王力雄:チベットの直面する二つの帝国主義――唯色事件透視(1)
原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/2ee0508bb3fd152dc37ea15e99c94f31
政治的帝国主義の文化圧制
その悪名と文明社会による拒否に対応して、今日では単純な領土拡張と資源の略奪は帝国主義の主要形態ではなくなっている。たとえ占領と殖民を続けていても、経済援助など現地の民族に役立つという外套をまとい、文明上の優越と物質的恩恵授与者を自ら任ずる。この時代には、帝国主義は文化の面でより具体的に表現される。
現在のチベット問題に関する論争において、文化が一つの焦点である。外部の批判に対して、中国政府の列挙する多くの実例が説明するのはそのチベット文化保護――寺院の修復、文化財保護、チベット語教育推進、二言語使用の規定、途絶えた芸術の救済などである。しかし、国際社会とチベット人亡命者はこの面で中国を批判し、同様に多くの実例を挙げる。双方の結論はまったく正反対である。私は、この視点から文化を議論するのは一種の逸脱であると思う。なぜなら、民族文化は他でもなく、民族の自己表現だからである。この表現とは単なる歴史の再話や伝統表現だけでなく、より重要なのは自民族の現実の境遇の体験、思考と訴えである。たとえ歴史と伝統の表現であっても、自民族自体から発せられ、かつ民族の現実の意識と結合していて、はじめて生きた文化となる。でなければ、民族の自我を失い、現実とのつながりを断たれ、文化は抜け殻や操り人形となり、形式は具えていても生命は失われる。
例を挙げれば、たとえ民族の文字を非常によく保存していたとしても、民族の文字で民族の真実の体験を訴えられず、帝国統治者の声の再話しかできないとすれば、その文字にどれだけの文化的意義が残っているだろうか? よって、民族文化が保護されているかどうかの判断の主要基準は、伝統の保留ではなく、まして投資額の多寡でもない。
この観点から見ると、中国当局のチベット文化の破壊と圧制ははっきりとわかる――それが他にどれほどのことをやったとしても、それはチベット民族の自己表現を許さない。すべての表現が中国当局の統制のもとに行われ、いかなる逸脱も処罰される。チベットの女性作家唯色の境遇がまさにその例証である。唯色は漢語で著述するチベット人女性作家である。1966年にラサで生まれ、四川省のチベット地区で成長し、1988年西南民族学院漢語学部を卒業した。甘孜州報の記者になり、1990年にラサの雑誌「チベット文学」編集部に異動した。『チベットは上る(西蔵在上)』、『真紅色の地図(絳紅色的地図)』、『チベットノート(西蔵筆記)』などの著作がある。唯色に厄介をもたらしたのは『チベットノート』である。『チベットノート』は随筆で、2003年に広州の花城出版社から出版された。一方で好評でたちまち重版されたが、一方では当局の注意を引いた。まず、中国共産党統一戦線部がこの本を「深刻な政治的誤りがある」と判断した。すると、チベットのイデオロギー担当者がすぐに『チベットノート』を審査するよう命じ、同時にチベットで『チベットノート』を販売することを禁じた。その後、広東省新聞出版局に『チベットノート』を全面的に販売禁止にするよう要求した。唯色の所属職場のチベット文学芸術界連合会(文連)は『チベットノート』に対して次のような結論を下した。「宗教の社会生活における積極的な役割を誇張、美化し、一部の文章の中でダライラマに対する崇拝と敬慕の念を表明し、一部の内容は狭隘な民族主義思想を表現し国家の統一、民族の団結の観点と言論にとって不利である。一部の内容はチベットの改革開放数十年の間に勝ち取った巨大な成果を無視し、道徳的流言の旧チベットに対する懐旧の情に浸りすぎて、間違った価値判断をし、正しい政治原則にそむき、現代作家が担うべき社会的責任と先進文化建設のために担うべき政治的責任を失っている」。中国新聞出版総署の副署長石峰はつづけて出版工作会議の席で『チベットノート』を重点的に叱責し、この本を「十四世ダライラマ、十七世カルマパを賞賛し、宗教を崇拝、宣揚するなどの深刻な政治的立場と観点の誤りがある。一部の文章は政治的誤りに踏み込んでいる。たとえば、『ニマツレン』、『タンツォンと彼の息子』などの随筆である。前者は著名な宗教家ニマツレンが国際会議の席でダライラマの支持者と会ったときの困惑を描き、ダライラマの祖国の分裂とチベットの独立を煽るという本質に対する作者の認識があいまいである。後者はチベット反乱鎮圧に対する誤解を吐露している」(2004年2月23日、中国発行英才網の『図書出版ニュース』第22号参照)。上述の『チベットノート』に対する叱責は、全面的に帝国意識によってチベット民族の自己認識を否定するものである。「宗教の崇拝と宣揚」を「深刻な政治的立場と観点の誤り」と規定することは、いかなる社会においても不可思議である。唯色自身はチベット仏教の信者であるから、その宗教指導者のダライラマとカルマパを賛美するのは本来理にかなったことである。植民者だけが民族抑圧のためにそのような罪状を持ち出しえる。また、「数十年の間に勝ち取った巨大な成果」を称賛せず、「道徳的流言の旧チベットに対する懐旧の情に浸」ることが、「間違った価値判断をし、正しい政治原則にそむ」くことであり、作家としての「社会的責任」と「政治的責任」の喪失だという主張は、帝国主義的な横暴と屁理屈そのものである。『チベットノート』が中国の検閲制度の下で出版できたというのはある意味で奇跡である。広東が中国で一番の商業化した環境であり、比較的ゆるく自由な土地であったからかもしれない。新聞出版総署に名指しされた「ニマツレン」という随筆は、被圧迫民族の重苦しさと無力感を深く表現している。あるウイグル人の読者が不正確な漢語で唯色に送った電子メールの中にこの文章が呼び起こした共感を知ることができる。
私は今あなたの本を読んでいます。ニマツレンがノルウエーにいたとき少女が彼に話し終わった後、私はとてもつらくなりました。自分がひどく泣くのを抑えることができませんでした。何回も読み直しました。彼が少女の質問に答えるときのことを考えたら大声で泣くのをこらえられません。私は一人で長いこと泣いていました。まるで何かが私の心に押し込まれたようで、私の弱い心臓はとても耐えられません。私は大声で叫びたい。でも、私にはその勇気がありません。私はニマツレンよりもずっと惨めです。
『チベットノート』が販売禁止になったとき、唯色は北京魯迅文学院で雑誌編集長高級研修班に参加していた。チベット文連は彼女を『チベット文学』の副編集長にしようとしていたようだ。しかし、問題が起きてからチベット側はすぐに彼女の学習を中止させラサに召還した。専門の「教育支援グループ」を組織し、彼女に対して「思想教育」を行い、彼女に「自己批判(原文:検討)」し「関門を通過する(原文:過関)」よう迫った。括弧の中の言葉は中共の専用語彙である。それは精神を統制する方法と手段であり、イメージ的には「いじめ(原文:整人)」である。その核心は人を強権の前に跪かせ、人格の独立と尊厳を放棄させることである。自己否定が絶え間なく繰り返され記録されて、それが十分に共産党の要求を満足させてはじめて「再び真人間になる(原文:重新做人)」ことが許可される。それ以降は脱線する勇気がなくなるだけでなく、共産党の「思想教育」に感謝しなければならない。このやり方を中共は数十年続けてきて、すでに組織の本能となっており、必要とあれば自動的に発動される。多くの人は「思想教育」の対象になると屈服し、関門通過を請い願う。これはすでに中国で長年行われてきたことなので、人々は慣れきってしまって、恥ずかしいこととは思わない。唯色がそうしたとしても、もう編集長にはなれず、あるいは農村に送られて思想改造を迫られるかもしれないが、すくなくとも毎月の給料は保証される。このことは体制外の空間が狭いチベットでは非常に重視される。チベット語で言えば、給料があれば家に乳牛がいるようなもので、毎日牛乳が飲めるのだ。
しかし、唯色はそのように「関門を通過する」ことはできなかった。なぜなら彼女はまず自分の信仰を守らなければならなかったからだ。「十四世ダライラマを賛美した」と叱責されたからには、十四世ダライラマを攻撃して始めて「関門を通過する」ことができる。少なくとも民族工作を主管する中共政治局常務委員李瑞環が言った「ダライラマはチベット独立を図る分裂主義政治集団のもとじめであり、国際反中国勢力の忠実な道具であり、チベットに社会混乱をもたらす根源であり、チベット仏教正常化の最大の障害である」という言葉を反復しなければならない。だが、唯色がどうして自分の宗教リーダーに対してこのような言葉を吐けようか? ダライラマがチベットで社会混乱を起こし、チベット仏教の正常化を妨害していると言うのは、白を黒と言いくるめることではないか? 宗教によっても良心によっても、彼女はそのようなことはいえなかった。仏教において、上師を攻撃するのは最大の罪である。また、いったい誰がダライラマを追い出し、数十万人のチベット人を殺し、チベットのすべての寺を破壊したのか? 彼らこそチベットに社会混乱をもたらし、チベット仏教の正常化を妨害する張本人ではないか。チベットの前中国共産党書記の陳奎元が「寺院整頓」をしていたとき、すべてのチベット僧侶に李瑞環のダライラマに対する批判を直筆で書くように強制し、書かなかった僧を寺院から追放した。しかし、チベット語の「である」と「ではない」はほんの少しの違いで、一部の僧は目立たないように「である」の上に点をつけて「ではない」にし、「関門を通過」しようとした。しかし、唯色はそうはできなかった。彼女は漢語で著述する作家であり、漢語は点一つで「ではない」に変えられず、字が一つ多くなり、ごまかして「関門を通過」することはできない。当局は毎日の波状攻撃により、彼女と彼女の家族に「思想工作」(実質は人に対する精神的虐待)を加えた。巨大な精神的圧力と朝から晩までの威嚇に耐えられなくなったころ、彼女に彼女が反対していた青海チベット鉄道工事現場で「教育を受ける」よう命令が出た。彼女はこの体制に対抗したりうまくあしらったりする力が自分にないことを知っていたので、出奔を選択しチベットを離れた。去る前に彼女はチベット文連の最高意思決定機関である中共党グループに一通の手紙を残した。手紙は、「私は永遠に仏教を信仰するチベット作家である」と題されていた。
つづく
(2)http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/36717e1833957b1a2c68912ff4ce4059
(3)http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/97469cf64e2357ea094a0ecc690306a9
(4)http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/9bd9ea8708b8baf49d17f3f30df8b758
原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/2ee0508bb3fd152dc37ea15e99c94f31
政治的帝国主義の文化圧制
その悪名と文明社会による拒否に対応して、今日では単純な領土拡張と資源の略奪は帝国主義の主要形態ではなくなっている。たとえ占領と殖民を続けていても、経済援助など現地の民族に役立つという外套をまとい、文明上の優越と物質的恩恵授与者を自ら任ずる。この時代には、帝国主義は文化の面でより具体的に表現される。
現在のチベット問題に関する論争において、文化が一つの焦点である。外部の批判に対して、中国政府の列挙する多くの実例が説明するのはそのチベット文化保護――寺院の修復、文化財保護、チベット語教育推進、二言語使用の規定、途絶えた芸術の救済などである。しかし、国際社会とチベット人亡命者はこの面で中国を批判し、同様に多くの実例を挙げる。双方の結論はまったく正反対である。私は、この視点から文化を議論するのは一種の逸脱であると思う。なぜなら、民族文化は他でもなく、民族の自己表現だからである。この表現とは単なる歴史の再話や伝統表現だけでなく、より重要なのは自民族の現実の境遇の体験、思考と訴えである。たとえ歴史と伝統の表現であっても、自民族自体から発せられ、かつ民族の現実の意識と結合していて、はじめて生きた文化となる。でなければ、民族の自我を失い、現実とのつながりを断たれ、文化は抜け殻や操り人形となり、形式は具えていても生命は失われる。
例を挙げれば、たとえ民族の文字を非常によく保存していたとしても、民族の文字で民族の真実の体験を訴えられず、帝国統治者の声の再話しかできないとすれば、その文字にどれだけの文化的意義が残っているだろうか? よって、民族文化が保護されているかどうかの判断の主要基準は、伝統の保留ではなく、まして投資額の多寡でもない。
この観点から見ると、中国当局のチベット文化の破壊と圧制ははっきりとわかる――それが他にどれほどのことをやったとしても、それはチベット民族の自己表現を許さない。すべての表現が中国当局の統制のもとに行われ、いかなる逸脱も処罰される。チベットの女性作家唯色の境遇がまさにその例証である。唯色は漢語で著述するチベット人女性作家である。1966年にラサで生まれ、四川省のチベット地区で成長し、1988年西南民族学院漢語学部を卒業した。甘孜州報の記者になり、1990年にラサの雑誌「チベット文学」編集部に異動した。『チベットは上る(西蔵在上)』、『真紅色の地図(絳紅色的地図)』、『チベットノート(西蔵筆記)』などの著作がある。唯色に厄介をもたらしたのは『チベットノート』である。『チベットノート』は随筆で、2003年に広州の花城出版社から出版された。一方で好評でたちまち重版されたが、一方では当局の注意を引いた。まず、中国共産党統一戦線部がこの本を「深刻な政治的誤りがある」と判断した。すると、チベットのイデオロギー担当者がすぐに『チベットノート』を審査するよう命じ、同時にチベットで『チベットノート』を販売することを禁じた。その後、広東省新聞出版局に『チベットノート』を全面的に販売禁止にするよう要求した。唯色の所属職場のチベット文学芸術界連合会(文連)は『チベットノート』に対して次のような結論を下した。「宗教の社会生活における積極的な役割を誇張、美化し、一部の文章の中でダライラマに対する崇拝と敬慕の念を表明し、一部の内容は狭隘な民族主義思想を表現し国家の統一、民族の団結の観点と言論にとって不利である。一部の内容はチベットの改革開放数十年の間に勝ち取った巨大な成果を無視し、道徳的流言の旧チベットに対する懐旧の情に浸りすぎて、間違った価値判断をし、正しい政治原則にそむき、現代作家が担うべき社会的責任と先進文化建設のために担うべき政治的責任を失っている」。中国新聞出版総署の副署長石峰はつづけて出版工作会議の席で『チベットノート』を重点的に叱責し、この本を「十四世ダライラマ、十七世カルマパを賞賛し、宗教を崇拝、宣揚するなどの深刻な政治的立場と観点の誤りがある。一部の文章は政治的誤りに踏み込んでいる。たとえば、『ニマツレン』、『タンツォンと彼の息子』などの随筆である。前者は著名な宗教家ニマツレンが国際会議の席でダライラマの支持者と会ったときの困惑を描き、ダライラマの祖国の分裂とチベットの独立を煽るという本質に対する作者の認識があいまいである。後者はチベット反乱鎮圧に対する誤解を吐露している」(2004年2月23日、中国発行英才網の『図書出版ニュース』第22号参照)。上述の『チベットノート』に対する叱責は、全面的に帝国意識によってチベット民族の自己認識を否定するものである。「宗教の崇拝と宣揚」を「深刻な政治的立場と観点の誤り」と規定することは、いかなる社会においても不可思議である。唯色自身はチベット仏教の信者であるから、その宗教指導者のダライラマとカルマパを賛美するのは本来理にかなったことである。植民者だけが民族抑圧のためにそのような罪状を持ち出しえる。また、「数十年の間に勝ち取った巨大な成果」を称賛せず、「道徳的流言の旧チベットに対する懐旧の情に浸」ることが、「間違った価値判断をし、正しい政治原則にそむ」くことであり、作家としての「社会的責任」と「政治的責任」の喪失だという主張は、帝国主義的な横暴と屁理屈そのものである。『チベットノート』が中国の検閲制度の下で出版できたというのはある意味で奇跡である。広東が中国で一番の商業化した環境であり、比較的ゆるく自由な土地であったからかもしれない。新聞出版総署に名指しされた「ニマツレン」という随筆は、被圧迫民族の重苦しさと無力感を深く表現している。あるウイグル人の読者が不正確な漢語で唯色に送った電子メールの中にこの文章が呼び起こした共感を知ることができる。
私は今あなたの本を読んでいます。ニマツレンがノルウエーにいたとき少女が彼に話し終わった後、私はとてもつらくなりました。自分がひどく泣くのを抑えることができませんでした。何回も読み直しました。彼が少女の質問に答えるときのことを考えたら大声で泣くのをこらえられません。私は一人で長いこと泣いていました。まるで何かが私の心に押し込まれたようで、私の弱い心臓はとても耐えられません。私は大声で叫びたい。でも、私にはその勇気がありません。私はニマツレンよりもずっと惨めです。
『チベットノート』が販売禁止になったとき、唯色は北京魯迅文学院で雑誌編集長高級研修班に参加していた。チベット文連は彼女を『チベット文学』の副編集長にしようとしていたようだ。しかし、問題が起きてからチベット側はすぐに彼女の学習を中止させラサに召還した。専門の「教育支援グループ」を組織し、彼女に対して「思想教育」を行い、彼女に「自己批判(原文:検討)」し「関門を通過する(原文:過関)」よう迫った。括弧の中の言葉は中共の専用語彙である。それは精神を統制する方法と手段であり、イメージ的には「いじめ(原文:整人)」である。その核心は人を強権の前に跪かせ、人格の独立と尊厳を放棄させることである。自己否定が絶え間なく繰り返され記録されて、それが十分に共産党の要求を満足させてはじめて「再び真人間になる(原文:重新做人)」ことが許可される。それ以降は脱線する勇気がなくなるだけでなく、共産党の「思想教育」に感謝しなければならない。このやり方を中共は数十年続けてきて、すでに組織の本能となっており、必要とあれば自動的に発動される。多くの人は「思想教育」の対象になると屈服し、関門通過を請い願う。これはすでに中国で長年行われてきたことなので、人々は慣れきってしまって、恥ずかしいこととは思わない。唯色がそうしたとしても、もう編集長にはなれず、あるいは農村に送られて思想改造を迫られるかもしれないが、すくなくとも毎月の給料は保証される。このことは体制外の空間が狭いチベットでは非常に重視される。チベット語で言えば、給料があれば家に乳牛がいるようなもので、毎日牛乳が飲めるのだ。
しかし、唯色はそのように「関門を通過する」ことはできなかった。なぜなら彼女はまず自分の信仰を守らなければならなかったからだ。「十四世ダライラマを賛美した」と叱責されたからには、十四世ダライラマを攻撃して始めて「関門を通過する」ことができる。少なくとも民族工作を主管する中共政治局常務委員李瑞環が言った「ダライラマはチベット独立を図る分裂主義政治集団のもとじめであり、国際反中国勢力の忠実な道具であり、チベットに社会混乱をもたらす根源であり、チベット仏教正常化の最大の障害である」という言葉を反復しなければならない。だが、唯色がどうして自分の宗教リーダーに対してこのような言葉を吐けようか? ダライラマがチベットで社会混乱を起こし、チベット仏教の正常化を妨害していると言うのは、白を黒と言いくるめることではないか? 宗教によっても良心によっても、彼女はそのようなことはいえなかった。仏教において、上師を攻撃するのは最大の罪である。また、いったい誰がダライラマを追い出し、数十万人のチベット人を殺し、チベットのすべての寺を破壊したのか? 彼らこそチベットに社会混乱をもたらし、チベット仏教の正常化を妨害する張本人ではないか。チベットの前中国共産党書記の陳奎元が「寺院整頓」をしていたとき、すべてのチベット僧侶に李瑞環のダライラマに対する批判を直筆で書くように強制し、書かなかった僧を寺院から追放した。しかし、チベット語の「である」と「ではない」はほんの少しの違いで、一部の僧は目立たないように「である」の上に点をつけて「ではない」にし、「関門を通過」しようとした。しかし、唯色はそうはできなかった。彼女は漢語で著述する作家であり、漢語は点一つで「ではない」に変えられず、字が一つ多くなり、ごまかして「関門を通過」することはできない。当局は毎日の波状攻撃により、彼女と彼女の家族に「思想工作」(実質は人に対する精神的虐待)を加えた。巨大な精神的圧力と朝から晩までの威嚇に耐えられなくなったころ、彼女に彼女が反対していた青海チベット鉄道工事現場で「教育を受ける」よう命令が出た。彼女はこの体制に対抗したりうまくあしらったりする力が自分にないことを知っていたので、出奔を選択しチベットを離れた。去る前に彼女はチベット文連の最高意思決定機関である中共党グループに一通の手紙を残した。手紙は、「私は永遠に仏教を信仰するチベット作家である」と題されていた。
つづく
(2)http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/36717e1833957b1a2c68912ff4ce4059
(3)http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/97469cf64e2357ea094a0ecc690306a9
(4)http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/9bd9ea8708b8baf49d17f3f30df8b758