キルギスの東部にあるイシククル湖。北岸にあるチョルポン・アタという街の郊外には、岩絵の野外博物館がある。
チョルポンは月という意味だったと思う。
アタは、頭とか故郷、源という意味だ。例えば、アルマ・アタ(リンゴの故郷、リンゴの原産地の意味)のアタである。
岩絵に描かれている絵には、鹿・羊・人などが多い。ただし、野外博物館から南、イシククル湖に向かって歩くと、いくつもの岩絵を見ることができる。野外博物館は有料だ。だが、博物館の門を出て、イシククル湖へと歩きながら見る岩絵は、無料で見学する事ができる。
フタコブラクダを通して人間の往来も想像できる。
野外博物館に岩絵を集めたのではないかという日本人観光客も多い。わたしは、野外博物館のある所はもともと浅い川原であり、川原にあった石が水をかぶったり、日に照らされたりということを繰り返している間に表面が黒くなり、その黒い石を利用して人々が暮しの様子を描いたと考えている。
玄奘三蔵が天山山脈を越えたと言われている標高4300メートル程のところにあるベデル峠をめざしたとき、雨と雪、霧に濡れて、時には陽に照らされた岩は黒く輝いていた。
砂漠ワニス(デザートワニス)という現象という。この時に、岩絵のキャンパスとなっている黒い岩の成り立ちを見た気がした。
野外博物館の外にあるヒトコブラクダの絵。まだ一つしか見つけていない。岩絵のラクダはフタコブラクダだけだ。キルギスには今もフタコブラクダが飼われてぃる。
シルクロードのオアシスルートでは、東から中国の甘粛省、新疆ウイグル自治区、キルギス、カザフスタンの南部、ウズベキスタンと自転車で旅行したが、これらの地域に住んでいるラクダはフタコブラクダだった。ところが、アムダリア河を過ぎて西へ行きトルクメニスタンに入ると、ヒトコブラクダを見ることになった。地元の人に聞いてみると、ヒトコブラクダが大多数で、フタコブラクダは100頭に1頭くらいしか見ないとのことだった。
アムダリアから西には、ヒトコブラクダしかいないのかと思っていた。
ところが、昨年の10月頃に、カフカス山脈の北側を旅行した友人のfacebookには、フタコブラクダの写真が掲載されていた。
フタコブラクダは寒さに強い。モンゴルにもいる。
ヒトコブラクダは暑さに強い。サハラ砂漠やエジプトはヒトコブラクダだ。
ヒトコブラクダとフタコブラクダの棲み分けには、気温を含めた気候が影響しているように感じた。シルクロード各地のラクダは、ヒトコブかフタコブか。知りたいものだ。人間の交流の痕跡も残していると思われるから。
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また、今度は人間の問題だが、アレキサンダーはキルギスまで来ていたのだろうか。アレキサンダー伝説は、トルクメニスタンでも聞いたことがある。絵本を買っている。ウズベキスタンでは、主に伝説がフェルガナ盆地に残っている。フェルガナ盆地は、ウズベキスタンだけではなく、キルギスにもまたがってる。しかも、ファルガナ盆地の一部でもあるキルギスのオッシ地方には、アレキサンダーがインド方面へ遠征に行く間に、家来にはキルギスのクルミの原産地で待っていてもらったとの言い伝えがある。2年後にアレキサンダーが戻って再開した時、留守部隊の家来たちは丸々と太っていたとの言い伝えがあるのだ。クルミの栄養の豊かさを表現したいのだろうが。シルクロードの東西世界の交流という歴史的な面でも注目したい。
アレキサンダーの家来が待っていたキルギスのエリアは、クルミの原産地として知られている。
シルクロードには、イランの西部にもクルミの原産地と言われているところがある。ギリシャ、アルメニア、グルジアには、クルミを利用したジャムがある。キルギスにもあることがわかった。食を通してシルクロードにおける人間の交流を感じ、シルクロードの歴史や交流の足跡を確かめたいものだ。
民話を聞いたり、絵本を見ることで知りたいと思ってキルギスの南部へ行く旅行を計画している。関心のある人は問い合わせてください。
2018年のキルギスでのハイキングの計画
キルギスでの計画を伝える新聞記事