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博訊:中共がチベット人に遊牧放棄を強制

2008-01-18 22:35:47 | Weblog

中共强制要求西藏牧民放弃传统游牧生活
(博讯2008年01月18日发表)

    
    【挪威西藏之声1月18日报导】中共以改善藏人生活为由,强迫西藏牧民放弃游牧生活,这种作法在全藏区引发强烈争议和不满。人权组织也曾就此发表报告,批评中共严重摧毁藏人传统的生活方式。
     (博讯 boxun.com)

    中共官方媒体新华社昨天(17日)报导,中共当局自2006年起劝说西藏牧民放弃游牧生活,搬到固定住家居住。中国政府希望到二零一零年,为八成藏人,大约二十二万人建立房屋,让他们放弃游牧生活,在固定地点居住。
    
    中共的这种作法遭到西藏境内外藏人抗议,并认为这将彻底改变藏人传统的生活方式。
    
    总部设立在美国的人权观察去年6月发表有关藏人牧民迁徙的报告,题目为《插翅难飞》。报告批评中国政府强行把西藏牧民迁移到城市及农耕地区,摧毁藏人传统的生计及生活方式.
    
    人权观察在2004年7月至2006年12月,共采访了约150名受到迁移影响的藏人。
    
    报告指出, 中国政府自2000年开始把甘肃、青海、四川和西藏自治区的藏人牧民迁移到都市区域。
    
    报告指出,许多牧民被迫宰杀他们的牲畜,搬迁到城镇中新造的移民社区里。报告批评这些政策危害中国西部数以万计移民的传统生活方式及生计。
    
    报告指出移民至城市区域后的藏人牧民,由于不懂汉语或没有资金,所以只能做临时工或一些微贱的工作,一些没有农耕经验的藏人牧民甚至被迁移到农耕区。
    
    人权观察要求中国政府审核移民政策,如是否遵循2007年刚通过的《物权法》。
    
    报告特别提出,由于中国政府仍视西藏为忧虑,所以强行迁移政策的目的也是要压倒任何偏向独立或完全自治的情绪,以确保对这些地区的掌控。 (www.vot.org)

徐文立+黄+楊憲宏:中国における民主と人権の発展展望(1)

2008-01-18 19:27:52 | 中国異論派選訳
中国における民主と人権の発展展望(1)

原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/48185d4e4ae2257cb390bed52bda0e91

司会:楊憲宏
資料提供:台湾中央ラジオ局
録音整理:黄暁敏、田永徳、心塵、鵬飛
校正:天網ボランティア心塵、鵬飛
インタビュー日時:2007年12月20日

楊憲宏です。皆さんこんにちは。この放送は中央ラジオ局、台湾の声です。現在お聞きの番組は「人民に服務する――楊憲宏時間」です。今日は「焦点インタビュー」で、二人の旧友を招いて対談を行います。一人は、米国のロードアイランドにお住まいで、現在台北を訪問している中国民主党連合本部(海外)の徐文立主席。もう一人は、四川省成都にお住まいの中国天網(天ネット)人権事務センターの責任者黄さんです。お二人はこの番組でたびたび電話インタビューをしているゲストです。徐文立さんは、今の中国でもっとも古株の民主化運動のリーダー、黄さんは中国で最初のネットワーク上の言論で入獄した人権活動家です。徐文立さんは反対党設立の自由を求めたために、28年の刑に処せられ、14年間服役しました。2002年12月、徐文立さんは中国政府の米国大統領に対するクリスマスプレゼントにされ、治療目的の保釈の名義で米国に亡命しました。徐さんは米国に渡ってから、「関心中国センター」と中国民主党海外党本部を設立し、以前からの仕事を継続しています。黄さんは2005年6月に景気満了で出獄してから、天網ネットを再開し、倒れたところから立ち上がって、以前からの人権ニュースの仕事を継続しています。彼らお二人は困難の中で理想を失わない人です。一人は海外亡命、一人は中国国内で活動を堅持していますが、黄さんは中国民主党の党員ではありません。しかし、お二人とも平和、漸進、非暴力の理念を堅持しています。今日は放送を通じてお二人に空中対話をしていただき、中国の民主と人権の発展展望についてお話を伺いたいと思います。

我々は民主化運動の先輩の足跡を追ってきた

楊憲宏:私は楊憲宏です。今日はお二人のゲストをお招きしました。一人はアメリカロードアイランドの、しかし今日は台北を訪問中の中国民主党連合本部(海外)主席の徐文立さん、もう一人は四川省成都の中国天網(天ネット)人権事務センター責任者黄さんです。徐文立主席はスタジオにいます。徐さん、こんにちは。

徐文立:こんにちは、楊憲宏さん。それから黄君もこんにちは。

楊憲宏:ああ、黄さん、電話はつながっていますか。

黄:こんにちは、楊憲宏さん。最初に我々の民主化運動の先輩徐文立さんにご挨拶申し上げます。

楊憲宏:黄さん、ずいぶん興奮した様子ですが、とてもうれしいようですね?徐さん今の黄さんの声は聞こえましたか。

徐文立:はい。私も感激しています。しかし、少し恥ずかしくも感じています。大陸での活動の重荷をあなた方だけに負わせてしまって、本当に申し訳ない。私は中国大陸に長くいましたから、あなた方の負っている責任と圧力がどれほど大きいかわかります。

楊憲宏:はい。黄さんはどう思われますか。

黄:徐文立さんは出国してからも中国人民の民主的権利のために奔走されています。また、中国で投獄されている政治犯のために奔走されています。その活動に心からの敬意を表します。また、先輩方の歩んできた足跡は我々後進にとって追っていくべき道です。

楊憲宏:はい。まず徐文立さんに、お話しいただきたいと思います。今回の台湾訪問の目的は、台湾大学で行われる反右派闘争50周年学術セミナーへの参加のほか、台湾の各政党との交流と台湾の選挙の視察だそうですね。最初に徐文立さんの感想をお伺いしたいと思います。

徐文立:私たちは今回台湾民主基金の中国青年団結会への委託事業により台湾を訪問しました。中国大陸では反対党はまだ非合法ですが、たしかに1998年に反対党はできました。最初の台湾を訪問し視察する反対党代表団として来ました。私は招待者の方々にあなた方は我々が歴史を作ることを助けてくれたと言いました。このことは中国大陸の民主化の促進に、また両岸の関係、両岸政党の相互作用に大きな影響があります。ですから、今回国民党、民進党、それから第三勢力のいくつかの選挙本部と立法委員の本部を訪問しました。また我々は台湾の学界と非常に多くの交流をしました。5~6校の大学を訪問し、また人権団体もいくつか訪問しました。今日の午後はなしたことですが、共産党の官僚や党幹部も台湾に来て見てみるべきです。彼らは香港のフェニックスや国内のテレビを使って台湾の民主政治を悪く言っていますが、実際は違います。台湾の人民は非常に友好的で、謙虚です。これが今回の訪問で最も印象深いことです。ただ私は黄さんの状況が大変心配です。彼も台湾民主基金の支援を受けていると言うことですが、最近当局が彼の銀行口座を凍結した。これは黄さんや天網の友人たちの喉を締め上げることです。非常に卑劣な行為です。この対話の機会を通じて、お見舞いと心配の気持ちを伝えたいと思います。

国民和解への一歩を踏み出した

楊憲宏:私も、黄さんが最近海外の中国人が主催する「2007年中国自由文化賞」の報道の自由賞を受賞されたことをお喜びします。主催者は黄さんの長年にわたる一貫した人道的関心と報道の自由に対する忠誠を評価しました。黄さんが主催する「天網」は、中国大陸の人権保護活動に多くの成果を上げていますが、中でも2006年に六四事件で死亡した学生周国聡の母親唐徳英さんに中国政府が人道補助金を支給するのに力を尽くされました。当時、米国亡命の徐文立さんは、「中国社会を平和的に民主化させるという観点から見て89犠牲者の最初の補償事案は成功した事例である」という評論を発表してその行動を称賛されました。

黄:第一回自由文化賞の報道の自由賞を受賞できたことは、袁紅氷さん、徐文立さんをはじめ多くの民主化運動リーダーが我々天網の報道の自由の面での活動を評価してくれたことだと思います。これは現在拘留中のボランティアの劉生貴、劉桂琴、郭起真、鄭大靖、王淑蓉をはじめとする多くの活動家への評価でもあります。あらためて彼らへの感謝を申し上げます。中国で最初の89犠牲者への補償が成功したという情報が広まってから、徐文立さんは最初に支持を表明してくれました。当時、私にとってそれは驚きでした。伝統的な政党政治は割りと上調子なので、徐文立さんがこのように支持を表明してくれたことは、とてもうれしかったです。当時の徐文立さんの文章の言葉を引いてこの問題に答えましょう。「千年百年の苦しみを経験した中国人は、もう二度と血なまぐさい王朝の交代劇を見たくはない。平和的、漸進的に一党独裁の社会を民主的立憲社会に変えてゆくことが中国人民の願いであり、世界人民の希望でもある。皆さんこの期待を裏切らずに、決意と知恵を出していきましょう」。

徐文立の米国大統領にあてた救援依頼

楊憲宏:私の手元に、徐文立さんが2003年1月に米国ブッシュ大統領にあてた手紙があります。その中に2枚の中国大陸の良心の囚人についてのリストがあります。その中の一部の人はすでに米国に救出され、黄は満期出獄しています。もう一人、燕鵬という人がいます。燕鵬さんはその後曲折を経て台湾に来ました。この世界の変化は時に我々を驚かせます。これはとても面白いリストです。二人が米国に亡命し、一人は引き続き大陸で活動している。良心の囚人救出活動についての考え方を紹介してください徐文立さん。

徐文立:私は米国に来てから、私自身が回避することのできない責任を負っていると感じました。それは私と同じように獄中で苦しんでいる人たちを救うことです。私はそれが海外にいる最大の使命だと思います。私は黄さんの事績を知って、中国大陸で六四天網などという大胆な名前をつけたことに、驚きました。このようなことは高い政治的知恵がなければできません。私は、個人的には政党を組織する使命がありますが、権力にはあまり興味がありません。私の興味は中国の体制転換により、人民に民主・自由・人権を保障することで、それが目的です。すべての健全な民主社会には次の二つがあります。つまり政治制度のうえでは政党が入れ替わり、政党の権力が有限なこと。もう一つのもっと重要なのは、黄さんたちがやっているこの社会のすべての人の民主・自由の権利を保障することです。これは中国のような特殊な環境の下では、相当の政治的知恵を必要とします。たとえば六四のような鎮圧事件の賠償は、すぐに実現できるものではありません。一歩一歩漸進的に進めることでより大きな進歩があります。ですから、政党政治は民主政治の一部ですが、人権・自由の保障はより大きな一部です。この重荷を黄さんとその友人たちが担ってくれていることをうれしく思います。

楊憲宏:徐文立さんの2003年1月26日のブッシュ大統領宛の救援依頼のなかで、黄さんの状況は「未決」と書かれています、しかし、成都市公安局の拘置所にすでに3年近くも入れられていた。この手紙を覚えていますか?

黄:この歴史はよく知っています。当時、私は四川省第一監獄で徐文立さんの戦友というか部下の王森さんと一緒でした。私たちは将来の中国の政党政治について話し合いました。

南モンゴル観察:高玉蓮の散文集『頑石無言』を当局が没収

2008-01-18 14:48:09 | Weblog
南蒙古观察:http://www.smhric.org/Chino_211.htm
内蒙古通辽市女教师高玉莲的性情散文集《 顽石无言 》于2007年10月22日晚被抄走

书出三天被抄走,顽石无言不无心
 

内蒙古通辽市女教师高玉莲的性情散文集《 顽石无言 》于2007年10月22日晚被抄走。本书是高玉莲女士多年来辛勤写作而成的,大多数文章是曾经在各种报刊杂志上公开发表过的42篇以记事抒情为主的散文。其中有游记,亲情记录,怀旧,环保以及生活感悟等。是以情感为主线的真情记录。人性化是这本书的命脉。应该说,书的内容没有超过目前中国提倡的文化敏感度的底线。开始是在6月份递到内蒙古文化出版社,文化出版社向内蒙古新闻出版局报了选题,但是没有审稿的情况下被拒绝。事情似乎是对人而不是对文。之后作者背着另一本书的完成稿《石心树》去了辽宁省的阜新市阜蒙县,在那里做了菲林片,要印刷时阜新市国家安全局出面干涉而无功而返。把版委托给一个章武县的网友。那是9月2日,10月17 日通辽市安全局的人去辽宁省章武县把《石心树》的菲林片取走了。

10月份作者把《顽石无言》在一个外地印刷厂印刷,书号是国际书号。10月18日书已经托运到了通辽。鉴于作者十几年来的恶劣处境,怀疑电话也有监听,而在7月份去办理护照也被拒绝,所以事事谨慎。18日书到时从侄女要了她家仓房的钥匙,安全起见把一部分书放到他们家的仓房。一部分书放在通辽市蒙古族中学的一个老师家的仓房里。时至中共17大而还没公开发行,10月22日晚在她侄女的奶食店里来了一伙人把侄女带走,正好作者去那里,碰上他们要把她带走而阻拦没起作用,想跟着去又被拒绝。当时是18:45 。 等了一个多小时他们领着侄女来奶食店取钥匙去他们家仓房把书没收走。同时还没收了放在蒙古族中学老师仓房里的书。又到蒙古族中学从学生手里收回已经发行的几十本书。到此把全部书都清洗完毕。这存在两个法律问题:

1.带走侄女时没有出示“传唤证”,搜走书时也没有出示“搜查证”,这些本身是不符和法律程序的操作。

2.抄走书时没有和作者面谈或询问,仿佛取自己家的物品似的抢走了。这已经是严重侵犯了作者的出版权和物权。

到底是什么内容的书如此让中共戒备?其实开头写过,多数是已经在报刊上公开发表过的,没有超出中共思想文化底线的内容。那么为什么如此惶恐呢?

原来作者曾经是哈达组织的“南蒙古民主联盟”的成员,为此曾经被收容审查和无数次的被传唤。至今连职称都不给评,要参加高级职称评聘,工作单位给定的前提条件是要写检查材料。作者感到那是不公平而拒绝写检查材料,所以至今工资比其他人将近少一半,此外各种活动也都是受限制的。比如,今年夏天要去蒙古国旅游被拒绝办理护照。到通辽市科尔沁区法院立案庭行政诉讼请求立案被遭到拒绝,法院连“不立案通知”也不给。

目前,这1000本书的遭遇如何很难预料,也许付之一矩?也许堆放在废旧物品里?自己的血汗写就的文章,借款出版的书就这么白白地被他们拿走,而且什么说法也没有。真不知道他们要干什么。到母前为止公安局或安全局还没有找过作者。后续情况怎么样,现在无法预料。还了解到蒙古族中学的几位老师被牵连现在什么情况也不知道,打他们的电话一直是关机。作者非常担忧…