今朝、NHKの『生活ほっとモーニング』を見ていたら、「わたしの
"千の風になって”」というのをやっていました。今日は
シンガポールはまだ旧正月の休みなのです。ゲストは中島啓江
さんと、千住明さんでした。暮れの紅白歌合戦で秋川雅史さん
が歌った「千の風になって」が、身近な人をなくした人の心の
支えになっているという内容でした。中島啓江さんがステージ
で、『千の風になって』を歌っているのも紹介されましたが、
彼女の歌も素敵だったし、聴衆が涙を流しながらも微笑んでい
るというコメントが印象的でした。
去年の12月頃だったか、NHKのテレビを見ていたらハイビジョン・
スペシャルで、この詩が朗読されていて、思わず見入ってしま
いました。木村多江さんが、アメリカなどを旅して、『千の風
になって』の元の詩が、世界でどのように人々をいやしている
のかをレポートしていました。いい番組でした。
それから、新井満さんの『千の風になって』(講談社)を買い
ました。この本の中で、「あとがき」に代える十の断章の中の
6番目の章にとても面白い部分がありましたのでご紹介します。
「遅かれ早かれ、僕は逝くことになるだろう。そこでお願い
なんだがね」
「はい、何でしょう」
「僕の葬式の時は、ぜひこのCDを遺影のうしろから流してくれ
ませんか」
「わたしが先に死んだら、どうするんですか」
「たぶん、それはないと思うね。頑強な君より、ひ弱な僕の
ほうがきっと先に死ぬさ。そうに決まっている。それは自信を
もって言えることでね。だから頼むよ」
妻はしばらく黙っていたが、やがてぽそりと呟くように言った。
「りょうかい」
それからすぐにつづけて、
「ところで死んだあとあなた、何に生まれ変わるつもりですか」
「さあてね...」
私も、まだそこまでは考えていなかった。
「あの歌のように、光や風になるのもいいが、象やライオンと
いう手もある。いや、いっそ屋久島杉のような樹木になるかな」
「一生のお願いがあるんだけど」
妻はおもむろに口を開いて言った。
「何?」
「ナマコだけはやめてください」
妻はナマコが大の苦手なのである。
(新井満「千の風になって」より引用)
これを読んだときは、思わず吹き出してしまいました。私の
妻もナマコが大嫌いなので、私がナマコに生まれかわるのだ
けは困ると言っておりました。
この写真は、昨日までいたサムイ島で撮影したものです。空
は青く晴れ渡り、とても気持のよい旅でした。このような空
に吹いている風なども、千の風なのかなとふと思いました。
母が亡くなってから間もなく一年になります。このブログ
の去年の3月の頃に書いたのですが、ちょうど私がお見舞い
で帰っている間、他界しました。3月5日のことです。
今週末、一周忌で田舎に帰ります。
去年の正月は、おせち料理を美味しそうに食べていたのに、
2月には入院して、病状は悪化していっていました。母が
亡くなるときに、外国にいる私が来てくれるのかをいつも
気にしていた母でしたが、私が田舎にいる間に、母は亡く
なりました。私がその時のために呼ばれたのか、それとも
母が気を使って、私が滞在している間にあの世に行こうと
思ったのかわかりませんが、不思議な出来事でした。
私が数年前、シンガポールに来てまだ間もない頃、両親に
一度遊びにきてもらおうとして、パスポートを取る手続きを
しようとしたことがありました。母は以前から、糖尿病だっ
たので、病院に英語で証明書を書いてもらっていました。
しかし、パスポートをとらぬうちに、母がまた入院したり、
結局外国には一度も行けないで、あの世に行ってしまいました。
ひょっとしたら、母は、千の風になって、シンガポールとか
サムイ島とかの南国の空を吹き渡っているのかもしれません。
風にはパスポートもいらないので、自由に飛び回っているのか
もしれません。母が亡くなってから、まだ一年も経たないの
ですが、ずいぶん遠い昔のことのようにも思えます。
今日、シンガポールのコンドミニアムの部屋の窓を開けている
と、とても気持のよい風が海のほうから吹き込んできます。
ひょっとして、母がこの風になって、何か伝えに来ているのか
なという気もします。もっとしっかりしなくっちゃ。
"千の風になって”」というのをやっていました。今日は
シンガポールはまだ旧正月の休みなのです。ゲストは中島啓江
さんと、千住明さんでした。暮れの紅白歌合戦で秋川雅史さん
が歌った「千の風になって」が、身近な人をなくした人の心の
支えになっているという内容でした。中島啓江さんがステージ
で、『千の風になって』を歌っているのも紹介されましたが、
彼女の歌も素敵だったし、聴衆が涙を流しながらも微笑んでい
るというコメントが印象的でした。
去年の12月頃だったか、NHKのテレビを見ていたらハイビジョン・
スペシャルで、この詩が朗読されていて、思わず見入ってしま
いました。木村多江さんが、アメリカなどを旅して、『千の風
になって』の元の詩が、世界でどのように人々をいやしている
のかをレポートしていました。いい番組でした。
それから、新井満さんの『千の風になって』(講談社)を買い
ました。この本の中で、「あとがき」に代える十の断章の中の
6番目の章にとても面白い部分がありましたのでご紹介します。
「遅かれ早かれ、僕は逝くことになるだろう。そこでお願い
なんだがね」
「はい、何でしょう」
「僕の葬式の時は、ぜひこのCDを遺影のうしろから流してくれ
ませんか」
「わたしが先に死んだら、どうするんですか」
「たぶん、それはないと思うね。頑強な君より、ひ弱な僕の
ほうがきっと先に死ぬさ。そうに決まっている。それは自信を
もって言えることでね。だから頼むよ」
妻はしばらく黙っていたが、やがてぽそりと呟くように言った。
「りょうかい」
それからすぐにつづけて、
「ところで死んだあとあなた、何に生まれ変わるつもりですか」
「さあてね...」
私も、まだそこまでは考えていなかった。
「あの歌のように、光や風になるのもいいが、象やライオンと
いう手もある。いや、いっそ屋久島杉のような樹木になるかな」
「一生のお願いがあるんだけど」
妻はおもむろに口を開いて言った。
「何?」
「ナマコだけはやめてください」
妻はナマコが大の苦手なのである。
(新井満「千の風になって」より引用)
これを読んだときは、思わず吹き出してしまいました。私の
妻もナマコが大嫌いなので、私がナマコに生まれかわるのだ
けは困ると言っておりました。
この写真は、昨日までいたサムイ島で撮影したものです。空
は青く晴れ渡り、とても気持のよい旅でした。このような空
に吹いている風なども、千の風なのかなとふと思いました。
母が亡くなってから間もなく一年になります。このブログ
の去年の3月の頃に書いたのですが、ちょうど私がお見舞い
で帰っている間、他界しました。3月5日のことです。
今週末、一周忌で田舎に帰ります。
去年の正月は、おせち料理を美味しそうに食べていたのに、
2月には入院して、病状は悪化していっていました。母が
亡くなるときに、外国にいる私が来てくれるのかをいつも
気にしていた母でしたが、私が田舎にいる間に、母は亡く
なりました。私がその時のために呼ばれたのか、それとも
母が気を使って、私が滞在している間にあの世に行こうと
思ったのかわかりませんが、不思議な出来事でした。
私が数年前、シンガポールに来てまだ間もない頃、両親に
一度遊びにきてもらおうとして、パスポートを取る手続きを
しようとしたことがありました。母は以前から、糖尿病だっ
たので、病院に英語で証明書を書いてもらっていました。
しかし、パスポートをとらぬうちに、母がまた入院したり、
結局外国には一度も行けないで、あの世に行ってしまいました。
ひょっとしたら、母は、千の風になって、シンガポールとか
サムイ島とかの南国の空を吹き渡っているのかもしれません。
風にはパスポートもいらないので、自由に飛び回っているのか
もしれません。母が亡くなってから、まだ一年も経たないの
ですが、ずいぶん遠い昔のことのようにも思えます。
今日、シンガポールのコンドミニアムの部屋の窓を開けている
と、とても気持のよい風が海のほうから吹き込んできます。
ひょっとして、母がこの風になって、何か伝えに来ているのか
なという気もします。もっとしっかりしなくっちゃ。