定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

国立に梅の花咲く/キルギスに抑留された元日本兵に手紙を出す

2018-02-05 21:15:48 | 2018キルギス シルクロードハイキング




わたしが住んでいるのは東京都国立市、JR国立駅から南に向かって「大学通り」という道路がある。1キロちょっとの長さだ。

住んでいる団地から歩いて駅前にある増田書店まで本を買いに行った。途中で、大学通りの植え込みに梅の花が咲いているのに気が付いた。雪はまだところどころに残っている。

わたしは、シベリア抑留者の中でも中央アジアにあるキルギスに抑留された元日本兵などの取材をメインとしてきた。中央アジアにあるトルクメニスタンにある収容所に抑留された人にも取材している。

定年後の目的を持った生き方、定年に備えて在職中から趣味やテーマを持って生きる「ライフワークのある人生」と称する生き方も取材している。

何故、このようなエリアにこだわって取材しているのか、聞かれることがある。ほとんど情報のないエリアなので、実は雑誌や新聞に書く機会が少ない。記者が知らないのだから仕方ない。はっきりとわからない分野だから取材している。そして、歴史の事実を発掘できたときの驚きと喜びがある。喜びはどこの世界でも、発見にはつきものだと思うけれども。

1月29日に朝日新聞の投稿欄で紹介された文を読んで、キルギス共和国のタムガ村に抑留されていた宮野泰さんから手紙が届いていた。昨日書いたのだが、投函する時間を作ることができなくて、今日の昼前に宮野さんに投函した。

手紙は下記の通りだった。



今回も朝日新聞に関することを書いているので、他のマスコミに新聞などに籍を置く知り合いには、「いいかげんにして」と思われているのだろうなあ。この投稿に関しては、これで最後にしましょう。

キルギスに抑留された91歳からの手紙

2018-02-02 20:16:20 | 2018キルギス シルクロードハイキング
    

1月29日の朝日新聞の声欄で投稿が紹介されていた。以前、インタビューをしている91歳の元抑留者が、それを読んで手紙をくれた。短い文章であり、分かりやすいと喜んでいた。実は、投稿で書いた満州建国大学に進学したというのは、手紙の主だ。2年間の抑留後、帰国時は23歳。今は91歳となり老人施設で暮らしている。「タムガ村600日」という著書で、キルギスでの抑留体験を記録している。Amazonで購入することもできるので、検索して購入してほしい。高いけれども、書く側は値段以上の時間を費やしているし、抑留されたが政府からの保証もない。そう考えれば安いものだ。

朝日新聞の記者が私たちを取材して、「五色の虹」というノンフィクションを書いている。第13回の開高健ノンフィクション賞を受賞している。記者は転勤で南アフリカに勤めていたのだ。だが、最近、再び転勤となり東北のある支局に赴任しているとあった。

また、成蹊大学名誉教授の富田武氏から定期的に通信が届いている様だ。

キルギスやトルクメニスタンへ行ったら、現地の変化の変化の様子を教えてほしい、佐渡へサイクリングに訪れる時には立ち寄ってほしいと、まだまだ好奇心は盛んな様子だった。

2年程前に、キルギス人の映画監督が元抑留者に取材に来ている。既に映画はできているようだが、映画の進捗状況を報告する手紙を書いてお知らせしよう。


    

シベリア抑留者の家族、遺骨収集の実態に怒り

2018-01-12 20:07:47 | 2018キルギス シルクロードハイキング


今年の6月に、キルギスに抑留された元日本兵が建設に関わった建物や周辺を見に行く旅行を計画している。

その参加者の一人が、東京新聞の記事で厚生労働省の対応を知り治まらない気持ちを記し、東京新聞の投稿欄で紹介された。

投稿した参加者の父親が、シベリア抑留の体験がある。父親はすでに亡くなっている。

父親の抑留された地を知りたいと思って、厚生労働省から資料を取り寄せたが、資料を読んでも場所がよくわからないというので資料を見せてもらったことがある。

「捕虜体験記」といった資料を読んでいないと、厚生労働省が渡してくれた資料を読み込めないと思った。他の人からも相談を受けている。わたしも持っている本を読んでようやく、推測される土地を示すことが出来た。

わたしは中央アジアだったら調べることができる。資料を持っている。相談に応じます。

尚、キルギスに抑留された元日本兵が建設に関わった建物を見に行く旅行は、クリックすれば詳しいことを知ることができます。

     

キルギス チョルポンアタの岩絵

2018-01-05 10:10:17 | 2018キルギス シルクロードハイキング


キルギスの東部にあるイシククル湖。北岸にあるチョルポン・アタという街の郊外には、岩絵の野外博物館がある。

チョルポンは月という意味だったと思う。
アタは、頭とか故郷、源という意味だ。例えば、アルマ・アタ(リンゴの故郷、リンゴの原産地の意味)のアタである。

岩絵に描かれている絵には、鹿・羊・人などが多い。ただし、野外博物館から南、イシククル湖に向かって歩くと、いくつもの岩絵を見ることができる。野外博物館は有料だ。だが、博物館の門を出て、イシククル湖へと歩きながら見る岩絵は、無料で見学する事ができる。

フタコブラクダを通して人間の往来も想像できる。

野外博物館に岩絵を集めたのではないかという日本人観光客も多い。わたしは、野外博物館のある所はもともと浅い川原であり、川原にあった石が水をかぶったり、日に照らされたりということを繰り返している間に表面が黒くなり、その黒い石を利用して人々が暮しの様子を描いたと考えている。

玄奘三蔵が天山山脈を越えたと言われている標高4300メートル程のところにあるベデル峠をめざしたとき、雨と雪、霧に濡れて、時には陽に照らされた岩は黒く輝いていた。砂漠ワニス(デザートワニス)という現象という。この時に、岩絵のキャンパスとなっている黒い岩の成り立ちを見た気がした。

野外博物館の外にあるヒトコブラクダの絵。まだ一つしか見つけていない。岩絵のラクダはフタコブラクダだけだ。キルギスには今もフタコブラクダが飼われてぃる。

シルクロードのオアシスルートでは、東から中国の甘粛省、新疆ウイグル自治区、キルギス、カザフスタンの南部、ウズベキスタンと自転車で旅行したが、これらの地域に住んでいるラクダはフタコブラクダだった。ところが、アムダリア河を過ぎて西へ行きトルクメニスタンに入ると、ヒトコブラクダを見ることになった。地元の人に聞いてみると、ヒトコブラクダが大多数で、フタコブラクダは100頭に1頭くらいしか見ないとのことだった。

アムダリアから西には、ヒトコブラクダしかいないのかと思っていた。

ところが、昨年の10月頃に、カフカス山脈の北側を旅行した友人のfacebookには、フタコブラクダの写真が掲載されていた。

フタコブラクダは寒さに強い。モンゴルにもいる。

ヒトコブラクダは暑さに強い。サハラ砂漠やエジプトはヒトコブラクダだ。

ヒトコブラクダとフタコブラクダの棲み分けには、気温を含めた気候が影響しているように感じた。シルクロード各地のラクダは、ヒトコブかフタコブか。知りたいものだ。人間の交流の痕跡も残していると思われるから。

  
「週刊朝日 シルクロード紀行 12 イシククル湖 ビシケク」は、Amazonで1500円くらいから3万円くらいまで。

 
「アンドロス大王東征を掘る 誰も知らなかった東征と真実」は、Amazonで500円くらいより。
「定年後 『もう一つの人生』への案内」は、Amazonで1円より。岩波書店が公募した「定年後」の過ごし方という提言に応募した37編が掲載されている。応募した250編ほどから選んで掲載している。それに、定年後に受け取る年金、保険、趣味や特技と言った定年後の過ごし方を掲載している。

また、今度は人間の問題だが、アレキサンダーはキルギスまで来ていたのだろうか。アレキサンダー伝説は、トルクメニスタンでも聞いたことがある。絵本を買っている。ウズベキスタンでは、主に伝説がフェルガナ盆地に残っている。フェルガナ盆地は、ウズベキスタンだけではなく、キルギスにもまたがってる。しかも、ファルガナ盆地の一部でもあるキルギスのオッシ地方には、アレキサンダーがインド方面へ遠征に行く間に、家来にはキルギスのクルミの原産地で待っていてもらったとの言い伝えがある。2年後にアレキサンダーが戻って再開した時、留守部隊の家来たちは丸々と太っていたとの言い伝えがあるのだ。クルミの栄養の豊かさを表現したいのだろうが。シルクロードの東西世界の交流という歴史的な面でも注目したい。

アレキサンダーの家来が待っていたキルギスのエリアは、クルミの原産地として知られている。
シルクロードには、イランの西部にもクルミの原産地と言われているところがある。ギリシャ、アルメニア、グルジアには、クルミを利用したジャムがある。キルギスにもあることがわかった。食を通してシルクロードにおける人間の交流を感じ、シルクロードの歴史や交流の足跡を確かめたいものだ。

民話を聞いたり、絵本を見ることで知りたいと思ってキルギスの南部へ行く旅行を計画している。関心のある人は問い合わせてください。

2018年のキルギスでのハイキングの計画

キルギスでの計画を伝える新聞記事

シルクロード学研究会の報告集、キルギスの岩絵の写真

2017-12-14 11:35:56 | 2018キルギス シルクロードハイキング
  

帝京大学文化財研究所から2017年度の「シルクロード学研究会 報告集」が届いた、先週の金曜日の事だった。

帝京大学では、キルギスの郊外にあるアクベシム遺跡の発掘を続けている。シルクロードの旅人として有名な玄奘三蔵が立ち寄った遺跡とみられている。

昨年(2016年)には報告会に出席したが、今年は日程を知らなかった。たまたま、青年海外協力隊のボランティアとしてキルギスのナリンに派遣されていた知り合いが、帰国後山梨県に住んでいる。住まいから15分ほどの距離の所で行われた報告会の会場に足を運んでいた。このことをfacebookで知ったのだ。彼女は山梨県の出身で、今では2児の母。子供はまだ小さいので、時間のやりくりは大変だったと思う。それにもかかわらず、報告会に出かけたのは「第2」の故郷への思いが強いようだ。キルギスから来ていた研究者とキルギス語で研究者と話したようだから、子育て後もキルギスへ行って交流したりするのだろうか。子育て後の彼女の活躍を楽しみにしている。

その知人の投稿を読んでいたら「キルギスから研究者が来て発表し岩絵に関する報告もあった」というので、帝京大学文化財研究所に「報告集を送ってほしい」とお願いしていたのだった。

日曜日には、報告集をよく読まないうちに帝京大学文化財研究所へメールで報告数の到着とお礼を伝えた。また、2006年以降に撮影した岩絵の写真などを添付して送った。研究にプラスになればと思っての事だった。

キルギスでは、岩絵と言えばイシククル湖の北岸にあるチョルポンアタの岩絵博物館が有名だ。それに、首都のビシケクの南にあるイシク・アタの薬師如来像が有名だ。そのほかに、どんな岩絵が公表されているのか知りたかったので、報告集を取り寄せたのだった。

 

キルギスのイシククル湖南岸にあるタムガ村には、125名の日本人が抑留されていたことが明らかになっている。1946年から1948年の事だ。抑留された日本人は、この村にある国防省の管轄するサナトリウムにある診療所の建設に関わっている。この建物は、今も泥治療の施設として利用されている。

抑留体験を持つ宮野泰さんにインタビューした時に「『ずっと南に行って天山山脈を越えると中国だ。脱走して天山山脈を越える計画を練ろう』と抑留仲間の望月さんが何人かの前で話したことがあります」と笑っていたことがある。バルスコーン渓谷から天山山脈のベデル峠を通って中国へ抜けるルートは、約1400年前に仏典を求めてインドへとシルクロードを旅した玄奘三蔵が通ったルートと考えられている。タムガ村からは約200㎞ほどだ。ほとんどのルートが3500メートルを越える高原だ。車の往来がないので、サイクリングにもハイキングにも向いている。ただし、天候の変化には注意が必要だ。

このルートを自転車で2回走ったことがある。最後の8キロほどは、川原を歩いたのだが。
ベデル峠をめざしているが、残念ながら降雪に見舞われて峠の手前で撤退している。あとでGPSで調べると、水平距離で500メートル、垂直距離で300メートル手前で撤退していた。道はなく、水の流れを飛び越えながら川原を進んでいたし、岩陰もないルートだった。水量が増えたら8キロ下に待っている車まで戻ることができなくなる。さらに3キロほど下にある軍の国境警備隊の宿舎まで戻れないかもしれない。生きていればもう一度チャンスを作ることができる。そう思って撤退したのだった。軍のチェックが3回あり、国防省の許可を得る必要がある。ただし、記録を見る限り、まだ日本人は一人も峠を通ってないと思われる。

  

さて、日本人が抑留されていたというタムガ村の近郊には、タムガ・タシュという岩がある。チベット文字が刻まれている。「タシュ」は関所とか門という意味だとキルギス人の通訳から聞いた。この写真を帝京大学文化財研究所に送信したが、資料の中に写真があった。多くの研究者が把握している岩だと知った。

 

また、自転車でベデル峠方面からの帰りに、高原の中で大きな黒光りする岩がポツンとあるのを見つけた。それは幾つもの絵のある大きな岩で、「以前には仏さんが描かれていたが剥がれて消えてしまった」と年配のキルギス人のガイドが教えてくれたた。

また、「イシククル湖の南岸にある天山山脈の中には、仏像の描かれた岩絵がいくつかあり、チベット仏教の伝播のルートだったと思われる」と、年配のガイドは話していた。このガイドが今も存命なのかわからない。ただ、登山客やハイキング客をガイドしているキルギス人の知り合いがいる。彼らに手伝ってもらえば、いくつかの岩絵を見付けることができると思う。GPSで記録をすれば、だれでも岩絵を研究したり、古のシルクロードの旅人が行き交ったルートを巡ることができると思う。仏教伝播に関するルートが秘められているというのは、日本人には興味深い謎解きだ。1か月ほど滞在して、調べたいものだ。。


シルクロードをサイクリングしたときの様子を紹介しているテレビ番組

来年(2018年)のキルギスで計画しているシルクロードハイキング、トルクメニスタンのサイクリングを紹介している新聞記事