南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

新年VSバレンタインデー

2007-02-09 02:14:43 | シンガポール
シンガポールは旧正月を来週末にひかえ、そしてまたバレン
タインデーを来週の水曜日にひかえ、広告戦線はたいへんな
ことになっています。旧正月向けのキャンペーンと、バレン
タインデー向けのキャンペーンが火花を散らして、お祭り気
分が盛り上がっています。

上の広告、左はNETSというカードの広告です。これはクレ
ジットカードではなく、日本でいうデビットカードのような
ものですが、このカードでシンガポール内のほとんどのお店
でキャッシュレスで買い物ができます。この広告は、NETSの
カードを使うと、888ドル(日本円だと約6~7万円)が当た
るというキャンペーンの広告です。

この広告は旧正月の広告としては完璧なほどで、めでたさが
あふれんばかりの広告となっています。まず、この逆さの
「福」の文字。このビジュアルだけで、十分のめでたさです。
何がめでたいのかというと、「福」の字が逆さになっている
ことを中国語では「福倒」と表現します。これは「福が逆さ
になる」という意味なのですが、「倒」は「到」と発音が同
じで、「福到」というと、「福がやってくる」という意味に
なります。縁起かつぎのだじゃれなのですが、福来るという
ことを逆さの福の文字で表現するのは、中国の伝統です。

さらにこのNETSの広告は、めでたさのだめ押しです。この
888という数字、中華圏では一番縁起のよい数字の8が三つ
連続しています。これはすごいめでたさです。

さらに上の女の人が持っている袋は、アンパオ袋(お正月に
お年玉を入れる袋)です。これもまた見る人を嬉しくさせま
す。そして、下の女の人の手には二つのミカン。これは旧正
月の時の挨拶として親戚を訪問するときなどには、二つのミ
カンを持っていくというしきたりがあり、これは新年の印で
す。ミカンは黄金の色(=お金)を象徴していておめでたい
です。さらに全体の色調が、赤と金色で、これはめでたさの
典型的な配色です。

さて、対する右の広告。これはカールフールの「バレンタイン
ギフト」の広告。ごちゃごちゃした広告ですが、バレンタイン
デー用のギフトの広告です。なんだかえらい安いものが多い
ですね。一流ブランドの宝石や時計も、バレンタインでの広告
を展開しているところが多いですが、このカールフールのギフ
トはかなり安め。どういう人がどういう状況で買うのでしょう
かねえ。

この前も書いたように、シンガポールでは(というか日本以外
の国のほとんど)、女性から男性にチョコレートを贈るという
習慣はなく、男性から女性に、あるいは女性から男性に物を
贈り合うという感じです。ハートの形をしたアイテムがいくつ
もありますね。ハート形のクッションでLOVEとか書いてある
商品が目玉商品のように6ドル90セントとか書いてあります
が、これはちょっと照れくさいですよね。

この広告の中央部左端に、ピンクのブタの人形がありますね。
値段は9ドル90セントです。これは今年がブタ年だから?
それとも...そういえば、この間、調べていたら、イギリス
でバレンタインデーにブタの人形が登場する店があるという
ことがどっかに出ていました。ブタの人形はバレンタインと
何か関連があるのでしょうか?

以前の私の記事で、今年が「ぶた年」であることを書きました
が、それとまったく関係なく、ぶたが流行っているようですね。
幸福のぶたというのがあったり、今、時代は「ぶた」なのか?

そういえば、去年シンガポールのお店でたまたま見つけたピンク
のぶたのぬいぐるみを妻に買ってあげたことがありました。
なんだかブタが気になる今日この頃です。

バレンタインデーの悩みから解消される方法

2007-02-08 00:15:34 | シンガポール
来週はいよいよバレンタインデーです。シンガポールは旧正月
のムードか高まっていますが、バレンタインデーの広告もちら
ほらと混じっています。旧正月本番は18日の日曜日ですが、
バレンタインデーは14日。旧正月直前なので、商戦を旧正月を
メインにするところと、バレンタインデーをメインにするとこ
ろと、今年は商売の戦略をどうするかが大変です。

上の広告は、ティエンポという宝石店の広告(左)と、ピザ
ハットの広告(右)です。いずれもバレンタインデーをメイン
にしています。バレンタインデーも旧正月も色調としては、ど
ちらも赤系統なので、あまり違和感なくブレンドしていますが。

ティエンポの広告は、赤いバラなんかがあって、これはいかに
もシンガポールのバレンタインという感じです。右のピザハット
はピザがハート形をしていて、バレンタインデーのスペシャル
セットをアピールしています。バレンタインデーに二人でハート
型のピザを分け合って食べるというのは、それはそれで質素で
ありながらロマンチックですけど。

ここで日本の皆さんは、すでに違和感を感じているのではない
でしょうか。あれ、バレンタインというのは、チョコレートの
日なのではないのか?宝石って、まさかこんな宝石は女性から
男性に贈られるものではないのでは???

結論を言うと、日本の女性が男性にチョコレートを贈る習慣と
いうのは日本独特のものなのです。これはチョコレート業界の
陰謀なのです。シンガポールの会社の社員に日本のバレンタイン
デーのことを話したら、「女性に一方的にプレゼントさせる
日本の習慣って、男性の身勝手さの現れではないの?」と指摘
されてしまいました。

こちらでは男性から女性にバラの花とか、宝石とかプレゼント
するのが常識で、恋人たちは、バレンタインディナーを楽しみ
ます。レストランはこの日は、カップル用のバレンタインディ
ナーのメニューを用意しています。

「日本の女性は、とくに恋人でもない人にも、チョコレートを
買って贈らなければならない」ということを説明したら、「そ
れは信じられな~い」とびっくりしていました。

バレンタインデーの日、街を歩くと、カップルの女性のほうは、
もらった花を持って歩いているのが見受けられます。ブーケで
あったりもしますが、一輪の真っ赤なバラというのもよくあり
ます。豪華さはありませんが、かえって純愛の感じがします。
シンガポールでは(というか日本以外のほとんどの国では)、
バレンタインデーは恋人たちの日であり、それを騎士道精神の
ような雰囲気でリードしているのはあくまでも男性です。

何年か前にシンガポールのバレンタインデーのその雰囲気を見
てびっくりしたのですが、逆にシンガポールの人が日本のバレン
タインデーの実態をしったらびっくりして気絶してしまうので
しょう。世界には、こんな珍しい習慣を持った国があるという
ことで珍しがられるに違いありません。

日本はだんぜんチョコレートです。おそらく、この週末は日本
の女性の皆さんは、デパートとかに行ってチョコレート調達を
しなければならないこととお察しもうしあげます。大変な習慣
のために大切なポケットマネーを使って、どうでもいい人の為
に無駄な出費をする。これは大変に理不尽はことですね。

ウィキペディアでバレンタインデーを調べたら、次のような
調査データが出ていました。

「チョコレート受け渡しの習慣」の意識調査

2006年2月にインターネットで情報提供を手掛けるアイブリッ
ジ社が実施したバレンタインデーに関する独身男女(20代~
30代)に対するアンケートによれば、回答した300人のうち
「チョコレート受け渡しの習慣なんかなくなればいい」という
回答がOLで70%、同じく男性社員は50%であった。

一方、同じく2006年2月に東証一部上場の調査会社である株式
会社マクロミル社によって行なわれ、全国の10代~30代の
1,030名の女性から回答を得た「バレンタインデーに関する調査」
では、「日頃の感謝の気持ちを表す機会」が69%、次いで
「コミュニケーションの円滑化」(49%)、「楽しい年中行事」
(32%)という回答結果であった。反対に「義務的なイベント」
と回答した人は23%に留まっており、義理チョコに対してポジ
ティブなイメージを持っている人が多い、という結果となった。
(以上、ウィキペディアから引用)

「義理チョコ」に関しては、二つの調査で全然反応が違うので
すが、それを楽しんでいる人もいるし、苦痛だと思っている人
もいるということなのでしょうか。でも本当のところはどっち?

さて、話題の柳沢厚生労働大臣。この人はバレンタインデーに
女性からチョコレートをもらえるのでしょうか?そんなわけない
でしょ、とおしかりをうけそうですね。女性の怒りを買った、
柳沢はくおさん、もしチョコレートが届けられるかもしれない
のですが、なにか変なものが入ってないか注意しなければいけ
ませんね。ちょっと余計な心配をしてしまいました。

今週から、来週にかけて、チョコレート売り場の人混みの中で
「もう、何で私がこんなことしなければいけないのよ~」
と怒りを覚えた女性の皆様、そういう人は日本を脱出して、
チョコレートで悩まなくてもよい海外にでましょう!
逆にバラの花をもらえるかもしれません。またチョコレートを
一つももらえなかったと言って劣等感を覚えるかもしれない
男性のみなさま。そういう思いを二度としたくなかったら、
海外です。バレンタインデーで悩まなくてもよいよう
になりますよ~。

ぶた年の始まりに愛を叫ぶ

2007-02-05 22:05:23 | シンガポール
今年は2月の18日が旧暦の正月なのですが、シンガポールの街
はいたるところに旧正月の飾り付けが飾られていて、やはりこ
の国も中華圏の国なんだなあと思い知らされる今日この頃です。

中国暦では、旧正月が来て新しい年になるのですが、十二支の
えとは日本では「いのしし」というのが常識ですが、中華圏で
は「ぶた」の年なのだそうであります。漢字で書くと、猪とか
亥とか書くのですが、これが意味するところは、「いのしし」
ではなく「ぶた」なのだそうです。いのししは中国語では
「野猪」、つまり「野生のぶた」というみたいです。

英語では、"Year of Pig"と言います。シンガポールで10年く
らい住んでいますが、このえとの年は初めてなので、"Pig"
と英語で言われると、カルチャーショックです。日本の英語
の常識としては、"Year of Boar"ですよね?

ここであらためて"Boar"という言葉の意味を調べてみたら、
「いのしし」という意味もあるのですが、「(去勢しない)
雄豚」というのが一番最初に出ている意味でした。いのしし
を正確に表記すると"Wild Boar"というようなのですね。これ
は奇しくも中国語の「野猪」と同じ雰囲気です。

これって、「野ブタ。をプロデュース」の「野ブタ」と同じ
こと?なんだか、ぶたと、野ぶた、野生のぶたと、いのしし
の区別がよくわからなくなってきました。我々日本人は、
いのししは豚とは別種の動物であると認識し、両者をへだて
る区分が明確にあります。♪いのししとぶたの間には、深く
て暗い河がある~という感じですね。

この区分が世界の常識だと思っていたのですが、どうやら、
中国圏では、いのししは、ぶたという概念のほんの一部の
存在で、野生状態のぶたということでしかないような気がし
ます。このへんの認識は、文化人類学的にもう少し厳密に
研究されないといけないのかもしれませんが。

ということで、世界的に見れば(と言っても十二支が関連し
ているのは、アジア地域のみでしょうが)、今年は「ぶた年」
のようです。ちなみに、十二支を使っているのは、日本や
中国だけでなく、韓国もそうだし、タイも、ベトナムも、
チベットも、モンゴルもそうみたいですね。(タイ、ベトナム
などでは兎年の代わりに、猫年になるようですが、亥年は完全
に豚年のようです)

シンガポールは、これら十二支が使われている国の中で、唯一
英語が国語(国語は4つあるが)になっている国なので、
このへんの認識のギャップが一番はっきりと現れてきます。

上の写真は、シンガポールの"TODAY"というフリーペーパーの
1月26日号の「フォールスカバー(表紙の上につけられた広告
ページ。広告でありながら新聞のトップ記事のように見える)」
です。この日は、時計のスウォッチが、フォールスカバーの
4ページで広告を行っていました。

スウォッチは、旧正月の企画として、ぶたのキャラクターの
時計を発売していて、そのことがこのページに出ています。
いのししではなくて、100%ぶたです。このビジュアルの若者
たちは、明らかにブタ鼻のポーズ(?)です。

さきほど会社の近くにあるスウォッチのショップに行って見て
きたら、ありました。ショーケースの中に燦然と輝く旧正月
コレクション2007。ベルトにぶたのイラストがついていて、
時計の文字板の上には金色の文字で「亥」の文字。さらにこの
時計に、おまけとして、金色のぶたの貯金箱(この上の写真に
出ているもの)とラッキーなゴールデン・コイン(金貨では
なく、金色のコインですが)がついていて、このセットが豪華
な帽子入れのような赤いパッケージに入ってくるというもの。
これが、パッケージ価格で$119(日本円で9365円くらい)なの
です。私は欲しくなかったのですが、スウォッチマニアだった
ら、あるいはブタマニア(?)だったら欲しくなるのかなと
思いました。

シンガポールでは、今、あちこちで豚が活躍しているのですが、
今年の1月27日付けのasahi.comの記事によれば(アドレスは
http://www.asahi.com/international/update/0127/018.html
です)、中国ではテレビCMで、豚のキャラを使わぬように通達が
出たのだとか。「豚を不浄と考えるイスラム教徒の宗教感情に
配慮した措置」だとか。コカコーラが豚を使う予定だったのが、
急遽パンダにするなど、春節向けのCMに豚を使う予定だった
広告主は大変なことになっているということです。

中国でのイスラム教徒は2000万人くらいいるようですが、中国
全体から見れば少数です。シンガポールでは、イスラム教徒は
15%もいるのに、ぶたが広告で使われていることに関しては至っ
て寛容です。このコスモポリタンな国家では、いろんな宗教や
文化が混在しているので、いちいち他の宗教行事に対しては
干渉しません。というわけでシンガポールでは、広告でもぶた
が堂々と大活躍しているという状況です。

しかし、中国のこの決断は何かちょっとエキセントリック。
ブタの丸焼きとかばんばん食べておきながら、テレビCMでは
ブタのキャラクターを使ってはならぬという。同じ中華圏でも
いろいろなことがあるものですね。

さて、ぶた年というのは、とても縁起のよい年だそうで、
「多産多幸」の年なのだそうです。「多産」といえば、話題の
少子化問題にはよい年という感じですが、柳沢厚生労働大臣が
「機械」という比喩の代わりに、「ぶた」という比喩を使って
いたら、もっと修羅場になっていたでしょう。
少子化問題、人口問題は、へたに日常レベルで語る話題ではな
いですね。

韓国では、「お金」の発音と「ぶた」の発音が同じということで、
ぶたの夢を見ると金持ちになれるという言い伝えがあるそうです。
日本でも、ブタは「とんとん拍子にうまくいく」ということで
縁起物となっています。ぶた年が、世界中の皆様にとりまして
よい年となることを願っております。

恥ずかしい国のベビー・マシーン

2007-02-04 20:45:45 | 日本
この写真は、2月3日のシンガポールの代表的新聞のストレー
ツ・タイムズの13ページに掲載された記事です。柳沢厚生労働
大臣の「女性は産む機械」発言問題に関する記事です。

見出しは、"Baby-machine gaffe shows Japan leaders' mindset"
というふうになっています。"gaffe"は「失言」という意味です。
"mindset"は、考え方とか、価値観といった意味です。全体では、
「子供を産む機械発言は、日本の指導者たちの価値観を露呈」
というふうな見出しになります。ここでの論点が、柳沢厚生労働
大臣の個人攻撃ではなく、日本の指導者全体の価値観の問題と見
ていることがちょとユニークです。

「産む機械」は、"birth-giving machine"とか、"child bearing
machine"とか訳されていますが、この記事で使われている"baby-
machine"という言葉がコピーとしては簡潔で、インパクトがあり
ます。

1999年9月9日に、モーニング娘は「LOVEマシーン」をリリース
し、空前の大ヒットになるのですが、これは若い女性を恋愛する
機械というふうに表現していたわけで、これも差別発言といえな
いこともないでしょう。このBaby Machineという表現は、この
モーニング娘の「LOVEマシーン」に繋がるポップさがあります。
しかしながら、それを発言したのが、権威のある大臣だったとい
うところに不幸があります。

右側の写真で、深く頭を下げている柳沢厚生労働大臣の写真が
掲載されていますが、これじゃあ誰だかわからんだろうが、と
つっこみを入れたくなります。しかもこの写真、構図が酷く、
報道写真としては失敗写真と言ってもよいでしょう。この写真
の人は一体どこで何をしているのだろうと理解できる人がどれ
だけいるか心配です。その写真の下についているキャプションは
「悔恨:日本の健康関係の柳沢大臣が、木曜日、衆議院の会合で、
自身の発言を謝罪」というようになっています。

本文は、「彼の妻さえも憤った」という短い文章から始まります。
「産む機械」発言が大変な事態を引き起こしたということが解説
してあり、安倍首相の支持率低下とともに、野党の攻撃を引き起
こすことになったという流れを説明しています。

「私の妻にも怒られた」と71歳のミスター柳沢は先週、日本の
レポーターに語ったということも紹介され、「がんばってもらう
しかない」という部分は"All we can ask for is for them to
do their best per head"というふうになっています、

この後、これは大臣個人の問題というよりも、権力階級にある
男性全体の問題であるとする慶応大学のMs Sumiko Iwaoという
人の発言が紹介されています。また、26歳のKeiko Otsukiという
一人の女性は、「女性としては、モノのように扱われていること
に怒をおぼえます」と語っているのが紹介されています。

記事は、後半になり、問題発言の背景になっている出生率の低下
の問題に関して述べられています。出生率って英語で"fertility
rate"って言うんですね。さらに記事は、少子化問題によって
引き起こされる問題の例をあげています。曰く、女性が家事と
仕事のバランスをうまくとらなければいけなくなるとか、夫が
長時間仕事をしなければならなくなるとか、って、おいおい、
そのような見方はまるで小学生の作文みたいですぞ、シンガポー
ルを代表するストレーツ・タイムズさん。

シンガポールも少子化問題に悩んでいるのですが、まだまだ平均
年齢は日本よりも若く、外国人労働力も豊富に活用しているので、
日本の少子化の問題よりも状況は深刻ではないので、社会構造的
な問題はそれほど深く論じられていないのでしょう。

実際、出生率だけみると、日本は、2005年に、1.26という記録的
な低さになったということですが、シンガポールはとっくに2003
年に1.25を記録しているのです。

この記事は、再び失言問題に戻り、この失言問題の決着は、愛知
と北九州で行われる地方選挙の結果如何だろう、と締めくくって
います。ニュースソースはロイターのようです。一部、朝日新聞
のニュースも参考にしているようです。

さらに日本関連の記事が左下に続いていますが、安倍首相のグッ
ズの写真が出ています。こんなんあったんですか?これで安倍
首相は、最近落ち来んでいる支持率を回復したいとか。こんな
マグカップや、ペンや、ポストイットでそんなことできるんかい
ね。でも、ちょっとこれほしくなりますね。

さて、本論といいますか、「子供を産む機械」発言に関しての
私の考え方を若干述べておきましょう。遠く離れた異国から見る
と日本のこの騒動は、ちょっと違和感があります。柳沢大臣の
発言の記録を冷静に振り返ってみると、あくまでもそれは言葉
尻の失言であり、直接女性差別論を述べているわけではない。
人口問題の未来予測をするために、比喩として「機械の数」と
いう表現をしただけなのですね。こんなことを発言すると、
私も、やりだまにあげられるのかもしれませんが。まあここで
柳沢さんが「機械」という言葉をあえて選択したことの裏には、
そのような差別的視点があったからだと言われてしまえば、
なんともそれは仕方のないことではありますが。このような
局面に追いやられた柳沢さんには、何となく同情を禁じえません。

しかし、日本のマスコミのエスカレートぶりはどんなもんかと
思います。大学(英文科)でシェイクスピアの『ジュリアス・
シーザー』に関しての授業をとっていたことがあるのですが、
このお芝居は、群衆心理の愚かさの話と読み解くことができま
す。マスコミに踊らされた群衆が、怒りに任せて柳沢大臣を
追いやる。なんか歴史は繰り返すという感じですね。

シンガポールで、柳沢大臣失言問題の記事を探したのですが、
ストレーツ・タイムズのこの記事のほかは、本日の日曜日の
記事でちょっと取り上げられていたくらいです。しかも何と
なく歯切れが悪い。この上の記事は、男性全体に対しての
連帯責任を要求している感じでもありますね。

他の新聞も探したのですが、あまり記事が見当たりませんで
した。おそらく外国メディアは、もっと重大な事件がいろいろ
あるので、こういう記事は重要度が低いと判断されるのかと
思います。野党の皆さんのお怒りもごもっともですが、仕事
のボイコットはプロとしては子供っぽい所作と見えてしまい
ます。野党の皆さんは、この機会に与党を思い切りやり玉に
あげられるので、自分たちの問題点を帳消しにできるという
戦略的なメリットもあるということも十分理解できます。

まあ、何と言うか、日本はこういうことで、じっくりと議論
をしていられる非常に平和で豊な国ということでありますね。

最近読んだウエイン・W・ダイアー

2007-02-03 05:09:00 | Weblog
この間、シンガポールのリャンコートにある紀伊國屋書店に
いったら、この写真の「頭のいい人」はシンプルに生きる
(ウエイン・W・ダイアー著、渡部昇一訳、三笠書房)という
本が平積みしてあり、思わず買ってしまいました。

ウエイン・W・ダイアーの本は、10何年か前に、『自分のため
の人生』という本や、『小さな自分で一生を終わるな!』と
いう本などを読んで感銘を受けたことがあるので、久々に
書店で出会った著者の名前は、懐かしくて、知らない町で、
昔の知人に会ったような感じでした。

また、ダイアーの本を翻訳しているのは、いつも渡部昇一さん
で、今回もそうなんですが、実は、この人は、大学の時の先生
でした。当時、渡部昇一さんは『知的生活の方法』という本が
ベストセラーになっていて、売れっ子文化人でした。その後も
いろんな著書が出ていますが、もともとは英語学の先生です。
テレビでもたびたび出ていたことがあります。この人の名前を
と、さらに懐かしさが感じられて、自分が買わずして誰が、
この本を買うだろうかと思い、買ってしまいました。(まあ
自分が買わなくても、2006年8月25日の第一刷以降、11月30日
で第18刷なので、かなり売れていたのですが)。

あと、もう一つ、この本を買った理由は、この本の装丁が気に
いったからです。ペンギンのイラストも象徴的ですが、この
タイトルの文字(タイポグラフィー)がすごくいいと思いまし
た。私は広告の仕事をしているので、文字の形とか、読みやす
さとかいつも気になるのですが、この書体の選択、そして
配色がとても気に入りました。また「全世界で930万部の大
ベストセラー」という文字も購買意欲をそそりました。1000
万部と言ってもいいくらいなのでしょうが、正直に930万部と
言っているあたりが好感が持ててしまいました。

さらに、この本の購買を決定づけたのは、渡部昇一さんが書い
ている前書きの中で、引用していたダイアーの次のような言葉
でした。
「結婚とは相互適応のように言われているが、本当はお互いが
折れて妥協することは無用である。亭主は野球に行きたいし、
女房はオペラに行きたい、という場合、どちらかが我慢して
行きたくないところに行く必要はないのだ。お互いに行きたい
ほうに行くのがよい。それぞれ好きなほうに行って、そのあと
で素敵な夜食でも一緒にして、お互いに楽しかったことを話し
あえばよい。一緒にいる時間はいっぱいあるのだから」

結婚に限らず、人は相手をコントロールしようとしてしまった
り、自分が相手の犠牲になって従ったりということで、ぎく
しゃくするのが人間関係にはよくありますが、たとえ夫婦とい
えども、あるいは親子といえども、自分を犠牲にする生き方は
よくないと著者は主張します。

といことで、この本を買ってしまったのですが、読んでみて、
以前の読んだダイアーの他の本ほどの衝撃は受けませんでした。
長年の生活で、ダイアーの考え方がかなり自分の考えと同化し
ていた感じで、そういう意味では新鮮みがなかったということ
でしょうか。

私が、20数年前、この小さな非上場の会社に入った頃、会社に
対する不満をこぼしている先輩が何人かいました。こんな会社
に来てしまってがっかりだというような愚痴をこぼしていまし
た。そのとき、「こんな会社」にしてしまっているのは他なら
ぬあなた方自身であって、私自身にとっては、チャンスに満ち
たすごく楽しい会社に見えていました。同じ境遇であっても、
そこを地獄だと思えば、いやでいやでしょうがなくなるし、そ
こを天国だと思えば、すごく好きになるのです。

ダイアーも、すべては意識次第であり、どうせだったら、他人
だとか、環境だとかにいやいや従わさせられていると言った考
えはしない方がよいと言っています。この本の中に、夫婦関係
に関する部分が何回か出てきます。ちょっと引用させていただ
きます。

15歳の恋人たちのことを考えてほしい。彼らの関係が美しいの
は、未熟だからなのではなく、純粋にお互いのすべてを認めて
いるからだ。彼らが見つめ合うのは、ただただ目の前の人を愛
しているからだ。理由を逐一分析したり、お互いの理解を求め
あったりはしないからだ。
ところが、そんな彼らがいわゆる「成熟」した関係になってし
まい、結婚して5年も経てば、次のようなことを言い合う仲に
なってしまうに違いない。
「なぜあんなことをしたのか」とか「まったく人が変わって
しまったみたいだわ!」とか「なぜ私の思う通りにやってくれ
ないの」「いいかどうか私に聞いてくれなかったの」といった
具合である。(中略)
現代は、いろいろな人間関係が分かち合いどころかあまりにも
分析されすぎてしまっており、そのため多くのカップルが二人
でいることに情熱を感じなくなっているのである。いやむしろ、
苦痛しか感じなくなっているのだ。
大切なのは、カップルは二人の別個の人間であるということだ。
したがって、互いに完全に理解し合うということは不可能だし、
また望むべくもないことなのだ。これが真実である。
だから、互いにありのままの姿を受け入れなさい。互いを固有
な存在、個性的でユニークな存在にしておくことだ。

この本を読むと、世界が明るく見えてくる気がします。環境や
他人にあやつられず、楽しい人生が生きられるような感じがし
てきます。私達夫婦は、今、日本とシンガポールで離ればなれ
になっていますが、愛を風化させないで、永続させることがで
きればいいなあと考えております。



旧正月がやってくる

2007-02-02 02:50:00 | シンガポール
今日は、シンガポールのチャイナタウンを遠回りして家に帰っ
てきました。2月の中旬から旧正月です。チャイナタウンは
すっかり正月祝いの装い。この写真では見えませんが、細い
路地はぎっしり露天がいっぱい出ています。それはまるで
正月を控えたアメ横のようなにぎわいになっています。旧正
月が近づくに従って人の数はどんどん増えていきます。

一昨年も、去年も、旧正月前のチャイナタウンに来ました。
去年は、日本から妻が来ていたので、連れていきました。
めずらしい食べ物をいろいろ売っているので、食べ物には
目がない妻は、とても喜んでいました。ある屋台で日本の
干し柿のようなもの(平たい形をしている)を買ったのは
よいのですが、それをシンガポールの冷蔵庫に忘れていっ
てしまいました。ので私が食べました。

チャイナタウンの飾りつけの写真を見て、そういえば、この
感じ、ついこの間、クリスマスの時も飾りの下を通ったなあ
とか、そのちょっと前、インドのディパバリ、マレー人街の
ハリラヤの飾り付けも何となくこんな感じだったなあと思い
だしました。飾り付けの雰囲気は違いますが、道路の上の
飾りの付け方とか、構造的には同じ感じです。

昨年の10月頃から、ずっとこんなお祭りが続いている感じで、
ハリラヤが終わったかと思ったら、今度はすぐクリスマス。
クリスマスが終わったかと思ったら、次は旧正月と、何だか
お祭り気分が耐える事なく継続しています。シンガポールは
何だかお祭りばかりしているのかと思われがちですが、そう
いうわけではありません。実際、祝日の数は日本に比べれば
はるかに少ないと思います。日本は祝祭日が多すぎるぞー!
それに比べて、シンガポールは祝日は実は少ないのです。

旧正月は、19日と20日の二日が祝日なだけです。日本は正月
といえば、暮れから休みで、三が日はまるまる休み、会社に
よっては4日も5日も休みなどというところもありましたが、
それに比べればシンガポールは勤勉です。1月1日の正月は
普通の祝日です。仕事は二日や三日から始まります。(今年
は二日はハリラヤの振替休日で祝日でしたが)。

中国なんかは19日の週はまるまる一週間法定の祝日なのです
よ。ゴールデンウィークです。この間、上海から外に出る
飛行機の便をしらべたら、旧正月が始まる前の週からもう
けっこういっぱいでした。

さっきカレンダーを見たら、二日の金曜日は満月?この間の
タイプーサムの前夜、月がとてもキレイに輝いていたので、
その日が満月だと思っていたら、今日が満月なのですね。
何か最近、シンガポールの夜空がかなりキレイになりました。
ヘイズ(煙害)はなくなり、夜空に見える星の数が増えまし
た。昨日など、シンガポールでこんなに沢山の星が見えるの
ははじめてじゃないかなどと思うくらいでした。星は見える
ほうがよいです。

今週のシンガポールは、夜はけっこう涼しい感じです。先週
に比べて雨も少なく、そらは爽やかに晴れ渡っています。
日中の直射日光は暑いですが、夜になるとかなり涼しいです。
エアコンの聴いたオフィスの中は冷房がききすぎて、風邪を
ひきそうです。実際、私は最近、風邪ぎみです。

満月を見ると、変身するのはオオカミ男でしたが、私は満月
を見ると、ドラマ『With Love』の中に出て来る短いメール
の「満月を見ました」という台詞を思い出します。切ない
ドラマでした。「三日月」の歌詞じゃないけれど、満月とか
は距離の隔たりを超えて、同じ景色を見て、繋がっているの
を確認することができます。だから満月とかは大切なのです。

金曜日の夜は日本も晴れているといいなあ。

突然ですがタイプーサムです

2007-02-01 00:52:59 | シンガポール
今日、夕方オフィスで仕事をしていたら、外の通りで何か妙
な奇声が聞こえてきました。何かこれは変だぞと思って、
ベランダからシティーホールの駅前を通っている通りを見た
ら、タイプーサムを控えたインド人たちが行列を作って歩い
ているのです。そうか、またタイプーサムの季節が来たので
すね。

タイプーサムとは、インド人のヒンヅー教の奇祭です。何と
身体中に針をさし(針といってもバーベキューの串のような
針です)、カバディというやぐらを背負って、通りを練り歩
く祭りです。舌や、頬などを串で貫きとおして、その串の両
端におもりつけたりして、見るからに痛々しい限りです。
やっている本人は、トリップ状態になっているので、痛みは
感じる事もなく、また血もでません。でもあまりに危険なの
で、インド本国では禁止になっているとか。シンガポールで
は毎年、この季節に、きっちりと行われています。

この祭りのことは、いつもあまり話題にならないので、突然
その祭りの日が到来するという感じです。まったく予期せぬ
うちにその祭りはやってきます。いつもは旧正月が終わって
しばらくしてからある感じなのですが、今年は旧正月前に
それがやってきました。

何年か前に、タイプーサムが始まる前の夜からインド人街の
お寺に見に行ったことがあるのですが、夜中になるとお寺か
ら、オレンジ色の服を着た信徒たち(男女とも)あたまに壷
のようなものを載せて行進を始めます。やがて、その中に
トリップ状態で、舌とか頬をナイフとかパイプとかでつらぬ
いた男が混じってきます。それはこの世の光景とも思えぬ
異様な光景です。本当にこんなことが現実にあっていいの?
と思えるような、そんなすごい景色です。

上の写真は去年撮影したものですが、2月1日の昼間は、
インド人街の寺院から、UEスクエアのそばの寺院まで、
体中を針で串刺しにした苦行者たちがカバディを背負って
パレードします。一つのカバディの周りには、数多くの
サポーターが取り巻き、苦行者を励まします。

私はなぜかこの季節にいつもシンガポールにいて、この祭
りに遭遇します。東京の下町にいる妻にこのことを話すと、
いつもものすごくいやがります。彼女はこういうのがかなり
嫌いなのです。

以前、手塚治虫のマンガの「ブッダ」を読んだのですが、
その中に、苦行者たちの様子が描かれています。身体を痛
めつけたりして、そのまま死んでしまう人たちもマンガの
なかでは出てきます。

それを読んだときはフィクションの世界だと思っていたの
ですが、シンガポールのタイプーサムはまさにそれです。
おろらく何千年もの歴史を超えて、受け継がれてきている
祭りなのでしょう。でも自分では決してやりたいとは
思いませんけどね。