


郵便物が届いた。だが、差出人の名前に心当たりはない。1月29日の朝日新聞の「声」欄に紹介された投稿への読者(87歳)からの返事が、後日編集部から転送されていていた。その読者の弟さん(83歳)からの便りだった。
1945年に親子9人で満州に住んでいた時、敗戦の直前に父親(明治34年生まれ)が、徴兵されていた。だが、そのままシベリア抑留となり、行方不明となっていた。
カザフスタンで亡くなったと知り、私はアルマトイの日本人墓地を訪問した時のことを手紙に書いた。
母親と7人の子供たちは戦後、大連から無事に帰国することができた。
その父親の消息が分かったのは、1991年にゴルバチョフソ連大統領が訪日の際に日本政府に手渡した「シベリア強制抑留死亡者名簿」だったと手紙には書いてあった。そして、2007年、子供たちの6人がカザフスタンのカラカンダへ行き、父親の墓参をと願ったのだったという。
手紙に記していた電話番号に連絡をした。
「土が盛り上がった部分があり、そこに埋葬されたということは分かりました。でもその墓地には、日本人抑留者が40人も埋葬されているんです。他にも、ドイツ人やイタリア人といったほかの国の抑留者の墓も一緒でした」
墓地を掘ってみたものの、遺骨は出てきたものの父親と判断できる手掛かりは見つからなかった。また、地元の人たちの墓地の一角に埋葬されていたとも話していた。DNA鑑定をしてほしかったような口ぶりだったが、厚生労働省はどのように対応したのだろうか。



手紙の最後には「こどものわたしたちも長女が昨年亡くなり、上3人が80歳代、下3人が70歳代後半です。厚生労働省もわかるところから早急な対応が見えてくることを祈るばかりです」
と手紙をまとめていた。
このブログを見ている方の中には、シベリア抑留を研究している方もいるかと思います。この手紙に関心のある方はメールをください。専門家にコピーをとってもらっても構わないとの返事をいただいています。


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中央アジアに抑留された日本人に関しる資料は、「中央アジア抑留」で紹介しています。
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