王力雄:超越者連盟(6)
出典:http://boxun.com/hero/2006/wanglx/6_6.shtml
しかし、「全体的な設計」は一種の相互に矛盾する束縛に直面する。一方で、雇われた思想者には超越は難しい。思想は生活の糧以外の「余暇活動」として誰にも依存しないではじめて社会変革に影響を与える独立要素になりうる。しかし思想を生活の糧にしないのであれば、思想者は他の技能を持たなければならないが、それは多くの思想者にとってむずかしいだけでなく、できたとしても生業に費やす時間と精力もまた思想者の「余暇活動」を大きく制限する。上述の任務を達成するための仕事は膨大であり、思想者の「余暇活動」の力だけでは、まったく足りない。
これは資本超越者が役割を発揮できる分野である。思想者が生計に行き詰らないようにするのに必要な金は、金持ちが贅沢を少し抑えるだけの小額に過ぎない。もしも、中国で本当に100人の金持ちが少し贅沢を抑えて、100人の思想者に援助して(仏教の施主が僧侶にお返しを求めないで喜捨するように)、彼らを体制から離脱できるようにさせ、独立思考を数年持続できたら、中国思想界は「諸子百家」の輝きは再現できないとしても、大きな成果を生み、政治転換に多くの有益な思想を提供するだろう。中国の企業家が毎年公益分野に使う金はこれの千倍百倍にとどまらない。砂漠化防止、サルの救援、学校運営、白内障手術などいずれも意義あることである。しかし、諸子百家が論争する局面を生み出すことには、それらに使う金の端数で済む。投入産出比の計算の得意な企業家ならば、ベネフィットがどこにあるかわかるはずである。
もちろん企業家は、入り乱れた思想と思想者に中でどれが支援に値するかに迷うだろう。これは第一に、自ら選定する必要があり、第二に、賭けた相手が一番良いとは限らないので、超越の心を持って、目標を多元的な思想が交流しぶつかり合う局面を作ることにおくべきである。思想は一つだけが尊いとは言えず、転換の道もいくつも模索しなければならない。歴史は最終的に一つだけを選ぶとしても、前提は歴史の選択のために多くの材料を提供することである。
思想伝達の推進は資本のもう一つの超越である。資本の本質は利潤至上であり、思想の伝達には資本が要るが利潤は出ない。よって、超越していない資本は負担することはない。しかし、伝達しなかったら、いくら良い思想的成果も役には立たない。思想伝達は思想者支援のように簡単ではなく、必要な資本も多くなる。しかし、資本超越者の思想伝達に対する価値で投資能力よりも大きなのは普及の能力である。市場経済の中核的能力は普及--広告、営業、市場拡大など――である。もしも思想の普及を思想成果の「商品化」とみなせば、企業家が「営業」能力の発揮できる役割は非常に大きい。
超越者連盟の枢軸(第四章第二節)
各要素から超越者が現れることは得がたいことであるが、異なる要素間の超越者が連盟を形成するのはもっと難しい。超越者が自然の流れで集まる可能性はほとんどない。政権超越者は変革がスタートする前には表に出ない。思想超越者は主流から異人種とみなされ、資源、人脈とメディアの注目に欠けるので、知られることはむずかしい。後者は鉄のカーテンの後ろの前者を発見するすべがなく、前者は仕事に追われて、情報の洪水の中から超越した思想を拾い出す暇がない、もしくはたとえ思想超越者に気づいたとしても、保身のために接触を避けるので、両者の間で直接意思疎通をすることはほとんどない。そのことが、連結装置の存在を必要とさせる。それがあってはじめて超越者連盟は形成され、なければ空虚な概念に終わるだろう。
資本超越者はこの連結装置にもっとも適切な存在である。資本の民間性は権力者の忌諱に触れず、経営の経験により思想家のような偏屈さはない。同時に権力者の上座の客にもなれるし、思想者のパトロンにもなれる。しかし、連結装置の役割は社交的な場での相互紹介のように簡単ではない。超越者連盟に重要なのは人の集まりではなく、超越性のある思想を権力者の行動プロセスに変えることである。連結装置の役割は、超越的思想が権力者の思考の中に入っていくところにある。
独裁体制の権力者は永遠に過剰な情報を受け入れるので、情報の多くは無駄になる。とりわけ新しい思想を受け入れる機能は、仕事に埋没して窒息してしまう。権力者に超越的な思想に関心を寄せ考えさせることは非常に難しい課題である。しかしそれが、超越的な思想普及の鍵である。権力者の一人に超越的な思想を受け入れさせることは、100万の一般人に勝る。翻って、超越的な思想を100万人の一般人に普及することの主な価値は権力者の注意を引くことにある(?)。独裁制度の中での上から下への改革を望み、下から上への革命を免れたいのであれば、独裁体制のこの欠点に順応し利用する必要がある。
政権の領袖が超越に踏み出すのは、超越が成功すると確信したときである。超越の道筋が思想者の頭の中だけに描かれていたのでは、机上の空論と思われる。諸説紛々として意見がまとまらないのでは、権力者は判断もできず、まして確信など問題外である。そこで超越的な思想を大枠とし、学者専門家を集めて詳細な論証と具体的な設計をする必要がある。イデオロギーの構築、転換手順の定量分析、因果関係と連鎖反応、さまざまな分野と段階の転換プランの制定を行い、関連措置及び備蓄プランなども作らなければならない。このような論証と設計には「砂盤演習」の効果もあり、一つ一つの部分を十分に遂行することができるので、各種の可能性について演習を行い、その上ですべての部分をつなげて完全な転換の道筋とする。専門家の参加により演習の権威性と信頼性を高め、超越的思想の思潮へのレベルアップを助け、諸説紛々の中から浮かび上がらせ、権力者の注意を引き、成功を確信させるという目的を達成することができる。
このような作業には資本超越者の参加がいっそう必要である。資金提供のほかに、専門家集団がプロジェクトを実施するときのシンクタンクの運営には、企業家の優秀な管理と資源配分の才能が欠かせない。資本超越者が超越者連盟の連結装置であることの、主な意義がこれである。なぜなら資本の超越者がこのような「全体的設計」の組織と推進を担わなければ、超越的思想は操作可能な「施工青写真」にならず、政権超越者に成功の確信を与えられず、思想の超越は完成できず、政権の超越も発生しないからだ。
まったく、この「全体的設計」を完成するのに必要な資金は、素人芝居をはるかに上回る。しかし、13億人の中国人の運命を変えることに比べれば、金で金を生む商売はつまらないゲームである。たとえ2000万米ドル(「全体的設計」数回分に足る)を使って宇宙(今のところ5人の資本家分の費用)まで上がったとしても、とても中国を超越に導くという高度には比べようもない。資本が得意とするのは「金儲けの道」だが、超越的資本の得意とするのは「散財の道」である。このような資本超越者の人格は偉大と称するに足り、功績も永遠に史書に残るだろう。
五、エリート連盟を打ち破る――文革黙示録
これまで思想超越者が政治変革を求める道筋と、資本超越者が変革を推進する「全体的設計」について述べたが、いずれもエリート連盟の打破である。そして、政権超越者が変革の思想と設計を実現させるのは、超越者連盟がエリート連盟を打破する最後の関門である。
政権超越者の変革成功の確度の判断は、社会において成功するかだけでなく、官僚集団に勝てるかどうかも判断しなければならない。官僚集団は政治変革の最大の障害である。歴史上の改革者はその多くが官僚集団につぶされた。これは政権超越者にとって最大の恐怖である。変革により社会転換が成功したとしても、官僚集団の関門を超えられなければ実施できない(?社会転換に成功すると言うことは政権奪取したからでは?)。権力集団の現在は一枚岩であるから、領袖と官僚集団が共同で改革を拒むかもしれないし、領袖に変革への意志があっても、無力で毛沢東のように官僚集団の牽制をはねつけるほど強大でないかもしれない。エリート連盟の中核は政権であり、政権の主体は官僚集団である。官僚集団に勝てるかどうかは、超越者連盟がエリート連盟を打破できるかどうかの鍵である。
いかに官僚集団に打ち勝つか――文革の黙示1
一般的な見方では、強権リーダーであれば官僚集団の制約は受けず、官僚集団を服従させ、そうして始めて政治改革を推進できる。このような見方だと、今日の中共はもう強権リーダーを生み出すことはないので、政治改革の希望も断たれてしまうのではないか? 弱いと自認している領袖は政治変革を起こす勇気はないだろう。しかし、強権リーダーについてのこの説は受け売りに過ぎない。毛沢東は強権リーダーの最たるものだが、彼の行為を分析すると、せいぜい官僚集団の制約を受けなかった程度に過ぎず、官僚集団を服従させることはできなかった。もし官僚集団が本当に彼に服属していたら、どうして文革を発動する必要があっただろうか? 実際は、毛沢東がどれほど強力であっても、文革前はずっと体制に縛られていて、官僚集団の網を打破できなかった。彼が政権を握ってから一番考えていたのは、どうやって官僚集団に対処するかだった。彼は首領であり、絶対の権威を持っていたが、首脳が自分の意思を実現するには手足――官僚集団の日常的な業務執行――が必要である。官僚集団は数千数万の自我意識のある人間の組織であり、みな個人利益を追求している。領袖の意志(とりわけ政治変革にかかわる)と彼らの利益が衝突したら、期せずして同一行動をとったり、共謀したりして面従腹背して、権力執行を利用し、領袖の意志を歪曲変形し、雲散霧消させてしまう。
領袖が官僚を如何ともしがたいのは歴史的難問である。皇帝でも毛沢東でも、あるいは現在の「中共中央」でも。その根源は領袖の官僚に対する関係が「少数が多数を制御する」という点にある。一対の目でどうやって百万の官僚を管理できるだろう? 毛沢東は神の位置に祭り上げられたが、彼が住んでいた北京ですら、彼に言わせれば「独立王国」になっていて、「針も通さず、水も漏らさない」と嘆かせた。よって、政治改革の問題では、強い領袖と弱い領袖に区別はなく、どちらも官僚集団を服従させられない。
毛沢東は、多年にわたり官僚集団解決の方法を見つけられなかった。なぜなら、それらの方法はみな官僚集団を通じてのみ実施することができるからだ。「文革」の前奏をなした「四清」でさえ、政権システムを通じて官僚集団の問題を解決しようとしていた。しかし彼が最後に発見したのは、それはまるで刀の刃で刀の峰を切るように不可能ということだった。官僚集団が何で本当に自分に刃を向けるだろうか? 彼はほかの力を探して官僚集団に立ち向かうしかなかった。
そこではじめて「文化大革命」がおこった。毛沢東が最終的に見つけた方法とは官僚集団を超越し、直接民衆に号令をかけ、民衆の行動を指揮することだった。彼はそれからは組織システムを使って彼の意志を貫徹しようとはせず、天安門にのぼって直接民衆に呼びかけ、民衆に官僚集団に服従しないよう権限を授けた。毛沢東の文革発動の行動――紅衛兵謁見、大字報張り出し、造反支持、経験交流の奨励、「最高指示」の発布など――はいずれも官僚集団を飛び越えて、直接民衆を指揮するものだった。このような未曾有の超越は官僚集団から毛沢東の意志を阻止する機会を奪っただけでなく、それ自身が打倒された。しかし、これは強権リーダーが官僚集団服従させたとみなすことはできない。むしろ毛沢東の強権によっても、官僚集団を服従させることができなかったので、民衆の力を利用して粉砕しなければならなかったのだ。
毛沢東が官僚集団を打倒したのは自分の力ではなく、民衆の力を借りた。毛沢東の役割は民衆にどうすべきかを教え、民衆に合法性を付与したに過ぎない。その他はみな「手放しで群集を動員し」、民衆に「自分で自分を解放させた」のだ。民衆の官僚集団打倒が朽木を引き倒すようだったのは、両者の関係が「多数で少数を制圧する」ものだったからである。これは文革の重要な啓示である。官僚集団に勝つには、体制内の方式ではだめだし、強権リーダーに頼ってもだめで、唯一可能な道は、官僚集団を超越した領袖が直接民衆と手を組むことである。これは文革が大きな犠牲を払って残した遺産であり、毛沢東の一大発明である。政治改革で最も難しい問題――いかにして官僚集団に打ち勝つか――はすでに文革が解決の道を示している。
「新しいものを作らなければ古いものは破壊できない」――文革の黙示2
毛沢東の悲劇は「古いものの破壊」には成功したが、「新しいものを作る」ことができなかったことだ。民衆に直接権力を握らせることは感動的な理想あるいは誘惑に過ぎず、現実にはコントロールが利かない。毛沢東は直接民衆と手を組むことで官僚集団を打倒したが、官僚集団によるコントロールを失い、社会も秩序を失って、「天下大乱」をもたらし長続きしなかった。独裁の本質が変わらない限り、領袖は最終的には官僚集団に頼って統治を行うほかない。「大乱から大治に」至り、「安定団結」を達成するために、毛沢東は「全面内戦」の後、新しい官僚集団を再建するしかなかった。文革はそれによって「新陳代謝」――古い官僚を新しい官僚に入れ替えることに――変質し、構造とメカニズムは元のまま変わらなかった。しかし、新しい官僚が代わって、政権に入った「工農兵」は権力掌握の過程で新しい官僚集団かつ特権者に転落し、再び毛沢東の監視を離れた。毛沢東は文革を「7~8年後にもう1回やる」と宣言することで、官僚集団を脅すしかなかった。しかし、彼が「不死身」でない限り、死んでしまえばたちまち官僚集団は完全に復活し、以前よりさらにひどくなる。復活した官僚集団がまずやることは、毛沢東が民衆に与えた造反の合法性を否定し、民衆のわずかばかりの政治的権利を徹底的に剥奪することだった。それはまた別の角度から、官僚集団の民衆の力に対する恐れを証明している。
出典:http://boxun.com/hero/2006/wanglx/6_6.shtml
しかし、「全体的な設計」は一種の相互に矛盾する束縛に直面する。一方で、雇われた思想者には超越は難しい。思想は生活の糧以外の「余暇活動」として誰にも依存しないではじめて社会変革に影響を与える独立要素になりうる。しかし思想を生活の糧にしないのであれば、思想者は他の技能を持たなければならないが、それは多くの思想者にとってむずかしいだけでなく、できたとしても生業に費やす時間と精力もまた思想者の「余暇活動」を大きく制限する。上述の任務を達成するための仕事は膨大であり、思想者の「余暇活動」の力だけでは、まったく足りない。
これは資本超越者が役割を発揮できる分野である。思想者が生計に行き詰らないようにするのに必要な金は、金持ちが贅沢を少し抑えるだけの小額に過ぎない。もしも、中国で本当に100人の金持ちが少し贅沢を抑えて、100人の思想者に援助して(仏教の施主が僧侶にお返しを求めないで喜捨するように)、彼らを体制から離脱できるようにさせ、独立思考を数年持続できたら、中国思想界は「諸子百家」の輝きは再現できないとしても、大きな成果を生み、政治転換に多くの有益な思想を提供するだろう。中国の企業家が毎年公益分野に使う金はこれの千倍百倍にとどまらない。砂漠化防止、サルの救援、学校運営、白内障手術などいずれも意義あることである。しかし、諸子百家が論争する局面を生み出すことには、それらに使う金の端数で済む。投入産出比の計算の得意な企業家ならば、ベネフィットがどこにあるかわかるはずである。
もちろん企業家は、入り乱れた思想と思想者に中でどれが支援に値するかに迷うだろう。これは第一に、自ら選定する必要があり、第二に、賭けた相手が一番良いとは限らないので、超越の心を持って、目標を多元的な思想が交流しぶつかり合う局面を作ることにおくべきである。思想は一つだけが尊いとは言えず、転換の道もいくつも模索しなければならない。歴史は最終的に一つだけを選ぶとしても、前提は歴史の選択のために多くの材料を提供することである。
思想伝達の推進は資本のもう一つの超越である。資本の本質は利潤至上であり、思想の伝達には資本が要るが利潤は出ない。よって、超越していない資本は負担することはない。しかし、伝達しなかったら、いくら良い思想的成果も役には立たない。思想伝達は思想者支援のように簡単ではなく、必要な資本も多くなる。しかし、資本超越者の思想伝達に対する価値で投資能力よりも大きなのは普及の能力である。市場経済の中核的能力は普及--広告、営業、市場拡大など――である。もしも思想の普及を思想成果の「商品化」とみなせば、企業家が「営業」能力の発揮できる役割は非常に大きい。
超越者連盟の枢軸(第四章第二節)
各要素から超越者が現れることは得がたいことであるが、異なる要素間の超越者が連盟を形成するのはもっと難しい。超越者が自然の流れで集まる可能性はほとんどない。政権超越者は変革がスタートする前には表に出ない。思想超越者は主流から異人種とみなされ、資源、人脈とメディアの注目に欠けるので、知られることはむずかしい。後者は鉄のカーテンの後ろの前者を発見するすべがなく、前者は仕事に追われて、情報の洪水の中から超越した思想を拾い出す暇がない、もしくはたとえ思想超越者に気づいたとしても、保身のために接触を避けるので、両者の間で直接意思疎通をすることはほとんどない。そのことが、連結装置の存在を必要とさせる。それがあってはじめて超越者連盟は形成され、なければ空虚な概念に終わるだろう。
資本超越者はこの連結装置にもっとも適切な存在である。資本の民間性は権力者の忌諱に触れず、経営の経験により思想家のような偏屈さはない。同時に権力者の上座の客にもなれるし、思想者のパトロンにもなれる。しかし、連結装置の役割は社交的な場での相互紹介のように簡単ではない。超越者連盟に重要なのは人の集まりではなく、超越性のある思想を権力者の行動プロセスに変えることである。連結装置の役割は、超越的思想が権力者の思考の中に入っていくところにある。
独裁体制の権力者は永遠に過剰な情報を受け入れるので、情報の多くは無駄になる。とりわけ新しい思想を受け入れる機能は、仕事に埋没して窒息してしまう。権力者に超越的な思想に関心を寄せ考えさせることは非常に難しい課題である。しかしそれが、超越的な思想普及の鍵である。権力者の一人に超越的な思想を受け入れさせることは、100万の一般人に勝る。翻って、超越的な思想を100万人の一般人に普及することの主な価値は権力者の注意を引くことにある(?)。独裁制度の中での上から下への改革を望み、下から上への革命を免れたいのであれば、独裁体制のこの欠点に順応し利用する必要がある。
政権の領袖が超越に踏み出すのは、超越が成功すると確信したときである。超越の道筋が思想者の頭の中だけに描かれていたのでは、机上の空論と思われる。諸説紛々として意見がまとまらないのでは、権力者は判断もできず、まして確信など問題外である。そこで超越的な思想を大枠とし、学者専門家を集めて詳細な論証と具体的な設計をする必要がある。イデオロギーの構築、転換手順の定量分析、因果関係と連鎖反応、さまざまな分野と段階の転換プランの制定を行い、関連措置及び備蓄プランなども作らなければならない。このような論証と設計には「砂盤演習」の効果もあり、一つ一つの部分を十分に遂行することができるので、各種の可能性について演習を行い、その上ですべての部分をつなげて完全な転換の道筋とする。専門家の参加により演習の権威性と信頼性を高め、超越的思想の思潮へのレベルアップを助け、諸説紛々の中から浮かび上がらせ、権力者の注意を引き、成功を確信させるという目的を達成することができる。
このような作業には資本超越者の参加がいっそう必要である。資金提供のほかに、専門家集団がプロジェクトを実施するときのシンクタンクの運営には、企業家の優秀な管理と資源配分の才能が欠かせない。資本超越者が超越者連盟の連結装置であることの、主な意義がこれである。なぜなら資本の超越者がこのような「全体的設計」の組織と推進を担わなければ、超越的思想は操作可能な「施工青写真」にならず、政権超越者に成功の確信を与えられず、思想の超越は完成できず、政権の超越も発生しないからだ。
まったく、この「全体的設計」を完成するのに必要な資金は、素人芝居をはるかに上回る。しかし、13億人の中国人の運命を変えることに比べれば、金で金を生む商売はつまらないゲームである。たとえ2000万米ドル(「全体的設計」数回分に足る)を使って宇宙(今のところ5人の資本家分の費用)まで上がったとしても、とても中国を超越に導くという高度には比べようもない。資本が得意とするのは「金儲けの道」だが、超越的資本の得意とするのは「散財の道」である。このような資本超越者の人格は偉大と称するに足り、功績も永遠に史書に残るだろう。
五、エリート連盟を打ち破る――文革黙示録
これまで思想超越者が政治変革を求める道筋と、資本超越者が変革を推進する「全体的設計」について述べたが、いずれもエリート連盟の打破である。そして、政権超越者が変革の思想と設計を実現させるのは、超越者連盟がエリート連盟を打破する最後の関門である。
政権超越者の変革成功の確度の判断は、社会において成功するかだけでなく、官僚集団に勝てるかどうかも判断しなければならない。官僚集団は政治変革の最大の障害である。歴史上の改革者はその多くが官僚集団につぶされた。これは政権超越者にとって最大の恐怖である。変革により社会転換が成功したとしても、官僚集団の関門を超えられなければ実施できない(?社会転換に成功すると言うことは政権奪取したからでは?)。権力集団の現在は一枚岩であるから、領袖と官僚集団が共同で改革を拒むかもしれないし、領袖に変革への意志があっても、無力で毛沢東のように官僚集団の牽制をはねつけるほど強大でないかもしれない。エリート連盟の中核は政権であり、政権の主体は官僚集団である。官僚集団に勝てるかどうかは、超越者連盟がエリート連盟を打破できるかどうかの鍵である。
いかに官僚集団に打ち勝つか――文革の黙示1
一般的な見方では、強権リーダーであれば官僚集団の制約は受けず、官僚集団を服従させ、そうして始めて政治改革を推進できる。このような見方だと、今日の中共はもう強権リーダーを生み出すことはないので、政治改革の希望も断たれてしまうのではないか? 弱いと自認している領袖は政治変革を起こす勇気はないだろう。しかし、強権リーダーについてのこの説は受け売りに過ぎない。毛沢東は強権リーダーの最たるものだが、彼の行為を分析すると、せいぜい官僚集団の制約を受けなかった程度に過ぎず、官僚集団を服従させることはできなかった。もし官僚集団が本当に彼に服属していたら、どうして文革を発動する必要があっただろうか? 実際は、毛沢東がどれほど強力であっても、文革前はずっと体制に縛られていて、官僚集団の網を打破できなかった。彼が政権を握ってから一番考えていたのは、どうやって官僚集団に対処するかだった。彼は首領であり、絶対の権威を持っていたが、首脳が自分の意思を実現するには手足――官僚集団の日常的な業務執行――が必要である。官僚集団は数千数万の自我意識のある人間の組織であり、みな個人利益を追求している。領袖の意志(とりわけ政治変革にかかわる)と彼らの利益が衝突したら、期せずして同一行動をとったり、共謀したりして面従腹背して、権力執行を利用し、領袖の意志を歪曲変形し、雲散霧消させてしまう。
領袖が官僚を如何ともしがたいのは歴史的難問である。皇帝でも毛沢東でも、あるいは現在の「中共中央」でも。その根源は領袖の官僚に対する関係が「少数が多数を制御する」という点にある。一対の目でどうやって百万の官僚を管理できるだろう? 毛沢東は神の位置に祭り上げられたが、彼が住んでいた北京ですら、彼に言わせれば「独立王国」になっていて、「針も通さず、水も漏らさない」と嘆かせた。よって、政治改革の問題では、強い領袖と弱い領袖に区別はなく、どちらも官僚集団を服従させられない。
毛沢東は、多年にわたり官僚集団解決の方法を見つけられなかった。なぜなら、それらの方法はみな官僚集団を通じてのみ実施することができるからだ。「文革」の前奏をなした「四清」でさえ、政権システムを通じて官僚集団の問題を解決しようとしていた。しかし彼が最後に発見したのは、それはまるで刀の刃で刀の峰を切るように不可能ということだった。官僚集団が何で本当に自分に刃を向けるだろうか? 彼はほかの力を探して官僚集団に立ち向かうしかなかった。
そこではじめて「文化大革命」がおこった。毛沢東が最終的に見つけた方法とは官僚集団を超越し、直接民衆に号令をかけ、民衆の行動を指揮することだった。彼はそれからは組織システムを使って彼の意志を貫徹しようとはせず、天安門にのぼって直接民衆に呼びかけ、民衆に官僚集団に服従しないよう権限を授けた。毛沢東の文革発動の行動――紅衛兵謁見、大字報張り出し、造反支持、経験交流の奨励、「最高指示」の発布など――はいずれも官僚集団を飛び越えて、直接民衆を指揮するものだった。このような未曾有の超越は官僚集団から毛沢東の意志を阻止する機会を奪っただけでなく、それ自身が打倒された。しかし、これは強権リーダーが官僚集団服従させたとみなすことはできない。むしろ毛沢東の強権によっても、官僚集団を服従させることができなかったので、民衆の力を利用して粉砕しなければならなかったのだ。
毛沢東が官僚集団を打倒したのは自分の力ではなく、民衆の力を借りた。毛沢東の役割は民衆にどうすべきかを教え、民衆に合法性を付与したに過ぎない。その他はみな「手放しで群集を動員し」、民衆に「自分で自分を解放させた」のだ。民衆の官僚集団打倒が朽木を引き倒すようだったのは、両者の関係が「多数で少数を制圧する」ものだったからである。これは文革の重要な啓示である。官僚集団に勝つには、体制内の方式ではだめだし、強権リーダーに頼ってもだめで、唯一可能な道は、官僚集団を超越した領袖が直接民衆と手を組むことである。これは文革が大きな犠牲を払って残した遺産であり、毛沢東の一大発明である。政治改革で最も難しい問題――いかにして官僚集団に打ち勝つか――はすでに文革が解決の道を示している。
「新しいものを作らなければ古いものは破壊できない」――文革の黙示2
毛沢東の悲劇は「古いものの破壊」には成功したが、「新しいものを作る」ことができなかったことだ。民衆に直接権力を握らせることは感動的な理想あるいは誘惑に過ぎず、現実にはコントロールが利かない。毛沢東は直接民衆と手を組むことで官僚集団を打倒したが、官僚集団によるコントロールを失い、社会も秩序を失って、「天下大乱」をもたらし長続きしなかった。独裁の本質が変わらない限り、領袖は最終的には官僚集団に頼って統治を行うほかない。「大乱から大治に」至り、「安定団結」を達成するために、毛沢東は「全面内戦」の後、新しい官僚集団を再建するしかなかった。文革はそれによって「新陳代謝」――古い官僚を新しい官僚に入れ替えることに――変質し、構造とメカニズムは元のまま変わらなかった。しかし、新しい官僚が代わって、政権に入った「工農兵」は権力掌握の過程で新しい官僚集団かつ特権者に転落し、再び毛沢東の監視を離れた。毛沢東は文革を「7~8年後にもう1回やる」と宣言することで、官僚集団を脅すしかなかった。しかし、彼が「不死身」でない限り、死んでしまえばたちまち官僚集団は完全に復活し、以前よりさらにひどくなる。復活した官僚集団がまずやることは、毛沢東が民衆に与えた造反の合法性を否定し、民衆のわずかばかりの政治的権利を徹底的に剥奪することだった。それはまた別の角度から、官僚集団の民衆の力に対する恐れを証明している。