定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

講座「定年後はシルクロードを旅しよう」自転車・ハイキング

2017-11-30 13:32:41 | 講演会

「シルクロード博物誌」は、基本的な資料の1冊。日本の古本屋では、700円くらいよりある。本の帯には「『物』でたどる東西文化交流の軌跡」とある。染料やスパイス、模様や建築形態など興味のある「モノ」を通して、シルクロードの東西が交流し足跡の発見につながる。
「自転車で旅しよう 初めてでも楽しめる週末ツーリングのすべて」は、Amazonで60円より。初心者向けの本だ。

「ツール・ド・シルクロード20年計画」の様子をビデオで知ることもできます。
3本のビデオを見る。
ローマの様子を見る。

パワーポイントを利用して、シルクロードの風景などを約300点の写真で紹介しています。

講座: 「定年後はシルクロードを旅しよう」

キャベツもモンシロチョウも地中海から日本へやってきたという。ブドウもリンゴも
アンズもシルクロードを旅して日本で栽培されるようになったという。
日本とシルクロードは交流があったことを実感し、五感で感じる旅の魅力を伝えます。


「シルクロード楽器の旅」は、Amazonで200円くらいより。敦煌の莫高窟を始めとした中国の石窟に描かれている楽器と日本の琴や三味線など、楽器を通してシルクロードの交流を解いている。まだわかっていないものが多い、あなたの発見に期待する。
「ガラスの道」は、Amazonで1円より。ガラスの成分や文様から、遺跡で発見されたガラスの器や装飾品の生産地を推測する。そんなことが科学的にできる事を知った。正倉院のガラスの生産地は、イランのカスピ海の近くにあるなど驚くことが多かった。
「野菜探検隊世界を歩く」は、Amazonで1円より。例えば、菜の花の原産地は地中海沿岸だという。日本で和食で菜の花の料理で舌鼓ということもある。だが、菜の花は、ヨーロッパが原産地だった。ダイコンやカブもそうなのだ。野菜に視点を置いてシルクロードの人の交流に思いをはせ、旅するのも楽しい。
「麺の文化史」は、Amazonで800円くらいより。日本人はお米を粒のまま、ご飯として食べる。だが、東南アジアでは、粉にして麺にして食べるビーフンという食べ方も多い。世界各地を旅した著者が、麦やそばなども含めて、粉にして麺や餅、パンなどにして食べる様々を紹介している。シルクロードの食に目を向けると、発見につながるかもしれない。

  
「野菜の博物学」は、Amazonで200円くらいより。野菜の多くは、シルクロードを通って、あるいは南米との交流が盛んになってからだと知った。ジャガイモもトマトも南米が原産地。原産地の近くにある八百屋を見たくなる。
「シルクロードの響き ペルシャ・敦煌・正倉院」は、Amazonで10円くらいより。三味線も琴もシルクロードを通って日本に伝わったのか。トルコでもイランでも、中央アジアでも民族楽器の並ぶお店や演奏を見せてくれるDVDなどをシルクロードへの旅で触れたいものだ。
「果物の博物学」は、Amazonで100円くらいより。
「茶の原産地紀行」は、Amazonで4500円くらいより。タクラマカン砂漠やモンゴルの草原で暮らしている人を訪ねても、お茶の接待を受ける。雨量の少ない地域で接待されるお茶は、どこから運ばれるのか。どうしてお茶を飲むのか。

講師:長澤法隆(ながさわ ほうりゅう、ライター、シルクロード雑学大学代表)

日 時:2017年12月23日(土)15時~17時

会 場:JICA地球ひろば2階大会議室(東京都新宿区市谷本村町10-5、JR市ヶ谷駅下車 徒歩10分)

内  容:日本の八百屋に並んでいる野菜もシルクロードのバザールに並んでいる野菜もほぼ同じ。ただし、キャベツもダイコンも地中海原 産。ニンジンも玉ねぎも中央アジア原産。毎日の日本の食卓には、シルクロードの東西世界が交流していた足跡が残されてる。バザー ルを巡り果物や野 菜を通して日本とシルクロードの交流で感じた体験を伝える。シルクロードへの旅ではガラス、陶器、デザイン、建築など様々な分野から楽しむことができる。定年後はシルクロードへの旅が魅力的。

講師プロフィール:1954年新潟県生まれ。法政大学卒業後、民間シンクタンクに入社。1991年・1992年と、電話もテレビも冷蔵庫もシャワーもない所で、文明から離れるために西域南道をラクダとともに旅する。1993年に「ツール・ド・シルクロード20年計画」を企画、以後、毎年一回18日間シルクロードを自転車で旅し、2012年にローマに到着。2013年、団塊の世代の退職に合わせて10年でシルクロードを見聞するサイクリングを始めました。

参加費:一般1000円、学生500円

主催:シルクロード雑学大学 http://silkroad-tanken.sakura.ne.jp/ ☎042-573-7675 
   メールnagasawa_horyu○yahoo.co.jp(○を半角@マークに代えてください)

シルクロード雑学大学では、来年(2018年)3月7日から21日の予定で、中央アジアにあるトルクメン共和国をサイクリングする計画があります。トルクメニスタンは永世中立国です。世界遺産を3か所見学する予定です。

また、同じく2018年6月8日から20日には、中央アジアにあるキルギス共和国へバスを利用したハイキングする計画があります。エーデルワイスなどの高山植物も見る予定です。世界遺産を4か所見学する予定です。

朝日新聞でも紹介されています。

定員がありますので、早めに問合せや申し込みをしてください。

    
「馬の世界史」は、Amazonで400円くらいより。
「アジア・キッチン旅行」は、Amazonで1円より。
「幻の楽器を求めて アジアの民族音楽と文化探求の旅」は、Amazonで700円くらいより。
「ガラスと文化 その東西交流」は、Amazonで400円くらいより。

    
「ウマ駆ける古代アジア」は、Amazonで1400円くらいより。
「染料の道 シルクロードの赤を追う」は、Amazonで1円くらいより。
「世界一周台所の旅 人類繁栄の源はキッチンにあり」は、Amazonで100円くらいよりあり。
「世界お菓子紀行」は、Amazonで100円くらいより。

    
「シルクロード」(講談社学術文庫)は、Amazonで300円くらいより。
「東西世界の交流」(講談社学術文庫)は、Amazonで900円くらいより。
「誰も知らない中国拉麺之道 日本ラーメンの源流を探る」は、Amazonで100円くらいより。
「シルクロードの印章」、Amazonで21000円くらい。1冊だけでした。

   
「シルクロードに生きる植物たち」は、Amazonで100円くらいより。
「シルクロードの旅人」は、Amazonで1円くらいより。
「くだものがたり」は、Amazonで500円くらいより。
「砂漠の中のシルクロード 悠久の自然と歴史」は、Amazonで300円くらいより。

「定年後の過ごし方・旅行医学」に関して。

「アクタス村の阿彦 カザフ人になった日本人」 帰国せずカザフスタンで暮らすシベリア抑留者の人生 

2017-11-28 21:06:48 | 中央アジアのシベリア抑留


12月21日と25日に「アクタス村の阿彦 カザフスタン人になった日本人」という演劇が開催される。

会場は、赤坂区民センター区民ホール
主催は、カザフスタン共和国など

入場無料。ただし、カザフスタン大使館に事前に電話で予約が必要。



わたしは、キルギス共和国におけるシベリア抑留者、トルクメン共和国におけるシベリア抑留者を調べてきた。当事者へのインタビューもしている。
両国から復員した抑留された日本人は、来年で帰国70年目となる。

カザフスタンに抑留された阿彦哲郎さんは、日本へ帰国したものの気候などの環境、生活に馴染むことができなく再びカザフスタンへ戻った。つまり、カザフ人となった日本人と言われているゆえんだ。

阿彦さんの生涯をカザフスタンの代表的な劇団が、日本国内で上演する。

これには、某局の記者から問い合わせがあり、資料を貸している。この記者は、トルクメニスタンへのサイクリングにも動向を希望している。

また、同局の他の記者は、ウズベキスタンのタシケントに暮らしており、サハリンで朝鮮人の夫妻に預けられた日本人の話に関心を持ち、情報を求めている。

日本サハリン協会の役員の方は、「サハリンで朝鮮人に預けられて、そのまま中央アジアへ移送されて、自分が日本人であることも知らない日本人は多いと思います。ただし、調査をしていないので伝える情報を持ち合わせていません」といったメールを送ってくれた。

これらの歴史的な事実をどのようにとらえたらいいのか。まずは、上記の芝居を観てほしい。

時事通信の記事
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017103000191

NHK戦争証言アーカイブス阿彦さんの番組
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130223_00000







NHK「ちきゅうラジオ」で紹介 中国で「銀河鉄道の夜」を体験

2017-11-26 19:19:03 | インフォメーション


11月26日に放送されたNHK第1の「ちきゅうラジオ」http://www4.nhk.or.jp/gr/
で投稿が紹介されました。

パソコンでも聞くことができます。パソコンでは11月26日放送の番組の18時45分から聞いてください。

1991年に中国のトルファンからコルラまで、標高を2000メートル以上、標高を上げる蒸気機関車に乗った時の体験をレポートました。

まるで銀河鉄道の夜を行くような光景を体験しましたのです。

また、体験したいものです。今は電化して無理でしょうが。

写真は、ウズベキスタンのタシケント郊外にあるコリアンコルホーズで撮影したものです。真ん中の左側に座っている男性は、サハリンで住んでいた時に敗戦となり、ソビエトが進行した時に日本人と分かると殺されると考えた両親によって、同じようにサハリンに住んでいた朝鮮人に預けられていました。そのまま、預けられた朝鮮人の家族と一緒に中央アジアのタシケントにあるコリアンコルホーズへと移送されました。

敗戦時彼は4歳くらいだったようです。その後、ジャズドラマーとして活躍して、日本の原信夫と♯&♭のモスクワ公演の時には、一緒に演奏したと彼から聞いています。様々なマスコミが問い合わせてきています。

何か知っている方は、電話042-573-7675 携帯080-7940-6040かメールnagasawa_horyu★yahoo.co.jp(★印を@に換えて利用してください)をください。よろしくお願いします。

シルクロード雑学大学長澤法隆

「ユーラシア大陸を結ぶ夢」 

2017-11-23 16:01:38 | シルクロード雑学大学の紹介
「ユーラシア大陸を結ぶ夢」
長澤法隆著


「定年後」(岩波書店)
アマゾンから購入できます。1円からです。

この原稿は、岩波書店が1998年3月から5月にかけて新聞広告で募った「私の定年後」のテーマに応募して選ばれたものです。応募総数は、国外からのものも含めて620篇。編集部による選考を経て26篇が、1999年1月に発行された「定年後 もう一つの人生への案内」(岩波書店)に掲載されました。その中の1篇です。当時は44歳でした。この本は、韓国でも翻訳されて出版されていました。状況はかなり変化していますが、定年後を見据えた生き方の基本的な考え方は変化していないので、ブログで紹介します。

尚、1991年に仲間と一緒に地球と話す会を発足しましたが、長澤は2002年にシルクロード雑学大学を発足して「ツール・ド・シルクロード20年計画」を続けました。シルクロード雑学大学は現在もシルクロードと定年後を見据えた生き方を提案して、活動しています。
地球と話す会は既に解散しています。


第1回目の「ツール・ド・シルクロード20年計画」の記録は、日中出版から出版された。Amazonから購入できます。500円くらいからです。

仕事に追われて日々を過ごしているうちに、「夢」を忘れていることに気づいたのは、義務教育、高校、大学、就職、定年といった生き方を、偏差値による序列で決めているように思われる現代っ子の様子に疑問を抱いてのことだ。公務員になったり有名企業に勤めたいという現代っ子は多い。しかし、「地球の反対側まで歩いていきたい」「月や火星に行きたい」といった冒険や夢を語る子どもに出会うことは稀有である。子どもが夢を描けない時代。それは、「大人が夢を描いていない時代」であることに原因があるのではないか。
こんな思いで「働く大人たちの『未だ冷めやらぬ少年少女の夢』の具現化を通じて、そのフィールドである46億歳の地球と話し、大地と人々の共生の道を探る」ことを目的として、「地球と話す会」というサークルを発足させたのは、1991年の事であった。以来、童心に返って、子どもの頃に描いた夢の実現をライフワークとして追い続けている。


高原を行く羊の群れとすれ違う。

「地球と話す会」の活動のフィールドとしては、シルクロードを選んだ。玄奘三蔵、マルコ・ポーロ、スタインやヘディンといったシルクロードの旅人に子どもの頃から憧れ、いつかはシルクロードへ行きたいと夢見た人たちが集まったことによる。さらに、日本にとって国際交流の源流であり文化的な関りも大きいことから、フィールドをシルクロードに絞ったのである。しかし、テーマの範囲は広い。異文化交流史、中国史、中央アジア史、民族史、食べ物、美術、音楽、政治、経済、植物、動物と、経験や興味に合致した分野からライフワークをはじめられる。シルクロードには、ライフワークとして取り組める多くのテーマが秘められているのだ。
私は、①玄奘三蔵の足跡、②漢と唐の時代における西域の道路事情、③果物の伝播の足跡、④シルクロードに暮らす朝鮮族の習慣、⑤環境の変化、の5つに注目している。


「玄奘三蔵」(講談社学術文庫)こんな本を読みながらルートを決めた。Amazonから購入できます。400円くらいからです。

ライフワークとしてシルクロードに取り組むとなると、現地を見る必要がある。しかし、シルクロードを旅するには、時間とお金が必要だ。特に、昔の隊商のように極力文明の力に頼らない旅をしたいので、時間が問題となる。中国の西安からイタリアのローマまでの約15000キロメートルを徒歩で旅すれば2年弱、自転車で旅するならば半年を要する。休暇、これが問題だ。旅の計画に何らかの工夫が必要だ。
1993年、シルクロードの約15000キロメートルを20年かけて自転車で旅行する「ツール・ド・シルクロード二〇年計画」として夢をスタートした。約15000キロメートルの道のりを20分割し、毎年夏休みに二〇分の一ずつ自転車で走破し、20年後の2012年にイタリアのローマにたどり着こうという計画である。また、旅費を安くするために、会員から賛同者を募ってツアーを組んだ。
二〇年計画としたのは、ともすると銀行や保険会社は、収入と支出を予測したうえで、銀行口座の残高に似合ったライフプランを描いてくるケースが多い。しかし、銀行口座の残高に合わせるようにして人生を描きたくないと考えている。ライフワーク(夢)と気力と体力、仕事、子どもの成長を含めた家族の未来、これらを考慮したライフプランを描きたいとの願いを込めて二〇年計画とした。ほんとうに自分がやりたいと願っているライフワークを人生の中心に据えてライフプランを考える方法をしたかったことによる。


「シルクロードの旅人」(徳間文庫)いろんな時代のシルクロードの旅人のルートも参考にした。Amazonで古本を購入できます。1円からです。

一回の自転車旅行に要する時間は18日間で、9日間を走行にあてている。18日間を20回続けると、360日間となる。一年間、仲間たちと一緒に夢を追う旅を楽しめる。また、半年間も自転車旅行を楽しめるのだ。塵も積もれば山となるというのは、諺の通りである。継続は力であり、夢をかたちにする原動力であることを、数字が裏付けてくれた。自転車旅行の参加者は。庶務、衛生、整備、記録のいずれかのチームに入って、団体の一員として役割を担うことにした。半年前から月に一回集まって準備会議を重ね、各チームは態勢を整えていく。
そして出発すると、中国では円卓を10名ほどで囲んで食事をする。一日中ペダルを踏み続けているメンバーの唯一の楽しみは食事。しかも、中学生から70歳まで。孫とおじいちゃんほどの年齢の離れた人も一緒に円卓を囲むことになる。円卓を囲んだ夕食では、向かい風や上り坂といった厳しい状況が話題となり「ありがとうございました」「やっぱり若いんだね。羨ましいなあ」と、話題が盛り上がる。みんなが同じ体験をしているだけに、年令なども関係なく対等に話し合えるのは魅力だ。核家族化が進み、三世代で食事をする機会が少なくなっているだけに、円卓を囲んだ食事はとても楽しみな一時である。また、風速20メートル程の向かい風で厳しい走行を強いられ、一番年下の中学生が70歳の最高齢者の風上を走って風除け役となる。年令や学歴、所属に関係かなく、「弱者」を思いやる行動が自然に生まれる。中高年向けのサークルもあるが、様々な世代、様々な職業の男女が集まっている活動の良さを実感する一時である。サークル活動を始める人には、“三世代同居”の活動をお勧めしたい。


西安にあるキャラバンサライの群像の石碑。玄奘三蔵はここからシルクロードへの旅をスタート。わたしたちもこの地からシルクロードへの旅を始めた。

1993年に西安をスタートしたが、1998年までに中国のカシュガルまでの約4350キロメートルを走破し、参加者は延べ210名。伴走のバス、医師の同行といったバックアップ体制も準備しているので、熟年層の参加が多く、平均年齢は50歳ほどになる。
さて、「ツール・ド・シルクロード20年計画」の6回目の自転車旅行は、玄奘三蔵の足跡をほぼ追っている。また、漢の時代と唐の時代における西域の道路事情に関しては、『漢書』『史記』などで調べている最中である。果物の伝播の足跡については、ザクロやイチジクに注目し、シルクロードのオアシスではどのような保存方法があるのか、食べ方はどうか、どんな種類があるのかといった点をバザールや果樹園で観察している。ザクロは、シルクロードの旅人にとって水筒代わりであり、手でもんで中の水分を飲んでいた。だからザクロは、熟しても日本のザクロのように口を開けてはいない。イチジクは乾燥させて持ち歩いていた保存食だったことなどが分かった。西安で買った乾燥イチジクを自宅のプランターに埋めたところ、芽が出てきた。こんな体験から、アラビア原産のイチジクは、保存食として日本へ伝わって来たことと想像することができた。蘭州では、韓国で生まれて日本の大学で医学を学び、医師として勤めた満州で敗戦を迎え、満州でそのまま医師として中国人国籍を得たものの、文革で苦労した朝鮮族の老人の話を聞くこともできた。環境の変化については、沙漠の植物を写真で撮影して、記録している。

 ところで、自転車旅行はあと14回楽しめる。始めた当初、私は39歳。まだ、体力に自信はあった。しかし、最近は体力の衰えを感じ、1週間に3回、40キロメートルから90キロメートルのサイクリング。早寝早起き、定時帰宅と、生活のリズムも自然と生まれた。今や、ライフワークが生活の中心に座っているという感じである。
 2012年ローマに到着するとき、私は59歳になる。定年1年前である。しかしライフワークに定年はない。2013年からは、紙やイスラム教の伝播した足跡を追いながら西へと進み、ユーラシア大陸の西端から大西洋を見たい。約5年を要すると思われる。その後は、ふたたび西安に戻り、今度は東をめざしたい。仏教の伝播した足跡を追って朝鮮半島を横断して奈良まで自転車で巡りたい。とりわけ困難なコースは、ピョンヤンとソウルの間であろう。しかし、シルクロードを宗教や様々な文物が通ってユーラシア大陸全体に広がっていたということは、ユーラシア全体を結ぶ交流があり、ユーラシアが「ひとつ」になれることをシルクロード史が象徴しているように感じる。第2次世界大戦後、ユーラシア大陸の東西に民族を分断した国家が誕生した。西にあった東西ドイツは、1990年に統一することができた。一方、東の朝鮮半島に誕生した二つの国家は、分かたれたままである。ユーラシア大陸を「ひとつ」に結ぶ脚力の旅を通じて、ユーラシア大陸を「ひとつ」に結びたい。それは、地球を「ひとつ」に結ぶ象徴となるからだ。そんな訳で、ピョンヤンとソウルを世界中の人たちと一緒に人力で旅したい。夢で終わりそうなライフワークである。しかし、定年後は、こんなライフワークに取り組みたいと願っている。


ロカ岬にある石碑


ロカ岬から見た大西洋

講座「高速道路に迷い込まないためのGPSの使い方」を終えて

2017-11-20 13:55:08 | 講演会
講座「高速道路に迷い込まないためのGPSの使い方」を終えて

昨日、シルクロード雑学大学の定例会では「高速道路に迷い込まないためのGPSの使い方」と題して、シルクロード雑学大学のホームページを担当している会員の前田種雄さんの話を聞いた。

まずは、大学を卒業前の1958年8月から話は始まった。前田さんは大学を出て就職するために、就職試験の結果を喫茶店でテレビを待ちながら待っていたとのことだった。テレビでは、野球の日本シリーズで、読売ジャイアンツ対西鉄ライオンズの試合があり、長嶋茂雄のランニングホームランが出たとのこと。この試合を詳しく知りたい方は、上記をクリックしてください。

家に帰ってもテレビがないので、喫茶店でテレビを見ていて、就職試験の結果は後で知ったようだ。めでたく合格でした。

1959年に無事に合繊メーカーに就職し、研究職を希望したが様々なセクションで働いてきたという。結構、日本国内のあちこち、出向して海外でと仕事の場所は移動。

2000年に定年退職となり、「ツール・ド・シルクロード20年計画」に参加するために、自転車を購入。前田さんは船橋に住んでいるが、秋葉原で買って乗って帰宅したと依然聞いたことがある。購入したのはMTBだった。

当時はMTBがたくさんサイクルショップに並んでいたし、ブームでもあった。わたしの方でも、輸送時にトラブルのないようにとMTBをすすめていたのだった。また、そのころは、クロスバイクもなかったように思う。カーボンレフレームなどもなかった。


サマルカンド


サマルカンドからブハラへと走っている途中。当時は30名ほどの参加者がいた。トップが前田さん。


ウズベキスタンのお土産屋さんで並んでいた民芸品


サマルカンドのモスク

ただ、前田さんは、まずは2000年1月にニュージーランドで37日間の自転車ひとり旅。そして、2000年8月に「ツール・ド・シルクロード20年計画」に参加して、ウズベキスタンのタシケントからブハラまで30名ほどの男女の参加者と一緒に走った。たいていは3分の1の参加者が女性だ。集団走行で、バスとトラックの伴走がついていた。宿泊は事前に事務局で手配、ウズベク人の通訳が案内をしてくれた。宿泊は、ホテルもあれば、民宿もあった。
初心者には自転車の選び方から教え、一緒にサイクル・ショップで行って自転車の購入もてつだっていた。定年退職者が多いからできることかもしれない。

軍の施設やソ連時代のサナトリウムに宿泊したこともあった。まだ、ソ連崩壊直後で、独立したばかりでウズベキスタンものんびりしていた。


ブハラの街の様子


サマルカンドの路地裏、クワの木の下で子供相手にお菓子などを売っていたおじさん


サマルカンドの路地裏。サマルカンドから日本へ留学している学生たちは「もうこういうサマルカンドは、写真の中にしかないんです。懐かしい」と話していた。日本も似たような状況ですね。


サマルカンドのモスク

その後、前田さんは、キルギス各地をサイクリングしている。


キルギスでは5月25日が終業式。9月の始業式まで夏休みだ。子供たちは家族と一緒に標高の高いところへ避暑に行き、羊の世話などをお手伝いする。


避暑の人たちが、移動式の住居ユルタの脇でフェルトを作りに精を出している様子を見ることができるかもしれない。

高速道路に迷い込まないためには、GPSを使って、事前にパソコンでトラックを作り、それをGPSに入れていくのが一番いいという。
また、パソコンの上で道路がつながっていても、デジタル地図では道路が途中でつながっていないこともある。細かくトラックを結んでつなぎ、画面上の地図では道がつながっていても、回り道をするようなルートをパソコンが描くようだったら、デジタル地図の上で道がつながっていないと思ったらいい。デジタルの地図が、間違っているのでルートが遠回りでひょきされることがあるのだという。

特に前田さんがよく行っている様なキルギスでは、デジタル地図がつながっていないと思われるために、パソコンが大回りのルートを描くことが多いという。

また、出発地点から目的地へ行けばいいだけではなく、「途中でどこへ寄りたいからこの道を走りたい」といったサイクリングの目的をしっかり持つことも大切だ、とも話してくれた。そうだ、そうだ。途中のルートも楽しむのが旅というものだ。出張する、仕事の移動と違うのだから。

以前、アルメニアを走っている時に「この風景の中を走るのは、もう私の人生の中ではないかもしれないのでもっとゆっくりと走っていこうよ」という参加者がいた。風景や風の匂いや音、遠征の人々の暮らしにも目を向けて走る。事前の準備も、旅人であることを意識しながら五感で地平線を追いかけたいものだと思った。

前田さんの講演に戻る。会社に在職中は、仕事ばかりで趣味どころではなかった。定年後、自転車旅行に参加することでいろんな趣味の仲間と知り合い、他のグループにも仲間は増えている。定例会の講演の前に電車の中で仲間の顔を思い出すと、シルクロード雑学大学に参加したことで人がった仲間がほとんどだという。

「ここに参加しなかったら、定年後はいったい何をしていたのか、会社の同僚などや団地の自治会以外に仲間ができていただろうか」と趣味の効用を続けた。

在職中、尊敬する上司の言葉は「オイ、種よ。定年後は友人を作るのに金を使え、相続税はかからないからな!」とのこと。

この言葉に背中を押されるように、定例会の後は懇親会で仲間と交流。講演の内容そのままの定年後の仲間づくりでもあった。