南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

牛丼の吉野家のシンガポールでの展開

2007-02-22 02:09:56 | シンガポール
義理の弟は東京の下町で料理屋をやっているのですが、彼の
ほうからシンガポールの吉野家の様子を教えてほしいという
リクエストがあったので、シンガポールの高島屋の地下にあ
る吉野家に行ってきました。この上の写真は、そのお店の
様子です。

日本の吉野家とは、かなり違っているのがおわかりいただけ
るでしょう。日本は、カウンターで、個人客がさっさと食べ
るという雰囲気ですが、シンガポールの店舗では、テーブル
席がメインで、ファーストフード店のような雰囲気です。

来ているお客さんも、ファミリーあり、若者グループあり、
カップルありの、全くファーストフード店と同じ感じです。
注文は、入り口のカウンターでオーダーして、商品をトレイ
で自分でテーブルまで持っていくシステムもファーストフー
ド店と同じです。

日本だと、お客さんは、さっさと食べて帰っていくのですが、
シンガポールの店舗は、食べるだけではなく、友達や家族で
語らいあうための場所となっています。回転率という点では、
日本のようには効率的ではないのでしょうが、あらゆる層の
顧客がリピーターとして利用することで、商売が成立してい
るものと思われます。

メニューは普通の牛丼だけでなくて、いろいろなメニューが
あります。メニューはこちら参照。
飲み物もお茶だけでなく、各種ソフトドリンクが。さらに
おにぎりとか、茶碗蒸とかもあってかなり日本と違います。
シンガポール人の大好きなサーモンもメニューに入っている
のが、さすがです。

でも私達日本人にとって、やはり吉野家といえば、牛丼。
こちらでは、「ビーフ・ボウル」といいますが、味噌汁付き
が「バリュー・ミール」となります。ビーフ・ボウルの単品
レギュラーサイズが4ドル80セント(約350~400円)です。
日本の吉野家が牛丼を出さなくなった期間も、こちらでは
普通に牛丼が食べられました。味もけっこう美味く、たまに
食べると、懐かしい感じがしていました。

吉野家は、日本以外では、中国、香港、台湾、アメリカなどに
かなりの店舗展開をしているのですが、この小さなシンガポー
ルに、15もの店舗がすでに存在しているのですね。驚きです。

さて、この高島屋 Ngee Ann City店に入ってみて、一番奥の
壁が100年前の築地のイラスト(上の画像の右下がその一部)
になっていて、そこに描かれているのが、100年前、築地に
オープンした吉野家の一番最初の店舗なのです。これは妻に
教えてもらってはじめてわかったのですが、吉野家って実は
すごい歴史があるのですね。

魚市場の一角にある二階建ての家は、一階と二階がお店のよう
で、お客さんが牛丼を食べている様子が見えています。魚関係
のイメージが強い築地で、牛丼というのが何か不思議な感じで
すが、まあ魚屋さんや、寿司屋さんだって、たまには牛丼が
食べたくなるのですよね、きっと。

私が大学を卒業したのは25年くらい前のことですが、東池袋の
下宿のすぐそばに吉野家の店舗がありました。代々木にいた頃
も、新宿にいた頃も、いつも近くに吉野家がありました。最近
までいた西葛西のマンションにタクシーで向かうときの目印は
葛西橋通りの葛西橋を渡ってすぐのところの吉野家が道を曲が
る目印になっていました。なんだかずいぶん吉野家に縁があった
のですね。

この間、日本に帰ったときに、吉野家の前で行列で並んでいる
人たちの姿を見て、何だかすごい光景だなあと思いました。
牛丼の店でありながら、牛丼が時間限定でしか食べられない。
その特別の牛丼を求めて人々は列を作る。やっぱり、一世紀の
歴史を持つ吉野家は、牛丼なんですね。ではまた。