南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

飛行機で読んだ「千の風になって」

2007-02-25 01:50:15 | Weblog
日本に着きました。今、愛知県の豊橋です。

シンガポールから日本に向かう飛行機の中で、新井満さんの
「千の風になって」を読んでいたら、涙が出てきてしまいました。
この本の真ん中あたりに、これまた新井満さんの作曲した歌の
楽譜が出ていました。このメロディーを楽譜で追っていったら、
これまた感動でした。格好をつけていない素朴なそのメロディー
は、普通の人が何気なく歌いそうな感じで、じーんと胸に響いて
きます。

「あとがき」に代える十の断章の中で、新井満さんはニューヨーク
の同時多発テロの追悼集会のことに触れています。

2001年9月11日、ニューヨーク同時多発テロ事件
の当日、世界貿易センタービル高層階にあるレストランで
シェフをしていたクラークさん(39才)は、崩壊した
ビルと運命を共にして命を落とした。彼が最後に目撃され
たのは、ビルの88階で車いすの女性を必死に助けようと
している姿だった。

翌2002年9月11日、グラウンド・ゼロで行われた
一年目の追悼集会で、クラークさんの娘、ブリッタニー
さん(11才)は、この英語詩を朗読した。

「まるでこの詩は、父が耳元でささやいてくれている
ような気がしてなりません」
そう前置きして。

たしかNHKのハイビジョンスペシャルの番組で、この少女が
「千の風になって」の英語の詩を朗読している場面があったよう
な気がします。この部分を書き写していて、涙がぼろぼろと
こぼれています。飛行機のキャビン・アテンダントの人に見られ
ているのかもしれませんが、もう涙がとまりません。

2001年8月、同時多発テロのほぼ一月前、私は撮影の仕事で
世界貿易センタービルにいました。ビルの最上階のレストラン
で、ベーグルサンドを食べながら、同じ会社のスタッフたちと
打ち合わせをしたのが昨日のことのように思い出されます。
平日の午前中だったので、あまり人はいなかったのですが、
クラークさんはその時、厨房で働いていたのかもしれません。

ビルの展望台の売店には、WTC(世界貿易センター)の土産
物が並んでいました。売店のおばさんが暇そうにしていたの
を思い出します。あのおばさんも、あの日、風になったので
しょうか。

世界貿易センターの中のオフィスはアメリカのオフィスが大体
そうであるように禁煙でした。ビルの外では、タバコを吸いに
下まで降りてきた人たちが、美味しそうにタバコを吸っている
のを見かけました。あの人たちは...

私達は、その頃、世界貿易センターのビルまで歩いてすぐの
トライベッカの小さなホテルに宿泊していました。表の通りか
らは、二つのタワーが見えていました。

ある朝、そのホテルの近くを散歩していたら、消防署があり、
梯子車が出ていて訓練をしていました。しばらくその訓練の
様子を眺めていたのですが、ニューヨークの消防士は映画の
ように格好いいなあと思っていたものでです。おそらく、9月
11日のその日、グラウンド・ゼロに真っ先に駆けつけて、自ら
の命を顧みることなく、ビルを駆け上ったのは、おそらく彼らです。

撮影の前後、私達は、世界貿易センターの周辺にいました。
海沿いのマリーナ側の建物の中にスターバックスがありました。
撮影の当日、100人以上のモデルを集めて、世界貿易センター
を背景にして写真撮影をしました。今から思えば最後の記念
撮影だったような気がします。

* * * * * *

新井満さんのこの本で、いろんな思いでが蘇ってきたのですが、
実は、この人とは不思議な縁があります。

去年の3月5日、私の母が亡くなったのですが、その直後、
西葛西の駅前の本屋で、新井満さんの『般若心経』を見つけ
ました。母の葬儀をきっかけにして、『般若心経』のことを
知りたいと思いました。丁度タイミングよく、新井満さんが、
大胆に分かりやすい『般若心経』の本を出してくれていました。
私はこの本を何冊か買い、実家の仏壇のそばに置いてもらい
ました。認知症がひどくなり施設に入っている父親にも持って
いきました。本などは読めないかもしれないと思ったのですが、
「読むよ」と言っていたので、渡してきました。

新井満さんは、私とは年が10年くらい離れているのですが、
大学の先輩でした。実際に会ったことはないのですが、電通
に勤めていて、中森明菜の「少女A」とかの作詞をした先輩が
いるということは私がまだ学生の頃に聞いたことがありました。

大学の頃、私は「作詞家養成講座」というのを通信教育で
やっていたので、新井満さんは、私のあこがれでした。
『般若心経』と『千の風になって』に共通して見られるのは、
翻訳とは本来はこうあるべきだというスピリットを示してくれた
ことです。新井満さんは、表面的な言葉の背後にある精神や
気持を現代語に翻訳しようとしているような気がします。

私が学生時代に、シェイクスピアのマイナーな作品の
『ベロナのニ紳士』を舞台用に現代日本語に翻訳しなおし
たことがありました。シェイクスピアがこれを書いた時点では
抱腹絶倒の喜劇だったのだろうなと思い、それを再現する
ためには原文に忠実である必要はないと思い、シェイクスピア
の原文を勝手に変えさせてもらいました。実際に上演して
けっこう評判がよかったのですが、シェイクスピアがあの世で
にやっと笑っている気がしました。

こういうのも新井満さんが『般若心経』や『千の風になって』
でやられた事にちょっとだけ似ている気がします。

日本に向かう飛行機の中で、これを書いていますが、やっと
涙がとまりました。知らない人が見たら、妻に振られて泣いて
いるのかと思ってしまうかも。そういうことはありませんですね。

飛行機に乗って、雲の上を飛んでいると、自分も「千の風」
になったような気がしてしまいます。
死んでなんかいませんが。