の当たりにした。最も印象深かったのは2003年7月に起こった事件である。高戦が北京師範大学、中国農業大学と中国工業大学の学生40名をつれて農民に「農協」設立を働きかけているとき、郷派出所の門の前の公道で交通事故が起こった。加害者が逃げてしまったのに、派出所の警官は誰も出てきて調べない。救急車は高戦が救急センターに電話したのに、いっこうに来てくれない。仕方なく、彼が通りがかりの車を止めて自分で金を出して被害者を近くの郷病院まで運んでいった。被害者は貴重な救急のチャンスを逃したので病院で死んでしまったが、救急車は後から来て死人の金を取っていった。本来なら国民に公共サービスを提供すべき国家資源が、政府部門や公務員個人が暴利をむさぼるための道具となっている。

 2005年9月19日、私と高戦は江蘇省から山東省に向かった。そして次の日、中国社会科学院の陸雷博士と山東大学の楚成亜博士と連れ立って、鄒平(すうへい)県張高村で于建博士が主催する「農村組織化建設」プロジェクト基地を視察した。そのあと、関係者の積極的な協力のもと、張高村に老年協会が成立し、健康診断を実施した。村の老人たちは生まれてはじめて自分の健康ファイルを持った。

 私の友人淮正は湖北省の農村出身である。彼が2004年に書いた『中国農民の医療衛生現状スキャン』の中で、自らの体験を紹介している。「私には二人の父がいる。ひとりは実父で、もう一人は継父である。実父は去年の年末、慢性前立腺炎に苦しめられて死にそうになったとき、農村の家から武漢に行って前立腺の手術を受けた。1週間の入院で8000元あまりかかった。とても払いきれないので、強硬に退院を要求した。『患者側の要求で退院する。それがもたらす一切の結果は病院と関係ない。』という免責保証書に署名して逃げ帰った。同じころ、私の継父は脳卒中になった。半身麻痺で動けなくなったが、病院に入る資力はなく、家で何とか持ちこたえている。これは無数の農村住民の医療の現状の一例に過ぎない。農民にとって、病院とは何か? それは血まみれの大きな口をあけた人食いトラだ。だから、私の実父は急いで逃げ出し、私の継父は死んでも近づこうとしない。気が焦ってもいかんともしがたい私は、外国人がうらやましくて仕方がない。米国人、イギリス人だけでなく、リビア人や貧しいアフリカ人までもが……」。

二、失敗した医療体制改革

 2003年の年明け、国務院発展研究センター社会発展研究部と世界保健機構の協力で、「中国医療衛生体制改革」のテーマ研究を決定した。タスクフォースは国務院発展研究センター、衛生部衛生経済研究所、北京市疾病予防管理センター、北京大学公衆衛生学院、労働社会保障部などの機関の専門家で構成された。2005年7月28日、国務院は医療改革研究報告を発表し、「現在の中国の医療衛生体制改革は基本的に不成功である」と認めた。そこで提供されたデータによると、13億人の人口のうちわずか1億人しか医療保険に入っていない。そして、8億人の農民中、37%の受診すべき患者が受診していない。65%の入院すべき患者が入院していない。2003年、全国民の二週罹患率は14.3%で1993年より0.3%増加している。しかし、受診率は逆に1993年の17%から13.4%に下がっている。全国民の二週罹患者の適時に受診しなかった比率は5割近い49%である。この人々のかなりの部分は経済的困難によるもので、その比率は都市で36%、農村で39%に上っている。

 2005年12月13日、「中国青年報」の記者蘇敏は「60%の医療衛生費は自費、1年の収入で1回の入院をまかなえない」という記事で、関志強教授が提供したデータを紹介している。「制度的保障がないために、医療衛生費の60%以上を個人が負担しており、都市では44%以上の人がいかなる医療制度保障も受けておらず、農村ではそれが80%にもなる。医療支出の伸びは個人収入の伸びをはるかに上回り、庶民の一年の収入では一回の入院費用をまかなえない。いったん病気になったら、多くの家庭が貧困に陥る。中国では13人に1人が赤貧状態である。そのうちの1/4から1/3は病気が原因である。このような状態が続くことは、内需による経済の牽引を妨げ、中国の社会経済の健康な発展に巨大な脅威となっている」。

 医療衛生事業は国の経済と国民生活にかかわるが、計画経済と市場経済の並存する中国社会でなんとも奇怪な状況が出現している。市場の需要は非常に大きいのに、価格は常軌を逸した高さである。計画経済の恩恵を受けるべき一般大衆が、市場経済のもたらす膨大な医薬費を負担しなければならず、膨大な社会的弱者グループが搾取されるに任されている。依然として計画経済時代の資源の優位を享受する国有病院と国有製薬工場は、国家権力の保護の下にニセ市場経済改革の名の下に暴利をむさぼる吸血鬼となっている。病気を治して人を救うことを天職とする医者と看護士もまた、国家暴力に駆り立てられて利益のためにリベートと賄賂をむさぼる「白いオオカミ」になっている。
(参照:2007中国衛生統計ダイジェスト
http://www.moh.gov.cn/open/2007tjts/TT%ef%bc%88%e5%b0%81%e9%9d%a2%e3%80%81%e8%af%b4%e6%98%8e%e5%8f%8a%e7%9b%ae%e5%bd%95%ef%bc%89.htm)

三、人を見殺しにする北京同仁病院

 2005年12月15日、「新京報」記者の耿小勇と張漢宇は「二度入院して放置され、金がなくて同仁病院で死亡」という記事で次のように報道している。「前日の夜9時30分ごろ、北京同仁病院の救急の廊下で、北京に仕事を探しに来ていた37歳のチチハル人王建民が持ち金がなかったため、『痛い、助けてくれ』と言いながら死んだ。その前に、救急車は2回王をこの病院に送っていた。同仁病院の救急主任の話しでは、『検査したところ生命の危険がなかった。病院は前金の立替はできない。医者が王の症状が重大であることを知ったときには、王はどこかに行っていた』という」。

 二回王建民を同仁病院に運んだ都貴発によると、12月11日深夜、王建民は両手で腹を押さえて地面を転げまわっていた。そして、たびたび口から血の混じったものを吐いていた。都貴発が120の救急に電話すると、救急車は近いところに搬送するという原則で近くの同仁病院に搬送した。王が金を持っていないことを知ると、医者は「検査の結果生命の危険はないからだ、見殺しにするわけではない」といって追い返した。12日23時50分、救急車は再び王建民を同仁病院に運んだ。患者の症状はやはり「吐血」だった。医者の答えはやはり生命の危険はない、金を持ってきたら治療してやるということだった。

 13日夜8時30分ごろ、病院にとどまっていた王建民は救急治療室から10メートルも離れていない男子トイレの入り口で死んだ。同仁病院のエレベータ修理工の証言によると、王の死体は14日午前9時30分ごろ遺体安置室に運ばれた。

 2006年2月16日、「京華時報」記者の傅沙沙は「同仁病院の死亡出稼ぎ労働者死体検査結果出る」という記事の中で次のように書いた。2005年12月24日、北京市公安局法医学鑑定センターは王建民の遺体の死体検査を行った。2006年1月5日、チチハルから駆けつけた王建民の兄王建群は、救急治療の法的義務を履行しなかったとして、47万元あまりの損害賠償を請求して同仁病院を訴え、東城裁判所に受理された。

 これより前の2005年12月15日、博客ネットに李保君の文章「医療体制は大勢の人の命を埋葬した」が載った。「奇形の医療体制は極端に誇張された医療費用を招き、……王建民は死んでも金を払えない、彼はなぜ(公費医療のある)公務員でなかったのか? 生命の消失には多くの方式があるにしても、北京同仁病院の救急治療室の外というのはあまりに情けない気持ちにさせられる。金がないばかりに! 私たちは知らないが、毎日このようにして死んでいく人はたぶんたくさんいるだろう。私はせめて彼らが死んだ後、これからどれだけ多くの人が「同じ轍を踏む」ことになるのかが知りたい」。

四、「天文学的な入院費」は水溜りの波紋

 2005年11月23日、中央テレビ局の番組「新聞調査」が「天文学的な入院費」を放送した。ハルビン市の退職教師翁文輝が悪性リンパ腫と診断されたあと、ハルビン医科大学第二付属病院のICUに67日間入院して、家族は139万7千元あまりを病院に支払った。一日平均2万1千元である。このほかに医者の勧めで、自費で400万元あまりの医薬品を購入して病院に渡している。

 「一つの石が、千層の波を破った」。番組が放送されると、紙メディアとネットメディアで大きな反響を巻き起こした。2005年12月8日、中央テレビ局の番組「東方時空」は「天文学的医薬費は例外的事件ではない」というテーマで古い事件を蒸し返した。「常軌を逸した費用徴収、天文学的請求書は例外的な事件ではない。実際、今年の9月末にわれわれ東方時空が報道した深圳の天文学的医薬費のこととハルビンの事例はそっくり同じである」。それによると、患者の諸少侠は心不全で深圳人民病院に119日間入院してから死亡した。医療費の92万元に加えて、病院が家族に勧めた自費購入の医薬品の費用を加えると、諸少侠の入院119日間の費用は120万元にも上った。

 2006年1月13日、「人民日報」に白剣峰記者の「高強:公立病院は公益であるべきで利益追求に走るべきではない」という記事が載った。その中で、衛生部長高強の次の見解を引用している。「公立病院の基本的職責は大衆に良好な医療サービスを提供することである。ハルビン医科大学付属第二病院の調査結果によると、高額医薬費の問題はメディアの報道と若干の食い違いはあるが、しかしやはり非常に深刻であり、まもなく発表する。この事件は改めて私たちに医療機関は必ず人民の健康のために奉仕するという理念と公益的性格を堅持しなければならず、盲目的に経済利益を追求してはならず、ましてや医療サービスを利用して個人的利益を図ってはならないことを示した。いかなる時にも、いかなる状況下でも、『医療で私利を図る』大衆の利益を損なう行為は、すべて厳罰に処する」。

 2006年2月6日、雑誌「財経」に「『天文学的医療費事件』調査」という記事が載った。その中で、医療専門家の席修明が翁文輝の息子翁強に次のように反論している。「これは実際には医療倫理学の問題にかかわる。ある一人の富豪が金銭と権力を利用して、有限な医療資源を最大限占有し、病院に最大限の延命を要求したとき、病院はどう対処すべきか?」。

 2006年5月11日、「北京晨報」の記者劉墨非は「衛生部は天文学的医薬費の報道が事実と異なるというが、過剰請求は十分な証拠があるか」という記事を発表した。「行政によるハルビンの天文学的医薬費事件の処理結果によると、病院の違法請求は20.7万元であった。最初のメディアの報道の500万元「天文学的」医薬費の内容について、衛生部スポークスマン毛群安は昨日の記者会見の席で疑義を示した」。毛群安が疑問を投げかけた原因は「自費で医薬品を購入したということはメディア報道を通じて知ったが、メディアに聞きたいのは、その証拠は何で、証拠の出所はどこかということだ」。

 ここに至って、「550万元天文学的医薬費」事件は鎮まった。中国の現行医療衛生制度はこの大波の衝撃にもゆるがなかった。後から振り返ってみると、大波のようなメディアの攻勢も歴史の大きな流れの中では、水溜りに起きた小さな波紋に過ぎなかった。実際、早くも2000年12月11日の「法制日報」に、焦国標の文章が載り、その中である事件を取り上げている。記者が病院に非常に著名な老人を見舞った。老人は体中にチューブをさして、どれがどこにつながっているのかわからない。老人の顔には少しも表情がなく、目もほとんど動かず、生命は完全に人工的に延ばされている。医療関係者の話では、このクラスの医療を受けている老人はこの病院にはたくさんいる。このクラスの延命措置には、毎日1万元近くかかる。このような生存状態は1,2年かさらに長く続けることができる。国は毎年このような老人の医療に一人当たり200万元あまりを支出する。記者はこの話を聞いて非常に驚いた。「国家の医療資源は一定なのに、ここで手厚い医療が行われているということは手薄なところもあるということだ。ふるさとの農村では多くの老人が、死ぬまで一生の間一度も郷の病院にもかからない。多くの妊婦は10ヶ月の間一回も検査を受けず、分娩の産褥は家のベッドである」。