思いつくまま

みどりごを殺す「正義」はありや?
パレスチナ占領に反対します--住民を犠牲にして強盗の安全を守る道理がどこにあろう

長平:どんな理由で彭州の「散歩」に参加するか

2008-05-16 22:42:44 | Weblog
大地震のあとでは若干色あせた感もなくはないが、5月4日の彭州エチレンプラント抗議「散歩」にむけた南都週刊を解職される直前の長平の檄文のようなコラム(5月1日付)。愛国・郷土愛感情によってではなくより普遍的な権利意識によって参加するようを呼びかけている。地震ボランティアの中からそのような意識がどれぐらい育つだろうか? 共産党が地震をめぐって愛国的悲壮感を大々的にあおっている現状では楽観はできない。


長平:どんな理由で彭州の「散歩」に参加するか

人は反CNNのデモに参加したあと、すぐに反環境汚染の抗議行動に加わることがでる。逆もまた然りである。争議と嘲笑、反対が起きるのは、一部の人が愛国主義を空洞化させ、スローガンやレッテルに変え、はては野蛮な行為の隠れ蓑に変えるからである。

アモイ(厦門)と上海の「散歩」行動のあと、ここ数日成都でも大型プロジェクトへの抗議が起こっている。80万トン/年のエチレンプラントと1000万トン/年の石油精製プロジェクトの大規模な工事がすでに成都の北側の彭州で着工している。大多数の成都人は公示も見たことがないし、公聴会の話も聞いたことがない。一部の人は発生するかもしれない汚染に驚き、インターネットと携帯のショートメールで抗議を呼びかけている。アモイや上海と違うのは、今回の事件では、「愛国の熱意を具体的な行動で示そう」、「郷土愛があって始めて愛国だ」などが呼びかけのスローガンになっていることである。

世界には抽象的な国家などというものはなく、どの国も土地と国民で成り立っている。世界には抽象的な権利というものもなく、どの権利も個人の身の上に具体化しなければならない。よって、「愛家」と「愛国」は矛盾しない。いわゆる「小さな家」と「大きな家」、「大権利」と「小権利」、「大民主」と「小民主」、「大自由」と「小自由」の間は、相互に依存する関係であり、これかあれかでも、どちらが先かでもない。道理に従えば、人は反CNNのデモに参加したあと、すぐに環境汚染反対の抗議の隊列に入ることもできる。逆もまた然りである。争議と嘲笑、反対が起きるのは、一部の人が愛国主義を空洞化させ、スローガンやレッテルに変え、はては野蛮な行為の隠れ蓑に変えるからである。

問題はそこにある。ひとりの友人が立ち上がって言った。「私は成都人ではないが、見るに見かねて今の活動をしている」。実際に、彼女は大多数の成都人よりも多くのことをやっている。ところが愛郷心という観念が強化されると「成都人でない」参加者をいささか困惑させることになる。ちょうど手に五星紅旗をもって中国人のデモ隊の中に現れるフランス人や米国人のように。もしもだれもが必ず無条件に祖国を愛さなければならないと認めるなら、かれらはどう振舞ったらいいのだろうか? われわれは彼らを「外国の友人」と呼ぶことができるが、彼らの同胞はどう呼べばいい? この困惑を解決するためには、愛国愛郷の情感の承認のほかにも社会規範の承認が必要であること、しかも、後者のほうがより重要であることを認めなければならない。この規範承認のもとでは、CNNが歪曲報道をしたら、誰でも抗議できる。彭州石化プロジェクトが十分な公示と公聴会を経ていないことについても誰もが抗議できる。

ハーバーマスは21世紀の人類は民族国家から憲政国家に進まねばならないと言っている。私は彼のこの理念に賛同する。しかし、民族国家がいまだに普遍的な事実であることも見出す。愛国主義と民族主義は一種の理解することができると共に抜け出すことの難しい普遍的な情感である。しかも、ほとんどの場合それは甘美なないしは崇高な情感体験をかきたてる。四川大学の呉興明教授がハーバーマスの批判理論研究の二大要点をまとめて次のように言っている。ひとつは歴史の事実によって法の論理を否定してはならない。ふたつは美意識をもって社会規範にとって代えてはならない。歴史上あるいは現実の中に、力をたのんで弱い者をいじめる現象を見つけ、それをもって正義などというものは存在しないと思い込み、自分の美しい想像が満足されないとすべて排斥してしまうことは、正に我々が直面している思想の脱臼である。私はこれによって愛国(愛郷)主義と民族主義を理解する。すなわちそれらは一種の歴史的事実であり、一種の美意識(情感体験)であるが、公共圏においては、より社会規範の要求するところに拠るべきである。たとえば、新聞報道は客観公正であるべきであるし、大型汚染プロジェクトは十分な論証がなされるべきである。

アモイと上海の「散歩」が起こったときはちょうど民衆の権利擁護意識が盛り上がっており、思想的な困惑もなかった。これは権利意識が社会規範意識から出ているからである。だから、私が成都の友人に勧めるのは、美しいふるさとへの感情のほかに、より多く権利意識によって彭州問題に参加すべきだということである。君のふるさとがどこにあっても、君が成都にいる限り、君の権利はやはり侵犯されるのだから、君には抗議する理由がある。成都の外にいる人々にとっては、社会規範意識(権利意識)に対する肯定もまた、十分に彼らを支持する理由になるのだ。

原文:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/73e839607f03ba3fe2d7be368d2fdaa0

廖亦武:大地震記事(1)

2008-05-16 19:30:04 | Weblog

廖亦武:大地震記事(1)

  记得古希腊哲学家赫拉克里特说过,向上和向下是同一条路。
  2008年5月12日,晴转阴,闷热之后,风渐起。
  
  穿过黏糊糊的街道,搭公共汽车,从温江旧城往新城,我的新居正在装修。
  除了昏头昏脑,事先没有任何征兆。金琴在顶楼验收磁砖,尖声尖气打来一电话,内容是什么忘了。总之我刚刚入小区大门,晃荡到楼下,那玩意儿就来了。先是呵呵呵,如同大地在捂着嘴打哈欠,不料紧接着就是放炮似的喷嚏。脚下摇起来,并且在大地的喷嚏中越摇越厉害。由于小时候饿饭饿坏了脑子,我的反应比一般人要慢半拍,所以没明白这就是地震。直到四周的楼群摇摆了两三秒,又筛糠一般哆嗦,天地都如一个无助的孩子,被放在一个不可知的秋千上。有一瞬间,摇摆弧度突然加大,我站立不稳,差点单腿跪下去。我夹在两排楼的中间,我突然感觉楼跟人一样,伸出腿,又踢又踹的,带起一阵阵怪风。吃了摇头丸的树枝。搅成一锅粥的太阳。我机械地转身,醉酒汉一般窜到楼群外,背后,三三两两的人从楼道里逃出来,如一塌糊涂的呕吐物。
  
  大约持续了两三分钟,大地的羊癫疯抽够了,才连吐几口粗气,瘫软下来。我的周围充满了人,女朋友金琴边抹胸口边冲我笑,与她一道自顶楼逃出的还有4个装修工人,都在笑。金琴讲述道:
  
  磁砖很沉,工人搬运上楼,才几趟,就满头大汗。4楼的小伙子爬上来,参观我家的装修情况,我招呼他一声,顺便朝楼底望,我看见你掏出小灵通,不知给谁通话呢。
  来不及叫你,4楼的小伙子就搭话,夸我家的阁楼架子弄得结实,还顺手把住铁梯子,摇了摇。不料这一摇,梯子就嘎嘎晃动。他刚说完“啥子破玩意,中看不中用”,就打个冷战。墙摆动起来,室内4个男人还没搞明白,就不约而同地拔腿逃命,夺门时还相互冲撞了一下。搬磁砖的个头矮,反应贼快,才放下磁砖,不及伸腰,就直接抱头鼠窜。估计第一箭步就纵下七、八个台阶,肉球一般,沿楼道蹦两个高,而后顺势翻起来又跑。所以待腿稍慢的到时,他早已拐了一个弯儿。还是骂梯子的小伙子不错,前脚出门,后脚还晓得招呼我一声“快跑”。本来我一女孩子,平时慢吞吞的,此刻也如通了电的马达,忽地扑过去,揪住他的胳膊。小伙子带上我这个拖累,速度虽然慢了点,但我的速度却比平时快了5倍。如同一个溺水者,揪住稻草都不会放,何况是个大活人。我们连滚带爬,下完5层,直至冲出单元门,大地还在摇。
  
  大地还在摇。我却干瞪着眼,甚至记不起伸手扶一把。金琴习惯性地埋怨我只顾自己逃命,我辩解说,根本没意识到这就是逃命。她说你贴着地面,当然体会不到悬在空中的感受。我说你没有“悬在空中”啊。她说差不多,越往上,摆动弧度越大——这一说法在十几个钟头后的亲友通话中得到证实。我的妹妹小飞描述,当时她正在成都市中心一幢电梯公寓的7层,墙上的玻璃镜框及艺术挂件全部摔地上,她如同站在一翻动的筛子内,跌了好几跤。而十几层以上,惊叫、哭泣、物件倒塌以及玻璃碎裂交织成滚滚雷声,直达天庭。作家朋友汪建辉居11层,在躺椅里,几番挣扎,也没站立起来。他就像一个刚出生的无助婴儿,“在摇篮内听天由命地渡过了特大地震”。
  
  学者兼藏书家冉云飞居8层,正睡午觉,懵懵懂懂被抛下床,只来得及光脚抵达3米外的卧室门,就被稀里哗啦垮塌的书墙吓软了。同样在睡午觉的学者李亚东,居底楼,比冉云飞幸运的只是光溜溜地冲出了室外,哦,还裹着一床棉被。基督徒学者王怡居13层,头脑出众,也只能做到扑向床头,在神的震怒中,堵枪眼一般盖住诞生不久的幼儿。77岁的诗人兼学者流沙河居4层,第一反应是钻书桌,大震之后才被夫人拽出户外。流落至大街时,百姓已倾城而出,交通堵塞,满目恐慌。诗人突然记起桌上的半截文稿没收拾,遂执意返回,再度撤离时,就打一把雨伞,直接住进了街对面的大慈寺。
  
  下午5点左右,我和金琴不得不脱离装修了半截的新居,因为保安骑着摩托在小区内巡逻,竭力劝说恋恋不舍的居民们离开。几十幢楼,几百个单元的楼梯底部,都浮现出触目惊心的裂痕,有的外墙裂痕长达数米。居民们埋怨着,抗议着,又无可奈何。我和金琴继续前行,沿途的街沿和草坪,都布满了人群;20多分钟后,我们被迫在温江公园附近滞留,因为平时稀稀落落的六车道早已堵死,交警正忙着疏导;而占地约两公里的公园内,自发的避难居民像牛皮癣一般,支帐篷,铺塑料布,吞噬着每一块绿地。人造垃圾转瞬就弥漫开去。
  
  云层越压越低,起风了,金琴感觉到零星的雨滴,就说快变天了,我们回去加衣裳。好不容易捱拢临时家门,一幢污水四溢的弓形旧楼,却见警察正在拉黄色警戒绳,原来底层的一处门脸塌下大滩水泥碎块。金琴心惊肉跳道:今晚我们在外面住吧?而我却固执地抓紧她的手,绕路进楼,直趋4层。进门很意外,没有想象里的满目狼藉。就迅速拾辍散落于地的书、口杯及各类杂物。待加衣再出,天已擦。街上更加人声鼎沸,百姓在各类店铺潮水般涨落,癫狂抢购干粮。我们饿极了,在人流里泥鳅似的窜了数十分钟,大小饭馆或客满,或关门。我们挤入一家小面店,等了十几分钟,还是排不上号,急得我粗着喉咙大叫,而四周食客却聋子一般,将脸埋入碗里,吃,一个劲地吃。
  
  只能忍饥败退。并在另一家糕点铺前,抢到手几块蛋糕;而不喜甜食的金琴,在桥头捞着几支烟熏火燎的烧烤肉串。接下来的时光,就是在街头,漫无目的瞎逛。手机终于有信号了,我和金琴忙着与亲友联络,报声平安,彼此都松口大气。
  
  据官方公布,此次地震中心是四川的汶川县,震级为7点8,百里之内的周边地区包括马尔康、雅安、绵阳、阳、都江堰、成都等。而四川省地震局副局长却在新闻发布会上说,地震为8级以上,相当于32年前造成24万人死亡的唐山大地震了。一位都江堰市的朋友在电话里惊呼:二王庙大门塌了,普照寺的主殿垮了,满街废墟!满目尸体!接着电话就断了。
  
  午夜11点多,我们从喧哗中一步步走向寂静,此时官方公布的死亡数字已上升至8000余人。在楼梯口,一对鬼影自墙根闪出,定睛一认,原来是白发苍苍的老夫妇,腋下还夹着塑料布和棉被。金琴好心地问:快下雨了,老人家还出去吗?老头却反问:整个楼都跑空了,你们还进去吗?
  
  没有一丝灯火,我们互握着手,凭感觉向上摸,犹如进入传说中的阎王殿。我叹息道:今晚有多少老人露宿街头?真有这个必要?金琴解嘲道:越老越怕死嘛。
  
  继续登楼入室,开灯,开电视。墙壁打了几下冷战,瓶子里的矿泉水晃动起来,又一次清晰可见的余震!我等待着电脑开机,等待着涂抹我的记录,脚底又震动一下,一股来自大地深处的电流,顺着椅子腿朝上爬、爬。
  
  我会像成千上万的地震死难者那样,突然下坠么?
  
  记得古希腊哲学家赫拉克里特说过,向上和向下是同一条路。

出典:http://minzhuzhongguo.org/Article/ShowArticle.asp?ArticleID=4845


梁文道:表現は違っても、万民一心

2008-05-16 13:33:43 | 中国異論派選訳
地震後の政府の対応に対する批判的言論への規制を批判した文章。この文章を掲載したあと、一時当該サイトの閲覧ができなくなった。また、豆瓣への転載はすぐに削除された。

表現は違っても、万民一心

梁文道 2008年5月15日

四川震災のあと、多くの人々と同じように私も寝付けなかったので、テレビとパソコンにしがみついて新しいニュースを待ちながら、居ても立ってもいられず、自分が何をできるか考えた。募金と読経のほかに、私のように現場から遠く、しかも専門技術のない人間に何ができるのだろう?

それから、震災前の予報業務に対し人が疑問を呈しているのを見た。それによると、5月3日の夜に四川省ガワ(中国語で阿壩、チベット語でNgawa)州防震減災局に、住民からまもなく大地震が発生しそうだという情報の確認の電話が入っていた。しかし、当局はデマだと思い、デマの打ち消しにとりかかり、四川省人民政府のオフィシャルサイトに関係当局の「説明により、村民の恐怖を取り除いた」というニュースを乗せた。また、ある人は被災地の学校の建物に問題があると批判し、手抜き工事が行われたのでなければ、あんなにたくさんの学校が倒壊するはずがないと述べた。

これらの反省の言論が発表されると、一部のネット利用者の不満を引き起こした。彼らは、こんなときはみんな心を一つにして災害支援に当たるべきで、脇であれこれ批判したり風刺したりすべきでない。空論より行動だ、という。銭鋼さんも「今は住民を救うかなめの三日間だ」(「南方都市報」2008年5月14日)の中で次のように指摘した。「一部のメディアの友人は、焦点を問責と反省に合わせている。私は君たちに言いたい。君たちがやろうとしていることはやるべきことだが、今はその時期ではない。一部のメディアは、震災情報がまだはっきりしないうちから、主題を先行させ、筋書きを練っているが、それはもっと時宜に合わない」。

私は銭さんの言うことに完全に同意する。基本的事実がまだわからないのに、筋書きを作るのは、たしかにメディアの根本倫理に反する。しかし、私は市場化時代のメカニズムの冷たさもわかっている。メディアの編集者や記者たちがどうして私たちのように切実に悲しまないことがあろうか? 彼らもこっそりとたくさんの現金と物資を寄付しているかもしれない。ただ激烈な競争の中から抜け出すには、自分の独特の視点を探す必要があるので、頭をひねって他人と違うテーマを考え出し、震災関係だらけの報道の中で独自の道を切り開こうとしているのだ。

一部の今から焦点を反省と問責に当てている論者に対して私は簡単に批判することはできない。私は彼らの意見は全く冷やかしの気持ちに基づくものではなく、一種の思いやりの表現と信じている。こんなに大きな地震に直面して、黙祷と祈りと寄付のほかに、かれらはより多くの表現の道を探しているのだ。考えてみれば、君も自然にこの現実はどうして発生したのか、悲劇は避けられなかったのかを問うことだろう。君はまた自然にこうしたことをどうやったら防止できるのか、より多くの、より良い予防措置はなかったのかを考えるだろう?

だれも「空論」をもてあそぼうとはしていない。問題は災害救助を激励するほかに、言葉で哀悼の意を表するほかに、大多数の人は一体何ができるのかということだ。人の思惟は広く、無限ともいえる。そして言論の表現はこの無限思惟の直接の産物である。彼らが今言いたいことを今は言わせないということは、ある意味でみんなに一種類の思惟方式だけで万民一心の崇高さを示すよう強いることである。

われわれはよく「万民一心」を強調するが、それはかならずしも差異が存在するという事実を否定するものではなく、差異の存在が許される時と許されない時の最良の時期の線引きをしようとするに過ぎない。だから、聖火リレーが対立を引き起こしたとき、一部の人は「一致して外国に対抗する」ことを強調し、仲間内の批判を止めるよう主張した。チベットで騒乱がおきたときも団結して暴徒を非難し、自分は何も反省する必要はないとした。しかし、誰が万民一心のために差異を棚上げする合理的な時期の線引きをするのか? どんな基準によって? いわゆる「万民一心」とはどんな「一心」なのか?

同じように、たとえ地震後の災害救助があまりよくないと批判する友人に対しても、「万民一心」の猿ぐつわで彼らの口をふさいではならない。彼らにどんな問題があったとしても、せいぜいみんなの感情を考慮していないだけ、人の心をつかむことがわかっていないだけである。だから言った言葉が人に聞き入れられないどころか反発まで招いた。しかし、差異はやはり簡単に抹殺することはできないし、反対意見や異論の出現する時期も決めておくことはできない。つまり、我々には線引きをする能力も権力もない。いわんやみんな同じ気持ちであって、思考の方向が違うだけなのだから。

原文:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/740dc6bc723dc505e3224acc0cdaefe0